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2015/06/06

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  • ビートルズ・ストーリー 492 母の死は、ジョンの創作意欲を高めた

    ジョンの小学校時代からの友人デイビッド・アシュトンはジョンの家庭生活について詳しく知っている一人だ。彼によれば、ジョンは母親をすごく愛していたが、母親と別々にミミ伯母さんのところで暮らしていたので、良くミミのところを一緒に抜け出して母の居るスプリングウ

  • ビートルズ・ストーリー 491 ジョンは母の死を共有した友人に会ったが・・・

    クリオーメンのドラマーだったコリン・ハントンは、ジョンと母ジュリアの様子を身近で見ていたため、突然のジュリアの死を簡単には受け入れられなかった。そして思い出深く、こう述懐している。 「ジョンの母親、ジュリアに初めて会ったのは、ジョンに会いにメンディップ

  • ビートルズ・ストーリー 490 母の死は、ジョンとポールの絆を深めた

    母ジュリアを失った3人の子供はジョン18才、その異父妹のジュリア11才とジャッキー8才であった。この子供たちは完全にうちのめされたが、父親不在の中、それぞれが対処していかなければならなかった。妹たちは学校を中心に組織化された規則正しい生活を送り、放課後

  • ビートルズ・ストーリー 489 悲しみに暮れるジョンと異父妹たち

    ジョンは母が亡くなってしばらく、ミミ伯母さんの妹ハリーに預けられた異父妹たちと以前のように会うことはなくなった。ただまったく会うことがなくなったということではなく、異父妹のジュリアたちが、同じリバプールに住むようになったので、ジョンがミミ伯母さんと一緒

  • ビートルズ・ストーリー 488 ジョンの異父妹たちに救いの手はあるか

    母ジュリアが亡くなって後、ジョンとその異父妹たちの生活は一変した。 ジョンは、元々一緒に住んでいたミミ伯母さんのところに帰れば良かったが、妹たちは簡単には身の振り方が決まらなかった。彼女たちが、母ジュリアが未婚で生んだ子供だったことが、大きく影響したの

  • ビートルズ・ストーリー 487 ジョンの異父妹たちの悲惨な運命

    ジョンは、母ジュリアのパートナーのボビーとタクシーを飛ばしてセフトン総合病院に行き、死んで横たわっている母と対面した。ジョンは母を見ることに耐えられなかった。数分の面会後、病院のロビーで、ボブはジョンの腕の中で泣き崩れた。ジョンは心が凍り付いていたのだ

  • ビートルズ・ストーリー 486 ジョンに母ジュリアの死が突然やってきた

    ジョンにとって、人生に多大な影響を及ぼした事件が1958年7月15日に起こった。ジョンはそれを振り返り、こう言った。「俺は母を2度亡くした。5才の時と17才の時にね。そのせいで心がとても苦しくなった。母が殺されたとき、俺は母との関係を築き始めたところだ

  • ビートルズ・ストーリー 485 ジョン・ポール・ジョージのクオリー・メンがロックンロール・バンドに進化

    1958年2月までに、クオリー・メンはジョンとポールがシンガー兼ギタリスト、ギターのエリック、ドラムのコリン、茶箱ベースのレンという構成になった。ところがレンは髄膜炎を患い、数カ月間入院したため、グループを脱退することになった。マネージャーのナイジェル

  • ビートルズ・ストーリー 484 クオリー・メンにジョージも加入

    ジョンの母ジュリアと異父妹たちが住む、スプリングウッドの家に来るミュージシャンたちに、ポールが加わり、リハーサルはさらに熱を帯びて行った。キッチンは、小さなクラブやタレント・コンテストに向けての練習場になっていた。 ポールの母親が、前年にガンで亡くなっ

  • ビートルズ・ストーリー 483 作詞・作曲コンビ「レノン/マッカートニー」の誕生

    ジョンはクオリー・メンに加入した最年少のポールが自分の地位を脅かすのではと危惧していた。第一ポールは、ジョンよりギターを上手く弾くことができたし、風貌がジョンの好きなエルビス・プレスリーに似ていることで、焦りに拍車をかけたのだった。ポールのメンバーへの

  • ビートルズ・ストーリー 482 素行の悪いジョンが、美大生になれたのは?

