すべてを治められる主に感謝せよ。 今日の詩編(詩編136.3+4+5+6,16+23+25+26)はこのように歌われます。私たちは日常の中で、全ての物事、全ての出来事を神と結びつけて考えているでしょうか。神と関係があるのは、信仰や教会に関係
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」 今日の福音(マタイ13.44-46)で、イエスは人々にこのように言います。このような言葉
神よ、深い淵から、あなたに叫び、嘆き祈る私の声を聞いてください。 今日の詩編(詩編130.1+2,7a+8)はこのように歌われます。人生の中では、深い淵にはまり込んだと感じるほどの苦しみの時もあるでしょう。 そんな時、これまでにないほど神を
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」 今日の第一朗読(�ヨハネ4.7-16)にはこのように書かれています。
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」 今日の第二朗読(エフェソ4.1-6)にはこのよう
すべてを治められる神よ、あなたの住まいは麗しい。わたしの魂は主の庭を慕い、心とからだは生ける神にあこがれる。 今日の詩編(詩編84.2+3,11cd+12)はこのように歌われます。この歌は、はるか遠い所にある神の住まいに思いを馳せているよう
「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」 今日の福音(マタイ13.18-23)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ミサに与ることも、黙想会や祈
「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕
神の力あるみわざを語り、あなたのものである正義をわたしはほめ歌う。 今日の詩編(詩編71.3b+4+5a,6b+15+16)はこのように歌われます。キリスト者には、声高に正義を訴える人が多いように思います。 しかしそれは、本当に神の正義でし
そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 今日の福音(マタイ12.46-50)にはこのように書かれています。イエス
アレルヤ、アレルヤ。主・キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、あふれるいつくしみをわたしたちに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスが十字架での死から復活したのは、ご自分の偉大さを証明するためではありま
神の恵みといつくしみに生涯伴われ、わたしはとこしえに神の家に生きる。 今日の詩編(詩編23.2+3,4,6)はこのように歌われます。私たちの人生の中には、神の恵みやいつくしみを感じられない時も、神の家に住んでいるとは思えない時もあるでしょう
神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。誰でも、よく晴れた日には体いっぱいに太陽の光を感じることができます。 もちろん、曇りや雨の日でも、日光は地上に降り注いでいます。曇り空の屋外は
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4.11+12)はこのように歌われます。この歌を聞いてどんな事を思い浮かべるかは、人によって違うのではないでしょうか。 ある人は、文字通
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスはこのように言います。これは、教会の掲示板やウェブサイトの目立つ所に書かれていることが多い言葉です。まだ教会を訪れ
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、信仰さえも知性の営みと
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ミサに与っている時や、祈りを捧げている時は、どこに心を向けるかは分かりやすいと思います。 しかし、神の声
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスは、多くの人に教えを告げ知らせるために、旅から旅への生活を送っていました。一つの
いつくしみとまことはめぐり合い、正義と平和はいだき合う。まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。 今日の詩編(詩編85.9,10+11,12+13+14)はこのように歌われます。この歌だけでなく、私たちは日頃から、正義と平和を一組の言葉と
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 今日の福音(マタ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。私たちは、最初から行き先が分かって道を選んでいるでしょうか。神に背く道を歩んでしまう人も、その道が
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。この言葉は、神からただで受けた恵
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神の不思議なわざを思い起こそうとして、思い当たることがある人はどれほどいるでしょうか
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は人間の罪をとがめ、裁くことよりも、赦すことを選ぶ方です。そ
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(詩編145.8+9,10+11)にはこのよう
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」 今日の第二朗読(㋥コリント1
神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌を、神は、ご自分に従う人にだけ平和を与えるという意味に読む人もいるでしょう。 決してそうではないのだ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音
すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ。 今日の詩編(詩編117.1+2)はこのように歌われます。全ての国、全ての民が神を褒め称えるためには、その人々が神を知らなければならないでしょう。 実際には、この地上の多くの人はまだ神と出
アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。現代の日本では、日頃は特定の宗教を信じていない人でも神により頼むことはあるでしょう。 しかし、その
ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」 今日の福音(マタイ8.18-22)にはこのように書かれています。
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すべてを治められる主に感謝せよ。 今日の詩編(詩編136.3+4+5+6,16+23+25+26)はこのように歌われます。私たちは日常の中で、全ての物事、全ての出来事を神と結びつけて考えているでしょうか。神と関係があるのは、信仰や教会に関係
神が与えてくださったすべての恵みに、 どのようにこたえようか。 今日の詩編(詩編116.12+13,17+18)はこのように歌われます。私たちはどんな時も神の恵みを受け、神に愛されて生きています。 愛は自分が受け取って終わるものではありませ
神をさがし求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.1+2,3b+4+5)はこのように歌われます。もし、探し求めている物が見つからないならば、その人は喜ぶことはできないでしょう。 神を探し
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。神にとっての「正義のわざ」とは、常に虐げられている人、弱い立場の人を守るためのものなのでしょう。実際、イエスはそのように
