奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
主に岡山県内の古墳を訪問し、石室や石棺、墳丘など現地の写真と地図を載せています。
古墳好きな方と色々情報交換等できたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
今日 | 05/13 | 05/12 | 05/11 | 05/10 | 05/09 | 05/08 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,314サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,620サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,722サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
今日 | 05/13 | 05/12 | 05/11 | 05/10 | 05/09 | 05/08 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,314サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,620サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,722サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
今日 | 05/13 | 05/12 | 05/11 | 05/10 | 05/09 | 05/08 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,040,314サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,620サイト |
考古学・原始・古墳時代 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 219サイト |
地域生活(街) 中国地方ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5,722サイト |
岡山県情報 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 367サイト |
奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
奈良県高市郡明日香村平田高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、横穴式石室に描かれた極彩色の壁画が有名な円墳です。二段に築造された墳丘は、下段の径23m 上段の径18mの規模 石室が見つからなければ今でも飛鳥ののどかな風景にひっそりと溶け込んでいたことでしょう。2005年の発掘調査によって藤原京の時代(694年~710年ころ)に築造されたことが分かっています。壁画は国宝、古墳域全体は国の特別史跡に指定されており、壁...
奈良県高市郡明日香村越岩屋山古墳(いわややまこふん)は一辺約54m×高さ12mの方墳と考えられている古墳です。(説明版の数値)近鉄飛鳥駅から徒歩にて数分で訪問でき、石室内部にも入ることができます。埋葬施設の横穴式石室は表面を磨いた切石で造られていています。この石室は「岩屋山式」という飛鳥地方あたりの終末期に見られる形式で非常に美しいです。奥壁と玄室は2段で少し内側に傾斜が付けられているのが特徴的、漆喰の...
孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ) 奈良県橿原市
奈良県橿原市石川町孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ)は、石川池のほとりに立地する古墳です。石川池の南側からゆるい階段を上って拝所まで行くことができます。宮内庁の「歴代天皇陵の案内」によると墳丘は前方後円墳のようですが、立ち木で全く見ることができません。駐車することができる場所があるようにも見えましたが、よくわからないので近鉄橿原神宮前から徒歩で行くのがいい気が...
五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん) 畝傍陵墓参考地 奈良県橿原市
奈良県橿原市五条野町五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん)は、宮内庁から畝傍陵墓参考地に治定されている、全長約318m(資料によっては330m)の奈良県最大の前方後円墳です。以前は見瀬丸山古墳と言われていましたが、瀬町は周濠の一部にかかるにすぎず、墳丘は五条野町と大軽町、見瀬町に跨っているため、面積の多い五条野丸山古墳と呼ばれることが多いようです。周濠を含めた全長は約420m、埋葬施設は日本で最大とい...
奈良県橿原市菖蒲町菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、甘樫丘から西に延びる丘陵上に築造された、一辺約30m・二段築成の方墳です。7世紀中頃の築造と考えられ、2基の家形石棺が縦一列に納められた横穴式石室を主体部としています。この家形石棺の棺蓋は寄棟風の造りで、頂部に胸飾り風の突起がつけられた特異なもので、全国でもここでしか見られない珍しいものです。非常に貴重な石室部分は1927年に国の史跡に指定されました。...
櫛山古墳(くしやまこふん)は、4世紀後半頃築造されたと考えられている、国指定史跡で全長約155mの双方中円墳です。行燈山古墳のすぐ東側の少し高い位置に立地します。双方中円墳は全国的に非常に珍しく、この古墳と香川の石清尾山古墳群に見られるものの、他の地域ではほぼ無い墳形です。弥生時代の墳丘墓としてですが岡山の楯築遺跡(たてつきいせき)が双方中円形をしていますがこれらに関連性はあるのでしょうか?双方といい...