    ジョンをリーダーとするクオリー・メンの活動は、経済的に満足の行くものではなかった。16才になったジョンはタバコを吸っていた(当時イギリスでは、喫煙の年齢制限が無く16才のジョンは喫煙できた)ので出費も多く、お金はまさに燃えるごとく消えていた。ライブはも

  • ビートルズ・ストーリー 481 ポールが正式にクオリー・メンに加入する

    ジョンは当初、ポールについて二つの異なる見解を持っていた。ジョンはポールは年下にもかかわらず社交的で、その性格に脅威を感じたことが1つ。そして異父妹のジュリアの感想では、ジョンは、もしポールが加入したならば、ポールにグループのリーダーとしての地位を奪わ

  • ビートルズ・ストーリー 480 ジョンとポールが初めて出会う

    1957年7月6日土曜日は、見事に晴れた日だった。その日、リバプールのウールトン地区で開催されていたウールトン祭の公開イベントが、セント・ピータース教会の庭園で行われ、クオリー・メンも出演していた。人々の衣装もそうだが、花飾りを着けた車両の装飾も見事な

  • ビートルズ・ストーリー 479 クオリー・メンの演奏を初めて家族が観る

    ジョンの母ジュリアがクオリー・メンの演奏を観る機会は限られていた。一般に母と息子がべたべたするのは、はばかれるものだ。ジョンもジュリアもそうだった。ジュリアは息子の活動に協力的だったし、音楽好きだったことも幸いして、ジョンの音楽活動を陰に日向に応援して

  • ビートルズ・ストーリー 478 クオリー・メンがステージ衣装にこだわる

    世界で最も成功したロックバンドとされているビートルズにも、普通のバンドと同様、最初は成功を夢見る若者たち、誰もが経験する下積み時代があった。ビートルズの前身、「クオリーメン」がリバプールのライブスポットの1つ「キャバーン・クラブ」に初めて出演したのは、

  • ビートルズ・ストーリー 477 クオリー・メン始動

    ミミ伯母さんの秘密は、ジョンにも母ジュリアにも気づかれないまま、母ジュリアはスプリングウッドやメンディップスでジョンと一緒にいられる時間に、ただ喜びを感じていた。制約があるゆえにその喜びはとても大きかったと想像できる。ただ、ジュリアが帰宅した後、下宿学

  • ビートルズ・ストーリー 476 ミミ伯母さんは、自らを「悪女」と呼んだ

    後年死の床で、ミミは自分のことを「悪女」と呼んだ。ミミがジョンと母ジュリアとの普通の親子関係をさせなかったこと、その悪魔のような態度の裏で、26才年下の下宿生マイケルと不倫関係を続けていたからだ。さらにマイケルからジョンの異父妹のジュリア・ベアードへの

  • ビートルズ・ストーリー 475 ミミ伯母さんの秘密

    人には、表面的にはうかがい知れない内面の秘密があるものだ。しかし、その人からは思いもよらない、意外な側面が明るみになったら、身近な人間は、どのように対処すれば良いのだろう。ジョンにとっての重要な人物、ミミ伯母さんは厳格な人物として、ジョンと母ジュリアの

  • ビートルズ・ストーリー 474 ジョンは異父兄妹たちは仲良く遊んだし、彼女もできた

    ジョンと異父兄妹ジュリアたちは、母のパートナー(ボビー)とよく遊んだ。その中でも、振り回す遊びは乱暴そのものだった。また飛行機遊びというのもやった。それはジョンがボビーの真似をして、妹を空中に浮かせて飛行機が飛ぶような恰好をしていた。しかしジョンは手を

  • ビートルズ・ストーリー 473 ジョンはエルビスに夢中になり、テディ・ボーイを気取っていた

    ジョンは妹たちを連れて、エルビス・プレスリーの映画「ラブ・ミー・テンダー」や「監獄ロック」を観に行った。そのころ野良猫を飼いだしたが、母ジュリアは名前を「エルビス」と付けた。当時避妊処置が普及していなかったのか、この猫は6匹の子猫を生んだ。この時期は、

  • ビートルズ・ストーリー 472 クオリーメン時代にジョンが好んで歌った「ノーバディズ・チャイルド」

    クオリーメンのレパートリーは、スキッフルとロックが中心だった。バンジョー担当のロッド・デイビスによれば、ジョンが好んで歌ったのは「ノーバディズ・チャイルド」だったと証言している。原曲の『ノーバディズ・チャイルド』ハンク・スノウ(1949年録音) 『ノ

  • ビートルズ・ストーリー 471 ジョンのバンド活動に、母ジュリアもミミ伯母さんも応援した

    ジョンが初めて作ったグループ・クオリーメンのメンバーは、ジョン(バンジョー/ギター)、ピート・ショットン(ウォッシュボード)、エリック・グリフィス(ギター)、ビル・スミス(茶箱ベース)、ロッド・デイビス(バンジョー)、コリン・ハントン(ドラムス)でビル

  • ビートルズ・ストーリー 470 ジョンの最初のグループ・メンバーは、ジョンと母ジュリアだった

    ジョンが初めて作ったグループは、母ジュリアとジョンで構成されていた。つまり音楽あるいは楽器演奏の先生と生徒だった。母ジュリアにとって、ジョンはアーティスト兼息子といったところだった。新しい音楽に対するジョンの情熱が増すにつれ、練習に費やす時間も増えて行

  • ビートルズ・ストーリー 469 ジョンやポールはスキッフルの虜になった

    ジョンやポールが夢中になった音楽は、アメリカ音楽にルーツを持つ「スキッフル」という音楽だった。その代表的な楽曲が、アメリカで1954年春に発売されたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」だった。『ロック・アラウンド・ザ・クロック』(by ビ

