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ときどりの鳴く 喫茶店 https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。

ときどりの鳴く 喫茶店
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2015/09/16

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  • 「松本」学、あるいは「松本」考:7 トピックス2

    「松本」学、あるいは「松本」考:77:トピックス2古(いにしえ)は神社由来より・・・浅間温泉の温泉街の上の方に神社がある。国道254号線の三才山トンネルの手前にも神社がある。また、美鈴湖を少し上った、美ヶ原の高原の中にも神社はある。御射神社という、・・らしい。名前が「みさじんじゃ」といい、祭祀の様式が、キリスト教の「ミサ」に似ていることから、一説に「大陸高原の遊牧民」からの伝承の神社という説も、秘かに受け継がれているが・・・確証に乏しい。正式名称を見てみよう。浅間温泉の上にある神社は、「御射神社春宮」、三才山トンネル近くの神社は、「御謝神社秋宮」、美鈴湖上の美ヶ原にあるのは「御謝神社奥宮」と呼ぶらしい。松本・岡田の地方誌の電によれば、鎌倉初期に、浅間郷の地頭であった「赤沢氏(=小笠原氏の傍流)」が稲倉城に...「松本」学、あるいは「松本」考:7トピックス2

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:6 山家」の読み方

    「松本」学、あるいは「松本」考:66:山家」の読み方山家」の読み方---・三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり---・上っていくと、「山家城跡」というのがあります。ここらあたりから、入山辺」と言いますと、先に書いた。この「山家」は、「やまや」と読むとばかりに思っていた。里山辺を散歩中に、地元の人との会話で、この城跡は「やまべ=山家・城」だと知った。散歩中に、この会話がなければ知りえなかったことである。山家城跡:写真「山家」を「やまべ」とは、難読の極みである。松本が、城下町の体裁を整えて、人口を増やしてきた折、新参者は「山家」を「やまや」と読みえず、呼び名は習わしであることから、当て字の方を「山辺」と変えたのであろう。そして「山家城」の主の統治の領域は、里山辺、入山辺、三才山辺りであったのではなか...「松本」学、あるいは「松本」考:6山家」の読み方

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:5

    「松本」学、あるいは「松本」考:55:裏庭・美ヶ原裏庭・美ヶ原ルート:2・・・、三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり、バス停は「美ヶ原」に通じていた。美ヶ原温泉郷から、細い道を縫っていくと、美鈴湖に合流する脇道もある。ここいら一帯は、見渡す限りのブドウ園で「種なしデラウェア」の産地である。ここを、バスでも良し、歩行でもよし、でブドウ畑の間をヒタすら上っていくと、「山家城跡」というのがあります。ここらあたりから、入山辺」と言います。入山辺のブドウ園:写真さらに上ると、「三城牧場」に着きます。近くに、扉鉱泉」もあります。---・なにせ・・五十年プラス前のことゆえ、いまだに牧場をやっているのか、鉱泉が名前をかえたのか、そこらへんはご容赦を・・・「三城牧場」は、大学の「オリエンテーリング」の時のハイキン...「松本」学、あるいは「松本」考:5

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:4

    「松本」学、あるいは「松本」考:44:裏庭・美ヶ原裏庭・美ヶ原母校(信大)の脇を通って橋を渡ると「浅間温泉にでる。橋を渡った直ぐには、「川島芳子」が住んだ家がある。(----戦中に、渾名男装の麗人、東洋のマタ・ハリとも呼ばれた人、機械があれば深追いするが・・・)温泉旅館、温泉ホテルを突き抜けてそのまま上ってゆくと、・・・、三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり、バス停は「美ヶ原」に通じていた。ここいら一帯は、見渡す限りのブドウ園で「種なしデラウェア」の産地である。ここを、バスでも良し、歩行でもよし、でブドウ畑の間をヒタすら上っていくと、・・・、美鈴湖の手前で合流する。美鈴湖と言えば、50年目r当時、「浅間温泉国際スケートセンター」があった。---・油氷とか言って、好記録続出の「アウトドア・スケート...「松本」学、あるいは「松本」考:4

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:3

    「松本」学、あるいは「松本」考:33:松本市の由来そもそも、松本は、城の改名からきている。それまでの城の名称は、「深志城」であった。・・・松本市の由来松本市の名前の由来は、天正10年(1582年)に小笠原貞慶が深志城を「松本城」と改称したことが要因。「待つ事久しくして本懐を遂ぐ」との懐述「待つ(松)本懐」から「松本」になったと言われている。また、佳字を用いた瑞祥地名とする説もある。・・・写真:松本城理由は上記のとうりであるが、読んでのように、全く後で無理やり付けた理由のようで、納得が行くようなものではない。小笠原貞慶」が出てきたので、中世・府中の領主の名前を、歴史的に振り返ってみよう。建武の新制の時、足利高氏は、六波羅探題で、信濃武士を束ねて京都警備をしたことがある小笠原宗長に同志を依頼したことに始まり、...「松本」学、あるいは「松本」考:3

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:2

    「松本」学、あるいは「松本」考:22:「松本」より前に、「府中」って呼んだ?松本市は、松本って地名の前には、府中と呼んだらしい。府中・・・古代に中央官庁から送られた税務や警察機能などの役人を「国衙」といい、その役所を「国庁」、その存在する場所を「国府」と呼んだ。府中は、その国府が存在する地方のことで・・・では、松本の前の国府のあった場所はどこか?が、覚束ない。このような類の歴史的な由来は、たいがい市の広報に案内があるものだが、不案内である。では、どこかに詳らかにされていないかと調べてみると、「松本の歴史-岡田地区編」というのが「フェースブック」に載っており、若干詳しいが、断定に足る資料であるかどうか」は不安定に思える。つまり、「府中」という名称は、長らく呼びなれてきたがゆえに、客観性があり、存在を傍証的に...「松本」学、あるいは「松本」考:2

  • 「松本」学、あるいは「松本」考

    「松本」学、あるいは「松本」考はじめに、松本には四年住んだことある。一年は、蟻ケ崎は住宅街だが、寮があって、三年は、里山辺に、住宅街の端っこで、そこより背後は、緩やかな裾野で、デラウェアのブドウ園が延々と広がる。そこでの四年間の記憶が、この頃どうも少しずつ薄くなっているように思う。そこで思い立つのだが、・・・キーボードを打つ手が、最近んとみにしんどい。胸骨の手術以降、右手が肩よりり上に上がらなくなっているのに加え、副作用でか、しびれまで加わっている所為・・・下降としている内容は、記憶の中のこと。五十年以上前のことになるので、精度が甚だ不安だが、そこはご容赦を!1:旭町松本に「旭町」という町名がある。昔、一年だけ通った母校の所在地だ。どうもここは、旧来の地名ではなさそうで、戦後に出来た地名のように思える。調...「松本」学、あるいは「松本」考

  • 1:高麗川と寺院仏閣

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!1:高麗川と寺院仏閣「高麗神社」写真:トーテンポール?トーテムポールのような標柱。「将軍標」という朝鮮半島で使われる魔除けの境界標一風変わっています。高麗神社由緒---・「当社は、高句麗からの渡来人高麗王若光を主祭神として祀る社です。他に、導きの神猿田彦命、長寿にして長く朝廷に仕えた竹内宿祢が祀られています」*高麗王若光;高麗(こま)の王(こき;古代朝鮮語)し若光(じゃっこう)---・どうやら、主祭神は「朝鮮半島」からの「亡命者」の類であろうか。後先の時系列から言うと、新羅という外敵から攻められて、支援を求めて「大和朝廷」に来たのだが、最中に・・高句麗が新羅に攻め落とされて帰るところを失ったとの筋書...1:高麗川と寺院仏閣

