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  • 退屈という牢獄の真ん中で

    人は、ただ一人。どこまで行っても、ただ一人。いつまで待っても、ただ一人。退屈という牢獄の真ん中で、やることも無く、一人居る。何もやらねば、何も起こるはずがない。ならば、ひたすら考えよう。手足を拘束されようと、考えることなら出来るはず。それは判っているつもりだが、何を考えたらいいか?一人、私の行く先は、流れ流れの流れ道。私の生きるその先は・・・?酒を食らって、タバコを吸って、何か求めてぶらぶら歩き。先の見えないこの道を、独りぽっちで彷徨い歩く。退職以降、何年経つのだろうか?歳を数えるのを忘れ、何も起こらぬ日々を過ごしている。自分の生き方が見えない日々を、出たとこ任せでぶらつきまわっているばかり。ただ一人、これから先を思ってみると、悪いことばかり見えてくる。ただ一人、昔を思ってみると、良いことばかりが見えてくる。と...退屈という牢獄の真ん中で

  • 氷雨降る勤労感謝の日

    やたらと寒い、氷雨降る勤労感謝の日2019/11/23(土)雨4:45弟君出勤する。いやはや、こんな日に出勤せねばならぬとは・・・。とはいえ、私自身とて上司に頼まれたら断りづらいし、多分、嫌とは言えないだろう。しかし、何ともご苦労様な事だ。いずれにせよ、これが人生なのだとでも割り切っていかねば、まともに生きてはいけないだろう。それはそれとして、私事・・・。この頃、右手に何かを持って上にあげようとすると、思うようにいかないことがある。たとえば、パンを食べようと右手でつかむ。ここまでは良い。しかし、それを口に運ぼうとすると、肩の辺りまでは動いてくれるが、その先、口元までスムーズに手が動いてくれない。で、前とは逆に、口の方を、あがらない手の方に近づけていく。それでやっと、パンのかけらを口に入れることが出来るというわけ...氷雨降る勤労感謝の日

  • 懺悔

    2015年11月13日(金)・・・今は昔の物語。失業中と間違えられて、仕事に誘われる。・・・まぁ、実際的には失業中である事は確かなのだが。「飯を食わせて、宿も紹介する。一緒にやらないか?」「場所は川崎、その後は仕事も紹介してやる。何の心配も無い。一緒に来ないか?」そんな事を言われたことがある。あの時、同意して再就職していたら、今頃どうなっていただろうか?ひょっとしたら・・・!!そんな事を思う日々。懺悔・告白。人には、何が、いずれどんな結果を生むかなぞは、全く判らない。俺は夢を失った。既に70代。迷うこと無く(?)人生を過ごしている間に、夢は俺を見放したのだろうか。残ったのは、酒とタバコの日々。カティサークとピースだけだった。寒い!!「まずそのものによく成って、後にその態(わざ)を似せる」世阿弥(花経鏡より)私は...懺悔

  • 徒然雑草・・・世迷い言

    徒然なるままに日ごと、夜ごとに、パソコンに向かい、心にもない事、又、どうでも良いことを、ひたすらに、思いつくまま、打ち込んでいく。あまつ風雲のかよい路ふきとぢよ乙女の姿しばしとどめむ僧正遍昭あまつ風乙女の姿しばしと言わず、ずう~っと眺めていたいもの。風来居士いでや、この世に生まれたら、人には願わしい事ばかり。とにもかくにも、何でも欲しい。されども、生まれ、その姿、どうにもこうにもなりゃしない。せめて、学問ぐらいはと、頑張ってはみたものの、70過ぎた年寄りじゃ、今さらどうにもなりはせぬ。貯金通帳開いてみても、-(マイナス)ばかりが目に入る。どうにもならないこの先、未来・・・。ぶらぶら歩きの、野垂れ死に。頭に浮かぶその姿。こんなまんまじゃ終われない。何とかせねば終われない。能なし男の繰り言、寝言・・・。タバコは切れ...徒然雑草・・・世迷い言