  • ビートルズ・ストーリー 468 ジョンの音楽の源は、母ジュリアやジョージおじさんにあり

    ジョンと楽器との出会いに欠かせないのは、母ジュリアが楽器を奏でることが大好きだったことだ。ジョンが母からバンジョーの奏法を習ったことは前回紹介した。母はピアノ式アコーディオンも演奏した。母は長い指を、その楽器の茶色のボタンの上を飛び跳ねさせながら、さま

  • ビートルズ・ストーリー 467 ジョンは母ジュリアから音楽の手ほどきを受けた

    ジョンの異父兄妹ジュリアによれば、ジョンはクリケットなどのスポーツが得意で、作文は彼独特のものを書いていたし頭も良かった。ただ学校の勉強は好きではなく成績はビリだった。というのはジョンは単に面倒くさかったからというが、彼はその膨大な能力を自分が好きで楽

  • ビートルズ・ストーリー 466 ジョンがエルビス・プレスリーのロックンロールに感化される

    ジョンがロックンロールに目覚めたきっかけは、皮肉にもミミ伯母さんがジョンと住むメンディップスと母ジュリアが新しいパートナー・ボビーと異父兄妹の住むスプリングウッドを行き来するパートタイマーのように制約を受けている時期だった。 スプリングウッドには針を

  • ビートルズ・ストーリー 465 ジョン悲しいかな、優しいジョージ伯父さんを亡くす

    ジョンは一般的に言って異常な家庭に育った。母親がすぐ近くに住んでいるにもかかわらず、フルタイムで一緒に暮らせないからだ。パートタイムで母親と暮らしている状態だった。大人ではない友人たちは良く言ったものだ。 「母親がすぐ近くに住んでいるのになぜ伯母さんと

  • ビートルズ・ストーリー 464 ジョンはメンディップスで妹とよく遊んだ

    ジョンがミミの許可の有無にかかわらずスプリングウッドによく来るようになった頃、反対にメンディップスのミミとジョンはスプリングウッドから異父妹の訪問を受けた。その時ジョンは妹を外に連れ出して遊んだりして優しい兄貴ぶりを発揮した。遊び場は二つあった。 一つ

  • ビートルズ・ストーリー 463 ジョンの母ジュリアとミミ伯母さんの冷戦が終わる

    1954年、ジョンは13才になっていた。ジョンが母親と引き離されて別に生活するのは無理があった。ジョンが母ジュリアが生活するスプリングウッドの家を訪ねることをミミ伯母さんは止めることができなかった。ただ頻繁にジョンが母に会いに行くことでミミと母ジュリア

  • ビートルズ・ストーリー 462 ジョンはミミ叔母さんに内緒で母ジュリアに会っていた

    私の妄想の世界の話で、だいそれたことではあるが「イマジン」それは今文章を書いている私に向けられたジョンからのメッセージと思える。ジョンにとっての異父兄弟ジュリア・ベアードの手記からはジョンの幼少期のことが事細かに書かれている。妹の身近に見るジョンは生み

  • ビートルズ・ストーリー 461 ジョンはスタンレーのおかげで母に会えた

    ジョンと母ジュリアを繋げた、いとこのスタンレーはジョンにとっての頼みの綱だった。ジョンと母ジュリアが会った後でスタンレーはジョンをメンディップス(ミミ叔母さんの家)に連れて帰る際に「ミミにはこのことを言うなよ」と繰り返すのだった。 ジョンはスタンレーに

  • ビートルズ・ストーリー 460 ジョンは母ジュリアと何とか会っていた

    ジョンの母ジュリアは招かれざる客としてミミの元に居るジョンに会いに行った。ミミはジュリアがドアをノックしても中に入れなかった(それでも何回かに一度は会えたらしいが)。ジュリアは仕方なくスプリングウッドの家に帰った。そしてジョンに会えない悲しさや情けなさ

  • ビートルズ・ストーリー 459 ジョンは母ジュリアと離れたくなかった

    ジョンの母ジュリア、パートナーのボビーそしてその間に生まれたジョンとは異父兄妹であるジュリア(母と同じ名)がペニー・レインの家からアラートンのスプリングウッドの公営住宅に引越して約3か月後、新たにジョンの異父兄妹に当たるジャクリーン(通称ジャッキー)が

  • ビートルズ・ストーリー 458 ジョンの母ジュリアはペニー・レインの家から引っ越す

    ペニー・レインに住んでいるジョンの祖父、母ジュリアそしてそのパートナーのボビーとジョンとの交流が頻繁に行われた背景にはジョンの祖父の存在があった。祖父は娘であるジョンの母ジュリアがお気に入りであり、かつジョンの福祉に関しては支配的であった。ミミ叔母さん

