chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
吟遊軍師
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2016/03/14

arrow_drop_down
  • 受験生の人間関係は「近交遠攻」がお得

    ライバルには大いに利用価値がある 「受験」というシステムが「人を選別する作業」である以上、同じ選ばれる立場にある受験生同士は、もちろん「ライバル」であるということになります。そのライバルのうちには、当然身近な友人やクラスメートも含まれるわけですが、だからといって彼らを過剰に警戒して敵視したり、自分だけが情報をひとり占めして出し抜いてやろうと考えるのは得策ではありません。これは別に「お人好しであれ」と勧めているわけではないのです。もっと端的に、友人や情報交換のできる相手というのは、「受験」という航海を乗りきるために非常に有用な存在であると言いたいのです。戦うべき相手はもっと遠くに、いくらでもいま…

  • 参考書の「まえがき」を読み飛ばしてはならない

    安易に「効率」を求めるあまり、手前にある宝を見落としていないか 受験生活がはじまると、とにかくなんでもかんでも「効率」を求めるようになります。それはもちろん悪いことではないのですが、一見して効率よさげに見えるものが、実際に効率よく働いてくれる可能性というのは、実のところあまり高くはありません。勉強しているにもかかわらず成績が伸び悩んでいるとしたら、これまで自分が効率を求めるあまりに捨ててきた部分、見逃してきた部分に向きあってみることを考えましょう。まだ「要/不要」の選球眼が育っていない段階で下した判断基準は、けっこう間違っていることが多いのです。 「参考書」とは「RPG」である!? これはゲー…

  • ちょっとユルめの大学受験回顧録

    いつも読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。このブログを初めて以降、ちょっとタイトなことばかり書きすぎたような気もするので、たまには僕自身の受験生時代の話でも書いてみようと思います。いつものように「方法論」として書いていると、かなり息詰まるような受験勉強をしてきたと思われがちですが、正直周囲に比べても、そこまでせっぱ詰まった感触はありませんでした。当ブログの説明文にもあるように、まさしく「適量の努力」といった按配というか。受験生の皆さんにはその感触を味わってもらって、少し気を楽に持ってもらえたら、と思って自分の体験を書いてみることにします。プロフィール欄に書いてあるとおり、僕は現役…

  • 受験勉強で「何をどれくらいやるか」に迷ったら、過去問に訊け

    「定期試験」と「入学試験」の決定的な違いとは? 「早稲田へ入るためには、AとB、どちらの英単語帳をどれくらいやればいいですか?」 「慶應に受かるには、やっぱり特別な小論文対策が必要でしょうか?」受験に際してそういった疑問を抱き、誰かにその答えをズバッと言い切ってほしいと願っている受験生は、かなり多いのではないかと思います。いっそのこと大学側が「これとこれをやって来い」と指定してくれたなら、どんなにラクだろうかと。そしてまさにそここそが、学校の定期試験と入学試験の、決定的な違いであるわけです。競争相手と同じ教科書で学び、試験範囲までが親切に指定されている学校の定期試験に慣れている学生たちは、実の…

  • 才能でも根性でも運でもなく「考え方」と「適量の努力」で受験に合格する15の方法

    1.「勉強」という作業を無闇に神格化しない 自分が怖れている相手と、仲良くなることはできません。人間、自分が嫌った相手からは嫌われます。勉強は、特別なものでもなんでもありません。「スポーツ」「音楽」「ゲーム」など、皆さんが好きなものとも、必ずどこか通じるものがあるはずです。「勉強」を味方につけるためには、無根拠な怖れや偏見を捨てて、それを日常の一部に取り込んでしまいましょう。exam.hateblo.jp 2.「まずは基礎を固めてから」という過剰な「基礎信仰」は捨てる 「基礎が大事」という言葉を頑なに信じるがゆえに、単語帳ばかりやってそこから一歩も動けない、という人がいます。基礎はたしかに大切…

