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性能とデザイン いい家大研究 https://blog.goo.ne.jp/replankeigo

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です  いい家ってなんだろう、を考え続けます

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2015/10/15

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  • 【北海道らしい夏の味覚「漬物メロン」にメロメロ】

    北海道もこのところ、まるで盛夏の気候が続いております。連日ほぼ30度ほどの気温でさすがに日中は屋外での散歩を避け、早朝時間に済ませるようになってきているので、さらに早起きに。で、食品では写真のような「漬物用メロン」が店頭に並ぶようになって来た。これは「ウリ」という方が正しいのではないかと思うのですが、最近ではメロンが一般名化しているので、こういった呼び名になっている。本当はウリの一種でしょう。これが甘くなる品種だと「カンロ」とされたりする。わたしは、この「漬物メロン」を適当に1口大に切ってジッパー袋に入れて、軽く塩振りした上で浅漬けのモトで漬け込む。この出来上がりの浅漬けが無上の好物。どんな主食とも合うのですが、なかなかなのが蕎麦や冷や麦との食べ合わせ。暑い日の夕方、麺類のつけ麺を食べながら、この浅漬けを...【北海道らしい夏の味覚「漬物メロン」にメロメロ】

  • 【神魂(かもす)神社参観で出雲古代史に惑溺・・・】

    神話の里、という印象がどんどん加速されてくる山陰の旅のブログシリーズですが、自分で体感したままに撮影した写真群を整理整頓して行くことが、そのまま探究の開始になってしまいます。そういうなかで出会った水木しげるの「古代出雲」を読み進めることで、古事記・日本書紀についての山陰の側・出雲の系統からの独自の解釈が見えてきて、深い整合性を感じさせられています。同書の奥書に「古代出雲歴史博物館専門学芸員」の岡宏三氏の文章があって、いかにも水木しげるのこの地に寄せていた「思い」が深く伝わってくる。以下要旨。〜(水木の生家は境水道に面して建てられているけれど)幼少年期を過ごした境港は文字通り鳥取と島根の境界に位置する港で、境水道を挟んで向かいの東西に山(島根半島)の裏側に当たる諸喰という「のんのんばあ」の故郷の小さな集落に...【神魂(かもす)神社参観で出雲古代史に惑溺・・・】

  • 【古代出雲はアジア大陸との移動交流最前線か?】

    昨日は神魂(かもす)神社での人的な情報交流について書きましたが、やはり古格な大社造り建築の本殿を見ていても、この出雲を中心とする山陰日本海側地域の歴史層の深さを叩き付けられる思い。写真は拝殿正面からのショットですが、注連縄を見ていると、やはり「出雲大社系」のように思える。って言ってもわたしには注連縄文化の解析は不分明なのですが、下の出雲大社・神楽殿の「大注連縄」と基本的なデザインは共通していると見定められる。なので神魂神社は出雲大社系ではないかと思っていたのですが、拝礼の仕方などは基本的に伊勢神宮系。このあたりは神々の世界のことなので不明。そういう出雲周辺、山陰地域の文化現象について、現代世界でいちばんの「語り部」として水木しげるの活動があったように思います。だんだんわたしのなかで、今回の山陰の旅経験が熟...【古代出雲はアジア大陸との移動交流最前線か?】

  • 【最古の国宝大社造 「神魂(かもす)神社」と結縁譚】

    奈良県橿原在住の知人の日本画家から、山陰への旅に当たってかれの出身地の古社として紹介されていたのがこの神社。出雲大社の殿舎はなんども火災にあっているけれど、この神魂神社の殿舎は古格の出雲大社建築の工法を最古のカタチで伝承してきている。心御柱古材に「正平元年丙戌十一月日」の墨書銘があり柱古材は1346年当時の柱と考えられる。現存建築としては築679年経過ということになりたしかに最古級。そうしたことから建築として日本最古の大社造りであり国宝に指定。また、石段には自然石が使われていて「男坂」として結構な急勾配。なんとか登り切った。出雲国造府が立地していたことが推定されその鎮守として存在してきた。祭神は伊弉諾・伊弉冉。神社の「案内」には以下記述(要約)。〜当社は出雲国造の太祖「天穂日命(アメノホヒノミコト)」がこ...【最古の国宝大社造「神魂(かもす)神社」と結縁譚】