行燈山古墳(あんどんやまこふん)・アンド山古墳 奈良県天理市
奈良県天理市柳本町行燈山古墳(あんどんやまこふん)は、黒塚古墳の東約500mにある、宮内庁によって第10代崇神天皇の陵に治定されている墳長242mの前方後円墳です。柳本古墳群に属し、陪塚として宮内庁に指定されているアンド山古墳・南アンド古墳・百塚古墳が近隣に所在します。墳丘に上がることはできませんが、眺めるだけでも墳丘の迫力を感じることができます。この古墳は傾斜地に築造されており、龍王山から西へ伸びる丘陵...
奈良県天理市柳本町黒塚古墳(くろづかこふん)は、柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)に属する、全長132mの前方後円墳です。後円部3段・前方部2段築成で、バチ型の墳形 周濠も残っています。築造は3世紀後半と推定されていて、埋葬施設は後円部中央で検出された竪穴式石室です。この古墳は何度も盗掘にあっていましたが、築造後の地震で石室上部が崩壊したことで副葬品が守られており、ほぼ埋葬時の状態で出土しました 国指定...
奈良県奈良市高樋町栗塚古墳は、県道福住上三橋線のすぐ南に所在する、古墳時代前期に築造されたと考えられている元は全長約100mの前方後円墳です。 割塚古墳は径約30m×高さ3.8m程度の円墳で古墳時代前期~中期に築造されたと推定されています。県道沿いに両古墳の共同説明版が設置されており、このあたりから墳丘を見学することができます。2基とも現在田園地帯の中にあり古墳に上がることは難しそうですが、古墳が至る所にあ...
奈良県奈良市田中町帯解黄金塚古墳(おびとけこがねつかこふん)は台地南縁に所在する終末期の方墳で、南に開口する磚積式石室をもちます。墳丘は一辺約27m で2段築成 榛原石の板石を積み上げてつくられた石室は、全長16mで床面を含めた内部全体に漆喰が塗られていたと推定されています。1890年の開墾で石室が明らかとなり、その後宮内庁によって陵墓参考地とされました。また2004年に宮内庁書陵部が行った石室南部の発掘調査で...
奈良県奈良市山町五つ塚古墳群(いつつづかこふんぐん)は、山裾に築造された5基からなる群集墳で、1・3・5号墳が6世紀後半の円墳 2・4号墳が7世紀の方墳と考えられています。古墳群は西から号数が付けられており、最西が1号墳、最東が5号墳となっています。全て南向きに開口する横穴式石室を主体部としていますが、埋め戻されているのか見学できる横穴はなさそうでした奈良市指定史跡です。古墳群は現在舗装道路のすぐ南に所在し...
奈良県奈良市尼辻西町宝来山古墳(ほうらいやまこふん・ほうらいさんこふん)は、宮内庁によって 垂仁天皇(すいにんてんのう)の「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」に治定されている全長227mの前方後円墳です。墳丘は3段築成で周濠が印象的、周濠内に浮かぶ丸い島は、元々は周濠外堤の一部であったと考えられています。湟内陪冢(伝田道間守墓)が1ヶ所と飛地陪冢6ヶ所が伴い、推定4世紀末から5世紀初頭の...
奈良県奈良市南京終町野神古墳(のがみこふん)は、県道木津横田線の東、桂木団地の入口に所在する古墳です。現在の墳丘は円墳上ですが、明治時代の古絵図から全長約50m程度の前方後円墳と考えられています。埋葬施設は竪穴式石室 東壁のみがオリジナルで、内部に凝灰岩の家形石棺が現在も残っています。現地説明版によると明治9年(1876年)に井戸が埋められているとの伝承を基に発掘がなされ、刀や鏡などの遺物が出土したようで...
奈良県奈良市大安寺杉山古墳(すぎやまこふん)は、墳長約154mの前方後円墳です。周濠と葺石・埴輪が検出されています。 5世紀後半の築造と推定されていて、平城京造営の際に取り壊されなかった数少ない古墳です。前方部の南斜面には瓦窯跡群が見つかっています。このため「大安寺旧境内 附 石橋瓦窯跡」として国指定史跡の一部となっています。この古墳は元大安寺境内の中に所在し、現在は公園として整備されています。公園は開...