  • ビートルズ・ストーリー 457 ジョン、母ジュリアと定期的に会う

    ミミ叔母さん夫婦と暮らすことになったジョンだが、本当は母ジュリアと暮らしたかった。当然だろう。ジョンはジュリアが「私のジョン、あなたはかけがいのない存在」という歌を歌っているのを聴いている。ジュリアは息子ジョンと一緒に住めないことを悔やんで歌にしていた

  • ビートルズ・ストーリー 456 ジョン、母親から離れてミミ叔母さんと暮らす

    ミミ叔母さんはジョンを執拗にジュリアとボビーから離れさせようとした。それはミミがジョンの幸せを考えての行動だった。ミミは人一倍ジョンにとって一番良い方法を模索して、結局住環境が良いメンディップスにあるミミ叔母さん夫婦の家に引き取ることを主張した。ミミ夫

  • ビートルズ・ストーリー 455 ジョンは父アルフより母ジュリアを選んだ。母は強し。

    ジョンの父アルフは、妻ジュリアとジョンとの三人生活を望んでいたが、ジュリアが許さなかった。アルフが何年も音信不通だったため、ジュリアには既にボビーというパートナーが居た。5才であるジョンの心は揺れ動いた。アルフはジョンに言った。「ニュージーランドに行き

  • ビートルズ・ストーリー 454 留守にしていたジョンの父親が突然現る

    ジョンをミミ叔母さんのところへ預けたジュリア(正確には、ジュリアに新しいパートナーができたためジョンへの悪影響を考えたミミ叔母さんの判断により引き取ったのだが)、そのジュリアに驚くべき事態が発生した。 船乗りとして長いこと家を留守にし、行方が分からなく

  • ビートルズ・ストーリー 453 ジョンがミミ叔母さんに引き取られる

    ジョンが母ジュリアから完全にミミ叔母さんに引き取られた経緯はジュリアの奔放な性格が寄与しているようだ。 1945年の秋、ジョンはモスピック・レーン小学校の幼児クラスに入学した。ジュリアはその小学校の近くにあるカフェでウェイトレスのアルバイトをしてジョン

  • ビートルズ・ストーリー 452 ミミ叔母さん宅は不法占拠のたまもの

    ジョンがミミ叔母さんのメンディップスの自宅に泊まるようになったのは、母ジュリアが妊娠して体調を崩していたため休息する必要があり、幼いジョンの世話が満足にできなかったからである。この時ジョンは4才。ミミ叔母さんの夫ジョージはジョンをとてもかわいがった。こ

  • ビートルズ・ストーリー 451 ジョンがミミ叔母さん宅に連れていかれた理由

    ジョンが母ジュリアの姉ミミ叔母さんのところで生活をするようになった経緯は複雑だった。 ジュリアの夫アルフは船の給仕として働くため長く海に出る期間がどうしても発生した。その期間はジュリアとジョン二人きりの生活になった上に生活費はアルフからほとんど入ってこ

  • ビートルズ・ストーリー 450 ジョンの叫び・お母さん!

    ジョンは生前、自分は母ジュリアを2度亡くしたと言っていた。5才と17才の時だ。5才の時はジョンの叔母ミミに預けられたこと、17才の時はジュリアが交通事故で亡くなったことである。 ミミ叔母さんに預けられた時は幼かったため「なぜ」に対する答えは理解できなっ

  • ビートルズ・ストーリー 449 ジョンの異父兄妹ジュリア・ベアード

    ストロベリー・フィールズを公園として整備するに尽力したのがジョン・レノンの異父兄妹のジュリア・ベアードだ。彼女はジョンの母ジュリア(ホワイト・アルバムの中にある「ジュリア」のモデル)とジョンの父(アルフレッド・レノン)とは異なる父(ジョン・ダイキンズ)

  • ビートルズ・ストーリー 448 リバプールの「ストロベリー・フィールズ」に行きたい!

    ビートルズが生まれ育った町、リバプール。そこにはビートルズゆかりのの場所が目白押し。 日本から一度は行ってリバプールの空気を吸ってみたいと思い、まだコロナ禍が始まる前の2015年4月に成田→ドバイ→マンチェスター→リバプールと旅した。 あれから8年、

  • ビートルズ・ストーリー 447 最後のシングルは捧腹絶倒のお遊びソング

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の15曲目は「ユー・ノウ・マイ・ネーム」。 シングル「レット・イット・ビー」のB面に収録。捧腹絶倒、お遊びソングだが妙に魅力的なのはなぜか。それは楽しんでいることにつきます。楽屋裏を生々しく見せていて、もっとも

  • ビートルズ・ストーリー 446電話の保留音になったスタンダード・ナンバー

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の14曲目は「レット・イット・ビー」。 ポールが作った曲。今やスタンダードとして君臨する名曲。例えば電話の保留音として広く使われていますね。 この曲はシングル・バージョンとアルバム・バージョンで違いが大きい。こ

