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MORI MORI
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2015/11/22

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  • 70年代の学生の自炊と外食。つまり食料事情について。抱腹絶倒の物語

    70年代の平均的な学生の一人暮らしというのは、たいていが四畳半か六畳のモルタルアパートだった。三畳に住んでいた強者もいた。賄い付きの下宿というのもあったが、数は少なかった。部屋はたいてい畳敷きで、小さな台所とトイレが付く。水洗がほとんどだったが、郊外ではまだ汲取も少なくなかった。 ワンルームマンションなどまだない頃だ。携帯はもちろん、電話も債券が高かったので入れているのは、クラスでは金持ちの芦屋出身のお嬢さんぐらいだった。 だから友人の所へも突然訪ねていったりした。不在ならそれまで。面倒だが束縛もなかった。その辺の犬や猫の様な暮らしだった。携帯がなかった当時、デートの約束等、皆どうしていたのだ…

  • 春樹さんがいう地下室に下りてみよう。『僕たちは再び「平和と愛」の時代を迎えるべきなのかもしれません』村上春樹

    3.11以降、実質国土の三分の一が失われたというのに、東京湾はもちろん北太平洋もほぼ死んだというのに、この国のテレビは相変わらずバラエティやグルメ番組を、まるで何事もなかったかのように垂れ流し続けている。戦後、CIAが持ち込んだ愚民化政策は脈々と続いている。日本人はすっかり洗脳されてしまった。日本人ほどマスコミを無条件に信じる国民はいない。情報弱者と安全性バイアスにかかっている人はもちろん、放射能の話をタブー視するようなダチョウ症候群にかかった人は生き残れないだろう。村上春樹さんのファンの中で、彼の「カタルーニャ賞受賞スピーチ」の全文を読んだ人はどれほどいるだろうか。彼は「効率」という上品な言…

  • 国立ロンド(輪舞曲)。亡き王女のためのパヴァーヌ

    「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴くと、なぜか晩秋の大学通りを思い出す。桜の葉が色付き風に舞う。枯葉の間から木漏れ日が挿す。散歩中の少女が子犬と戯れる。ラヴェルがルーブル美術館でベラスケスの「マルガリータ王女」の肖像画を観てインスピレーションを得たとされる名曲。大学通りから一橋大学のキャンパスに入り兼松講堂へ、サド・ジョーンズ&メル・ルイスのビッグバンドの演奏を聴きに行ったのが、つい昨日の事の様に思い出される。 「枯葉」というとマイルス・デイビスの「Somethin' Else」に収録の「枯葉」がまず思い出される。リクエストも多かったが、私は、チェット・ベーカーの「枯葉」を一押ししたい。女性と…

  • ラプソディ・イン・国立。雨上がりの夜空に・・・

    ラプソディとは、狂詩曲のことをいうが、語源は古代ギリシャの吟遊詩人達の即興詩。おもにホメロスの叙事詩の断章であるrhapsōǐdiaに由来する。「ラプソディ・イン・国立」は、もちろん故忌野清志郎率いるRCサクセションの1980年のアルバム『RHAPSODY』(ラプソディー)に因むもので、「忌野清志郎 雨あがりの夜空に 」は、その中の代表的な曲のひとつ。「こんな夜にお前に乗れないなんて、こんな夜に発射できないなんて」というエロチックな比喩の歌詞は、夕立の後に草いきれの立つ国立の夏の夜を想いださせる。彼の歌にある「多摩蘭坂」の坂下を彼女と横切って歩いた夏の夜。サルビアの赤い花が、月明かりに映えてい…

  • 雨の日とミッドナイトには、女性ヴォーカルがよく似合う

    ジャズ喫茶といっても、「ピーター・キャット」は、会話をするとウェイターがやってきて「お静かに!」などと言われる様なおしゃべり禁止の店ではなかった。そういう本格的にジャズを聴きに行くための店は、それはそれで存在理由があって貴重だった。私も吉祥寺の「OutBack」や「Funky」には、よく行った。ハードロックを聴きたいときは、「赤毛とそばかす」にも。彼女とのデートには、「西洋乞食」に。当時の吉祥寺を知る人は知っているだろう が、全て故野口伊織氏プロデュースの店だ。70年代のジョージの文化を作った人と言っても過言ではないだろう。 国分寺の「ピーター・キャット」は、概ね新宿の「DUG」をモデルにした…

  • 「ピーター・キャット」のアルバイト事情。突然叩き起こされて・・

    「ピーター・キャット」のアルバイトは、二日おきか三日おきに入れていた。基本は夜で、7時から深夜1時半か2時まで。昼の時は、12時に入って7時までだった。カウンターに入ると立ちっぱなしなので結構疲れるが、若かったので特に辛かったという記憶はない。当時は長髪だったけれど、やはり飲食関係のバイトだったので、確か肩まであった髪を切って、当時流行り始めていたウルフカットにした。尚かつ清潔が大事と、当番の日は銭湯に行くようにした。さすがにジャズ喫茶に制服はなかったが、焦げ茶色のエプロンをした。 『Jazz』1975年5月特別増大号より ◆ 昼のバイトは、サンドウィッチの仕込みが大変だったが、後はコーヒーや…

  • 「ピーター・キャット」以外のユニークなバイト。それはスラップスティックな世界

    『70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々』で書いたが、大学一、二年の時はアルバイトに明け暮れた。「ピーター・キャット」のバイトは、週に2、3回ぐらいだが、その他にも色々なユニークなバイトをした。そして、それはスラップスティックな世界だった。当時既にアルバイト情報誌というものはあった。しかし、ほとんど全てのアルバイトは、知人、友人の依頼や勧誘によるものだった。美大ということで、一般の大学生ではできない特殊な仕事だったということもある。オイルショックもあったが、まだ外国人労働者もいない頃なので、学生のアルバイトは豊富だったのだろう。 ◆ 日本橋にあ…

  • 村上夫妻の三角地帯からの引越し、友人の引越し。獣の臭いのする布団

    「今度引越しするから手伝ってくれない?」と春樹さんに言われたのが、75年の春だったと思う。まず当時の地図を見て欲しい。国分寺駅からの西武国分寺線と中央線が分岐する通称三角地帯(村上夫妻命名)に、その家はあった。正確にいうと2013年現在も、Googleマップで見るとある。 Googleストリートビューで見ると三角地帯の手前のY字路でストリートビュー・カーが反転しているので、その先のカーブの向こうにある三角地帯の家は見る事ができない。しかし、中央線を挟んで南側にある75年の地図では都営第八住宅、現在は都営泉町一丁目アパート10号連の東側の通りからは、その家が見えるのだ。濃いグレーのスレート瓦に色…

  • 「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語

    「ピーター・キャット」の店名は、村上夫妻が飼っていた猫の名前に由来するが、マッチのイラストは、英国の数学者で作家のルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫(Cheshire cat)。絵はジョン・テニエルによるものである。出版は、1865年なので当然著作権は切れている。「チェシャ猫のように笑う」という英語の慣用表現から作られたキャラクターで、意味のない笑いを残して消えてゆく不思議な猫。 ◆ 『不思議の国のアリス』は、絵本やディズニーでは実写やアニメで何度も映画化されていてお馴染だろうが、少女が主人公なので男子の読むものではないと 思っ…

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