奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
主に岡山県内の古墳を訪問し、石室や石棺、墳丘など現地の写真と地図を載せています。
古墳好きな方と色々情報交換等できたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
今日 | 06/06 | 06/05 | 06/04 | 06/03 | 06/02 | 06/01 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,061サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,631サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,726サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
今日 | 06/06 | 06/05 | 06/04 | 06/03 | 06/02 | 06/01 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,061サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,631サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,726サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
今日 | 06/06 | 06/05 | 06/04 | 06/03 | 06/02 | 06/01 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,061サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,631サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,726サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
奈良県高市郡明日香村平田高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、横穴式石室に描かれた極彩色の壁画が有名な円墳です。二段に築造された墳丘は、下段の径23m 上段の径18mの規模 石室が見つからなければ今でも飛鳥ののどかな風景にひっそりと溶け込んでいたことでしょう。2005年の発掘調査によって藤原京の時代(694年~710年ころ)に築造されたことが分かっています。壁画は国宝、古墳域全体は国の特別史跡に指定されており、壁...
奈良県高市郡明日香村越岩屋山古墳(いわややまこふん)は一辺約54m×高さ12mの方墳と考えられている古墳です。(説明版の数値)近鉄飛鳥駅から徒歩にて数分で訪問でき、石室内部にも入ることができます。埋葬施設の横穴式石室は表面を磨いた切石で造られていています。この石室は「岩屋山式」という飛鳥地方あたりの終末期に見られる形式で非常に美しいです。奥壁と玄室は2段で少し内側に傾斜が付けられているのが特徴的、漆喰の...
孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ) 奈良県橿原市
奈良県橿原市石川町孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ)は、石川池のほとりに立地する古墳です。石川池の南側からゆるい階段を上って拝所まで行くことができます。宮内庁の「歴代天皇陵の案内」によると墳丘は前方後円墳のようですが、立ち木で全く見ることができません。駐車することができる場所があるようにも見えましたが、よくわからないので近鉄橿原神宮前から徒歩で行くのがいい気が...
五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん) 畝傍陵墓参考地 奈良県橿原市
奈良県橿原市五条野町五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん)は、宮内庁から畝傍陵墓参考地に治定されている、全長約318m(資料によっては330m)の奈良県最大の前方後円墳です。以前は見瀬丸山古墳と言われていましたが、瀬町は周濠の一部にかかるにすぎず、墳丘は五条野町と大軽町、見瀬町に跨っているため、面積の多い五条野丸山古墳と呼ばれることが多いようです。周濠を含めた全長は約420m、埋葬施設は日本で最大とい...
奈良県橿原市菖蒲町菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、甘樫丘から西に延びる丘陵上に築造された、一辺約30m・二段築成の方墳です。7世紀中頃の築造と考えられ、2基の家形石棺が縦一列に納められた横穴式石室を主体部としています。この家形石棺の棺蓋は寄棟風の造りで、頂部に胸飾り風の突起がつけられた特異なもので、全国でもここでしか見られない珍しいものです。非常に貴重な石室部分は1927年に国の史跡に指定されました。...
櫛山古墳(くしやまこふん)は、4世紀後半頃築造されたと考えられている、国指定史跡で全長約155mの双方中円墳です。行燈山古墳のすぐ東側の少し高い位置に立地します。双方中円墳は全国的に非常に珍しく、この古墳と香川の石清尾山古墳群に見られるものの、他の地域ではほぼ無い墳形です。弥生時代の墳丘墓としてですが岡山の楯築遺跡(たてつきいせき)が双方中円形をしていますがこれらに関連性はあるのでしょうか?双方といい...
行燈山古墳(あんどんやまこふん)・アンド山古墳 奈良県天理市
奈良県天理市柳本町行燈山古墳(あんどんやまこふん)は、黒塚古墳の東約500mにある、宮内庁によって第10代崇神天皇の陵に治定されている墳長242mの前方後円墳です。柳本古墳群に属し、陪塚として宮内庁に指定されているアンド山古墳・南アンド古墳・百塚古墳が近隣に所在します。墳丘に上がることはできませんが、眺めるだけでも墳丘の迫力を感じることができます。この古墳は傾斜地に築造されており、龍王山から西へ伸びる丘陵...
