最近の悩みといったら晩御飯の献立何にしょう?問題だ。そして、後悔している事がある。料理本を全部、断捨離してしまった事。売れ残りの雑誌に付いていた料理本の付録さえも、持っては帰ったものの邪魔になるだけだからと…捨ててしまった。
最近の悩みといったら晩御飯の献立何にしょう?問題だ。そして、後悔している事がある。料理本を全部、断捨離してしまった事。売れ残りの雑誌に付いていた料理本の付録さえも、持っては帰ったものの邪魔になるだけだからと…捨ててしまった。
とあるブログを見ようとしたら「この短い広告を見たらこのブログ見せてあげますよ。」みたいな広告が出た。例え短い広告だとしても見たら負けみたいな気持ちになるのでこのブログを見る事を止めた。このブログを書いているブロガーさんはこ
昨日の夕方買い物から帰宅。エコバックから黒酢720ml瓶(箱入り)を取り出そうとした時、手が滑りそのまま左足に落下。「あ~っ!うっ…」言葉も発せない痛みで悶絶する私に冷たい視線の夫。「大丈夫?」の一言も無し。恐る恐る左の靴下
また義母(夫の母)に黙って勝手な事をしてしまった。何の相談もせずに畑を売り何の許可も得ず着物を処分。そして今回は家の中と牛小屋の生前整理をしてしまった。義母は何でも溜め込む癖があり捨てることが出来ない性格だった。壊れた
東京&神奈川ではずっと☁天気が悪くしかもブルブルするくらい寒かった。一番気候が良かったのは最終日の福岡でのみだった。ツアーは福岡空港での集合ということで最低でも20人位は参加者がいるかな?と思い
先月、旅行好きの姉に誘われ2泊3日の東京観光ツアーを申し込んだ。ツアーの集合&解散場所が福岡空港となっている為前泊&後泊で福岡に2泊する事に。合計で4泊5日のバタバタ旅行が明日から始まる。 福岡での天気☀で問題無しだ
1週間後○○○○で買い取って貰えなかった大量の着物&帯&小物類を車に乗せリサイクルショップへ持ち込んだ。結果合計49点を3,500円で引き取ってもらえた。「小物類は直ぐ売れますよ。」とか「着物もシミ抜きすれば売れますから。
テレビでお馴染みバ○○○に電話を入れ出張買い取りを頼んでから2カ月が経ち、やっと訪問して来た。駐車場があると説明はしたのだが「近くのコインパーキングに停めて来ました。」と聞いた途端(あ、着物を本気で買い取る気無いな)と直感。
社長さんが有給を買い取ると口で 言っただけでは、後々難しいですね。 言った言わないの世界になりますからね。 誓約書なり、何かの証拠になる決め手の 書類はありますか?」 ……なるほど。 ……言った言わないの世界か。そこで思い出した。
仕事を辞めて一ヶ月。先日やっと会社から離職票などが届いた。翌日、ハロワに雇用保険受給手続きに出かけた。バイクで行ったのだがハロワの場所がうろ覚えのうえ方向音痴の為、あっちウロウロこっちウロウロ…我ながら情けなかった。最
「送別会 断り方」「送別会 行きたくない」などのワード検索をしてみるもののなかなかピッタリの文章が見つからない。で、最終的に「お疲れ様。 ごめんね。 今回はパスさせてもらいます。 なんか疲れちゃって 元気が出ないので。歳だねえ
帰宅後、10分もしないうち△さんからラインが入った。「女子だけで送別会をやろうよ。 メンバーは〜誰々云々…。どうですか?」うわっ!勘弁して欲しい。別れの挨拶もしたし、お世話になったとお礼の品も其々に渡したのに。確かにみんなとは
涙もろい店長は涙を浮かべながら最後の言葉を口にした。その涙声に釣られるようにパート仲間も泣き始めた。それを見て私もそうなるかな〜と想像はしていたもののいざその場面になると妙に冷静な感情しかわかずもう一人のフリーター君と二人
いよいよ今日が最後の出勤日。閉店してから今日まで私の休みは2日だけ。一番年上の私が何故か他のパートさんより出勤日が多かった。簡単に後片付けというが何十万冊という雑誌、書籍、コミックなど全部返品するという地味な作業の辛さや…あ
オープニングスタッフとして採用されこの書店で働くこと14年2ヶ月。ついに1月31日、閉店を迎えた。閉店日が近づくにつれ「この店のファンでした。」「高校生の頃から利用させてもらってました。 この店が無くなるのは悲しいです。 今までありがと
