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性能とデザイン いい家大研究 https://blog.goo.ne.jp/replankeigo

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です  いい家ってなんだろう、を考え続けます

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2015/10/15

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  • 【東京渋谷で工事の喧噪をみつめるハチ公】

    ようやく本日札幌に帰還の予定。さすがにあれこれのスケジュール調整もしながらの行動なので、出張中はまったく落ち着いた時間は持てません(泣)。やむなく、断片的な日々のあれこれブログをお許しください。写真は2日連続で出没した「渋谷」ハチ公前。一昨日周囲は白いテントで覆われていて迷路のようになっていた。その幔幕が外れて、「ハチ公前広場」っぽい雰囲気は復活していた。いろいろな工事が集中展開しているので渋谷は大変動期に突入しているのでしょうね。きのうはクルマは事前に放棄して、山手線で渋谷に到着。一番恵比寿に近い「南口」側地上改札を出てみたところ、通路内は旧東横線連絡方面は白いテントで囲まれていましたが、バスターミナルなどは以前と同じように存在していた。しかし歩道橋はあちこちで寸断・変更されていて目に見えているそこに移動する...【東京渋谷で工事の喧噪をみつめるハチ公】

  • 【東京マイタウン渋谷で迷子になった(笑)】

    関東出張中もブログについては「北海道住宅・・・」を続けようと考えていたのですが、やはり体力的に持たず思考時間を確保できない(泣)ということでやむなく「出張時ブログ」にします。でも、時間が確保できたらまた復帰します。で、昨日は久しぶりに渋谷の街である企業を訪問。年に数回は東京には来るけれど渋谷での企業訪問はしばらくなかった。しかしわたしは大学時代のホームタウンであり渋谷の体内方向感覚はある。駅の構成とか、基本になる建物などの記憶は持っているので、まぁだいたい大丈夫と思ってアポしたのです。クルマで移動していたので、なるべく駅直近のパーキングにと駐車させてあとは「ハチ公くらいは残っているんでしょう(笑)」ということで、そこで落ち合うことにしていた。渋谷でハチ公というと、それだけでネタみたいなものですよね。ところが、い...【東京マイタウン渋谷で迷子になった(笑)】

  • 【北海道は東海道と同時期に鉄道開設】

    さて「北海道住宅始原期への旅」シリーズですが、写真はなぜか神奈川県横浜市「鶴見」駅の明治はじめと最近の駅写真であります。北大の「北方資料データベース」にはなぜかこういう写真もある。開拓使という歴史上10数年間だけ存在した「中央官庁」は札幌に本庁を置きながら同時に中央省庁として東京にも本部機能があった。企業で言えばダブル本社制みたいなものでしょう。長官である黒田清隆は中央政府要人として東京に在住している必要がありまた開拓使の政治力の源泉はかれの存在であったのですからいわば必然的なスタイルだったのだと思われます。それで指揮命令系統に齟齬が生じることもあったワケですが、そもそもがそういった組織形態であったことの表現だった。たぶんこういった関係からこの写真は北大に格納されたのではないか。駅の建築について、そのイメージを...【北海道は東海道と同時期に鉄道開設】

  • 【明治4年開拓期 札幌建設材木群の素性は?】

    さてすっかり幕末の飛騨高山からの木材出荷、「官材川下之図」に導かれて日本の建設業の歴史、建築素材の流れを探究してきましたが、たいへん有意義な気付きになったと思います。で、「北海道住宅始原期」への復帰に当たって最初に目にしたのがこの写真であります。どこまでも「材木」の方に目が向いてしまうのは習慣の成せる技か(笑)。しかし遠景に見えている札幌のランドマーク・藻岩山がうれしい。こころなしか「お帰り」と言ってくれているようであります。北大「北方資料データベース」での収納タイトルは「札幌本陣ヨリ南山ヲ望ム」となっておりまして、たぶん現在の札幌市中央区南1条東1丁目付近から南西方向を見た様子。そうすると写真手前側は創成川畔という位置関係になりますが、大量に材木が留置されている様子であります。最初期の札幌都市建設ではそんなに...【明治4年開拓期札幌建設材木群の素性は?】

