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2015/11/20

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  • 日本に新文明を起こし、世界に広げよう(前編)

    (「正義とは何か」を考え、「智慧と勇気」で実行せよ)私が述べたいことは、「大きな歴史の流れから見て、あるいは、今、天上界から降りている使命から見て、この日本という国が、これから黄金時代を迎えなければ、私たちの使命を果たすことはできない」ということです。日本が簡単に没落したら困るのです。日本は、世界に向かって、きちんと、ものを言い、情報を発信して、手本とならなくてはいけません。それだけの自信を持つ必要があります。サムライ精神には、悪い面だけでなく、良い面もあります。やはり、しっかりと肚(はら)を据えて、言うべきことは言い、交渉すべきことは交渉し、相手が間違っているものについては、「間違っている」と言うことです。「正しいことを貫くためには命をも懸ける」という覚悟を持つことが大事です。そうであってこそ、日本は、まっと...日本に新文明を起こし、世界に広げよう(前編)

  • ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは⑤

    (日本のマスコミは外国マスコミの追随をやめるべき)日本のマスコミは、アメリカやイギリス、ロシア、韓国であろうと、中国や北朝鮮であろうと、外国のマスコミが言っていることは、そのまま正義であるかのように捉(とら)え、「外国のマスコミが言っているから、そのとおりです」というような報道の仕方をしていますが、こういう態度は「腰抜け」といいます。はっきり言って、恥ずかしことです。まずはディベートに持ち込まなければいけません。やはり、こちらの主張を述べて言論を戦わせなければいけないのです。国益をまったく無視するのであれば、国の崩壊や滅亡を招いているとしか言いようがありません。マスコミは「国が滅びるぞ」と言い続けているようなものです。「いずれ外国が攻めてきて日本は滅び、“バビロン捕囚”が起きて、日本人はみな奴隷になるであろう」...ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは⑤

  • ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは④

    (主権国家として自国の主張を堂々と述べる国へ)北朝鮮がミサイル発射の動きを見せたりすると、日本は、アメリカに泣きつくような外交をすぐやりたがるのですが、こういうことは、もう終わりにしなければいけません。また、国民が北朝鮮の工作員に拉致され、向こうのトップは、それを認めているにもかかわらず、いまだに全員を返してもらってはいません。日本が「拉致した人を返せ」と言っても返してくれないので、拉致被害者の家族は、日本政府ではなく、軍事力を持った外国の大統領や国務長官などに、「どうか、北朝鮮と交渉して、取り戻してください」とお願いをしているのです。これは、主権国家としては非常に恥ずかしい話です。自衛隊は、いったい何のためにあるのでしょうか。政治家には日本国民を護る気があるのでしょうか。日本人が拉致されても、「相手は“宇宙人...ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは④

  • ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは③

    (日本の歴史を見直し、戦後の呪縛から脱却せよ)日本の歴史を見れば、創意工夫の連続でしたし、伝統的なものにも、素晴らしいものが数多くあります。民主主義にしても、日本においては、戦後に始まったことではありません。大正時代には、「大正デモクラシー」という運動がありました。「平等な社会」という観点についても、江戸時代には庶民は平等でした。士農工商という階級はありましたが、それぞれの段階での平等さはあったのです。また、江戸時代の日本は、侍の治める国ではありましたが、刀を抜いての斬り合いは非常に少ない三百年であったと思います。さらに歴史を遡(さかのぼ)ると、死刑が行われなかった時代もあります。今から千年以上の昔、平安時代には、三百年近くの間、死刑が一度も行われなかった時期があるのです。そのころ、ヨーロッパでは、バイキングと...ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは③

  • ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは②

    (交通革命を起こし、日本の潜在力を引き出す)以前、あるテレビ番組に、「森ビル」という企業の社長が出演していました。森ビルは、六本木ヒルズなどをつくった会社で、東京の港区を中心に開発をしています。その会社の社長が、六本木ヒルズの屋上から東京を見渡しながら、「東京のビルはまだまだ低いので、もっと高いビルをあちこちに建てたいものです。そして、ビルとビルの間をロープウェーで結びたいですね」というようなことを話していました。私は、それを見ていて、「自分と似たようなことを考える人が、世の中にはいるものだな」と思い、不思議な感慨に打たれました。1990年ごろ、出張で東京のホテルに泊まったときのことを思い出しました。そのホテルでマッサージを頼んだのですが、マッサージ師のおばさんを相手に、こんな独り言を話しました。「東京のビルを...ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは②

  • ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは①

    (「外国のまねをする日本」から、「世界に手本を示す日本」へ)未来の潮流というものを、よく見なければいけないと思います。日本には、残念ながら、遥か遠く先を行っているような“先輩としての先進国”は、すでになくなってきています。もちろん、わずかな部分で日本をリードしているような国は、いろいろとあると思いますが、総合的に日本より何十年も進んでいるような国は、もはや地球上にはないのです。日本人は、これからは自分たちで未来をつくっていかなくてはなりません。もう、「お手本をまねすればよい」という時代は終わったのです。これからは、自分たちが考え、編み出し、発明したことを、ほかの国の人たちがまねをする時代になります。それを知らなければいけません。例えば、将棋や囲碁の世界では、天才棋士が新しい手を発明すると、すぐに、ほかの棋士たち...ゴールデン・エイにジ向けて、今、日本がなすべきイノベーションとは①

  • 政治、経済、戦争の正邪を分けるために(後編)

    (左傾化し「神仏の心」が忘れられている現代の世界について)さらに、もう一つの流れとてして、「民主主義国家」といわれるところの流れのなかでも、結局、左へ左へと寄っていっていて、今、共産主義国家とどちらが“左”だか分からなくなってきています。中国のやっている軍事専制国家はヒットラー的になってきているので、「右翼(うよく)」でしょう。中国の右翼の台頭です。ですから、ヒットラーの台頭と同じように考えていいと思うのです。ほかの国から見れば、今、右翼の全体主義になりつつあると思うのです。アメリカのほうが、ハリウッドのスターなども民主党を応援してやっていてトランプ氏を追い落としたように、左翼が強くなってきています。人権思想が緩(ゆる)やかに流れていくと、「男女の同権化」から、今、さらにもっと“メルトダウン”して「LGBTの保...政治、経済、戦争の正邪を分けるために(後編)

  • 政治、経済、戦争の正邪を分けるために(中編)

    (「政経分離」をして中国を太らせた日本企業の責任)コロナ感染の原因究明をはっきりしないで済ませているために、日本などの企業は潤(うるお)っているところもあるわけなのです。ユニクロなども株式総会をやって、「ウィグル等で、あんな人権弾圧が行われているのはどうなのだ」と株主から意見がなされても、「それについては答えられない」と言ってちゃんと逃げているわけですので、「政経分離」でしょう。政治と経済を分離して、知らん顔をしてやっています。ただ、アメリカにも責任はあるけれども、日本企業にも中国を“太らせた”責任はあるわけなので、これに対して世界で戦争が起きたり人権侵害がいっぱい起きたりした場合に、「責任がないとは言えない」ということは知っているべきだというふうに思います。このへんを、自分たちのところに落ちるお金のことを考え...政治、経済、戦争の正邪を分けるために(中編)

  • 政治、経済、戦争の正邪を分けるために(前編)

    (コロナ感染の今後の広がりをどう見るか)「民主主義対専制国家」という言い方だけでは、おそらく、世界はまだ二分化していくだけで分からないと思います。ですから、トランプさんのとき以上の分断化が、今、進んでいるように見えてしかたがありません。“バイデン兵法の弱点”はロシアと中国をまとめて敵に回してしまったところなのです。これは要するに、冷戦時代に戻っているのです。彼の頭のなかには「冷戦時代・東西冷戦の頭」が残っていると思うのです。ですから、「NATO(北大西洋条約機構)でロシアに対応する。あとは太平洋艦隊で今度は中国のほうを牽制(けんせい)する」というかたちなのだろうけれども、あまり賢い戦い方だとは思いません。特に、今回のウィルスが、また「アジア人差別になる」という理由により、「中国発である」ということを、バイデンさ...政治、経済、戦争の正邪を分けるために(前編)