罰当たりな事は重々承知している。亡き母が私や姉の為にと、嫁入り道具にと持たせてくれた数々の着物。それらを着る事はもう無いので売り払ってしまおうと、お金に変えてしまおうと決めた姉と私。着物の良し悪しさえ分からぬまま40年近く、
閉店セールと言う事で年末、文具&雑貨が3割引き年明けからは5割引きになり連日の様に大勢のお客さんがつめかけレジ打ちでの緊張感が半端無く毎日ヘロヘロの状態になっていた。通常の売上もこれだけあったのなら閉店する事も無かったのだろ
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兄が思っていた以上に山、畑が高額で売れたのだと言う。諸々の手数料を除いた分の金額を兄妹で分配する事にしたから、と言う。思わず、「え!? 良いの? もう兄ちゃんの土地になっているんだよ?」と聞き返した。「俺からのクリスマスプレゼン
5日前のことだ。珍しく、埼玉に住む兄からの電話。最初気が付かずラインの着信履歴で知り慌てて折返しの電話を入れた。何か、あったのだろうか?私の不安を打ち消すようなのほほんとした兄の声だった。「あのな。 俺の相続した山と畑が売
先日、職場の引き出しに入れていた筆記具をそろそろ持って帰ろうと思い用途ごとにペンケースにまとめてみたら…。どえらい本数になっていた!!どれだけペンが好きなのだ?私。にほんブログ村
早いもので、今年も残すところあと3週間で終わり。師走とはよく言ったもので何かと気忙しい毎日になってきた。「来年1月末で閉店します」という張り紙を出したりお客さんに口頭で伝えたりすると殆どのお客さんから「え?閉店しちゃうの!?
4年半前、脳出血で倒れその後遺症で1年半前てんかん発作を起こした娘。そのせいか、健康のことに関してやたら過剰反応するようになった。特に、コロナやインフルなどのウイルスに関する事に敏感になった。手洗い、うがい、マスク着用、
来年1月末をもって閉店。そこに話を持ってくるまでの社長のどうでもいい話が長すぎた。閉店後の片付けがあるから雇用は2月28日までとの事。 店長が恐る恐る誰もが取得していない有給休暇の質問をした時の事。それまでの弱々しい声とは一
大阪&京都旅行、楽しかった。その楽しい思いから一変次の日の職場での重苦しい雰囲気。本題になかなか話を持っていかない社長にみんな苛立っていた。
19日から姉と2人2泊3日の関西旅行に出かける。「母ちゃんの留守中、 料理は俺に任せておいて。 だてに3年半、 独り暮らしをしてた訳じゃないから」と、頼もしい息子の一言。姉は結婚後、何十年と大阪に住んでいたが2人いる息子も独立し
同僚のAさんは私より1回り歳下。同僚のBさんは私より2回り歳下。当然、主婦歴だけ言えば私が一番ベテラン。だが、料理のレパートリーやら料理にかける手間暇など料理の事に関しては(特に)どれを取ってみても、私が最下位…。いや、プ
主婦歴38年。これほど、主婦業が向いていない主婦も珍しいかもしれない。料理苦手。掃除苦手。近所付き合い苦手。子育ても苦手。夫や夫の身内を大切にするのも苦手。が、しかし捨てる神あれば拾う神あり?なのか。そんな私でも
今日は私の64歳の誕生日。仕事が終わってから家族で外食と決めていた。だから、こんな日くらい仕事でも何事もなく終わりたいと朝から思っていた。が…そのささやかな希望が打ち砕かれたのはあと30分で仕事が終わるという時だった。どういう
私に必要なくなった物でも君にとってそれが必要というのなら君にあげよう。にほんブログ村
何かあると直ぐ私のせいにする夫。蟻の出現さえも、私のせいにした。今から1週間前の事。朝、起き抜けの私に夫が言い放った。「アンタがいつも座っている椅子の下に蟻の大群がいた。アンタがこの椅子の下にお菓子の食べカスをボロボロこぼすから、🐜が
5月辺りから、突然我が身を襲ってきた坐骨神経痛。塗り薬やら、整骨院やら、トントンやら…色々試してはみるもののおっ‼️ 良くなったかな〜と思いきや。それも一時の慰めにしかならず。 家に居ても、家族のいないところで泣き仕事場でも
昭和61年。私は結婚した。その時、母から「あなたの結婚祝いにコレをプレゼントするわ。」と、記念硬貨を貰った。「あなたにあげたものだから、どうしようとあなたの自由だから。」あれから38年が過ぎその記念硬貨はタンスの引き出しに眠っ