  • 【あとの祭りの「ベタ踏み坂」〜鳥取県・江島大橋】

    わたしの年代、1940-50年代生まれの人間は、いわゆる「戦後世代」でクルマ革命・テレビ革命のただ中で生きてきた最初期年代に属します。とくにわたしの場合、自転車乗り練習を始めた時期には札幌有数の大動脈幹線道路に面した家だったので、練習のときに猛速のクルマに危うく轢かれ死ぬ寸前の体験をした。その様子を目撃した父親が、わたしに「自転車乗り練習の厳禁」を厳命することになった。親の言いつけをよく守る素直な幼少年は厳しい言いつけをよく順守した。命令撤回は結局、父の死までなかった。で、移動手段としての自転車利用が叶わなかったので、逆に18歳の免許取得可能年齢到達の途端に免許を取得した。そうすると今度は仕返しで「移動の自由」を最高レベルで享受する人生に向かった。社会人になる直前、入社決定していた広告会社の入社研修を兼ね...【あとの祭りの「ベタ踏み坂」〜鳥取県・江島大橋】

  • 【鳥取の「巨大な砂場」アチチ体験/鳥取砂丘】

    鳥取砂丘に行ってみたいというカミさんの希望で、今回の旅では足を伸ばしてみた。まぁそれが大きな目的地というワケではなく、わたしの旅人生でようやくの全県制覇という目的達成の「動機」という位置付け。特定の作家の住宅とかの探求目的などもなかったので、事前の調査などもまったくしないでの観光。ただ、やはり鳥取といえば砂丘という刷り込みがながく脳裏にあった。どんなものさ?砂丘というので日本にはない「砂漠」みたいなイメージがあって、なんとなくラクダ観光みたいな広大さイメージがあったのですが、現地に着いたら完全に「観光地」のひとつという印象。きのう紹介した隈研吾ランドマーク建築もある、自然観光スポット的な光景が広がっている。広さはおおむね東西南北2kmほどのスパンで、まさに広大な「砂場」。写真のようにまことに「広大な砂漠」...【鳥取の「巨大な砂場」アチチ体験/鳥取砂丘】

  • 【鳥取砂丘周辺・隈研吾「タカハマカフェ」】

    さて鳥取県に来たので敬意を込めて「鳥取砂丘」を訪問。あ、一応こちらが地元の総理のお菓子も先般紹介もさせていただいた。支持はあんまり・・・ですが(笑)。砂丘では靴を脱いで裸足になって往復2km以上、子ども時代以来の「砂場遊び」。砂場があるので石破もいるのかなぁ(笑)。やや足はホットになって清潔になったような気分。で、なにげにビジターセンター向かいの変わった建築に惹かれてしまった。まったく予備知識なく「なにこれ」と目が驚いていた。ちょっとググったら案の定、設計は隈研吾氏の「タカハマカフェ」とのこと。足のほてりもあったので、しばしアイスコーヒーでもということで中でひと休み。以下はWEBでの紹介要旨引用。〜構造はRCですが、壁材や天井材に木質CLTが使われて中は完全に木質空間。このCLT、仕上げに鳥取県産の杉のラ...【鳥取砂丘周辺・隈研吾「タカハマカフェ」】

  • 【日本庭園の美感追究 足立美術館の印象】

    近年、欧米の「庭園専門誌」の年度ごとの表彰制度で、島根県の足立美術館の庭園が連年、最優秀賞として顕彰され続けている、というNHK番組での紹介が続いている。日本庭園というのはたしかにオモシロい文化現象であり、和の文化の精緻であることも理解できる。わかりやすいところでは京都の伝統文化施設では、その背景あるいは主役として日本的な庭園美が追究されている。住宅と庭という関係性では長い歴史積層からこの列島の気候風土の中でのオリジナルな植生を生かした庭園美が追究されてきた。その積層はすごいことだと思っている。しかし一方で、北海道人としてはそういう日本的な植生とはやや違う樹種の自然条件と、なんといっても冬期の積雪のすさまじさ〜札幌で年間積雪6m超という自然環境の中では、そのままの庭園文化は成立しない地域にわたしたちは住み...【日本庭園の美感追究足立美術館の印象】

