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MORI MORI
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2015/11/22

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  • 冬に似合うジャズアルバム。キャットの定盤(番)、ホットウィスキーと共に

    以前、『冬のうちに書くつもりが、春になってしまった「ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件」』でデューク・ジョーダンの『フライト・トゥー・デンマーク』などを紹介したが、意外と冬をテーマにした曲は少ない。しかし、クリスマスとなると、ジャズの名曲、名演奏はいきなり増える。いつのクリスマスだったろうか、春樹さんに誘われて国分寺の北口へクリスマスのジャズ・アルバムを探しに行ったことがあった。買ったのはフランク・シナトラのアルバムだった。そのアルバムは持っていないけれど、後に息子達が小さな頃に、『White Christmas』というオムニバスの二枚組のCDを買って、クリスマスになるとよく流した。ビング…

  • 秋に似合うジャズ。ピーター・キャットでかかっていたあの名曲

    まったく想像を絶する世界に我々は住んでいるようだ。2014年8月26日、東電の記者会見によると、福島第一原発からは、毎日海へストロンチウム50億ベクレル、セシウム20億ベクレル、トリチウム10億ベクレルが漏れ出ているそうだ。大気中へは、毎日2.4億ベクレル。これとてとんでもない数値なのだが、海への汚染は桁違いに酷いということになる。東京湾の汚染も、今年が最大値になると言われている。なのにテレビでは、太平洋沿岸の魚介類を使ったグルメ番組が放映され、近所の異常に安い回転寿司のチェーン店は週末など満員である。愚民化政策の賜物だろう。多国籍企業と優生主義者の思惑通りに人類滅亡の瞬間が近づいているわけだ…

  • 春に似合うアルバム。私の一推しはこれ。『April in Paris』

    70年代当時の東京の冬というのは結構寒くて、雪もよく降った。なにせ原発が三基しかなくて発電に回る二倍という膨大な量の温排水が殆ど無かったわけだから当たり前だ。ところが2014のこの冬は一基も稼働していないせいか、はたまた地球がNASAの言うように太陽活動の低下によってか、恐らくその二つの相乗効果だろうが、厳冬の上に歴史的な豪雪に見舞われた。いつまで経っても信州の里山には残雪があり、春は来るのだろうかと心配したが、3月下旬になって一気に春めいた。こうなると信州の春は気ぜわしく忙しい。梅、杏、桜、山桜、桃、林檎と一気に咲き抜けていく。信州の春は短い。 ◆ 国分寺ピーター・キャットの春というのは、や…

  • 春樹さんと本と学生時代に読んだ本について。僕は自転車と雑学が好きだった

    「村上夫妻の三角地帯からの引越し」 で書いた様に、春樹さんの引越しの時に驚いたのは、その蔵書の多さだった。手伝った皆で、これは小さな古本屋が開けるよねと言いあったものだ。それに感化されたというわけでもないが、私も本の虫だった。本の虫って面白い言葉だな。書痴、蔵書狂、愛書狂などともいう。ビブリオマニアは、書物蒐集狂、蔵書狂、 愛書狂などとも言われ、本を熱狂的に愛する強迫神経症の人のことだが、私も若い頃に雑誌の創刊号集めに走ったことがあるので、人のことは言えないが……。 ジャズ評論と映画評論の故植草甚一氏は、 蔵書が4万冊だったそうだ。筋金入りのビブリオマニアだね。LPも4000枚だったそうだ。こ…

  • 77年の3月、羽田空港からロンドンへ、空中分解しそうなアエロフロートで飛んだ。Queenよ永遠に

    村上春樹夫妻に色々悩みを打ち明けていた時に、「こんな狭い日本でうじうじしてないで、海外でも歩いてきなさいよ」と言われたことがあった。まあ、そんな助言もあって、私は77年の3月大学3年の春休み、アルバイトで貯めたお金や亡き祖母が私のために貯めておいてくれた預金等を元に、目出たく羽田空港からソ連のアエロフロートでロンドンへ旅立った。モスクワ経由のアエロフロートを使ったのは一番安かったから。しかし、後方の窓際の席だったのだが、なんと隙間風が入って来るのだった。雲海が遥 か下に見える高度になると、隙間風の入る辺りのガラスに霜が付いた。隣には日本人の彼女にプロポーズしに行ったが、父親に外国人に娘はやれな…