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神に対しても人に対しても、自分では心を閉ざしていないつもりでも、実際には閉ざしていることがあると思いま
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスはいつも弟子たちに付きっきりでいるわけではありません。むしろ、弟子たちを方々に派
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 今日の福音(ルカ10.25-37)は、有名
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。あなたがたの師はキリストただひとり。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もちろんこの歌は、自分の親を親とは思うなとか、師を持ってはならないと言っている
「実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。神は私たちの心に語りかけます。しかしそれは、言葉として耳で聞こえたり、文字とし
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。天の国とは、神の支配、神の思いが行き渡った状態のことです。つまり、このイエスの言葉は、世の終わりを予言するようなもの
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。このような歌は、「世の終わりが近づいたから、それにふさわしい準備をしなさい」のような、終末論やカルトに利用されがち
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」 今日の福音(ルカ10.1-12,17-20)でイエスは、七十二人の弟子たちにこのように言います。現代の日本では、キリスト者であるというだけで、危害を加
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 今日の福音(マタイ9.14-17)で、イエ
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが罪人たちと交わる場面がたくさんあります。この
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)で、復活したイエスは弟子のトマスにこのように言います。イエスがてんに帰った後の世界に生きている私たちは、生身のイエスに出会うことはできま
主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中から救い出し、主をおそれる者に使いを送り、支えとなって守ってくださる。 今日の詩編(詩編34.7+8,9+10)はこのように歌われます。神が送ってくださる使いとはどんな存在なのでしょうか。実際に、背中に羽の
神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、いつわりのない祈りに耳を傾けてください。 今日の詩編(詩編17.1+2,6+7)はこのように歌われます。自分の訴えや叫びが正しいか間違っているのかを判断するのは、簡単なことではないと思います。そもそ
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。 きょうの詩編(詩編103.3+4,8+13)はこのように歌われます。私たちは皆、神によって良いものとして作られています。同時に、私たちは完
神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。誰でも、よく晴れた日には体いっぱいに太陽の光を感じることができます。 もちろん、曇りや雨の日でも、日光は地上に降り注いでいます。曇り空の屋外は
神よ、あなたは死の国からわたしを引き上げ、危ういいのちを助けてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4.11+12)はこのように歌われます。この歌を聞いてどんな事を思い浮かべるかは、人によって違うのではないでしょうか。 ある人は、文字通
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスはこのように言います。これは、教会の掲示板やウェブサイトの目立つ所に書かれていることが多い言葉です。まだ教会を訪れ
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、信仰さえも知性の営みと
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。ミサに与っている時や、祈りを捧げている時は、どこに心を向けるかは分かりやすいと思います。 しかし、神の声
イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 今日の福音(マタイ10.34-11.1)にはこのように書かれています。イエスは、多くの人に教えを告げ知らせるために、旅から旅への生活を送っていました。一つの
いつくしみとまことはめぐり合い、正義と平和はいだき合う。まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。 今日の詩編(詩編85.9,10+11,12+13+14)はこのように歌われます。この歌だけでなく、私たちは日頃から、正義と平和を一組の言葉と
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 今日の福音(マタ
主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み、神に背く者はその道につまずく。 今日の第一朗読(ホセア14.2-10)にはこのように書かれています。私たちは、最初から行き先が分かって道を選んでいるでしょうか。神に背く道を歩んでしまう人も、その道が
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)で、イエスは使徒たちにこのように言います。この言葉は、神からただで受けた恵
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。神の不思議なわざを思い起こそうとして、思い当たることがある人はどれほどいるでしょうか
あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたをおそれ尊ぶ。 今日の詩編(詩編130.3+4,7a+8)はこのように歌われます。神は人間の罪をとがめ、裁くことよりも、赦すことを選ぶ方です。そ
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(詩編145.8+9,10+11)にはこのよう
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」 今日の第二朗読(㋥コリント1
神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌を、神は、ご自分に従う人にだけ平和を与えるという意味に読む人もいるでしょう。 決してそうではないのだ
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音
すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ。 今日の詩編(詩編117.1+2)はこのように歌われます。全ての国、全ての民が神を褒め称えるためには、その人々が神を知らなければならないでしょう。 実際には、この地上の多くの人はまだ神と出
アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。現代の日本では、日頃は特定の宗教を信じていない人でも神により頼むことはあるでしょう。 しかし、その
ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」 今日の福音(マタイ8.18-22)にはこのように書かれています。