写真はわたしが好きでよく買い物させてもらう近所の安売りスーパーさんの電子チラシ。わたし自身は先日も書いたように、まだ25kgほどの買い置き備蓄米が自宅にあり、わが家だけのペースだとたぶん半年程度は持つのですが、事務所兼用住宅なので働いてくれているスタッフ(一応離れたので別会社ですが)のために今後、感謝のふるまい握り寿司づくりなどを考えると、もうちょっと早くに足りなくなるかもと、心細いかなぁという心理も持っております。なんにせよ、お米は日本人の生活文化の基盤としてあり続けた主食。その主食がどのような市場価格の構造変化で高騰したのか、まだメディアでも識者からも解明の全体像が見えてきていない。早急にこの暴騰プロセスは解明されて欲しいです。この局面ではナタを振るうみたいな立場の政治家は大きなアピールポイントにはな...【お米価格高騰に民の怒りの爆発が始まったか?】
平安ー鎌倉期の西行さんや、江戸期の芭蕉さんなど日本史上では多くの「漂泊」の旅人文化があります。踊り念仏の一遍さんなどもそうした系譜の中で捉えた方がふさわしいとも感じます。で、高齢化社会という日本人のあらたな社会環境のなかで再発見されるべき「生き様」文化のひとつの領域ではないかと思っています。かれらの時代にはひたすら歩きまわるという道行きで、しかも和歌や俳句などの詩文文化によってこころの陰影感を表現する活動だった。そういったはるかな先人たちの道行きとは違って現代のわれわれらしい行程というのもあるでしょう。わたしはビジネス生活としては住宅情報の世界で生きてきましたが、その基本は「現地での取材・撮影」行動。そういったライフスタイルは血肉になっているので、日本文化の「建築」に関連した公開的施設を巡り歩き、その周辺...【見知らぬ町、散歩道河辺の寺・鐘楼に「白象」発見】
昨日夕刻、東京から富士山地域をめぐるツアーから帰還しました。旅中はいま話題の臨床医師・和田秀樹氏の著書「70歳が老化の分かれ道」を読書しておりました。わたし自身は、読書の対象としては自然科学系などの本が多くて、いわゆる「文学作品」に偏ることはしません。基本的には「事実に即した」表現物に惹かれる。自分自身もこの書に書かれた年代に差し掛かってきて、健康管理というよりもさらにそれを超えて「自己の生き方管理」みたいな部分に強く感応させられてきています。まぁ、当然ではありますが。日々、自分の生命力の状態をしっかり把握しながら、できれば前向きな生き方を実践していきたい、というところ。そういう事柄についてこの方の著作は非常にわかりやすく述べられていて参考になる。わたし自身、いくつかの病理と対話しながら「元気よく生きる」...【空の旅路〜津軽半島「十三湖」と同定か?】
北海道人はめったに富士山を仰ぎ見る機会がないので、ニセコの羊蹄山をときどき見に行く(笑)。まぁそれでも「だいたい似た感じ」なので「ま、いっか」と自分を納得させて過ごしている。そういうことなので、たまたまホンモノの富士山を見ることができる地域に来ると興奮する。「あ、ココではこういう風だ」「ほえ〜、こんなとこからでも見てくれている」などと無性によろこぶ。津軽人の太宰治は「富士には月見草」と、甲府に在住の頃に書き記してそれが一気に日本人に染みわたって行った。テレビなどのメディア出現以前の社会での「作家」の影響力の強さを教える逸話。その刷り込みから月見草どころではなく北海道人なので、できれば「イタドリ」を合わせ見てみたいと思ったりする。今時期、札幌の散歩道では旺盛にこの雑草が道端を埋め尽くしてくれている。しかし、...【富士山、ああ、富士山】