奈良県天理市柳本町黒塚古墳(くろづかこふん)は、柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)に属する、全長132mの前方後円墳です。後円部3段・前方部2段築成で、バチ型の墳形 周濠も残っています。築造は3世紀後半と推定されていて、埋葬施設は後円部中央で検出された竪穴式石室です。この古墳は何度も盗掘にあっていましたが、築造後の地震で石室上部が崩壊したことで副葬品が守られており、ほぼ埋葬時の状態で出土しました 国指定...
奈良県奈良市高樋町栗塚古墳は、県道福住上三橋線のすぐ南に所在する、古墳時代前期に築造されたと考えられている元は全長約100mの前方後円墳です。 割塚古墳は径約30m×高さ3.8m程度の円墳で古墳時代前期~中期に築造されたと推定されています。県道沿いに両古墳の共同説明版が設置されており、このあたりから墳丘を見学することができます。2基とも現在田園地帯の中にあり古墳に上がることは難しそうですが、古墳が至る所にあ...
奈良県奈良市田中町帯解黄金塚古墳(おびとけこがねつかこふん)は台地南縁に所在する終末期の方墳で、南に開口する磚積式石室をもちます。墳丘は一辺約27m で2段築成 榛原石の板石を積み上げてつくられた石室は、全長16mで床面を含めた内部全体に漆喰が塗られていたと推定されています。1890年の開墾で石室が明らかとなり、その後宮内庁によって陵墓参考地とされました。また2004年に宮内庁書陵部が行った石室南部の発掘調査で...
奈良県奈良市山町五つ塚古墳群(いつつづかこふんぐん)は、山裾に築造された5基からなる群集墳で、1・3・5号墳が6世紀後半の円墳 2・4号墳が7世紀の方墳と考えられています。古墳群は西から号数が付けられており、最西が1号墳、最東が5号墳となっています。全て南向きに開口する横穴式石室を主体部としていますが、埋め戻されているのか見学できる横穴はなさそうでした奈良市指定史跡です。古墳群は現在舗装道路のすぐ南に所在し...
奈良県奈良市尼辻西町宝来山古墳(ほうらいやまこふん・ほうらいさんこふん)は、宮内庁によって 垂仁天皇(すいにんてんのう)の「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」に治定されている全長227mの前方後円墳です。墳丘は3段築成で周濠が印象的、周濠内に浮かぶ丸い島は、元々は周濠外堤の一部であったと考えられています。湟内陪冢(伝田道間守墓)が1ヶ所と飛地陪冢6ヶ所が伴い、推定4世紀末から5世紀初頭の...
奈良県奈良市南京終町野神古墳(のがみこふん)は、県道木津横田線の東、桂木団地の入口に所在する古墳です。現在の墳丘は円墳上ですが、明治時代の古絵図から全長約50m程度の前方後円墳と考えられています。埋葬施設は竪穴式石室 東壁のみがオリジナルで、内部に凝灰岩の家形石棺が現在も残っています。現地説明版によると明治9年(1876年)に井戸が埋められているとの伝承を基に発掘がなされ、刀や鏡などの遺物が出土したようで...
奈良県奈良市大安寺杉山古墳(すぎやまこふん)は、墳長約154mの前方後円墳です。周濠と葺石・埴輪が検出されています。 5世紀後半の築造と推定されていて、平城京造営の際に取り壊されなかった数少ない古墳です。前方部の南斜面には瓦窯跡群が見つかっています。このため「大安寺旧境内 附 石橋瓦窯跡」として国指定史跡の一部となっています。この古墳は元大安寺境内の中に所在し、現在は公園として整備されています。公園は開...
念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) 開化天皇 春日率川坂上陵 奈良県奈良市
奈良県奈良市油阪町念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) は、宮内庁によって「開化天皇 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」に治定されている、墳長約100mの前方後円墳です。三条通りのビルの隙間にひっそりと存在し、初めて訪問した時にはこの立地でよく残ったものだとかなり驚いたものです。 この古墳には周壕が全周にありますが、繁華街の中にあるためか大きく改変されています。前方後円墳集成によ...
奈良県奈良市登大路町なら仏像館の入り口左手に、組合式石棺が展示されています。奈良国立博物館訪問時などにはぜひ見学したいところです。縄かけ突起は装飾のみの小さな形状で、形骸化しています。石棺自体は竜山石製の黄色味の強い石棺で、いかにも竜山石の雰囲気がします。出土地は不明だそうですが一体どこから出土したのか気になるところです。石棺 かっこいいです!!残念ながらこれ以上は近寄れません写真奥側が仏像館入口...
