アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばである種をまくのがイエスであるなら、私たち人間が神のことばを宣べ伝えるとは、ど
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。神の子であるイエスは、父である神と同様に完全な完
神を信じるすべての人よ、神を愛せ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じている人は神を愛しているのではないだろうか。なぜ、あらためて「神を愛せ」と呼びかけるのだろうか、という疑問が湧いてくる歌でもあ
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 今日の福音(マルコ4.35-41)には、イエスと弟子たちが乗っている舟が突風
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 今日の福音(マルコ4.26-34)にはこのように書かれています。聖書にはイエ
そのとき、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 今日の福音(ルカ10.1-9)にはこのように書かれています。「ほかに」とは十二使徒の他にという意味です。自分の生活から離れて出かけていくこと
「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 今日の福音(マルコ3.31-35)
世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。 今日の詩編(詩編98.1,4+5)はこのように歌われます。今、この世界は神に向かって喜びの声をあげられるような状態でしょうか。どれほど多くの人が、今日、喜びの声をあげることをできず
「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」 今日の第二朗読(�コリント1.10-13,17)で、パウロはこのように
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 今日の福音(マルコ3.20-21)にはこのように書かれています。聖書の記述では、母マリア以外の親戚たちはイエスのことを全く認めよう
そのとき、イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 今日の福音
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.10,17)はこのように歌われます。「人々の集いの中で神の救いの業を告げ知らせる」とは、第
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 今日の福音(マルコ3.1-6)にはこのように書かれています。本来、ファリサイ派の人々は、ローマ帝国の力を借りてユダヤの民を治めてい
心を尽くして神に感謝しよう、神をたたえる人の集いの中で。 今日の詩編(詩編111.1+2,3+4b+5b)はこのように歌われます。私たちは、神に感謝する時、祈りを捧げる時、心を尽くすことができているでしょうか。 神への感謝が習慣になっていれ
そのとき、ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 今日の福音(マルコ2.
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.2+4ab,6,10)はこのように歌われます。神の救いの業を告げ知らせることが聖書や宗教の
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」 今日の第一朗読(ヘブライ4.12-16)にはこのように書かれています。「大胆に」恵みの座に近づくという発想は、なかな
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「力ある不思議なわざ」を、劇的な変化や奇跡が起こったり、叶うはずのない願いが叶ったりすることだけと考えているならば、どんなに思い起こそうとしても、そうそう思
しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。 今日の福音(マルコ1.40
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 今日の福音(マルコ1.29-39)にはこのように書かれています。この場面
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたに宣べ伝えられた福音は永遠にとどまる神のことば。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌には二重の意味が込められているように思います。 一つ目は、イエスが説いたことば、愛の教えは永
エルサレムよ、起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。 今日の詩編(イザヤ60.1-6)はこのように歌われます。神の光がエルサレムを照らすから、その光を反射してエルサレムも輝く、ということでしょう。 人は自ら光
母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っ
神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(詩編147.12+13,14+15)はこのように歌われます。奇跡的な力で神の言葉が実現したり、世界中の人の頭の中に神の言葉が直接響いたりすることは、ほぼありません。現実に
「愛する皆さん、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えです。」 今日の第一朗読(�ヨハネ3.11-21)にはこのように書かれています。「愛しなさい」と比べて、「愛し合いなさい」は極めて難しい教えです。 どんなに好きにな
イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ——『先生』という意味——どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、
「あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。」 今日の第一朗読(�ヨハネ2.29-3.6)にはこのように書かれています。御子、すなわちイエスには罪がない。このことは罪とは何かを理解する上でとても重
「愛する皆さん、偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」 今日の第一朗読(�ヨハネ2.22-28)にはこのように書かれています。イエスがメシアであること
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 今日の福音(ルカ2.16-21)にはこのように書かれています。人として産まれた幼子イエスの下に最初に出かけて行ったのは、名も無い羊飼
「ブログリーダー」を活用して、U.Zさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばである種をまくのがイエスであるなら、私たち人間が神のことばを宣べ伝えるとは、ど
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神の顔を仰ぎ見ることと、神から掟を授かることは一体なのかもしれません。 顔を見るとは、その人と出会うという
