あれから70年・・・今まで書いてきたのが軍隊生活とシベリア抑留生活のあらましである大東亜戦と謳った戦は何であったのか軍人と云わず民間人と云わず世界の人々が…
皆と別れて何年目だったろうか会合しようという招待状が着た元、補給中隊長の骨折りで会うことになった場所は有馬温泉帰国後、久方振りの会合で相変わらずの絆を確か…
海にはクラゲがたくさん泳いでいるのが印象的であったここは舞鶴港船は桟橋に横付けになるそして上陸が始まる戦前の国防婦人会のような婦人たちが大勢で出迎えてくれる…
遥か彼方にうっすらと見える山並みあれが日本なのか?本当に日本なのか?待ちに待った日本があの山並みか・・・感無量と言うがまさにその通りだ船倉に降りる者は誰も…
帰国するために帰還船にやっと乗れた誰もが喜びを噛みしめていた聞くところによるとこの船は戦争中の標準貨物船だとか(容積量2千トン)船倉は広く、何もない ガラン…
沖に現れた船影あれが日本の船か?約2000人が総立ちになって見つめるどうやら日本の船だおおぉーと歓声が上がる船足が遅いのかこちらが焦るのか中々、船は近寄ってこ…
ナホトカの港さっぱり情報がない今夜は野宿なのか・・・皆、不安そうな顔どこからともなく帰還船は明日、入港するとかそんな噂が流れる本当か?しかし、これも明日船が来…
ナホトカの港に着いたここで大方の私物品を整理し処分した足止めされないためだ誰が言ったのか只の噂なのかそれはわからない私物品の検査が厳しいという噂此処まで来て…
昭和23年 6月帰国の噂が本物になったようだ皆の顔がすっかり変わりウキウキしている7月になり帰国の日が7月16日に決定した誰ということなく「万歳」の声が中に…
帰国できるという噂は本当だったシベリアに連れて来られて3年目一部が帰国した私はそこにいなかった・・・俺は本当に帰国できるのだろうか200名ほど残されラーゲル…
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