  • 越辺川と高麗川

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!越辺川と高麗川:◇:越辺川と高麗川高麗川は正丸峠辺りを源流とする。高麗川と名栗川を挟んだ山岳は有数の杉の美林・・。高麗川に沿って走る西武鉄道が秩父まで繋ぐ。高麗川の周辺には、趣のある神社仏閣があるが、・・高麗神社、竹寺、能仁寺、子の権現などなど・・このうち、高麗神社、竹寺は、後で詳細する・・巾着田は、高麗川の一部で、「がま口」のように蛇行して流れ、時期には、曼殊沙華の群生が埋め尽くす。巾着田に隣接する「宮沢湖」は、最近人気の「ムーミンバレーパーク」というテーマパーク・・高麗川は、流れて坂戸と鳩山の境あたりで、越辺川に合流する。ムーミンバレーパーク写真飯能市宮沢:郊外型レジャー施設。ムーミンテーマパー...越辺川と高麗川

  • 2:慈光寺、都幾川

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!慈光寺、都幾川:2:慈光寺、都幾川--・戦国の僧兵たち&番匠、湯葉など都幾川--・ときがわ町(玉川村と都幾川村が合併してできた町名)、因は、町を貫流する都幾川。その都幾川は、慈光寺の山号「都幾山」を由来とする。慈光寺のホームページの紹介の項に、「戦国の時世では、当山も僧兵を傭し、近隣の城主との抗争に明け暮れましたが、それも太田道灌らによって焼き討ちの憂き目にあい、栄華を誇った寺院も衰運をたどること・・」という文面がある。その慈光寺・・時がたち・・嘗ての慈光寺が如何なるものであったか?」は、「web」を巡ることである程度把握は出来そうであるが、本来の規模や勢力の実感は、--・つまり筋肉質や血の実感まで...2:慈光寺、都幾川

  • 1:槻川 --・ 武蔵嵐山

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!槻川:1:槻川--・武蔵嵐山ミカンの北限・・大内沢・風布「槻川」は堂平山・北川(=大野峠あたり)を源流として流下し、大内沢川と合流して、東秩父村(埼玉県内唯一の村)、小川町へと流れる。「大内沢川」の東側山麓はミカンの北限であり、山を越えた荒川側にも「風布」というミカンの畑が散在する。大内沢川と荒川の川霧は、どうも気温を上げるらしく、川べりの標高の低いところより標高を高くしたところの方が気温が高いらしい。その「メカニズム」の理屈は読んでみたがよくわからなった。「ミカン」の由来は、近くの寄居の「鉢形城」の小田原の後北条の北条氏邦によって、氏邦の出身の伊豆から運ばれたものらしい。この城は、武蔵と上野、下野...1:槻川--・武蔵嵐山

  • 都幾川と槻川 ・いわゆる、源流の風景

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!都幾川と槻川:◇:都幾川と槻川・いわゆる、源流の風景「慈光寺」という古刹がある。外秩父山麓にあり、背後に「堂平山」を持つ。かなり規模の大きな「山寺」である。この寺のことを調べると意外と深い。これは、・・あとで、、この「堂平山」北を源とするのが「槻川」、「堂平山」南(大野峠辺り)を源とするのが「都幾川」、両川は、武蔵嵐山・菅谷館あたりで合流する。ともに清流・・「堂平山」は比企三山、”=笠山・堂平山・大霧山”。外秩父が比企に比定されているとは?知らなかった。外秩父は、「ヒルクラムサイクル(=自転車登板)」の首都圏のメッカである。時々、そんなサイクリングの自転車を見かける。また、「パラグライダー」の「堂平...都幾川と槻川・いわゆる、源流の風景

  • 入間川: 新河岸川:3

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!入間川:新河岸川:3(承前)◇:新河岸川(厳密には、新河岸川が入間川の支流かどうかは、覚えが目出度くない。運河であると認めているわけで‥)今は昔・・「与野」という町がありまして、大変栄えておりました」-・なんて書くと違和感があるが事実である。平成の大合併の末、「与野市」は「中央区」と名を変えて、「さいたま市」に飲み込まれた。この合併というのが曲者で、街名を、上下に分けたり、東西南北にしたりで、中とか中央としたりして、昔からの人情の歴史をそぎ落としていく。これが事実だが、極端な違和感を覚えないのは、JRにまだ「与野駅」という名の駅が存在しているからだ。でも。中央区なんて、味もそっけもなく好きでない。そ...入間川:新河岸川:3

  • 入間川 支流・成木川

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!入間川:成木川:2(承前)◇:成木川西川材・・・杉や檜の美林・・この「西川」には、「成木川」を加えていいものかどうか?。「成木川」にも、「筏流し」の記録がわずかに残る。。この「わずか」を、あえて「西川」にしていいものはどうか・・「入間川水系」には違いないのだが・かつて、この成木川の川沿いの街道を二度くらい通ったことがある。付近ならさらに数度行ったことがある。つつじの名園:「塩船観音」と「鎌倉古道」所以のためであった。さらに言えば、古族・豪族:金子一族の遺跡探求もあった。成木川清流:1「成木川」は青梅に源を求め、飯能に流下して、名栗川に落合する。以後を「入間川」という。「成木」地区は、飯能との隣接地帯...入間川支流・成木川

  • どどんがどん! 入間川

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!入間川:入間川:1(プロローグ・的!)以前の職場の先輩が、リタイヤ後に「絵」を描き始め、そのコピーを送ってきた。なかなかの「もの」である。その中に「阿須」の公園のものがあった。「八高線」が入間川を渡るあたりである。飯能の領分に位置するそうである。「阿須」は“崩涯”を意味すると「中国」由来の辞書は語っているそうである。---・いわゆる「崖の端っこ」とか。こんな地質学的特徴は興味をそそられる。川に、表層を削り取られた地層は、たまに太古の姿を現すことがある。まさに、白亜紀とか第四期の地層のことだ。どうもここがそのようなのだ。まず、「阿須」の公園は、運動公園と「あけぼの子どもの森公園」とから成り立っている。...どどんがどん!入間川

  • 夾竹桃」が咲いている・

    夾竹桃」が咲いている・まだ、残暑が厳しい。今年の夏は、例年にも増して・・だそうだ。残暑に花を見るのは、「百日紅」が多いが、「夾竹桃」も残暑の花であるようだ。今日は、足を延ばして・・神社の裏の公園まで行ってみた。「ボート池」の畔に「夾竹桃」が咲いていた。「夾竹桃」は、葉が”竹に似”てて、花が”桃に似”ているので、「夾竹桃」と名付けられたそうで、きわめて毒性が強いという。---・花、葉、枝、根、果実すべての部分と、周辺の土壌にも毒性がある。生木を燃やした煙も有毒であり、毒成分は強心配糖体のオレアンドリンなど・---「周辺の土壌にも毒性」があるというのは、驚き・・「広島市はかつて原爆で75年間草木も生えないといわれたが、被爆焼土にいち早く咲いた花が「夾竹桃」であり、復興のシンボルとなり広島市の花に指定」逞しい。歩数計...夾竹桃」が咲いている・

  • 香りロード」あり

    香りロード」ありかなり暑いのだけれど、「病み上がり」で体力が落ちているようだから、早朝散歩をしている。「早朝散歩」は、目覚めて直ぐにという段取りで、AM5:00前に起床、起床して間もなく、AM5:15頃に出立、・・と言っても、まだまだ暑いので、「多少体に負荷を・・」と思いつつ、一昨日迄は、「7000+α」歩ぐらいが限界で、一昨日と今日は何とか、「10000」歩をクリヤした。走るのは、体力的に無理があるようです。8月下旬になると、今年はかなり暑いが、ぼつぼつ「秋」の花の便りが聞こえてきてもよさそうです。散歩の公園には、今まさに盛りの白い「百日紅」が咲いています。他にないかと、隣接の「公園」にも足を延ばしてみました。「三密」を避けるため、いつもの公園に人出が多いと、時々、避けて、足を延ばしてみます。こちらの公園には...香りロード」あり

  • 病窓REPORT-6 2020/08/14

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~病窓REPORT-62020/08/14・退院AM10:00病窓REPORT-62020/08/14

