散々、為替相場に関してコメントをして来た方であり、米国出張から帰ってからは、ますます皆に為替介入を想起させる発言を繰り返していた。介入に是非に関して、米国のお墨付きでも貰ったような口振りだった。昨日辺りからノーコメントおじさんになった。今日、米国のイエレ
新宿中央公園の脇にパークタワーが聳えている。この複合商業施設の広場を歩き、十二社通り側に回り込むと、階段の上に小さなお社がある。銀世界稲荷神社というお稲荷さんだ。去年訪れた時、参道の両側に”銀世界”由来の梅の木立を見付けた。枝振りが立派だったので、梅の開
在宅勤務も長期化して、料理好きになった。昔は自分で作った料理は、あくまで間に合わせだったが、この頃自分の作った料理も美味いと思う。
昨日の夕食は僕が料理当番だった。何だか唐揚げが作りたい気分であった。なんでもかんでも唐揚げにしてみることにした。げんこつ唐揚げ他が出来上がった。稲荷寿司も出来上がった。気が付けばall in brown。帰宅したかみさんが笑いながら、付け合わせの野菜の調理を手早く始
「らぁ麺 はやし田 新宿本店」は新宿マルイ本館の裏手の路地にある。ビルの谷間だが、けっして場末ではなく人通りの多い、飲食店業にとっては好立地の場所だ。電チャリをマルイ側に停めさせて貰って、列に加わる。10名程が並んでいたが、回転が速いのですぐに入店出来た。白
高校3年生の後半や浪人生の頃、原宿にある中央図書館に良く訪れた。調べものに訪れたのではなく、仲間に会う為だった。かなりの閲覧スペースがあり、そこでひとさまの勢いを利用しながら、受験勉強をした。今の自分なら集中したい時には書斎に籠るが、多分当時は寂しがり屋だ
もう10数年前の話だ。息子が高校に進学する時に、密かに息子が都立新宿高校を選んでくれるのを願っていた。(一方で、あの学校は周囲の環境がとても悪いよなとも思っていた。今は改善されたけれど、僕はあの頃毎朝風俗店の前を通って登校していた。)息子は受験をしなかった
在宅勤務は続いている。国内出張も自粛している。何だか突然駅弁が懐かしくなった。一時期は朝も夕方も新幹線の中で駅弁を食べる日もあった。記憶する限り駅弁は去年の10月に食べたきりだ。まあ、そんなに美味しいものではないのだけれど、とても懐かしくなった。東京駅は昔
「見附」という地名は、街道の分岐点など交通の要所、要所に置かれた見張所=見附に由来するもので各所に「見附」という地名は残っている。都内では「赤坂見附」と「四谷見附」が有名。ごちゃごちゃした東京の中でも、「見附」の二文字がつく、この二ヶ所の回りはどことなく
飛石連休の中日、夕方6時には仕事を終えた。普段はブレンデッドウイスキーのホワイトホースの12年物で満足しているのだけれど、今日はモルトウイスキーを飲むことにした。今宵はスモーキーなウイスキーは要らない。ハイランドモルト エドラダワーを選んだ。ひたすらとろりと
最近、一応名店の扱いを受けているカレー専門店を幾つか訪れたのだが、どうも心から美味しいとは思えない。カレーは僕なりの分類がある。欧風カレー、印度カレー、無国籍カレー、蕎麦屋のカレー、家庭のカレーの区分だ。どの区分のカレーにしても鶏の餌のような小細工をした
帰宅する前にもう一カ所寄り道をした。梅が丘の羽根木公園だ。7年振りに訪れるのでナビに従ったら、梅林に近い梅が丘駅口ではなく環七口に到着してしまった。梅林まで家族連れの間を縫ってゆっくり歩く。今年は梅の開花が10日程早いようだ。ここの梅林は白加賀が多いのだが、
家族は穏やかに静かに、僕がバイクから降りるタイミングを見計らっている。決して強制的な言葉を使うことはない。夕食の時、何気なくかみさんが語り掛ける。去年の12月にツーリングに行って以来、バイクに乗ってないわよね。昔は月2回はツーリングに出掛けていたわよね。とか
目白通りを西に戻っていたのだけれど、その後無意識に早稲田通りに入ったようだ。気が付いたら中野ブロードウェイ近くの商店街にいた。15時過ぎ、おやつの時間だ。昼抜きのおやつはとても有難い。「ほおずき」で、排骨担々麺、大辛を注文した。