念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) 開化天皇 春日率川坂上陵 奈良県奈良市
奈良県奈良市油阪町念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) は、宮内庁によって「開化天皇 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」に治定されている、墳長約100mの前方後円墳です。三条通りのビルの隙間にひっそりと存在し、初めて訪問した時にはこの立地でよく残ったものだとかなり驚いたものです。 この古墳には周壕が全周にありますが、繁華街の中にあるためか大きく改変されています。前方後円墳集成によ...
奈良県奈良市登大路町なら仏像館の入り口左手に、組合式石棺が展示されています。奈良国立博物館訪問時などにはぜひ見学したいところです。縄かけ突起は装飾のみの小さな形状で、形骸化しています。石棺自体は竜山石製の黄色味の強い石棺で、いかにも竜山石の雰囲気がします。出土地は不明だそうですが一体どこから出土したのか気になるところです。石棺 かっこいいです!!残念ながらこれ以上は近寄れません写真奥側が仏像館入口...
奈良県奈良市春日野町御料園古墳群は、奈良公園の飛火野園地にある群集墳です。この古墳群と南の飼料園古墳群を合わせて、春日山古墳群と呼ぶようです。いずれも円墳で埋葬施設は横穴式石室 飼料園1~ 5号墳と御料園1号墳は、1948年と49年に奈良県史跡調査会により調査されています。現地で確認したところ、現在はどの古墳も横穴式石室を確認することはできず、墳丘が並んで残るのみとなっているようです。古墳群は8基からなるよ...
奈良県奈良市雑司町鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、若草山山頂に築造された全長約103mの前方後円墳で、国指定史跡です。近隣の古墳とは一線を画す、奈良盆地一帯を眺めることができる立地で、古墳からの風景は他の古墳では味わえない素晴らしいものです。車で山頂付近まで上がることができますが、有料道路を通ります。奈良公園付近から山頂まで登る遊歩道も整備されていますので、(有料と無料の2種類あり)時間が許すならば...
奈良県奈良市法華寺町ウワナベ古墳は、宮内庁によって宇和奈辺陵墓参考地とされている、全長270から280m、三段築成で二重周濠を持つ前方後円墳です。2020年の橿原考古学研究所や宮内庁・奈良市による同時調査により、それまで水没していた墳丘裾の葺石が検出され、これにより全長が五社神古墳の全長267mを抜き、奈良市で一番大きな古墳となりました。コナベ古墳は、宮内庁によって小奈辺陵墓参考地とされているウワナベ古墳の西に...
「ブログリーダー」を活用して、かもちさんをフォローしませんか?
奈良県高市郡明日香村阿部山キトラ古墳は、高松塚古墳に次いで国内2例目の極彩色の壁画をもつことが確認された古墳です。古墳は国の特別史跡、壁画は国宝、出土品は重要文化財に指定されています。7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられていて、立地からしても終末期の古墳感満載。尾根を屏風のように背負った小さな墳丘は、全体的に高松塚古墳の感じによく似ています。キトラ古墳の石室の壁画は、四神・十二支・天文図・日...
奈良県高市郡明日香村平田高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、横穴式石室に描かれた極彩色の壁画が有名な円墳です。二段に築造された墳丘は、下段の径23m 上段の径18mの規模 石室が見つからなければ今でも飛鳥ののどかな風景にひっそりと溶け込んでいたことでしょう。2005年の発掘調査によって藤原京の時代(694年~710年ころ)に築造されたことが分かっています。壁画は国宝、古墳域全体は国の特別史跡に指定されており、壁...
