今年は春が早いようで、待ち切れず今年初の登山!先週、宇都宮へ行った時に、高速で吾妻小富士が見えたのですが、本来ならば4月ごろに見える「雪うさぎ」が、もう2月末に見えているのですー。ちょっと見づらくてスミマセン。いかに今年は雪が少ないか。これは夏が心配。降雨量も非常に少なく、秩父「0」だって。全く降ってない!雪も少ないことを考えると、深刻な水不足になる可能性大です。競って最強の雨乞いを・・・(誰がやるん?)さて、悶々とした寒い冬がそろそろ終わってもうすぐ春到来。風もない穏やかな登山日和。今月まで超繁忙期で忙しく、トイレに行くタイミングすらできない極端な忙しさに、頭の中でとうとう山野草が、ぱか~と咲いてしまった。お花つみに行ってまいります。。。てな事で、足慣らしに選んだ山は、五社壇。安倍氏が祀った五社が山名で古戦場...安倍氏が祀った五社壇と狼の跡
久々のアテルイ登場。ただ、照井さんという方が、直接アテルイの系譜に、関係してくることではありませんので。愛宕神といえば、アテルイとモレの碑がある羽黒山を思い出します。(岩手県水沢)ハタさんの羽田地区。祭神:ウカノミタマ正確な記録はないが、51代平城天皇の頃、坂上田村麻呂が建立したと伝わる。奥州の蝦夷である悪路王を攻めて勝利をしたので、羽黒権現を祀った。岩沼の愛宕神社も源義家が鎮護のために建立とありましたが、水沢の愛宕神も、貞観の頃に、慈覚大師入作の阿弥陀、薬師、観音の仏を納め、後に源義家が再興したとも伝わります。愛宕神はエミシと結びつく神様なのです。この羽黒山は古塚があり、愛宕神が祀られています。『愛宕神社は、かつて古塚の上に建てられてあった。明治初期の頃、同社を修繕する際に、敷地内から破損した古刀や不明の鉄器...岩沼の愛宕神社とア・テルイ(2)
岩沼にある愛宕神社は、東部道路に近い東側にありました。初めて参拝する神社です。場所;岩沼市下野郷主祭神:カグツチ(軻遇突智)・イサナギ神由来によると、1064年、源義家が鎮護のために創建。京都愛宕神社の分霊を勧請したとあります。押分に伊勢浦の神明社があり、「天平宝字6年恵美朝臣朝獦の勧請」と伝わり、下野郷兵の稲荷、字藤曽根の丹生神社を合祀したとあります。へ~、またしても恵美朝獦。カグツチは火神。昔は海(水)に近い所だったので、火と水で愛宕神が祀られたと思います。また、愛宕神は産鉄の神と結びつけられます。秋葉大明神神明社は、岩沼に4社もあり押分に集中して建てられています。押分の地名には、「玉浦」があり、千年希望の丘があるあたりです。岩沼市の前は玉浦村と呼んでいました。「たまうら」という名から、雅な勾玉のイメージが...岩沼の愛宕神社とア・テルイ
変なタイトルですけど。笑瀧之入不動尊の後、岩沼の朝日山公園に行ってみました。野鳥が多く、ヤマガラ、キセキレイ、マガモ、オオタカ、オシドリなどなど野鳥観察ができる池だそうです。鴨や白鳥がいたので、せっかくなので鴨の妄想で。笑どんな鴨繋がりなんだろう?と思うけれど、結果、「生命の樹」に繋がるのだから、インスピレーションが半端ないのです。ちなみに、朝日山公園は新しい公園で、特に、古い歴史はないのでスル―します。ここは鴨で。鴨というと、鴨肉が…。(おいおい)食べることしかない。冬は特に。なのに、この子たちは餌がほしくてやってくる。えぇ~、かわいいけど、餌なんて持っていないのよ~。どうやら、ここは家族ずれが遊びにくるので、スナック菓子などをあげてしまうらしい。(そんな家族を発見)それで人が来ると餌がもらえるとあって人なつ...岩沼の朝日山公園と鴨氏の葱と韮