  • 世界経済の厳しい見通し ④

    (中国が日本を小国扱いにするのはなぜか)日本も財政赤字だけれども、第二次大戦の端緒(たんしょ)は、軍事力で他国を侵略(しんりゃく)したことがあります。産油国であるインドネシアとか、そういうところを取りに行きました。けれども、そういうことを今のところできない状況になっており、スエズ運河で大型コンテナ船が座礁(ざしょう)して通行止めにしただけで、ものすごい法外なお金を要求されたりしているような状況です。ですから、これでいくと、「一帯一路」が完成し台湾海峡も押えられた場合は、そういう産油国から油も入らないし、ロシアやその他からの天然ガスのパイプラインなどという、そんなものは爆撃すれば終わりですから、もう、すぐに来なくなります。海底でパイプを通しても、そんなものは海底で破壊したらそれで終わりですので、全然、何にもならな...世界経済の厳しい見通し④

  • 世界経済の厳しい見通し ③

    (中国経済の現実と“超巨額”の財政赤字について)「中国の経済(GDP)が日本の二倍を超えた」ということを言ったのは何年も前ですけれども、「統計操作で、現実は超えていなかった」ことも分かってはきています。しかし、さらに中国は、次にバブルのお金をつくり出しているのです。今、これをやっています。日本もお金を“ダブダブ”にはしていますけれども、中国のお金も、これまたビットコイン系の変化形がいっぱいいろいろと出てきており、さらには、外国のそういう「虚業(きょぎょう)としての金融業(きんゆうぎょう)」のようなものからも、“偽金(にせがね)”をさらに盗(ぬす)んでくるという“偽金を盗む業者”のようなことを、人民解放軍主体でいっぱいやっていると思われます。したがって、世界経済は、どこかの時点で機能不全に陥(おちい)って“破裂(...世界経済の厳しい見通し③

  • 世界経済の厳しい見通し ②

    (世界中で分かりにくくなっている「未来価値観」)中国の“神”は今、要するに、「法治主義という名前、これが世界的価値観と共通だ」ということを言っているわけです。「法治主義で、法律に則(のっと)ってやっているからいいんだ」と言うけれども、その法律をつくっているのは、全員一致する全人代とか、その“分家”の部分ですので、基本的に「人治主義」なのだということです。「法治主義」と「人治主義」の違いが分かっていないので、実に困るなと思っているのです。一方、日本のほうは、アメリカもそうだけれども、与党と野党でだいたい反対のことを言って突きつけてくるということがあります。これも「よし悪し」の両方があると思うのですが、「反対のことを言わなければ存在意義がない」ということで言うわけです。ただ、与党のほうも野党が言ったことをどんどん取...世界経済の厳しい見通し②

  • 世界経済の厳しい見通し ①

    (日本が中国に言い負かされる言語的な理由とは)中国の内情は、ウイグルの内情とかが世界的に知られてきたことや、香港の悲劇、それから台湾の今の緊張等が知られてきたことは、いいことだとは思います。あとは、ミャンマーなどでも軍政を敷かれて人がいっぱい死んでいること、あるいは記者が拘束されていること等を知られてきていることはいいことですが、基準があまりはっきりしないために何もできないでいるところはあると思います。「民主主義国家対専制国家の戦いだ」と言っても、バイデンさんはそれを哲学的に説明できるわけでもありませんので、「それは国の違いでしょう」とか「中国流の民主主義だ」とか言われて、それで言えない。ディベートとしては、中国のあの外務報道官が言うディベートを言い返す練習をしないと、日本語は言葉が遠回しで弱すぎて言い負かせな...世界経済の厳しい見通し①

  • ネット社会がもたらす「情報統制」の怖さ(後編)

    (スパイが野放しにされる日本の情けなさ)中国は全人代(全国人民代表大会)をやっているから、民主主義をやっているような気持ちでいるのだろうけれども、全人代など全員一致しかないのですから、そんなものは、あってもなくても、もういいのです。反対した者は、それは処刑されるか収監されるだけのことなので、もはや、そんなものは民主主義でも何でもないことだし、民衆の意見を代弁もしていないものです。だから、お上の考えを押しつけ、それだけの権威をつけるだけのものです。ですから、起きているのはほぼ“江戸時代”でしょう。あれはもう日本の江戸時代のようなもので、封建制だと思います。封建制なのだけれども、それを現代的に見せているというところです。“江戸時代”なのだけれども、また偽金(にせがね)づくりも横行しているということだし、あるいは他国...ネット社会がもたらす「情報統制」の怖さ(後編)

