お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
ここも昨日の酒屋さんのご近所、つまり前橋市の駅北。琺瑯看板がびっしり飾ってあります。板塀で仕切ってあるけど、中は居酒屋さん。「ナショナル電球」は横位置、しかもドデカい♬琺瑯看板も町中で見かけるのは、普通2個か3個。こんなに集めてあるのははじめて見たかもね。左(西面)にも貼ってあった。琺瑯看板を飾った板塀
どこで撮影したのかと「う~ん」とかんがえこんでしまった。そして思い出した。前橋駅北部400mあたりの裏町でした。ご覧の通り酒屋さんです。その建物がぎりぎりいっぱいに道路にせり出しています。ガードレールと酒瓶を収納するプラスチックの籠が道路際に積んでありますなあ(^ε^)はみ出しているわけじゃないけど。街角小景~道路ぎりぎり酒屋さん
■「山部赤人の歌」窪田空穂著(日本の名随筆62「万葉2」作品社1987年刊)「日本の名随筆62万葉2」に収録された「山部赤人の歌」(山部は山辺とも書く)が、近来になくおもしろかった(´◡`)「万葉1」「万葉3」と3冊ある。わたしが持っているのは、この(2)だけ。いずれも中西進さん編集で、ほかにも24篇収めてあるため、一篇一篇は短くまとめられている。窪田空穂の文章は、はじめて読んだ。窪田空穂には大部な「万葉集評釈」があるようだが、とてもじゃないけど、手が出ない。本編「山部赤人の歌」は1951年の講演筆記だそうである。(1)田児の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける(318)(2)み吉野の象山(さきやま)の際(ま)木末(こぬれ)には幾許(ここだ)もさわぐ鳥の声かも(924)(3)若の浦に潮みち...赤人の“感動”を論ずる
これは、富岡市が世界遺産に登録される4-5年前、ふらりといったときの街角小景。元は寝泊りできる飲み屋さんだったのか?大きな規模の木造建築で寿命がほぼ尽きているように見える。その昔は、芸妓の置屋だった可能性もある。日本酒の銘が外観を飾っている。2Fにはタオルケットのようなものがずら~り。富岡市~街角小景
古めかしい窓と扉を撮って歩いていたことがあった。群馬県の市町村(一部埼玉北部)は、8割は回ったかな。撮ったあとで、かんがえる。その場でかんがえていたら、移動できなくなるからね。この扉はすごい、重量級。アルミとか鉄とかじゃなく、鋳物かもしれない。外壁は分厚いレンガ。耐火建築かな。緑青がふいているぞ!窓と扉
「婚約したらダイヤモンド」だって。小さなものでもいいのかな。眼鏡・宝石・時計。これが3点セットだった。いまでもそうかなあ?ふるさとぐんまには上信電鉄というローカルな私鉄があるけど、そのどこか駅前で撮った。SEIKOは立派なブランドだったぜシチズンも。篠原時計店、この建物はいまもあるのかな。上信電鉄の或る駅前
これも伊香保の石段街で撮った一枚(^^♪ちょっと失礼だったかしら。焼きたてだね、女性の表情が熱そう。右にメニューが見えるし、店員さんの下半身もちらり。食べているのは「玉こんにゃく」かなあ?石段を下りてきたら、このカップルがドンピシャのシャッターチャンス。その節はありがとうございました。お似合いの二人♡
伊香保の石段街にパネルで飾られた古写真。「ほほう」と思ったので、よく憶えています。わたし推測では、角兵衛獅子ではないかしら?越後からやってくる女性の芸能集団。江戸時代に旧西蒲原郡月潟村からやってきたそうです。旅館街にもやってきたんでしょうね。それが大正・昭和のある時期まで存続したのです、たぶん。石段街の古写真
ここは伊香保の旅館街の一隅。二つの道が交差する角なので、いろんなものが置いてある、というか集まってくる。郵便ポストや選挙のポスター、丸本旅館、脚立、プラスチックの樽その他。そこに陽光が注いでいる。甲羅干しをしているのかな?ものたちが。KIRINふきのとう。ネーミングはいいけどね(ノω`*)いろいろなものが甲羅干しをしている
「いつか、いつか・・・」とかんがえているうち、こんな年になってしまった。それも、角川のソフィア文庫で。何だか恥ずかしい気がする(^^;;)どちらも200ページ前後、手取り足取り、よちよちと。「万葉集」も、ソフィア文庫で読んだ。新潮の古典集成その他で20冊ばかり揃えていたのに、結局読まず仕舞となりそう。頭脳の衰えには逆らえない。茂吉の「万葉秀歌」上巻・下巻が、いまのわたしには、正直いってむずかしいのだ。若いころにはバカにしていたよ、ソフィア文庫。アルツハイマーかなトホホ超初心者向けソフィア文庫(角川文庫)
