chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ヤマメの「土用隠れ」/真夏の渓流で過ごす一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-9>】

    *本文は作業中。ヤマメの「土用隠れ」/真夏の渓流で過ごす一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-9>】

  • 「マリア観音」<姫神古代の女性シャーマンが降臨した>マリア像始末<その二>「友愛の森空想ギャラリーの展示品「マリア像」が無断で持ち去られたこと」の結語です。

    *本文は作業中。「マリア観音」<姫神古代の女性シャーマンが降臨した>マリア像始末<その二>「友愛の森空想ギャラリーの展示品「マリア像」が無断で持ち去られたこと」の結語です。

  • マリア像始末<その一>「友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと」の続きです。

    マリア像始末<その一>無断で持ち去られたマリア像の行方について、ご心配下さった津山政信さんが、西都教会との間に立って調整をしてくれましたが、以下の経緯で交渉を断念したと言ってきました。津山さんが、憤慨しておられるほどだから、西都教会の対応の傲慢さのほどが知れるというものです。私は津山さんの心労・心痛、配慮に敬意を表し、この一件については幕引きとします。ただし、無礼にも土足で上がられ、足で位置をずらされたアートギャラリーの展示物としての書籍と靴跡の残った机があったこと、以下の津山さんのコメントを記憶と記録にとどめておくことにしましょう。☆津山政信高見乾司様マリア像の件について、チェルティ神父様に改めてお願いしましたが頑として断られました。役に立てず申し訳ありません。マリア像が友愛の森の教会に貸し出されたのが...マリア像始末<その一>「友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと」の続きです。

  • マリア像のゆくえ/「友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと」の続きです。

    ◇マリア像の行方◇7月3日に、「友愛の森空想ギャラリー」から無断で持ち出されたマリア像について、たくさんの方からメッセージやコメント、お電話などをいただきました。皆さん心優しい方ばかりです。当該する「西都教会」で結婚式を挙げた(数十年前)という方が、大変お心を痛め、西都教会と交渉をして、十字架は返却してもらいました。これで「窃盗」という事例は消滅しました。が、無断で持ち去られたという事跡と関係者や多くの皆さんに与えた不信感と心の傷跡は残り続けます。それで、その方からの提案として、再度、マリア像をもとの位置に戻してもらい、二週間とか一ヶ月という期限を設定して、このマリア像を信仰の対象として祈りを捧げ、またアートな展示として親しんできた皆さんとの「お別れ」の期間とし、草花の一輪を供えて別れのセレモニーとしたら...マリア像のゆくえ/「友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと」の続きです。

  • かさこそ森の夏/天と地の声を聴くとき【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<13>】

    各地で最高気温が37度~40度近くまで上昇した日、旧・のゆり保育園を改装した「コミュニティスペースCasaCoso森」の広場で大作の仕上げをした。これは神楽の絵とは無関係で、春先に「友愛の森」の空家を包んでライブペインティングをした時の作品である。が、「作品」といえるほどには仕上がってはいない。子供たちを交えて盛大に落書き大会をした、その遺物というレベルである。これに加筆するのが「アルティザン=ものを作りだす工人」の「技〈わざ〉」なのである。2,7メートル×15メートルの不織布を杉や樫、クヌギなどの巨木が作る木陰の下に広げて、着彩してゆく。最初は、子供たちが集まって来て、木の葉や使い古した箒などを筆代わりにして、描き殴ってゆく。すると、次第に何らかの形態が浮かび上がってくるのである。これが無垢の美すなわち...かさこそ森の夏/天と地の声を聴くとき【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<13>】

  • 真夏に雪の夜神楽の絵<アートフェア・アジア・フクオカ:2023>へ向けて【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<12>】

    *本文は作業中。真夏に雪の夜神楽の絵<アートフェア・アジア・フクオカ:2023>へ向けて【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<12>】

  • 新作完成<AFAFアートフェア・アジア・フクオカ>へ向けて準備が進んでゆく【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<11>】

    新作90センチ×4メートルが完成。下地には、神楽の現場で描いたデッサンがあるが、描き始めた初期のころの作品なので、次第に黒の絵の具で塗りつぶされていき、別の形態が浮かび上がってきた。それが、夜の山岳の一部や山脈を吹き渡る風に見えてきた時、筆を置きもー、仮面を置いてみる。仮面たちが違和感なく収まり、神楽の一場面のような物語性が漂い始めたところで完成。どのような仕立てにするか、どこに展示するかはまだ決めていない。<AFAFアートフェア・アジア・フクオカ>へ向けての準備の一環だが、これはたぶん出品することにはならないだろう。サイズが会場のブースの規模を超えているのである。全体の持つ雰囲気も、この展覧会の性格からは逸脱しているかもしれない。それもまた良し。新作完成<AFAFアートフェア・アジア・フクオカ>へ向けて準備が進んでゆく【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<11>】