  • ネット社会がもたらす「情報統制」の怖さ(前編)

    (コンピュータ時代は、本当に人を自由にするのか)特にネット社会になってからは、「民主主義がさらに加速されて個人の発言がいっぱい出る。大手マスコミによる遮断(しゃだん)を乗り越えて、民主主義がもっといっそう繁栄するものだ」と、みんな楽観的に見ていたけれども、「どうもそうではないらしい」ということになってきました。インターネットを使えるところも大手の何社かに絞られてきて、これもまた勝ち負けが最後に出てくると思うのですが、寡占(かせん)状態になってくると、やはり「政治性」が出てくる。何億もの人に影響を与えてくるようになってくると、「政治性」が出てくる。それが政治的に自分たちの会社の利益になるか、ならないかとか、トップの思想・信条によってかなり政治的判断がなされるようになってきて、自由な意見が出るかと思いきや、現実はあ...ネット社会がもたらす「情報統制」の怖さ(前編)

  • 政治家のコロナ対応から見える“全体主義の練習”の姿(後編)

    (「緊急事態」と称して全体主義が入っている危険性)昨年も、「連休の外出をお控えください。里帰りはお控えください。観光はお控えください」と言ったら、本当に新幹線はもう限りなくゼロパーセントの乗車率で走っていましたけれども、まあ、潰そうとすれば潰せるということを証明しているようなものでしょう。飛行機もそうでしょう。もうオンボード率(搭乗率)は非常に低いのですけれども、少し前は「オリンピックの練習」と称して低空を飛び回っていました。客が乗っているかどうかは定かではありませんでしたが。特定の業種を、要するに「生かすも殺すも自由だぞ」と見せているようには見えますし、それがフェアかどうかも分からない面があります。「ある業界」ということで区切って全部に言うけれども、個別に見れば、それは、いろいろな対策を打っているところもある...政治家のコロナ対応から見える“全体主義の練習”の姿(後編)

  • 政治家のコロナ対応から見える“全体主義の練習”の姿(前編)

    (コロナ感染のニュースばかりを流す本当の理由とは)政治については、この一年間、テレビとか新聞もそうですが、見ていたらもうコロナ感染の話ばかりで、いいかげんもう嫌になります。「毎日毎日、何人出た、何人出たということばかり、一年間、よく飽きずにやるな」と。このへんは、私はアナウンサーとかを尊敬するところはあるのですけれども、もうとてもではないけれども、まねできないのです。ああいう知性はどうしたら訓練ができるのかが、私には分からないのです。地震などでもそうです。地震速報がパッと流れて、いきなり入ってくる。「大きな揺れがありました」と。あとは情報がないのに延々と番組をもたせ続ける。それを言い続けていって、小出しに出して同じことを何回も何回も、一時間も二時間も三時間も、夜中まで言い続ける。やはり「あれはすごいな。落語家を...政治家のコロナ対応から見える“全体主義の練習”の姿(前編)

  • 信玄上洛

    (信玄は台本通りに死んだ)勝頼(信玄の四男)はビクッとして顔を上げた。信玄はかまわずにつづけた。「俺はもう駄目だ。しかし俺が死んでも三年のあいだは俺が死んだことを天下に発表するな。もしそんなことをすれば、おまえは酷い日にあう。織田信長、徳川家康、北条氏政、上杉謙信など、武田を狙う敵は周囲にひしめいている。しばらくは俺の死を隠せ。自然に知れればそれはやむを得ない。そのときは、信廉(のぶかど:信玄の同母弟)と相談してどうするかを決めろ。俺の死体は大きな瓶に入れて、諏訪湖の底に沈めろ。諏訪はおまえの母の生まれ故郷だ。湖の底から、俺は武田の行く末を見守ろう。おまえはすぐ他の跡を継ぐな。息子の信豊(勝)がまだ幼年だが、かれを俺の跡継ぎにせよ。当分、おまえは後見人になれ。そのほうが武田家の収まりがいい。なぜなら、おまえはま...信玄上洛