秩父へいったその帰途、たまたま目についたボンネットトラック。このショットを撮ったときのことは、なぜかよく憶えているんですね。埃まみれの黄色いトラック(;^ω^)通過しかけあわてて振り返っているのです。特殊ポンプ車かな?秩父の文字がありますよね。働く自動車シリーズのごく初期のもの。埃まみれのボンネットトラック(秩父)
このころまで、こんな個人商店があったのです。15年か、それ以上たっているでしょう。秩父はのんびりした山峡の町に見えました。8×10が飾ってあったので、ついパチリ!カメラ店が時計・宝石の店をかねていたのです、昔はね。パンダの置物があるな、ほかにもいろいろ陳列してあった(*^。^*)カメラ・宝飾のお店(秩父)
深紅のヘルメットが、バックミラーに何気なく懸けてあった。しかも傷だらけ。見た瞬間網膜に突き刺さった。背景のブルーシートが存在を強調していた・・・と思う。こんなシチュエーション、あるもんじゃねえぞ(゚д゚)どこで撮ったのかな。撮影のため秩父へいったときか。シュルレアリズム、いやダダイズムだね。深紅のヘルメット
斎藤茂吉の「万葉秀歌」(岩波新書初版は1938年上下巻)を買おうとかんがえて本屋へいったけど、立ち読みした結果、角川ソフィア文庫(ビギナーズクラッシック)の「万葉集」に後退。昔読んだとき、かなり高度な評釈でよくわからなかった。“足慣らしが”必要じゃな(笑)。芭蕉・蕪村の俳句をスラスラ読むのとはわけが違うから。でもやっぱり「万葉秀歌」を買おう、持っていたはずの本がみあたらない。茂吉自身の短歌より読まれている・・・と思うので典型的なロングセラーとはこういう著作のことをいう。斎藤茂吉「万葉秀歌」を買おう♬
高崎市の旧卸売青果市場・・・だと思います(間違っていたらご免なさい)。一時期街中を、カメラ片手にぐるぐる回っていたのです。斜光線があたって、影が映って、黄昏ゆく風情がありました。大型トラックが横付け。下大類町の新市場に引っ越す前の、街中の市場。現在はこのあたり、マンション林立ですね。旧卸売青果市場
愛機をぶらさげ下町(高崎の南町あたり)をふらふら。そうしたら、この自動車を発見。おやおやパン屋さんの移動販売車かな。外装色、気に入りました。ドイツの車両かな?ところがその後見直していたら“RUNRUNICE”と書いてあるんですね。アイスクリームの販売車かも知れません。そのとき、その場で確認すればよかったのですが。移動販売車
チヤコの家・・・だってさ♬街角散歩中「これはいただき」と、立ち止まってパチリ。10枚くらい撮ったな。気の弱そうな、いつもシッポをだらんとたらしているようなワンコ。よかったねぇ、愛されているんだね。立派な小屋まで造ってもらって。玄関を犬がふさぎ、家のあるじは廊下から出入りしていた、かも。チヤコの家
消えている文字は「東」の字で、関東牧場と入るのでしょう。ホルスタインをたくさん飼育していたようです。牧草はあちらこちらにありました。ここは標高0に近い、わが家と同じ平地です。山麓じゃなくてね(ˊᗜˋ*)前橋市街地より15-20キロ離れた調整区域。異臭の問題はどうなのかなあ。関東牧場
これがわたしがイメージする“わが町TAKASAKI”でした。貴族の婦人をあしらったアンティークCaféのこの看板。広角レンズでスナップしています。去年からは税金(相続税・固定資産税その他)で苦しめられているから「ちくしょうめ(T_T)」と苛立っていますが。店の方ではなくストリートを撮っています。TAKASAKIのイメージ
高崎市の下町にある造り酒屋、というかお醤油さんです。その名は「ヒキソーイチ」。薄暗かったですが、看板をずばりと撮影させていただきました。おじいちゃんは施設に入所したとのことで、孫にあたる女の子が、実質家業を継いでいます。下町散歩で立ち寄ってパチリ、そして醤油を1本お買い上げ。その節はわがままを聞いていただき、ありがとうございました。高崎の醤油屋さん(ヒキソーイチ)
これも古いころ、20年ほど昔、足利市の駐車場の小景だったと思います。この植物・・・棕櫚は箒として、現在でも使われていますよね。こんなに背が伸びるんですね。斜光線ねらいで撮影しています。コンクリートの外壁がキャンバスになってくれました(^ε^)光と影のドラマ!棕櫚~光と影のドラマ!