  • 夏に似合うジャズアルバム。「ピーター・キャット」の気怠い夏

    最高気温36度の信州で書くには絶好のテーマかもしれないが、脳がメルトダウンしている。暑すぎるせいか、例年より早く妻女山山系のオオムラサキもほとんど姿を消してしまった。翅がボロボロになってもまだ求愛ダンスを続けるオオムラサキのペアを見て、荘子の『斉物論』にある「胡蝶の夢」という寓話を思い出した。荘子が夢の中で蝶になり、空を舞って楽しんでいると目が覚めてしまう。すると、自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て自分になっているのか、どちらか分からないという話だ。夢と現(うつつ)の区別がつかないことの例えや、人生の儚さの例えである。大発生したかと思うと、アッと言う間に姿を消す生態や、蝶の予測できない…

  • 70年代の学生の自炊と外食。つまり食料事情について。抱腹絶倒の物語

    70年代の平均的な学生の一人暮らしというのは、たいていが四畳半か六畳のモルタルアパートだった。三畳に住んでいた強者もいた。賄い付きの下宿というのもあったが、数は少なかった。部屋はたいてい畳敷きで、小さな台所とトイレが付く。水洗がほとんどだったが、郊外ではまだ汲取も少なくなかった。 ワンルームマンションなどまだない頃だ。携帯はもちろん、電話も債券が高かったので入れているのは、クラスでは金持ちの芦屋出身のお嬢さんぐらいだった。 だから友人の所へも突然訪ねていったりした。不在ならそれまで。面倒だが束縛もなかった。その辺の犬や猫の様な暮らしだった。携帯がなかった当時、デートの約束等、皆どうしていたのだ…

  • 春樹さんがいう地下室に下りてみよう。『僕たちは再び「平和と愛」の時代を迎えるべきなのかもしれません』村上春樹

    3.11以降、実質国土の三分の一が失われたというのに、東京湾はもちろん北太平洋もほぼ死んだというのに、この国のテレビは相変わらずバラエティやグルメ番組を、まるで何事もなかったかのように垂れ流し続けている。戦後、CIAが持ち込んだ愚民化政策は脈々と続いている。日本人はすっかり洗脳されてしまった。日本人ほどマスコミを無条件に信じる国民はいない。情報弱者と安全性バイアスにかかっている人はもちろん、放射能の話をタブー視するようなダチョウ症候群にかかった人は生き残れないだろう。村上春樹さんのファンの中で、彼の「カタルーニャ賞受賞スピーチ」の全文を読んだ人はどれほどいるだろうか。彼は「効率」という上品な言…

  • 国立ロンド(輪舞曲)。亡き王女のためのパヴァーヌ

    「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴くと、なぜか晩秋の大学通りを思い出す。桜の葉が色付き風に舞う。枯葉の間から木漏れ日が挿す。散歩中の少女が子犬と戯れる。ラヴェルがルーブル美術館でベラスケスの「マルガリータ王女」の肖像画を観てインスピレーションを得たとされる名曲。大学通りから一橋大学のキャンパスに入り兼松講堂へ、サド・ジョーンズ&メル・ルイスのビッグバンドの演奏を聴きに行ったのが、つい昨日の事の様に思い出される。 「枯葉」というとマイルス・デイビスの「Somethin' Else」に収録の「枯葉」がまず思い出される。リクエストも多かったが、私は、チェット・ベーカーの「枯葉」を一押ししたい。女性と…