  • 【戦争が奪った片腕とネジ式の腕血管切断 水木しげる館-5】

    きのう、本来シリーズ的に「水木しげる」館探訪記を記していたのに、思わずわたし自身の「こころの原風景」のシンボルに遭遇して、詠嘆的にスピンアウトしてしまった。自分自身の「ふり返り」の時間、日々生存活動に没頭して無念無想で走り続けていた自分自身の足許を再探索し始めた2年近い時間経過。そうしたいとなみから「中心軸」を再度見定めるような時間が巡ってきた感。友人から「つげ義春のネジ式は、深い」というつぶやきにも似た印象があったけれど、あの同時代に青春期を過ごしていた人間としては、強く同意させられていた。「え、もう一回あの空気に身をさらすのか・・・」と。それもこれも、山陰鳥取県の西端・境港市の町のにぎわい復興の担い手として多くの日本人に共感を呼び起こしている「水木しげる」記念館の大きな「戦果」なのだと思う。わたし自身...【戦争が奪った片腕とネジ式の腕血管切断水木しげる館-5】

  • 【水木しげるからいっとき、スピンアウト・・・つげ義春へ】

    旅をするとそこで出会う情報の「宝庫」に刺激されて、どんどんとその領域が拡大してしまう。いまは、鳥取県境港市が市を挙げて観光活性化の起爆剤にしている水木しげるをめぐっての情報世界に耽溺しているのですが、その探索の過程でふと「つげ義春が、水木しげるの水木プロダクションというマンガ制作集団に一時期所属していた」という事実に突き当たって、あまりの懐かしさに、ついスピンアウトしてしまった・・・。まぁわたし自身の「人生まとめ」的なふり返りとしても、これからの自分自身の旅は機能していく予定なので、まったく目的的には合致する流れだなぁとひとりで腑に落ちている。そうなのです、1968-70年当時、戦後学生運動高揚期が青春期であったわたしは、やがて司馬遼太郎の日本人的な歴史文学世界に耽溺していく直前期、巨大な「日本マンガ文化...【水木しげるからいっとき、スピンアウト・・・つげ義春へ】

  • 【北前交易「回船問屋」の血脈 水木しげるに会いに行く-4】

    水木しげるは、1922(大正11)年に生まれている。出生届出地は父の勤務の関係で大阪だったが生後間もなく、実家のある境港に移り住んだ。記念館のパンフに掲載されている写真を見ていて、わたしの父母とも時系列的にほぼ同時代性を感じる写真群で、深く癒されている。私の父母とは十数年〜数年程度のタイムラグがあって水木しげるはやや年少になるけれど、ほぼ同時代と言える。北海道と鳥取という遠隔地だけれど、同じような「時代の空気」に揺籃されていたのだと伝わってくる。それがまた、わたしの父母への思いとも重なって癒される次第。人間のなかのある種の人たちは「歴史」に惹かれるものだろうけれど、その心象のコアにはこういった空気感への共感があるのだろうと思う。血脈の説得力から時代環境への温度感のあるあたたかさ。わたしの祖父母たちの年代は...【北前交易「回船問屋」の血脈水木しげるに会いに行く-4】

  • 【のんのんばあと「根の国」民俗 水木しげるに会いに行く-3】

    創作者にはその人生を賭けて追究する大テーマ「始原の感覚」というものが存在するだろうと思う。内面世界においてそここそが出発点だと見えてくる「原風景」。この水木しげるの世界観を探訪してみて、その根っこにある妖怪譚への根掛かりの思いの強さを感じ続けていた。まるでスサノオの神話研究で出現する「根の国」とも通ずるような民俗がそこに集中しているように感じさせられるのだ。同じ中国地方出身・兵庫県中西部の福崎で出生した柳田國男は、成長過程で千葉県西部で過ごしていた時期に民俗学の創始に至る印象的な神秘体験をした。一方対比的に、民俗としての妖怪譚に魅入られた水木しげるは、その導師として「のんのんばあ」との出会いが強烈だったのだろう。図は「水木しげる記念館」パンフからと、柳田國男の国会図書館・肖像記録。この水木の妖怪譚世界を知...【のんのんばあと「根の国」民俗水木しげるに会いに行く-3】