  • 今を真剣に生きる。

    今を真剣に生きる。人が何かやろうとして、実際にやれるのは「今、この時」でしかない。明日でも、その先の未来でもない。今やらずに先送りして、一体いつ、何が成せるというのだ。時はこの瞬間も何の音も立てずに、ただ過ぎ去っていく。呆け極まる。支払うつもりで用意しておいた請求書が行方不明だ。数分前まで目にしていたというのに・・・、一体、何なのだ?!風が吹き抜けた。他人(私自身を含めて)を思い通りに操る。それこそ理想(?)だが、私には、到底無理な話だ。お互いの意志を尊重して生きていく。人に対して語ること無く、パソコンに向かって思いを綴る。実際の所、これを「私の敗北」と言わずに一体何だというのだ。時は人を待たず。誰かがそんなことを言っていた。意地を張らず、見栄を張らずに、今出来ることを、ただひたすらにやる。しかし、よくよく考え...今を真剣に生きる。

  • 酒が切れた。

    2019年11月19日(火)晴れ酒がない。何か食って、薬を飲まねば。・・・まだ、何となくだが、生きていく必要(?)があるような気がしている。と言って、深い理由もないのだが。強いて言うなら、やり残した事があるということか。単に飲み足りないのかも。そう、そんな気がしている。まぁ、いい。どうせ、何をやろうと、すでに「人生終末期」に突入しているのだ。私の行く末を心配してくれる人間もいない。私は何者なのか?この頃は、そればかりを考えている。ちょっと前までは、少しは分かっているつもりでいた。が、実際には、何も分かっていないのに気がついた。今までは、単に惰性で生きてきたのだ。そう、それが最近実感として分かってきた・・・ような気がする。父が亡くなり、母が亡くなった今では、自分が人生を終わるのも、そう遠くはないだろう。この頃、自...酒が切れた。

  • ふと思う事

    対話に惰性は禁物だ。常に、目の前の相手の事を頭に置いて語らねばならない。自分にとっては至極当たり前の事でも、他人には初めての情報かも知れない。いや、逆に相手にとっては当然で、今さら語るまでもないことかも知れないのだ。影響を与えるとか、否かとか、それ以前の問題だ・・・。こちらから相手を拒絶しておいて、誰も近づいてこないと嘆く。これは、端から、どこか違っているのではないか?他人(たとえば弟)の心が読めない。自身の存在感の無さ、・・・これは、私にとって、致命的なことだろう。人は常に変わっていく。その考え方も、そして行動も・・・。大体、人間同士と一言で言うが、もともと生まれも育ちも別個の二人の人間。もともと、それは当然至極の事なのだ。何かを、あるいは誰かを信じる事、それは言ってみれば、「自己放棄」だと言えないだろうか?...ふと思う事

  • 飢え

    2019年(令和元年)11月16日(土)晴れ飢えている。たまらなく飢えている・・・。贈られた蟹さんを食べてみても、入れたばかりの熱い紅茶を飲んでみても、好きな葉巻を吸ってみても、はたまた、ストレートでウィスキーを飲んでみても、街に出てブラブラしていても、一向に飢えは収まらない。どこまでも、どこまでも、底なしの空腹感・・・、そんなにも飢えた私がここにいる。どうして飢えているのか?私は、ひとり・・・。今の私はひとりぽっち・・・。そう、私はただひとり、飢えている。一体、いつまで飢えていろというのだろうか?飢え

  • 放埒 (ほうらつ) の日々 (その5)

    放埒(ほうらつ)の日々放埒・・・気ままに振る舞う。気ままで締まりがない。私が、私自身であり続けるために、どうすれば良いのか?他人と交流する。しかし、相手の名前がすぐに記憶できない。これは、人付き合いには、致命的な欠陥だ。私の生きている、そして生き続ける目的とは、一体何なのだろうか?答えの出ない問い・・・堂々めぐりの毎日。今、私が欲しいのは、自分の頭の中身を映し出すレントゲンのようなもの。目的・・・?今さら、この歳になって、目的などと考えても遅すぎるかも知れない。今頃になってジタバタして、どうにかなるはずもない。が、それでも生きている間は、その目的を考えつつ、ジタバタ行動せざるを得ない。頼れる指導者が欲しい。本来であれば、自らが誰かの指導者でなければならない立場、年齢なのだろうが、今さらそれを言っても、どうにかな...放埒(ほうらつ)の日々(その5)