  • 【貨幣社会と自給自足社会 流通交易のバランス】

    絵図は幕政期の北海道でのアイヌの石狩川での丸木舟交通。きのうまで飛騨からの材木伐りだしの絵図世界に籠もっておりましたが、ようやく北海道に復帰いたしました(笑)。なんですが、江戸期での都市江戸・大坂の「市場経済・貨幣経済」進展と地方での「自給自足・村落共同体社会」との並立状況に気付いた。公的な社会運営として貨幣ではなく米穀が基本だった社会。しかし時代の趨勢としては貨幣経済に大きく変換していくあつれき。そういうものに気付かされた次第であります。そして今日われわれが生きている社会も、貨幣経済が完全浸透した社会であり、さらにはその貨幣もひょっとして変化していく可能性がある歴史時点。ひるがえって、北海道島でもアイヌ社会と日本社会は「交易」でながく結びついていたとされる。なによりアイヌは交易民であった。また北海道島南部に盤...【貨幣社会と自給自足社会流通交易のバランス】

  • 【飛騨から川下り「官材」江戸・大坂市場へ 】

    どっぷりハマっていた「官材川下之図」でありますが、飛騨の幕領の山から切り出された材木は河川流通を経て尾張熱田の「白鳥湊」に集結され、そこから江戸へ大坂への経済大動脈・回船へ。この絵巻の北大DBでは「官材」という意味合いが「伊勢神宮への奉納」というような説明がされているのですが、どうもこの絵巻を詳細にチェックして見ると「官材」というのは、幕府が直接管理している材木、というような意味合いに近いのではないか。文字通り、官が下げくだす「材木」という意味での「官材」。上の絵は上下巻の下巻の最後の方にあるのですが、本来の「伊勢神宮への奉納」図絵は上巻の末尾に挿入されています。伊勢への奉納がメインであれば荷揚げされて奉納されるシーンがもっと描かれてもいいハズ。そういう絵図は見られないので、伊勢神宮云々は、そういうルート目的も...【飛騨から川下り「官材」江戸・大坂市場へ】

  • 【江戸期飛騨「材木伐り出し」村落収入 年間1000万円?】

    北海道住宅始原の旅・スピンアウト版で江戸末期の林業構造の探究。「官材川下之図」を見て研究していますが、すばらしい論文を発見。茨木市立文化財資料館学芸員の高橋伸拓氏の研究論文「飛騨幕領における御用木の運材と川下稼」を発見することが出来た。江戸期の「村落共同体」経済構造の一端が明確に見えるすばらしい労作。論文自体は「川下稼〜かわさげかせぎ」の「運材」経済研究が主体ですが、その前段で「元伐(木材の伐り出し)」について具体的な金額記載があった。幕領・飛騨は高山の奉行所支配であり山の所有権はもちろん「幕府」の公的資産。その木を伐り出す作業は、周辺村落共同体が労役主体になる「お救い」事業として作業料を交付する。その取り決め公文書が残されている。公共事業でかなり村落共同体に対して撫民的対応で民への配慮が伝わってくる。また18...【江戸期飛騨「材木伐り出し」村落収入年間1000万円?】

  • 【木材運送が生む日本の伝統体技〜角乗り】

    ことしはオリンピックの年ですが、こんな競技があったらいいな・日本の再有望種目発見「角乗り」です(笑)。図はここのところ頻出の「官材川下之図」のもの。幕領である飛騨国の主要産業であった林業の様子を伝える絵巻。日本の建築業が歴史年代継続してきたその初源から、その最大原材料である木材の生産流通システムが継続してきたのは自明。奈良の都造営のとき日本で初めて本格的都市が建設されたけれど、その最初期から「飛騨の匠」という地域へのリスペクトが払われてきた。飛騨とか紀州とかの日本における林業地域からどのように材木が出荷されたかは住宅建築にとってきわめて枢要な位置を占めている。江戸期にいたって大都市江戸や京大坂での経済発展があり、さらに定期的とも思える「大火」によって木材需要は旺盛であり続けた。そういったことから原料供給地域・飛...【木材運送が生む日本の伝統体技〜角乗り】

  • 【さっぽろは雪まつり前に昨年並み積雪】

    ことしの札幌は異常な「暖冬」が続いておりました。1月に入ってもさっぱり降雪がなく、気温が高く好天ということで、東北を通り越して、すっかり関東、埼玉あたりの気候感だった。札幌はよく「日本海側気候」と言われるけれど、津軽や秋田とは違って冬場の抜けるような晴天率もそこそこあって、その状態で暖冬になると、これは「体感」ですが感覚的には関東に近く感じるものだと思われます。空っ風がない分、もっと過ごしやすいかもしれない。が、ようやくこの数日まとまった降雪で冬景色が整って参りました。街をクルマで走っていると雪まつり前、世界各地からの観光客が目に付く。ビックリするほどアジア圏各国からのお客さんが目に付きます。とくにイスラム圏からの団体というのはこれまであんまり目にしなかった。頭巾をまとった女性たちが多くみられます。ありがたいこ...【さっぽろは雪まつり前に昨年並み積雪】