また坐骨神経痛がぶり返してきた。でも職場では、相変わらず平静を装って仕事をしている。ところで店長、他の同僚には密かに「実は○才の誕生日を期にこの会社を退職しようと考えているんだ。」と言っているらしい。何故私にはその話を
今日、1週間振りの整骨院。例のステック軟膏と夜、クッションを使う寝方のお陰でこの1週間で、 坐骨神経痛も完治しつつあった。だから、整骨院の通院も今日で終了する予定でいた。会計時、当然のように「次の予約いつになさいます?」と
仕事を辞めてしまいたいそう思う原因のひとつに最近悩まされている坐骨神経痛があった。人に弱みを見せるのが嫌な私は職場では、何食わぬ顔で仕事をしているが本当は坐骨神経痛で立っているのさえキツイんだよ!!と訴えかけたいのをグッと我慢し
ゴールデンウィークが終わった辺りから私の働いている店では閑古鳥が鳴く日々が続いている。お客様が店に来ないのだから売上が上がるわけがないだろう。お客様が来ない→レジ業務も暇→やる事が無い→時間の経過が遅い→かえって妙な疲労感に疲
「それより、ここには居たくないから 早く、家に戻らせてくれ。」義母の望みは、ただそれだけなのだ。「……また、そんな事を言う。」この日は、娘と息子も連れて来ていたのだが駄々っ子の様な義母の姿を見るのは 辛い、そんな顔の2人だった。
独り暮らしの義母(夫の母)が緊急入院したのは去年の1月の事。90を過ぎた義母の独り暮らしは無理。病院を退院したその日。一旦家に連れて帰ったが夕方、有料老人ホームの施設長が迎えに来た。義母がこの家で生活する事はもう無いのだ。今ま
今朝のゲッターズ飯田占い無駄なプライド?うーん、確かに私には無駄なプライドが多い。むしろ、無駄なプライドと共に生きているそんな気さえしてくる。にほんブログ村
ドキドキが止まらない。こんなドキドキ…嫌だ!!診察台の上でまな板の上の鯉状態の私。胃カメラを受けるのは初めてだと言うと「エー、そうなんですか?」と私と同年代だと思える看護士さんがそれは珍しいと言う。え⁉️みんなこの歳になる
今から1時間半後私は病院で胃カメラ検査を受ける。ずっと健康には自信があったので何気なく受けてみた胃がんリスク検査でまさかのᎠ判定が出るなどとは夢にも思わなかった。胃カメラを飲むなんてもちろん初めての事なので胃の状態がどうなっ
土日の忙しい時に限って有給休暇を取っていた店長。7年半も真面目に働いてきた私に「パートさんは有給なんか無いよ。」と、よく平気な顔をして言えたもんだ。そう言えば娘が小6の新学期特発性血小板減少性紫斑病を発症し県病院に緊急入院し
45歳の時、それまで7年半勤めていたファーストフード店を辞めた。今から18年も前の話だ。理由は色々あったが理由のひとつにユニホームがあった。30代ならまだしも40代後半に差しかかろうというおばさんが着るにはあまりに痛々しいユニホ
「あ、お墓掃除にも!」夢グループの社長の一言に「そうだ!墓掃除用にコレを買おう!」と、私の意見も聞こうとせずに勝手に注文した夫。私の両親の眠っている墓地にはちゃんとした管理体制があるので (モチロン、会費を支払っている)
60代、70代で亡くなる著名人たち。人生100年時代だとマスメディア。本当に、そうなのか?今の80代・90代の高齢者が長生きできているだけではないのか。医療も日々進歩してきているというが果たして、それが本当に幸せな事なのか。人間が人間らしく生きるという事。簡単なもの
近所の神社へ初詣。おみくじは「吉」と出た。おみくじと一緒に入っていたものに目が行く。勝負運とな。浅ましい考えが浮かぶ。今年は宝くじでも買ってみようか?と。にほんブログ村
早いもので、今年も残すところ5日余り。心穏やかでは過ごせなかったこの一年。平凡な毎日を送っているつもりでも振り返ってみると、ざわざわな心境の繰り返しだった気がする。「気にしない。気にしない。」一休さんの歌ではないが、そう自分に言い聞かせても、そう言い聞かせ
雲行きが怪しい。最近の売り上げの低迷。お客さんの少なさ。いよいよもって、私の勤めている店が閉店という運びになるか? もだ。オープニングから13年。年々潰れていく店が多いというこの業種。よく持ち堪えた方だと思う。正直、閉店になったとしてももうどうでもいい、とい
