海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
新宿中央公園の脇にパークタワーが聳えている。この複合商業施設の広場を歩き、十二社通り側に回り込むと、階段の上に小さなお社がある。銀世界稲荷神社というお稲荷さんだ。去年訪れた時、参道の両側に”銀世界”由来の梅の木立を見付けた。枝振りが立派だったので、梅の開
在宅勤務も長期化して、料理好きになった。昔は自分で作った料理は、あくまで間に合わせだったが、この頃自分の作った料理も美味いと思う。
昨日の夕食は僕が料理当番だった。何だか唐揚げが作りたい気分であった。なんでもかんでも唐揚げにしてみることにした。げんこつ唐揚げ他が出来上がった。稲荷寿司も出来上がった。気が付けばall in brown。帰宅したかみさんが笑いながら、付け合わせの野菜の調理を手早く始
「らぁ麺 はやし田 新宿本店」は新宿マルイ本館の裏手の路地にある。ビルの谷間だが、けっして場末ではなく人通りの多い、飲食店業にとっては好立地の場所だ。電チャリをマルイ側に停めさせて貰って、列に加わる。10名程が並んでいたが、回転が速いのですぐに入店出来た。白
高校3年生の後半や浪人生の頃、原宿にある中央図書館に良く訪れた。調べものに訪れたのではなく、仲間に会う為だった。かなりの閲覧スペースがあり、そこでひとさまの勢いを利用しながら、受験勉強をした。今の自分なら集中したい時には書斎に籠るが、多分当時は寂しがり屋だ
もう10数年前の話だ。息子が高校に進学する時に、密かに息子が都立新宿高校を選んでくれるのを願っていた。(一方で、あの学校は周囲の環境がとても悪いよなとも思っていた。今は改善されたけれど、僕はあの頃毎朝風俗店の前を通って登校していた。)息子は受験をしなかった
在宅勤務は続いている。国内出張も自粛している。何だか突然駅弁が懐かしくなった。一時期は朝も夕方も新幹線の中で駅弁を食べる日もあった。記憶する限り駅弁は去年の10月に食べたきりだ。まあ、そんなに美味しいものではないのだけれど、とても懐かしくなった。東京駅は昔
「見附」という地名は、街道の分岐点など交通の要所、要所に置かれた見張所=見附に由来するもので各所に「見附」という地名は残っている。都内では「赤坂見附」と「四谷見附」が有名。ごちゃごちゃした東京の中でも、「見附」の二文字がつく、この二ヶ所の回りはどことなく
飛石連休の中日、夕方6時には仕事を終えた。普段はブレンデッドウイスキーのホワイトホースの12年物で満足しているのだけれど、今日はモルトウイスキーを飲むことにした。今宵はスモーキーなウイスキーは要らない。ハイランドモルト エドラダワーを選んだ。ひたすらとろりと
最近、一応名店の扱いを受けているカレー専門店を幾つか訪れたのだが、どうも心から美味しいとは思えない。カレーは僕なりの分類がある。欧風カレー、印度カレー、無国籍カレー、蕎麦屋のカレー、家庭のカレーの区分だ。どの区分のカレーにしても鶏の餌のような小細工をした
帰宅する前にもう一カ所寄り道をした。梅が丘の羽根木公園だ。7年振りに訪れるのでナビに従ったら、梅林に近い梅が丘駅口ではなく環七口に到着してしまった。梅林まで家族連れの間を縫ってゆっくり歩く。今年は梅の開花が10日程早いようだ。ここの梅林は白加賀が多いのだが、
家族は穏やかに静かに、僕がバイクから降りるタイミングを見計らっている。決して強制的な言葉を使うことはない。夕食の時、何気なくかみさんが語り掛ける。去年の12月にツーリングに行って以来、バイクに乗ってないわよね。昔は月2回はツーリングに出掛けていたわよね。とか
目白通りを西に戻っていたのだけれど、その後無意識に早稲田通りに入ったようだ。気が付いたら中野ブロードウェイ近くの商店街にいた。15時過ぎ、おやつの時間だ。昼抜きのおやつはとても有難い。「ほおずき」で、排骨担々麺、大辛を注文した。
