立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・。我が家の芍薬も、植えてから何年になるだろうか、結構長くなるが、枯れずに今年も芽を出してくれた、もうじき花を咲かせてくれるだろう。芍薬の芽が出てくるたびに、一つ覚えの上の言葉が口を衝く。不思議なモノで、一生懸命に増やそうと努力して育てているユリについてはこの感情が薄い。が、いずれも花が咲きだすと「フム」で、いいものだ。牡丹は隣の家のソレをチラ見して「ヨ...
どこかで見たようだったが、名前は今のところ不明。遊歩道の地べたに這っていた。「踏みつぶされるぞ、あまりこっちに来るなヨ」これもどこかで見た気がしたが不明。調べたら、ジニンギア・マクロポダに似ていたが・・・。これはわかった、ヨウシュヤマゴボウだ。この写真は違う場所だが、家の脇を流れる小川にも毎年咲く。もう少し経てば強烈な赤ワイン色になって来る。これも毎年バイパス工事脇の畑中道にビッシリと咲く。庭に移...
注意して見ると、結構見慣れたモノもある。藪ハギ、でいいだろうか。紫式部も色がついてきた。この脇の川の中州には白もあったが、見当たらない。流されてしまったのだろう。オニグルミ。これも中州脇に実をつけていた。以前、川原整備と称してせっせと花などを植えていたことがあったが、オニグルミの木が1本自生していたのでそれを中心にまわりに秋桜などを植えていた。川の増水で傷めつけられたり市指定の業者に刈られたりして...
以前、愛犬散歩時に見る道端の雑草などの可憐な花や造形の凄さに圧倒されて驚き、「道端美術館」と名付けて絵日記に写真を添えて一言残していこうと思ったことがあった。私は“行き当たりバッタ”だから、すぐに実行した。いくつかは「道端造形の美と妙」としてこのブログに残したが、最近意識してヤメタのだった。「なぜヤメタか?」最近のある日、偶然にMさんのブログにお邪魔したら、なんと、溢れんばかりの道端等の野草雑草が出...
高砂百合の白が好きで、家のあちこちに咲いてくれと手を入れてきたが、これもそろそろ終盤だ。鉢に芽を出したものの一つをフェンスに架けておいた。マメに水遣りをしないとすぐに枯れてしまうので、ズボラな私にしてはマアマアよくやったほうだった。丈は短く細かったが枯れはしなかった。それが咲いた。嬉しいものだ。3色にチェンジするソーラー・ガーデンライトも気に入っている。白っぽいもの一色がいいかと迷ったが、これはこ...
お盆が過ぎると風が秋の気配をごくわずか運び、小学校の夏休みが終わり新学期が始まる頃になると季節は秋だなと思うようになってくるから不思議だ。昨日あたりから急に温度も下がり今日も過ごしやすい日となった。さて朝顔だが、玄関脇の柱にツルをたくさん巻き付けてやっと葉だけは増えて来たが、26日には正面に咲く花はなく、側面にはたったの一輪が咲いているだけだった。居間の窓辺には上部に花が増えたように見えるが、過ぎ行...
昨日、勇気ある夏祭りが催された。丘の上の館町団地だ。開発されてすでに半世紀以上経っている。300世帯強の団地だが今は児童の数も一握りだ。祭りはコロナで2年中止していたが、検討の末に実施することになった。「やはり子どもたちの喜ぶ顔を見たくってね!」とA自治会長は言う。いつもは夏休み前に開催していた手作りの祭りだが、時期を約1か月遅らせて実施した。秋に回そうという声も当然にあったが、「子どもたちへの、夏休み...
旅はいい。旅は面白い。未知との遭遇が、これまた、いい。旅先で「やや辛口かな?」などと言い、初めて口にする地酒もいい。慣れ親しんだ味でも、暑さ凌ぎに飛び込んだ店のビールなどは、いい。旅の道中で知り合いにバッタリ遭遇することなんかも、いい。「やあ!奇遇、奇遇」なんて言いながら、グータッチするのも、いい。先日、そんな出逢いがあった。旅先の某橋のたもとで向こうから犬を連れた女性がやって来た。見ていると、女...