なぜ今バーチャルな体験なのか面白い夢をみたので、忘れないうちにメモ程度に書いておきたい。2,3日前にみた夢です。「実家の秩父の家に来客があった。知らない人だけど、帰り見送る時に庭に出て驚いた。家の裏に巨大な岩がある。屋根を超えるほどの大きさで、岩盤は台形の形。なんだありゃー!って叫ぶほどびっくりした。スマホで写真を撮ろうとして、カバンからスマホを探していると、場面が変わる。場所は、アメリカ。なぜかスミソニアン博物館へ見学にいくことに。博物館前に広場があり、建て物がある。小さい洋館のような建て物だが、裏に大きな岩があったので、ぐるっと回ってみるとその岩は建て物とくっついていた。それをみて、実家の裏にあった岩を思い出し、あの岩は家の建て物と繋がっていたのか!という事がわかった。なぜか知らない若い女性が一人いて、その...バーチャルな夢と震災のVR体験
深山が元は「新山(しんざん)」と呼ばれていたのかどうかで、解釈が異なってきます。山元町は「しんざん」と呼びますが、他は「みやま」です。深山という名の神社や山があります。まだ他に探せばあると思いますが。①岩沼の志賀深山②深山神社③深山・千貫森④山元町の深山(しんざん)東松島の方にも新山神社がありますが、コノハナサクヤヒメを祀り、岩手県紫波町にある新山神社は、瀬織津姫を祀っています。岩手の新山神社は、京都から来られた羽黒修験の山伏だった方が、宮司さんのご先祖様だそうです。京都から聖観音のかけ仏を背負い、羽黒で修行をした後に、奥州藤原氏の庇護の元、羽黒から瀬織津比咩の異名でもある玉依姫を勧請し、この地にて新山神社を建立したそうです。(遠野不思議空間より)なるほどね。羽黒修験が関係する名取老女とも繋がります。瀬織津姫は...岩沼の中将姫の機織り伝説(2)
瀧之入不動尊付近から海側は、古くは湿地帯だったそうで、葦の原野になっていたと想像されます。あまり人が住めるような土地ではなかったようですが、人口が増え内陸に住む人が多くなり、古墳(円墳や石室)が増えてきました。そして都から貴族がやってくるようになり、岩沼は「御旅所」として、台所=斎家の習わしが残っているようです。斎宮は、台所から入る習わしで、天皇家や神に使い食べ物を奉納する役目だったと言われます。「飯」とつく山名が非常に多いのも、関係していると思いますし、ご飯とは、「もがり」です。亡くなった霊を鎮魂する意味でもあります。おそらく、瀧を祀るのは、「かゆの神事」が角田で行われていたり、湯立の神事が各地にあるように、その時に使う清水であったと思います。「瀧を祀る社があるのは、神事として使用した清水」と、考えられます。...岩沼の中将姫と機織り伝説(1)
東北水神巡礼14(瀧之入不動尊)寒波で急に寒くなりました・・・。やっぱり冬はこうでなくては!と思うものの、連日ニュースの(北海道とかはわかるんですけど)毎年、世の終わりを告げるかの「東京に雪がっ。」というまるで異常気象のようなナレーションはやめて頂きたい。都心の冬はこの先どうなるのか。って、知らねーし。そんなことで近場にしか行くことがないのですが、今回は「瀧之入不動尊」へ行ってみました。とても気になる瀧です。このお不動さんの裏手の山が、深山(みやま)で、このあたりは、斎宮伝説の尼寺などに関係している一帯だと思います。が、詳細な史料もなく場所の特定が、いまだに不明です。しかし、もう少し南へ行くと「大日堂」といったお寺の名前が残されており、何も残されていませんが、山中へ入れば石碑や石段のような人工的な組跡があるので...岩沼の瀧之入不動尊
藤原実方御歌「なかめやる雲井の空はいかならん今ぞ身にしむ外ヶ浜風」この歌は、廣田神社(青森市)を創建した際に献歌したものといわれ、円扇形の板に人麻呂の画と、御神歌が描かれた直筆による御神宝だったとされます。廣田神社は、往古一条天皇の御代、長徳年間(996年)に左近衛中将より陸奥守に任ぜられた藤原実方朝臣が蝦夷鎮撫のため、外ヶ浜貝森村(現在の青森市)に「夷之社(えびすのやしろ)」を創建して陸奥国長久の平安を祈願したのに発祥します。廣田神社http://hirotajinja.or.jp/about/柿本人麻呂の画と一緒?に歌が描かれていることに、何か人麻呂と共通する部分があるのでしょうか・・・二人の境遇を感じてしまいますね。主祀神は、天照大御神荒御魂。天照大御神の荒御魂の別名はオオヒルメムチです。青森県廣田神社は...藤原実方と陸奥国の巫女(2)