  • 戦国時代:三増峠(みませとうげ)の合戦 永禄十二年(1569)十月

    三増峠の合戦は、1569年(永禄12年)10月、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康の軍が戦った、戦国時代の中でも名高い山岳戦です。史書「甲陽軍艦」には、戦死者は北条方3,269人、武田方900人と記されています。―――――永禄十二年八月、信玄は約二万という大軍で甲斐を発した。そして十月一日より、北条氏康の本拠小田原城を包囲した。北条氏康が上杉謙信と越相同盟(えつそうどうめい)を結んだので、これを放置できなかった。しかし氏康は、徹底した籠城作戦でこれに対抗した。武田勢が城周辺に放火して挑兆を重ねても、北条方はいっこうに出撃の構えをみせず、ひたすら動かなかった。このため信玄は四日、攻撃戦を断念し、撤退を開始した。この武田軍の前に先回りしたのは、滝山城主の北条氏照と鉢形城主の氏邦の手勢であった。領内を蹂躙(じゅうりん)...戦国時代:三増峠(みませとうげ)の合戦永禄十二年(1569)十月

  • 武田信玄 一日一言

    (世の中のことは、すべて六分、七分成功したらそれでよいと思わなければならない)武田信玄は、よくこういう論法で人に対した。「戦のことは勿論だが、万事物事というのは、すべて六、七分ほどにていいと思うべきだ。八分まで成し遂げようとすれば必ず失敗する」これは信玄が後のことを考えて、相続人を決めた時の言葉である。信玄の子勝頼は気ばかり焦って信玄の目から見るとまだ不十分だった。そこで信玄は、勝頼の子信勝を相続人に定めた。勝頼が文句を言った。「信勝はまだ幼く、力がありません。人間でいえば六、七分でしょう。なぜ、私を押えて私の息子を相続人になさるのですか?」この時に信玄は、「たとえ信勝の力が六、七分であろうと、後の足らずをおまえをはじめ多くの部下が補ってくれる。おまえは八分の力を持っているかも知れないが、まだ後の二分を補ってく...武田信玄一日一言

  • 信玄メモにみる情報戦略

    信玄の経営の才を示すものとしては、「甲州法度之次第」よりは、筆者が「信玄メモ」と呼んでいるもののほうが優れているように思う。このメモは、他国から甲斐の国にやってきた商人の情報を聞き記したものであるが、信玄が並の武将と異なるのは、一つの情報源を盲信することなく、さらにクロスチェックしている点だ。たとえば、隣国から入国した商人に国情を聞き、メモしたあと、さらに別の隣国商人から聞いて書き加える。その上で分析をし、正誤を判断するのである。信玄は、このような詳細な情報収集をしていたから各地の情報にはかなり精通していた。そのうえ、家臣を商家に奉公させ、そこから各地に行商人に仕立てて派遣し、諜報(ちょうほう)活動をさせるまでしたから徹底をきわめたといってよい。しかも、この行商を通じて甲斐や武田家についての欺瞞(ぎまん)情報を...信玄メモにみる情報戦略

  • 武田信玄:臆病者には臆病者の役目がある

    「武田信玄」は、甲斐(現在の山梨県)の戦国大名です。「甲斐の虎」と呼ばれた彼の率いる武田軍は当時最強と言われ、その武勇はのちの天下人「織田信長」の耳にも届き、恐れさせるほどでした。天下を目指していた信玄が、上洛を前に病に倒れることがなければ、日本の歴史は変わっていたかもしれないとも評されています。―――――武田信玄の本名は武田晴信世には武田信玄の名が浸透していますが、本当の名は「武田晴信」(たけだはるのぶ)です。1536(天文5年)、信玄が元服した際に、室町幕府12代将軍「足利義晴」(あしかがよしはる)の字をもらい、武田晴信と名乗るようになりました。武田家の祖は清和源氏であり、室町幕府の足利氏とは祖先が同じ一族なのです。なお、よく知られている「信玄」の名は、39歳で出家したときの法号です。―――――(臆病者には...武田信玄:臆病者には臆病者の役目がある