2015年7月。母、有料老人ホーム「★の街」へ入居決定。父の死から、丸3年が経っていた。2021年11月21日母は、「★の街」301号室で生涯を終えた。6年4か月の暮らしの中で母が実家へ戻ったのは、たった一度だけだった。「外出許可をもらって 88歳、米寿のお祝いを家に帰っ
下の姉の住んでいたアパートからほど近いところに、その★の街という有料老人ホームはあった。2階建ての立派な建物だった。施設長は40代前半位の感じのいい男性。「今、タイミング良く 一部屋だけ空いているんですが ちょっと覗かれてみますか?」案内された部屋は個室。
私の亡くなった両親は、私たち兄妹に幼い頃から「歳を取って、体が思うように動かなくなったらお父さんもお母さんも老人ホームに入る事に決めている。あんたたちに迷惑をかける事はないからね。」と、口癖のように言っていた。「夫婦二人暮らしが難しくなってきたから、 い
義母が、初めて老人ホームへ入居したのが2月。ここでは色々嫌な思いをさせられると「早く、ここから出たい」が口癖だった義母。そのホームのケアマネさんが手を尽くしてくれてお陰で普段なかなか入れない待機人数の多い特別養護老人ホームにあっさり転居できることになった
息子が京都から帰ってきて、約一か月半が経った。先日、派遣社員だが、仕事を決めてきた。8月14日~3月いっぱいの契約である。大学の事務所での仕事で9時から16時まで(実労6時間)と、勤務時間が短い。「他にも、もっと稼げる所があるだろ。そんなに慌てて仕事を見つけな
「京都に移住する」と言って独り立ちをした息子だったがその生活は、3年半で幕を閉じた。滅多に私にラインをして来ない息子からの「相談があります」の文字に、嫌な予感がした。こちらから、電話をすると「結論から先に言うと。 手持ちのお金が10万円を切ってしまって。
丁度、1ヶ月前の事。テレビを見ながらの晩御飯中突然、娘がご飯茶碗を持ったまま背中から後ろヘゴロンとひっくり返った。「おいおい。」ふざけている様に見えたのか夫が呆れた様な声を出した。がしかし、ふざけている訳では無かった
去年の秋の事。私は仕事。夫と娘は仕事休み。お昼過ぎ静かだった娘の部屋からドタバタする音が聞こえてきた。「何事!?」夫が驚いて娘の部屋ヘ行ってみると。カーテンとベットのシーツが血まみれになっていたというのだ。そして娘
義母がK市の老人ホームに入居したのが2月11日。職員の人たちにはとても良くしてもらった。(ちなみに前回、義母を傷つけた職員は解雇になったとのこと)しかし、認知症の入居者さんが勝手に自分の持ち物を持って行ってしまったと義母。お金も、財布も、靴も、補聴器も入居当時
先週の土曜、義母の施設での面会が許可された。私は仕事、娘は眼科検診日の為夫一人が会いに行ってきた。入所当時と比べると、顔色も良くなって何よりも一人で車いすを押しながらトイレに行き、誰の手も借りずに用を足すことが出来る様になっていたとのこと。やはり、朝昼晩
義母が、老人ホームへ入居した初日施設長から「ここではお金は必要ありません。 もし、何らかの事情でお金が必要な場合、こちらが立て替えます。その後、請求書を送らせてもらいますので。入居者さんの中には、認知症の方もいらっしゃいます。お金のトラブルがあっては大変
息子2人からの月5万円の仕送り。できるだけ使わないように使わないように大切に取っておいたに違いない義母。急遽、入院が決まり慌てて家を出たものだからそれまでの生活を残したまま家に鍵を掛けて、数日が過ぎてしまった。4日後、夫と義理家に帰り、鍵を開け取り散らかった
「・・・もうね。ほんと、嫌になるわ。」「長生きするもんじゃない。」「迷惑ばっかりかけてよ。死んだ方がマシやわ。」ぽつぽつと小さな声で呟く義母。「そんな事・・・言うなよ。」義母の言葉に、急に優しい口調に戻る夫。ここ一年ほどなにかあると、「長生きするもんじゃ
義母(夫の母、90歳)が2月11日、やっと老人ホームに入居した。ここにこぎつけるまでどれだけ夫が大変な思いをした事か。なのに義母は入居をただのショートスティと勝手に思い込んでいて「今度の3月1日の病院に行った後、家に帰るのに、家の鍵は何処にやった
緑内障になって、はや17年。少しずつだが、やはり間違いなく利き目である左側が見にくくなってきている。そして、眼圧を下げる点眼薬が一個増えた。ドライアイ用は、1日両目4回。(室温保管)リズモンは、1日両目1回。(冷蔵庫保管)もう一つは、1日3回左目だけ。(室温保管)点眼