  • ラプソディ・イン・国立。雨上がりの夜空に・・・

    ラプソディとは、狂詩曲のことをいうが、語源は古代ギリシャの吟遊詩人達の即興詩。おもにホメロスの叙事詩の断章であるrhapsōǐdiaに由来する。「ラプソディ・イン・国立」は、もちろん故忌野清志郎率いるRCサクセションの1980年のアルバム『RHAPSODY』(ラプソディー)に因むもので、「忌野清志郎 雨あがりの夜空に 」は、その中の代表的な曲のひとつ。「こんな夜にお前に乗れないなんて、こんな夜に発射できないなんて」というエロチックな比喩の歌詞は、夕立の後に草いきれの立つ国立の夏の夜を想いださせる。彼の歌にある「多摩蘭坂」の坂下を彼女と横切って歩いた夏の夜。サルビアの赤い花が、月明かりに映えてい…

  • 雨の日とミッドナイトには、女性ヴォーカルがよく似合う

    ジャズ喫茶といっても、「ピーター・キャット」は、会話をするとウェイターがやってきて「お静かに!」などと言われる様なおしゃべり禁止の店ではなかった。そういう本格的にジャズを聴きに行くための店は、それはそれで存在理由があって貴重だった。私も吉祥寺の「OutBack」や「Funky」には、よく行った。ハードロックを聴きたいときは、「赤毛とそばかす」にも。彼女とのデートには、「西洋乞食」に。当時の吉祥寺を知る人は知っているだろう が、全て故野口伊織氏プロデュースの店だ。70年代のジョージの文化を作った人と言っても過言ではないだろう。 国分寺の「ピーター・キャット」は、概ね新宿の「DUG」をモデルにした…

  • 「ピーター・キャット」のアルバイト事情。突然叩き起こされて・・

    「ピーター・キャット」のアルバイトは、二日おきか三日おきに入れていた。基本は夜で、7時から深夜1時半か2時まで。昼の時は、12時に入って7時までだった。カウンターに入ると立ちっぱなしなので結構疲れるが、若かったので特に辛かったという記憶はない。当時は長髪だったけれど、やはり飲食関係のバイトだったので、確か肩まであった髪を切って、当時流行り始めていたウルフカットにした。尚かつ清潔が大事と、当番の日は銭湯に行くようにした。さすがにジャズ喫茶に制服はなかったが、焦げ茶色のエプロンをした。 『Jazz』1975年5月特別増大号より ◆ 昼のバイトは、サンドウィッチの仕込みが大変だったが、後はコーヒーや…

  • 「ピーター・キャット」以外のユニークなバイト。それはスラップスティックな世界

    『70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々』で書いたが、大学一、二年の時はアルバイトに明け暮れた。「ピーター・キャット」のバイトは、週に2、3回ぐらいだが、その他にも色々なユニークなバイトをした。そして、それはスラップスティックな世界だった。当時既にアルバイト情報誌というものはあった。しかし、ほとんど全てのアルバイトは、知人、友人の依頼や勧誘によるものだった。美大ということで、一般の大学生ではできない特殊な仕事だったということもある。オイルショックもあったが、まだ外国人労働者もいない頃なので、学生のアルバイトは豊富だったのだろう。 ◆ 日本橋にあ…

  • 村上夫妻の三角地帯からの引越し、友人の引越し。獣の臭いのする布団

    「今度引越しするから手伝ってくれない?」と春樹さんに言われたのが、75年の春だったと思う。まず当時の地図を見て欲しい。国分寺駅からの西武国分寺線と中央線が分岐する通称三角地帯(村上夫妻命名)に、その家はあった。正確にいうと2013年現在も、Googleマップで見るとある。 Googleストリートビューで見ると三角地帯の手前のY字路でストリートビュー・カーが反転しているので、その先のカーブの向こうにある三角地帯の家は見る事ができない。しかし、中央線を挟んで南側にある75年の地図では都営第八住宅、現在は都営泉町一丁目アパート10号連の東側の通りからは、その家が見えるのだ。濃いグレーのスレート瓦に色…