  • ビートルズ・ストーリー 445 素人の女の子を雇って作ったジョンの名曲

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の13曲目は「アクロス・ザ・ユニバース」。 ジョンが作った曲。優しいジョンのボーカルとアコースティック・ギターの音色がたまりません。 良く聴くと女性コーラスも入っている。彼女らはたまたまスタジオの前でたむろし

  • ビートルズ・ストーリー 444 ジョージの職人技ありサウンド

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の12曲目は「オールド・ブラウン・シュー」。 シングル「ジョンとヨーコのバラード」のB面として発表された。 バックに流れるハモンド・オルガンはジョージが担当。 疾走感溢れるサウンドは、ポールでもジョンでもない

  • ビートルズ・ストーリー 443 ジョンとヨーコのバラードにポールが加勢

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の11曲目は「ジョンとヨーコのバラード」。 言わずと知れたジョンとヨーコのハネムーンの顛末を歌ったリアルで私小説的な1曲。 内容は英国領ジブラルタルでの結婚式、反戦を訴えたベッド・イン、偏見を批難したバッグ・

  • ビートルズ・ストーリー 442 ジョンがヨーコに捧げた

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の10曲目は「ドント・レット・ミー・ダウン」。 「ゲット・バック」のB面を飾りジョンが作った。この曲はジョンがヨーコに励ましの意味を込めて捧げたもの。アップル・ビルの屋上ライブ(1969年1月30日)でも演奏されてい

  • ビートルズ・ストーリー 441 ポールがジョンに叫んだ「帰って来い!」と

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の9曲目は「ゲット・バック」。 ポールがジョンに向けて「ヨーコにお熱を上げずに、バンドに帰って来いよ!」と訴えるために作った。曲のエンディングに屋上ライブ(ルーフ・トップ・コンサート/1969年1月30日)の時に発し

  • ビートルズ・ストーリー 440 B面だけど存在感抜群のサウンド「レボリューション」

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の8曲目は「レボリューション」。 シングル「ヘイ・ジュード」のB面になった曲。ジョンが作った。サウンドは革命(レボリューション)を連想させる激しい攻撃的なファズ・ギターと割れ気味の音を奏でる電子ピアノが印象的だ

  • ビートルズ・ストーリー 439 ポールがジョンの息子を励ました

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の7曲目は「ヘイ・ジュード」。 ポールがジョンの息子ジュリアン・レノンを励まそうと作った。それというのもジュリアンはジョンと妻シンシアが離婚騒動真っ最中で不安定な立場に置かれていたため。ジョンは離婚後オノ・ヨー

  • ビートルズ・ストーリー 438 ジョージのインド風の曲は評判良かった!?

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の6曲目は「ジ・インナー・ライト」。 ジョージのいわゆるインド風味の曲。ボーカルはジョージだがバックはインド人が担当。他のメンバーはちょっとついてゆけないというのが本音か。でもメロディはいいねとの評価だったよう

  • ビートルズ・ストーリー 437 世の中のお母さまがたに捧げる歌

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の5曲目は「レディ・マドンナ」。 ポールの作品で子供を大勢かかえながら家計のやりくりに奮闘するマドンナ夫人を描いている。イギリスの労働者階級のお母さん方への応援歌にして母性賛歌となっている。 ポールお気に入り

  • ビートルズ・ストーリー 436 最高のB面曲、”レイン”

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の4曲目は「レイン」。 ジョンの作品で「ペイパーバック・ライター」のB面になったが、最高のB面曲と言われておりドラムが引っ張て曲が進行して行く過程が何とも印象的ですね。 それとこの曲のプロモーション・ビデオポ

  • ビートルズ・ストーリー 435 ポールは今朝読んだ新聞からヒントを得た

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の3曲目は「ペイパーバック・ライター」。 ポールが主に書きジョンが歌詞の一部を手伝ったと言われている。 サウンド的にはギターにディストーションを掛けて重量感を演出している。 なんでもポールはジョンの家に向かう

  • ビートルズ・ストーリー 434 ポールとジョンの才能が融合した傑作

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の2曲目は「ウイ・キャン・ウォーク・イット・アウト(恋を抱きしめよう)」。 ポールとジョンの共作曲で、二人の才能が融合したビートルズならではの傑作が生まれました。中間部のマイナー調からジョンが入って歌い、独特の

  • ビートルズ・ストーリー 433 ジョンはトリップしてノリの良いリフを作った

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.2』の1曲目は「デイ・トリッパー」。 主にジョンが書きポールが一部手伝った曲。 男をじらす女のことなど、性的なニュアンスをほのめかす表現が織り込まれています。 ”トリップ”とあるようにドラッグ・ソングであるとジョ

  • ビートルズ・ストーリー 432 女のつれなさに落ち込んだ

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の18曲目は「アイム・ダウン」。 ポールが作った曲。この曲でジョージは三味線(高橋竹山)風のリードギターを、ジョンはオルガンを、リンゴはボンゴをそれぞれ演奏してポールのボーカルに花をそえました。 それにしても