「検査の結果。悪性リンパ腫だった。」「この病気の事は、絶対お袋には内緒にしてくれ。 高齢のお袋に心配をかけたくないからな。」去年の5月、横浜に住む義兄(夫の兄)から、夫への一本の電話連絡が入った。そしてそれは義兄の壮絶な闘病生活の始まりでもあった。義母は、こ
自己評価の高すぎるM子さんがついに、昨日で退職していった。思い起こせば、入社して3年5ヶ月が過ぎていた。次々と転職を繰り返し、多分今までで、一番長く続いたのがうちの店だったのだろう。普段、穏やかな私なのだが、流石に彼女の態度や言動・お客様に対する対応の酷さな
はぁぁぁ~、ため息が出る。パートで勤めている店がここ数ヶ月前から売上が落ちて、客数もめっきり減ったのである。暇な時間が増え、なんなら30分切り上げて15時上がりにしてくれても全然構わないのだが何故か、店長はそれをしない。30分でも人件費を削減できたならそれは
我が家では、パソコンが必需品。スマホの小さい画面では、ストレスが起こる。こういうブログ投稿も、写真はスマホでから転送するが文章はパソコンのキーボードでカタカタ打ち込んで投稿している。ここ何年か、ずっと気になっていたのが固定電話の必要性であった。今どき、固
人によって態度を変える。気に入った同僚にはニコニコしながらハイテンション。自分から話しかけてベタベタ体を触ってスキンシップを取る。一方、気に入らない同僚にはこちらが話しかけても「はぁ。」「ええ。」短い返事でテンションも低く、顔も合わせず。どうして、こうも
仕事をなんだと思っているんだ。そう思える3人組がいる。3人共、30代前半独身。実家通勤2人。1人は今年に入って一人暮らしを始めた。従業員(店長を除いて)全員、同じ時給だ。同じ時給ということは、みんな同じ事が出来て当然だ。なのに、この3人組は他のみんながやっている事
私は中1~短大の頃まで西城秀樹の大ファンだった。そんなヒデキのデビュー50周年記念として7枚組のDVDが発売された。3万円以上するものだったが購入してしまった。こういう時くらい、お金を使ってもいいだろう。タンブラーの特典付き。 どれもこれも、私の青春時代の、どス
また一軒、うちの近所にF葬儀場が出来た。半年前に出来たS葬儀場の目と鼻の先だ。もう少し離れた所にも別の葬儀場が2件ある。いわば、葬儀場激戦地区に住んでいる我が家である。オープンを記念して来場者には記念品を用意しているというF葬儀場。記念品目当てで夫と二人、見
先月の11日。義父(夫の父)の七回忌だった。このご時世という事で、義母・夫・私・娘の4人だけでお寺へ行き、法要を済ませた。その後、義母が「仕出しを注文してあるから、Aコープへ寄って。」と夫に言った。うわっ。しまった。嫁として、なんと気の利かないことをしてしまっ
先日、母の入居していた施設から最後となる請求書が送られてきた。11月の電気代と不用品の処理費用代。1万ちょっとだった。銀行で、手数料を払ってまで振り込む金額ではない。しかも、何故か他の入居者さんの請求書も同封されていた。これだったら、この請求書を持ってついで
夫の親戚の叔父さん、叔母さんが相次いで亡くなった。夫婦で葬儀に出席する為、泊まりで夫の実家へ帰る予定でいた。ところが、前日。私の知り合いがコロナ感染したという連絡。慌てて夫に連絡を入れ夫からも「明日は俺一人で帰るから。」と当然の答えが返ってきた。次の日、
母が亡くなって49日。四十九日法要は、前もって済ませておいたので私と夫、姉との3人で墓参りだけ行ってきた。実は、その前夜私の夢の中に母が出てきたのであった。何故か、私が木村拓哉のお宅にお邪魔しているという設定だった。妻の工藤静香が凄く私とキムタクの仲を疑
今年も更新数の少ない、暗い内容のブログにお付き合い頂き本当にありがとうございました。2022年も相も変わらずのスタンスで突き進んでゆく所存でございます。どうか来年も、お付き合い下さい。それでは、良いお年を。
不謹慎かもしれないが私の母がもし亡くなった場合のことを考えて葬儀場としてどこを選ぶかという話になり夫と二人、各社の葬儀場巡りをしたのが3年前の事だった。結果として、第二希望としていた葬儀場に決めそこへの手配・連絡係として全部引き受けてくれたのが夫だった。テ