  • 【江戸期林業運送4 「官材川下」の山水水運】

    すっかりこの江戸末期に残された絵巻物に強く惹かれております。この「官材川下之図」は北大データベースで発見したのですが、どういう経緯で北大に資料として格納されているのかはよくわかりません。巻物として入手されたものなので多数印刷されていたとは思われないのですが、江戸時代までの「出版産業」としては巻物の需要は多かったと思われる。紙を綴じて本の形式にするよりも、巻物の方が「縦書き・右から左へ」という日本語の表現文化には最適化されていたように思う。北大の「北方資料データベース」では「官材川下之図」という題名になっているが、調べていると、ほぼ同内容の巻物が複数存在している。江戸で、というか江戸だけで存在した「出版」業内部でこういった「画像の流用」が行われたのか、このあたりも今回の探究で浮かび上がってきている。1点ものだけで...【江戸期林業運送4「官材川下」の山水水運】

  • 【伊勢神宮・式年遷宮「官材川下」3〜山中製材】

    さて北海道住宅始原の旅シリーズからの「スピンアウト」版、江戸期までの「木材製材」林業から木造建築までのプロセス探求篇。伊勢神宮の「式年遷宮」用材を飛騨山中から「川下」させる絵巻物を追体験しながら、江戸期の林業製材を研究しています。難関は「崩し文字」の解読作業の困難さであります(泣)。一字一字の漢字はまだ、推定も効くので楽なんですが、ひらがなで「スラスラ」と流れるように書かれている、その中にこれも崩しきった漢字が混淆している文章は、本人しか読めない(笑)。書いた本人はその筆の進み具合にうっとり自画自賛なのでしょうが、フォントに慣れきったはるかな後世人が読み下すのはほぼ懲役刑。まぁ研究論文でもないブログ記事としては、大意をつかんでところどころの要点の漢字に基づいて推測ベースで書き下すしかない。それでもけっこうな反響...【伊勢神宮・式年遷宮「官材川下」3〜山中製材】

  • 【江戸期製材 伊勢神宮「官材」伐り出し 2】

    昨日からの続きであります。江戸期の、というか近代以前の木材の伐りだし・製材プロセスを美麗な表現で絵巻物にしてある「官材川下之図」の再構成ブログ連載2です。読み方はたぶん「かわくだし」「かわおろし」ではないかと。歴史的には伊勢神宮の幕末での大工事があったように思える。その大工事にあたって工事記録を伊勢神宮の事業経費で残したのではないか。神社仏閣では「縁起絵詞」の類が制作されることがよくあるので、そういった記録制作を江戸の出版事業者に委託して残したことが想像される。で、伊勢神宮で木工事といえば「式年遷宮」が思い浮かぶ。三重県環境生活部文化振興課の「伊勢神宮遷宮制度の衰退と復興」というHPの記述をみることができたので、以下要旨抜粋。〜「式年遷宮制は今から1,300年前、天武14年(685)とされ第一回式年遷宮は内宮で...【江戸期製材伊勢神宮「官材」伐り出し2】

  • 【伊勢神宮造営材伐り出し 江戸期林業の図】

    歴史的に建設業を探究してくると、当然木材のことが知りたくなる。日本ではたくさんの木造建築が作られ続けてきたけれど、その材料である木材は当然、国内から伐り出された。北大の「北方資料データベース」を見ていたら「官材川下之図」と題された「飛騨山中における伊勢神宮造営用材の切出し、造材、益田川の川下し、白鳥湊からの積出しなどを詳細に画き説明した美麗な絵巻物」を発見することが出来た。大学というのはすばらしい勉強の宝庫ですね。巻物の形式で描かれているので、製材の流れに沿って理解が進む。最初から最後まで読みこなすのはなかなか至難の業。本日触れるのはその作業最初の「杣小屋〜そまこや」の場面からであります。杣というのは「そま。山から切りだした材木」という一般名称でいわば木材生産の最初期作業、その人々ということになる。説明文が楷書...【伊勢神宮造営材伐り出し江戸期林業の図】