  • 「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語

    「ピーター・キャット」の店名は、村上夫妻が飼っていた猫の名前に由来するが、マッチのイラストは、英国の数学者で作家のルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫(Cheshire cat)。絵はジョン・テニエルによるものである。出版は、1865年なので当然著作権は切れている。「チェシャ猫のように笑う」という英語の慣用表現から作られたキャラクターで、意味のない笑いを残して消えてゆく不思議な猫。 ◆ 『不思議の国のアリス』は、絵本やディズニーでは実写やアニメで何度も映画化されていてお馴染だろうが、少女が主人公なので男子の読むものではないと 思っ…

  • ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件

    「ピーター・キャット」で冬にリクエストが多かったアルバムで記憶にあるのは、デューク・ジョーダンの「フライト・トゥー・デンマーク」。真っ白な雪景色の森の小径にたたずむデューク・ジョーダンのジャケットが印象的。特にA面最初の「危険な関係のブルース:No Problem」は、忘れられないメロディーライン。雪景色のジャケットと共に、心を静めてくれる一曲だった。デンマークは行ったことがないが、ノルウェーの夏は知っている。夏至の頃は白夜で、夜中の2時頃が夜明けで、夜の10時頃が日没。反対に冬至の頃は、午前10時が夜明けで、午後2時には日没となる。北欧の冬は厳しい。しかし、彼らはそれを楽しむ術を知っている。…

  • 村上春樹さんチョイスのバンドで「ピーター・キャット」ライブ演奏の熱い夜

    「ピーター・キャット」では、ほぼ毎月二回、日曜日の夜にライブ演奏を行っていた。出演のあるジャズマンによく言われた言葉がある。10枚のアルバム買う金があったら、半分はライブに使った方がいいと。俺たちのライブに来て!というのもあるが、それを置いても真実だと思う。生に勝るものはない。セッ ションにおける各自の息づかいや、メンバー同士のバトル。特に観客とのグルーブ感は、その場にいないと本当には分からない。しかも、ホールでなく小さな店 でやるわけだから、その臨場感は半端ない。子宮に響くと言った女性がいるのも分かる。レコードやCDでは聞こえない周波数も感じることができる。 ◆ 女優の加賀まりこさ んが「上…

  • 人生は、ジャズと酒とバラの日々。村上春樹さんが教えてくれたカクテルあれこれ

    「ピーター・キャット」のお酒は、ビールはキリンのラガーだった。キリンだから、輸入ビールはバドワイザー、ハイネケン、ギネスなども置いていたと思うが、確かな記憶がない。ウィスキーは、開店の74年発売のロバート・ブラウン。 オン・ザ・ロックや水割りは、オールド・ファッションド・グラスで。シングル、ダブルは、メジャーで量ってグラスに入れた。レモンスライスを添えるのが珍しかった。後にカティーサークとシーバス・リーガルも入れたかな。学生なんて普段は、トリスやレッドを飲んでいたから、ロバート・ブラウンなんて本当に贅沢な高級酒だった。当時、通称だるまと呼ばれるオールドは既に爺臭い酒というイメージだったから、新…

  • わが家の定番となった「ピーター・キャット」村上春樹さん夫妻考案のサンドウィッチあれこれ

    「ピーター・キャット」では、村上春樹さん夫妻が考案したサンドウィッチを出していた。全部で7、8種類ほどあって、昼を任された時は、仕込みが結構大変だった。そのうちのいくつかは、わが家の定番となった。私が元妻に教えたのである。息子達は最近まで、それが村上春樹さん由来のサンドウィッチとは知らずにいた。わが家の定番となったレシピを書いてみるが、いずれも完全なオリジナルではない。微妙に修正されていたりする。まあ、早い話が完全には思い出せないのである。チェルノブイリ3年後のノルウェーに行った時に被曝したせいかもしれない。 ◆ 【コッドロー・サンド】 最初から聞き慣れないメニューだと思う。コッドローとは、タ…