だんだんと出不精になっている。座ったままで、旅することが増えてきた。汗もかかず、足も疲れず、コーヒーを何杯も飲みながらの快適な旅だが、眼が疲れる。そう、このところPCに向かってグーグルアースの旅が増えてきたのだ。元々地図を眺めることが好きだったから面白くて仕方がない。以前もGEは活用していたが、それは名所旧跡寺社仏閣の類を中心としたピンポイントの検索が多かった。それが最近利用範囲というか頻度が広がって...
わが家の今年最後の百合が咲き出した。この種類の百合の白が好きで、ポツンポツンとあちらこちらに植えている。芽が出たら良く見える位置や鉢などに植え替えたりしているものもあるが、なかなか難しい。ヒョロヒョロと細い茎だけが伸びて一巻の終わりというものもある。茎も太く、これはもう大丈夫、これが一番先に花開くかな、などと思っていたものがあったが、実際に咲いた一番手は違った。庭隅の木陰に2年前くらいから咲いてい...
鎌倉まで戻ってみたが、その先まで行きたくなった。逗子、葉山、佐島,などの先に長井町(漁港)があり、かつて海岸沿いをズーッと歩き回ったことがありそんなときのことを思い出した。(なにせ、来月末の術後検査が終わるまではと弱気になっており、出不精になっているものだから、と言い訳をしつつ・振り返る・・・)長井は三浦半島西側では最も早くに集落が出来た所で、江戸への海上交通の要衝地であり漁港としても賑わったと言...
何万年前という話はいったん終えて今に戻るが、いきなりはまずいので、縄文の尺度だがまず1か月ばかり前の話に戻って、つまり“鎌倉殿・・”あたりから“慣らし運転”して現地点への復帰を果たそう。1203年に比企能員が死に、2代・頼家が伊豆に追放され、頼家の弟・千幡改め実朝3代の時代に。1204年、頼家が暗殺されて、翌1205年に畠山重忠が謀略により滅亡、義時の父母、時政と牧の方が修善寺に追放される。ようやく力ある御家人が整...
気が遠くなる年月だなあ!と、ただ驚き感心するばかりだ。「今から2万3千年前の釣り針が見つかる」と2016年の某新聞に出ていた。フゴッペの写真ファイルを見ていたら記事の切り取り写真がそこに貼り付けてあった。日付も新聞名もなかった。最初は「おっ、何で国旗が?」と目を引いたものだ。 1万3000年前~3万5000年前、貝類の遺骸が途切れることなく堆積している地層も発見された。食用にした貝類だという。沖縄・サキタリ...
時空を超えて・2・フゴッペ・大海原も越えて・・・Vol.2884
ドイツWの平成18年、2006年ころは遺跡などに魅かれていたようだ。12月には佐賀の吉野ヶ里に行き、前年の夏8/5には北海道は余市のフゴッペ遺跡に行った。さらに前年の2004年9/30にはブログ前号の是川遺跡に寄った。さてフゴッペだが博物館などを観て、フゴッペ洞窟壁画などに驚き、裏山に登った。北海道といえど真夏、額から汗が滝のように落ちてきたことを今もはっきりと思い出す。山の名は西崎山、環状列石ストーンサークル...
時空を超えて・火の玉がやってきた1・是川・・Vol.2883
“時空を超えて“・・いい響きだ。BSフジTVで14日に「北海道・北東北の縄文遺跡群~時空を超える旅」と題してルーツとロマンを求めて中川翔子が追いかけていた。この地域の環状列石や貝塚など多くの縄文遺跡が世界遺産に指定されていて、その数の多さに驚いた。かつて、縄文時代のおおらかさやダイナミックさなど、折に触れて土器などが紹介されたり見たり読んだりしては魅かれていたことがあったが、熱しやすく冷めやすくもあり...
先日、同じ市内だが少し遠くに住む知人夫婦が大きな桃を2つ持ってやってきた。「数が多いと“お返しに・・”などとなるから、2つだけにしました」と言いながら。世間話の中で「今年はミョウガがまだ出ないのよ」となった。「エッ、お宅も!」と私。実は我が家でも今年は全然茗荷が採れていないのだった。28年前のこと。田舎から親父がやって来た。「茗荷は土を選ぶから、うまく根ツクといいが・・」と言いながら田舎から持参の茗...
送り火を焚き、今年のお盆が終わった。昔はお盆のころになると、ザワザワとしてきて何かと忙しいものだったが、このところ静かなお盆が続いている。もちろんコロナの影響だ。来年こそはにぎやかなお盆を迎えることができるだろうかなと願っている。迎えられる側になる前に、もう少し、ワッハッハ、アアダこうだと酒などを交わしたいものだ。ノウゼンカズラは相変わらず花をつけ、朝顔はようやく何輪か咲き出して来た。 令和4年8月...