  • 【過去の感覚再構築 明治初年さっぽろ地図】

    わたしのライフワーク一領域であるのは間違いないと「北海道住宅始原への旅」をブログの1テーマ領域で探究中。過去の時間へのタイムトラベルをしながら、古建築と向き合う。そんな「脳内作業」に取り組んでいる気がします。わたしが生まれてからほぼ60年くらい住んでいる札幌地域は明治初年にはアイヌの集落がいまの北大周辺地域にあったとされるけれど、それにしてもたぶん30-50人程度の人口。それ以外にも数戸の和人居住者もいたとされるけれど、まぁほぼ「未開」。そういうほぼゼロの状態から今日の約200万都市まで変貌してきた。ここまで劇的に変貌した北海道・札幌は日本の中でも稀有な進行形事例。そういうことだけれど、時間的には150年ほどのこと。それ以前の江戸期にも絵画表現はあり明治以降には住宅をテーマにした写真までかなり残されていてたどる...【過去の感覚再構築明治初年さっぽろ地図】

  • 【戊辰戦争・五稜郭とならぶ「弁天崎御台場」城塞】

    本日は、住宅ではないけれど歴史的な北海道幕末明治「建築」探訪シリーズ。それもいまは消え去った幻の建築空間です。函館の街は、明治の「北海道住宅始原の旅」探究で存在感が際だつ。明治天皇も明治14年の行幸の前、明治9年段階で東北から函館にだけは上陸を果たしている。まことに北海道の「表玄関」。そして同時に江戸幕府が果たした役割の歴史残滓も色濃く残っている。「五稜郭」城郭が最大のものといえるけれど、同じ設計者の作ったいまは失われた「弁天崎御台場」に強く惹かれた。北大データベースに残っている上の写真を見てこの台場の威容は出色。美しい石積みやアーチの出入り口が独特の構造美を見せている。お台場というのは近代戦争における打撃陣地・砲台城郭建築であって、海軍的視点での国防面で死活的に重要なものだったと思う。現代戦は空軍、宇宙軍、サ...【戊辰戦争・五稜郭とならぶ「弁天崎御台場」城塞】

  • 【江戸期の住宅雑誌?〜蝦夷地風俗取材篇】

    写真の2点は「蝦夷風俗図巻」からの住宅取材部分であります。出版年代は江戸後期/19世紀とされています。文化遺産オンラインの説明書きは以下のようになっている。「紙本著色28.0×1428.51巻岸和田市立郷土資料館所蔵アイヌ人の衣服や生業、熊祭り(イオマンテ)の風習などを図解する。江戸中期以後、蝦夷地(北海道)に対する関心の高まりとともに、こうしたアイヌ民族の風習を記録した絵画が多く制作された。本図は大坂安治川口の船宿淡路屋に伝わった資料の一つで、海運業者のアイヌ人への関心の高まりを示すものであろう。」ということであります。これは綴じられた本のかたちで製本されたもので、江戸期でもあり、浮世絵のように印刷され流通したのでしょう。船宿に常置されていた本であることを考えれば活発な北前船交易での人的往来という需要に対して...【江戸期の住宅雑誌?〜蝦夷地風俗取材篇】

  • 【北海道開拓期の囚人「道路」建設労役】

    北海道住宅始原の探究に避けて通れないのが「囚人労働」。利用しやすい海岸線地域だけが開発されていた江戸期までは内陸地域への探査はほとんどされていなかった。ほぼ漁業だけが産業だった。江戸期松前藩の「場所」制というのは漁業資源だけに特化した収奪経済構造であって、内陸地「農業振興」という試みは点的で面的にされてはいなかった。農業振興、民の定住の実質確保のためには人的交通も物資の輸送も、道路が開削されなければ北海道開拓の実質はなにひとつ行うことが出来ない。図は「囚徒峯延道路開削之図」〜明治10年代作画〜。(北大データベース)ゴーン被告は楽器ケースに身を隠してプライベートジェットで不法出国したとされるが明治初年段階では全国で新政府への反抗を示す「政治犯」などが多数続出した。以下Wikipedia「囚人道路」から状況の要旨を...【北海道開拓期の囚人「道路」建設労役】