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.7+8,13+14)はこのように歌われます。もちろん、一人静かに祈り、黙想している時に、神との出会いが訪れることはある
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 今日の福音(マタイ5.20-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。聖書では、律法学者やファリサ
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みを受けていない人は一人もいません。全ての人は神から愛され、その恵みを受けています。 神の恵みは、人間が考える「ご利益」とは違います。それは、こ
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 今日の第一
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」 今日の福音(マタイ5.1-12)で、イエスは弟子たちにこのように言いま
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」 今日の福音(マルコ3.20-35)に
イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 今日の福音(ル
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。 今日の詩編(イザヤ12.2,4,5)はこのように歌われます。信頼することと恐れないことは切り離せないのだと思います。あらゆる恐れは、信頼を欠くことから生
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、親戚のエリザベトの下を訪れたマリアはこのように神を讃えます。もちろん「偉大なこと」とは、マリア
神こそ主であると悟れ。神はわたしたちを造られた。 今日の詩編(詩編100.1+2,3ab)はこのように歌われます。ほとんどのキリスト者は、日頃、「神」と「主」を意識することなく同じ意味で読み、用いていると思います。 しかし私たちは、本当に
神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(詩編147.12+13,14+15)はこのように歌われます。今の世の中で、神の言葉が音声として地上に響き渡り、世界中の人がその言葉を一斉に理解するという奇跡が起こることは
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです」 今日の第一朗読(�ペトロ1.10-16)にはこのように書かれ
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 今日の第二朗読(�ヨハネ4.7-16)にはこのように書かれています。この短い言葉の中には、神とは何か、イエスの教えとは何か、信仰とは何かの全てが詰まっ
まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。神は恵みを注がれ、地は豊かに実る。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。神はどんな時も私たちを見守り、道を示してくださいます。しかし、実際に行動するのは私たちです。
アレルヤ、アレルヤ。主よ、話してください。しもべは聞きます。あなたは永遠のいのちのことばをもっておられます。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌は、「サムエル記」に書かれている、後に偉大な預言者となる少年サム
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」 今日の福音(マタイ5.13-16)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「あなたがたは世の光である」は有
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」 今日の福音(マタイ5.1-12)で、イエスは弟子たちにこのように言いま
「わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」 今日の第二朗読(�コリント10.16-17)で、パウロはこのように書いています。この
イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」 今日の福音(マル
わが主をたたえよう。声を合わせてたたえよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちの信仰は共同体の信仰です。 神に感謝したい、神を称えたいことがある時は、一緒に祈ってくれるよう、誰かに声をかけてみましょう。そんなことは恥ずかしい、抵
「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この
神はあわれみ深く正義に満ち、罪びとに道を示される。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。この歌は「正しい人にはわざわざ道を示す必要はない」と歌っているわけではないのだと思います。 そもそも、神の前で完全に正しい人
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神が招く、望まれる道は厳しく、険しいものであると考え
光はやみの中に輝き、神に従う人を照らす。 今日の詩編(詩編112.1,4)はこのように歌われます。神の愛は、どんな時も変わらず、私たちを照らし続けています。 真夏の昼間の太陽のように、夜空に輝く満月や星のように、そしてほのかに光る灯火のよう
「兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」 今日の第二朗読(�コリント13.11-13)で、パウロはこのように書いて
主よ、あなたはわたしを滅びから救い、苦難の時に助け出してくださいました。それゆえ、わたしはあなたに感謝をささげ、あなたを賛美し、主の御名をほめたたえます。 今日の第一朗読(シラ51.12-20)にはこのように書かれています。神を信じている人
栄光をあびて神の民は喜び、神に仕え、高らかにうたう。 今日の詩編(詩編149.1+2,5+6a+9b)はこのように歌われます。「栄光をあびる」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。成功や勝利といった言葉と結びつけて考える人が多い
イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 今日の福音(マルコ10.46-52)には、盲人のバルティマイがイエスと出会い、視力を回復する奇跡が描かれていま
アレルヤ、アレルヤ。おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。普通、私たちが何かを信じるのは、信じるに値する証拠があるからです。それが事実である確
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、掟に心を留めることは、和解の献げ物に、他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、施しをすることは、感謝の献げ物に匹敵する。 今日の第一朗読(シラ35.1-12)にはこのように書かれています。ここでは四
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 今日の福音(ヨハネ20.19-23)にはこのように書かれて