東京の凹凸の地形がとても面白い。先週は本郷台地の形を辿ったのだが、今日は目白台地の南端を西から東に辿ってみた。東京には他にも、上野台地、小石川台地、牛込台地、四谷・麹町台地、赤坂・麻布台地、芝・白金台地がある。いずれも武蔵野台地の東端の台地で、高台と谷地
ドライカレーとキーマカレーの違いは何かと訊かれると、返事は少し難しいのだけれど、ドライカレーの方が広い意味で使われる。キーマカレーは挽肉を使ったインドカレーで(”キーマ”はヒンディー語で細切肉や挽肉の意味だ。)、羊や山羊、鶏の肉が使われる。一方、ドライカ
どうも僕は日本人には珍しくセロトニンの脳内分泌量が多いようで、どうにもならない事にクヨクヨしたり、心配したり、不安を持ったりはしない。まあ、毎日人並みにそれなりの問題を抱えながら生きているので、完全にストレスフリーとはいえないが、基本的にはハッピーマンだ
確定申告書の作成を終えた。国税の大きさにはため息が出る。控除額は毎年削られ、実質の税率は確実に重くなっている。確定申告に直接の関係はないのだが、源泉徴収税額の検算をする為に住民税の額も確認した。所得税には遠く及ばないが、住民税も相当大きい。都に何かして貰
肌寒かったが快晴の一日だった。ランチタイムに電チャリで浜田山の「たんたん亭」まで中華そばを食べに行った。1977年創業の老舗中華そば屋だ。40数年間愛され続けている店なので、それなりの拘りと味がある。メニューに色々書いてあるが、トッピングの違いだけで基本は一種
本郷台地の探検の前に結構事前準備が必要だった。WEB SITEで入手した特別な地形図と昭文社の縮尺1万分の1の地図を丹念照らし合わせた。武蔵野台地の探検でも同じ作業をしなければならないかと思うと少し憂鬱だった。今日注文していた地図が届いた。同じ昭文社発行の”東京23
夕刻、仕事が終わった頃を見計らって、孫Aが飛び込んで来た。やっぱり小さくて可愛い。その後、ばあば(かみさん)が孫Bを抱いて入って来る。孫Bはもっと小さい。彼の心臓のことがあるので、護ってやらねばならないと言う気持もじいじにはある。孫Aも小さいのだが、孫Bを見て
在宅勤務が続いているので、昼食の為の外出はとても良い息抜きになる。昨日も中華そばでまったく問題はなかったので、下北沢一番街の「虎徹」をめざして電チャリを走らせた。幡ヶ谷駅前、大山交差点、茶沢通りと走れば、下北沢まで10分ちょっとだ。店の前に着いたら、「虎徹
本郷に野暮用があった。天気も良いので電チャリで出掛けた。車で出掛ける時は市ヶ谷見附で靖国通りから外堀通りに入り、後楽園の南側を通過して本郷界隈に辿り着く。今日は電チャリだったので、市ヶ谷見附を右に折れ、駅前を通ってそのまま東に向かった。電チャリだと、靖国
て、おじさんがバレンタインの朝にいうセリフではないのだが、今日はかみさんが娘のところに遊びに行くので、お土産に持って行って貰うことにする。二晩冷凍して今朝ココアパウダーを塗した。それなりに美味しい生チョコレートが出来た。生チョコレートはガナッシュ(Ganache
東京は坂の都市だ。度重なる整備で各地の坂は少しずつ緩やかになって来ているが、他の都市に較べて坂の数は圧倒的に多い。坂は闇雲に存在するわけではなく、かつての丘陵部分、台地部分と、川が流れていたであろう低地部分を往来している。初台の僕の家は武蔵野台地の上にあ
夕食が始まった。僕の好きな鰤のしゃぶしゃぶだ。あれ、あんまり食べないのねとかみさんが言う。あ、うん、お酒を飲んでいるからご飯は要らないかも知れないね。何か変ね。お昼食べ過ぎたの?ドキッ!実は荻窪の「春木屋」で中華そばを食べた帰りに、もう一度高円寺の商店街
ここのところあちこちの中華そば屋を訪れている。ラーメンばかり食べて飽きないのと自問するが、飽きていないようだ。自分自身との付き合いも長いので、自分の御し方は良く分かっている。何かを始めると簡単には飽きない。好きになったり飽きたりするのは、もう少し長い波長