奈良県高市郡明日香村越岩屋山古墳(いわややまこふん)は一辺約54m×高さ12mの方墳と考えられている古墳です。(説明版の数値)近鉄飛鳥駅から徒歩にて数分で訪問でき、石室内部にも入ることができます。埋葬施設の横穴式石室は表面を磨いた切石で造られていています。この石室は「岩屋山式」という飛鳥地方あたりの終末期に見られる形式で非常に美しいです。奥壁と玄室は2段で少し内側に傾斜が付けられているのが特徴的、漆喰の...
奈良県橿原市石川町孝元天皇 劔池嶋上陵(こうげんてんのう つるぎのいけしまのえのみささぎ)は、石川池のほとりに立地する古墳です。石川池の南側からゆるい階段を上って拝所まで行くことができます。宮内庁の「歴代天皇陵の案内」によると墳丘は前方後円墳のようですが、立ち木で全く見ることができません。駐車することができる場所があるようにも見えましたが、よくわからないので近鉄橿原神宮前から徒歩で行くのがいい気が...
奈良県橿原市五条野町五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん)は、宮内庁から畝傍陵墓参考地に治定されている、全長約318m(資料によっては330m)の奈良県最大の前方後円墳です。以前は見瀬丸山古墳と言われていましたが、瀬町は周濠の一部にかかるにすぎず、墳丘は五条野町と大軽町、見瀬町に跨っているため、面積の多い五条野丸山古墳と呼ばれることが多いようです。周濠を含めた全長は約420m、埋葬施設は日本で最大とい...
奈良県橿原市菖蒲町菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、甘樫丘から西に延びる丘陵上に築造された、一辺約30m・二段築成の方墳です。7世紀中頃の築造と考えられ、2基の家形石棺が縦一列に納められた横穴式石室を主体部としています。この家形石棺の棺蓋は寄棟風の造りで、頂部に胸飾り風の突起がつけられた特異なもので、全国でもここでしか見られない珍しいものです。非常に貴重な石室部分は1927年に国の史跡に指定されました。...
櫛山古墳(くしやまこふん)は、4世紀後半頃築造されたと考えられている、国指定史跡で全長約155mの双方中円墳です。行燈山古墳のすぐ東側の少し高い位置に立地します。双方中円墳は全国的に非常に珍しく、この古墳と香川の石清尾山古墳群に見られるものの、他の地域ではほぼ無い墳形です。弥生時代の墳丘墓としてですが岡山の楯築遺跡(たてつきいせき)が双方中円形をしていますがこれらに関連性はあるのでしょうか?双方といい...
奈良県天理市柳本町行燈山古墳(あんどんやまこふん)は、黒塚古墳の東約500mにある、宮内庁によって第10代崇神天皇の陵に治定されている墳長242mの前方後円墳です。柳本古墳群に属し、陪塚として宮内庁に指定されているアンド山古墳・南アンド古墳・百塚古墳が近隣に所在します。墳丘に上がることはできませんが、眺めるだけでも墳丘の迫力を感じることができます。この古墳は傾斜地に築造されており、龍王山から西へ伸びる丘陵...
奈良県天理市柳本町黒塚古墳(くろづかこふん)は、柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)に属する、全長132mの前方後円墳です。後円部3段・前方部2段築成で、バチ型の墳形 周濠も残っています。築造は3世紀後半と推定されていて、埋葬施設は後円部中央で検出された竪穴式石室です。この古墳は何度も盗掘にあっていましたが、築造後の地震で石室上部が崩壊したことで副葬品が守られており、ほぼ埋葬時の状態で出土しました 国指定...
奈良県奈良市高樋町栗塚古墳は、県道福住上三橋線のすぐ南に所在する、古墳時代前期に築造されたと考えられている元は全長約100mの前方後円墳です。 割塚古墳は径約30m×高さ3.8m程度の円墳で古墳時代前期~中期に築造されたと推定されています。県道沿いに両古墳の共同説明版が設置されており、このあたりから墳丘を見学することができます。2基とも現在田園地帯の中にあり古墳に上がることは難しそうですが、古墳が至る所にあ...