北海道人にとって「伊豆」というのは、まことに縁遠い。4月に「作家と住空間」を出版しましたが、月イチほどの関東関西などの訪問機会が別件であるので、そのテーマ領域での探訪をセットする「自由な取材」を継続しています。いわゆる文学好きという種類の興味ではなく、わたしの場合は「人間がそこで暮らした住空間の実相を訪ねる」というのが主体。今回は、旭川で発見した「井上靖文学館」を知ってから、そのかれの人生模様に沿って「そこで生きた」空間を探訪してみた次第。人間、いくつになっても生きてきた興味分野というのは面白いもの。こんなふうな行脚を続けていると、深掘りができるようになってきて、だんだんと「対話型」の取材活動にもつながってくる。昨日も、都合4箇所を巡り歩いていましたが、そのうち2箇所ではかなり「話し込む」取材になった。と...【伊豆半島あちこち作家・井上靖を探訪】
わたしは、東京に来るといくつかの美術館・博物館などを参観するのがルーティン。やはり首都と地方のいちばんの「格差」はこと「文化」面ということはあきらかだと思います。その国の歴史的文化についての蓄積利用においてこうした「格差」はいかんともしがたいし、そのことには蓋然性があるとも思っています。その国の伝統文化について、首都機能がその維持保全の役割を担うのは、自然だと思える。ただし地方居住者としては、上京の折にそうした文化施設を参観するには、それなりの「格差是正」の姿勢の表現があってしかるべきだとも思っています。具体的には国立の施設においては地方からの上京者の入場料などに「優遇処置」をもって対応すべきだと考えます。ぜひご検討ください。金額の問題ではないと思います。たとえ数パーセントだとしても、有意義だと考えます。...【相国寺展―金閣・銀閣鳳凰がみつめた美の歴史・参観】
【設計と建設「一括発注」でコストダウン 古平町新庁舎 Part-2】
さて公共建築にあんまり馴染みのない仕事人生人間の目に飛び込んできた古平町の庁舎建築その2です。わたしたちのように一般木造住宅を基本にした分野で加速度的に取り組まれてきた「省エネ化」手法としての高断熱高気密化や、自然エネルギー活用などはRC建築の分野ではあまり取り組まれてこなかった。ZEH基準などの一般化は一般木造住宅での住宅性能革命が運動的なコアを形成してきた。その運動は寒冷地・北海道で「あたたかい暮らし」を希求する庶民が求め、先端的な研究者や建築実務者、その需要に正対した地域公共団体という官・学・民が「協働」してきて普遍化してきたもの。その成果がやがて全国に拡散してきた。一方のRC建築では北海道ですらコスト面から、マンション建築でもいわゆる「外断熱」手法などへの取り組みが遅れてきた流れがある。戸建て住宅...【設計と建設「一括発注」でコストダウン古平町新庁舎Part-2】
わたしは住宅雑誌を創刊してながくその出版事業をしてきましたが、類縁的な「建築」公共建築などについては、限定的な興味範囲と認識してきました。建築企業にとっては、こうした公共の仕事というのも住宅と並んで興味分野でしょうが、まぁつかず離れずのスタンス。ということなので、ニュース的な建築の動きにもあまり注意を払っておりませんでした。わたしは積丹半島地域はよく行く余市の鮮魚店・新岡商店など、馴染みがある。先日、大好きな日帰り温泉「岬の湯」が冬期休業が終わって再開しているということで立ち寄ってきた。その帰り道に面してレトロな雰囲気を漂わせていた「古平町」の庁舎が解体されてしまったことが目に飛び込んできた。「あれ、なくなったの?」代わりにちょっとした「道の駅」ができていたので参観。で、そのあと、そこから10数メートルほ...【北海道積丹半島「古平町」新庁舎を参観】
潮時、という言葉はいい意味でも、悪い意味でも使われる。「goo辞書」で見てみたら以下のよう。<漁師たちは潮の満ち引きをよくみて漁をする。潮の変わり目が実は絶好のタイミングであることからこれを「潮時」と呼んだ。つまり本来の意味は「好機」なのである。しかし時が流れて人々はマイナスの意味での「やめるタイミング」を「潮時」という言葉に重ねてしまった。>とのこと。写真は北海道釧路周辺での太平洋を見晴らした海岸線の光景ですが、こういう海の様子から航路の決断を下していく人びとの洞察力には本当に深く打たれる。そういう「先覚者」たちが時代というものを切り開いていくのでしょう。現代の高齢化社会という局面では、国の運営というのはなかなか難しいだろうなぁと思う。わたし自身も高齢者になり、もうすぐ「後期高齢者」にも突入しそう。まぁ...【人生・高齢期での「潮時」の意味とは?】