東京の凹凸の地形がとても面白い。先週は本郷台地の形を辿ったのだが、今日は目白台地の南端を西から東に辿ってみた。東京には他にも、上野台地、小石川台地、牛込台地、四谷・麹町台地、赤坂・麻布台地、芝・白金台地がある。いずれも武蔵野台地の東端の台地で、高台と谷地
ドライカレーとキーマカレーの違いは何かと訊かれると、返事は少し難しいのだけれど、ドライカレーの方が広い意味で使われる。キーマカレーは挽肉を使ったインドカレーで(”キーマ”はヒンディー語で細切肉や挽肉の意味だ。)、羊や山羊、鶏の肉が使われる。一方、ドライカ
どうも僕は日本人には珍しくセロトニンの脳内分泌量が多いようで、どうにもならない事にクヨクヨしたり、心配したり、不安を持ったりはしない。まあ、毎日人並みにそれなりの問題を抱えながら生きているので、完全にストレスフリーとはいえないが、基本的にはハッピーマンだ
確定申告書の作成を終えた。国税の大きさにはため息が出る。控除額は毎年削られ、実質の税率は確実に重くなっている。確定申告に直接の関係はないのだが、源泉徴収税額の検算をする為に住民税の額も確認した。所得税には遠く及ばないが、住民税も相当大きい。都に何かして貰
肌寒かったが快晴の一日だった。ランチタイムに電チャリで浜田山の「たんたん亭」まで中華そばを食べに行った。1977年創業の老舗中華そば屋だ。40数年間愛され続けている店なので、それなりの拘りと味がある。メニューに色々書いてあるが、トッピングの違いだけで基本は一種
本郷台地の探検の前に結構事前準備が必要だった。WEB SITEで入手した特別な地形図と昭文社の縮尺1万分の1の地図を丹念照らし合わせた。武蔵野台地の探検でも同じ作業をしなければならないかと思うと少し憂鬱だった。今日注文していた地図が届いた。同じ昭文社発行の”東京23
夕刻、仕事が終わった頃を見計らって、孫Aが飛び込んで来た。やっぱり小さくて可愛い。その後、ばあば(かみさん)が孫Bを抱いて入って来る。孫Bはもっと小さい。彼の心臓のことがあるので、護ってやらねばならないと言う気持もじいじにはある。孫Aも小さいのだが、孫Bを見て
在宅勤務が続いているので、昼食の為の外出はとても良い息抜きになる。昨日も中華そばでまったく問題はなかったので、下北沢一番街の「虎徹」をめざして電チャリを走らせた。幡ヶ谷駅前、大山交差点、茶沢通りと走れば、下北沢まで10分ちょっとだ。店の前に着いたら、「虎徹
本郷に野暮用があった。天気も良いので電チャリで出掛けた。車で出掛ける時は市ヶ谷見附で靖国通りから外堀通りに入り、後楽園の南側を通過して本郷界隈に辿り着く。今日は電チャリだったので、市ヶ谷見附を右に折れ、駅前を通ってそのまま東に向かった。電チャリだと、靖国
て、おじさんがバレンタインの朝にいうセリフではないのだが、今日はかみさんが娘のところに遊びに行くので、お土産に持って行って貰うことにする。二晩冷凍して今朝ココアパウダーを塗した。それなりに美味しい生チョコレートが出来た。生チョコレートはガナッシュ(Ganache
東京は坂の都市だ。度重なる整備で各地の坂は少しずつ緩やかになって来ているが、他の都市に較べて坂の数は圧倒的に多い。坂は闇雲に存在するわけではなく、かつての丘陵部分、台地部分と、川が流れていたであろう低地部分を往来している。初台の僕の家は武蔵野台地の上にあ
夕食が始まった。僕の好きな鰤のしゃぶしゃぶだ。あれ、あんまり食べないのねとかみさんが言う。あ、うん、お酒を飲んでいるからご飯は要らないかも知れないね。何か変ね。お昼食べ過ぎたの?ドキッ!実は荻窪の「春木屋」で中華そばを食べた帰りに、もう一度高円寺の商店街
ここのところあちこちの中華そば屋を訪れている。ラーメンばかり食べて飽きないのと自問するが、飽きていないようだ。自分自身との付き合いも長いので、自分の御し方は良く分かっている。何かを始めると簡単には飽きない。好きになったり飽きたりするのは、もう少し長い波長
