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2015/11/20

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  • 長篠合戦では勝頼を騙して誘いこんだ

    ⑰今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――一信盛(のぶもり)は長閑(のどか)に申しいれた。「私はかねて主人信長に恨みを抱いている。ついては、このたび勝頼公が信長と決戦されるとき、私は戦いの最中に裏切り、織田本陣をついて信長を討ちとるであろう」佐久間信盛は当時、織田家随一の重臣であった。「甲陽軍艦」では、設楽原(したらがはら)出陣のとき、信盛と家康がそれぞれ六千の兵を率いていたとしているが、同列の軍団長といえる地位にいたようである。信盛麾下(きか)の寄騎(よりき:有力武将に従う下級武士)には、水野信元がいた。家康の外伯父であるが、天正三年十二月二十七日に、武田勝頼への内応の容疑で、信長の命で家康に殺される人物である。水野信元は...長篠合戦では勝頼を騙して誘いこんだ

  • 正倉院秘蔵の蘭奢待(らんじゃたい)を切り取った

    ⑳今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「儂は南部東大寺の密蔵第一の重宝、蘭奢待(天下第一の名香と謳われる伝説の香木)をば所望いたしおるでのん。お許しが出たならば、そのほうどもも同道して、奈良に下向いたせ」宗久たちは、信長の言葉に息をのんだ。名香蘭奢待は、東大寺正倉院に秘蔵されている、唐、天竺にまで聞えた名香であった。かつて足利義政が寛正六年(一四六五)に、本法に従い一寸八分を拝領したことがあるが、その後有余年のあいだは、歴代将軍の所望があっても勅許(ちょっきょ:天皇の許可)されずにきた。それを、信長が所望するというのである。多簡院英俊の日記によると、「惣ノ長サ五尺、丸サ一尺ホドノ木ナリ」といわれる蘭奢待は、その文字のなか...正倉院秘蔵の蘭奢待(らんじゃたい)を切り取った

  • 義昭と共に上京も焼き尽くした

    ⑮今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――義昭(足利)は信長の予測の通り、和議をはねつける。彼は意外に迅速な信長の襲来に動転しているが、あとへはひけない。戦闘がはじまれば、寡勢(かぜい:少ない軍勢)の幕府勢は敗北を免れないであろうが、そのときは洛南に逃れ、逆賊信長追討の軍をふたたび催(もよ)おそうと、覚悟をきめていた。フロイスたち宣教師にとって、信長が京都に到着した三月二十九日は、一五七三年四月三十日にあたり、「主の御昇天の大祝日」であった。信長が突如、まったく人々の予想を裏切って、わずか十数騎を従え、洛外四分の一里の地にあらわれると、あとを追う軍勢はたちまち洛外に充満したと、フロイスは記す。四月三日、信長は洛外の堂塔寺庵を...義昭と共に上京も焼き尽くした

  • 家康の三方ケ原の敗戦

    ⑭今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――陽が暮れはて、牡丹雪の舞うなかで、徳川勢の苦難に満ちた退陣がつづいていた。家康を護衛する旗本の精鋭は傷つき疲労し、ほとんどが馬を失っていた。本多正信の弟正重は、追撃する敵と白兵戦(はくへいせん:敵と接近し、刀や剣槍などの武器を交えて戦うこと)をかさねるうち、身に十四創(そう:きず)を負い、あやうく首を掻(か)かれるところを、家康が矢を放ち、助けた。家康の嫡男(ちゃくなん)信康の臣、松平康安(やすやす)は、槍、鉄砲の名人として知られた剛の者で、敵に馬を射られ、徒歩でしんがりを固めていた。彼は苦戦をかさねるうち、身に数創を負い、胸に敵の矢二本が命中した。「これしきの痕(こん)が、何ほどの...家康の三方ケ原の敗戦