  • 病窓REPORT-5 2020/08/08 - 08/13

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~病窓REPORT-52020/08/08-08/138/8:・酸素マスクが外れます・ドレーンが抜けます8/9:・硬膜外カテーテルが抜けます・傷が塞がっていれば、「胸帯」を外します回復プログラムのルーチン・1:歩行訓練--・多少歩いてみたが、前と違い、「ふらつき」ません。・2:「ネプライザー」と「ボルダリング」--・肺の機能の活性化と痰が出やすくするため、だそうです。・3:「尿検査」--・お小水を機械に溜めて検査するのだそうです08/12:終了・4:以後・・退院前日まで、採血とレントゲン診断が続くそうです。・5:毎日のルーチン(体温/指酸素測定/血圧)病窓REPORT-52020/08/08-08/13

  • 病窓REPORT-4 2020/08/07

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~病窓REPORT-42020/08/07・ICU(集中治療室)からの帰還ですAM11:00・---・ICU(集中治療室)で目覚めました・痛みは、ほぼありません。・---・歩いて帰れそうなのですが、「車椅子」での機関だそうです。・昼食は、「普通食」を希望したが、「おかゆ」だそうです。・夕食も、「おかゆ」だそうです。--・おかゆ」はあまり好きではありません。・体には、点滴と廃液ドレーンと背中に麻酔の管が付いています。・午後から、回復プログラムの開始です。・1:歩行訓練--・多少歩いてみたが、前と違い、「ふらつき」ません。・2:「ネプライザー」と「ボルダリ...病窓REPORT-42020/08/07

  • 病窓REPORT-3 2020/08/06

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~病窓REPORT-32020/08/06手術当日・:・浣腸で排便・:弾性ストキング・:手術室へ向かう「手術」以後・・・麻酔で、一切記憶にありません・・翌日、聞いたところでは、--・「ifthen・・」とはならず、、「2時間」で手術は終わったそうです。病窓REPORT-32020/08/06

  • 病窓REPORT-2 2020/08/05

    病窓REPORT-22020/08/05~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~・体重/身長:測定・採血・ルーチン(体温/指酸素測定/血圧)・麻酔科説明:S医師--・2つの麻酔:*「管」を入れる>太さで困難を伴うかも?--・麻酔承諾書・肺の左右の確認:「左側」:N医師・--間違わぬよう左腕にマジック・集中治療室説明・胸部付近除毛>シャワー・夕食後>一切の食事と水(お茶を含む)禁止--・下剤を飲むこと、出なければ、浣腸--・胃の中を空にする:・「小」は「ドレーン」で対外排出、「大」は「トラブル」か?:・結局は浣腸になりました・・>翌日、12時過ぎ・「手術」予定・・病窓REPORT-22020/08/05

  • 病窓REPORT-1 2020/08/04

    ROOM:6202病窓REPORT-1~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~inSCC(SaitamaCancerCenter)(Cancer):僕は「蟹座」生まれなのですが、ここでは、その意味ではない・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~病窓REPORT-12020/08/04・am10:00enterhospital・レントゲン・採血(通常採血/動脈採血)・痰検査・ルーチン(体温/指酸素測定/血圧)・ボルダリング/ネポライザーネポライザー*----・「CT検査」により、肺に影が見つかり、その後、「ペット」、「MRI検査」「「レントゲン」で確認、・・「増幅剤」により光るので「転移」の可能性大として、・・「疑わしきは取ってしまえ」ということで「手術」となりました。1:「手術...病窓REPORT-12020/08/04

  • 第四章 「スサノウ」のこと

    荒ぶ(荒む)・・スサブ//スサノウ荒王第四章「スサノウ」のことスサノオ(スサノヲ)は、日本神話に登場する神。『古事記』では建速須佐之男命、『日本書紀』では素戔男尊など、『出雲国風土記』では神須佐能袁命◆:父‎:‎伊邪那岐命母‎:‎伊弉冉尊(日本書紀のみ記述あり)◆:兄弟姉妹‎:‎アマテラス‎;‎ツクヨミ‎参照:アマテラスとスサノオの誓約·‎クシナダヒメ·‎神大市比売·‎牛頭天王この神話の時代は、弥生時代後期です。日本にまだ文字はありません。弥生時代の特色は、稲作と鉄器の伝来です。歴史的に見れば、明治維新などと比べ物にならないくらいの、社会の変化と文明と呼べるものへの入り口です。「伝来」と書きましたが、多くは「渡来人」によって、これらの「文化・文明」はもたらされたようです。日本を取り巻く海と海流を眺めていると、朧...第四章「スサノウ」のこと

  • 第三章 簸王子社と荒脛神社

    承前啓後簸王子社と荒脛神社「承前」と書いてみて、ハタと思いとどまった・・「承前啓後」のほうが、意味が似つかわしいのではないか・?と・今回も、かなりマニアックな「神社」の由来に関するもの・・こういう歴史に関するものは、興味のない人は冗長である。「ロマン」を感じる人だけを対象としたい。「ロマン」を感じない人は、飛ばしてください。前回、「”武蔵一之宮:大宮氷川神社”は、創設当初は「二社」であった。」と書いた続きである。この思わせぶりの「書き様」は、後にも、氷川神社の存在を暗示している。第三の氷川神社は、「簸王子社」と呼ばれたり、「中氷川神社」と呼ばれたり、「中山神社」と呼ばれたりしている。由来---・「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたという。社伝では、鎮火祭(後述)の火により...第三章簸王子社と荒脛神社

  • 武蔵一之宮 二章・氷川神社は、本来は「ニ社」・・

    武蔵一之宮二章・氷川神社は、本来は「ニ社」・・毎朝の日課で、約Ⅰ時間10分、10000歩の散歩を課している。まあ・、ほぼ達成しているわけだが、時に気分で、コースを変えることもある。普段は、近くに公園を四周強すれば達成できる目標だが、、今日は、街の方へ歩き、参道へ出て、「二の鳥居」を潜って、参道から「氷川神社」に入った。「氷川神社」は、「武蔵一之宮」として知られる。この形になったのは、明治維新以降・・、それまでの「氷川神社」については、案外知られていない。知られていても、かなり断片的だったりするようで・・・それまで・・「神社の歴史」などに興味を持つものなどかなり「マイナー」で少数派だと思っていたのだが、ある時の問わられ語りに、案外食いついてくれた人がいたりして、それでは、、と書く気になった」という訳である。とはい...武蔵一之宮二章・氷川神社は、本来は「ニ社」・・

  • 武蔵一之宮 一章・茅の輪潜り・・

    武蔵一之宮一章・茅の輪潜り・・6月28日は、6月30日より少し前だが、氷川神社の「茅の輪・神事」に行くことにした。6/30:は病院に行かねばならないので、一足先に」ということである。実のところ、「茅の輪・神事」のことは、数年前に飯能の「竹寺」(=医王山薬寿院八王寺)に行くまでは、詳しく知らなかった。「スサノウ」と「牛頭天王」がどうやら同一人物らしい」とも知らなかった。「牛頭天王」はどうやらインド仏教に由来するようだ。つまり、大陸の習俗らしいということが分かった。「茅の輪・神事」は「蘇民将来」という逸話から、「厄・回避」の風習らしい。「素戔嗚尊=スサノウ/牛頭大王」は疫病をもたらす神であると同時に、疫病を防ぐ力も持っている、ということらしい。「茅の輪・神事」は、お祓いの儀式である「夏越の祓」ともいい、天皇家の「神...武蔵一之宮一章・茅の輪潜り・・

  • しらさぎ(白鷺)と「おおとり」神社の考察

    しらさぎ(白鷺)と「おおとり」神社の考察これは不思議な話だが、「しらさぎ」という名の鳥は、いないんだそうです。では、実際の名前は」?・日本では、全身が白色の「ダイサギ・チュウサギ・コサギ」をいうのだそうで、「白い鷺」の総称・俗称を「しらさぎ」というのだそうです。この「しらさぎ」が、近くの公園の沼(池?)に居座っています。気品があるので、群がるカルガモの中で、女王然として君臨しているがごとく・・・白い鳥の伝承・・「おおとり」神社というのがあります。そうです。「酉の市」で有名な、あの神社のことです。「おおとり神社」の総本社は、東日本では鷲宮神社になります。鷲宮神社は関東最古の大社・お酉様の本社(久喜市鷲宮鎮座)です。アニメ「らき☆すた」でも有名。東日本では--・と制限を付けたからには、西日本にも「本社」と言われる神...しらさぎ(白鷺)と「おおとり」神社の考察