  • 【明治「国家戦略」決断〜北海道の炭坑開発】

    北海道住宅始原期の旅シリーズです。が、本日はエネルギー安保論。北海道開拓は明治初期国家建設の核心的なプロジェクト。有色人種は自らの国家存続すら危ういという帝国主義全盛期に日本の独立を守り、欧米列強国と伍していくための決断を数多く行った。その方向性のなかで北海道開拓は焦眉であり、同時に国家としての飛躍を賭けた「投資」でもあった。そこからなにも得られなければ、その後の日本の近代化はありえなかった。政治権力構造としては、近代工業化を背景に明確な植民地政策をアジア各地において剥き出しの武力でもって貫徹してくる欧米列強。そういうなかで日本は国家戦略意思の不明確な江戸幕府・封建による固陋たる分権的体制を革命してそれまで武家政権期に京都御所で隠棲してきた天皇を東京に移転させ近代君主制国家のシンボルとした「開発独裁」型権力体制...【明治「国家戦略」決断〜北海道の炭坑開発】

  • 【北海道民は「新・日本人」ブレンド実験室】

    東京育ちの読者のNさんと【開拓の明治を生きた個人の生き様・万華鏡】の投稿をめぐってコメントのやり取りをさせていただいた。SNS時代というのは、こういう深掘り「対話」が比較的容易。どんな内容だったかというと、開拓での先住の人々と日本社会の出会いで融合と噛み合わない部分が生じたと思うのですが、それに絡んで、伝統的ムラ社会が存在した日本のほかの地域と比べてそういう「繋がり」からの断絶以降生成された「北海道民性」について「共同体がどのように形成されたかは私には全く知識がありません。」という感想をいただいた。そうか、であります。日本及び日本人を永く追究した作家の故・司馬遼太郎さんも「北海道からどんな人間が出てくるのか深く興味がある」という言葉を遺した。北海道にいる人間は、このことは自分たちの社会のことなので客観的に対象把...【北海道民は「新・日本人」ブレンド実験室】

  • 【本年初「社長食堂」 かに+ラム+たこ「しゃぶ」祭】

    今週は仙台からスタッフも合流して年頭の全社会議・研修。3日間の締めくくりには「社長食堂」であります。前回の「マグロまつり」時点で「かに食いたい!」の希望が寄せられた。まぁカニ料理にもいろいろあるし、素材ばっかりに目が行ってしまうのも「社長食堂」の目指す「手づくり感」からは趣旨がややズレる(笑)。創意と工夫でチャレンジする手づくりがいちばん楽しいのであります。ということで到達したメニューは「かに+ラム+たこ「しゃぶ」祭り」企画。ちょうど東北からスタッフも社長食堂初参加で合流するし、北海道らしいメニューということで、あれもこれもとなった次第。とはいえ基本はかにしゃぶがメインであります。かにしゃぶはわたし個人的にいちばん好きなカニの食べ方。毛ガニやタラバかにもいいけれど、どうしても素材任せになってしまう。かにしゃぶな...【本年初「社長食堂」かに+ラム+たこ「しゃぶ」祭】

  • 【住まいのディテール「好み」の真剣勝負】

    写真はきのうもご紹介のヒノデザインさんの玄関周りディテール。こちらのドアノブは以前の事務所のものから継続使用していてもう数十年使い続けているということ。独特の姿カタチ、手ざわり感を感じさせて、いかにも「手を触れたくなる」ような気分にしてくれる。下の写真は玄関を印象的に見せている「飾り棚」。店舗などでときどきみかけるように思いますが、ガラスの吊り元あたりにLED照明が仕込まれていてまことに印象的な「表情」を演出している。外観的には、当社スタッフいわくきわめて「男前」の建築。そのイントロでこういった手ざわり感を担うものたちは、いわば「前奏曲」を奏でているような存在なのだと思います。外観自体はきわめて男性的な「建築の意思」を感じるのだけれど、こちらはいきなり「肌感覚」で攻め込まれる(笑)印象を与えてくる。住宅デザイン...【住まいのディテール「好み」の真剣勝負】

  • 【神社山の家 冬期の「反射光」利用】

    きのうは当社の仙台のスタッフも合流して札幌市内の設計事務所2軒のオフィス訪問していました。ご紹介するのは「神社山の家」と名付けられたヒノデザインアソシエイツ社屋。Replan誌面でもご紹介したことがあるのですが、わたし自身ははじめてお伺いしました。写真上はメインスペースと言えるダイニングに開いた開口部。背景になっている山地は北海道神宮の持ち物の山でその名もズバリ「神社山」という山であります。札幌市内から見るといくつもの連なりとして見えるので、近接の「円山」とか「三角山」のようには馴染みはない。しかし言われてみれば北海道神宮から続いているような位置関係にあります。小雪傾向のことしの札幌ですが、さすがにうっすらと雪化粧はしているので、この窓からは白い背景になってこの家の室内にハイキーな光彩をもたらしている。この光彩...【神社山の家冬期の「反射光」利用】