  • 叡山の女子供まで虐殺した

    ⑬今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――軍兵たちは山門に名のきこえた高僧、貴僧、智僧を容赦なく捕え、首をはねる。逃げるのをあきらめ、群れ集い山を下ってくる学侶たちも、片端から斬り倒された。荒武者どもの眼をおどろかす美童、美女も数多く捕えられ、命乞いをする。「のう、われわれなどは逆意などなかなか存じよらず。敵ならぬに殺すわけもなきものを」「これ、妾(めかけ)は悪しきをいたせし覚えもなし。たすけてたべ」足軽は彼らを縛りあげ、信長のまえに曳きだす。武将たちはロぐちに女子供の命乞いをした。「悪僧の儀は是非に及びませぬが、この者どもは助命なされて下されませ」信長は大喝(だいかつ)してしりぞける。「いらざることをほざきおるでや。こやつ...叡山の女子供まで虐殺した

  • 封建社会実現を目指した信長は旧体制を壊す必要があった

    ⑫今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――一向一揆は、封建支配者としての信長にとって、最大の敵であった。彼らは本願寺法主とその連枝(れんし:親族)一門を頂点とし、末寺道場の坊主である名主(なぬし)宮姓、地侍が指導者層となり、諸国農民を掌握(しょうあく)していた。信長は農民を支配するため、地侍を家臣団に吸収し、名主宮姓を村役人とする封建組織を成立させることによって、強大な武力を獲得してきた。応仁の乱ののち、崩壊に向いつつあった荘園体制のなかで、土豪(どごう:その土地の豪族)である名主、地侍は領主である寺社の苛酷な課税を排除し、所領の完全な支配権を得ようとして、守護大名の被官となるものが多かった。だが守護大名には、寺社の古代勢力...封建社会実現を目指した信長は旧体制を壊す必要があった

  • 堕落僧の比叡攻撃、西洋にも僧の腐敗

    ⑪今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――佐久間は懸命にいさめようとした。「お殿さまにお言葉をかえすは、おそれ多きことながら、比叡の山は顕密兼学(けんみつけんがく:仏教の顕教と密教を併せたもので、二つ以上の宗派の教義を兼ねて学ぶこと)の大道場にて、皇武両門の祈願の地にござりまする。その霊験はならびなく、これによって弘隆の仏威を誇って、山徒我意をほしいままにいたせしことも多かりしとか。然りといえども、上代の帝王も、朕(ちん)が心にかなわぬは、鴨川の水と山法師なりとのたまわせられ、度々の狼藉(ろうぜき)をもご宥免(ゆうめん:罪を許すこと)なされ、穏便(おんびん)にさしおかれし先例しばしばにてござりまする。それほどの聖地をば、いま...堕落僧の比叡攻撃、西洋にも僧の腐敗

  • 義昭は信長に萎縮する

    ⑩今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――信長は猜疑心(さいぎしん)がふかく、執念ぶかい男であった。彼の髭のすくない色白の細面は目鼻立ちがととのっているだけに、披璃(はり:ガラス)のようなよく光る切れながの眼に宿っている狂気の気配は、義昭(足利)をふるえあがらせる。信長は少年の頃から、いつ死に見舞われてもふしぎではない、危険な環境で生きてきた。合戦の場での、打ちものとっての殺しあいは、砲爆撃で敵をふきとばす現代戦とちがい、ひとりずつしらみつぶしの手仕事であった。信長は血みどろのぼろくずのような、さまざまな形の屍体(したい)を見なれて生きてきた。人間といえども、死ねば腐敗分解して土になるだけの、鳥獣虫魚(ちょうじゅうちゅうぎょ...義昭は信長に萎縮する

  • 関所の撤廃によって、強力な軍勢と大量の軍需物資の供給ルートを掌握

    ⑨今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――伊勢には工藤、関、北畠らの大名のほかに、独立した小豪族が四十八家もあり、関所の数もおびただしかった。極端な例として、桑名と日永(現三重県四日市市)のあいだの四里の海道には、六十余の関所があった。それは地侍の勢力圏が錯綜(さくそう)している事実を裏書きしている。地侍たちは、それぞれ伊勢に割拠する大小名の被官(武家の家臣)として、葡萄(ぶどう)の実のようにあつまり大小の房を形づくっていた。彼らはわが領地に土着して、関所を設けている。関所のなかには幕府や公家、社寺が本所として関銭(せきせん:関所で徴収する税)を徴集するものもあったが、その場合も関所を置き運営するのは、地侍である。関所は地侍...関所の撤廃によって、強力な軍勢と大量の軍需物資の供給ルートを掌握

