京都の桜を見物した後、京都駅構内を歩きました。京都駅正面階段。京都駅ビル京都タワー駅構内の様子このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(12)
二日目は最初に曽木の滝を見物しました。東洋のナイアガラとも称される壮大な瀑布だそうです。水量の多さに驚いた。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(4)
仙巌園の次は霧島神宮に参拝しました。大きな手水舎です。三の鳥居。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(3)
仙巌園の庭園の後は反射炉跡や旧集成館に回りました。反射炉の石垣。強固に造られている。石垣の上面には反射炉の基礎部分が残されています。反射炉の鉄で鉄製砲が造られました。旧集成館旧集成館機械工場。1865年竣工の現存する日本最古の西洋式機械工場。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(2)
2泊3日で鹿児島を巡るツアーに参加しました。最初に訪れたのは仙巌園でした。先ず庭園や御殿を見学します。庭園入口の錫門庭園御殿御殿に上がって見学しました。SONYα7Ⅱ鹿児島の旅(1)
浅草からJR両国駅に移動しました。国技館周辺を歩きます。両国駅下車。構内には歴代の横綱の写真が並びます。国技館このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ浅草から(6)
東武浅草駅の前の通りは、とても賑やかでした。こんな車が通りました。SONYα7Ⅱ浅草から(5)
隅田川の対岸に渡りました。ビルに差す日差しの反射が綺麗でした。東武鉄道の上の首都高は補修工事をしていました。ビルに差す夕日の反射が綺麗でした。スカイツリーも映り込んでいます。橋を渡り浅草方面に戻ります。SONYα7Ⅱ浅草から(4)
東武鉄道の鉄橋に付いている歩道を歩き、対岸に渡りました。特急電車が通りました。愛の証。水門がありました。SONYα7Ⅱ浅草から(3)
この時期浅草公園は桜が五分咲き。多くの人が集まっていました。桜は五分咲きほど。桜を入れての撮影は順番待ち。何と艶やかなこと。ブルーシートで宴会。桜には関心がないようです。SONYα7Ⅱ浅草から(2)
3月の中旬過ぎ浅草などを歩きましたのでご紹介します。浅草線浅草駅下車。地上に上がりました。隅田川まで歩きます。アサヒビール本社ビル。SONYα7Ⅱ浅草から(1)
金刀比羅宮の参拝の後は、参道や商店街を見て回りました。階段の続く参道。参道の途中には足湯もありました。商店街のレストラン。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(15)
更に階段を登り金刀比羅宮本宮にやって来ました。旭社。イヌは下から登ってきたのでしょうか。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(14)
高知県から香川県に入り金刀比羅宮を参拝しました。金刀比羅宮の階段は785段。大変そうなのでタクシーで途中まで上がりました。タクシーは意外なルートで登っていきます。大門の下(365段分)まで登ってくれました。これで大分楽になりそうです。大門の先に、五人百姓の飴屋さん。ここで飴を買いました。黄金色の綺麗な飴でした。本殿はもう少しです。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(13)
高知城の後は桂浜に行きました。松林をしばらく進むと。龍馬像が現れました。桂浜。桂浜の南にある龍王岬に向かいます。頂上には海津見神社SONYα7Ⅱ四国4県の旅(12)
ツアー三日目は先ず高知城を見学。高知城。初代土佐藩主山内一豊が慶長6年(1601)に築城を開始、慶長16年(1611)に完成した。天守閣の急階段を登ります。天守閣最上階。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(11)
はりまや橋を見た後、はりまや橋公園や周辺の商店街を歩きました。はりまや橋公園。公園の親子クジラのモニュメント。「南国土佐を後にして」の曲に合わせて潮を吹くそうです。通りかかった市電。商店街。ポスター?SONYα7Ⅱ四国4県の旅(10)
四万十川の後は高知市に入りました。早速市内見物に出掛けました。道路には南国を思わせる街路樹が。はりまや橋です。はりまや橋前にはカラクリ時計が。高知の名所が現れました。市電が走っています。こんな店もありました。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(9)
内子の見物の後は高知県に入り四万十川の清流を遊覧の予定でしたが。四万十川にやって来ました。川の奥の方に沈下橋が見えます。屋形船に乗り込みます。船内でお弁当を食べます。前方の沈下橋に車が通っていました。沈下橋は増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋です。残念なことに、川の遊覧は強風のために中止になってしまいました。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(8)
二日目は道後温泉を出て内子町の街並みを見学しました。内子町は白壁と木蝋で有名です。タイムスリップをしたかのような歴史的な街並みです。木蝋作りの道具。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(7)
次ぎに時宗宝厳寺に参拝しました。宝厳寺は一遍上人生誕の地と言われています。「ひみつジャナイ基地」。宝厳寺山門前に作られた交流拠点。宝厳寺山門本殿。手水舎。捨莉紙(しゃりがみ)にネガティブな考えや捨てたい心を書き。この手水舎で溶かして流します。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(6)