  • 【人間探訪は環境と血の把握から 「水木しげる」に会いに行く-2】

    山陰・島根〜鳥取から岡山・神戸と旅したのですが、やはりカミさんの「足立美術館訪問希望」がきっかけでしたので、今回は松江を拠点拠点にあちこちと日本海側を巡った旅でした。わたし自身の家系的には広島県福山が縁のあるので訪れることが多い。山陰海岸側は出雲大社参詣機会は多いけれど、それ以外はほとんど見たこともなかった。そもそも島根県の県庁所在地が松江だと今回初めて知ったし、また鳥取県の県庁所在地が「鳥取市」があるという事実さえ、あいまいだったのだ。小中学生当時に手塚治虫から始まった戦後マンガ文化革命の空気感に包まれて育った人間なので、そういったマンガ作家群のなかでゲゲゲの鬼太郎の作者として水木しげるへの多少の知識を持っていた程度。今回の旅で「そういえば」と人生記憶復元してきたのがホントのところ。しかし出雲や白ウサギ...【人間探訪は環境と血の把握から「水木しげる」に会いに行く-2】

  • 【島根県堺港の記念館へ 「水木しげる」に会いに行く-1】

    今回の山陰を中心にしたツアーは、カミさんの「足立美術館に行きたい」という強いリクエストから動機がスタートした計画。わたしとしては婦唱夫随的に、喜ばしく従わせていただいた経緯。ということだったのですが、いろいろな訪問スケジュールを計画していって大きな候補地になっていったのが、島根県の松江市街からクルマで1時間ほど離れた境港市にある「水木しげる記念館」。下の「お知らせ」にあるようにまとめた「作家と住空間」というライフテーマをジミジミとたどっていると、次第に「作家」のなかで自分自身にとっては「マンガ家」の存在が非常に大きく、石ノ森章太郎以降に知った描き手たちに強いシンパシーを感じていることが浮き彫りになってきていました。水木しげるは、そういうマンガ家たちのひとりではあるのですが、わたしがマンガにのめり込むように...【島根県堺港の記念館へ「水木しげる」に会いに行く-1】

  • 【白ウサギ神話世界から現代世界に帰還・・・】

    昨日、1週間の旅程から自宅に帰還いたしました。そういえば、ということで夫婦で話していたのですが、ずっと職住一体の環境で過ごしてきていたので、これくらいの時間、夫婦とも家を空けていたというのははじめての経験でした。感謝。写真は今回のツアーでひときわ心に残った「因幡の白ウサギ」神社に置かれていた白ウサギ像。出雲大社にはなんども訪れていたのですが、因幡国〜鳥取県はまったくはじめての旅。砂丘は有名だけれど実際に来て見たら「白兎神社」というお社も実際にあることを確認できた(笑)。なんでもこの神社は古事記・日本書紀にもその名が記されている由緒のあきらかな神社とのこと。おお、であります。因幡の白ウサギというお話しは童話の類いのことと思い続けていた人生。それがこういう神話には、象徴的に古代の政争の痕跡、地域間の関係性・地...【白ウサギ神話世界から現代世界に帰還・・・】

  • 【関西〜中国地方旅路を楽しませてくれるツバメたち】

    1週間の旅程での関西〜中国路の旅、昨日は神戸に入りました。本日は関西を発って札幌に帰還予定。全国あちこち飛び回る人生行脚ですが、そのなかでも最近は神戸の訪問回数は多い。たぶん東京での滞在に次いで多いかも。親しくしている知人が神戸出身で縁が深いこともあるけれど、札幌人には「明治以降に急速に世界に開かれた」都市としての親近感があるかもしれない。少し「帰ってきた」感がある。ただ最近神戸は人口減少が進んでいて、全国規模の「投資」活動では高層ビルなど、現在は関西では大阪一極集中なのだそう。ややさみしい話題。さて一方、旅の間、写真のようなツバメたちの群舞に各地で遭遇していた。初夏のツバメさんたちの「子育て」時期に遭遇していたということでしょうが、札幌ではほとんど見かけない光景に癒され続け。山陰〜中国路の観光地の木造建...【関西〜中国地方旅路を楽しませてくれるツバメたち】

  • 【最後の訪問県「鳥取」で全県踏破達成!】

    写真は鳥取の大スター「石破」さんを顕彰(笑)する地元のお菓子と、ご存知「鳥取砂丘」。政治家で総理大臣になると地元ではそのお祝いの菓子が売り出されるのが日本地方文化のひとつの「定番」。ついに鳥取県からも総理が輩出したという歓喜が伝わってくるかのようでした。・・・残念ながらこういうのを見かけたのはごく一部の観光スポットでだけでしたが。さて、わたしの人生は北海道から始まって、この鳥取まででついに「全国踏破」を達成できました。お隣の島根県までは出雲大社があるので5-6回は来ているけれど鳥取県はまったく、ようやくはじめての訪問。元気なウチに達成できたことがなんとなくしみじみとうれしく感じられていた。わたしの人生行脚はほぼ同時並行でクルマ「移動革命」と同時進行してきたことが島根・松江からの移動中、アタマのなかで想起さ...【最後の訪問県「鳥取」で全県踏破達成!】