  • 信長は茶入などの骨董や女色には溺(おぼ)れない

    ⑧今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――松永弾正久秀は、かねて信長に人質を送り誼(よしみ)を通じていたので、居城大和の志貴、多聞山城に退いていたが、芥川城に伺候(しこう:御機嫌伺いに行くこと)して、信長に「つくもがみ」と呼ばれる茶入れを献上した。伊勢物語の「百とせに一とせ足らぬ九十九髪、われを恋ふらし面影に見ゆ」にちなんで名付けられた茶入れは、付藻茄子(つくもなす)の大名物(おおめいぶつ)であった。大名物とは、室町八代将軍義政(一四三六~九〇)が、東山山荘で選定した茶道具の逸品を指す。同朋衆の芸阿弥(げいあみ:室町時代の絵師)、能阿弥(のうあみ:室町時代の水墨画家、茶人)が補佐したといわれる。堺の商人・今井宗久は、世に名高...信長は茶入などの骨董や女色には溺(おぼ)れない

  • 寄せあつめの厖大(ぼうだい)な軍兵のひきしめるために裏切り者を摘発した

    ⑦今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――信長家臣団の軍事力の中核は、譜代の宿老たちの率いる幾つかの軍団で構成されていたが、尾張下二郡で二、三千の兵力を動かしていた時分にくらべると、急速に膨張した兵力の内容は、大半が降伏帰順したかつての敵兵であった。寄せあつめの軍兵は、量的に厖大(ぼうだい)であっても、武田勢のようにふるくからの在地領主を中心にまとまっている、地縁でつながれた兵団の武力には劣るものである。信長は槍衆、弓衆、鉄砲衆の養成にカをもちい、麾下(きか:大将じきじきの家来)軍団の戦闘力の増強を急いでいた。外見では天をつくいきおいがあるかにみえる織田勢が、一度の敗戦で雪崩のようにくずれ去る可能性があると、信長は見ている。...寄せあつめの厖大(ぼうだい)な軍兵のひきしめるために裏切り者を摘発した

  • 尾張領内の治安

    ⑥今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――信長は東美濃攻略に、七分通りの成功を納めたのち、しばらく静観の方針をとった。犬山城から織田信清(信長の従兄弟)を追いはらった成果は、まず尾張領内の治安にあらわれた。以前は夜間はもとより白昼にも追い剥(は)ぎ強盗が横行する有様であったが、信長の威令(いれい:権威のある命令)が尾張一国へゆきわたると、行商人が道端で荷を枕に昼寝する姿が見られるほどになった。美濃から細作(さいさく:忍びの者)の潜入する道がふさがれ、領内で騒擾(そうじょう:集団で騒ぎを起こし、社会の秩序を乱すこと)をおこす者は、容赦(ようしゃ)なく斬刑(ざんけい)に処されたからである。信長は当時から、一銭を盗んだ者を斬る、「...尾張領内の治安

  • 2024年プレアデス人とのコンタクト内容を公開します:第7話(2024/11/10)

    地球人類のアセンションを支援するために、プレアデスから来たという宇宙人HaLu(ハル)との交流記録です。この交流記録はユーチューブ動画から転載したものです。今回は「続報!消えた隕石衝突説」「オープンコンタクト計画2025」「日月神示が導く5年間」「銀河連合特務機関『プレアデスの風』」「エピローグ~夢で逢いましょう」について、お伝えします。宇宙人HaLu(ハル)さんは日本の都(京都)の貴族に生まれた前世があります。和歌を詠み、詩をつくり、風流に暮らす生活をしていたとのことです(ハルさんは赤字で記載)。質問者は日本人男性です(青字で記載)。―――――――――――――――――――――――――――――――――「続報!消えた隕石衝突説」―・ハルさん、今年も残すところあと2ヶ月となりましたが、2025年7月5日の大災...2024年プレアデス人とのコンタクト内容を公開します:第7話(2024/11/10)

