「松本」学、あるいは「松本」考:99:何故!松本が「県庁所在地」でないのだろうか?:9-3:「武田」が「信長」に敗れたとき・・井深氏・・・『信濃守護小笠原氏と共に武田氏に抵抗していた二木氏.井深氏らが小笠原氏の逃亡後になってから赦免を願い出た際に大日方氏が仲介をして功績を認められている。』上の文章は、松本市の公式な見解の記述であるのだが・・・なんか変である。普通、戦に負けて降参すると、領土を保全されて安堵され、「先方衆」として勝者の軍に配されるのが、戦国時代の一般的な習いである。なのに、以後に「井深氏=(後丁氏)」の名前は当時の府中から消えているのだ。「謎」を深堀してみると、「信府統記」という古書があり。ここに「赤沢氏」の記述がある。・信府統記・赤沢氏・『後ニ井深ノ城主後庁大蔵ヲ攻落シ、彼領地ヲ以テ是ヲ武...「松本」学、あるいは「松本」考:9:9-3:「武田」が「信長」に敗れたとき・・