ジャンクフードを食べるのはもういい加減にしなさいと、かみさんに怒られているのだが、獄激辛まで完食すると決めた以上、もう計画は止められない。かみさんが留守の間の昼食に、ペアング激辛MAX END、そしてペアングやきそば獄激辛と歩みを進めた。ペアング激辛MAX ENDまで
福永武彦の「草の花」に続き、「忘却の河」を読んだ。1964年に発表された小説としては、かなり実験的な作品だ。僕が知る限り、この頃は文壇が私小説の独白形式の袋小路に陥っていた頃だと思う。「私」が過去の自分を「彼」と突き放して語ったり、書き始めでは、様々な過去の
新宿区中井の番号坂を訪れる途中に、中野通り沿いにある「麺や はし本」に立ち寄った。5人程並んでいたが、回転が速いようで直ぐに入店出来た。券売機で購入した”特製らー麺”の券をカウンターの向こうに渡した後、ダウンジャケットを脱ぎマフラーを外してカウンター席に就
都内の地図、日本地図、世界地図、子供の頃から地図を見るのが好きだった。歴史は後の権力者が改ざん出来るが、地図は嘘をつかない。暇なので東京23区の地図を朝から眺めていた。縮尺1万分の1の地図だ。新宿区の中井二丁目に面白いものを見付けた。高台から神田川に向かって
とこぶしを大量に手に入れた。半分は息子夫婦に渡した。冷凍品ではないので早めに調理しなければならない。今夜は僕が料理当番だ。大きめのとこぶしは醤油バター炒めにするとして、小さいとこぶしはどうしようかとウイスキーをチビチビ飲みながら思案した。「美味しんぼ」で
コロナ渦の影響で閉店に追い込まれるラーメン店も多い。コロナ渦が人の流れだけでなく、街の景色を変え始めている。底力のある店は生き延びるのだが、平常時に何とか採算を保っていた店は廃業に追い込まれる。そんな嵐の中、出店して営業を始める猛者もいる。山手通りを下っ
夕食の時に、まずはペアング激辛やきそばを試してみようと計画していたのだけれど、かみさんが夕食をしっかり作った。どうもここのところ韓国料理に凝っているようで、チジミと真っ赤な豚肉料理が出た。辛いから葉野菜に包んで食べてねと言われたのだが、左程辛くはなかった
カップラーメンは特に魚釣りに出掛けた時に川原で湯を沸かして食べるが、カップ焼きそばは時々自宅で食べる。ソース味、塩味の大まかな違いだけなく濃いめ、薄め、甘めの違いがあり、麺も油揚げ麺、ノンフライ麺、細麺、太麺の食感の違いもあるし、サイズも様々なものがある
書棚の整理を続けている。最終的には書棚には辞書や地図、そしてウイスキーや魚釣り関連の本だけに残すつもりだ。断捨離が進んでいると喜んでいたら、あなた白州の山荘と真鶴の部屋にかなりの量の本を持ち込んでいませんでしたか?と突っ込まれた。あ、そっちはそっちで片付
尾道ラーメンの存在を知ったのは、30年程前だ。羽田空港への行き帰りに浜松町駅からモノレールを良く使った。当時の日本はとても元気で、僕も夜討ち朝駆けの出張によく出掛けていた。遅い便で羽田に戻り浜松町駅に到着する頃、夕食を食べて損ねていて、浜松町駅近辺の店で結
平日なのでじいじは昼休み以外は書斎に缶詰状態だ。息子も同じ状態、孫Bの世話で大変な息子の嫁の負担を減らす為と言いながら、ばあばは孫Aを連れ出したようだ。LINEで孫Bの写真を送って来た。あ、孫がいる場所は東西線葛西駅下にある地下鉄博物館だ。孫の顔が???状態にな
食料危機が来ると信じ込んでいたので、パントリーにはコンビーフ缶を中心にかなりの量の缶詰が眠っている。インスタントラーメンもかなりある。缶詰は普通に長持ちするし、インスタントラーメンも余程寝かせて置かないかぎり、油が劣化して身体に悪いという状態にはならない
気持の切換はとても早くて上手な方ではあるが、12月末からずっと僕の上に圧し掛かって抗えないものがあった。昨年末に生まれた二人目の孫の心臓のことだ。心室に小さな穴が開いていた。12月は身体が冷え易く呼吸も辛い状態が続き入院したままだったが、年末には落ち着いたの