  • 今川の大軍へ死を決して戦う

    ⑤今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――宿老筆頭の林通勝が、それまでくりかえし唱えつづけている戦法を、渋りつつ口にした。「敵は三万、味方はわずかに三千を揃うるが精かぎりなれば、平場にてのご合戦には打つ手もござりませぬ。ただ、要害として知られしこの清洲にたてこもり、戦をひきうけ相戦うよりほかの策はなしと、存じまする」信長は林の申し出を一蹴(いっしゅう)した。「そのほうが戦策は、大軍勢を小勢にてひきうくるに、寵城がよしといたす、世間の者十人が十人ともに思いつくごとき、何のかわりばえもなきものだわ。さような戦をいたさば、敵は思い通りの布石をば生かしてくるだわ。いまは今川治部(今川義元)が思いのほかの手をうつときだでや」信長は評定...今川の大軍へ死を決して戦う

  • 村抜けを防ぐために徳政を行う

    ④今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――野山に霞たなびき、桜が景色にはなやかないろどりをそえる頃、信長は領内諸郡に地子銭(じしせん:銭納される地税)、段銭(たんせん:田地1段別に賦課された臨時課税)の諸税を半減する、徳政の高札を立てさせた。各地頭にも同じ壁紙の触れ書きをまわす。徳政をおこなう理由は、永禄このかた合戦がつづき、在郷諸村に命じる軍役、陣夫役もたび重なり、男手すくなく田畑の荒廃がはなはだしいためであった。諸村の疲弊は、信長の治世になっていやまさるばかりである。郷中の勇士はいうにおよばず、百姓衆の屈強な若者たちが陣夫として狩りだされ、落命して帰ってこない。種播きの季節がきても、男手がなければ耕作もできぬままに、老人...村抜けを防ぐために徳政を行う

  • 吉野とは一心同体であった

    ③今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「吉野はおもしろき女子だのん」「なにゆえにござりまするか」「いつにかわらず、酒をこころゆくまで呑めと、すすめおるだわ」歯を見せる信長に、吉野はなにげない風情で応じる。「呑みたきものを呑めば、よいのでござりまするに。欲するままに呑んでお寝みあそばいて、身に毒になろうはずはござりませぬわなも」信長はおちつきはらっている吉野に、そういわれると、気分がなごやかになる。吉野は信長の気質、嗜好(しこう)をすべてこころえていた。彼女は信長に惚れこんでいるので、努力することなく、恋人の性格に同化している。つまり、二人は一心同体であるといえた。信長が熟睡できるのは、吉野と閨(けい:寝室)をともにした夜...吉野とは一心同体であった

  • 斉藤道三との堂々とした対面

    ②今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「こたびはお舅(しゅうと)さまには、尾張においで召され、はじめてご拝顔をかたじけのうし、おうるわしきみ気色のほど、祝着至極(しゅうちゃくしごく)と存じまする」「うむ、今日のよき日和がように、聟殿(むこどん)の水際立ったるいでたちをば、はじめて眼のあたりにして、縁組みいたせしは誤りならずと、道三このうえものう、うれしゅう存ずる。まずはごゆるりとおくつろぎあれ。盃事(さかずきごと)などいたそうではないか」堀田道空(斎藤道三の家老)が指図して、酒肴(しゅこう)の膳がはこばれる。ふだんは物事の順序をはぶき、性急な談議を好む信長が、道三の話しぶりにあわせ、おとなしくあいづちをうつさまは、林通勝...斉藤道三との堂々とした対面