奈良県奈良市田中町帯解黄金塚古墳(おびとけこがねつかこふん)は台地南縁に所在する終末期の方墳で、南に開口する磚積式石室をもちます。墳丘は一辺約27m で2段築成 榛原石の板石を積み上げてつくられた石室は、全長16mで床面を含めた内部全体に漆喰が塗られていたと推定されています。1890年の開墾で石室が明らかとなり、その後宮内庁によって陵墓参考地とされました。また2004年に宮内庁書陵部が行った石室南部の発掘調査で...
奈良県奈良市山町五つ塚古墳群(いつつづかこふんぐん)は、山裾に築造された5基からなる群集墳で、1・3・5号墳が6世紀後半の円墳 2・4号墳が7世紀の方墳と考えられています。古墳群は西から号数が付けられており、最西が1号墳、最東が5号墳となっています。全て南向きに開口する横穴式石室を主体部としていますが、埋め戻されているのか見学できる横穴はなさそうでした奈良市指定史跡です。古墳群は現在舗装道路のすぐ南に所在し...
奈良県奈良市尼辻西町宝来山古墳(ほうらいやまこふん・ほうらいさんこふん)は、宮内庁によって 垂仁天皇(すいにんてんのう)の「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」に治定されている全長227mの前方後円墳です。墳丘は3段築成で周濠が印象的、周濠内に浮かぶ丸い島は、元々は周濠外堤の一部であったと考えられています。湟内陪冢(伝田道間守墓)が1ヶ所と飛地陪冢6ヶ所が伴い、推定4世紀末から5世紀初頭の...
奈良県奈良市南京終町野神古墳(のがみこふん)は、県道木津横田線の東、桂木団地の入口に所在する古墳です。現在の墳丘は円墳上ですが、明治時代の古絵図から全長約50m程度の前方後円墳と考えられています。埋葬施設は竪穴式石室 東壁のみがオリジナルで、内部に凝灰岩の家形石棺が現在も残っています。現地説明版によると明治9年(1876年)に井戸が埋められているとの伝承を基に発掘がなされ、刀や鏡などの遺物が出土したようで...
奈良県奈良市大安寺杉山古墳(すぎやまこふん)は、墳長約154mの前方後円墳です。周濠と葺石・埴輪が検出されています。 5世紀後半の築造と推定されていて、平城京造営の際に取り壊されなかった数少ない古墳です。前方部の南斜面には瓦窯跡群が見つかっています。このため「大安寺旧境内 附 石橋瓦窯跡」として国指定史跡の一部となっています。この古墳は元大安寺境内の中に所在し、現在は公園として整備されています。公園は開...
奈良県奈良市油阪町念仏寺山古墳(ねんぶつじやまこふん) は、宮内庁によって「開化天皇 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」に治定されている、墳長約100mの前方後円墳です。三条通りのビルの隙間にひっそりと存在し、初めて訪問した時にはこの立地でよく残ったものだとかなり驚いたものです。 この古墳には周壕が全周にありますが、繁華街の中にあるためか大きく改変されています。前方後円墳集成によ...
奈良県奈良市登大路町なら仏像館の入り口左手に、組合式石棺が展示されています。奈良国立博物館訪問時などにはぜひ見学したいところです。縄かけ突起は装飾のみの小さな形状で、形骸化しています。石棺自体は竜山石製の黄色味の強い石棺で、いかにも竜山石の雰囲気がします。出土地は不明だそうですが一体どこから出土したのか気になるところです。石棺 かっこいいです!!残念ながらこれ以上は近寄れません写真奥側が仏像館入口...
奈良県奈良市春日野町御料園古墳群は、奈良公園の飛火野園地にある群集墳です。この古墳群と南の飼料園古墳群を合わせて、春日山古墳群と呼ぶようです。いずれも円墳で埋葬施設は横穴式石室 飼料園1~ 5号墳と御料園1号墳は、1948年と49年に奈良県史跡調査会により調査されています。現地で確認したところ、現在はどの古墳も横穴式石室を確認することはできず、墳丘が並んで残るのみとなっているようです。古墳群は8基からなるよ...