  • やま?さくら

    やま?さくら花の色が白い・開花のころ、葉も生える・・ようだ。ほんとは、個別に「名前」も持っているようだが・・・白い花の「さくら」を、一様に「山桜」と呼んでしまう。個別の名を調べることは、もはやしない・・それでいい。やま?さくら

  • もくれん と こぶし

    もくれんとこぶし---------------------------------------代春贈白居易山吐晴嵐水放光、辛夷花白柳梢黄。但知莫作江西意、風景何曾異帝郷。---------------------------------------春に代りて贈る白居易山は晴嵐を吐き水は光を放つ、辛夷花白く柳梢黄なり。但知(ただ)江西の意を作(な)す莫(な)くんば、風景何曾(なん)ぞ帝郷に異ならん。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コブシ白木蓮この「白居易」の漢詩の「辛夷」は、じつは「白モクレン」のことのようです。「辛夷」は、「シンイ」と読み、「コブシ」と読み替えたのは、日本でも後年のことで、実のなるころの赤子の「こぶし」似ているのから名付けられたと聞きます。つまり、「コブシ」と「白モクレン」は、...もくれんとこぶし

  • さくら・・早咲き

    さくら・・早咲きこれは、河津さくら」か・これは、緋寒桜」か2月末・撮影さくら・・早咲き

  • 木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている

    木瓜の花芳香つよく、灌木は垣根に・・するという。・・ので、嗅いでみた。感度が悪いのか、、匂わない。熟さないうちに食すると中毒を起こすらしいのだが、「ジャム」にする人もいるらしい。草木に実る赤い実は、基本的に鳥の食糧になるようだ。・・とすれば、鳥という動物の眼は、どうやら「赤」「朱」「黄」「緑」などに反応し、鳥目というからに、「黒」「闇」とかに鈍いのだろう。「何かで読んだ」記憶があるが、人間が「色の3原色」を判別するのに対して、鳥は、「3原色」に加えて、「透明紫(むらさき)=つまり、紫外線」の「4原色」を判別できるという・・すごい能力を持っているらしい。暗闇が見えにくい」というハンディなんのその・・「木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている。これも、春告げ花の一つ・・木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている

  • 木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている

    木瓜の花芳香つよく、灌木は垣根に・・するという。・・ので、嗅いでみた。感度が悪いのか、、匂わない。熟さないうちに食すると中毒を起こすらしいのだが、「ジャム」にする人もいるらしい。草木に実る赤い実は、基本的に鳥の食糧になるようだ。・・とすれば、鳥という動物の眼は、どうやら「赤」「朱」「黄」「緑」などに反応し、鳥目というからに、「黒」「闇」とかに鈍いのだろう。「何かで読んだ」記憶があるが、人間が「色の3原色」を判別するのに対して、鳥は、「3原色」に加えて、「透明紫(むらさき)=つまり、紫外線」の「4原色」を判別できるという・・すごい能力を持っているらしい。暗闇が見えにくい」というハンディなんのその・・「木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている。これも、春告げ花の一つ・・木瓜(=ぼけ)」の花が咲いている

  • 梅の花咲く・

    梅の花咲く・・もしかして・・・ウグイス」でも来ていないかと、探してみたが---・---・能わず。::ここは、梅林だが、いつもの散歩の範囲を逸脱して、テニスコート脇の側道の梅並木へ・・テニスコート側は「山茶花」が咲いている。紅梅の方は、早いみたいだが、、白梅も「ちらほら」-----・梅の香に、加賀友禅の「女(ひと)」居たり庄記憶が確かなら、加賀友禅」の染料に「梅」を使った・・とか梅の花咲く・

  • かなり遅れた「初詣」・・

    かなり遅れた「初詣」・・「令和」写真in氷川神社ここは「能の舞台」です・・遅れた理由は、たんに「雑踏」を避けたからです・・山田衛居筆「氷川神社行幸絵巻」部分:山田衛居・川越氷川神社宮司ときく(武蔵一宮氷川神社蔵)「明治天皇」の行幸京を発って江戸城に入城した明治天皇は、大宮氷川神社を武蔵国の鎮守、勅祭の社と定め行幸しました。その時の、行列・・武蔵一之宮・氷川神社の主祭神は、「スサノウ」、、出雲系。天皇家の皇祖神は、「天照大神」で伊勢神宮です。---・少し意味が分かりません。行列のそれぞれの衣装を見ると面白い・・衣冠束帯あり、洋服あり、侍姿あり・・で混沌の時代を映し出している。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「門客人神社」写真・・:カドマロウド神社---...かなり遅れた「初詣」・・

  • 蠟梅

    蠟梅群馬の「蠟梅の郷」へは行ってみたいと思っていたのだが・・安中なのか?松井田なのか?まだ体力に自信がないので、近場で、、というわけで、「ハナミズキの森」(植木農家)へ来ました。--------------------------------------------------------雪中四友」のひとつ「ろうばい」日の光にて、鈍く光ります。この光沢が特徴・・・これは、桜・・「寒・さくら」のようです・暖冬とはいえ、季節は冬ですなんとなく、春の息吹を探してしまいます近況・放射線治療の「火傷」痕は、ようやく痛みを感じなくなりました。約一ケ月ちょっと掛かりました。食べられるものの種は増えているものの、これは以前通りには戻っていません。右手は水平以上に上がりません。そのほか・・なんて数えていたら馬鹿らしくなって止めま...蠟梅

  • 越辺川 冬景色 白鳥・・

    越辺川冬景色白鳥・・飛来の「白鳥」in越辺川:川島町八幡地区遠き「シベリア」の厳冬は、氷に閉ざされて、食糧確保が困難になるという。「シベリア」から飛来するという白鳥の、越冬の「物語」の始まりの話である。越辺川は、越生の秩父高原の山麓の黒山三滝辺りを源流とし、槻川を合流した都幾川と川島の落合で合流する。この落合(=対岸は宮鼻)と八幡橋という冠水橋のおよそ中間、飯盛川樋門の前あたりが波穏やかな浅瀬となり、白鳥の飛来地となっている。今年は、暖冬のせいか越冬飛来の白鳥の数は少ないようで、この時期例年の半数ともきくが、ようやくいつもの冬景色となった。現状報告:・・12/22抗がん治療と放射線治療を終えて、12/19(木)退院しました。現状は、1:放射線の火傷が痛く、2:また食事の味(=味覚)がなくなり、3:唾液分泌が少な...越辺川冬景色白鳥・・

  • 岩殿観音の銀杏 ・・そして薬師

    岩殿観音の銀杏・・そして薬師岩殿山・正法寺銀杏と観音堂もみじといちょうの紅葉・・・薬師如来・薬師」は、どうやら密教と関係が深いらしい。それかどうかは、詳しくは知らないが、薬師如来の寺は天台宗や真言宗に多いとも聞く。最澄や空海が「唐」から帰国した時、、朝廷が「仏教の布教」を許さなかった事実は、歴史の教科書では、あまり多くを教えてこなかった。要するに、朝廷は、宗教が政治に関わることを極端に恐れたのだと思う。そこで取った最澄や空海の活動は、全国に訪れ、道路や灌漑用水作り、薬草栽培と薬草院の設立、布施(街道の難所の宿泊施設)と簡易療養所の設立、天文学、鉱山の開発などであった。この知識の源流は、密教であった。そして、遣唐使の時培った新羅との交流で、多くの渡来人が朝鮮半島から渡り、最長と空海をサポートしたようだ。最澄の弟子...岩殿観音の銀杏・・そして薬師