  • 勉強の精度を向上させるには「自分の中の先生」を育てよう

    受験勉強においては「自分」に教える先生もまた「自分自身」 問題集や参考書を使ってやる受験勉強が学校で行われる授業と大きく異なる点は、基本的に「答えあわせを自分でやらなくてはならない」ということです。これは案外盲点になっていると思いますが、普通採点や評価というものは、その問題を十分に理解している人(たとえば「先生」)がやるものです。しかし自学自習が多くの割合を占める受験勉強においては、自分が間違えた問題、わからなかった問題の採点をも、未熟な自分自身でやらなければなりません。皆さんこれを当たり前のようにやっていると思いますが、これ、実はけっこう大変なことなんです。つまりは「自分が自分の先生になって…

  • 「成績は自動的に上がっていくものだ」という希望的観測は捨てるが吉

    受験生は「後半の伸び」を期待してはいけない 多くの受験生がなんとなく抱いている共通感覚として、「コンスタントに勉強していれば、受験本番に向けて徐々に成績が伸びていくはず」というイメージがあるのではないかと思います。しかしこれは、あくまでも無根拠な希望的観測に過ぎません。もちろん受験本番に向けて、尻上がりに成長曲線を描いていく受験生もいます。しかしそれは「単なる結果論」だと考えておいたほうが身のためです。そういう人たちは、おそらくはじめからラストスパート型の受験計画を想定して走りはじめたわけではありません。本人的にはスタート地点から一気にダッシュして先頭に出るつもりが、後半になってようやく加速が…

  • 伸びる受験生は今日できることを明日に延ばさず、明日できることを今日しない

    「時間」という制御困難な要素を味方につけるために 世の中には、「今日できることを明日に延ばすな」と「明日できることを今日するな」という両極端な人生訓があります。「ならいったいどうすりゃいいんだよ!」って話ですが、わざわざ二種類言われているということは、つまり時と場合によってどちらも必要だということです。もちろん受験勉強においても、それは例外ではありません。ここは適材適所でいきましょう。 どんなに今日という日を頑張っても、「質」が伴わなければ意味がない まず前者の、「今日できることを明日に延ばすな」という気構えに関しては、勉強についてもよく言われることですが、「それができたら苦労はねえよ」という…

  • 結果を出したいのなら、自分の「数字」から目を背けてはならない

    すべての「数字」には意味がある 言うまでもないことですが、受験とは「数字」によってすべてが評価される世界です。逆に言えば、「数値化」できない能力は、少なくとも受験においては意味がありません。高得点という「数字」を求めるのならば、まずはあらゆる数字から目を背けず、真正面から向きあうことが必要です。数字には、言葉と同じく必ず意味があります。しかしなかなか成績が伸びない受験生の多くは、自身の模試の得点や成績表に記された数字から、しっかりとその「意味するところ」を汲み取ることができていません。成績の悪い人ほど、全体の偏差値と合格判定をパッと見てショックを受け、「これ以上はもう見たくない」という気持ちに…

  • 「なんとなく」をやめれば成績は自動的に伸びる

    あらゆる努力を台なしにする「なんとなく」の圧倒的な魔力 「受験」というのはひとことで言えば、「すべてを数値化して評価する/されるシステム」です。試験を課す学校側は、あらゆる項目において白黒はっきりつけていかなければ、生徒を選別することができません。そういった明確なルールの範囲内で闘う以上、我々が日常生活において駆使している「なんとなく」という曖昧な感覚は、受験勉強の足を引っ張るだけでなく、あらゆる努力を台なしにするほどに圧倒的な力を持っています。 「なんとなくの正解」は本質的には「不正解」である たとえば普段問題集をやっているときに、確信は持てないがなんとなくフィーリングで選んだ選択肢が正解で…

  • 受験勉強計画を立てるときには、自分の「ダメな性格」も計算に入れる

    理想的すぎる勉強計画は失速を早める 受験勉強というのは、最初に気合いの入っていた人ほど、意外と失速するのが早かったりするものです。4月から受験勉強をはじめた人の中には、自分がイメージしていたほど勉強がはかどらず、早くも5月のゴールデンウィーク明けにはトーンダウンしてしまう人がことのほか多いのです。その原因はおそらく、勉強計画を立てる段階において、自分に期待しすぎてしまっているからです。受験計画のポイントは、自分自身のポテンシャルを無根拠に過大評価せず、まずは等身大の自分自身を中心に設定することです。理想を追求するあまり、自分自身の「サボり癖」や「だらしなさ」といった弱さを、計画から排除してはい…