  • 若き信長は宿老たちの合戦談議を熱心に聴き戦いを覚えこんでいた

    ①今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「御大将、大勝利だぎゃ。追うところだわ、ここは」昂奮(こうふん)した物頭(ものがしら)たちが、眼をいからせ猛(たけ)りたつが、信長はおしとどめた。「使い番、退貝(ひきがい)じゃ」信長の命に応じ、法螺貝(ほらがい)が大、小1小、大、小、小と鳴り渡った。退陣の手際も、あざやかであった。全軍の半隊が槍を伏せ、折り敷いて敵の追撃に備え、残りの半隊が退き、半町歩んで折り敷く。つづいて遅れた半隊が立って一町を退く。半隊ずつ交互に繰り引いてゆく退陣は、敵の追撃を許さない迅速なものであった。馬匹(ばひつ:馬のこと)をつないだ場所に全軍を戻すと、信長は土を捲(ま)いて駆け去った。一里ほど疾駆(しっく)...若き信長は宿老たちの合戦談議を熱心に聴き戦いを覚えこんでいた

  • 2024年プレアデス人とのコンタクト内容を公開します:第6話(2024/10/22)

    地球人類のアセンションを支援するために、プレアデスから来たという宇宙人HaLu(ハル)との交流記録です。この交流記録はユーチューブ動画から転載したものです。今回は「地球から手を引くというメッセージ」「真実を見抜く能力とは」「2012年の真相について」「目は心の窓」「エピローグ~夢で逢いましょう」について、お伝えします。宇宙人HaLu(ハル)さんは日本の都(京都)の貴族に生まれた前世があります。和歌を詠み、詩をつくり、風流に暮らす生活をしていたとのことです(ハルさんは赤字で記載)。質問者は日本人男性です(青字で記載)。――――――――――――――――――――――――――――――――怒ってなんかいませんよ。ただ悲しくてやりきれないんです。だって、プレアデスが撤退する、このような情報が発信されたということは、こ...2024年プレアデス人とのコンタクト内容を公開します:第6話(2024/10/22)

  • 人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト④(必ず出会う人)

    (「人生の問題集」として出会わなければいけないソウルメイトもいる)今、あなたの人生の幸福・不幸を分けているのは、実は、あなたの身近にいる人、あなたにご縁のある二十人か三十人ぐらいのグループの人であり、そのなかで、あなたがたの幸・不幸は、おそらく決まってくるだろうと思います。その人たちは、実際に、この世であなたが「出会うべくして出会った人」であることが非常に多いわけです。あなたが人生の修行をする上で、どうしても必要で、あるときに、確実に、絶対に一度は出会うように仕組まれている、ご縁のある人がいるのです。そのなかには、あなたに優しく接してくれる人もいれば、何かを厳しく教えてくれたり、試練を与えてくれたりする人もいます。しかし、必ず出会わなければいけない人がいるのです。これが、ある意味での「人生の問題集」でもあ...人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト④(必ず出会う人)

  • 人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト③(ソウルメイトたちの助力)

    (過去世から親しい魂のグループが同時代に生まれ、自分の人生をバックアップしてくれている)今、世界の人口は80億人以上になり、さらに90億人に向かって増えているので、いろいろな時代に生まれた人たちが、現代にドッと生まれてきているのは、ほぼ明らかです。そのなかには、いつの時代も、あるいは、ときどき、一緒に魂修行をしてきた仲良しのグループがあり、そういう人たちが同時代にたくさん生まれています。万一、あなたがたの現在の家族関係や友人との人間関係、仕事での人間関係が破綻しても、新しくできる人間関係のなかに、自分に縁のあるソウルメイト、「魂の友人」と言うべき人が出てきて、助けてくれるようになっていることが多いのです。人生はすでに八十年、九十年時代に入ってきているので、さまざまなことがあろうかと思いますが、どうか、運命...人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト③(ソウルメイトたちの助力)

  • 人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト②(離婚・再婚)