わたしはメディアという情報の世界で仕事人生を過ごしてきました。昭和中期生まれの人間なので小学校に入る頃から自然に毎日届けられる北海道新聞に目を通し始めていた。当然、たくさん「漢字」が目に飛び込んでくる。学んでいないので書かれている内容のすべてがわかるワケではない。ようやく「ひらかな」がわかっていたくらいの段階。しかし世の中というのはどういうものか、という好奇心が強くて、ひらかなで表記されている前後の「筋道」から、アタマのなかで「この漢字はきっとこういう意味ではないだろうか」と想像しながら目を通していた。頭の体操。小学校の先生から「三木は新聞を読んでいる」とわたしのことを教室で話題にされた記憶が鮮明に残っている。その時期の、新聞を読んでいるわたしの様子の写真も鮮明な記憶がある。文章というものとの出会いにおい...【鎌倉期の報道「蒙古襲来絵図」元寇シリーズ-14】
日本には数少ないとされる「戦争記念館」として福岡市の「元寇史料館」を参観しての記録を書いていましたが、そこで知った日本三大八幡宮という「筥﨑宮」に興味を持って参観しました。驚いたのは、中央の「拝殿」建築の正面に掲額されていた願文に写真のように「敵国降伏」という文言が掲げられていること。八幡さん自体が武家・源氏の象徴のような神域なのですが、それにしてもストレートに戦争にまつわるコトバが明示されていることは神域表示としては驚かされる。同宮のHPによる由緒は以下のように書かれている<要旨>。〜筥崎宮の由緒筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮。御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町に生まれた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神とし、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建...【福岡・筥﨑宮「敵国降伏」の掲額文元寇史料館-13】
写真と本文は関係ありません。これは福岡城のお濠のカメさんたち。昨日書いたブログ記事で、iPhoneのFaceBookアプリから「このページは現在ご利用いただけません」というアラートが出て、その下に「更新」という選択ボタンが表示されそこをクリックするように誘導されるけれど、さっぱり無反応で、さてどうするか、という状態を記述させていただきました。わたしももう35年以上のパソコン・スマホ利用歴ですが、Macの方であればそれなりにあれこれと設定を確認しながら、総合的に判断を下していくことに慣れています。しかしスマホiPhoneの方は運用操作自体は慣れていても、設定をあれこれいじくり回すのはツラい。なにより視野範囲があれだけしかなくさまざまにアタッチすべき項目があると、正常で冷静な選択判断を下し続ける自信も根気もな...【放置したiPhoneのFaceBookアプリ、自動回復】
わたしのブログはFacebookにもリンクされていますが、どうもここ2日程度スマホのiPhoneではFacebookからは参照できない状況になっております。Macからのソフトでは特段問題は発生していない。で、この「メンテナンス不良」マークの意味合いをGoogleで調べてみたら、Facebookの側での障害発生のようであり、ユーザー側としては、待っているのが得策、という案内が導かれていましたので、そのように諦観しております。Facebookには電話で解決を図るということへの対応はない。という次第ですが、これはなにかの機縁であるとも思えてきて、徐々にWEBやSNSの利用について本格的に再検討すべきかとも考え始めております。ブログを書き始めたのが2005年8月からで、息子と愛知万博に出かけてきたのがきっかけ。そ...【Facebookの障害から思うこと・・・】