11月21日。母、永眠。92歳だった。遺品整理をしている中、母の日記代わりの大学ノートが出てきた。元々は、キレイな字を書く母だったのに年月を重ねるに連れ、はっきりと読み取れないくらい、乱雑な字体に変わっていき、それがまた悲しかった。その5冊に及ぶ大学ノートの中で
11年間、同じ職場で働いているとパートさん、バイト生、フリーター様々な人が辞めていき、そして、様々な人が入ってくる。その繰り返しでもう何十人の人達と一緒に働いてきたのかいちいち覚えていないというのが正直なトコロだ。しかも、私が一番の年長者だ。(正社員ただ一人
交通安全協会費。若い頃、これは絶対払わなければならないものだと思っていた。実際、何のためらいもなく、支払っていた。だが、しかし。夫と結婚してから「あれは、任意だから。払う必要はないんだよ。」と教えてもらい、目からウロコだった。それ以来、一度も支払ったこと
先日、運転免許の更新に行った。原付免許を取ったのが20歳の時。普通免許を取ったのが25歳の時。もっか、原付バイクしか乗らない。というか、30年以上原付バイクが相棒となっている。「バイクに乗れるんだったら、車の運転なんて簡単さ。」と言う夫の言葉を信じて、取得した
老人ホームに入居している母に最後に会ったのはいつだったろうか。ブログをさかのぼってみると3月20日だった。約半年も会っていないということだ。電話での会話が苦手な私は、こちらから母に電話をすることは殆どない。電話をしたところで、同じような愚痴を聞かされるだけだ
自分で買ってまでは飲もうと思わないが人から貰って嬉しい物のひとつが栄養ドリンクである。若い頃には、絶対無かったことである。10代・20代の頃は栄養ドリンクなんて「ジジババの飲む飲み物だ。」と思っていたし第一、あの栄養ドリンク独特の味も嫌いだった。それが今じゃ
最悪である。スマホの広告でよく見かけていた洋服。なかなか可愛いではないかと、何も深く考えず注文してしまった。注文を受けてから、手元に届くまで16日ほどかかるというメールの返事。「ん・・?どういうことだ?」海外からの発送ということなのか?嫌な予感がして、その会社
あれから、一ヶ月経った。姉とケアマネさんとの間で訪問看護の契約書が結ばれ、今月から週イチ30分の訪問看護となっているはずだ。最初、難病指定医療機関だと(母の場合、パーキンソン病という難病に指定されている)「受給者証を持っているので訪問看護でも2500円が限度額な
母の入居している施設内のナースステーションから着信が入っていた事を仕事を終えた帰宅後に気がついた。「また、転倒して、怪我でもしたのだろうか。」去年以上に、今年の母の転倒する回数が増えてきていた。案の定、転倒して左肘あたりを7針縫う怪我をしたという報告だっ
youtubeで1歳の男の子とそのお祖父ちゃんの食事風景や日常を撮った動画がお気に入りだ。わずか1~2分の動画なのだがそのほのぼのさに毎回、にこにこしてしまう。まさしく私にとっての癒やし動画である。この動画を見せたら夫も「おっ。可愛いねぇ。」と言うかと思いきや「こ
数ヶ月前に入った職場のフリーター女子。仮にzさんとしておこう。この子が何故か私を毛嫌いしている様子。私以外が相手だと、愛嬌を振りまき話も弾むようだ。しかし、私が視界に入ると、途端に大人しく静になる。なんなのだ?私は何も悪いことはしていないぞ。そういう雰囲気
去年の2月、私の実家の家屋全部を解体した。残ったのは800坪程の土地のみとなってしまった。父が9年前に亡くなってから、家屋の名義は埼玉に住んでいる兄の名義、土地の名義は母の名義となっている。当然、家屋は無くなった訳だから兄の払っていた家屋の固定資産税はゼロにな
はぁ~。春なのにため息の連続。仕事に行きたくなーい!! 仕事を辞めたーい!!またもや、そういう気持ちが溢れてきている。あるのだ、そういう気持ちが。時々、無性にそういう気持ちが爆発しそうになるのである。けれど、それは決して許されることではない。そして、それを夫に
久しぶりに母の所へ面会に行った。最初、電話予約を入れた時は「一階のホールで15分の面会しか出来ません」と聞いていたのだがいざホームへ行ってみると「直接、お母様のお部屋に行かれても構いませんよ。」と言われそのまま2階にある母の部屋へ行ってみた。丁度シーツ交換が