女性性が高まる事と比丘尼の関係はあると思います。難しい課題ですけど。陸奥国にきた藤原実方(平安時代の貴族)について調べていた時、イエス・キリストのような空気を感じることがあり、「マグダラのマリアのような女性性を求めていた」という妄想をしてしまう。マリアという女性を望んだ、或いはキリスト教だったというのではなく、巫女を通じて女性性を高め「自らを神格化」することを望んでいた人だったという妄想をしてしまいたくなる。修験者はみなどこかそういう道を選んでいると思いますが・・・女性性を高めるとは?私の体験談でしか語れませんが、経験で学ぶしかないものです。他人が、どーのこーのいって納得できるレベルではないです。15年ほど前に中国留学をしてましたが、帰国してから自分が別人のように変わってしまい、とても違和感をもったことがありま...藤原実方と陸奥国の巫女(1)
良い本をみつけました。クレオ君という主人公が出張で閖上に行く設定ですが、閖上の郷土史をマンガで書いている本です。やっぱり絵だとわかりやすいし、すらすら読めますね。この本は、「リニューアル」となっているように、震災から閖上の街がほぼ消滅したことをきっかけに書かれた本(マンガ)です。この本を見つけたのは、偶然ではないと思う理由があります。と、いうのは、「御浜降り」て何?と思っていたからです。今年の5月に名取熊野那智神社で20年ぶりの「お浜降り」があります。この祭りは、毎年6月10日「御浜下り」をして橋浦家で休む例となっていた。御浜降りは、海の安全、大漁祈願を目的とした神事であり、「ゆりあげ」由来の証拠にならないとする意見もありますが、熊野那智神社に限らず、御浜下りは各地で見られるものです。(閖上風土記)宮城県南部で...まんが「閖上風土記」と御浜降り
ちょっとー。乳神の碑を書いたから、乳がでる夢をみたよ!笑~っ!!ミルキーウェイだったよ。あはは。今さら乳出てもな・・・。ありゃ本物だわ。・・・さて、虚空蔵菩薩堂のある山が、大蔵山というのですが、虚空蔵さんの入口に、石舞台という看板があり。何か公園みたいなので行ってみたら、未知との遭遇を体験しました。遠くにピラミッドのような物がたち、草のない不毛な土一色に、積まれた石たちが風をうけてひそめていた。なんだこりゃ~。こんな光景があったとはっ。このピラミッドは、もちろん人工物ですが、後で調べてみたら、「伊達冠石」という安山岩の石質を利用した芸術作品でした。・・・知らなんだ~。石好きのくせに、知らないことがまだまだあるね~。こちらのサイトをチェックしてみてください。勉強になりました。大蔵山スタジオの石塔https://o...大蔵山の石舞台
牛石の後に虚空蔵菩薩に向かう途中で、偶然、八雲神社の前を通りました。googlemapには牛石はありますが、この神社はのってません。探すのも大変だし、諦めていたので、嬉しかったです。なぜなら、「乳神」の碑を見たかったからです!おっぱいの石碑を作った人は、こんな人です。『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、同部落の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、たちどころに効能があったと伝えられている。大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、その子供が小学校に入学したのは...乳神の八雲神社
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