  • SCC:追記 ・--・闘病

    SCC:追記・--・闘病appendix:虫垂の意味ではありません。付録とか追記の意味で使っています。およそ全部を切除して退院したのですが、検査(CTやエコーなど)では引っかからない筋肉の陰に隠れている「Cancer」を根絶するために必要だそうです。「追っかけ治癒」Kur(独語:クール):33回放射線投射で「ワン-クール」だそうです。その間に3回の化学療法(抗がん治療)をやるそうです。副作用が強いので、入院:「1-Week」を3回するそうです。準備CTとして、網マスクの仮面を作りました。フェンシングの防御仮面を思い起こします。写真:頭部、口腔頚部、胸部を動かないように固定して、放射線投射の位置がずれないようにするため、ということのようです。これで、12月中旬までのスケジュールが決まりました。---・長いですね。...SCC:追記・--・闘病

  • R・6102 病窓から・ report:17:終章:退院

    R・6102病窓から・report:17:終章:退院退院10/9(水):退院・前日、主治医やドクターが退院を祝ってくれました。・看護婦さんたちにも感謝です。退院しても・・・朝昼晩3回の薬は継続するそうです。・午前10時にベッドを空けてください」とのことです。・根絶の「放射線治療」と「抗がん療法」は追っかけ・でやるそうです。・一旦退院なので、保険用の診断書は、入院期間が確定しましたのでだせます。・帰ったら、溜まってしまったことを気張らずにかたずけます。R・6102病窓から・report:17:終章:退院

  • R・6102 病窓から・ report:16 退院の告知・

    R・6102病窓から・report:16退院の告知・退院の告知・・主治医:別府先生が、来週退院できそうだよ」と言ってくれました。・正確な日時は分かりませんが、週中でしょうか??・まだ先ですが、漸くです。かなり長かった感じがしています。でも、これで終わりというわけにはいきません。「癌」根絶・・ということで、「放射線治療」と「抗がん剤治療」を追っかけでやるようです。--これが案外苦しいらしくて拒否的な感情も持っています。R・6102病窓から・report:16退院の告知・

  • R・6102 病窓から・ report:15 BMI

    R・6102病窓から・report:15BMIBMI~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~BMI=体重kg/(身長m)225.0以上は肥満現在に数値は「28.1」です。肥満認定・ーーー・---・---・ーーー・---日曜日は、体重報告日になっています。入院日:86.00kg⇒10/6:78.20kg痩せたかな。でも、一切努力とは関係ありません。--・入院生活の、点滴的栄養補給方法の結果によるものです。R・6102病窓から・report:15BMI

  • R・6102 病窓から・ report:14 食事の内容へ変化と退院?

    R・6102病窓から・report:14食事の内容へ変化と退院?食事の内容へ変化と退院?ーーーーーーーーーーーーーー・退院後の普通の食事、・脂肪制限なし・おかゆ」から白米ご飯」へーーーーーーーーーーーーーーこれで、リンパ漏」が止まっていれば退院だと思うのですが・・もう少しの「微妙」な段階??????かな。R・6102病窓から・report:14食事の内容へ変化と退院?

  • R・6102 病窓から・ report:13 点滴から「食事」再開へ

    R・6102病窓から・report:13点滴から「食事」再開へ点滴から「食事」再開へ制限付きのようですが、「脂肪制限」での食事再開です・その様子・朝食・おかゆ」だそうです。味噌汁は付きます。・鯛味噌」;野菜の小鉢」2つ:ヨーグルト」・。・分泌が多くなれば逆戻りだそうで・・・---とにかく一歩前進(後退はないことを望む)昼食・おかゆ」変わらず。・おでん」(ジャガイモ、大根、はんぺん)・胡瓜とトマトのサラダ(ドレッシングつき)・バナナ基本、副菜は頑張って食べています。主菜は半分以上を目標。・この年になってから、茶碗を小さくして主食を減らしてきました。・いまさら、どんぶり飯」は食いきれません。R・6102病窓から・report:13点滴から「食事」再開へ

  • R・6102 病窓から・ report:12 サンドスタチン

    R・6102病窓から・report:12サンドスタチン・そんなに安全な薬ではないようです。・投与すると「ホルモンの分泌」を抑えるようです。・リンパ漏」が止まらないので、抑制剤として点滴注入です。・・・点滴注入してたらしばらくして、「漏れ」が止まってきた感じ・・・うまくいけばいいのですが・・期待!R・6102病窓から・report:12サンドスタチン

  • R・6102 病窓から・ report:11 「イソジン」

    R・6102病窓から・report:11「イソジン」イソジンイソジン」といえば、うがい薬なんだが・!?今私は、アズノール」といううがい薬の方を使っている。手術前、手術看護婦がアンケートに来た。「イソジン」といううがい薬に「アレルギー」反応はあるかどうか?という。あまり、うがい薬でのアレルギーなど聞いたことはないし、そもそも「アズノール」を使っているので、よく分からないと答えておいた。ではなぜ「イソジン」なのかであるが・・実は、手術室では、「無菌状態」が理想ではあるのだが、そんなことは不可能なので、人体に極力影響が少なく、抗菌状態を保持することがベターの状態になる。そんな時に選ばれたのが「イソジン」だったわけである。・確か過去に---宇宙船の中での抗菌状態のことを読んだ記憶がある。人体に影響が出ないことを前提に、...R・6102病窓から・report:11「イソジン」

  • R・6102 病窓から・ report:10 ポジショニング

    R・6102病窓から・report:10ポジショニングSCC(SAITAMACANCERCENTER):ポジショニング在:伊奈町小室丸山東に「蓮田」、西に「上尾」のほぼ真ん中・アクセスルート1:ニューシャトル:丸山駅+徒歩2:上尾駅⇔県癌センター3:蓮田駅⇔県癌センター東京、浦和、大宮方面からは、お勧めは「2:」になります・バスの本数の多さと直接に病院に乗り入れています。・帰りは、上尾方面でも蓮田方面でも早い方で構いません。R・6102病窓から・report:10ポジショニング

  • R・6102 病窓から・ report:9 病状のつづき・・

    R・6102病窓から・report:9病状のつづき・・病状のつづき・・・毛細管からの「リンパ漏れ」がやや少なくなったといえ止りません。・10/1約束:高校の時の同級会:在・首都圏の出席が---どうやらダメになりそうです。・主治医:別府先生と話したら病状回復を優先してください、とのこと。・残念・・・・今から幹事に連絡します。R・6102病窓から・report:9病状のつづき・・

  • R・6102 病窓から・ report:8

    R・6102病窓から・report:8「キャスター付き移動デスクのノートパソコン」・看護婦さんごとに、台車に「ノートパソコン」を載せています。・「PCA]の共通化のようです。・「診断用撮影データ」まで看護婦さんが閲覧できるかどうかは知りません。--つまり、患者データの共有化が前提にあり、検温や血圧の変化が「正常値」の範囲か、異常値を示すか、がチェックポイントであり、変化した場合の対応が「マニュアル化」されているようです。・治癒の管理は、工程表(英語では”ロードマップ”)で示されているようです。・この場合、ロードマップの制作者は主治医ということになり、この判断が命運となるのでしょう。R・6102病窓から・report:8

  • R・6102 病窓から・ report:7 病室の日常

    R・6102病窓から・report:7病室の日常病室の日常・追加手術が終わった後。。--リンパ漏のチェックの日々が続きます。午前10時ころが提示検診になります。--徐々に漏れが少なくなっていると診断の先生は言ってくれています。・退院は近づいているのでしょうか。・栄養補給は、傷修復が優先のため「点滴」です。--その方が回復が早いのだそうです。しかし・・その他、余りやることがありません。・定時検温、血糖値、酸素濃度、血圧の検査が3回/1日のみ。・時間の過ごし方が難しい。--つまり暇。R・6102病窓から・report:7病室の日常