世の中は不思議で満ちている。子どもでなくても、ホント、そう思う時がある。MINAさんがブログで「カワラナデシコは私の誕生花なんです」と書いていた。なでしこジャパンや大和撫子はなじみがあったが、カワラナデシコはピンとは来なかった。今まで「ナデシコ」でひとくくりにして過ごしてきていたのだった。成程そうだったのか、となった。いつの頃からか、わが家でもナデシコが咲いている。可憐で楚々として好きな花だ。今年はす...
楽しい嬉しい、いい話、ではなくて恐縮。エッ、と言うような話や思い出したくもないような話がゾロゾロと出てくる。どこかで見たような顔・どこかで聞いたような名前だなと一瞬頭を過ぎった。「東京24区・八王子から・・・」とTVの声が続く。すぐにわかった、あの女性だ!と。念のため、ネット検索をしてみた(暇なもので・・・)、間違いなし!だった。2017年は八王子市政100周年の年だった。大正6年(1917年)から100年が経った...
夏は好きだ。ドキドキ、ワクワクする。コロナが始まる前の年の今頃の雲だった。子どもの頃は、こんな雲を目にすると、「さあ、泳ぎに行くか!」と出かけたものだった。海のない山育ちだったから、川へ泳ぎに出かけた。家近くの小さな川ではなくて、八丁地川まで20分ばかり歩いて通ったもんだった。この川はやがて鹿曲川に合流し、千曲川に至る。今思えば、こんなにも小さかったのかと驚くが、小学校時代は大河だと思っていた。大き...
無知と偏見、貧困の連鎖と暴力、などの言葉が次々と頭に浮かび、やりきれなさに包まれる。某編集者の孤軍奮闘ぶりに絆(ほだ)されてカバーや本文デザインなどを手掛けたという友人IMが関わった『復帰50年 沖縄子ども白書2022』(かもがわ出版)が刊行された。 上の写真は本の口絵で使われている返還前のものだが、この竹馬登校を見て、返還2年前に沖縄へ行き同じように満潮時の海の中を西表島の由布島へ歩いて渡った時のことを...
N宅へ用事があって出かけ、帰りには畑中の道を通った。愛犬との散歩でも時々通るが、一人歩きはまた格別な感じがして、これはこれでいい。ふと見るとブルーベリーが熟し始めていた。何年か前に畑地として分譲した一角だ。皆さん、野菜や花づくりに熱中している。たまに奥さん連れで畑仕事をしている方もいるが、不思議とこの一角は男がほとんどだ。そのうちの数人がブルーベリーも育てている。近所のTさんは、家の庭でブルーベリ...
8月に入っての3日間はうだるような暑さが続いた。4日からは雨模様の日が多く少し過ごしやすい日々が続いている。その、うだるような暑さの直近最後の日だったから、3日だったろうか。日中よりはまだましと黄昏時に愛犬との散歩に出た。汗がにじみ出る。舗道はまだ熱かろうと愛犬の素足を心配するが、履かせている人と会ったこともないが私も靴をはかせるタイプでもない。草地のある三角公園に寄って、早々に引き上げようと川沿いを...
先日、馴染みの病院の向こうに陽が沈んで行った。午後6時半だ。入院していた頃の夕食は6時からだったから今頃は食べ終えたばかりの頃だ。翌日ほぼ同時刻、病院の北側を流れる湯殿川沿いから病院を見上げた。川は病院の北側の崖下に沿って流れてきて、赤い欄干の向こうでカーブしてこちらに流れてくる。辺りは6月にはホタルが飛び交う。欄干の手前こちら側左に御霊神社がある。1か月ほど前に看板が張り出されて、夏祭り祭礼を今年は...
東村さんも朝顔のことを書いていて、最近お邪魔させていただくようになったMINAさんもブログに素敵な白と青の朝顔を載せていた。友人のIMは植物ではない朝顔を載せていて、そういえば最近すっかりこの形のもののお世話にはならなくなったなあなどと、感慨に耽っていたのが昨日。夜来、小雨。朝起きて窓を開けたら、青一輪、咲いていた。我が家の朝顔もやっと咲き出した瞬間だった。あいにく、朝日を浴びてではなく、小雨の中だった...
