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  • 新・東アジアの開発経済学 大野・櫻井・伊藤・大橋 2024 New・East Asian Development Economics Ohno, Sakurai, Ito, Ohashi

    1997年に発刊された本が27年ぶりに全面書き直しされ、「新」を頭につけて刊行された。Thebook,originallypublishedin1997,hasbeencompletelyrewrittenandpublishedforthefirsttimein27years,with‘new’atthebeginning.開発政策論争1970年代半ば~80年代から、政府介入を少なくすることが経済成長のカギであるという思考が主流となった。それは新自由主義、ワシントンコンセンサスと呼ばれる。政策勧告はどこでも似通ったものとなり、マクロ安定化、経済自由化などだ。IMFや世銀はこれを「構造調整」という。これに対し、日韓中など東アジアの国々は、開発への政府の積極的関与は途上国政府の重要な役割であるとみなす。民間...新・東アジアの開発経済学大野・櫻井・伊藤・大橋2024New・EastAsianDevelopmentEconomicsOhno,Sakurai,Ito,Ohashi

  • カレー移民の謎―日本を制覇する「インネパ」 室橋裕和2024 ”The Mystery of Curry Immigrants”

    在日ネパール人はこの10年で5倍に膨れ上がり今や15.6万人、その多くが「カレー移民」とその家族と考えられる。日本におけるインド料理専門店の歴史は、1949年銀座のナイル、1982年銀座のアショカ(今は新宿)、1978年六本木のモティなどで、それらのベースはムグライ(ムガール)料理だった。それらのインド料理店で多くのネパール人が働いていた。バブル期の90年代にコックのビザが緩和されると在留ネパール人が増加し、2000年代になると規制緩和で外国人でも会社をつくりやすくなりネパール人が自ら会社をつくり店を出す動きが高まった。今では日本にあるネパール人によるインド料理店の数は4~5000軒とも3000軒とも言われる。インネパカレー店の料理はネパールの料理とは異なるが、彼らは既存店の模倣をポリシーとしていたので、...カレー移民の謎―日本を制覇する「インネパ」室橋裕和2024”TheMysteryofCurryImmigrants”

  • いちばん探しの世界地図 吉田友和 2021

    世界でいちばん美味しい国、いちばん驚く国、いちばん高い国など、あとがきの日本を除き24のテーマ=国が登場する。私が過去に訪れたことがあるのは11の国。いちばん美味しい国=タイは私もリアルに行ってみたいが著者と違って辛い料理は苦手だ。本書によるとタイ料理といってもすべてが辛いわけではない。麵料理、ガパオライスなどを食べていればよさそうだ。中国には何度も行ったが最後が10年前なので、QRコードなどのスマホアプリ決済の準備をしていかなければならないだろう。本書には書いてないがgoogleやLINEも基本的には使えないので、Yahooメールかoutlookメール、検索は百度などを使う準備をしていかないと情報途絶の憂き目に遭いそうだ。いちばん探しの世界地図吉田友和2021

  • 中国不動産バブル 柯隆 2024

    中国の不動産バブルはすでに崩壊した。30年前の日本のバブル崩壊は、基本的に市場の失敗だった。後処理の段階で政府が失敗を犯し、立ち直るのに時間がかかり、失われた30年を喫した。中国の不動産バブルとバブル崩壊は政府の失敗が引き起こしたものだ。不動産開発を経済成長のけん引役として位置づけた。土地の公有制を堅持し固定資産税はいまだ導入されていない。個人にとっての不動産投資は,一獲千金のゲームになった。中国では賃貸住宅が整備されていない。都市では公営住宅が整備されていない。民間の賃貸マーケットが大きく育っていない。法律の整備は進んでいるが執行がきちんと行われず、契約を一方的に破棄しても罪に問われないため、トラブルを恐れ貸し手も借り手もなかなか現れないためだ。住宅は商品化し、若者にとってマイホームはステータスシンボル...中国不動産バブル柯隆2024

  • ヨーロッパ鉄道の旅 ダイヤモンド社 2020

    第1章ではアルプス越えの景勝ルートや世界遺産を訪ねる鉄道、山岳鉄道など、ヨーロッパのお奨めの鉄道ルート13を紹介。第2章鉄道旅行入門では、列車の種類や設備、出発ホームの見つけ方や車内検札など鉄道旅行の基礎知識を伝授。第3章鉄道旅行計画では、旅行計画の立て方や列車スケジュールの調べ方、チケットの購入方法、トラブル対策など、鉄道旅行を計画する上で欠かせない基本情報を紹介。どの部分も、実際に鉄道旅行をした人でなければ書けない、リアルかつ実用的な知識に満ちている。それにしても、ウェブサイトで最新のユーレイルパスの料金を調べてみたら、諸物価が高騰しているにもかかわらず、ユーレイルパスの料金(€または$建て)は値上がりしていないようだ。ヨーロッパ鉄道の旅ダイヤモンド社2020

  • オーストリアの歴史 増谷英樹・古田善文 2023増補改訂版

    ウィーンの都市計画と映画「サウンド・オブ・ミュージック」に関する記述からノート19世紀後半、オーストリアハンガリー二重帝国は、多民族的構成を背景に独特な文化的発展がみられた。ウィーンの都市トラーセの成立に端を発し、世紀末には帝国の没落的傾向に反して華麗できらびやかな文化芸術活動が展開された。1850年代、経済的発展の時代を迎えたウィーンにとって、中世以来の城壁はむしろ障害となってきていた。1857年、皇帝フランツ・ヨーゼフは勅書を発して城壁の撤去と市民によるその跡地を認めた。跡地の利用に関しては、当初は軍部が発言力を握っていたが次第に市民階層は主導権を握っていった。まずオペラ座や美術史博物館、自然史博物館が建設された。その後、証券取引所、楽友協会、造形美術アカデミーなどの建設が続いた。さらに市民階層の力を...オーストリアの歴史増谷英樹・古田善文2023増補改訂版

  • 一冊でわかるオーストリア史 古田善文[監修]2023

    オーストリアは、かつて名門ハプスブルク家の統治下、中央から東欧をまたぐ大帝国を形成していた。20世紀に入ると第一次大戦に敗れ帝国は崩壊、小国となったオーストリアは、一時はナチス・ドイツに吸収された。第二次大戦後、新生オーストリアは「永世中立国」として再スタートを切り、それは今も国民の支持を得ている。12世紀にオーストリア公国が誕生し首都がウィーンに移されたのが国としてのオーストリアの始まり。13世紀にハプスブルク家がオーストリアを領地とし、15世紀半ば以降はハプスブルク家が神聖ローマ帝国の帝位をほぼ独占した。ハプスブルク家は政略結婚により、イタリア半島、スペイン、ブルゴーニュ、ボヘミア、ハンガリーの王位継承権を得て支配地を拡大した。ハプスブルク家が支配するオーストリアは、近代ヨーロッパの大きな流れであった...一冊でわかるオーストリア史古田善文[監修]2023

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