ジャンクフードを食べるのはもういい加減にしなさいと、かみさんに怒られているのだが、獄激辛まで完食すると決めた以上、もう計画は止められない。かみさんが留守の間の昼食に、ペアング激辛MAX END、そしてペアングやきそば獄激辛と歩みを進めた。ペアング激辛MAX ENDまで
福永武彦の「草の花」に続き、「忘却の河」を読んだ。1964年に発表された小説としては、かなり実験的な作品だ。僕が知る限り、この頃は文壇が私小説の独白形式の袋小路に陥っていた頃だと思う。「私」が過去の自分を「彼」と突き放して語ったり、書き始めでは、様々な過去の
新宿区中井の番号坂を訪れる途中に、中野通り沿いにある「麺や はし本」に立ち寄った。5人程並んでいたが、回転が速いようで直ぐに入店出来た。券売機で購入した”特製らー麺”の券をカウンターの向こうに渡した後、ダウンジャケットを脱ぎマフラーを外してカウンター席に就
都内の地図、日本地図、世界地図、子供の頃から地図を見るのが好きだった。歴史は後の権力者が改ざん出来るが、地図は嘘をつかない。暇なので東京23区の地図を朝から眺めていた。縮尺1万分の1の地図だ。新宿区の中井二丁目に面白いものを見付けた。高台から神田川に向かって
とこぶしを大量に手に入れた。半分は息子夫婦に渡した。冷凍品ではないので早めに調理しなければならない。今夜は僕が料理当番だ。大きめのとこぶしは醤油バター炒めにするとして、小さいとこぶしはどうしようかとウイスキーをチビチビ飲みながら思案した。「美味しんぼ」で
コロナ渦の影響で閉店に追い込まれるラーメン店も多い。コロナ渦が人の流れだけでなく、街の景色を変え始めている。底力のある店は生き延びるのだが、平常時に何とか採算を保っていた店は廃業に追い込まれる。そんな嵐の中、出店して営業を始める猛者もいる。山手通りを下っ
夕食の時に、まずはペアング激辛やきそばを試してみようと計画していたのだけれど、かみさんが夕食をしっかり作った。どうもここのところ韓国料理に凝っているようで、チジミと真っ赤な豚肉料理が出た。辛いから葉野菜に包んで食べてねと言われたのだが、左程辛くはなかった
カップラーメンは特に魚釣りに出掛けた時に川原で湯を沸かして食べるが、カップ焼きそばは時々自宅で食べる。ソース味、塩味の大まかな違いだけなく濃いめ、薄め、甘めの違いがあり、麺も油揚げ麺、ノンフライ麺、細麺、太麺の食感の違いもあるし、サイズも様々なものがある
書棚の整理を続けている。最終的には書棚には辞書や地図、そしてウイスキーや魚釣り関連の本だけに残すつもりだ。断捨離が進んでいると喜んでいたら、あなた白州の山荘と真鶴の部屋にかなりの量の本を持ち込んでいませんでしたか?と突っ込まれた。あ、そっちはそっちで片付
尾道ラーメンの存在を知ったのは、30年程前だ。羽田空港への行き帰りに浜松町駅からモノレールを良く使った。当時の日本はとても元気で、僕も夜討ち朝駆けの出張によく出掛けていた。遅い便で羽田に戻り浜松町駅に到着する頃、夕食を食べて損ねていて、浜松町駅近辺の店で結
平日なのでじいじは昼休み以外は書斎に缶詰状態だ。息子も同じ状態、孫Bの世話で大変な息子の嫁の負担を減らす為と言いながら、ばあばは孫Aを連れ出したようだ。LINEで孫Bの写真を送って来た。あ、孫がいる場所は東西線葛西駅下にある地下鉄博物館だ。孫の顔が???状態にな
食料危機が来ると信じ込んでいたので、パントリーにはコンビーフ缶を中心にかなりの量の缶詰が眠っている。インスタントラーメンもかなりある。缶詰は普通に長持ちするし、インスタントラーメンも余程寝かせて置かないかぎり、油が劣化して身体に悪いという状態にはならない
気持の切換はとても早くて上手な方ではあるが、12月末からずっと僕の上に圧し掛かって抗えないものがあった。昨年末に生まれた二人目の孫の心臓のことだ。心室に小さな穴が開いていた。12月は身体が冷え易く呼吸も辛い状態が続き入院したままだったが、年末には落ち着いたの