  • ビートルズ・ストーリー 431 抜群に良いコーラス

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の17曲目は「イエス・イット・イズ」。 ジョンが作った曲。ジョンのボーカルもさることながら、ジョンとポールの間にジョージが入ることで一段と複雑で素敵なコーラスが演出されていて聴くものをうっとりさせます。 でも

  • ビートルズ・ストーリー 430 ジョン、「バッド・ボーイ」をカバー

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の16曲目は「バッド・ボーイ」。 ラリー・ウィリアムズの曲をカバーした。 ボーカルはジョンが担当。 曲のテーマは学校をさぼって、ロックンロールに夢中になっている少年を描いている。これってロックン・ロールが大好

  • ビートルズ・ストーリー 429 B面曲だがポールお気に入りの一曲

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』には15曲目は「シーズ・ア・ウーマン」。 シングル盤「アイ・フィール・ファイン」のB面に収録されたがポールは大のお気に入り。 1966年の日本来日公演やイギリスBBC放送などいたるところで歌っていることからもお気

  • ビートルズ・ストーリー 428 印象に残る、独特のリフ

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』には14曲目は「アイ・フィール・ファイン」。 8枚目のシングル、歌の初めのフィードバックのノイズは一見電気系統のトラブルの様だが、その雑音をレコードにする独創性に驚かされる。 この音を使ったジョンは、アイデア

  • ビートルズ・ストーリー 427 カバー曲もいいね

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』には12曲目と13曲目にビートルズがカバーしたナンバーが収録されている。「スロー・ダウン」と「マッチ・ボックス」。 「スロー・ダウン」はジョンが好んで聴いていたラリー・ウィリアムズの曲で、多くのリバプールのバ

  • ビートルズ・ストーリー 426 ジョンは提供曲を取り戻し録音した

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の11曲目は「アイ・コール・ユア・ネーム」。 ジョンはこの曲をビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスにプレゼントしたそうです。そしてビリーたちはA面を同じくジョンが書いた「バッド・ツー・ミー」、B面を「アイ・コー

  • ビートルズ・ストーリー 425 リトル・リチャードの曲をカバー

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の10曲目は「ロング・トール・サリー」。 米国のロックンロール歌手リトル・リチャードの大ヒットナンバーをカバーしポールが歌った。 その歌唱は狂乱とでも表現できるような高音でのシャウト、圧倒的な迫力を聴くことが

  • ビートルズ・ストーリー 424 もう一曲、サービスでドイツ語録音

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の9曲目は「抱きしめたい」に続いてドイツ語で歌う「シー・ラブズ・ユー」。 なぜドイツ語で歌ったかというと、「抱きしめたい」同様レコード会社からの要請「ドイツではドイツ語で歌わないとヒットしない」というのが理由の

  • ビートルズ・ストーリー 423 ドイツ語録音でサービス満点

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の8曲目はドイツ語で歌う「抱きしめたい」。 なぜドイツ語で歌ったかというと、レコード会社からの要請「ドイツではドイツ語で歌わないとヒットしない」というのが理由のようです。(下積み時代にハンブルグでお世話になった

  • ビートルズ・ストーリー 422 素敵なハーモニー!

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の7曲目は「ジス・ボーイ」。 日本語に訳すとなんと「こいつ」というところでしょうか。 ”こいつ”は恋敵に取られてしまった彼女をあきらめることなく、なんとか取り返したいと思っている。静かな静かなしかし強い男の執

  • ビートルズ・ストーリー 421 初期の大ヒット曲!アメリカを席巻!

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の6曲目は「アイ・ウォンツ・ツー・ホールド・ユア・ハンド」(抱きしめたい)」。 初期の大ヒットにして、米国に一大旋風を巻き起こすきっかけになった曲。 アメリカでなんと500万枚を売り上げました。 日本盤レコー

  • ビートルズ・ストーリー 420 「OH YEAH! OH YEAH!」が印象的!

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の5曲目は「アイル・ゲット・ユー」。 シングル盤「シー・ラヴズ・ユー」B面の曲ながら、ジョンのハーモニカやジョン&ポールのハーモニーは絶品です。 ビートルズは1963年に100年以上の歴史を持つロンドン・パラ

  • ビートルズ・ストーリー 419 決まっている! ジョンとポールのハーモニー

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の4曲目は「シー・ラヴズ・ユー」。 今でこそそうは感じませんが、「イエー、イエー、イエー」を連呼するところは当時衝撃を持って迎えられました。さらにぴったりはまったジョンとポールのハーモニーは歌の楽しさを倍増して

  • ビートルズ・ストーリー 418 ジョンとポールの息もぴったり

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の3曲目は「サンキュー・ガール」。 ここでもジョンはハーモニカを吹きました。初期の録音ということもあり、シンプルでインパクトに欠ける感は否めない。しかしジョンとポールの息の合った歌声は印象に残る曲へと高めたので