奈良県奈良市春日野町御料園古墳群は、奈良公園の飛火野園地にある群集墳です。この古墳群と南の飼料園古墳群を合わせて、春日山古墳群と呼ぶようです。いずれも円墳で埋葬施設は横穴式石室 飼料園1~ 5号墳と御料園1号墳は、1948年と49年に奈良県史跡調査会により調査されています。現地で確認したところ、現在はどの古墳も横穴式石室を確認することはできず、墳丘が並んで残るのみとなっているようです。古墳群は8基からなるよ...
奈良県奈良市雑司町鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、若草山山頂に築造された全長約103mの前方後円墳で、国指定史跡です。近隣の古墳とは一線を画す、奈良盆地一帯を眺めることができる立地で、古墳からの風景は他の古墳では味わえない素晴らしいものです。車で山頂付近まで上がることができますが、有料道路を通ります。奈良公園付近から山頂まで登る遊歩道も整備されていますので、(有料と無料の2種類あり)時間が許すならば...
奈良県奈良市法華寺町ウワナベ古墳は、宮内庁によって宇和奈辺陵墓参考地とされている、全長270から280m、三段築成で二重周濠を持つ前方後円墳です。2020年の橿原考古学研究所や宮内庁・奈良市による同時調査により、それまで水没していた墳丘裾の葺石が検出され、これにより全長が五社神古墳の全長267mを抜き、奈良市で一番大きな古墳となりました。コナベ古墳は、宮内庁によって小奈辺陵墓参考地とされているウワナベ古墳の西に...
「ブログリーダー」を活用して、かもちさんをフォローしませんか?
奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
奈良県高市郡明日香村平田高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、横穴式石室に描かれた極彩色の壁画が有名な円墳です。二段に築造された墳丘は、下段の径23m 上段の径18mの規模 石室が見つからなければ今でも飛鳥ののどかな風景にひっそりと溶け込んでいたことでしょう。2005年の発掘調査によって藤原京の時代(694年~710年ころ)に築造されたことが分かっています。壁画は国宝、古墳域全体は国の特別史跡に指定されており、壁...
奈良県高市郡明日香村越岩屋山古墳(いわややまこふん)は一辺約54m×高さ12mの方墳と考えられている古墳です。(説明版の数値)近鉄飛鳥駅から徒歩にて数分で訪問でき、石室内部にも入ることができます。埋葬施設の横穴式石室は表面を磨いた切石で造られていています。この石室は「岩屋山式」という飛鳥地方あたりの終末期に見られる形式で非常に美しいです。奥壁と玄室は2段で少し内側に傾斜が付けられているのが特徴的、漆喰の...
奈良県橿原市石川町孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ)は、石川池のほとりに立地する古墳です。石川池の南側からゆるい階段を上って拝所まで行くことができます。宮内庁の「歴代天皇陵の案内」によると墳丘は前方後円墳のようですが、立ち木で全く見ることができません。駐車することができる場所があるようにも見えましたが、よくわからないので近鉄橿原神宮前から徒歩で行くのがいい気が...
奈良県橿原市五条野町五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん)は、宮内庁から畝傍陵墓参考地に治定されている、全長約318m(資料によっては330m)の奈良県最大の前方後円墳です。以前は見瀬丸山古墳と言われていましたが、瀬町は周濠の一部にかかるにすぎず、墳丘は五条野町と大軽町、見瀬町に跨っているため、面積の多い五条野丸山古墳と呼ばれることが多いようです。周濠を含めた全長は約420m、埋葬施設は日本で最大とい...
奈良県橿原市菖蒲町菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、甘樫丘から西に延びる丘陵上に築造された、一辺約30m・二段築成の方墳です。7世紀中頃の築造と考えられ、2基の家形石棺が縦一列に納められた横穴式石室を主体部としています。この家形石棺の棺蓋は寄棟風の造りで、頂部に胸飾り風の突起がつけられた特異なもので、全国でもここでしか見られない珍しいものです。非常に貴重な石室部分は1927年に国の史跡に指定されました。...