  • ももクロでもハチクロでもないが、私の美大生時代はスラップスティック。まだベトナム戦争中、基地もあった

    『ハチミツとクローバー』 というアニメとドラマがある。通称『ハチクロ』という。なんでも武蔵野美術大学がモデルらしい。評判になったので、立ち読みしたり、ドラマも少しは観たことがある。映画の予告も結構流れていたので一応知っている。ちゃんと観たらしい友人は、あんなもんじゃなかったよな、と言っていたが、正直どんなものなのか分からない。ただ、出てから10年位してからだったか、ある時、大学関係者に聞いたら、もう今は普通 の大学生と同じだと言われた。君たちの様な、変わり者はもういないと。変わり者かい!? ちなみに私は上川隆也ではないが、ももクロでなく、℃-ute一押しである。異論は認める。ただし、私は愚民化…

  • 70年代は、ニューシネマ。そして私はシネマフリークになった

    「ピーター・キャット」のバイトをしている時も、忙しい中よく映画を観に行った。当時、デートといえば映画を観に行くことではなかったかな。もちろ ん一人でも男友達とも行ったが。よく行ったのは、渋谷の全線座。いわゆる二番館である。300円で2本立てであった。ロードショーをやる封切館は高くて、 よほどの事がないと行けなかった。よほどの事というのは、女の子とつき合い始めたばかりとか、まあそういうことだ。国分寺にも北口に「国分寺名画座」が あったが、入ったことはなかった。普段はポルノ映画上映で、もし入る所を同級生や下級生の女の子にでも見られたら大変だしね。 ◆ その後、大学3、4年時に住んだ国立では、旭通り…

  • 70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々

    「ピーター・キャット」のオーディオ・システムは、プレイヤーが、デンオンDP3000。カートリッジが、シュアーV15III。プリメインアンプ が、サンスイAU6600。スピーカーが、JBL・L88プラスだった。JBLのスピーカーは、最高級のパラゴンが吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」にあった。同じ吉祥寺の「アウトバック」は、アルテックのA7だった。その力強い音は、数多くのジャズファンを魅了した。パラゴンなど、夢のまた夢だったが、 できる限り最上の音を求めて、必死にアルバイトをして買ったのが、以下のシステムである。それ以前は、ステレオといえばオールインワンだったが、コンポー ネント・ステレオといって…

  • 70年代、雑誌が作ったアメリカブーム みんなアメリカが好きだった・・わけではない

    「ピーター・キャット」には漫画は置いてあったけれど、決まった雑誌は置いていなかったと思う。ジャズの『スイングジャーナル』や『JAZZ』は、春樹さんが持って来てあったかもしれない。70年代というのは、雑誌文化が一気に花開いた時代だった。それまでは漫画雑誌を除けば、『平凡パンチ』と『週刊プレイボーイ』があっただけ。中学生の頃は、『ボーイズライフ』という本を買っていた。ジェーン・フォンダの水着写真を覚えている。『平凡パンチ』と『週刊プレイボーイ』が、全共闘世代や団塊の世代の雑誌とすれば、ポスト団塊の世代の雑誌は、『POPEYE/ポパイ』と『Hot-Dog PRESS/ホットドックプレス』にヌード・グ…

  • 村上春樹夫妻も驚いたチーズの赤いロウ事件「ピーター・キャット」おつまみ編

    「ピーター・キャット」のおつまみは、ナッツ類の乾きものから、チーズ、オイルサーディンの缶詰、トマトサラダ、レーズンバターなどに、軽食のサンドウィッチが何種類か。夜は、それに加えて陽子さんが作って来る肉じゃが等のちょっとした日替わりメニューがあった。今でこそピスタチオやジャイアントコーン、カシューナッツなどは、100円ショップでも買えるが、当時はまだまだ珍しいものだった。「ピーター・キャット」で初めて食べたという人も多かったのではないだろうか。 ◆ ピスタチオが日本に入って来たのは以外と古く、文政年間に長崎に渡来したといわれている。中国では阿月渾子と書き、古来婦人用の催淫剤(媚薬)であると書かれ…