さて旭山動物園にて、その2であります。下の写真の標識は、北海道内をあちこち巡っていると遭遇する交通標識。すっかりお馴染みですが、やはり見る度に「おお」と恐怖がわき上がってくる。で、この標識が動物園の中にまで出現していた次第。案の定、お馴染みのヤツが飼育されておりました。先日までシリーズで書いてみた「元寇」並みに危険信号的に心理に刷り込まれているヒグマであります。知床をクルマで回っていたときに、自然状態の彼らの姿を目視したことはありますが、やはり通常の生活シーンでは遭遇させられるのは勘弁願いたい。ここ数年来、北海道内で人間居住域でヒグマ目撃例が多発している。地震天災情報の即時性などから、わたしのスマホでは札幌市からのLINE通知を受け取る設定にしていますが、最近は「ヒグマ情報」がほぼ専有的に流れてくる。札幌...【あんまり会いたくない隣人を正視する・・・】
写真は過日、旭川の「旭山動物園」で見かけた光景。わたしは加齢とともに動物たちへの「共感」本能が盛り上がってきて仕方がありません。これまでは「哺乳類系動物」が主要な対象だったのですが、どうも最近は「鳥類」へのシンパシーが高まってきて仕方がない。たぶん数ヶ月前くらいの東北行脚の折に宮城県から岩手県南部にかけての水辺周辺で、大空を駆けているかれらの姿にすっかり感情移入させられてしまった。その姿に、日本の創生期神話のヤマトタケルのハクチョウへの変身場面が完全にシンクロしてしまった。そうか、日本人はその心理の奥底で自然崇拝の強い志向性を持っているのだと、深く気付かされたのです。加齢によって世事からは徐々に解放されていくとともに、その背景を作ってくれている自然の風土環境に惹かれてきているのでしょうか。これまでは見向き...【ある日、動物園でふと見上げたら・・・】
歴史随想的な「元寇史料館」シリーズに沈殿しているうちに世上ではいろいろな現実が動き続けている。とりわけ不明な動きがコメの価格上昇。コロナ開けの世界的な需要急増局面での各種「値上がり」圧力はある程度は理解できるけれど、さすがに日本人の主食であるコメについてのインフレは座視できない。わたしの場合は知人の宮城県の農家の方から10年くらい前から直購入させていただいてきていましたが、今回の価格急騰局面でついにコメ生産現地で買い占めの動きが活発化して、わが家のような小さな需要には対応できなくなってしまっておりました。でも、当面2−3ヶ月の分については先日最終出荷していただいて確保しています。高齢化と健康を考えて小食化に努めているわが家では、夫婦毎日1合で用足りるのですが、ときどき「寿司」を握ったりするので、そのときに...【コメ価格高騰は農業政策の破綻なのか?】
写真上はきのう紹介した元の軍船団が集結していて大型風台風の直撃を受けた「鷹島」海域の海岸線に打ち上げられていた高麗の船のものと推認される仏像。軍船のなかで「守り仏」として機能させていたのではないかと言われる。軍人たちの精神世界を映し出している「鑑」。そうした信仰対象として仏教がこの時代、非常に浸透していたことがわかる。このような仏教信仰はこの時代、東アジア世界では汎世界性を持っていた。元はこうした世界帝国を目指して侵略活動を広げていったけれど、一方で仏教信仰においてはチベット仏教を篤く崇敬したとされている。一方、下の写真は鎌倉に現存する「建長寺」の山門建築。こちらは南宋の仏教文化の勧請であって、深く「禅宗」に帰依した歴代の鎌倉幕府執権・北条氏によって開かれた大寺院。鎌倉幕府を挙げての巨大建築群として鶴岡八...【仏教と征服権力・政治とのつながり元寇史料館-12】
【950hpの台風・鷹島南海域集結の元軍直撃 元寇史料館-11】