朔日(ついたち)から、料理の合間にかみさんが恵方巻用の具材を整え出した。7種類必要だそうだ。一口で食べてしまうものなのに、結構手間が掛るようだ。豆撒きの準備もしてある。それにしても節分は2月3日なのに気が早過ぎるだろうと言ったら、今年の節分は2月2日だとの返事
秩父三十四所霊場巡りには随分時間が掛かった。まあ、元々札所巡りをしようという明確な意思が最初にあったわけではなく、偶々秩父方面にツーリングに出掛けた時に、以前から気になっていた札所という存在が以前から気になっていたので、ちょっと幾つかの札所に立ち寄ってみ
この間、自宅で初めてもつ鍋を作ってみた。味は良かったが鍋としてもみてくれが良くなかった。昨夜、二度目のトライアル。思い切ってキャベツを使わないで作ってみた。みてくれは随分良くなった。
秩父を走っていると最初に目に入るのはたくさんの蕎麦屋の看板や暖簾だ。秩父・長瀞地区でおそらく100以上の蕎麦屋がある。秩父の蕎麦は美味しい。特段の希望がなければ、秩父での昼食は蕎麦が定石だと思う。蕎麦を選択しない場合には、わらじ丼や豚みそ丼がお勧めだ。と一応
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散々、為替相場に関してコメントをして来た方であり、米国出張から帰ってからは、ますます皆に為替介入を想起させる発言を繰り返していた。介入に是非に関して、米国のお墨付きでも貰ったような口振りだった。昨日辺りからノーコメントおじさんになった。今日、米国のイエレ
日の出は見えたが、その後山荘の回りは霧に包まれた。昨日まで雨で辺りが湿っていたのところに急に気温が上がった為だろう。暫くすると霧も晴れた。昼前にスーパーに買物に出た。往路にも復路にも素晴らしい景色に出合った。駒ヶ岳には残雪があるが、八ヶ岳からはすっかり雪
犬は散々飼って来た。なんやかんやで7匹は飼って来た。でも正直に言うと、この表現は正確ではない。犬達の面倒は母親や姉が看ていて、僕は単なる同居人だった。それでも7匹の内の2匹は、同居人の端くれである僕を一番愛してくれたし、僕もその2匹を愛した。人にも犬にも相性
今日も朝から雨が降っている。ここのところ雨が多い。菜種梅雨という奴だ。部屋で本を読んで過ごしているが、読んでいる小説の中でも雨が降っている。雨の中、木々はどんどん葉を広げている。僕はつまらない思いをしているが、樹木は喜んでいるように見える。新緑の季節だ。
スーパーの食品売場を探検していると、インド風カレーなのに具材が牛肉や豚肉のレトルトカレーが売られている。インド文化に造詣が深い新宿中村屋でさえ、欧風ビーフカレーに加えて、”ビーフスパイシーインドカレー”なんて商品を取り揃えている。流石に豚肉を使ったインド
昨夜の雨で桜の花びらは殆ど散ってしまった。庭やウッドデッキは花びらだらけだ。昼にパスタを作った。粉チーズの上に花びらをトッピングしてみた。
皆をさっき国道まで見送りに行って来た。少し前まで庭で賑やかな声が響いていたが、急に鳥のさえずりしか聴こえなくなった。今朝、昨日から来てくれている二人には和定食を押し付けた。時間がなかったので銘銘膳にはしていない。納豆も容器のまま食卓に置いた。あまり良くな
夕食の食材を買い出しを済ませた後、山荘に戻った。やりたいことと、やらなければならないことがある。やらなければならないことは一つだけだ。10人分以上のピザ生地を作る。明朝に作るのでは十分な発酵を望めない。でも、まずはビールを飲もうか、あ、次はウイスキーにする
バイク仲間とのピザパーティーは日曜日に開催だが、ドゥ作りの手伝いに先行組2人が今日来てくれた。僕の手間を慮って、昼食を近所で済ませてから山荘に来ると事前に連絡があった。どこで食べるの?と訊いたら小淵沢の「井筒屋」だと言う。あれ、そんなに簡単に予約が取れたの
Complementary Certificateの和訳は、”補完証書”ではなく”プレゼント証書”となる。真面な人達には、”プレゼント証書”と言っても何のことなのかピンと来ない。要はカイロ大学の小池百合子宛のComplementary Certificateは不正卒業証書そのものだということだ。発展途上