  • report:6 「ラジエーションハウス」

    report:6「ラジエーションハウス」指扇病院・TVで「ラジエーションハウス」という番組をやっていました。・要するに、「放射線画像撮影診断」というやつです。・X線撮影がそれですが、CTやペットもそれに当たるようです。・放射線を使っての撮影ですから、体に良いわけないよね!・このTV番組の舞台は、外観・指扇病院のようです。そうです、私の奥さんが通っている病院です。病室などは神奈川県立がんセンターのようですが・診断方法は、上記のほかに、。腫瘍マーカー(血液検査)・超音波(通称。エコー):マーモグラフィー・MRI・内視鏡:胃カメラ等がありますが、今回の私の「癌発見」はこういった超近代的撮影方法で発見されたわけではありません。胸の骨のところが膨らんできて痛いので先生に診てもらったら、そこに注射器を刺して腫瘍の髄液を取り...report:6「ラジエーションハウス」

  • R・6102 病窓から・ report:5 追加手術

    R・6102病窓から・report:5追加手術退院のサインが出ないと思ったら「追加手術」だそうです。「ドレーン」を外してみたら、リンパ漏が止まらないようです。その、リンパ漏れを止める手術。今回は、麻酔30分、手術40分・・おそらく2時間前後の手術になるとのことです。9/27の約束は、「ごめんなさい」しました。10/1の約束は、主治医が「そこまでに何とかしましょう」と言ってくれています。R・6102病窓から・report:5追加手術

  • R・6102 病窓から・ report:3

    R・6102病窓から・report:3:(・伊奈町l小室780(・Access:ニューシャトル丸山St.:SAITAMACANCERCENTER)report:3。病室を移動しました:R.6102。report:4・担当は、主治医:別府武ドクター:変わらず。前回お世話になった「岡村医師」は「東京医科歯科大」へ戻っていません。別府先生は、「口腔底癌」手術の権威で日本一の手術実績だそうです。・またお世話になりました。R・6102病窓から・report:3

  • R・6110 病窓から・ report1

    R・6110病窓から・report1:・伊奈町l小室780(・Access:ニューシャトル丸山St.15分):SAITAMACANCERCENTERreport:1。転移再発です。2年+1ケ月ぶりです。手術入院になります。。9/2入院;9/4手術。。今回の病名は「扁平上皮癌」だそうです。。肋骨と胸骨のところに腫瘍が発生したようで胸部の骨のとこが膨らんでいます。。この癌の発生と構造は単純なんですが、肋骨裏の胸部と首のところは、血管の大動脈が存在するため、肋骨と胸骨を切って、骨を浮かしながら骨の裏側の腫瘍を除去するという作業になり、「大手術」になりました。。このブログを見ていただけている、とぴうことは成功裡・ということになります。以後、今日まで傷の回復を待つ日・・ということになります。report:2・今回二度目と...R・6110病窓から・report1

  • 迎賓館

    迎賓館・迎賓館、つまり「赤坂離宮」見学・・・東京近辺在住の高校の同級会のメンバーで、、入場は有料でした。管轄は「内閣府」、つまり国賓等の接遇用の施設だそうです。撮影は、内部は禁止・・外観は「Ok」とのこと・・従って、写真は下記のみとなります・夏の暑い日・・噴水は、、涼しげでした和風別館は、修理中とのこと・・そののち、一行は、流れて「市ヶ谷」へ・いつもの如く・・まずは「ビール」の乾杯から始まる宴・・8/9:記迎賓館

  • 匝瑳の善龍寺?(茂林寺 4)

    匝瑳の善龍寺?(茂林寺4)「正則の法名祥雲院殿は正則が下総で創建したという祥雲山善龍寺に拠るのであろう」---・実は、この文章に惑わされた。匝瑳に、「祥雲山善龍寺」は、いまあるのか?あるいは過去にはあったのか?実は、今回の匝瑳での調査はこれが目的であった。「今あるのか?」は、ネット社会なっており調査は容易であり、結論は「なし」である。問題は、過去には、匝瑳という土地及び周辺に「善龍寺」という寺院が存在したかどうかであるのだが、付近を聞き及んだ限りにおいて、存在した事実は確認できなかった。さらに深堀する・・寺院の創設には、開山と開基を必要とする。開山は「僧侶」で、開基は仏閣設立の費用を賄うスポンサーがいることが前提となる。まれに、開山の僧侶が仏閣創設の費用を捻出場合もあることはあるが極めて稀である。この場合の開山...匝瑳の善龍寺?(茂林寺4)

  • 伊佐沼(川越)の古代蓮

    伊佐沼(川越)の古代蓮暑い暑い夏・・!一瞬の涼伊佐沼(川越)の古代蓮

  • 香取神宮 参詣・

    香取神宮参詣・もともと(延喜式神名帳では)「神宮」という神社は3つだそうです。「伊勢神宮」「香取神宮」「鹿島神宮」・---あと、石上神宮、熱田神宮、明治神宮、北海道神宮、伊弉諾神宮、英彦山神宮などもある。通称は出雲大社だがまれに出雲大神宮とも呼ぶこともあるという。:鳥居をくぐると鬱蒼とした社叢・・炎天をドライブしてきた身としたらつか間の涼・・:由緒・・神宮の風格は、威容堂々・・流石・・:本殿・本殿脇にこんなものが・・香取神宮の親」とあるが、何だろう?か多胡・匝瑳へ調べ物があったので出かけたのだが、折角なので寄り道をした次第です。昔佐原へは仕事で何回も足を運んでいたのですが、いつの間にか「佐原市」は無くなり、香取市佐原になっていました。今日は佐原の市街地方面には寄りません。小見川、匝瑳・多胡方面へ来ました。時期な...香取神宮参詣・

  • 「なんで”保科の供養塔”がこの寺にあるのか?」 茂林寺:3

    「なんで”保科の供養塔”がこの寺にあるのか?」茂林寺:3「保科御事歴」によれば、~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~>・保科正俊:永正8年(1511)-文禄2年8月6日(1593/9/1):異説・生:1509-没:1593年:正俊:保科正則の子:法名・月眞:>・保科正則:法名祥雲院殿**榮壽***・:祥雲院殿は正則が下総で創建したという祥雲山善龍寺に拠る・:法華寺:大乗山法華寺:千葉県匝瑳市飯高571(祥雲山善龍寺の跡地/寺名改名?)に墓/供養塔あり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~・茂林寺の供養塔は「保科正則」ということになる。「保科正俊」ではありません。保科正則:法名祥雲院殿**榮壽***(大乗山法華寺:千葉県匝瑳市飯高571)「天正十九年辛卯年九月...「なんで”保科の供養塔”がこの寺にあるのか?」茂林寺:3

  • 「消えた槍弾正の墓の行方探し?」 茂林寺 :2

    「消えた槍弾正の墓の行方探し?」茂林寺:2さて、本願・ここに来た理由は、下記の文を目にしたからに他ならない。参照:----・天正19年(1591)9月6日に正則、文禄2年(1593)8月6日に子の正俊が亡くなる。それぞれ上州館林の茂林寺や内藤昌月父子墓のある箕郷善竜寺に墓があるとも伝わって・----・保科正則夫妻の墓飯高法華寺:▲大乗山法華寺の保科正則夫妻の墓・----(toKAZUSA)本当に、保科正俊」の墓が、茂林寺にあるのだろうか?と来てみたわけである。内藤昌月父子は、厩橋(高崎)の箕郷、--・箕輪城からも、保渡田城からも、案外遠い館林の地・・ここで、歴史好きにはある程度メジャーだが、普通は「知る人ぞ知る」ぐらいの「保科正俊」について概要を説明しておく。興味の薄い人は、・・ままに。保科正俊は-----・戦...「消えた槍弾正の墓の行方探し?」茂林寺:2