奈良県奈良市雑司町鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、若草山山頂に築造された全長約103mの前方後円墳で、国指定史跡です。近隣の古墳とは一線を画す、奈良盆地一帯を眺めることができる立地で、古墳からの風景は他の古墳では味わえない素晴らしいものです。車で山頂付近まで上がることができますが、有料道路を通ります。奈良公園付近から山頂まで登る遊歩道も整備されていますので、(有料と無料の2種類あり)時間が許すならば...
奈良県奈良市法華寺町ウワナベ古墳は、宮内庁によって宇和奈辺陵墓参考地とされている、全長270から280m、三段築成で二重周濠を持つ前方後円墳です。2020年の橿原考古学研究所や宮内庁・奈良市による同時調査により、それまで水没していた墳丘裾の葺石が検出され、これにより全長が五社神古墳の全長267mを抜き、奈良市で一番大きな古墳となりました。コナベ古墳は、宮内庁によって小奈辺陵墓参考地とされているウワナベ古墳の西に...
栃木県大田原市湯津上上侍塚北古墳(かみさむらいづかきたこふん)は上侍塚古墳のすぐ北側に築造された墳長48.5mの前方後方墳です。両古墳の距離は50m程度で同じ前方後方墳という墳形 かなり関係性の深い古墳ではないかと思います。下侍塚古墳からは南に800m近く離れているため、この2基だけで古墳群を形成しているのかもしれません。墳丘は耕作地帯に立地し開墾等のためか墳形が削られているようです。2023年4月11日付 朝日...
栃木県大田原市湯津上上侍塚古墳(かみさむらいづかこふん)は那珂川右岸の段丘上に4世紀中頃築造されたと推定されている墳長114mの前方後方墳です。約800m北に位置する前方後方墳で、4世紀末頃に築造されたと考えられている下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)と合わせて侍塚古墳(さむらいづかこふん)と呼ばれています。周囲は田園地帯・西側は国道となっており、墳丘の南西には現代の墓地がありますが墳形にはほとんど影...
栃木県大田原市湯津上侍塚古墳群(さむらいづかこふんぐん)は下侍塚古墳北東の田園地帯に所在する古墳群です。現在は8基が確認されていますが、もともとは10基程度そんざいしたようで戦後の開田等で消滅したようです。1号墳が前方後円墳、8号墳が方墳でその他が円墳と考えられています。耕作地帯で多少改変を受けている古墳が多いようですが、全体的に平坦地に古墳が並ぶ様を見学できる素晴らしい古墳群です。下侍塚古墳訪問の際...
栃木県大田原市湯津上下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん)は那珂川右岸の段丘上に4世紀末頃築造されたと推定されている墳長84mの前方後方墳です。南に約800mに位置する同じく前方後方墳で4世紀後半に築造されたと考えられている上侍塚古墳(かみさむらいづかこふん)と合わせて侍塚古墳(さむらいづかこふん)と呼ばれています。周囲は田園地帯・西側は国道となっていますが削られた形跡等は無く、現在でも非常に美しい墳形を...
栃木県大田原市湯津上欠畑古墳群は現状径12m程度の円墳らしきです。大田原市なす風土記の丘湯津上資料館でいただいた「湯津上地区 地域散策マップ」に掲載されていたため訪問しましたがそれ以外の情報が全く無く、何基で構成されているのか、墳形はどうなのかなど今もって謎のままです。欠畑は小字のようで読み方は「かけはた」かなと思いますが、今ひとつ確証が持てないため未記入としています。マップでは○で示されていたこと...