櫛山古墳(くしやまこふん)は、4世紀後半頃築造されたと考えられている、国指定史跡で全長約155mの双方中円墳です。行燈山古墳のすぐ東側の少し高い位置に立地します。双方中円墳は全国的に非常に珍しく、この古墳と香川の石清尾山古墳群に見られるものの、他の地域ではほぼ無い墳形です。弥生時代の墳丘墓としてですが岡山の楯築遺跡(たてつきいせき)が双方中円形をしていますがこれらに関連性はあるのでしょうか?双方といい...
奈良県天理市柳本町行燈山古墳(あんどんやまこふん)は、黒塚古墳の東約500mにある、宮内庁によって第10代崇神天皇の陵に治定されている墳長242mの前方後円墳です。柳本古墳群に属し、陪塚として宮内庁に指定されているアンド山古墳・南アンド古墳・百塚古墳が近隣に所在します。墳丘に上がることはできませんが、眺めるだけでも墳丘の迫力を感じることができます。この古墳は傾斜地に築造されており、龍王山から西へ伸びる丘陵...
奈良県天理市柳本町黒塚古墳(くろづかこふん)は、柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)に属する、全長132mの前方後円墳です。後円部3段・前方部2段築成で、バチ型の墳形 周濠も残っています。築造は3世紀後半と推定されていて、埋葬施設は後円部中央で検出された竪穴式石室です。この古墳は何度も盗掘にあっていましたが、築造後の地震で石室上部が崩壊したことで副葬品が守られており、ほぼ埋葬時の状態で出土しました 国指定...
奈良県奈良市高樋町栗塚古墳は、県道福住上三橋線のすぐ南に所在する、古墳時代前期に築造されたと考えられている元は全長約100mの前方後円墳です。 割塚古墳は径約30m×高さ3.8m程度の円墳で古墳時代前期~中期に築造されたと推定されています。県道沿いに両古墳の共同説明版が設置されており、このあたりから墳丘を見学することができます。2基とも現在田園地帯の中にあり古墳に上がることは難しそうですが、古墳が至る所にあ...
奈良県奈良市田中町帯解黄金塚古墳(おびとけこがねつかこふん)は台地南縁に所在する終末期の方墳で、南に開口する磚積式石室をもちます。墳丘は一辺約27m で2段築成 榛原石の板石を積み上げてつくられた石室は、全長16mで床面を含めた内部全体に漆喰が塗られていたと推定されています。1890年の開墾で石室が明らかとなり、その後宮内庁によって陵墓参考地とされました。また2004年に宮内庁書陵部が行った石室南部の発掘調査で...
奈良県奈良市山町五つ塚古墳群(いつつづかこふんぐん)は、山裾に築造された5基からなる群集墳で、1・3・5号墳が6世紀後半の円墳 2・4号墳が7世紀の方墳と考えられています。古墳群は西から号数が付けられており、最西が1号墳、最東が5号墳となっています。全て南向きに開口する横穴式石室を主体部としていますが、埋め戻されているのか見学できる横穴はなさそうでした奈良市指定史跡です。古墳群は現在舗装道路のすぐ南に所在し...
奈良県奈良市尼辻西町宝来山古墳(ほうらいやまこふん・ほうらいさんこふん)は、宮内庁によって 垂仁天皇(すいにんてんのう)の「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」に治定されている全長227mの前方後円墳です。墳丘は3段築成で周濠が印象的、周濠内に浮かぶ丸い島は、元々は周濠外堤の一部であったと考えられています。湟内陪冢(伝田道間守墓)が1ヶ所と飛地陪冢6ヶ所が伴い、推定4世紀末から5世紀初頭の...
奈良県奈良市南京終町野神古墳(のがみこふん)は、県道木津横田線の東、桂木団地の入口に所在する古墳です。現在の墳丘は円墳上ですが、明治時代の古絵図から全長約50m程度の前方後円墳と考えられています。埋葬施設は竪穴式石室 東壁のみがオリジナルで、内部に凝灰岩の家形石棺が現在も残っています。現地説明版によると明治9年(1876年)に井戸が埋められているとの伝承を基に発掘がなされ、刀や鏡などの遺物が出土したようで...
奈良県奈良市大安寺杉山古墳(すぎやまこふん)は、墳長約154mの前方後円墳です。周濠と葺石・埴輪が検出されています。 5世紀後半の築造と推定されていて、平城京造営の際に取り壊されなかった数少ない古墳です。前方部の南斜面には瓦窯跡群が見つかっています。このため「大安寺旧境内 附 石橋瓦窯跡」として国指定史跡の一部となっています。この古墳は元大安寺境内の中に所在し、現在は公園として整備されています。公園は開...
