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マダムNの神秘主義的エッセー https://mysterious-essays.hatenablog.jp/

神秘主義的なエッセーを公開しています。これまでにキンドルで純文学小説、児童小説、評論など出しました。

信じていただけないかもしれませんが、わたしの一番古い記憶はこの世に降りてくる前のあの世での光の記憶です。前世は修行僧だったという漠然とした記憶もありました。 ここにご紹介するのは、こうしたこの世的には風変わりな、神秘主義者的な視点から綴ったエッセーです(生活スタイルはごく平凡で、風変わりな面は創作に出すだけです)。

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2015/08/30

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  • 89 祐徳稲荷神社参詣記 (9)萬子媛の病臥から死に至るまで:『鹿島藩日記 第二巻』

    出典:Pixabay 花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は16…

  • 88 祐徳稲荷神社参詣記 (8)核心的な取材 其の壱(註あり)

    出典:Pixabay 2018年 6月 、電話取材に応じてくださったかたは、鹿島市民図書館の学芸員でいらっしゃいます。祐徳稲荷神社の創建者である花山院萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿を書くための取材でしたが、ブログ公開の許可をいただいたので、紹介します。貴重な内容だと思います。 鹿島市民図書館学芸員への取材で、わたしが主にご意見をお伺いしたかったのは、萬子媛の断食入定は事実としてあったのか、また黄檗文化の普茶料理や煎茶などに鍋島焼は使われたのか――という二点でした。 わたしの質問で、それを除いても文章の意味が通る箇所は省略しました。 2018年6月5日 萬子媛(祐徳院様)の死の前後について…

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