小池に架かる小橋の上に立ったら、何かが視界を横切った。「ン?」と追ったらシオカラトンボだった。「おお、今年初だ!」「止まれ、止まれ」と念じたら、コンクリートの橋桁に留まってくれた。ここは、某団体の敷地内にある小池で、昔は蓮の花などが咲き美しかった。蓮の花の時期は過ぎたが、今はどうなっているのだろうかと気になって覗いたのだった。残念なことにすでに蓮は皆無でガマ(の穂)に征服されていた。以前は整備する...
「あれは何だ?」と人が問う。それほど昔の人じゃない。道行く人が何か手にしてジッと見ながらいじりながら歩いている。スマホだ。若い女性はさらに小型扇風機も持っている。これは「団扇や扇子と同じですよ」といえば「フーン」と何となくわかってもらえそうだが、スマホは昔の人への説明はチョットむずかしい。スマホを手に持たない若者でも、何か一人でぶつぶつ呟いている。最初に出会ったときには驚いた。アブナイ若者かな?近...
好奇心旺盛でまだ若かったころ、立ち寄った店がある。江の島に通じる道脇右下近く、小路があり店などが数軒あった。先が片瀬漁港だ。海岸大通りを茅ヶ崎方面に向かって左側、水族館より手前にその小路の入口は在った。「美味しいよ、機会があったら行ってみたら」と行きつけのA定食屋の親父が言った。店の名も何を食べたかも今はもう忘れてしまったが、昨日そばを通って思い出していた。通り過ぎてから「今もあるだろうか?」など...
鎌倉から江の島方面に向かって海岸沿いを走った、車で。長谷観音の長谷駅近くの信号で停まり、青になって動き出したが、もう私の前の車は前方のカーブをとっくに回って姿が見えなかった。この道は昔よく通った道だ。ここらあたりから混雑することも多く、海辺の道をそれて極楽寺坂を越える道を選んで走ったことも何回かあった。そんなことを思い出していた。鎌倉パークホテル前を過ぎ稲村が﨑手前の登り坂あたりで前を走る車に追い...
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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・。我が家の芍薬も、植えてから何年になるだろうか、結構長くなるが、枯れずに今年も芽を出してくれた、もうじき花を咲かせてくれるだろう。芍薬の芽が出てくるたびに、一つ覚えの上の言葉が口を衝く。不思議なモノで、一生懸命に増やそうと努力して育てているユリについてはこの感情が薄い。が、いずれも花が咲きだすと「フム」で、いいものだ。牡丹は隣の家のソレをチラ見して「ヨ...
誕生日前後、4月中旬から昨日アタリまでの我が家のつつましい庭の花々だが、振り返りつつ集めて一覧ポクしてみると結構賑やかでひとり悦に入っている。一週間ばかり前は、今年は鈴蘭の芽が出てこないなあ、百合の球根などを植え替えたりした時にぜんぶ掘り返してしまったのかなあ、それにしてもスズランはあちこちに分散してあったはずだが全部出て来ないのはおかしいなあ、などと心配していたものだったが、先日一斉にあちらこち...
桜が散って新緑に替わる頃は、地上では花々が一斉に咲き誇り、いつの間にか散り新たな花が顔を出す。狭い我が庭でも同じだ。手ごろな野の花のようなものだが賑やかで楽しませてくれる。後しばらくは続くことだろう。水だけはせっせと撒いている。他の花の邪魔をしているツユクサの葉などは適宜むしっている。夕べの止まり木が欠かせなくなってきた。薄暮からやや暗くなってくる外の空気や気配がいい。が、昨日はやられた。やはり例...
ついこの間のように思ったが、もう4か月ばかりが過ぎていた。森の中のジェラード屋さんに行って来た。お店の庭の一角に無人のとれたて野菜直売テーブルがあり、ちょうどこの場所を借りている農家の主が一束100円の野菜を並べにやって来たところだった。野菜が萎れないようにテントを張り出した。孫がテント張りを手伝ってやったら、お礼にとネギ一束をくれた。妻は手伝わなかったので、ネギ2束と今年そろそろ最後だといわれたノラ...