  • 信玄は部下に分権と責任を与えた

    「人は城人は石垣人は堀」武田信玄この言葉の後に「情は味方仇は敵なり」という下の句がつく。情というのは部下に対する愛情であり、仇というのは部下を憎む心だ。したがって下の句から上の句を解釈すると信玄のこの言葉は、・信玄は部下に温かい愛情を持っていた・一人ひとりの部下に対し、おまえは城、おまえは石垣、おまえは堀というように、城全体の構成になぞらえて、部下を慈しんだ、という意味にとられている。しかし、ぼくは違った解釈をしている。信玄が治めた国は甲斐(かい)(山梨県)だ。甲斐の原語は“山峡(やまかい)″から来たといわれる。というのは、平地が少なく、山が多いということだ。第一次産業、とくに米をその国の富の源とする時代に農耕地が少ない。というのは、それだけ生産性が低いといわざるをえない。したがって、甘ったれた管理をしていたの...信玄は部下に分権と責任を与えた

  • 武田信玄は、「治水の達人」

    現在、山梨県に行っても、「武田信玄が治水工事をおこなった堤防」というのが多く残されている。〝信玄堤″や〝竜王堤″と呼ばれている。その工法が非常に興味深い。信玄は、洪水防止のための築堤工事をおこなうときにも、「川を殺すな、生かして使え」と常に叫んでいた。川を殺すなということは、「川にも生命がある。高いところから低いところへ流れていく自然の法則を無視するな」ということである。人工的にコンクリートで川の流れを故意にねじ曲げたり、塞き止めたりすることは、信玄に言わせれば、「川の意思を無視し、その生命を圧殺することだ」ということになる。同時に信玄は、「治水をおこなうのには、前提として治山をおこなわなければいけない」と言っていた。治山というのは、「適切な植樹をおこなう」ということだ。現在は、かつての国の政策で杉の木ばかり植...武田信玄は、「治水の達人」

  • 武田信玄は 小さな中枢、大きな現場

    武田信玄は、他の戦国武将とは違って画期的なことを行った。それは、かれは甲府に大きな城を作らなかったことだ。かれの居舘(きょかん)の跡は、現在武田神社になって甲府市にある。甲府城というのが残っているが、これは江戸時代に作られたもので、信玄が作ったものではない。つまり、信玄は自分の部下に対して、「人は城人は石垣人は堀」といい切った以上、自分の居館となる大きな城は決して作らなかった。つまり、部下が全部城であり、石垣であり、堀であれば、そんなものは必要ないという考えだ。しかし、これは単にそういう理解で済むものではない。信玄の行ったことは、現在でいえば、「小さな本社、大きな現場」ということだ。言葉を換えれば、「組織の管理中枢機能は極力コンパクトにして少数精鋭主義でいく。そこで余らせたヒト・カネ・モノは、現場にまわす」とい...武田信玄は小さな中枢、大きな現場

  • 武田信玄(1521~1573)

    天文十年(1541)に父信虎を駿河に追放し家督を相続した。そして信濃を経略して北陸、日本海へ進出した。天文十一年(1542)の諏訪頼重攻略、同十六年の志賀城攻略、小田井原の戦いなどに勝利し、諏訪・佐久を押さえた。そして信濃守護・小笠原長時と葛尾城主・村上義清への攻略を開始した。上杉謙信は彼らの失地回復に大義名分で川中島へ出陣する。これが川中島合戦である。天文二十二年(1553)の第一回の対戦から計五回が通説で、第四回永禄四年の対戦を除き大規模な合戦はなく最終的な勝敗をつけなかった。結果的に信玄は信濃征服を決定的に、西上へと向かうことになる。永禄十一年(1568)、甲相駿三国同盟を一方的に破り、駿河の今川氏真を攻め駿河湾へ進出した。これによって北条氏康とも戦うが、同十三年には駿河一国を併合し京都を目指した。元亀三...武田信玄(1521~1573)

  • 川中島の合戦 天文二十一年(1552)~永禄七年(1564)