    (再婚相手にも縁のある場合が多い)欧米圏では離婚・再婚が非常に多いのですが、霊的なコンサルティングを行っているニューエイジのほうでは、そういうときにも人々の相談を受けているようです。そして、「自分の再婚相手が、自分に縁のある人であるかどうか。自分の過去世のリーディングをしたら、そこに出てくるような親しい人かどうか」というような質問に対して答えています。キリスト教では、結婚するときに、「神が一つにしたものは、永遠に別れてはいけない」というようなことを誓わせますが、その誓いを破って離婚・再婚をする人は罪悪感を持つわけです。教会は、この罪悪感を救ってくれません。そのため、人々は、「何か違う考え方があるのではないか」ということを模索し、宗教に代わるものに救いを求めているわけです。そこで、自分が新しく好きになったり...人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト②(離婚・再婚)

  • 人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト①(身近な人々)

    (過去世から“縁の深い人たち”は自分の周りにいる)これからは、大きな宗教になることはなく、一つのグループで、せいぜい数十人から、最大でも千人ぐらいの規模までしか大きくならないのですが、あちこちでそういう霊現象が起きて“人生コンサルティング”のようなものが流行ってきました。キリスト教は霊界観や霊的な知識を教えないので、人々は、真実を知りたくて、「本当は、霊的なものがあるのではないか」ということを訊きに行っているのです。そして、そこで教わっていることは、結局、「今、自分の周りにいる人で、自分と葛藤をつくり、悩みをつくっているような人たちは、実は、過去世を振り返ってみると、幾転生の過程で出会っていて、いろいろな人間関係の組み合わせで生きてきたことのある人たちである場合が多い」ということです。例えば、「今は夫婦で...人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト①(身近な人々)

  • 人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト

    (「ソウルメイト」と欧米の「ニューエイジ運動」)宇宙の大樹は無数の枝に分かれ、その枝の先端に、さまざまな個性を持った一人ひとりの魂があります。あなたの魂も一つの先端に存在しているのですが、その先端部の少し手前から何本かの小さな枝が出ています。ここに、あなたの魂と同じころに創られ、枝分かれした、「ソウルメイト」と言われる、あなたと関係のある魂が存在しています。この「ソウルメイト」という言葉は、欧米で1970年代ぐらいから起きた、「ニューエイジ運動」という新宗教運動のなかでよく出てくる言葉です。この“新世紀運動”“新時代運動”とも言うべきものは、アメリカなどで流行っていました。それが流行っている背景には、「人々が、教会で教えているような伝統宗教としてのキリスト教では物足りなくなり、もっと霊的な真実を知りたくな...人生の意味を読み解くヒント――ソウルメイト

  • 【警察官ゆりさん】アメリカが大変なことになりました【孤軍奮闘】

    全米屈指の犯罪都市でもあるロサンゼルス。そこで警察官として日夜、公務に励む日本人女性がYURI(永田有理)さんです。昨年10月、日本に戻られたときには、三重県の津市で一日警察署長を務められたこともあります。34歳の時に現地のポリス・アカデミー(警察学校)に入学して警察官になり、世界有数の危険地域の治安維持に奮闘する日本人初の女性警察官が配信する動画をご覧ください。米大統領選挙は11月6日ころに、結果が判明する予定ですが、有権者登録の不正申請が相次いでおり、不法移民でさえ投票できる状況は非常に危険で、結果次第では、アメリカは混乱状態になるかもしれません。今回の動画は、バイデン大統領がサインした新たなエグゼクティブオーダー(大統領令)がやばすぎるというお話です。https://www.youtube.com/...【警察官ゆりさん】アメリカが大変なことになりました【孤軍奮闘】

  • 「生命の大樹」から見た新しい世界観とは ④

    (学校教育で教わらなかった「真実の人生観」)この世で、何十年かの修行を経て、新しい個性を持ってあの世に還ります。そして、その記憶を魂の兄弟たちと共有する。そのような人生観が、実は真実の人生観なのです。学校教育で教わる知識、本や雑誌、テレビ等で伝えられているような情報とは、かなり違っていると思います。はっきり言って、「こんなことは聞いたことがない」という人がほとんどでしょう。しかし、「聞いたことがない」という、その人生観が真実のものであり、“本当の世界”なのです。今、生きているあなたの姿そのものは、本当のあなた自身ではありません。本当のあなたとは、「広大無辺な宇宙のなかの、地球という有限の球体に、たまたま旅行者のようにやってきて、数十年、住み、あの世に還る」という“旅人”のようなものです。新しい教訓を学ぼう...「生命の大樹」から見た新しい世界観とは④