「ナイルパーチの女子会」というドラマ。非常に怖いドラマである。友達がいないということが、そんなに駄目なことなのか?どうしてそこまでともだちがいるか、いないかにこだわるのか。学生時代じゃあるまいし友達がいないことにコンプレックスを抱く必要がどこにあるのだろ
前回、前々回とあるLINEのやり取りを書いた投稿をした。読み返してみると、大人げない自分であることに自己嫌悪の塊になってしまったので削除した。この気持を引きずるのは精神状態に悪影響を及ぼすので、もう無かったこととして処分することに決めた。幸い、若い頃と違って
最近、目尻のシワが目立たなくなってきた。法令線もほんの少し薄くなってきた気がする。別に特別な高級クリームを使っているわけでもエステサロンに通っている訳でもない。・・・・単に太ったからである。顔も太って丸くなったから、皮膚が張ってきたのであろう。超えてはな
ひきこもり派だけあって仕事のない日はずっと家にいれるし、ストレスを感じない。できるならば、仕事も在宅で済ませたいくらいだ。だが、しかし。接客業がリモートワークなど出来るはずがない。書店で、販売員として本を売ってその純利益の中から、時給を貰って生活費に充て
私は、電話での会話が最も苦手である。仕事場での電話も正直出たくない。がしかし、仕事場は公私混同してはいけない場所。声を作り、なるべく陽気な雰囲気を出しつつ愛想よく対応する。(我ながら女優モードで苦笑である)電話での応対が=お店のイメージダウンイメージアップ
gotoキャンペーン。旅行に出かける暇とお金を持ち合わせていない・・・。gotoイート。外食なんて、家族で近所のうどん屋かラーメン屋にたまーに行くのが関の山・・・・。もちろん、「旅行に行こう」やら、「会食しましょう」などとそういう事を言い出す友人さえいない。まい
「彼女は、幼い頃母親から虐待を受けて、それがずっとトラウマになっているんですよ。」だから? それで?そういうトラウマを抱えた可愛そうな30才だから私達従業員に迷惑をかけてもいいと?うちの店を利用してくれるお客さんに横柄な態度や乱暴な口利きをしても見て見ぬ振りを
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最近の悩みといったら晩御飯の献立何にしょう?問題だ。そして、後悔している事がある。料理本を全部、断捨離してしまった事。売れ残りの雑誌に付いていた料理本の付録さえも、持っては帰ったものの邪魔になるだけだからと…捨ててしまった。
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テレビでお馴染みバ○○○に電話を入れ出張買い取りを頼んでから2カ月が経ち、やっと訪問して来た。駐車場があると説明はしたのだが「近くのコインパーキングに停めて来ました。」と聞いた途端(あ、着物を本気で買い取る気無いな)と直感。
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仕事を辞めて一ヶ月。先日やっと会社から離職票などが届いた。翌日、ハロワに雇用保険受給手続きに出かけた。バイクで行ったのだがハロワの場所がうろ覚えのうえ方向音痴の為、あっちウロウロこっちウロウロ…我ながら情けなかった。最
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帰宅後、10分もしないうち△さんからラインが入った。「女子だけで送別会をやろうよ。 メンバーは〜誰々云々…。どうですか?」うわっ!勘弁して欲しい。別れの挨拶もしたし、お世話になったとお礼の品も其々に渡したのに。確かにみんなとは
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オープニングスタッフとして採用されこの書店で働くこと14年2ヶ月。ついに1月31日、閉店を迎えた。閉店日が近づくにつれ「この店のファンでした。」「高校生の頃から利用させてもらってました。 この店が無くなるのは悲しいです。 今までありがと
罰当たりな事は重々承知している。亡き母が私や姉の為にと、嫁入り道具にと持たせてくれた数々の着物。それらを着る事はもう無いので売り払ってしまおうと、お金に変えてしまおうと決めた姉と私。着物の良し悪しさえ分からぬまま40年近く、
