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探 三州街道  https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_7

伊奈備前守、高遠保科家、信濃国など室町時代・戦国期の歴史。とりわけ諏訪湖と天竜川流域の歴史の探索。探

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2015/09/23

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  • 松尾小笠原宗家の創立まで 第七話

    松尾小笠原宗家の創立まで第七話小笠原長政:長忠の子・小笠原長政のことも、小笠原家の家系図に載っているだけで、ほとんど判りません。小笠原長氏:長政の子:生没:安貞元~延慶三(1227-1310)年・長氏の時に、松尾小笠原家は劇的に変化して行きます。小笠原長忠、小笠原長政のことは資料が乏しく、考証しようにも手立てが思いつきません。確認してきたのは、小笠原に残る家系図と小笠原家から幕府に提出されて作成された寛政譜のみです。真偽のほども小笠原家系図だけで、小笠原家の当主として”名前”だけの記載になります。群書類従にも、小笠原家の系譜の記載があります。こちらを確認してみましょう。長忠の項:長径の子・嫡男。母武田大膳太夫朝信女。・土御門院御宇建仁二壬戌四月二十六生於信州伊那松尾館。童名豊松丸。・建保二甲戌二月十二於祖神社壇...松尾小笠原宗家の創立まで第七話

  • 松尾小笠原宗家の創立まで 第六話

    松尾小笠原宗家の創立まで第六話ここで、小笠原長径、長忠が、阿波国守護として阿波に居着いてしまえば、松尾小笠原家は生まれてこないことになります。ここでどんなドラマがあったのでしょうか?承久の乱の時、小笠原長径は43歳、父・長清は60歳、長男・長忠は19歳、次男・長房にいたってはまだ8歳です。・小笠原長房:生・没(1213-1276)(阿波国守護)・小笠原長忠:生・没(1202-1264)(豊松丸、又次郎、兵庫助、信濃守)・小笠原長径:生・没(1179-1247)(弥太郎、入道,阿波国守護)小笠原長径の生涯の再確認比企の乱までは、前文参照:建仁三(1203)年、比企能員の変では、比企氏方として拘禁された。その後鎌倉を引き払ったと見られ、鎌倉では弟の伴野時長が小笠原氏の嫡家として重用されている。承久三(1221)年、...松尾小笠原宗家の創立まで第六話

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