伊藤透雪の日常を書いていく日記。生き方、そして日々思うことを書き留めていく。
詩書きとしてだけでなく、AD/HDと双極性障害と共に生きる多面的なひとりの人間としてメタ認知していきます。時には感情を吐き出しながら。
日常に疲れてきた、というよりは。春の訪れが聞えるのに、生活とはかけ離れたようなぼんやりとした感覚。アンニュイに含まれる語意には自意識過剰なども含まれるというけれど、本当にそういう意味が含まれているかなんて、両極端過ぎる言葉だなと思う。とろりとした頭で
ずいぶん更新が遅れてしまい申し訳ない。今回は”聞くこと”を中心に書いてみたい。これでこの一連の話は最終かな?さて、聞くとは会話の上でどういうことだろうか。ただ話を聞いているだけではない、注意しつつ耳を傾けるということである。その辺はわかりきっていること
前記に引き続き、今度は具体的な話を書いてみる。私は性的には女性なのだが、男性的なことも多少考察が可能なので、今回は男性側から女性に対するコミュニケーションとして書いてみる。まず、女性に対してどう考えているか。それによってずいぶん違うだろうと思う。その
今、コミュ障だのリア充だの、ネガティブな印象を持つ言葉が流行っている。コミュニケーションは確かにけっこう大変で、ときに難しい関係になりかねない。しかし人は自分一人では生きられないし、コミュニケーションをとることからは逃れられない。仕事や円滑なコミュニケ
時間は今のところ、前にしか進まない。だから自分の人生は、過去という記憶に書き込まれたものばかりだ。若い頃に若さについて深く考えることはなかなかないだろう。そして自分の内面の変化にも、殆ど気づかない。人生はどうなのか、若いときにああすれば良かった、と
ヘイトスピーチ、で今はすぐ反応するようになってきた。差別とは何か。その概念が違えば、理解し合うことは難しくなる。差別と感じることと、言うことは少し違うことに気がついていない人が多いのではないか。私はいつもそう感じる。当事者だから、差別されていると感じる
執筆中です。今しばらくお待ち下さい。
ネットの住人というと、今の感覚だとTwitterやFacebookなどのSNSに投稿している人達、を思い浮かべるかもしれない。でもそれより10年以上前から、一種独特の人間関係の社会が存在した。まだプロキシを使わないと某掲示板で書き込みは危ないと言われていた時代である。Wind
今日は男女の愛ではなくて、性自認や同性愛などについて書くので、そういうのが嫌な方は読まない方がいいですよ。余計なお節介ですが。私の中には、純情な男もいる。大体が私のイマジナリーフレンド的な人間なのだけれども、ジェンダークィア、アンドロジーンを自認して
だんだん年を重ねているうちに、女だと思うと顔の皺やくすみやシミ、体のたるみなどが気になり始めた。こういうことを気にしない人は本当に気にしないし、いつまでも綺麗な人もいる。何かしているのかな、とも思うんだけど、すごくお金を掛けているという人を見たことがな
「ブログリーダー」を活用して、伊藤透雪さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。