奈良県奈良市油阪町念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) は、宮内庁によって「開化天皇 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」に治定されている、墳長約100mの前方後円墳です。三条通りのビルの隙間にひっそりと存在し、初めて訪問した時にはこの立地でよく残ったものだとかなり驚いたものです。 この古墳には周壕が全周にありますが、繁華街の中にあるためか大きく改変されています。前方後円墳集成によ...
奈良県奈良市登大路町なら仏像館の入り口左手に、組合式石棺が展示されています。奈良国立博物館訪問時などにはぜひ見学したいところです。縄かけ突起は装飾のみの小さな形状で、形骸化しています。石棺自体は竜山石製の黄色味の強い石棺で、いかにも竜山石の雰囲気がします。出土地は不明だそうですが一体どこから出土したのか気になるところです。石棺 かっこいいです!!残念ながらこれ以上は近寄れません写真奥側が仏像館入口...
奈良県奈良市春日野町御料園古墳群は、奈良公園の飛火野園地にある群集墳です。この古墳群と南の飼料園古墳群を合わせて、春日山古墳群と呼ぶようです。いずれも円墳で埋葬施設は横穴式石室 飼料園1~ 5号墳と御料園1号墳は、1948年と49年に奈良県史跡調査会により調査されています。現地で確認したところ、現在はどの古墳も横穴式石室を確認することはできず、墳丘が並んで残るのみとなっているようです。古墳群は8基からなるよ...
奈良県奈良市雑司町鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、若草山山頂に築造された全長約103mの前方後円墳で、国指定史跡です。近隣の古墳とは一線を画す、奈良盆地一帯を眺めることができる立地で、古墳からの風景は他の古墳では味わえない素晴らしいものです。車で山頂付近まで上がることができますが、有料道路を通ります。奈良公園付近から山頂まで登る遊歩道も整備されていますので、(有料と無料の2種類あり)時間が許すならば...
奈良県奈良市法華寺町ウワナベ古墳は、宮内庁によって宇和奈辺陵墓参考地とされている、全長270から280m、三段築成で二重周濠を持つ前方後円墳です。2020年の橿原考古学研究所や宮内庁・奈良市による同時調査により、それまで水没していた墳丘裾の葺石が検出され、これにより全長が五社神古墳の全長267mを抜き、奈良市で一番大きな古墳となりました。コナベ古墳は、宮内庁によって小奈辺陵墓参考地とされているウワナベ古墳の西に...
栃木県小山市飯琵琶塚古墳(びわづかこふん)は墳長123m 栃木県内2位の大きさの前方後円墳で、しもつけ古墳群を構成する古墳のうちの1基です。およそ100m南には、この古墳に先行するほぼ同形同大の摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)が所在しています。後円部3段前方部2段築成で1段目は基壇 東と南で2重となる周溝があり、その幅は20m以上もあります。後円部径約75m×高さ約12m 前方部幅約65m×高さ約10m 未発掘で埋葬施...
千葉県館山市大神宮安房神社洞窟遺跡(あわじんじゃどうくついせき)は安房神社境内に残る縄文~弥生時代の墓地です。千葉県指定史跡で調べると古墳時代とは別のもののようですが、横穴かなと思って写真を撮りましたのでとりあえず掲載します。1932年の関東大震災復旧工事で井戸を掘っている時、地表下約1mで偶然発見された忌部塚で、全長約11m×高さ約2m×幅約1.5mで、東北部に開口しています。社殿裏で、現在は確認できるものが2基...
栃木県小山市飯摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)は墳長120.5m 前方部高約7m 後円部高約10mの栃木県内3位の前方後円墳で、しもつけ古墳群を構成する古墳のうちの1基です。およそ100m北には、この古墳に後続するほぼ同形同大の琵琶塚古墳(びわづかこふん)が所在しています。琵琶塚古墳の方が若干大きいのですが、現地での感覚ではこちらの方が大きいような感じを受けました。琵琶塚古墳は墳丘上に何も無く、こちらは...