  • 【旅路でめぐり会う「友」との対話】

    どうも最近、目に触れる動物たちにこころが「惹かれ」やすい。写真は昨日ふとめぐり会ったワンちゃん。ある古民家街区の家の窓外に「ひなたぼっこ」するように敷物に端座。その上方に飼い主の「紹介文」が張られて「このイヌはふだんは大人しい性格ですが、不意にアタマに刺激が加わると怒り出します」みたいな「警告文」が添えられていた。飼い主の一種の愛情表現で「そっとして上げてね。この子はこの日光浴が無上の楽しみなんです。その自由を束縛しないでください」という意味だろうと受け取りながら、道を歩いていてふと立ち止まらされたわたしは、そういう「ふたり」の愛情生活にもこころが吸い寄せられた。そうしたら女性の飼い主さんがワンちゃんに、この挙動不審な男はひょっとして危害を加えるのではと不安になったか、笑顔で声を掛けてきていただいた。これ...【旅路でめぐり会う「友」との対話】

  • 【しずかにみつめる時間。 宍道湖の落日】

    住宅の取材ということに人生時間をながく過ごしてきていました。そういうなかでいろいろな「住空間とひとの言葉」を聞いてきているのですが、釧路湿原地域で「終の住み処」として水辺を見晴らす西向きのやや高台に家を建てられた方がいて、その方の「暮らし方」につよく印象づけられたことがあった。その方はながく首都圏に暮らしてきて、その地での家は処分されて釧路湿原地域に移転新築された。その方の「終の暮らしのたのしみ方」として、ただただ1日の終わりの時間、夕陽をじっとながめられていた。夕方、それぞれの季節で時間はすこしづつ変化していくけれど、陽が落ちていく自然な光景に「この地球で生きてきた」という実感を味わい続けられていた。西に面している大きな窓辺で、室内は過ごしやすい室内気候を維持しながら、無念無想の時間を過ごされる幸せを語...【しずかにみつめる時間。宍道湖の落日】

  • 【梅雨時の日本列島 旅行けば・・・】

    月曜日9日から関西〜中国地方に移動してきています。かつては「梅雨のない北海道」と言われてきましたが、最近はだんだん「蝦夷梅雨」か、と思えるような季節に変化してきていると感じますが、それでも空気の乾燥感はあって、晴れ間が出れば爽快感のある天気に恵まれる。そういう土地に起居していると梅雨時の関東以西の世界は遠い感覚。わたしも前後10年間くらいは東京・神奈川で暮らしていたので、梅雨時のアジサイの美感・質感は記憶の底にあるのだけれど、やはり北海道の爽快な6月に慣れ親しんで生きてきたので、すっかり雨続きの水分過剰ぶりに驚かされるまで、北海道人としての感覚に先祖帰りしていることを実感。たまたま所用もあってこちらに来ているのですが、久しぶりの梅雨の体感。クルマで移動していても時折強烈なスコール状の降雨。なにより外を歩い...【梅雨時の日本列島旅行けば・・・】

  • 【一族から輩出の「一遍上人」 伊予河野氏探訪-5】

    わたしは「般若心経」を暗誦できます。なぜか学生時代に学生運動から離脱した当時、このお経の経文を研究して見たいと思って、まったく宗教とは無縁に勝手に書物を読んで学んでいた次第。どうも○○主義というのには、他者否定、強い他者攻撃の思想が強くて、それは結局人間を「悲しくさせる」のではないかという心理を持っていた。そのことから、多くの仏教の宗派を超えて「真言」とされている「般若心経」の明快さに惹かれていったのだと思っています。とくに最後のくだりは強く勇気づけられると思った。で、この河野氏からは1239年に「踊り念仏」で有名になった行動的宗教者である一遍上人が出生している。承久の乱(1221年)に際しての河野氏の没落時、一族で仏門に入っていた流れがその後、家門の再生を祈念して「還俗」した一統があって、一遍はこの一統...【一族から輩出の「一遍上人」伊予河野氏探訪-5】