  • 【異常な暖冬がつづく札幌】

    ことしの札幌の冬、さっぱりであります。年末年始、ずっと長い秋のような気の抜けた冬でときどき降雪はあるけれど、すぐに「融けてしまう」。経験感覚的には「秋田市くらいの冬」という感じでしょうか。いや、秋田よりも「明るい」日射もある分過ごしやすいかも。ラクではあるのだけれど、まぁどうせ気を抜いていたら寒波が襲ってくる。そうやっていましめているのですが、気合いがさっぱり入らない。要するに気温がまったく下がらないのですね。12月にも雪が降ったと思ったら翌日には雨に変わったりする。生まれてからこんなにキレのない冬は初めてであります。北国人は冬の寒さが1年のサイクルで非常に重要な句読点。その厳しい寒さによって気持ちもシャキッとさせられる。こういう状況になってみると、ふだんの年には「おいおいまたかよ」と嘆息させられる天気予報の「...【異常な暖冬がつづく札幌】

  • 【開拓の明治を生きた個人の生き様・万華鏡】

    ブログの連載「北海道住宅始原の旅」シリーズで高断熱高気密という住宅技術に至った歴史経緯を掘り起こしている。一方で逆に住宅技術が歴史事象にどんな働きかけをしてきたのかと、「行きつ戻りつ」することが不思議に新鮮です。北海道が主要舞台となってこういう住宅革新は生まれてきた。しかしやはり、どんな時代でも人間の中身自体はそう変わりはない。いろいろな局面で懸命に生きた結果としての個人の事跡は印象深い。この地の先住の人たち、たとえば琴似又一という人物を掘り起こして取材したように感じています。先住の人たちと日本との関係は部族社会に留まっていた社会と、近代国家にまで飛躍しようとした明治国家社会との関係として、深く考えさせられる。むかし左翼運動に傾倒していた時期「原始共産制」みたいな概念を理想として夢想していたけれど、なぜそういう...【開拓の明治を生きた個人の生き様・万華鏡】

  • 【北海道観光初源 明治4年日本初の公園「偕楽園」】

    北海道住宅始原への旅。明治3年から本格的にはじめられた札幌本府建設。そのごく初期、明治4年に日本初の公園「偕楽園」は創始された。日本にはさらに古い由来を持つ公園も多くあるが、それは旧来の名勝名跡を公園と改称したもので、無から造成した都市公園としては偕楽園が日本最古。明治4年段階の開拓判官は岩村通俊で明治5年には薄野遊郭も建設させている。財政の厳しい状況の中、いきなり公園や遊郭という施設に公共投資している。考えてみるとかなり奇観とも言えなくはない。普通は殖産興業に投資が向かい余暇対象には向かわないのではないか。薄野遊郭はまだしも大量動員された職方たちへの娯楽提供の側面がありある種、治安維持的な施策でもあっただろうから、清濁併せ飲む的な施政として理解出来なくもない。しかし公園の創始、それも「無から造成した都市公園」...【北海道観光初源明治4年日本初の公園「偕楽園」】

  • 【琴似屯田兵村は薩摩「麓」在郷軍がモデルか?】

    北海道住宅始原期への旅、最初の屯田兵村「琴似」配置計画篇であります。明治6年で「開拓使本庁舎」の建築が出来上がって明治7年は反動でほとんど公共建築事業が休止し「経費削減」の嵐になっていた。札幌には不景気風が吹き荒れ、逃亡が続出していたという。開拓使人事でも明治3年来判官職にあった岩村通俊が次官・黒田清隆との軋轢もあってか、佐賀県の県令に転任して職を去り、後任にはそれまで辺境最前線の根室担当だった松本十郎が当てられた。かれは明治戊辰戦役では朝敵側・庄内藩出身だったけれど、敵将の主と考えていた黒田清隆がむしろ庄内藩救済のため尽力する様を見て一転して黒田に心酔するに至った。その経緯から開拓使に召し抱えられた。経緯を見ると開拓使とは「黒田清隆藩」とでも言えるのかも知れない。戊辰戦争全般の中で薩摩・黒田清隆は武勲抜群で強...【琴似屯田兵村は薩摩「麓」在郷軍がモデルか?】