  • ビートルズ・ストーリー 417 ジョンとポールの共作スタイル確立か

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』の2曲目は「フロム・ミー・トゥ・ユー」で、ここでもジョンはハーモニカを吹いた。またジョンとポールは一緒に作曲するスタイルを徐々に確立していったのです。 例えばコンサート・ツアーの移動の車の中や滞在したホテルの一

  • ビートルズ・ストーリー 416 ジョンのハーモニカが新鮮

    アルバム『パスト・マスターズ Vol.1』はアルバムに入らなかったシングル盤を集めたもので、普通は販売戦略上の相乗効果を狙い、シングル盤で発売されヒットした曲を含めたアルバム作りが行われるがビートルズはしなかった(名曲が多いためか、すごい!)。 1曲目

  • ビートルズ・ストーリー 415 「戻って来い!」の叫びもむなしく

    アルバム『レット・イット・ビー』の12曲目はポールが作った「ゲット・バック」。 この歌、元々は移民問題を扱ったものだったらしいんですが、「元にもどれよ!」とばかりに解散間近のメンバーに向けた悲痛なメッセージ・ソングとも受け取れますね。 ネット配信フィ

  • ビートルズ・ストーリー 414 名演!これぞジョージ・ブルース

    アルバム『レット・イット・ビー』の11曲目はジョージが作った「フォー・ユー・ブルー」。 ジョージ・ブルースとも言えるブルース・テイストに溢れたナンバーでジョンのスライド・ギターが曲の雰囲気を盛り上げ、ジョンでもポールでもないジョージの世界が繰り広げら

  • ビートルズ・ストーリー 413 ポール、別れたくなかった

    アルバム『レット・イット・ビー』の10曲目はポールが作った「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」。大仰なオーケストラを加えたフィル・スペクターのアレンジにポールは後になってホトホト怒り心頭し、納得しなかったと言われていますが、単なる噂に過ぎず実

  • ビートルズ・ストーリー 412 ジョン、17才で作った曲

    アルバム『レット・イット・ビー』の9曲目はジョンが作った「ワン・アフター・909」。これは1969年当時のアップル・ビル屋上のライブでも演奏。 この曲はジョンが17才のころに書いたものでプロデビュー前のキャバーン・クラブですでに演奏されていた。数字の9

  • ビートルズ・ストーリー 411 ジョンとポールが仲良く共作!?

    アルバム『レット・イット・ビー』の8曲目はジョンとポールの共作「アイブ・ガッタ・フィーリング」。ライブ録音として特に有名。 この曲は某大手電気メーカーにおけるステレオ・セットのCMソングにも使われていました。ビートルズの日本でのレコード製造発売元の東芝

  • ビートルズ・ストーリー 410 作者不明の春歌も歌った

    アルバム『レット・イット・ビー』の7曲目は作者不明の「マギー・メイ」。 なんでも1950年以前から故郷リバプールの船員たちのあいだで歌われていた春歌のようです。 ジョンが即興で歌い出したところは笑えます。 マギー・メイは実在の船乗り相手の娼婦で、売春

  • ビートルズ・ストーリー 409 ポールの母親の口癖"あるがままにまかせなさい!(Let It Be)"

    アルバム『レット・イット・ビー』の6曲目はポールが作った世紀の名曲「レット・イット・ビー」。 「レット・イット・ビー」(あるがままにまかせなさい)はポールの母親メアリーの口癖だったようで、兄弟げんかの仲裁に入るとこのセリフが良く出てきて一件落着となって

  • ビートルズ・ストーリー 408 ジョン、いい加減でも聴かせます

    アルバム『レット・イット・ビー』の5曲目はジョンが作った「ディグ・イット」。 わずか49秒の曲で遊び心満点です。 いいかげんと言えばそうなりますが、ちゃんと聴かせてしまっているところはさすがジョンですね。『ディグ・イット』【歌詞の一節】 ”転が

  • ビートルズ・ストーリー 407 地位が上がったジョージの一曲

    アルバム『レット・イット・ビー』の4曲目はジョージが作った「アイ・ミー・マイン」。 ジョージはこの頃ビートルズの中で作者としての地位が上がってきていました。それは「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」などジョンやポールに負けないほどのヒット曲を作っ

  • ビートルズ・ストーリー 406 壮大な宇宙を歌ったジョン

    アルバム『レット・イット・ビー』の3曲目はジョンが作った「アクロス・ザ・ユニバース」。 曲名もさることながら、「言葉が飛び出していく 終わりのない雨のように・・・・」で始まるこの歌は壮大で緊張感あふれ、美しいメロディーとともにいつまでも脳内に沈殿してい

  • ビートルズ・ストーリー 405 真冬の寒い屋上での録音はつらいよ

    アルバム『レット・イット・ビー』の二曲目はジョンが作った「ディグ・ア・ポニー」。 音源が寒い1月30日のルーフトップ・コンサートのものなので、真冬の寒さに耐えながら演奏したため、やたらと「手がかじかんじゃったよ」とか、会話が録音されています。 またこ