  • 「ピーター・キャット」を出て国分寺の街を歩けば・・その2

    「ピーター・キャット」を出て、丸山通りの坂道を登る。殿ケ谷戸公園横の坂道を登る。ある日のこと、坂道を登っていると、拡声器で名前を呼ばれた。「○○ 君、キリキリ歩きませい! ○×△□×◇!(喜劇新思想体系のセリフ)」と、国分寺中に聞こえる様な大きな音量で。歩いている人は、皆一斉に音源、ついで彼が拡声器を向けている私を見る。何だ!?と思って見ると、ちり紙交換の軽トラの窓から、「船問屋」のマスターが、拡声器を持って喚いている。確かその時は、まだ左翼系の書店で、 しょっちゅう公安警察が踏み込んでいた。その後、家族を呼び寄せて家庭料理の飯屋を開いた。「ピーター・キャット」では、小柄でほっぺたの膨らんだ彼…

  • 「ピーター・キャット」を出て国分寺の街を歩けば・・その1

    「ピーター・キャット」を出て北口へ行こうとすると、東へ100mほど歩いてから、南町二丁目の交差点を左折し、国分寺街道を北へ。JR(当時は国鉄)の ガードをくぐって左手の石段を上り、ビジネス千成ホテルの脇の小路を抜けて大学通りへ出るしかない。その頃の国分寺駅には自由通路がなく、西武線に乗るた めには、入場券を買わなければならなかった。そうでなければ、都立殿ケ谷戸公園(当時は造成中)の坂道(丸山通り)を上って、花沢橋陸橋を渡るしかなかっ た。国分寺の街は、まるでどこかの国の様に南北に分断されていたのである。実に不便であった。だいたい昭和31年にできるまで。南口はなかったのだそう だ。 ◆ スーパー…

  • 村上春樹さんが絶対にかけちゃだめと言ったアルバム

    「ピーター・キャット」でかけてはいけないLPというか、演奏家というのがあった。これは純粋に春樹さんの好みであって、たとえ常連さんが、これいいよと 持って来ても、かけられないものはかけられないわけだ。当時の雑誌の取材でも答えているように、キース・ジャレットやチック・コリア、ダラー・ブランドは 一枚もなかった。マイルス・デイビスも、ビッチェズ・ブリュー以降のものは、それこそ一枚もなかった。当然フリージャズも一枚もなかった。それが店のカラーになっていたわけで、別に気になるということもなかった。聴きたければ自分の部屋で聴けばいいわけだから。 ◆ 色々なところで書いている様に、春樹さんはスタン・ゲッツが…

  • 国分寺「ピーター・キャット」のインテリアを描いてみた

    国分寺「ピーター・キャット」の店内を描いてみようと思い立ったが、まともな資料がないことに気がついた。写真がない。なぜ撮らなかったかわからない が、ない。営業中はフラッシュをたくわけにいかないというのもある。私は当時、発売されたばかりのオリンパスOM-1を持っていた。撮ろうと思えば撮れたはずだが・・。ちなみに今、これは次男が使っている。店内を掲載した当時の雑誌を探してみたが、75年の『JAZZ』に載ったものぐらいだった。仕方がないので、記憶の中で当時の店内に旅をしてみることにした。 ◆ 目を閉じてアパートを出るところから。味噌ラーメンの「コタン」、定食の「あかぎ」を右に見て、並木の歩道を駅の方へ…

  • 「ピーター・キャット」でバイトをした武蔵美の三人組

    前々回の記事で書いた様に、そんなわけで私たち三人組(写真・74年初夏のキャンパスで)は、「ピーター・キャット」でアルバイトを始めた。実家に出した手紙の中に、17日間の実際のカレンダーを表記したものがあった。面白いのでスキャニングしてみた。一年の時は、まだ実技は基礎過程、プラス一般教養の講義だったため、結構時間にゆとりがあった。そのためアルバイト三昧の生活であったことが分かる。 当時は、携帯電話はもちろんないし、学生がアパートに電話を入れるというのも稀だった、同級生では芦屋のお嬢様がひとり入れていたような記憶があるだけだ。債券が高かったし、学生の分際で持てるものではなかった。よって、実家への連絡…

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