先日古木の苔むしたウロの中に咲いているスミレをやはりIMのブログで見て驚いた。多分同じ種類のスミレだろう、私も偶然見つけて写真に撮っていたのだった。私の場合は場所が違って普通の道端だったが。椚田公園脇、車道と歩道を分けるガードレール下に健気に咲いていた。ガードレールを見ると車が擦った痕がある。「おお、危なかったあ、よくぞ踏まれず敷かれず、たすかったなあ!」と感心したものだった。それから数日後のこと...
ちょっと足を延ばしただけで、オオとかマアとか、ちょっとした驚きに出会うことがママある。気分が和らいでちょっと幸せな気持になる。「せれんでぃっぴてぃ!」だ。清滝の古木桜との別れは、新たな言葉との出会いでもあった。言葉を覚えたての幼児のように頻繁に発している。京王線「高尾山口駅」前の駐車場に車を止めた。手前は満杯で奥の氷川神社脇へと誘導された。異邦人が多い。多くがきちんと2礼2拍1礼をしていた。なかに一...
おまけとセレンディピティはまだまだ続いた。ケーブル乗り場の切符販売窓口に向かって右側を外に抜けると階段がありリフト乗り場へと続く。陽だまりの中から見慣れたミツバツツジのピンクとヤマブキの黄色が微笑んでいた。階段を少し登って左下を見るとケーブルカーが上から戻って来た。しばらくして、また山へと登って行った。 きょうはここまで、と後にしたのだった。令和6年4月17日(金)、あれからもう1週間ばかりが過ぎ...
過日、高尾山口ケーブル「清滝(きよたき」」駅前ひろばの古木桜に“お別れ”をしてきた。このような時は得てしてグリコのようなとでもいうか“おまけ”があるもので、やはり、あった。その時はまだ知らなかったが、あとで知った言葉で言うと“セレンディピティ”がピッタリのようだ。高尾山口の三角屋根の下、ケーブル切符売り場がある構内、柱に高尾山名所図絵的な写真がいくつか貼られていた。大方知っている場所や花だったが、一つだ...
オッと思う言葉やモノなどに出会ったりすると深く考えもせずにすぐに飛びつく。使って見たくなったり、人に話してみたくなったり、している。昨日の夕べは「セレンディピティ」から始まった。ブログにIMが書いていた。語源から映画「パリで一緒に」で使用されたシーンまで綴っていた。最後に映画の中でオードリーヘップバーンがユリを見て「せれんでぃっぴてぃ!」と言った、で締めくくっていた。私はヘップバーンのフアンだったか...
一番近い神社の桜、御霊神社の遊歩道脇。今年の4月11日。去年も同じような位置で撮っていたが3月28日だった。一番近い公園の桜。O公園。4月13日。開花は3月31日だった。 今見れば、そよ風に花ビラが待っている。優しい桜吹雪だ。令和6年4月15日(月)、穏やかな春の一日になりそうだ。近所の桜日記もなんとか、散る前に終えることが出来た。これでよしっ。アオニヨシ・・・。立って見れば、目の高さ以上に見える木々もすっ...
駆け足になってきた。今年は近所の桜の満開を、この日記に残しておこうと少し気合が入っている。とは言っても愛犬との散歩ついでなので、時期を逸してしまった桜もいくつかあるが。散って気持ちが萎える前に、あとわずか・・・で、がんばってる。一番近い小学校の桜と2番目に近い小学校の桜。20240411~0414まず、一番近い横山第一小学校。学校の左上に1本見えるのがS家の桜。そして2番目に近い小学校の桜。椚田小学校。両校とも...
薄曇りから晴れて来て絶好の“止まり木での一杯”の季節がやって来た。まずは、ビールだ。冷蔵庫を開けると“晴れ風”がある、名前よしっ!で、これでまずは一杯とした。ツマミも、先ずは止まり木脇に生えている傍らのノビルとした。移植したノビル畑のモノはまだ太っていない・・・。止まり木の上は食べ物以外でにぎやかだが、花もサカナだ。珍しくプーキーも膝の上に乗せろとやって来た。チューリップも美しい。準備OK。 やがて...
人も木々も去る時が来る。高尾山の入り口というか登り口あたりを清滝というが、この広場の真ん中に桜の古木がある。この桜も、いよいよ時が来たらしい。清滝の桜だ。先日、知った。病気と老衰のため、泣く泣く切らざるを得ないというのだった。「今年伐採します。見納めです」というので足を運び11日に“お別れ”をしてきた。 久々だった。このところ久しく高尾山には来れていなかった。ひところの賑わいが戻ってきたよう...