  • ビートルズ・ストーリー 404 ビートルズの最後のアルバム登場

    ビートルズが1970年5月8日に発売した最後のアルバム『レット・イット・ビー』の録音は主に1969年1月~2月に行われたが、その一つ前1969年9月26日に発売されたアルバム『アビイ・ロード』の録音は1969年2月~8月に行われたように録音時期が早いア

  • ビートルズ・ストーリー 403 ビートルズの”おしまい”を暗示

    アルバム『アビイ・ロード』の16曲目は、ポールが作った「ジ・エンド」。 題名通り、アルバムの最後、悲しいかなビートルズの”おしまい”を暗示しています。 ビートルズの実質的な最後のアルバムに合わせたかのような曲です。 録音したのは1969年7月23日か

  • ビートルズ・ストーリー 402 ポール、ラストに向かって奮起!

    アルバム『アビイ・ロード』の15曲目は、ポールが作った「キャリー・ザット・ウェイト」。 B面メドレーの何曲目かは?問題にすること自体がばかげているのかもしれません。ただ言えることは最後の「ジ・エンド」の直前だということ。クライマックスに向かって盛り上が

  • ビートルズ・ストーリー 401 ポール、イギリスの古典に影響された

    アルバム『アビイ・ロード』の14曲目は、ポールが作った「ゴールデン・スランバー」。 邦訳「黄金のうたた寝」。なんでもイギリスの有名な16世紀の劇作家の歌集にあったとかでそれに触発されて作曲した。ポールもジョン同様、本や物語、日常の出来事などに触発されて

  • ビートルズ・ストーリー 400 ポール宅の浴室侵入者はリンダ?ヨーコ?ジョンがリバプール時代のグルーピーについて書いた

    アルバム『アビイ・ロード』の13曲目は、ポールが作った「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」。 この曲ができたエピソードは変わっている。 なんでもポール宅の風呂場の窓が開いていたため、ハシゴを使ってよじ登ってきた女の子がいたことの

  • ビートルズ・ストーリー 399 ジョンがリバプール時代のグルーピーについて書いた

    アルバム『アビイ・ロード』の12曲目は、ジョンが作った「ポリシーン・パン」。 ジョンがホワイトアルバム以前にインドで書いたがずっとお蔵入りだった。 題名のポリシーン・パンは、リバプール時代のジョンのグルーピーだった女の子のあだ名らしい。 ジョンは多感

  • ビートルズ・ストーリー 398 ジョンがホームレスについての新聞記事から着想し書いた曲

    アルバム『アビイ・ロード』の11曲目は、ジョンが作った「ミーン・ミスター・マスタード」。 ジョンが新聞記事から着想を得て作った。 なんでもホームレスがお金を尻の穴に隠していたという記事で、なんとも奇抜で意味深な歌詞が展開します。B面ロング・メドレーの

  • ビートルズ・ストーリー 397 ジョンの遊び心健在!「サン・キング」

    アルバム『アビイ・ロード』の10曲目は、ジョンが作った「サン・キング」。 B面ロング・メドレーの中の一つでこの曲単独なら、おそらくお蔵入りになっていただろう。 日本語で「太陽王」とは奇抜。 それにスペイン語かイタリア語っぽい語りが挿入されていますが、

  • ビートルズ・ストーリー 396 フィナーレに向かっての序曲もいいね!

    アルバム『アビイ・ロード』の9曲目は、ポールが作った「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」。 さあここから最後の「ジ・エンド」に向かって極上のメドレーが始まります。断片的な未完の曲ピースを集めて壮大な物語が奏でられるっていう感じです。 ポールのコ

  • ビートルズ・ストーリー 395 素敵なコーラス、さすが!

    アルバム『アビイ・ロード』の8曲目は、ジョンが作った「ビコーズ」。 ゆったりしたコーラスを全面に出して厳かな感じが良く出ています。 なんでもポール、ジョン、ジョージがそれぞれ高音、中音、低音域を担当しているとか。 クラシック音楽に強い影響を受けて作っ

  • ビートルズ・ストーリー 394 ジョージの傑作、ジョン・ポールどうだ!

    アルバム『アビイ・ロード』の7曲目は、ジョージが作った「ヒア・カムズ・ザ・サン」。 LPレコードA面最後の重苦しい”アイ・ウォント・ユー”が終わり、レコードを裏返しB面に針を落とすと曲調がまったく異なるまるで太陽が雲の切れ間からひょっこり顔を出すようなさ

  • ビートルズ・ストーリー 393 ジョン、”君が欲しい!”をしつこく繰り返す

    アルバム『アビイ・ロード』の6曲目は、ジョンが作った「アイ・ウォント・ユー」。 ”アイ・ウォント・ユー”をしつこく繰り返しインストも合わせて延々8分近くもかけている。しかも最後は突然音が切れて終わりとするなんとも破天荒な曲なのですが、ヘビーなブルースロ

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