  • <AFAF:「ART FAIR ASIA FUKUOKA 2023」>の概要と由布院空想の森美術館のコラボレーション主旨【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<10>】

    AFAF:「ARTFAIRASIAFUKUOKA2023」に「由布院空想の森美術館」の出展名、「神楽を伝える村へ」の企画タイトルで参加します。アジアと日本のアートシーンの最前線に位置するアートギャラリー、ミュージアム、企業など120施設が参加するスケールの大きなアートフェアです。「神楽を伝える村へ」はすでに「由布院空想の森美術館」(大分・由布院)と「小鹿田焼ミュージアム渓声館」(大分・日田)で始まっており、以後「聚遠館&バンブーフォレストKAGUYA」(熊本・南阿蘇)、「ギャラリー蔵守」(宮崎・高千穂)、「友愛の森空想ギャラリー」(宮崎・西都)の順にオープンしてゆき、9月には五会場が出そろい、これが今年の「ARTFAIRASIAFUKUOKA2023」にリンクし、コラボレーション企画となるのです。【由布院...<AFAF:「ARTFAIRASIAFUKUOKA2023」>の概要と由布院空想の森美術館のコラボレーション主旨【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<10>】

  • アートフェア・アジアフクオカ<AFAF:「ART FAIR ASIA FUKUOKA 2023」>にコラボレーション出展します。【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<9>】

    「ARTFAIRASIAFUKUOKA」は2015年より福岡で開催している、アジアをコンセプトとした日本唯一のアートフェアです。地理的にも歴史的にもアジアの玄関口として機能する福岡の街で、「日本とアジアのアートマーケットの架け橋に」をテーマに掲げ、アジアのこれからを背負うアーティストを紹介するとともに、国内の文化芸術の魅力をアジアへ発信し、アジアのアートマーケットを活性化する、グローバルなアートフェアを目指しています。この企画に「由布院空想の森美術館」の出展名、「神楽を伝える村へ」の企画タイトルで参加します。アジアと日本のアートシーンの最前線に位置するアートギャラリー、ミュージアム、企業など120施設が参加するスケールの大きなアートフェアです。「神楽を伝える村へ」はすでに「由布院空想の森美術館」(大分・由...アートフェア・アジアフクオカ<AFAF:「ARTFAIRASIAFUKUOKA2023」>にコラボレーション出展します。【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<9>】

  • 心象風景+民俗仮面のコラボ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<9>】

    制作と展示が同時に進んでいる。これを現代美術の用語では、インスタレーションという。便利な領域がひらけたものだ。自宅を兼ねた「九州民俗仮面美術館」の中庭で、天気の良い日には大作(90センチ×10メートルなど)を広げて、加筆してゆく。冬季に神楽を伝える村へ通い、デッサンをしておいた作品に、ストーブの煤や竹炭の粉、草木染の染料などを調合したオリジナルの絵の具を使い、濃淡を付け、文字情報を加え、仕上げるのである。黒々とした夜の山脈に響いてゆく神楽笛の音や、太鼓の轟き、森の奥から聞こえてくる神楽歌のリフレインなどが、画面に立ち現れてきた時点で筆をおく。そして、旧・教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」に持って行き、展示してみるのである。次の作品が完成したら、また持ってきて並べてみる。こうして下記の全体企画へと結び...心象風景+民俗仮面のコラボ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<9>】

  • 藍建ての神事をして藍で染めた【藍を育て、染めるワークショップ<23-3>】

    藍の種まきから始めて、山の畑で育て、刈り取り、臼で搗いて藍玉を作って天井裏で寝かせ、乾燥させるという手順を済ませて、「藍建て」の神事を行った。ここまで1年半の日数を要した、息の長い仕事。藍染の本場・阿波―徳島県では、それぞれが分業制で、熟達した職人がいるほど高度な技術なのだ。このワークショップでは、約20人の参加者が、手分けをして根気よく世話をして、ここまで無事にたどり着いたのである。藍甕は、知人から頂いた大甕。たぶん、四国の大谷焼という藍甕を中心に大物を焼いた窯のものだろう。これを木工家の小島君が対寧かつ頑丈に設置してくれた。藍建ての神事は、諸塚村桂神社の神職・甲斐依歩さんが執り行って下さった。山深い村の神社職を継ぐという女性神官さんである。清楚で凛とした空気の中で神事が終わり、「藍建て」が始まった。*...藍建ての神事をして藍で染めた【藍を育て、染めるワークショップ<23-3>】