  • 茂林寺 :1

    茂林寺:1「蝶々の婦ハリととん多茶釜哉」一茶・・・>「蝶々のふわりと飛んだ茶釜哉」茂林寺は「狸」が出迎えてくれる「面白い」寺です。室町時代中期の応永33年(1426年)に開山。山号「青竜山」由緒・・寺院開創の創立者を「開基」、開創僧侶のことを「開山」というが、茂林寺は開基」開山」が同じで「大林正通禅師」というらしい。「開基」と似た言葉で、別当」とか大檀那」というのもあるが、これは経済的な協力、つまり「スポンサー」と理解したほうがよい。この寺の周辺は沼が多く、館林駅近くは「城沼」がありそこの「躑躅ヶ丘公園」は躑躅の名所であり、この寺の裏側の「茂林寺沼」は自然の宝庫である。さらに、白鳥が飛来するという「多々良沼」もあり、利根と渡良瀬に挟まれたこの地は、この両川の洪水が乱流し「沼」を残したという説が残っている。おそら...茂林寺:1

  • 花の色は移りにけりな・・(2)

    花の色は移りにけりな・・(2)つつじ」は、漢字で「躑躅」と書く。「薔薇」と同様に、読めても書くことの難し字として有名でもあるが、最近はパソコンなどの普及で、ワープロ機能を使えば、かなり苦がなく表現できるようになった。便利といえば便利な世のなかになったが、すこし味わいが薄れてきたのも事実。「躑躅」の語彙は躑も躅も「足」編が使われていて、両方とも「踏みとどまる」とか「足踏みをする」とかいう意味だそうです。これは、葉などの植物を食用とする鹿や馬の様子で、どうも人間の様子ではなさそうです。「躑躅」には、「グラヤノトキシン」という毒が含まれていて、つつじの葉を食べた鹿や馬が、もがき苦しんだというところから名付けられたそうで、猛毒ではないんで死ぬまでには至らないそうです。そういえば、「馬酔木」もつつじの仲間で、「馬酔木」の...花の色は移りにけりな・・(2)

  • 花の色は移りにけりな・・

    花の色は移りにけりな・・4月も下旬を迎えるころになると、染井吉野は花を散らして、葉桜に変わりつつあり・・☆咲くもよし散るもまたよし花いかだ・(庄八重さくら・・御衣黄・・(俗称:右近の桜/黄桜)代わって、八重などが咲き始め・・つつじの時期になる。いつもの散歩道に、紅白の桜が点在する。紅白は、梅かと訝しがってよくよく見ると、太い幹に桜の枝が張り、紅白の花をつけている。木の肌目が、下が梅で、上の枝が桜のようで、花はたしかに桜であり・・さてさてこれが挿し木というやつかと一人で得心する。☆紅咲いて、梅の香を嗅ぐ柴がおり・(庄紅白さくら桜の咲く時期は、菜の花もまた賑やかになり、、「からし菜」もまた菜の花の仲間なり・・☆からし菜を生垣にする散歩道・(庄☆からし菜を垣外とかこむ大やしろ・(庄からし菜の垣花の色は移りにけりな・・

  • 大塚古墳

    大塚古墳R16を、宮前ジャンクションを抜けて、川越へ荒川を渡る「上江橋」の少し手前・・「大塚古墳・信号」が目に飛び込んでくる。--・二桁他国道の信号名になっている古墳だから、さぞかし”大きい”のだろうと見渡しても確認できないので気になっていた。そもそも、宮前は、大きな神社の前という意味であるのだが、近くの宮原は、加茂(宮)神社の周辺の原(野)を意味していたらしい。そこで宮前の宮も「加茂(宮)神社」のことかと当たりをつけたが、どうも違う。武蔵一之宮(氷川神社)のこととも違う。武蔵風土記によれば、宮前の前身は「内野村」であり、隣接が指扇であったり、本郷であったり、日清であったりするが、宮前や宮前を暗示する地名が一切見当たらないのである。つまり、明治22年の町村制施行時に「宮前」地名は初見するのである。---・宮が地...大塚古墳

  • 都」の上水、運河

    都」の上水、運河高校Å組同級会・12/4思えば、古希を過ぎている。田舎の高校の、同級の輩と、最近同級会を重ねている。つまり・・名所・旧跡を若干散歩した後・・市ヶ谷で「飲み会」をして散会という件がほぼの内容・・散策の場所は、提案があることもあれば、幹事が決めることもあるわけで・・若干軽い場所もあれば、重い場所もある訳で・・打ち上げ」の市ヶ谷は、数人の大学時代の馴染みのようで、、各人の今の住まいからほほセンターらしくて、皆に不満はない。幹事からの「都水道歴史館」への散策・訪問の案内は1月中旬少し前であったよう・・で憶測だが、NHK正月番組(1/2・1/3)に『家康、江戸を建てる』(門井慶喜)の歴史小説がドラマ化されて放映された結果の関心事の高揚のことと思われる。『家康、江戸を建てる』の江戸・建設の肝は水運であった。...都」の上水、運河

  • 白鳥の飛翔 ・ そして・

    Afternooninwinter···SwanssometimesflyorSometimesitfloatsontheriverAttheOppeRiverinoverwintering白鳥の飛翔・・浮かぶ白鳥・・冬の昼下がり・・白鳥がときに飛翔したり・ときに川面に浮かんだり・越冬の越辺川にて・白鳥の飛翔・そして・

  • 二年参り と 大宮・氷川神社の不思議

    二年参り二年参りとは、初詣の形式の一つで、大晦日の深夜零時をまたがって神社仏閣に参拝・参詣する事を言う。年をまたいで行う為にこの名がある。ということで、晦日も24時の35分前に家を出て氷川神社へ向かった。凡そ徒歩で10分で神社に着くはず・・なのだが、第三鳥居に廻り込むと、既に長蛇のダムストップの足止めになっていた。例年のことらしいが、楼門から拝殿までが、参拝客の容量人数で区切り、一定時間で拝殿前から移動させ、次の容量人数を楼門から入れるという段取り・・まいった!のは、この楼門ぬ入るまでに四五回の流れの塞き止めに遭い、これに4,50分を費やしてしまった。例年凄い人出である。おかげで、二年参りの予定はだめになったわけで・・氷川参道の、参道の長さは凡そ2Kmと言われています。第一鳥居の所に、これより十八丁と刻印された...二年参りと大宮・氷川神社の不思議

  • HAPPY NEW YEAR

    HAPPYNEWYEAR

  • 田畑文士村散策

    田畑文士村散策パソコンでのデータ収集とチェック作業が午前中で終了して午後暇になった。毎日の日課で、歩行7000歩以上、1時間以上がノルマとしている。この数日は、寒波到来で、歩行数少な目・・そこで、「田畑文士村散策」を企てた。この町は、上野に「東京芸大」が出来た当初には、上野から近く、まだ田園風景が残っており、家賃が比較的安かったことから、「東京芸大」の「芸術家の卵」が住居として選んだ土地であった。この「芸術家の卵」たちは、サロン的に友好し、コミュニケを形成しながら、芸術論を議論し、ともに娯楽し、「類」を誘って集積していった。田畑が、文士村になっていく過程の話である。散策マップには、芥川龍之介や室生犀星の名前が見える。竹久夢二や正岡子規の名前も板谷波山や小杉放菴の名前もサトウハチロウや菊池寛の名前も見える。まさに...田畑文士村散策

  • 秋川の「伊奈」地名由来

    秋川の「伊奈」地名由来高校Å組同級会・12/4思えば、古希を過ぎている。田舎の高校の、同級の輩と、最近同級会を重ねている。つまり・・名所・旧跡を若干散歩した後・・市ヶ谷で「飲み会」をして散会という件がほぼの内容・・散策の場所は、提案があることもあれば、幹事が決めることもあるわけで・・若干軽い場所もあれば、重い場所もある訳で・・市ヶ谷は、数人の大学時代の馴染みのようで、、各人の今の住まいからほほセンターらしくて、皆に不満はない。12/4:皇居の中:乾どおり:紅葉狩り散策の折・・・まじまじと皇居:江戸城の石垣を見た。-----夥しい数の石垣の石とところどころの石の大きさ・しばらくして、守屋の石工のことが頭に浮かんだ。秋川の「伊奈」地名由来多摩の奥に、秋川という川がある。多摩川の支流である。支流と本流が合流する地点を...秋川の「伊奈」地名由来