更に道後温泉街を歩きます。円満寺は恋愛成就のパワースポットです。円満寺にやって来ました。願いを込めて「お結び玉」を結びます。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(5)
商店街の後は神社やお寺を巡ります。子規記念博物館。正面に見えるのは伊佐爾波神社。湯神社を参拝します。日本最古の温泉だけに神社仏閣は沢山あります。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(4)
坊ちゃんカラクリ時計の後は商店街を散歩しました。商店街には観光客がたくさん訪れていました。地元の産物やお菓子、土産物を売る店が多く昭和を感じさせる商店街です。お土産に一六タルトを買いました。SONYα7Ⅱ四国4県の旅(3)
道後温泉本館の後は坊ちゃんカラクリ時計を見に行きました。懐かしいバスが走っています。坊ちゃんカラクリ時計の前は大変な人です。カラクリ時計が動き始めました。カラクリ時計前の広場では餅つきなどのイベントをやっていました。坊っちゃん列車SONYα7Ⅱ四国4県の旅(2)
3月半ば、四国4県を2泊3日で回るツアーに参加しました。最初は道後温泉。早速道後温泉本館を訪ねます。道後温泉本館。改修工事はほとんど終わっていました。この入口は皇室専用で一般人は通れません。皇室専用の更衣室や休憩室、お風呂を見学できました。皇室の方々が入られるお風呂です。SONYα7Ⅱ四国4件の旅(1)
更に深川不動堂を見て、次に深川八幡(富岡八幡宮)を参拝しました。深川不動堂本殿わらじ守り。富岡八幡宮「大根にかけ水わけて福もらい」このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(4)
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京都の桜を見物した後、京都駅構内を歩きました。京都駅正面階段。京都駅ビル京都タワー駅構内の様子このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(12)
京都府立植物園を出て鴨川の土手を歩きました。鴨川に沿って、枝垂れ桜のトンネルが造られています。河原ではたくさんの人が遊んでいました。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(11)
妙心寺退蔵院の後は京都府立植物園に行きました。植物園には200種類以上のサクラが育成栽培されています。温室前のチューリップも見事でした。サクラ林の中で楽しそう。枝垂れ桜が有名です。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(10)
昼食後は妙心寺退蔵院のサクラを見物しました。妙心寺退蔵院土塀の先に庭園があります。枝垂れ桜がちょうど満開でした。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(9)
「原谷苑」の後は昼食会場に行きました。筍亭の「たけのこ御膳」でした。大きな竹林があります。雰囲気のある食事処です。食後は付近を散策しました。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(8)
京都御苑の後は「原谷苑」に行きました。植木屋さんが植木用のサクラなどを育てていたところあまりに美しいので有名になったとのことでした。園内には様々な花が咲き乱れていました。特に通路に沿って植えられたユキヤナギが見事でした。レンギョウ、ボケなど花木の種類はとても多い。苑の中央には休める広場がありました。サクラの種類も多かったです。食事処から眺めました。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(7)
上賀茂神社の後は京都御苑を見学しました。京都御所が公開されていました。御所庭園御所を出て近衛の枝垂れ桜を見学しました。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(6)
平野神社の後は上賀茂神社に参拝しました。御所桜はほぼ満開。楼門境内には多くの小川が流れていました。境内を散歩します。曲水の宴が行われる流れのようです。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(5)
次に平野神社の桜を見物しました。ここも凄い人出でした。平野神社の入口。境内の桜園。60品種400本のサクラがほぼ満開でした。山門前の枝垂れ桜も満開でした。神木のクスノキ。願いを込めて幹の周りを回ると運気が授かるそうです。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(4)
一日目の昼食会場。鷹峰三山を借景とする広大な敷地に日本庭園や食事処などが点在している。食後園内を歩いてみました。右側の石垣は「御土居」。天正19年(1591年)豊臣秀吉が洛中と洛外を分けるために築いた土塁。京都を囲む長大な土塁だったが残るのはわずかだという。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(3)
インクjラインから南禅寺山門方面に歩きます。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(2)
一泊二日で京都の桜の名所を巡るツアーに参加しました。最初に訪れたのはインクライン。桜は満開、好天にも恵まれ大変な数の見物客です。SONYα7Ⅱ京都のサクラ(1)
日テレビルの地下広場に降りてみましょう。地下二階の広場です。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(9)