当然だが、撮る女もいる。最初見かけたときはポーズが決まっていたが、「邪魔だよ」という声で彼女は横によけて姿勢が崩れた。犬を連れた年配の男の声だった。カスハラというのか、病院やコンビニなどで、大声を上げ店員を叱責するものがいるが、大きな声ではなくつぶやくようでもあったが、それと同じような奴だなと思った。が、「おいッ、その言い方はないだろう!」とは言えなかった。犬を飼うものとしてもはずかしく情けなかっ...
川に入っている人がいた。ここらか、と思案していた。そしてしゃがんだ。やがて中州に上がり、バシッとポーズを決めたのだった。やや経った頃、橋上から下流を見たら、土手をよじ登っている男が見えた。あの決めたポーズの男だった。長靴で分かった。決めていた時とはちがって、歳を感じさせ、やや危なし気に見えたが転がり落ちもせず、何とか登り切っていた。ヨシッ、だった。令和6年4月12日(金)。“男シリーズ“2024年度0410...
3枚目の写真の右側には市民プールがある。これだ。だいぶ昔の話だが、ここに来ると思い出す。子どもが小学生の低学年ごろ、夏にはここに良く連れて来たものだった。私はプール脇にごろごろしていたものだった。令和6年4月12日(金)。...
ここには毎年来る。なるべく満開の頃をと思っているが・・・が、必ずしも桜が満開の時とは限らない。ひとつは車屋さんがこの近くに在るからで、車検やら各種点検やらでやってくる。もうひとつは毎年ではないが、免許更新で高尾警察までやってくる。警察署の裏が南浅川で桜並木が広がっている。一昨日10日はその両方の日だった。まずは午前中に免許更新。あっという間に終わった。15分弱で新しい免許証をいただいた。まだ人様に迷惑...
桜の花びらも1枚2枚と散り出すなか、幸い今は人もいないから「すわってみるか?」でプーキーがベンチに乗ってみた。そうこうしているうちに人の流れが賑やかになって来た。ジョギングで通り過ぎる人、ベンチを見るが素通りする女性、座らない人のほうが多いが、それでも座る方もいる。2人、3人とアカの他人のようでもあるが、ベンチ仲間かもしれない。見上げればあとで背後の広場から下のベンチを覗いたら4人に増えていた。お年寄...
川沿い、遊歩道、次の橋まで適度な距離間隔、川の南には人家はほとんどなくて農作地が広がる、上流を望めば高い山並みも見える。晴れて青空が見えればさらにいい。老若男女、善男善女、あるいは悪男悪女もいるかもしれない、が、みなウキウキして歩きたくなってくるようだ。この一本桜辺りでは、なぜか立ちどまって他人同士が、一人二人とフェンスに寄って、語らっている風景が目につく。少年たちも元気だ。「こんちは!」と声をか...
一本桜の背後は広場になっていて「小比企(こびき)まちのひろば」という名前がついている。ベンチがあるだけののんびりした広場だ。広場から湯殿川上流を眺めると丹沢山系、蛭が岳などが目に入って来る。右端にクリーンセンターの煙突も見える。このあたりの湯殿川の南側には農作地が広がっている。貸農園もいくつかある。TVなどでも時々取り上げられる「中西ファーム」もここにある。川の反対側にも、少し有名な「磯沼牧場」な...
新緑少し前の裏山の林の小道も快適だった。裏山の尾根伝いに市道が走っている。昔は集落をつなぐメイン道路だったともいうが、今は面影もなく通る人もまばらで静かな散歩道となっている。畑を横切って林の中に道は続き、150mばかりでバイパス工事に突き当たり道は分断され付け替え道路で南側にある下の集落に降りるようになっている。この突き当りには、市道とは別の小道が突き当たっている、北の集落から登って来れる山道だ。コ...
藤の花もそうだったが、テッセンもそうだ。最初に意識したのは近所の家の庭だった。「おッ、大きいなあ!」と足が止まった。青い大きなクレマチスが咲いていた。こうなると次から次へと青いテッセンが目に飛び込んでくる。川沿いの橋の近くの家にもあった。普段は無口でとっつきにくいおばあさんが花の近くで日向ぼっこをしていたので、黙って花だけ眺めて通り過ぎるのもなんだしと思って思い切って声をかけた「綺麗ですねえ!」と...