  • 【元寇・弘安の役での船戦活躍 伊予河野氏探訪-4】

    1185年当時の源平合戦期で四国の勢力、海軍勢力として源氏軍に大いに寄与したことで河野氏は全国的にも評価されることになったけれど、その後の承久の乱(1221年段階)という30数年後の動乱期には、政治判断を誤って、後鳥羽上皇に味方して敗北することになる。たしかに源平合戦期の結果としての政治体制としては武権は鎌倉幕府にもたらされたけれど、頼朝という対朝廷側との「政治工作窓口」を失った関東武士団には、当時の政治・社会情勢下では勝ち目は少ないと判断したことにうなずける部分もある。なんといってもこの時期、政治統治の正統性は京都王権側にあって鎌倉幕府というのは国家体制としてはその軍事の一部門的な存在認識が強かったのだと思われる。そういう情勢のなかでさまざまな多数派工作は容易に想像でき、京都政権側からの「恩賞」の提示も...【元寇・弘安の役での船戦活躍伊予河野氏探訪-4】

  • 【源平合戦・壇ノ浦での戦功 伊予河野氏探訪-3】

    さて歴史的には伊予・河野氏は939年の藤原純友の乱の鎮圧にに当たって勢力を拡大した。そして現在の愛媛県松山市善応寺甲428の善応寺周辺を本拠として地歩を固めた。やがてやや南下して現在の松山市の湯築城公園の場所に本拠を定める。地政学的にそこが瀬戸内海海上交通の「要地」となる経済動向を反映したのだと推認出来る。そして河野氏が大きく飛躍するのは1180年〜1186年の源平合戦期。源頼朝が兵を挙げた1180年、この伊予の地で平家の中心勢力で国司の代官として権力を掌握していた平維盛を、越智郡にあった国衙(国司の役所)に攻めて、これを討ち果たすという軍事行動を起こした。地方の武士層に基盤を持っていたにも関わらず、遊離して中央の貴族と変わらない政治行動に終始していた平家は、武家層からの反発を受けていたのだと思える。そう...【源平合戦・壇ノ浦での戦功伊予河野氏探訪-3】

  • 【令和のコメ騒動と政局の動向】

    本日は連載企画は一時休止。で、国民生活の基本中の基本である「コメの値段」。こんなにわかりやすい生活と政治の問題はない。なにがどうであれ、右だとか左だとかの観念論ではなく、民の暮らしに直結する問題。その異常な価格上昇に対して抑制策をどうしたらいいのか、くらいの問題は政治のテーマとして考えればすぐにでも解決可能なのではないかと思っていた。コメは日本の基盤そのもの。その全過程に渡って官僚システムがさまざまに関与してコントロールしているという「信頼」を持っていた。その信頼が大きく揺らいで、しかも今回はマスコミもまったく用を果たしていなかった。こんなにも開かれた社会であるのに、その「市場価格」構造を分析する能力をまったく持っていないことが暴露されてしまった。いったいなにが「社会の木鐸」なのだろうか?農水省の大臣とい...【令和のコメ騒動と政局の動向】

  • 【瀬戸内海での武装勢力の成立 伊予河野氏探訪-2】

    日本の交易経済にとって瀬戸内海はその始原期の主要な舞台。なんといってもアジア世界の「フロンティア」として機能し続けてきた日本列島においては畿内地域が中核的な位置にあって、そこへの物資の流入がいわば「大動脈」であり続けてきた。その役割を担っていたのが瀬戸内海の水上交通。そのなかでも伊予国は枢要な地域だった。律令体制の「国」の分類でも大国とされ、その「伊予国守」はきわめて高位の官職とされ続けてきた。さまざまな軍事・政治の結果として源義経が任命されていたのがこの官職だったことでも知られる。公地公民という現実にそぐわない律令体制の桎梏から、徐々に有力貴族や寺社勢力による荘園という名の私有地化が進行して、地方ではその矛盾点が露わになって承平天慶の乱、藤原純友の反乱が勃発する。瀬戸内海では海賊による被害が頻発。従七位...【瀬戸内海での武装勢力の成立伊予河野氏探訪-2】