閉店セールと言う事で年末、文具&雑貨が3割引き年明けからは5割引きになり連日の様に大勢のお客さんがつめかけレジ打ちでの緊張感が半端無く毎日ヘロヘロの状態になっていた。通常の売上もこれだけあったのなら閉店する事も無かったのだろ
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兄が思っていた以上に山、畑が高額で売れたのだと言う。諸々の手数料を除いた分の金額を兄妹で分配する事にしたから、と言う。思わず、「え!? 良いの? もう兄ちゃんの土地になっているんだよ?」と聞き返した。「俺からのクリスマスプレゼン
今日、1週間振りの整骨院。例のステック軟膏と夜、クッションを使う寝方のお陰でこの1週間で、 坐骨神経痛も完治しつつあった。だから、整骨院の通院も今日で終了する予定でいた。会計時、当然のように「次の予約いつになさいます?」と
仕事を辞めてしまいたいそう思う原因のひとつに最近悩まされている坐骨神経痛があった。人に弱みを見せるのが嫌な私は職場では、何食わぬ顔で仕事をしているが本当は坐骨神経痛で立っているのさえキツイんだよ!!と訴えかけたいのをグッと我慢し
ゴールデンウィークが終わった辺りから私の働いている店では閑古鳥が鳴く日々が続いている。お客様が店に来ないのだから売上が上がるわけがないだろう。お客様が来ない→レジ業務も暇→やる事が無い→時間の経過が遅い→かえって妙な疲労感に疲
「それより、ここには居たくないから 早く、家に戻らせてくれ。」義母の望みは、ただそれだけなのだ。「……また、そんな事を言う。」この日は、娘と息子も連れて来ていたのだが駄々っ子の様な義母の姿を見るのは 辛い、そんな顔の2人だった。
独り暮らしの義母(夫の母)が緊急入院したのは去年の1月の事。90を過ぎた義母の独り暮らしは無理。病院を退院したその日。一旦家に連れて帰ったが夕方、有料老人ホームの施設長が迎えに来た。義母がこの家で生活する事はもう無いのだ。今ま
今朝のゲッターズ飯田占い無駄なプライド?うーん、確かに私には無駄なプライドが多い。むしろ、無駄なプライドと共に生きているそんな気さえしてくる。にほんブログ村
ドキドキが止まらない。こんなドキドキ…嫌だ!!診察台の上でまな板の上の鯉状態の私。胃カメラを受けるのは初めてだと言うと「エー、そうなんですか?」と私と同年代だと思える看護士さんがそれは珍しいと言う。え⁉️みんなこの歳になる
今から1時間半後私は病院で胃カメラ検査を受ける。ずっと健康には自信があったので何気なく受けてみた胃がんリスク検査でまさかのᎠ判定が出るなどとは夢にも思わなかった。胃カメラを飲むなんてもちろん初めての事なので胃の状態がどうなっ
土日の忙しい時に限って有給休暇を取っていた店長。7年半も真面目に働いてきた私に「パートさんは有給なんか無いよ。」と、よく平気な顔をして言えたもんだ。そう言えば娘が小6の新学期特発性血小板減少性紫斑病を発症し県病院に緊急入院し
45歳の時、それまで7年半勤めていたファーストフード店を辞めた。今から18年も前の話だ。理由は色々あったが理由のひとつにユニホームがあった。30代ならまだしも40代後半に差しかかろうというおばさんが着るにはあまりに痛々しいユニホ
「あ、お墓掃除にも!」夢グループの社長の一言に「そうだ!墓掃除用にコレを買おう!」と、私の意見も聞こうとせずに勝手に注文した夫。私の両親の眠っている墓地にはちゃんとした管理体制があるので (モチロン、会費を支払っている)
60代、70代で亡くなる著名人たち。人生100年時代だとマスメディア。本当に、そうなのか?今の80代・90代の高齢者が長生きできているだけではないのか。医療も日々進歩してきているというが果たして、それが本当に幸せな事なのか。人間が人間らしく生きるという事。簡単なもの
近所の神社へ初詣。おみくじは「吉」と出た。おみくじと一緒に入っていたものに目が行く。勝負運とな。浅ましい考えが浮かぶ。今年は宝くじでも買ってみようか?と。にほんブログ村
早いもので、今年も残すところ5日余り。心穏やかでは過ごせなかったこの一年。平凡な毎日を送っているつもりでも振り返ってみると、ざわざわな心境の繰り返しだった気がする。「気にしない。気にしない。」一休さんの歌ではないが、そう自分に言い聞かせても、そう言い聞かせ