  • 皇居の紅葉・

    皇居の紅葉・高校Å組同級会・12/4伏線のように・・先日、漱石山房に行ったが、その時半藤末利子(漱石の孫)が半藤一利の奥さんだと知った。昭和史の正確な理解は、現代を生きる上で重要と考えて、折に触れて時間を惜しんだつもりはない。そんな自分の知識を拡大するときに「半藤一利」の知識と認識を、良識的硬派として参考にさせてもらっている。・天皇制と太平洋戦争・・・古希を過ぎた高校の同級会(首都圏在住者)が隔月にあるのだが、12月は、「皇居乾通りの紅葉2018<秋の一般公開>」を見てから市ヶ谷で「飲み会」と相成った。---・坂下門から、皇居を歩き、紅葉を愛でて、乾門に抜けるという、コースである。伏線がなければ、更にS君の計画がなければ、皇居内など知らないで、とりわけの興味も持たずに、一生を終えたのだろと思う。S君に感謝。集合...皇居の紅葉・

  • 岩殿観音:正法寺 'いちょう'と'もみじ'

    岩殿観音:正法寺'いちょう'と'もみじ':埼玉県東松山市岩殿1229岩殿観音:2018/12/2見頃から少し早かったかもしれない・・・・落ち葉敷」が少な目だった・本尊は千手観音、、観音堂の創建は養老年間・・その後戦火に遭い3回再建・・観音堂・廻りの紅葉・・幾星霜の巨木・銀杏の根と・・紅葉と銀杏の競演・・参道・石段を登りつめて、境内入り口・岩殿観音:正法寺'いちょう'と'もみじ'

  • 会津:善龍寺 飯盛山

    会津:善龍寺飯盛山同期会・(旧職場)・18/11/10in会津会津は、古い城下町らしく寺が多い。しかし、会津藩士ゆかりの寺は、戊辰戦争で戦火に遭い焼失し、その後再建されたものも多いと聞く。保科正之が、高遠藩から酒田(山形)へ、そして会津へ移封されたが、高遠から多くの家臣がこの移封に随行されたという記録が残る。併せて、高遠にあった藩主や重臣の菩提寺と目される寺院も随行され、酒田から随行した寺もある。☆:まず、建福寺山号・大宝山、臨済宗妙心寺派。:---・寛永20(1643)年、高遠藩主/保科家の菩提寺である高遠/建福寺から、撤収禅師(第5世)が供奉・し、無住であった長福寺の南町河原新丁に開基。養祖父/保科正直、養父/正光の位牌が安置され、その法号から「大宝」、正直の法号から「建福」がとられ、寺の名になったとされる...会津:善龍寺飯盛山

  • 近くの公園の紅葉と皇帝ダリヤ

    近くの公園の紅葉と皇帝ダリヤ朝晩が冷え込んでくると、空の青が濃く感じられるようになります。併せて、落葉樹の「アントシアニン」がつくられて紅葉(黄葉)になります。自然界のメカニズムで、葉緑素からなす「光合成」が採算性の歩留まりから樹木の体力維持のため、落葉して身を守るのだそうです。時を同じくして、「皇帝ダイヤ」が花を開きます。近くの公園の紅葉と皇帝ダリヤ・皇帝ダイヤは、身の丈が大きいので、台風の多い年にやられれば、無残になりますが・・・・今年はどうでしょうか?!!近くの公園の紅葉と皇帝ダリヤ

  • 会津若松城(鶴ヶ城)・紅葉

    会津若松城(鶴ヶ城)・紅葉同期会・(旧職場)・18/11/10in会津鶴ヶ城が廃城になる前、戊辰戦争の銃弾で「ボロボロ」に痛んだ城はまさに「痛ましかった」という。廃城になり、民間に払い下げになった時、旧会津藩士・某は、私財をなげうって払い下げを受け、旧藩主・松平家に寄付した。それから期間が経ち、会津松平家の後裔は、城を、会津若松市に寄付し、地元の寄付で今の姿によみがえった。今の姿は、コンクリート作りである。広大な場内公園:若松公園は、「白虎隊」の末裔で、東京帝大の総長であった山川健次郎氏が公園博士といわれた「本多静六」(東京帝大農学部)さんに設計を依頼し、その設計を元に月日をかけて完成したものと聞く。訪問した時が、ちょうど紅葉の時期であった。会津城の戦いは、落城ではない。約ひと月の戦いの後、戦死者を増やさないた...会津若松城(鶴ヶ城)・紅葉

  • 土津神社・参詣

    土津神社・参詣同期会・(旧職場)・18/11/10in猪苗代土津を、”はにつ”とだれが読めるのだろうか?まず、"はに”の意味解きから入ります。どうやら、土のことを”はに”という古語があったらしいです。その土は、鉄分を含んだ粘土質で、主に焼き物に使われたり、布を黄色に染める顔料だったりしたようです。この”はに”を土と書くことはごく稀で、「埴」と書く方が圧倒的に多かったようです。「布を黄色に染める顔料だった」”はに”は、顔料の種類が少なかった時代、絹本着色といって、宗教絵画に使われた例が多かったようです。保科正之が、吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来したと伝承されていますが、吉川惟足は、このような古語に精通した人物であったのだろうと推測できます。それと、数奇な運命をたどった名君・保科...土津神社・参詣

  • 漱石山房・訪問記

    高校Å組同級会・10/16漱石山房・訪問記その人の名は「半藤末利子」というらしい。そして、今日行った「漱石山房」の名誉館長だそうだ。何故名誉館長なのか?気になったので調べてみた。以下の図である。「漱石山房」は、同級会・飲み会前の散策の目的地であった。場所は、漱石が生誕し、東京で生活したときに暮らした新宿の周辺である。最寄りの駅は、東西線「早稲田駅」・・同級生の中には、早稲田大・出身者もいるわけで・・若かりし時代の馴染みの場所だもという。神楽坂や牛込・山吹町にも近いわけで、学生さんたちの下宿やあそび場にも近いわけで・・多少馴染みの人もいるわけで・「漱石山房」は、出来たまだ新しいそうである。新宿区が、地区の誇りとして記念館創設を尽力したという。漱石は、言わずもがな「文豪」である。「文豪」であるが、なぜか、心に沁み込...漱石山房・訪問記

  • 青天に 朱が零れ落つ ナナカマド

    青天に朱が零れ落つナナカマド・・庄秋か!穏やかに風は吹いても、朝晩は少し冷えること・ぼつぼつ稲刈りも始まり、田圃は「刈田」の稲の株痕・秋か!薄穂だち・白鷺が落穂を食む。「ナナカマド」は薔薇の仲間・だという。「知らんかった」確かにとげがある・*「毀れ」と書いてみたが、空に馴染まない零れ」の方がややいい・青天に朱が零れ落つナナカマド

  • 曼珠沙華の群生 in 成木川(飯能)

    成木川の入間川合流近く、、飯能・落合から前ケ貫へ渡る「清川橋」付近河原・・曼珠沙華の群生・・林立する古木は、”桜”です・成木川は入間川の支流である。川が谷地を切り開いて、入間川に合流する辺りは「阿須(=あず)」と呼ばれる地形になる。切り開かれたところは、狭山丘陵の一角で、どうやら隆起してできた台地のようである。隆起してできた丘陵を削るとどうやら古い地層が露出するようである。「阿須」は崩崖のことの古語だと伝える書もある。この古い地層は、様々な地質を含んでいることが発見されている。成木川の入間川への落合付近は阿須運動公園があるが、隣接の山側は、あけぼの子供公園「トーベ・ヤンソン」があり、「あけぼの」の名づけは曙杉らしい。子供公園の背景地は、日豊鉱業という泥炭の炭鉱で、この泥炭は曙杉の堆積でできたことが地質学者により...曼珠沙華の群生in成木川(飯能)

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