時々、と言っても2,3年に一度くらい、この土手を撮りたくなる。緑の雑草に覆われて、土手上には青空が広がる。無限に続きそうに見えて、心が吸われて行きそうになるからいいのだろう。先日は、青空ではなかったが土手にビッシリとクサノオウが咲き、手前下の土手脇にはツツジが咲いていた。これは誰かが手を入れているようだ。令和5年4月25日(火)、曇り。この土手脇の小道は時々通っているが、普段は写真は撮らない。撮るときは...
一昨日は、大きな夕日が景信山に落ちて行った。手前にある木々の枝の間から見えたから余計に大きく見えたのかもしれないが、「明日は良い場所で見よう」と思ったほど大きかった。そして昨日の午後6時ゴロ、意識はしていたのだが、野暮用が入ってしまい車で出かけざるを得なかった。家に戻ったのが6時半。すでに陽は当然に落ちていたが、あたりはまだボンヤリと明るかった。随分と陽が伸びて来たものだなどと思っているうちに、あた...
ひとつ見かけると次から次へと出てくるものだ。正面に在れば別だが、上とか遠方に在ったりするとますます気がつかないままに通り過ぎることも多い。違うことを考えていて周囲に気を配って歩いていないことも多いのだろう。藤にご執心であれば気がつかないなどということもないだろうから、それほど藤の花を愛でるというような者ではないということかもしれない。が、先日「アツ、滝のようだ!」と発見してからというもの、やたらと...
萌え出ずる春もあっという間に過ぎ、なんともいえない柔らかな新緑に覆われていた大地も濃い緑に変わって来た。地表の草も空に背伸びする木々もすっかり落ち着いた緑になって来た。公園の林の中も光がないと黒い森で心寂しいくらいの時もある。そんな時、林の切れ目の小さい広場に陽が射し込んでくる瞬間に出会うと嬉しくなってくる。陽の当たる木々の緑も、新緑の時の色を思い出したかのように柔らかな緑色を見せる。いいもんだ。...
いつもとは逆のコースを歩いた。大通りの緩い坂道をY団地方面にブラブラと進んだ。左に貸し農園(畑)が広がる。“ヨイショ、ドッコイショッの男”はいるかな?などと思い出して、彼が以前畑仕事をしていた辺りに目をやった。当然のように居なかった。あの時は満開の桜も男の向こうに咲いていて目を見開いたものだったが、当然もう花のカケラもなくてすっかりと青い緑の木のかたまりとなっていた。おどろいたのは、その緑の桜木の後...
道路でも建物でも建設関係などには詳しくないから、見ること聞くことが楽しい。近所にはバラバラな場所に3軒家が建った。最後の1軒が昨日雨の中だったが、やっと足場が外れて全貌(外見)を現した。2軒は住人が決まっているようだが、1軒は新住人を募集中だ。土日と祝日には不動産業者が飛び込み客等の案内対応用にだろう、新築物件前で待機をしている。時々新住人候補を案内したりしているが、誰も来ない時もあり、つくづく「待ち...
咲いた咲いたのチューリップ、なぜか今年は花開いたものは少なかった。遊歩道脇で見事なチューリップの花園を育てているKさんの指導どおりに、咲き終わった後しばらくして茎が枯れかかってきたら球根を掘り出し、編ネットに入れて風通しの良い日影に吊るし、10月下旬にまた土の中に戻す、とやったはずだったのだが・・・・。球根を大きく育てなかったか肥料不足だったか・・・。他の植物が密集過ぎて栄養を取られてしまったか、快...
昨日午後、イトーヨーカドー裏というか、南にある坂道を下った。降りきると住宅街の南端に沿って湯殿川が流れている(写真では見えていない)。写真右(高尾山方面)=西から、東に川は流れている。湯殿川の南側は崖になっていて、崖の上には医療センターが建っている。去年はここに入院していた。医療センターの向こう側=南側は、今バイパスの工事中だ。やはり右(西)から左(東)に走っている。先日は、ここにも定期健診に行っ...
分かるだろうか?昨日は眼科の定期健診の日で、午前に出かけた。「瞳孔を広げますから、車を自分で運転して来ないように」というので妻に送ってもらった。帰りは天気も良いので気を付けてブラブラ歩いて帰ることにした。「おお、そうだ、真覚寺を通って帰ろう」となった。寺は医院からは歩いて6~7分の距離だ。交差点を越えて角にあるスーパーを通り過ぎてガソリンスタンドの角を左に曲がると寺が見えてくる。池の上に垂れる緑が...