  • 【ルーツ伝承への旅路 伊予河野氏探訪-1】

    さて本格的に仕事生活からの「総括」期に差し掛かってきて、NEXTの「生き方」として表現の領域に入ってきつつあります。そういう初源として「作家と住空間」(文末に案内)の発刊があったのですが、そこを起点としてさまざまな表現の探求に向かってきています。これはきわめて「個人的」な人生航路なのですが、行きがかり上、書き続けてきたこの個人ブログでも並行して関連的なテーマを書いてみたいと思います。折に触れてわたしは「ルーツ探索」みたいなことを行ってきています。本州から開拓移住してきた家系の第3世代として、もちろん自分自身は北海道に骨を埋めることを決定(けつじょう)しているものですが、やはり自分自身の生命というものを客観的に考えれば、そのルーツのことに思いを致すのは当然のことでしょう。父母という存在が自分を生み育ててくれ...【ルーツ伝承への旅路伊予河野氏探訪-1】

  • 【さっぽろ円山公園の自然アートの新作発見!】

    昨日、しばらく懸案になっていた案件について一段落。個人企業とは言え、いろいろな社会的責任に対しては、なにより誠実対応が肝心。ほっ、であります。ということですが、毎朝の散歩道inさっぽろ円山公園では最近、写真のような「自然利用」アート作品を発見。わたしのブログでも何回かこういう作品に触れてきていますが、これまでは雪の時期にそれを利用した作品と遭遇することが多かったので、イマドキ時期というのはちょっと驚かされた。円山公園の地下鉄駅からの公園入口にほど近い歩道上で、なにやら数人規模での「人だかり」がみられ、歓声が上がっているではありませんか。その人たちの会話情報を側聞して、その場所に「野次馬」的に夫婦で直行。そうしたら写真のようなアート作品と遭遇した次第です。まことに圧巻!上の作品はこの時期、風に舞っているシラ...【さっぽろ円山公園の自然アートの新作発見!】

  • 【50年前に回想復元「石和温泉」と社員旅行文化】

    高齢者専門の精神科医・和田秀樹氏の著作「70歳が老化の分かれ道」を読了しました。氏の高齢期についてのさまざまな情報発出は社会全体に大きな「気付き」をもたらせていると思います。これまでの日本社会が経験したことのない長寿命社会が実現してきている中で、社会システムとしてはその財政的危機の側面ばかりが強調されてきている。財務省が「増税」一択のように政治に対して影響力を色濃くさせてきていることの背景には、こうした高齢化社会の財政負担増への危機感があるのでしょう。そこにはひたすら貯蓄し続ける高齢層、という刷り込み認識が大きいように思えてならない。しかしどうなのだろうか、と思う。経済面ではこの高齢者が生み出すあらたなタイプの需要とそのマーケットの顕在化という側面があまり注目されていないのではないだろうか。高齢者マーケッ...【50年前に回想復元「石和温泉」と社員旅行文化】

  • 【交通量増大の「首都高」〜高速道に信号機】

    東京・関東以外のドライバーのみなさん、クルマで都内関東あたりを走るとき、当然「首都高」を利用しますよね。その時もしカーナビが付いていなかったりしたらお手上げですよね。わたしもカーナビが登場する前までは、記憶ではあんまり都内をクルマで走った経験がないと思います。東京に住んでいた当時、いまから54〜45年前ころにはそもそもカーナビがなかったはずなので、たまに運転する機会があったとしても、事前にルートを確認して、エイヤっと慎重に運転していたのだと思います。もちろん、現代とは首都高自体も比較的単線的で、わかりやすかったような記憶がある。それとクルマだけで長距離移動するという、最近のわたしのような移動手段選択はしていなかったと思う。東京から札幌に生活拠点を変えて以来、上京機会はたいへん多く毎年2−3回程度は行ってい...【交通量増大の「首都高」〜高速道に信号機】

  • 【仏像設置の「好み」とその選別眼】

    先日「白象が鎮座する鐘楼」について書きましたが、こちらの埼玉県飯能の観音寺の仏像たちにはどうも「好み」を感じさせられていました。やはり白象を設置するという独特の感性が、寺の個性として伝承されるのではないかと。その象徴的な仏像がこちらの「孔雀明王」仏像。わたしは別に宗教について深い知見があるとか、仏教美術にこだわりがある、ということではまったくありませんが、好悪という意味ではけっこう数寄なのだと思っています。とくに止利仏師の作である「飛鳥大仏」を拝観して以来、その独特の表情に魅せられ、かれ止利仏師の東大寺に収められている本尊の表情との相似性を強く感じて、日本史に残る感性表現のひとつのわかりやすい極点だと感じ続けています。さらに額田王がモデルとされた仏像にも強いインパクトを受けさせられていた。仏教がこの国にも...【仏像設置の「好み」とその選別眼】

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