    天文二十一年(1552)から翌年にかけ、林城を拠点とした信濃守護・小笠原長時、北信濃きっての名族の葛尾城主・村上義清ら北信地方の諸将は、武田信玄の侵入に相次いで上杉謙信のもとに逃亡し、救援を求めた。謙信は彼らの失地回復に大義名分論の立場で応じ、川中島への出陣を決意する。これが川中島合戦の契機だった。この戦いは、天文二十二年(1553)の第一回の対戦をはじめとして、弘治元年(1555)、同三年、永禄四年(1561)、同七年の計五回の対戦があったというのが通説である。だが永禄四年の対戦を除き、両軍による大規模な合戦はなく、また最終的な勝敗をつけることはできなかった。川中島の合戦といえば、挟義には永禄四年九月十日に行われた八幡原(はちまんばら)での第四回目の対戦をさす。この対戦については、江戸時代に書かれた武田方の『...川中島の合戦天文二十一年(1552)~永禄七年(1564)

  • なぜ中国はリトアニアから大使を召還したのか?

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。皆さん、リトアニアという国をご存知ですか?旧ソ連の国です。人口280万人の小国で、エストニア、ラトビアと共に、「バルト三国」と呼ばれています。このリトアニアから、中国の大使が本国に召還されました。何があったのでしょうか?理由は、こちらです。日経新聞7月20日。<台湾の外交部(外務省)は20日、バルト3国の一つのリトアニアに代表機関を設置すると発表した。事実上の大使館として機能する見込み。>中国は、これに激怒して大使を召還したのですね。リトアニアと中国の間に何があったのでしょうか?<従来中国とは良好な関係にあったが、最近は特に人権問題で批判姿勢を強めている。同国議会は5月、...なぜ中国はリトアニアから大使を召還したのか?

  • オーストラリア軍が中国海軍をせん滅する日

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。最近世界情勢で話題になっているのは、「AUKUS」(オーカス)のことです。これは、9月15日に発表された、アメリカ、イギリス、オーストラリアによる、「新しい安全保障の枠組み」のこと。オーカス、よくみると、A=オーストラリア、UK=イギリス、US=アメリカであることがわかります。そして、具体的には、アメリカとイギリスが、オーストラリアの原子力潜水艦建造を支援するのです。現代ビジネス9月18日。<インド太平洋の中堅国オーストラリア(豪州)が米英両国の支援を受けて、原子力潜水艦(原潜)を8隻建造し、保有することになった。実現すれば、核兵器を保有する米、英、中国、ロシア、フランス...オーストラリア軍が中国海軍をせん滅する日

  • 【 黒化 】する世界

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。私は現在、50歳です。ソ連が崩壊して冷戦が終わった1991年12月、私は21歳でした。(現地でソ連崩壊を目撃しました。)私の世代、上の世代は、「冷戦の恐怖」を覚えています。それは、「核戦争が起こって、人類が滅亡する」という恐怖。そして、「世界が共産化する」という恐怖です。「共産主義」のシンボルカラーは「赤」。だから、ソ連の国旗、中国の国旗、ベトナムの国旗などは「赤ベース」です。そして、昔は共産主義者のことを「アカ」と呼んでいました。私も90年代、一時帰国した際、「モスクワに留学しています」というと、「アカですか?」と聞かれました。ちなみに、私は、かつて共産主義者だったこと...【黒化】する世界

  • 見えてきた日本の希望

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。2008年、リーマンショックから「100年に1度の大不況」が起こりました。これがはじまった時、世界中のとても多くの人たちが、「1929年の世界恐慌の再来だ!!!」と思ったのです。実際、そのぐらいのインパクトがありました。ただ違ったのは、アメリカ政府の対応です。1929年、大統領は「古典派」のフーバーさんです。彼は、「古典派」らしく、「放っておけば、そのうちよくなる」と思い、事実上恐慌を放置したのです。それで、状況がドンドン悪化してしまった。ところが、オバマさんは、1929年の失敗からきっちり学んでいました。即座に大規模な金融緩和をし、年間200兆円の財政赤字を出しながら、...見えてきた日本の希望

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