汐留に入ってきました。このビルに飾られているカラクリ時計は大仕掛けです。カラクリ時計が見えてきました。カラクリが動き出す前になると、多くの人が集まってきます。宮崎駿デザインの日テレ大時計。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(8)
浜松両駅前から汐留に向かって歩きます。羽田空港線に沿ってしばらく歩きます。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(7)
浜松町駅の近くを歩いています。駅前では盛んに工事が行われていました。ビル工事前の歩行者の交通整理はロボットがやっていました。浜松町駅前のビル工事。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(6)
浜松町周辺を歩いています。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(5)
JRのガードや屋形船を見ながら歩きます。JRの線路をくぐる長いトンネルがありました。首都高の下に屋形船等が係留されていました。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(4)
浜松町周辺を更に歩きます。SONYα7Ⅱ浜松町から汐留(3)
もんじゃ焼きの通りを歩いた後は路地を歩きました。路地に入りました。花を飾り、生活感に溢れています。公園のツツジはほぼ満開でした。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(2)
写真のグループで月島・門前仲町の撮影に出掛けました。先ずは月島でもんじゃ焼きを食べます。大江戸線月島駅下車。直ぐにもんじゃ焼きの店に入ります。従業員が焼き方を指南。キャベツ等の具材を焼き、円形の土手を作るのがポイント。もんじゃ焼きの店が連なっています。この日は平日とあって、昼時でもお客はまばら。SONYα7Ⅱ月島・門前仲町(1)
ツアーの最後は小諸城址懐古園を見物しました。懐古園も桜が見頃になっていました。小諸城内に入っていきます。枝垂れ桜も満開でした。園内にはたくさんのサクラがありました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ春の高山祭(10)
ツアー三日目は高山を出発し、先ず臥龍桜を見物しました。臥龍桜。樹齢1100年のエドヒガン桜です。龍が伏した樹形からその名が付きました。臥龍桜の近くには高山線飛騨一ノ宮駅があります。周辺にはたくさんのサクラが植えてありました。SONYα7Ⅱ春の高山祭(9)
獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
高山市内を見物して歩いていたら、賑やかな鐘や笛の音が聞こえてきた。音の方に向かうと獅子舞の一団だった。獅子舞の一団に出会いました。榊を先頭に、獅子、笛、鐘が続きます。保育園に入っていきました。園児の前で獅子舞が披露されました。獅子舞の一団は中学生くらいの少年・少女。よく練習しているようでとても上手でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(7)
からくり奉納鑑賞の後は、道路に並べられた屋台を見て回りました。高山祭の屋台は江戸時代に造られました。天保時代に彫刻師立川和四郎などが活躍し、屋台が豪華な彫刻で飾られるようになりました。屋台の屋根は屋根飾り、千木、勝男木などで飾られています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(6)
二日目は朝ホテルを出て、からくり奉納会場に急ぎます。3台の屋台がからくり奉納を行いました。奉納会場に急ぎます。会場は既にたくさんの人が集まっていました。からくり奉納のⅠ番目は少女が鬼夜叉に変身するからくりです。鬼夜叉の面を付けて、見事に変身成功。屋台の幕内に隠れている人の糸の操作で人形を動かします。二番目のからくりは箱の中の紙片を撒きます。SONYα7Ⅱ春の高山祭(5)
春の高山祭の夜祭は18時から21時。この間、商店街も店を開けています。店の様子を見てみましょう。住宅地の道も提灯などを灯しています。食べ物屋さんは人で賑わっています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(4)
高山にやって来ました。先ず夜祭りを見物しました。12台の屋台がそれぞれ約100個の提灯を灯して町を巡ります。賑やかな音楽とともに屋台がやって来ました。楽人達が屋台囃子を奏でます。道端はびっしりと観客が詰めかけています。道路を直角に曲がります。屋台は左の道に入っていきます。道路は人でいっぱいです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(3)
白川郷では内部が公開されている合掌造りの家を見学しました。このお宅を見学させていただきました。居間は囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋です。一階部分はがっしりした造りで、部屋もたくさんあります。二階・三階は養蚕をしたり倉庫として使われています。屋根裏もしっかりした材木で強固に組まれています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(2)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
円覚寺を出て、バス通りを浄智寺に向かって歩きます。道の両側は商店や住宅が混在しています。浄智寺に近づきました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(2)