今回の元寇史料館訪問でわかったことの最大のポイントはやはり海上からの侵略行動にとって、もっとも枢要な要件は海洋気象ということが明確になったこと。要するに台風である。長崎県伊万里湾口の鷹島沖海域を埋め尽くしていた元の軍船団が実に1281年8月17日にほぼ潰滅している。侵略側の記録でも「元軍の帰らざる者、約10万。高麗軍の帰らざる者7000余人」(高麗の史書)「風が船を破る」「風に遭って、船ことごとく壊す」と元側の記録にも短く、その悔しさ、無念さを滲ませているという。新暦の8月17日は台風襲来の頻発する二百十日にほど近い。九州大学の故・真鍋大覚博士の樹齢数千年の屋久杉の研究調査から、このときの台風は中心気圧950hp、最大瞬間風速55.6mという超大型台風だったとされる。この鷹島海域の伊万里湾地域では風速30...【950hpの台風・鷹島南海域集結の元軍直撃元寇史料館-11】
元寇史料館での体感シリーズも合計10回目の連載記事で、トータルの文字数はたぶん10,000字を超えてきました。日を重ねながらいろいろな側面にスポットを当てて特定テーマを書き続けるというブログスタイルのメリットを感じています。それに対して、いま現在ではyoutube動画に対して「広告収入」が得られるということから、そちらの方が個人の情報発信のメインに変化してきていますが、どうもそういうメディア利用というのは、本来的な情報の深さ探究と考えてどうなのかなと思っています。まぁいろいろな見解のあり得るNHKですが、その番組作り、とくに衛星放送分野での番組は、非常に興味深い「深み」がある。それに対して、広告収入狙いの民放系の番組作りは完全に「オワコン」化している。どうも、そういう情報の本質論でカネ儲け最優先という姿勢...【第2波弘安の役「防塁」で専守防衛元寇史料館-10】
さすがに昨日は往復800km超のドライブ運転の疲労が沸きだしてきて、連載記事ひと呼吸。本日は復帰。この元寇がもたらした状況の中で、今日社会とも通底していると感じるのは「政治と宗教」の関係性。この元寇の時期、鎌倉新宗教として日蓮が活動して布教を広げていた。政治と宗教という意味合いでは、そもそも仏教を日本社会に持ち込んできたのは飛鳥時代の聖徳太子であり蘇我氏勢力だったことからあきらかではある。政治という権力争奪においては、つねに「イデオロギー」が重要な領域を占めていて、いわば「正統性」争いである部分の最重要パーツであり、また「本質」に深く関わるものであった。その宗教活動において民衆への布教を基礎にしながら、政治権力に対して意見を申し立てる、というような動きにまで高まってきたのがこの日蓮による「立正安国論」の提...【立正安国論・宗教の政治への直接関与元寇史料館-9】
2日間、ふたたび静かな夫婦旅へ。ことしはあちこちと「観桜」の旅を楽しんできていますが、日本全国を縦断するサクラ前線も、人口密集地の本州地域を離れてくるとだれも話題にしなくなりますが(笑)、北海道でも札幌が終わってくると、もうほとんど話題が消えてくる。しかし、それでも最後のかがやきが目を楽しませてくれています。ということで、今回は十勝地方・釧路地方をきままにマイカー行脚。往復で800km超のロングドライブでしたが、おかげさまでそう疲れを感じることもなく、ゆったり帰還しておりました。まだまだ元気。カミさんが調べてくれた道東の「知られざる観桜スポット」を巡ってみました。しかし釧路地方はまだまだサクラ前線が到達していない。なんでも日本全国でいちばん最終の到達地なんだそうですね。しかし十勝地方は中心の帯広で満開から...【好きな空間に抱かれてin中札内美術村】