栃木県大田原市湯津上二荒神社古墳群(ふたらじんじゃこふんぐん)はその名の通り二荒神社境内北側に所在する古墳群です。那珂川のすぐ右岸に所在し、古墳群のうちの1基はもう川に落ちてしまうのでは無いかと思うほどの立地です。侍塚古墳群にもこのような立地の円墳がありますが、古墳時代はもう少し川が遠かったのでしょうか?墳径はおそらく円墳がメインであると思います。この古墳群は現状5基確認が出来るようですが、石室の痕...
栃木県大田原市北滝銭室塚古墳(ぜにむろづかこふん)は那珂川左岸の段丘上に所在する径約26m×高さ約4.5mの円墳で、田園地帯にポツンと立地していて非常に目立ちます。墳丘は2段築成で、2段目は少し小さく片側に寄っているようで段築がよくわかる墳形をしており、幅5mの周溝の存在も推測されています。墳丘の1段目を中心に川原石の葺石が多くみられ、耕作地帯で改変を受けそうなのにこんなにちゃんと残っているのかと驚きました...
栃木県大田原市小船渡~狭原観音塚古墳(かんのんづかこふん)は那珂川右岸河岸段丘上にある円墳です。前記事の二ツ室塚古墳のすぐ北側に所在し、2基の距離は30m程度でしょうか?かなり関連性の高い古墳と思われますが古墳群でもないようです。墳丘は2段築成で1段目がかなり広い形状となっています。径約40mで杉林内に所在しますがかなり目立ちます。墳丘の周囲には幅約10mの周溝がありますが現地では南東部分がそうなのかな?...
栃木県大田原市小船渡二ツ室塚古墳(ふたつむろづかこふん)は那珂川(なかがわ)右岸河岸段丘上築造された、墳長推定46.5mの前方後円墳です。1974年栃木県史編纂事業の一環で発掘され、前方部と後円部にそれぞれ1つずつの横穴式石室を持つ古墳であることが分かりました。出土遺物等から那須地域では最終となる6世紀後半から7世紀初頭に築造された前方後円墳の1基と考えられているようです。後円部の石室からは鉄鏃がわずかに出土...
栃木県芳賀郡芳賀町西高橋穴不動古墳(あなふどうこふん)は尾根先端に所在する 墳長約30m 後円部高4m 前方部高4mの前方後円墳です。中峰古墳群(なかみねこふんぐん)を構成する1基で芳賀町指定史跡墳丘は後世の改変で前方部・後円部とも大幅に削られていて、横穴式石室は奥壁と側壁の一部が残り奥壁に梵字が掘られています。専用駐車場が分からなかったのですが、穴不動入口西側の道沿いに短時間なら駐車できそうです穴不動入口...
栃木県真岡市中中村大塚古墳(なかむらおおつかこふん)は、中村八幡宮敷地内、現状径25m程度の円墳です。南に開口する両袖型の横穴式石室がありますが、残念ながら2011年の東日本大震災で被災してしまい現在は見学不可となっています。石室全長約8.1m 玄室長約4.2m 奥壁幅約1.4m 羨道長約3.9m×幅0.5強で数値だけでもすごいですこの石室は小さめの川原石を小口積みにした非常に美しいつくりをしていました。石室埋め戻し前の様...
栃木県真岡市古山弁天山古墳(べんてんやまこふん)は田園地帯にぽつんとある直径31m×高さ4.5mの円墳です。付近は林や建物がないため非常に目立ち、遠くからもよく見えます。墳頂には古山星宮神社があり、墳丘は日ごろから整備されている模様です。真岡市指定史跡の標柱が建っていて、ここを目指して用水路添いの道を通っていくと墳丘に上がることができます。明確な駐車スペースは無いようです。用水路の右岸を通り墳丘へ向かい...
栃木県真岡市京泉(きょうせん)鶏塚古墳(にわとりづかこふん)は、市街地から約5㎞の民家敷地内にある円墳です。径18m×高さ2.5m石室長約5.8m×高さ1.2~1.5m×幅0.8m~約1.5m 石室入口全体が大きなケヤキの木で覆われ、側壁は川原石を積み上げたこの地方で見かける仕様で中村大塚古墳の石室とよく似ています。鶏型埴輪や鶏型埴輪の首部が多く出土したことからこの名前がついたそうです。6世紀後半頃の築造と推定されていま...