  • 立冬

    11月8日(金)暦では「立冬」だそうだ。気分のせいか、一段と寒くなったような気がする。それはともかくとして、弟と私、兄弟だとは言え、二人は別人格だ。私個人の考えで、弟を縛り付けることなど、すべきではなかろう。そう、年寄りには、最早やるべき事、語る事べきなど、何もありはしない。交番前の広場のベンチに、所在なさげに、一人腰掛けている老人が私だ。警官がこちらをしきりに気にしている・・・と感じている。無論、これは、私の思い込みなんだろうが。私とは無関係の人々が目の前を通りすぎていく。時折、目に付くのが、やたらに奇をてらったようなコスチュームの若者。それほど人目につきたい、目立ちたいのだろうか?しかし、よくよく考えてみると、ベンチに一人、さも所在なさそうに腰掛けて時を過ごしている、この私自身も、逆の意味で、大いに目立って...立冬

  • 放埒 (ほうらつ) の日々 (その4)

    放埒・・・気ままに振る舞う。気ままで締まりがない。文章(ブログ)とは、私の場合、自己証明、あるいは存在証明なんだろう。ふと思う。考えること、思うことは、人それぞれだ。誰だって、他人からああしろ、こうやれと、指図され、強要されるのはおもしろくない。ごめんこうむりたいだろう。まぁ、私の場合、言ってみれば、ただの「ものぐさの言い訳」でしかないのだが。私、1946年生まれ、今年、多分(計算が違っていなければ)73歳になる。今後は・・・?今後の事は、無理にどうこう考えても仕方がない。なるようにしかならない。このまま、気分次第で生きていく。結局、嫌も応もなく、人は死ぬ時がきたなら、どうしようと死んでいく以外に選択肢はないのだ。と、言うことで・・・、なんくるないさ。(沖縄方言で、何とかなるさ。・・・だとか。)ほんのちょっとし...放埒(ほうらつ)の日々(その4)

  • 風来人生録・・・思うがままに (その2)

    「常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば良い。」ゲーテ「自分一人で石を持ち上げるつもりがなければ、二人でも石を持ち上げることは出来ない。」ゲーテ老年にあって、なおも私が生き続けていく目的は何だろう?と・・・、やれやれ、死ぬまでこんなことを考え続けていくのか?酒とタバコに明け暮れて、ただ一人、確かな行く当てもなく彷徨い続けている。365連休・・・。何でも良い、私が生き続けていく目的が欲しい。令和元年10月26日(土)薄曇り今日はどうするか?他人と付き合うのはともかく、私は対話が苦手だ。発音がどうしようもないと感じている。そう、他人と付き合う第一の障害、伝達力不足・・・。さらに、他人の考えを察知する能力。どだい、他人の心の内を知ることなど不可能に思える。「明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の...風来人生録・・・思うがままに(その2)

  • 風来人生録・・・思うがままに (1)

    1986年9月(ノートより)ブーたれていてもどうにもならん。いかに金を手に入れ、欲しいものを手にするかだ。どうしたら、自分の能力を充分に発揮できる状況に持って行けるか?俺はもともとは大物なんだからして、その能力をいかに自由に解除していくかを考える。それが今考えねばならない、第一の方策なのだ。金・・・自由になる金は必要なものだ。馬鹿にしたものではない。・・・とは言うものの・・・、なぁ・・・!!自由になろうが、なるまいが、金自体が無ければどうにもならない。2014年09月21日(ノートより)秋立ちぬ気がつけば、すでに3ヶ月が経過してしまった。あっという間に、秋風の立つ9月だ。と言って、誰彼が悪いという事ではない。私が、放置していただけの事。・・・てと、そう、誰彼じゃない、悪いのはこの私自身だ。夜長月ひもとく文に友思...風来人生録・・・思うがままに(1)

  • 風来居士の人生迂路迂路日記・・・行ったり来たり。 (友引)

    風来居士の人生迂路迂路日記・・・行ったり来たり。(友引)<2015年09月25日日記より>「再録・・・?」風来居士の人生迂路迂路日記(迂路・・・遠回りの道、回り道。)そうだよなぁ、私は、確かにもう70歳に手が届こうという年だ。(・・・もう過ぎた!!)だからって、何もせず、ただ一人部屋に引っ込んでウジウジしていなきゃならんということなどにはならない。また、そんなことを言い出しそうな相方もない。その意味で、一人暮らしとは、身軽で、面倒が無くていい。まぁ、逆を言えば、あまりに静かすぎて、張り合いがないとも言える。20才の頃作った「方向指示器」が、今では、すっかり古びて、ガタが来ている。こうなると、自分がどちらに向かっているのか、当人にすら分からない。2015年(多分)9月25日(金)今日は、朝から雨。予定では、職安を...風来居士の人生迂路迂路日記・・・行ったり来たり。(友引)

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