中国大陸に並立した2国・元と宋という複雑微妙な国際情勢のなかで、新興の元から国書を送られて「こっちの陣営に付いて味方してくれるよな、な?」というような関係を迫られた日本。その政権は実権を「征夷」をタテマエとする武家が支配する国。そういう意味では幕末期に征夷大将軍として黒船を迎えた江戸幕府にも似た立ち位置に立たされていたと見ることもできるのかも知れない。鉄という農耕と軍事の最先端物資を半島からの輸入に頼っていた時代、日本国家社会は白村江という「世界戦争」の渦中に立ったことはあるけれど、その後は百済からの移住者を抱擁し鉄も自国生産できるようになってほぼ対外的な関係としては「交易」だけという通常運転で行ってきた。金属探査もそうした移住者によって進み、結果として奥州からの産金まで結果する奇跡にも恵まれる。その間、...【国際戦という「異次元」価値観戦争元寇史料館-8】
日本の権力機構と東アジア世界との交流について考え、その中でこの元寇について考えてみています。こうしたテーマはきわめて現代的でもある。現代に至っても独裁体制下にあって政治判断において多分に不確定要素の多い隣国との対応をわたしたちは考えて行かざるを得ない。たぶん「外交」という国家としての行動について日本という海洋性国家は大陸性国家とは「感覚」がまったく違う。大陸性国家は、常に安全保障の問題と外交とが一体のことがらとなっていくけれど、四周を海で囲われ大陸とは一定の距離感のある日本のような国では、外交感覚がつねに「鈍り」つづける趨勢にあることがわかってくる。そして外交と不可分一体である安全保障・軍事のテーマが「遊離」してしまう傾向を強く持ってしまうのではないだろうか。この元寇にあたっては、そもそも「国書」を受け取...【神風=外交と安全保障のリアリズム放棄元寇史料館-7】
さて一段落させて、ふたたび「元寇」シリーズ復帰。前後2回に及んだ元と高麗の軍船団による九州北部への侵攻。東アジア世界においては中国大陸が中華としていわば中枢の位置を占めているけれど、そこでの戦いはいかにも「大陸」的な陸上戦的な権力抗争であって、その周辺の国家社会にとってそうした国家は交易の対象であって、さまざまな文化的な往来交流が基調的な関係性ということになる。そのなかでも最大の「交易」国家として日本列島社会が存在してきた。海を挟んでの社会同士の関係としては、そうなるのが自然だろうし、事実日本社会は、大陸国家との関係で経済文化そして、政治制度などでも交易的にそれらを受け入れてきた。この元寇の時代は以前からの「日宋関係」という活発な交易が対「南宋」間で継続的に展開していた。日本側からは旧・奥州藤原氏の支配地...【元の「国書」と世界情勢元寇史料館-6】
さて本日は「元寇史料館」シリーズひと休み。ひとつのテーマで連載的に書くというのは、ブログという表現手法が生み出した習慣性を利用した手法ですが、面白い脳味噌活性化作戦だと思いますね。文章を書くという人間社会が生み出した独特の営為にとっての「新展開・機縁」だろうと思います。たぶんこれまでの「書き手」のひとたちはある限られた参考文献・資料などをかき集めて、その表出してくる特定領域の「空気感」を感じ取りながら、自分の脳味噌に刺激を与えて、言の葉を生み出し続けたのでしょう。「作家と住空間」執筆ではそういう現場写真からインスピレーションを感じ続けていた。それに対して現代ではいわば「WEB文法」とでも言えるようなスタイルが成立しつつある。ブログという表現ツール・契機はある独特の環境を生み出しているということ。一方ブログ...【北国の春〜道央圏の観桜、春の風情を巡る】
さてきのうまでは元の軍装備、その戦闘衣について考えて見た。これ自体は当時の日本に対してはるかに優位性をもった「戦略価値」の高いポイントだったと言える。こうした装備についてのはるかな先進性に遭遇して、個人戦での勇猛さを絶対評価尺度としていた当時の日本側の軍事思想では太刀打ちできていなかったのだろうと推測できる。しかし、戦争は単に装備の先進性だけでは勝敗に帰趨は決しない。元軍は第1派の文永の役においては、10月20日の上陸地上戦では幕府・御家人軍に勝利して、博多の街を焼き払い、筥﨑の宮をも消失させる「戦果」を得ている。通常の「征服戦争」であれば、こうした戦果を確保して、そこで征服地域の支配を確実化させるように動くものだろう。それは支配=政治体制の確立と言ったことがらの着手ということになる。しかし元軍は初戦に勝...【元の海外派兵に「戦略」はあったのか?元寇史料館-5】