「今日も早起きだね」と相棒が言う。じじいだからなと答えても、「ふふん」と言うだけで返事をしない。塩川の平橋近辺に竿を入れる。向こうでジムニーシエラがこちらを見ている。まったくあまごの当たりがない。下河原大橋の下に出る。ここでも当たりはない。笑ってしまう位
国道141号線で大門川に向かう途中に、道の駅 南きよさとの脇を通った。あれっと思った。もう鯉のぼりが風に舞っていた。
ウイスキーでは結構名の知れているマルス(本坊酒造)が、韮崎市の穂坂町でワインも造っている。ワイナリーは茅ヶ岳山麓の南西斜面、標高400 - 700mに広がっている。日本で一番日照時間が長く、少雨冷涼気象区だ。しかも土壌には粘性がある。山梨には美味い白ワインは沢山あ
煙草も酒も止められないのだけれど(まあ、止める気はまったくない)、食べ物に気を配り適度な運動をして暮らしている。自堕落にならないように、早起きして朝食をしっかり作ってしっかり食べている。朝食が一日の食事の中心だ。2月末から山荘に滞在しているが、数日間の例外
夜半から夜明けまで激しい雨が降っていたが、午前9時にはすっかり晴れた。僕は典型的な日本人で言霊を恐れるので嫌なことは口にしないが、僕が渓流に釣行出来ないように意地悪をされている気がしてならない。去年釣り過ぎた報いか。天気はいいが、渓には濁流が流れている。そ
最近はステンレス製の親子鍋もあるようなのだけれど、無知だった僕が購入したのは、伝統的なアルミ製の親子鍋だ。普通のIHヒーターでは使えない。 捨てるのも勿体無いので渋谷の家から山荘に持ち込んで使っている。この親子鍋があればかつ煮が簡単に作れる。でも溶き玉子を掛
タラの芽の天ぷらうどんを作ってみた。因みにタラの芽はタラノキの新芽、フキノトウはフキが地面に出す新芽だ。両方ともほろ苦さがある大人の為の食べ物だ。
暦の上では啓蟄は3月5日なのだが、今年の峡北の春は遅かった。4月に入ってようやく春の胎動を感じる。気の早い蝶が飛び始め、蜂も飛翔を始める。蟻の姿も見た。虫を狙うトカゲの姿も薪置場で見た。何だかざわざわし始めていて面白い。木々の若葉が出始めた素敵な季節なのだけ
山桜は今頃咲き出したが、今年の花見の季節は終わった。花曇りだが素敵な夕方だ。今日は樵に成り切っていた。視界を不愉快に横切る倒木の始末を済ませた。汗かいた。BeforeAfter追記誰も褒めてくれそうにないので、自分でご褒美を準備した。何時も安くて硬い肉ばかり食べてい
ネットサーフィン(もはやIT死語か)をしていると、最近"TEMU"という通販業者の広告が目に付く。ちょっとクリックしてみたら、何だか色々な物が二束三文で売られている。ストラトエレキギターが2,646円、コーヒーグラインダーと濾し器のセットが671円だ。おまけに購入金額の
昔ニューヨークに住んでいた頃、仕事仲間数人とデンバーのビーバークリークに二泊三日でスキーに行った。ニューヨーク近郊にはハンターマウンテンなどお手軽なスキー場があり、僕はそれで十分満足していたのだが、皆で飲んでいる時、スキー好きの仲間が絶対一度はビーバーク
以前は相模湖東ICで中央自動車道を下りて、国道412号線経由国道413号線に入り、その後国道413号線を延々と走って道志川のお気に入りの釣場に通っていた。ナビの指示する通りに走っていただけなのだけれど、帰路は相模湖ICから中央自動車道に戻るように指示が出る。相模湖東IC
まだ昨日のツーリングの余韻が残っている。とても体調はいいのだが、今日はずっと家に居て、一日中釣りの本を読み、釣りのビデオを観ていた。途中何度か宅配の応対をした。合間にウイスキーのテイスティングをし、昼食にかつ丼を作って食べた。テイスティングはウイスキーを
昨日、久々に皆とツーリングに出掛けた。めずらしく11台が揃った。数ヵ月もバイクに乗っていないと、自分がちゃんと乗れるのかという不安が募って来る。速い速度でまっすぐに走ることには何の心配もない。寧ろ、峠でのクラッチ操作やギア選択、Uターン時の取り回しとか、主に