茨城県常総市大塚戸町菅生沼に面する平坦な台地上に分布する大塚戸(おおつかど)篠山古墳群という前方後円墳3基、円墳28基からなる古墳群があります。もともとは水海道市域において最大規模をもつ古墳群ですが、土地開発等で現在では数基を残してほとんどが消滅してしまいました。常総市デジタルミュージアムによると、1961年に8号墳が調査され、墳長30m 後円部径20m 前方部幅20m 高さはともに3mの前方後円墳であったことが...
茨城県行方市沖洲三昧塚古墳(さんまいづかこふん)は、霞ヶ浦沿岸の沖積地に作られた前方後円墳です。近隣の勅使塚古墳、大日塚古墳、権現山古墳と合わせ沖洲古墳群を構成する1基で、1990年に行方市指定史跡に、出土品は2018年に国の重要文化財に指定されています。墳長82m余 後円部径46.5m×高さ8m 前方部高さ6mの規模で、後円部の規模が前方部の規模を若千凌駕する墳丘形態これに約2mの深さがある周溝を有していたと考えられ...
茨城県行方市沖洲大日塚古墳(だいにちづかこふん)は霞ヶ浦東岸、国道355号線の北側丘陵上に所在する帆立貝形古墳(前方後円墳)です 後円部が2段築成で前方部は1段築成。近隣の勅使塚古墳、三昧塚古墳、権現山古墳と合わせ沖洲古墳群を構成する1基です。南南西に横穴式石室が開口しており、壁や天井などにそれぞれ筑波石の1枚石を使用した石室は美しく見応えがあります。古墳の規模は(現地説明板より)墳長40m 後円部径30m×...
茨城県潮来市大生大生原台、茨城県下最大規模の100基以上からなる大生古墳群(おおうこふんぐん)そのうち大生西古墳群の続きです。子子舞塚古墳(まごまいづかこふん)の西側から谷を降りる遊歩道があります。道沿いに谷を降りて再び台地の高台に上がると、右手に数基の古墳が見えてきます。県道からは天神塚古墳(てんじんづかこふん)の墳丘が見えていて、こちらから訪問するとこのページの逆を辿ることになります。どちらから...
茨城県潮来市大生大生原台地には茨城県下最大規模の100基以上からなる古墳群があります。大生古墳群(おおうこふんぐん)といい、大生東古墳群、大生西古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群の4大支群が、大生神社付近を中心として分布しています。神社から西方面に、鹿見塚古墳、子子舞塚古墳(まごまいづかこふん)、天神塚古墳、白旗八幡古墳など20数基の古墳を包括する大生西古墳群が所在しています。耕作地で消滅した古墳も多い...
茨城県かすみがうら市加茂崎浜横穴古墳群(さきはまよこあなこふんぐん)は「崎浜カキ化石床」の露出崖に造られた横穴群です。崎浜カキ化石床は、約13万~12万年前の古東京湾形成時のカキ化石床で、出島半島南岸の崎浜・川尻地区にはこの化石床が約6~7千年前の縄文海進時に削られて形成された侵食崖がたくさんあります。数え切れない数のカキの殻が折り重なってできた化石を刳り抜いてお墓を造ろうとか、本当にすごいと思います。...
茨城県かすみがうら市富士見塚古墳群(ふじみづかこふんぐん)は霞ヶ浦の高浜入りを見下ろす台地上にある古墳群です。全5基程度で構成された古墳群ですが、1・2・3号墳が古墳公園として整備され見学可能です。出土品等から1・2号墳が5世紀末~6世紀初頭、3号墳が6世紀後半の築造と考えられています。古墳域は2008年に県指定史跡となっています。標高35mの1号墳の墳丘上からは、冬の晴れた日に文字通り富士山を見ることが出来るそ...