プーキーも日中散歩は暑くて閉口していたが、公園の草むらに出れば、適度の木陰もありやや過ごしやすいのだろう。誰もいないのでリードを外してやるとご機嫌そうに飛び跳ねている。令和5年4月13日(木)、快晴。...
愛犬との夕刻の散歩道のひとつ、南にある公園から公園下の大通りに向かう遊歩道、脇にツツジが咲きだしていた。「早いなあ」と思ったのが10日のこと。よく見ればあちこちに咲きだし始めていた。今日見れば我が家では早咲きの庭の躑躅が一斉に咲き始めていた。令和5年4月13日(木)、快晴。...
庭や道端、野山が一気に緑に包まれてきた。若干の早い遅いはあるが、毎年同じように、梅が散り、桜が散って、その間準備していた新緑が一気に溢れてくる季節になった。木々によって緑の濃淡が違うのもとても味わい深い。射す陽の強弱、朝夕によっても同じ景色が違って見える、これもいい。近所の公園の藤も、少し離れたところの公園の躑躅も、負けてなるモノかとばかりに咲き出して来た。やや離れたところにあるメタセコイアにも新...
ワクワクさせる、胸を騒がせるモノ、その正体を知らない方がいい場合もある。が、この場合は当てはまらないような気もするなあ、そんなことを宅地造成中の崖の上で思っていた。富士山の頭がわずかに見れただけで、なにをそんなにはしゃぎ、なぜ、そんなにうれしいのだろうか?・・・・と考えたのだった。結論は、それは美しい富士山を知っているからに違いない、凛とした姿、聞いて憧れて、実際に見て、さらに感動する富士山、それ...
今日の午前散歩は、また私の意志を示した。家を出る時にはプーキーの意志にまかせたが、つまり私は新緑散歩ならどこでもよかったのだが、川沿いに出て少し進んだところで、今日のプーキーの行きたいコースが分かった。まずは川北の段丘に上がって遺跡公園まではプーキーの自由にさせた。通常とはそれからが違って、私に従ってもらったのだった。段丘に上がるのだったら、昨日見た宅地造成の崖上に再度立って見ようと思ったのだった...
新しい生活。を、始める人向けの宅地造成が進んでいる。湯殿川に沿って北側を走る段丘の上に建つ小学校、その南側にちいさなブルーベリー農園などがある一画。その南側斜面は急な崖だ。今、その崖が整地され宅地造成中、戸建てで20軒くらいは建ちそうだ。崖上にはさらにアパートかマンションが出来そうだ。その崖上からは西南西に高尾山が見えている。今は、春霞に煙る高尾山といった風情でとてもいいが、やがてこの位置からは見え...
縁というか、めぐり逢いというか・・・縁は異なもの不思議なモノともよく言うが・・・。チョッとしたことからつながりが出来て“面白いモノだなあ”“味があるなあ”などと感心することがある。「だからどうした?」と言われると困ってしまうが、ただ、わずかな偶然に驚くことが時にはあって、それは私にとっては少し愉快なことで、誰かに話したくなってしまう。写真が楽しみなことと蓼科がなつかしくて、毎日のようにお邪魔するブログ...
連れ、というか相棒というか、仲間というか・・・・。遊歩道の70mばかり先に人が一人いた。ちょうどさくら並木が始まるあたりだ。ソメイヨシノは散って八重桜が咲き始めているあたりだ。しかしその御人Xは上の桜を見上げるでもなく何か不審だ。背中には何か青い筒のようなものを背負っているようでちらちらとソレが見え隠れしている。危なそうだなあなどと少し思って「プーキー、ゆっくり行くとしよう」などと犬に言っていると、...
コロナで志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなった時は、正直なところ恐怖を感じた。やや時が流れ、不確かながら状況もだいぶ分かってきたような気になり、不特定多数の密集の中以外では、マスクは必要がないかなと思うに至っている。住んでいるところは、東京といっても田舎の田園地帯と言ってよいような人の少ない所だ。愛犬散歩もブラブラ歩きもマスクなど必要がない。さすがに当初は、川沿いの遊歩道を走る人たちが増えたので...