朔日(ついたち)から、料理の合間にかみさんが恵方巻用の具材を整え出した。7種類必要だそうだ。一口で食べてしまうものなのに、結構手間が掛るようだ。豆撒きの準備もしてある。それにしても節分は2月3日なのに気が早過ぎるだろうと言ったら、今年の節分は2月2日だとの返事
秩父三十四所霊場巡りには随分時間が掛かった。まあ、元々札所巡りをしようという明確な意思が最初にあったわけではなく、偶々秩父方面にツーリングに出掛けた時に、以前から気になっていた札所という存在が以前から気になっていたので、ちょっと幾つかの札所に立ち寄ってみ
この間、自宅で初めてもつ鍋を作ってみた。味は良かったが鍋としてもみてくれが良くなかった。昨夜、二度目のトライアル。思い切ってキャベツを使わないで作ってみた。みてくれは随分良くなった。
秩父を走っていると最初に目に入るのはたくさんの蕎麦屋の看板や暖簾だ。秩父・長瀞地区でおそらく100以上の蕎麦屋がある。秩父の蕎麦は美味しい。特段の希望がなければ、秩父での昼食は蕎麦が定石だと思う。蕎麦を選択しない場合には、わらじ丼や豚みそ丼がお勧めだ。と一応
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海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
カサゴは小さく、ウツボばかりが喰い付いて来る。1mのウツボにMLロッドを折られかと思った。追記真鶴でも磯焼けが心配されていたのだが、この冬の海中は海藻だらけだ。根掛かりではなく仕掛けが海藻に絡む。離れ岩の脇にも青海苔が繁茂している。
昨日、真鶴から東京に戻る途中で吉野家に入店した。牛丼並とお新香と味噌汁が定番なのだけれど、「魯珈」とのコラボレーションカレーがあると知ったので気持を切り替えて注文した。大久保の「魯珈」のカレーはずっと何時かお店を訪れて食べてみたいと思っていたのだけれど、
今日は朝8時半から区役所、年金事務所、税務署を回った。午前中にやるべき事をサクサクと片付けた。作成した書類は問題なくすべて受理された。毎日が日曜日のおやじは自分の現役時代を思い出す。ロートルだと思ってたけど、まだまだお前使えるじゃん。ご褒美にうな重を食べた
野暮用で昨日東京に戻った。午前中にあれやこれや用事を済ませた後、電チャリで街に出てみた。新宿の立ち飲みバーがあった場所におにぎり屋さんが出来ていた。興味をそそられたので電チャリを降りて店先に立った。色々な種類のおにぎりが並んでいる。数年前から米や具材に拘
海釣りではなく河川・湖沼での釣りの話だ。購入して来たミノープラグには大抵トレブルフック(三又)が付いている。トレブルフックはシングルフックに較べてフッキングの確度が上がるのだけれど、魚へのダメージが大きい。トラウトがハーモニカ喰い(横咥え)等した時には、
こう言う立派な方々は北朝鮮か中共に移民すればいいのに。まあ3日も持たないと思うけど。
29cmのカサゴをMLロッドで釣り上げるのはちとしんどい。
自分が考えている以上にダメージを受けているようで、真鶴に帰っても釣りをする気持の余裕が無かった。だいぶ気持の整理が付いた。今日は土曜日、週末なのでたくさんの遊漁船が出ている。随分沖合に遊漁船が並んでいる。一方で琴ヶ浜のすぐ沖で粘っている船もある。この季節
先週渋谷の家に戻っていた時、久々に孫達に会った。書斎に居ると椅子に二人で攀じ登って来て、膝の上に乗ったり背中から頸に手を回して来た。まあ、じいじは孫達のいい玩具ではある。孫AはどうやらLEGOに夢中なようで、LEGOの話ばかりしていた。へえ、LEGOは知育にいいよなと
今日は満月。海を思い切り照らしている。
真鶴の部屋に戻って来てほっとしている。家族のことは好きだが、ずっと一緒にいたいとは思わない。齢を取れば家族との快適な距離感も変わる。カレーと根菜汁を作った。もう手馴れているので手が勝手に動く。料理を作るのは余りものを考えたくない時の最善の過ごし方だ。さて