  • 【明治6年 欧米近代衛生思想「札幌病院」建築】

    行きつ戻りつの「北海道住宅始原の旅」明治6年に戻ります。この年8月、現在の札幌市中央区北3条東2丁目に完成した病院。人間が住むようになれば必ず病気になる。対応した医療施設は不可欠。北海道開拓では明治2年11月に札幌村(元村)に一舎が建てられたとある。現在札幌村郷土資料館は札幌市東区北13条東16丁目にある。北海道の最初の医療施設は、その周辺にあったと推定できる。それから4年後にこの「札幌病院」は建築された。建築に当たっては開拓使お雇い外国人である「スチャル・エルドリッチ」から意見書が提出された。かれは当時の函館病院外科部長とある。全17項目の「もっとも注意すべき諸件を開申する」と書かれている。以下、長いけれど意訳して書きます。思想としての近代医学が開陳される。1病院の設営地は域外または都府外とすべき。2周囲に広...【明治6年欧米近代衛生思想「札幌病院」建築】

  • 【明治13年 小樽手宮ー札幌まで天皇を乗せた鉄道】

    写真は北大のデータベースから、札幌屯田兵招魂碑前を通る弁慶号/武林盛一。明治13年と日付があるけれど不詳とのこと。しかし翌14年には先般触れた明治天皇の行幸があったので、それに合わせて開通させたことが明らかだと思われます。この「屯田兵招魂碑」というのは、西南戦争に参戦した屯田兵のうち、門松経文大尉と屯田兵36名を祀る招魂社として札幌に建立された。当初は開拓使が開設した「偕楽園」内(札幌市北区北6条西7丁目)にあったとされる。ちょうど、明治天皇が休息された「清華亭」からほど近い。この当時には「札幌駅」は存在せず、札幌停車場が現駅舎の150m西側にあった。明治天皇は、このような蒸気機関車に乗車されて偕楽園内という森の中の停車場、明治14年の夏の終わりに降りられたのだろうと思います。この鉄道は、当時拓かれていた銭函か...【明治13年小樽手宮ー札幌まで天皇を乗せた鉄道】

  • 【明治13年 ロシア式ログハウス導入と挫折】

    北海道住宅始原の旅、明治13年頃の黒田清隆主導の表題の件。開拓使というのは、薩摩閥の政治的指導者・黒田清隆の個性が強い組織。かれは、箱館戦争を終結させた明治2年5月以降いったん東京に凱旋して結婚したあと、引き続き政治軍事的な「北方担当」であり続けた。明治3年当時には開拓使次官・樺太担当としてロシアと現地交渉に当たった。8月から10月まで樺太現地に滞在していたとされる。外交的にはかれの下僚となった榎本武揚が領土交換的な決着を図るけれど、同時にロシア風の防寒住宅工法であるログハウスを実見したようだ。その後、北海道の開拓建築基本方針として「洋造」を決定する。明治4年前半、自らアメリカ欧州を歴訪しケプロンなどと「教師」契約を交わし基本的には北米の「開拓指針」を採用することになった。だけれど、そうして出来てきた北米的な建...【明治13年ロシア式ログハウス導入と挫折】

  • 【初春の富士 北斎「富嶽三十六景・常州牛堀」 】

    あけましておめでとうございます。北海道という、住宅ではやや特異な位置を占める地域発の住宅雑誌+WEBのReplanを編集発行。ブログでは雑誌やWEBマガジンとは違う視点で住宅の周辺的話題を中心に、歴史的住宅を深掘りしたり個人的な興味分野も自由に書き続けております。雑誌の開始から32年、ブログを始めてからでも15年経過しました。ブログはいま「北海道住宅始原の旅」シリーズを継続中。高断熱高気密への動きがスタートアップしたのは、明治にまで遡る。開拓と同時に「住宅革新」がどう始まったかを掘り下げています。150年程度ですが、北海道としては「温故知新」であります。ぜひ、過去記事などもご覧ください。ということですが、本日は元日ということで、以前も好評だった「富士山」からといたします。俗に「一富士二鷹三茄子」と言われる初夢の...【初春の富士北斎「富嶽三十六景・常州牛堀」】

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