このシリーズで元軍の兵士の戦闘衣が展示されていた様子を書いたけれど、その増補資料も整理できたので追記したい。また前回「真綿」という表記をしたけれど、そのコトバは以下のような意味合いを持つことも確認のために前提として記したい。<真綿:真綿(まわた)とは、絹の一種で蚕の繭を煮た物を引き伸ばして綿にした物。日本においては、室町時代に木綿の生産が始まる以前は、綿(わた)という単語は即ち真綿の事を指した。白くて光沢があり、柔らかく保温性にも富んでいるため、昔から布団や綿帽子、防寒着の中に詰め込む素材として、又はそのまま服の間に挟んで使用〈背負い真綿〉利用されてきた。〜Wiki要旨>中国では古くから養蚕が行われていたけれど、北方のモンゴル族支配地域ではそういう生産活動が行われず、漢民族国家からの贈与によってはじめてこ...【元軍兵士の高断熱高性能「皮鎧」元寇史料館-4】
今回「作家と住空間」という電子書籍を出版して以降、昔人の考えたこと、やってきたことへの思いが強くなってきます。芥川龍之介とか、司馬遼太郎などの作品と住空間に触れることで、その「場所で」かれらはどんな心象に至っていたのか、という想像力に加速度が付いてくる。人生時間に能動的に関われる期間内に、そういう過去の人びととの対話を心がけたい。「高齢期」の生き甲斐としてそのことに集中したい。一般的には「歴史数寄」ということになる。元寇っていう大きな歴史事実について、もうちょっと深い事実を探査してみたくなった心理的起点。よく「神風なんて国粋主義的な刷り込みに過ぎない」という考えから元寇という歴史事実そのものの発掘をスルーさせるような「圧」がありますが、なんかおかしい。この元寇史料館もその存在自体がまったく知られていない。...【第1波「文永の役」戦況図元寇史料館にて-3】
さて「元寇史料館」探訪記に復帰です。この稀有な「戦争史料館」という珍しい存在で、もっとも目を懲らされたのは、上の写真の元軍兵士の鎧兜。但し書きとして「伝」と付けられているのは、実物として当時から保存され続けてきたものだろうけれど、その事実を証明できる周辺的な解明が出来ずに、その後、元という国家そのものが滅亡してしまったことに起因するだろうと思われた。現代ではそうした解明も可能だろうけれど機微な外交関係下では、そうした軍事にも通じる情報探索は難しいことは容易に想像できる。2枚目の写真の通り、168cmの長さ・12/5kgの重量。鎧〜よろい〜の表面は布製で今に至っても色鮮やかな龍や唐草の刺繍デザインが施されている。裏面全体に7cm四方の鉄板が隙間なく装備され、鎧としての優れた機能性をうかがわせる。〜という解説...【伝・元軍兵士の「鎧兜」姿元寇史料館にて-2】
さて昨日は身内の兄弟が集まっての「母の命日」の法事供養。もう39年前のことなのですが、肉親のことはどんなに時間が経っても、いわばルーツのことなので、集まれることは喜ばしい。ちょうどわたしの書いた電子書籍「作家と住空間」発刊からはじめての家族の集まりなので、あらためてその話題が。その一節で書いた部分についていつも来ていただいているお坊さんも交えて懇談。事前に郵送していた兄姉たちはありがたいことに本文の局所部分について、お坊さんに紹介するとして話題として振ってくれていました。書いた人間からするとその詳細部分について「よく読解してくれている」ことがまっすぐに伝わってきて非常にうれしい。住所が正確でなかったので未送付になっていた兄2人にも無事にプリントアウトした「電子書籍」本を手渡すことが出来ました。出版関係人で...【母の命日供養で兄姉たちに正式新刊案内】
「ブログリーダー」を活用して、性能とデザイン いい家大研究さんをフォローしませんか?