いい天気だ。風も穏やかで陽射しも暖かい。昨日、東京から真鶴に戻って来た。1月2日にホスピスに入っている母を見舞いに行った後一度真鶴に戻ったのだが、5日に訃報が届き慌てて東京にとって返した。その後役所への届け出、通夜や告別式の準備とばたばたした。喪主も無事務め
前日に亡くなった母親の件で朝から区役所、年金事務所を訪れていたらすぐに昼時になった。こんな時でもお腹は減るんだと自分に呆れる。公園通り脇の路地にラーメン店を見付けたので入店した。「九月堂」と言う名前に惹かれた。東大寺の二月堂や四月堂が潜在意識にあったかも
昨日は東京に戻っていた。まあ戻っていたというより出掛けて来たというのが正しい感覚だ。正月なので渋滞や事故が多いと思い、車ではなく電車で出掛けた。真鶴から東京に初めて電車で帰った。正月もずっと真鶴で過ごすつもりだったのだけれど、姉から急に電話が入り、待ち合
本年の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
01. 10月08日 真鶴港外側02. 10月11日 真鶴半島 尻掛海岸03. 10月12日 真鶴半島 尻掛海岸04. 10月13日 真鶴半島 尻掛海岸05. 10月15日 真鶴半島 尻掛海岸06. 10月16日 真鶴港外側07. 10月19日 真鶴港外側08. 10月23日 真鶴半島 尻掛海岸09. 10月24日 真鶴半島 尻掛海岸10. 10
まもなく2024年が終わる。振り返れば辰年らしく年初の能登地震からずっと落ち着かない日々が続いた。まあ、一言で言えば糞みたいな一年だった。もちろん国民民主党の躍進とか、トランプの大統領再選とか明るい未来への萌芽が出た。清水寺の今年の漢字は”金”だと言うが、僕
もう色々な拘りは断捨離して良い年齢なのだけれど、長年の積み重ねの中で拘りの料理レシピが存在する。カレーは使う食材で作り方が違う。牛肉や豚肉、ラム肉を使う場合には、玉葱やニンジン、セロリを細かく刻んだりすりおろしてカレーソースを作る。基本的にはカレーソース
自分の調理技術の拙さを棚に上げて、おじさんは頸を傾げている。この頃の油揚げって、コシがないと言うかフニャフニャじゃない? 自分が購入している油揚げが安物のせいなのか、世の中の好みに合わせて全体的に柔らかくなっているのか。お稲荷さんなら分かるかも知れない。小
今朝も尻掛海岸の磯場に出掛けた。これで4日連続の釣行だ。暑いので脱水症のおそれもあるが、それ以上に疲れが溜まっているようだ。やっぱり齢には勝てない。明日は一日中部屋でのんびりしようと思う。今日は大潮だったが、釣果は冴えなかった。風浪が立っている時は根掛かり
今日の午後、健康診断で東京に出掛けていた管理人さんとロビーで出会った。東京はヒートアイランド現象でとんでもないことになっていると聞いた。アスファルトからの照り返しも凄いそうだ。歩いているとクラクラすると言っていた。まさに酷暑日だそうだ。酷暑日って何だった
朝食は和食膳を整えてしっかり食べているのだけれど、さすがにハムエッグには飽きた。だいたいハムエッグって和食じゃないだろうなんて今更呟くのは恩知らずではある。玉子焼きにも飽きた。医者は、コレステロールには悪玉と善玉があって、玉子には善玉コレステロールが含ま
普段はCatch & Releaseを励行しているのだが、昨日釣り上げたカサゴは持ち帰ることにした。前回釣り上げた尺カサゴは大き過ぎて調理する気にならなかったが、28cmならぎりぎり調理可能だ。このカサゴは不運としか言いようがない。下処理を済ませて、一日半冷蔵庫で寝かせた。
今日は中潮なのだけれど、5時から8時の3時間の間に90cmも潮が引いた。見慣れた磯場がまるで違う場所みたいだ。
暑い日には、釜玉風貉ぶっかけうどん。天玉うどんやけんちんうどんが好きなのだけれど、さすがに暑いと熱い汁のうどんは食べる気にならない。
昨日の朝は南西の風が吹いていたので、半島の東側に釣行した。何時もの真鶴港の外側の磯場だ。今朝は北東の風が吹いていたので、半島の西側に釣行した。何時もの尻掛海岸の磯だ。風まかせでうろちょろしているが、出掛ける場所は決まっている。僕を捜して欲しくないが、急用