栃木県下野市紫オトカ塚古墳( おとかづかこふん)は、天平の丘公園内に保存されている、墳長約32mの帆立貝式古墳(前方後円墳)です。公園内にある事からきれいに整備され、美しい墳形を楽しむことができます。幅約6mの周溝があるようですが、現地で確認はできませんでした。埋葬施設は両袖型の横穴式石室で石室全長5.5m こちらも前方部先端に現在確認できず、埋め戻しのようです。栃木県では前方部先端に横穴式石室が築かれて...
栃木県下野市国分寺甲塚古墳(かぶとづかこふん)は、下野国分寺跡に隣接する推定全長80m 2段築成の帆立貝形古墳(前方後円墳)です。しもつけ古墳群を構成する1基で、「栃木県甲塚古墳出土品」は一括して国指定重要文化財となっています。前方部の短辺に切石の凝灰岩製横穴式石室(埋め戻し)がある典型的な下野形古墳ですが、残念ながら現在この石室を見学する事は出来ません。また、墳丘の測量図で後円部が十字形になっている...
千葉県山武市松尾町大堤大堤権現塚古墳(おおつつみごんげんづかこふん)は木戸川左岸の台地先端上に所在する全長117mの前方後円墳で、非常に珍しい三重の周溝を持つ古墳です。全9基、現状7基からなる大堤古墳群を構成する1基で、群中最大・山武地区でも最大の大きさをほこります。周溝・周堤帯の残りが良く、現地でその大きさを体感することができます。主体部は複室構造の横穴式石室で、奥室に造付けの石棺があったそうですが発...
栃木県下野市国分寺山王塚古墳(さんのうづかこふん)はもとは墳長役90m、2段築成で1段目が広い(基壇)前方後円墳です。しもつけ古墳群(飯塚・国分寺地域)を構成する1基で、国分古墳群(こくぶこふんぐん)の1基(現存4基ほど)でもあります。墳丘は現在民家の敷地内?民家裏?に所在し、おそらく耕作地整備のため大幅に改変を受け一部が残るのみです。埋葬施設は半地下式の横穴式石室で、凝灰岩の切石をしようしたものであ...
栃木県下野市国分寺丸塚古墳(まるづかこふん)は、しもつけ古墳群(飯塚・国分寺地域)を構成する1基で、国分古墳群(こくぶこふんぐん)の1基(現存4基ほど)でもある栃木県指定史跡の円墳です。※しもつけ古墳群とは、下野市教育委員会によると、栃木県南部(下野市・栃木市・小山市・上三川町・壬生町)に所在する、この地域に共通した特徴(下野型)をもつ古墳時代後期(6~7世紀)の大型古墳(首長墓)を一体的に捉えたも...
栃木県下都賀郡壬生町藤井吾妻古墳(あずまこふん)は、6世紀後半に築造されたと考えられている墳長127m、周溝を含んだ全長は162mの栃木県最大の前方後円墳です。 しもつけ古墳群を構成する1基で国指定史跡となっています。2段築成で1段目(基壇)が広く、全体的に古墳の残りがいいです。この地方独特の基壇と周溝がすごく、大きさにも圧倒されます。埋葬施設は横穴式石室で前方部先端に作られていました。石室全長8.4m 玄室...
栃木県下都賀郡壬生町車塚牛塚古墳(うしづかこふん)は黒川東岸の台地上に築造された、車塚古墳(くるまづかこふん)のすぐ西に立地する、全長約60mの前方後円墳です。墳形は帆立貝式の前方後円墳で、2段築成の1段目(基壇)が幅広い「下野型」の古墳で、後円部の高さは5m。国指定史跡として保存され、美しい形の全景を楽しむことができます。東側の車塚古墳と共通の駐車スペースを利用でき、下車後徒歩10秒で到達 市街地なの...
栃木県下都賀郡壬生町車塚車塚古墳(くるまづかこふん)は古墳時代終末期に築造された、国内最大級の円墳です。3段築成の基壇が幅広に造られている、いわゆる「下野型古墳(しもつけがたこふん)」であることが大きな特徴で、墳丘第1段目は径84m 第2段が52m 第3段が32m 周溝からの高さは約11m というとんでもない規模。しかも墳丘の周囲はほぼ完存の堀と周堤が残っていて、このためとてつもなく大きな古墳に見えます。近...