  • 受験勉強における「完璧主義」の功罪

    成績が伸び悩んでいるのなら、まずは自らの「完璧主義」を疑え 「勉強はしているのに成績がなかなか伸びない」という場合、主に二つのパターンが考えられます。「勉強はしっかりやっているのだけど、進行ペースが遅い」というタイプと、「勉強の進行ペースはスムーズだが、そのやり方が雑」というタイプです。そのどちらも、ある種の「完璧主義」が原因の根底にあります。「完璧主義」は、勉強を進めるうえで有効な武器にもなりますが、使いどころを間違えると大きな足枷にもなります。前者の「進行が遅い」タイプの場合、「勉強とは基礎から応用へと順番に積み上げていくものだ」という意識が強すぎて、「とにかく基礎を完璧に仕上げないことに…

  • 究極の一冊に辿り着くためには、数多くの参考書に目を通すしかない

    「おすすめ」の海で溺れないためには、確かな「選択眼」を身につける必要がある いまやAmazonのレコメンド機能を筆頭に、待っているだけでなんでもかんでも自動的に選んでくれる世の中になりました。しかしそれが当たり前になっているということは、「誰もがその恩恵を受けている」ということであって、その方法では「他人に差をつけることはできない」ということでもあります。参考書を選ぶ際には、「あれもこれも手を出すな。厳選した一冊を繰り返しやれ」とよく言われます。しかしこの常套句は、多くの名言がそうであるように、大事なプロセスを省いている。それは、「ならばどうやったらその一冊を厳選する選択眼が身につくのか?」と…

  • 受験に勝てる子を育てたければ、親は子供の「努力」を褒めてはいけない

    「努力すること」を褒められて育った子は、「努力することそれ自体」が目的になってしまう 受験というのは、徹底して「結果至上主義」の世界です。これは言ってしまえば受験に限らず、世の中全体がそうであることの映し鏡でしかないのですが、受験においてはどんなに人一倍厳しい努力を重ねようとも、合格点に達しなければ受かることはありません。つまりここでは、「努力」したことそれ自体は、評価基準に入っていないということです。しかし世の多くの親御さんは、何よりも自分の子供が一生懸命に努力する姿を見るのが好きなのではないでしょうか。たとえ結果が出なくても、何かに精一杯打ち込んだことに価値がある。それはたしかにひとつの真…

  • 「最初から面白い」勉強など存在しない

    大人たちの言う「勉強面白い説」は本当なのか? 教師や一流大学出身者はよく、受験生に対して「勉強は面白い」「勉強は楽しんだもん勝ち」というような、ある種脳天気なアドバイスを贈ることがあります。受験生ならば、おそらく一度ならずそのような「勉強面白い説」を聴かされてうんざりした経験があるのではないでしょうか。「それはあんたらが奇特な人間だからだろう」と。実のところこの「勉強面白い説」には「半分の真実と、半分の嘘がある」と私は考えています。つまり「勉強が面白い」というのも、「勉強なんて面白いはずがない」というのも、どちらも真実であり、どちらも嘘だということです。 勉強が面白いか面白くないかは、「習熟度…

  • 勉強への苦手意識を払拭するための考え方~「勉強なんて、ぜんぜん特別なことじゃない」

    苦手意識は、それを「特別」だと思う気持ちから生まれる 何かを「苦手」だと感じる場合、その「何か」を特別なものだと思い込みすぎている、ということがよくあります。そういう場合にはまず、苦手と感じているそれが、「特別な何か」などではなく、ほかの多くの普通のことと本質的には同じなのだと理解することが大切です。 「勉強」は「宇宙人」ではない!? わかりやすくするために、あえて突拍子もない例を挙げてみましょう。SF映画などでもよくありますが、人間が「宇宙人」を苦手だと感じるとしたら、それは宇宙人のことを、人間とは違う「特別な何か」だと思い込んでいるからです。SF映画では、基本的に最初の段階では宇宙人の「違…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、吟遊軍師さんをフォローしませんか?

ハンドル名
吟遊軍師さん
ブログタイトル
すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている
フォロー
すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用