かつカレーを食べようと思って、とんかつを揚げ始めた。揚げたとんかつを見て、カレーに添えるにはちょっと大き過ぎるかなと思った。自分の胃と相談する。今晩はかつカレーは止めよう。とんかつと芋フライをつまみにウイスキーを飲んだ。仕上げの一膳カレーは今朝食べた。
Facebookに知らない人から前触れもなく友達リクエストが入る。見るからにけばい女の子からの友達リクエストもある。こんなじじいに友達リクエストを送るのはどういう下心なのか、或いは女の子のフリをしたなんかやばい業者なのかと独り言をいいながら、拒否をタップする。Fac
本当は夕食にかつカレーを作って食べようと思っていた。でも冷蔵庫の中でずっと眠っている食材が気になっていた。牛蒡と長芋だ。他の食材と違って潰しが利かない。明確な意思を持って使う必要がある。あと鶏肉も中途半端に残っていた。ちょっと頭をひねって夕食の献立を決め
皆から離れて真鶴で好き勝手をやっているじいじの元にも、孫達の写真は届く。二人は時々喧嘩しながらも、相変わらずいつも一緒に遊んでいるようだ。孫Bは二歳年下だが、孫Aをにいにと呼ぶ時もあれば、名前を呼び捨てにすることもある。基本的にはにいにのやる事は自分もやれ
今年の3月、4月の峡北の渓流はまるで駄目だった。淵でも瀬でもまったくアタリがなかった。5月に入りようやくアマゴが釣れ始めた。● 渓流編01. 05月04日 塩川 下大河原橋・平橋近辺ちびあまご一匹02. 05月08日 塩川 下大河原橋近辺小型あまご数匹03. 05月10日 塩川 下大河原
6月も終わり明日から7月になる。写真では良く分からないが、目の前に30匹近いトンボが飛び回っている。トンボは秋の季語だが、実際にトンボが飛び回るのは6月から9月中旬だ。体色から判断すると、ナツアカネかミヤマアカネだと思う。大量のトンボの発生にほっとしている。ト
昨日の夕方釣り上げたアカハタを、下処理して冷蔵庫で一晩寝かせた。血抜きは完璧だ。今朝、ムニエルにしようかと思ったが、やっぱり塩焼きにすることにした。(椎茸くんと獅子唐くんは俺達だけバター炒めかよと言っている。)アカハタの極上の白身はバターなんて使わなくて
綺麗な朝焼けだ。カラスが目覚めて半島先端の”お林”から飛び立って行く。見下ろすと、もう3人のSUP釣師が”二番”から”釜の口”の脇で釣りを始めている。今日は午前中は曇り、昼前から小雨かな。
僕は麺喰い男で、中華麺、日本蕎麦、うどん、素麺、パスタ他、どれも大好きだ。温かい蕎麦を普段は食べないが、大抵の調理方法は受け入れられる。中華麺の料理で唯一食べないのは冷やし中華だった。もういい齢のおやじなのだが、人生に置いて冷やし中華は二回しか食べたこと
今日も天気が悪かった。冷蔵庫の中が寂しくなって来たので、午後遅く車でスーパーに向かった。僕は几帳面なので、道具類は使用中以外はあるべき定位置が決まっていて、そこに納めていないと落ち着かない。釣り道具の場所も決まっている。だが、部屋を出て車に向かう時に何故
伊賀のカバ丸ほどではないが、焼きそばが好きだ。外食でも食べるし、自分でも良く作って食べる。ただし、焼きそばパンは美味しそだが、栄養のバランスが悪そうなので遠巻きに見ている。外食では、具沢山の餡かけモツ焼きそばから、シンプルなソース焼きそばや素うどんならぬ
牛丼を作って食べようと思ったが、思いついて重箱を引っ張り出した。重箱にご飯と肉を盛り付けた。何だか丼に盛り付けた時より豪華に感じるし、美味い気がするから不思議だ。追記重ねないのに、なんで重箱って言うんだろう。
ずっと雨降りだったが、さっき止んだ。でも、再び降り出すかも知れない。今日は部屋でのんびりしている。ここのところ毎日磯場に釣行していたので、丁度良い休息日だ。足腰に疲れを感じるし、指先は結構ボロボロになっている。雨が降っても、燕の雛達はお腹が空く。雨の中、