  • 友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと

    上掲のマリア像と十字架が、昨日(2023年7月3日)、無断で持ち去られました。持ち出したのが、誰かはおよそわかっているので、ここでは盗難とか事件扱いとかにはしないつもりですが、経緯に釈然としない部分があるので、まずは情報を公開し、議論のテーブルに載せたいと考えます。この情報は、この施設「友愛の森空想ギャラリー」と「マリア像」、(十字架は私の個人所有)を22年間にわたり、その所有者である石井記念友愛社からお預かりし、種々の企画展や講演会・演奏会・交流会などを開催しながら運営し、守り続けてきた歴史を、私・高見乾司が持つので、その責任において公開するものです。情報は、この「空想の森ブログ」、「高見乾司のフェィスブック」、「高見乾司のインスタグラム」で公表されます。転載・拡散は自由です。皆さんのご意見、ご感想をお...友愛の森空想ギャラリー(旧・教会を改装したアートギャラリー)の展示品「マリア像」と「十字架」が無断で持ち去られたこと

  • 郷愁のブルー、風土のセピアー海を渡って来た画集―/増井美奈子画集(MINAKO-MAUI著・Kalejdoskop:2019)【かさこそ森の読書時間<10>】

    この画集は、作者・増井美奈子さんが送り出してから半年以上経って、私の手元に届いた。船便で来たらしい。まるで1世紀も前のヨーロッパへ向かった画家・文人・詩人たちの旅のように。その間、地球上ではコロナウィルス感染症の蔓延や、大国ロシアによる隣国ウクライナの侵攻というまったく予期せぬ出来事が相次いで起きていた。この画集は、荒波に漂いながら、それらの現象を眺めていたに違いない。増井美奈子さんは、いま、ちょっと年代とその内容の記憶があいまいだが、第一期の由布院空想の森美術館で開催された「ピースアート展」に個展形式で参加していただいている。その折にご寄贈いただいたのが、掲出2枚目の写真の左ページの作品である。私は、その後由布院を離れたが、この作品は手元におき、今でも時々展示させてもらっているのである。増井さんはその後...郷愁のブルー、風土のセピアー海を渡って来た画集―/増井美奈子画集(MINAKO-MAUI著・Kalejdoskop:2019)【かさこそ森の読書時間<10>】

  • 一枚の絵に巡り合うとき/「海老原喜之助」大沢健一著(日動出版:1990)【かさこそ森の読書時間<9>】

    現代画廊の画廊主で美術評論家として一時代を開いた州之内徹氏の言葉に「良い絵とは盗んででも自分ものにしたいと思うほどの絵だよ」「本当にいい絵に出会った時、人は強い衝撃を受け、その前に長い時間、佇んでいることがある。そしてその絵は、その人の一生を確定するようなちからを持っているものなのだ」がある。これに関連して、州之内さん自身の体験が語られる。青年期に故郷松山の町で左翼の運動に関係して検挙され、獄中生活を送った経歴を持つ洲之内は、転向して招集され、戦地では陸軍の諜報機関員として働く。洲之内公館と呼ばれた一舎を与えられ、そこら多くの文士や芸能者、芸術家なども集まるほどの実力であったという。その洲之内さんでも線上に出ることはあり、塹壕の中で過ごしたこともある。銃弾が飛び交い、目の前で戦友が倒れる極限状態の中で、一...一枚の絵に巡り合うとき/「海老原喜之助」大沢健一著(日動出版:1990)【かさこそ森の読書時間<9>】

  • 「スカブラ」の極意/「四百字のデッサン」野見山暁治(河出書房新社:1978)【かさこそ森の読書時間<8>】

    昨日、大雨警報が出ていたので、屋根に上り、雨漏りの原因となっていると思われる箇所をブルーシートで覆った。夜半、激しい雨音に目覚めたが、なすすべはなく、雷鳴と稲光と滝のように落下する雨を見つめていた。夜が明けて大きな被害がなかったことにほっと一息。朝食を作り、老母(95歳)に食べさせて、珈琲を淹れ、昨日、部屋の中にブルーシートを持ち込んで仕上げた大作三点を眺めながら、一服。これが、私の日常の一こまである。半世紀前までは、このような生活を送る人々で社会が構成されていた。いや、私などよりはるかに厳しい、地を這いずり回るような一生を送り続ける階層のはたらきによって、社会が成立していたのだ。私などは、自分を勤勉な人間だとは思っていないが、ボーッとしている時間が長すぎると、人生の持ち時間を損したような気になる。このよ...「スカブラ」の極意/「四百字のデッサン」野見山暁治(河出書房新社:1978)【かさこそ森の読書時間<8>】

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、森の空想ブログさんをフォローしませんか?

ハンドル名
森の空想ブログさん
ブログタイトル
森の空想ブログ
フォロー
森の空想ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用