  • 「生命の大樹」から見た新しい世界観とは ③

    (宇宙樹の先端にある、本当の「自分」の発見)生命の枝は次々と細分化されていきます。大きな枝から中ぐらいの枝になり、さらに細い枝が伸びています。そして、この細い枝のいちばん先のほうには、末端の小さな枝が無数に出ていて、たくさんの葉っぱが繁っているように見えます。さらに、近寄ってよく見ると、一つの小さな枝の先端に、六枚ぐらいの葉っぱがついています。この枝についている六枚の葉っぱを「一つの生命体」として見るのです。これを「魂の兄弟」といいます。「魂の兄弟」は、原則として、「本体」という、魂の中心となる“司令塔”の部分、“頭”になる部分と、その兄弟である五人の魂で、“一つ”にまとまっています。この六人の魂全体で、“一つの生命体”になるのです。それぞれの魂は、順番に、この地上に生まれます。死んで霊界に還っても、地上...「生命の大樹」から見た新しい世界観とは③

  • 「生命の大樹」から見た新しい世界観とは ②

    (地球の生命の根源は「エル・カンターレ」という名の大樹)宇宙を貫く、この大木は、大きな視点で見ると、地球というレベルを超えて、全宇宙にまで、その枝を伸ばしている大木です。これを地球的視点から見ると、地球という霊系団のなかにも、一本の大きな大きな柱のような木が生えています。その生命の大樹の名を、「エル・カンターレ」といいます。このエル・カンターレという存在が、地球に生きる、すべての生命(いのち)の根源なのです。ここから霊的なエネルギーが流れ出しています。この生命(せいめい)の大樹、生命(いのち)の大木から、大きな枝がたくさん出ています。そして、地球の霊系団のなかで、この大きな枝に当たるものが「民族」なのです。いろいろな国の民族が、この大きな枝の部分に当たります。では、民族を決めるものは何でしょうか。それが「...「生命の大樹」から見た新しい世界観とは②

  • 「生命の大樹」から見た新しい世界観とは ①

    (宇宙には一本の巨大な「生命の大樹」がある)ここまで、人生における「勇気」について、さまざまな考え方を具体的に述べてきました。最後に、もう一段、神秘的な内容に踏み込んで、真実の人生を生き切る勇気について、話をしていきましょう。以前、「視点を変えれば、どんな苦しみも違って見えてくる」という話をしましたが、ここでは、この視点を宇宙大にまで広げ、みなさんに、新しい人生観、新しい生命観、世界観とでも言うべきものを提示したいと思います。霊界研究を続けてきました私が説く人間観、世界観は、世の中の「常識」とは違ったものですが、どうか、常識で理解しようとせず、みなさんの常識を入れ替えていただきたいと思います。まず、「自分の生命とは何か」ということから考えていきましょう。みなさんは、“自分”という存在を、どのように捉えてい...「生命の大樹」から見た新しい世界観とは①

  • 勇気を出して、熱血火の如く生きよ

    時代を創っていくためには「勇気」が必要です。しかし、「勇気を出せ」と言われても、「どうしたらよいか分からない」という人もいるだろうと思います。いかなる自分を見いだしていけばよいのか、迷っている人もいるでしょう。勇気というものは、死を覚悟したときに出てくるものと考えたらよいのです。仏教の言に、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉があります。これは、「わが命、惜しまず」という意味であり、「死を覚悟する」ということです。そして、人間は死を覚悟したときに初めて、「勇気とは何か」ということが分かり、勇気を出すことができるのです。「勇気とは何か」を知りたければ、「自分は、いかに生きるべきか」ではなく、「自分は、いかに死ぬべきか」を考えればよいのです。どのような一生を生き、どのような死に方をしたいのか。どのよう...勇気を出して、熱血火の如く生きよ

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