桜えびは年中獲れるものではない。春漁は3月中旬~6月初旬、秋漁は10月下旬~12月下旬で、 それ以外の時期は桜えび保護の為に休漁となる。春漁の季節に入ったので、由比に桜えびを食べに行った。11名の大所帯だったが、”ゆい桜えび館”が団体予約を受け付けてくれた。桜えび
僕は物持ちがいい。飾って置くわけではなくしっかり使うが、正しく丁寧に扱っている。手入れも怠らない。釣り竿を何本持っているのかと訊かれても、急には答えられない。海釣り用と川釣りそれぞれに、異なる釣法に合わせて竿を揃えてある。多分20本位はある。完全にお蔵入り
真鶴からの帰路は、普段は国道135号線から石橋ICから西湘バイパスに入り、すぐに小田原厚木道路に合流する。何時も同じ道を通ると飽きて来るので、時々途中まで有料の真鶴道路を通ったり、山の上の県道740号線を使ったりする。早川の街中を通ってみたくなる時は、石橋ICを使
化学調味料を使っているのは判るのだけれど、かなり美味かった。
狩野川支流の冷川とは相性が悪いのか、或いは冷川にアマゴはいないのか?木曜日に早起きして早朝に冷川に着いたが、5時間粘っても釣れるのはウグイばかりだ。或いは合わせ損ねた二度ほどの微かなアタリがアマゴのものだったのか。3月に来て完敗し、リベンジに訪れたのだが、
雲のフィルターが掛かってとても穏やかな日の出だけど、今日の日中はカンカン照りになりそうだ。潮は昼に向かって引いて行く。
日が延びた。海辺のバーは今開店。いつの間にか燕が飛ぶ季節になった。とても高いところを飛んでいる。明日も晴れだ。
冷川での釣りを終えた。昼時になっていたので冷川ICから伊豆スカイラインに入る前に昼食を取りたかった。県道12号線を流していたらいい感じのお店が見付かった。「たぬき」という食堂だ。刺身定食・海鮮丼と稲庭うどん、かつ定食の店らしい。ご夫婦二人で回している店で、メ
リンリン ランラン りゅう~えん♬リンリン ランラン りゅう~えん♬りゅうえん行って しあわせ食べ~よ♬70年代の事柄はうろ覚えのことが多いのだけれど、急にリンリンランランのテレビコマーシャルを思い出した。香港出身のアメリカ人と中国人のハーフの可愛い双子の歌手が
仕事を引退してから、随分花の名前を覚えた。革靴を履いて忙しく歩き回っていた頃には、ツツジはツツジだろうって認識していた。今は色々なツツジが咲いているのが判る。サツキ(皐月)オオムラサキツツジ(大紫躑躅)シロリュウキュウツツジ(白琉球躑躅)アウリキュラタム
正直言うと、冬キャベツと春キャベツの見分けが未だに付かない。春に出回っているのが春キャベツだと思っていたのだけれど、冬キャベツの収穫と市場に出回る時期は11月から3月で、春キャベツの収穫と市場に出回る時期は3月から5月だそうだ。3月、4月は微妙な時期だ。某食品メ
2019年の秋にウイスキーフェスティバルがあった際に、Uncle Nearrest 1856というプレミアムバーボンを購入した。とても素敵なバーボンで、あの時は美味しねと言いながらかみさんと2-3日で飲んでしまった。最近、友人からこのUNCLE NEARESTのスモール・バッチ版があるので試飲
早朝に雨は上がった。東京に戻るべく車を走らせ始めた。天気が良いので最寄の須玉ICで中央自動車道に入るのではなく、一つ南の韮崎ICまで景色を楽しみながら国道20号線を走ることにした。国道20号線を南下する時には右手に釜無川の流れが常にあり、正面には富士山が見えてい
山荘滞在中はずっと自炊をしていたが、最終日の昼は外食することにした。小淵沢駅の近くにある蕎麦屋が以前から気になっていた。今日初めて入店した。「食彩工房 雅」は古民家そのままの店だ。看板と暖簾がなければ、店舗だとは思えない。民家をそのまま店舗にしている蕎麦屋
長坂町大八田の丘の上に建岡神社はある。主祭神は諏訪大社 本宮と同じ建御名方神だそうだ。神社の創建は東征した日本武尊が天津神を祀り建岡神社としたが、その後、黒源太清光公(甲斐源氏3代当主源 清光。平安時代末期の武将)が、諏訪大明神を勧請・配祀したと言われる。因