栃木県下都賀郡壬生町壬生甲壬生愛宕塚古墳(みぶあたごづかこふん)は黒川東岸の台地上に、6世紀後半頃に造られたと考えられている全長82mの前方後円墳です。二段築成の墳丘は第一段目の平坦部が広い「下野型」といわれる特徴をもっています。墳丘の周囲には一部良好に周溝と周堤が残り、見学することができます。周溝は2重になっていて、これを合わせた全長は120mにもなります。説明版等ではただの「愛宕塚古墳」ですが、栃...
栃木県那須郡那珂川町三輪首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)は那珂川に形成された河岸段丘上面の小川面に築造された古墳です。周囲にはかつて7基の古墳から構成される七所原古墳群が所在していましたが、この古墳のみを残し消滅しています。この古墳はもともと前後2基の古墳の存在から全長40m程度の前方後円墳と考えられることもあったようですが、現状は径17m程度の円墳状となっています。墳丘には二重の周堀が確認されていま...
栃木県大田原市佐良土佐良土上の原古墳(さらどうえのはらこふん)は光丸山奥之院 三の鳥居から光丸山奥之院に至るまでの山道東側に所在する円墳らしきです。参道と山道の間に所在し、普通に参道を奥之院に向けて進むと道から左にかろうじて墳丘が見えます。近くを通りがかったときGoogleマップで発見して寄り道してみました。帰宅後色々調べたのですが、この古墳に関する資料が見つからず、本当に古墳かどうかも不明です。大田原...
栃木県大田原市湯津上上侍塚北古墳(かみさむらいづかきたこふん)は上侍塚古墳のすぐ北側に築造された墳長48.5mの前方後方墳です。両古墳の距離は50m程度で同じ前方後方墳という墳形 かなり関係性の深い古墳ではないかと思います。下侍塚古墳からは南に800m近く離れているため、この2基だけで古墳群を形成しているのかもしれません。墳丘は耕作地帯に立地し開墾等のためか墳形が削られているようです。2023年4月11日付 朝日...
栃木県大田原市湯津上上侍塚古墳(かみさむらいづかこふん)は那珂川右岸の段丘上に4世紀中頃築造されたと推定されている墳長114mの前方後方墳です。約800m北に位置する前方後方墳で、4世紀末頃に築造されたと考えられている下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)と合わせて侍塚古墳(さむらいづかこふん)と呼ばれています。周囲は田園地帯・西側は国道となっており、墳丘の南西には現代の墓地がありますが墳形にはほとんど影...
栃木県大田原市湯津上侍塚古墳群(さむらいづかこふんぐん)は下侍塚古墳北東の田園地帯に所在する古墳群です。現在は8基が確認されていますが、もともとは10基程度そんざいしたようで戦後の開田等で消滅したようです。1号墳が前方後円墳、8号墳が方墳でその他が円墳と考えられています。耕作地帯で多少改変を受けている古墳が多いようですが、全体的に平坦地に古墳が並ぶ様を見学できる素晴らしい古墳群です。下侍塚古墳訪問の際...
栃木県大田原市湯津上下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)は那珂川右岸の段丘上に4世紀末頃築造されたと推定されている墳長84mの前方後方墳です。南に約800mに位置する同じく前方後方墳で4世紀後半に築造されたと考えられている上侍塚古墳(かみさむらいづかこふん)と合わせて侍塚古墳(さむらいづかこふん)と呼ばれています。周囲は田園地帯・西側は国道となっていますが削られた形跡等は無く、現在でも非常に美しい墳形を...
栃木県大田原市湯津上欠畑古墳群は現状径12m程度の円墳らしきです。大田原市なす風土記の丘湯津上資料館でいただいた「湯津上地区 地域散策マップ」に掲載されていたため訪問しましたがそれ以外の情報が全く無く、何基で構成されているのか、墳形はどうなのかなど今もって謎のままです。欠畑は小字のようで読み方は「かけはた」かなと思いますが、今ひとつ確証が持てないため未記入としています。マップでは○で示されていたこと...
栃木県大田原市湯津上二荒神社古墳群(ふたらじんじゃこふんぐん)はその名の通り二荒神社境内北側に所在する古墳群です。那珂川のすぐ右岸に所在し、古墳群のうちの1基はもう川に落ちてしまうのでは無いかと思うほどの立地です。侍塚古墳群にもこのような立地の円墳がありますが、古墳時代はもう少し川が遠かったのでしょうか?墳径はおそらく円墳がメインであると思います。この古墳群は現状5基確認が出来るようですが、石室の痕...