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  • 音楽の宝物 第3回 ラリー・アドラー「 愛のアランフェス( Adagio )」1979年

    音楽の宝物第3回ラリー・アドラー「愛のアランフェス(Adagio)」1979年TheConciertodeAranjuez(Adagio)-LarryAdler上にお示ししたポートレートはラリー・アドラーさんの最晩年の写真です。ちょっと神経質そうな、瘦せぎすのポートレートですが、若い頃はアメリカのジャズシーンで大活躍されていました。中央のポートレートはそんな大活躍されていたこの頃のものです。(以下の文章はWikipediaより参照しました。)アメリカ合衆国出身のハーモニカ奏者。本名はローレンス・セシル・アドラー(LawrenceCecilAdler)ボルチモアのユダヤ系ロシア人の家に生まれました。2歳でアル・ジョルソンの物まねをし、6歳からピアノを始め。10歳で地元の聖歌隊の最年少の先唱者となり、ピーボディ音楽...音楽の宝物第3回ラリー・アドラー「愛のアランフェス(Adagio)」1979年

  • スコーピオンズ「 Born To Touch Your Feelings 」2017年

    Scorpions-BornToTouchYourFeelingsスコーピオンズ「BornToTouchYourFeelings」2017年スコーピオンズと言えば1978年、初めて来日する際に何か日本にちなんだ曲を演ろうとして日本のファンクラブから勧められたのが「荒城の月」だったそうです。当時の模様はライブアルバム「TokyoTapes」に収められていますが月日は流れ、紆余紆余曲折曲折を経て2017年に発売されたバラード・ベスト・アルバム「愛のために生きて」は素晴らしいアルバムです。初期から中期の激しい面影はありませんが、熟成されたサウンドはバンドの歴史を感じさせてくれるのに充分です。とにかくヴォーカルのクラウス・マイネのセクシーヴォイスはジンジンします。今のスコーピオンズはクィーンに優るとも劣らないと私は勝手...スコーピオンズ「BornToTouchYourFeelings」2017年

  • キャット・スティーブンス「 白いバラ 」1970年

    キャット・スティーブンス「MyLadyd'Arbanville」(邦題=白いバラ)1970年この懐かしい歌声、いっぺんに若返りました。1970年のヒット曲ですが、私が聴いたのはその2年後の事でした。ジャケットのイラストも歌の歌詞や曲もキャット・スティーブンスご本人が創作した事を知り感激したものです。初めに覚えた歌がこの「白いバラ」でした。ギブソンJ-200の奏でるオープン・チューニングの広がりのあるハーモニーは当時の私にはとても新鮮に聴こえコピーしたものです。(今は指がスムーズに動きませんが)キャット・スティーブンス「白いバラ」1970年

  • ジョゼフ・シマ( Joseph Sima )1891年ー1971年

    ジョゼフ・シマ(JosephSima)1891年ー1971年不勉強な私は、音楽とアートと詩がライフ・ワークなどと思い込んでいる割には知らない画家のなんと多い事か(アセ)チコちゃんに知られたら、あの名文句で嚇されそうですが、チェコのボヘミアで生まれで1920年代から30年代にシュルレアリスム絵画のグループ「大いなる賭け(LeGrandJeu)」に属していた前衛派画家のジョゼフ・シマさん。作品は下にお示ししましたが、なんとも不思議な絵です。上の作品集はパリ市立近代美術館におけるJosephSimaの回顧展に際し刊行され、亡くなる1970年代までの作品を収録する内容ですが私には高価なので私は持っていません。中が見られないのがとても残念なので都内にある閉架式美術図書館に行って見て来ようと思っています。それは良いとして、...ジョゼフ・シマ(JosephSima)1891年ー1971年

  • リー・オスカー「 我が心のジョージア 」1996年

    リー・オスカー「我が心のジョージア」1996年思い出しました。1978年頃、テレビを見ていたら聴き馴れたフェイクの息遣いが私の耳に飛び込んで来ました。それは確か資生堂のコマーシャル映像のバックに流れるリー・オスカーさんのブルース・ハープの演奏で「プロミス・ランド」と云うインストの曲でした。私が初めてリー・オスカーさんの演奏を聴いたのはWARと云う黒人ソウル・グループの中の白1点、ひとりだけ白人のリー・オスカーさんが独特なリズムの取り方で(肩の左右を前後に振りながらリズムを取っていました。)小さなブルース・ハープ1台を操り、ひとりフォーン・セクションのような拡がりを聴かせてくれたのでした。月日は流れ20年後、バブルも弾け家族を守るのも大変な1996年頃。リー・オスカーさんは日本にいて、円熟した演奏で新しいブルース...リー・オスカー「我が心のジョージア」1996年

  • 吉田拓郎「 祭りのあと 」1972年

    吉田拓郎「祭りのあと」1972年私も若い頃は浴びるほど呑んで、トラにもオオカミにもなってましたが最近は(持病が悪化して)すっかり酒量も減りウサギさんかネコさんの様になってしまいました。若い頃は酒豪で鳴らしたフォーク界の貴公子、吉田拓郎さんも色々な病気と闘っているうちに、酒量もスッカリ減ったのではないでしょうか?(私の勝手な想像ですいません)当時「祭りのあと」と云えば、岡本おさみさんの詩の世界を拓郎さんが歌い上げて新たなファン層を広げた傑作として知られています。この度、思い立って詩の内容をよく読み込んでみました。この歌が発表された当時はLGBTもジェンダー思想もCSRも何のことか余り気にしなかった頃のお話ですから時代を感じる部分もありますが、当時に立ち返って読んで頂ければ幸いです。お酒の嗜み方を教えながら、日本と...吉田拓郎「祭りのあと」1972年

  • 世界の終わり「 眠り姫 」2012年

    世界の終わり「眠り姫」2012年新年、明けましておめでとうございます。新年早々「世界の終わり」とはずいぶんと物騒なグループ名ですよね。このグループ名を初めて聞いた時には耳を疑いました。「セカオワ現象」とマスコミは呼び、グループの初期の頃、活動拠点となったライブハウスが東京大田区のそれも羽田にあったと知り、かなり親近感を覚えましたが、私にとってグループ名と言えばグループ・サウンズ時代の印象が強く「田辺昭知とスパイダース」とか、グループ・リーダーの名前が前に付いていた時代ですからグループ名が「世界の終わり」と聞き「時代は変わったなぁ」と思いました。でも、歌も演奏もとてもしっかりしていて私には好感が持てたのでご紹介させて下さい。さらに歌の内容をよく聴きますと、ゲームを通して愛を育んだ二人を歌っていて(そもそも私は、テ...世界の終わり「眠り姫」2012年

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クラシノ ソラ / 音楽とアートと詩と…。
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