娘と息子。いかにも「過去からの手紙」にふさわしいシーンといえるでしょう。娘は1年生か2年生。息子はそれより3歳下。フィルムカメラからスキャンしています(^^;;)時間がたつのは早いものですよね。後ろはいま解体撤去を検討中の“東物置”。ガレージ兼用です。300万はかかるかな?タハハ頭が痛い。幸せだった時代がリアルに蘇ってきます。幸せだった時代(娘と息子)
わがままをいわせていただくと、右手に手塚治虫、左手に幸田露伴が昨日のわたしめでありました。ところで露伴はなぜ露伴というのでしょうか(´?ω?)ご存じの方、いらっしゃいますか。夕べは「太郎坊」を読んでいました。ちくま文学全集は、文庫本サイズなので、携帯に便利。鴎外からはじまって、全50巻もあるし。30巻くらいは持っていた・・・かなあ。「突貫紀行」「観画談」幻談」「望樹樹」など、評価の高いものが収録されています♬運がよければ、BOOKOFFで121円です。はたして目論見通り読みすすめられるかしら?左手に幸田露伴
過去からの手紙シリーズです。これは住宅屋さんのイベント会場ではなかったかしら、よく憶えていません。ニコンFM2と45ミリF2.8で撮ったのは記憶にあります。会社の行き帰りにあっちこっち引っかかっていました。万国旗のようですが、風があると忙し気にくるくる回るグッズが空を横切っていました。建物が拵えたように対照的。何てことない日常的なスナップですが。2014年に撮影とコメントがあります(´ω`*)何かがくるくると回っていた
手塚治虫(1928-1989)は43年間に、15万枚700作品を描いたのだそうである。マンガ・アニメを描くために生まれてきたような人だなあ。本は売るのみでもう買わないと思っていたのに、お近くのBOOKOFFにいったら秋田書店の短編集を見かけてしまったよん。またしてもこの4冊ゲット♪ふん(゚o゚;トホホ手塚治虫の短編集4冊
寺田寅彦って、いま読まれているのかなあ(´・ω・)?これまで寺田寅彦の愛読者って、友人の中にいなかった・・・ような。「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」(集英社新書2002年刊松本哉)を数日前に中古で買ったら、ちょっと気になって蔵書をひっくり返し、2冊が出てきた。「天災は忘れた頃にやってくる」ですよ。これって名言中の名言ですよね。随筆家といえば、大昔から寺田寅彦は科学者として超有名だった。その割には読まれていないんじゃないかなあ、おれだけか(ノω`*)タハハ寺田寅彦を読もうぜ♬
富士フォトコンテストというのが、その昔あったのはご存じですか(いまでもやっているようです)。フィルム部門別に分かれていましたが、カラープリントを「自由写真部門」に応募したのが、30代の半ばごろ。ほかに「ネイチャーフォト部門」「組み写真部門」等がありました。それがこれ。娘が4歳のころだったと思います。特等の100万円はムリにせよ、佳作の10万円でも・・・と期待していましたが、むろん落選(^^;;)このころはキヤノンA-1を使用し、レンズは200ミリF4だったと憶えています。新潟のチューリップ園までいって撮っています。このころは、娘が専属モデルでした。コンテストに応募したのは、このとき1回だけ。フィルムからカラースキャンしています。チューリップと娘
これを撮影しに利根川左岸に通っていたころ、平成が終わりに達する最後の2-3年。わたしは仕事をやめる準備をしようとしながら、ここへきて、オリンパスE-M5を使って対岸・・・つまり右岸の夕景を眺めていました。塒へ帰るカラスどもが、ゴマ粒のように点々と南に向かっています。オートにしておくと夕陽はより夕陽らしく撮れました。塒へ帰るカラスども
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お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
山頭火句集の(三)(四)が顔を出したので、(三)は途中までだけど、(四)はさっさと読み了えた。ご本人がセレクトした「草木塔」は、このシリーズの(一)(二)に収録されている。「草木塔」はほかの本をあわせ、何度となく読んでいる。山頭火になるまでの(三)をまとめて読むのははじめてかな。(四)は亡くなる直前まで詠んでいる。山頭火句集~草木塔以外の
セルフオーダーシステムの食堂へいって「さて・・・」とクルマを半回転させたら、目の端にこんな光景が!“カモシカのようなすらりとした美脚”とえば「おいおい、じいさん。いつの時代の話だね」と笑われそうだにゃ(*´ω`)タハハ女子高校生だろう。われわれ世代の出る幕じゃねえなあ。カモシカのような美脚
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)
あああ。あああ。とつぶやきながら深夜のベッドで寝返りを打つ。そうして深い淵のようなところから這いあがったりずり落ちたりしている。そこに横たわるきみよいいかげんにしたらどうかね。何年こんなありさまですごしている。何年?ごわんごわんとブルドーザーのようなものが通りすぎていった。その轟音がいまでも耳元で響いている。ムクドリや女たちのざわめきや木の葉をゆらす風。反響はもうながいあいだ鳴りやまない。もういちど寝返りを打ったらそれらを払いのけることができるかしら?あああ。耳に栓をして暗闇の向こうを見るふりをしてぼくはなにか“こと”が起きることを待っている。這いあがったりずり落ちたりそのくり返しもまもなく終わりになるだろう。ひんやりとした空気の塊に目を凝らすようにぼくはベッドに横たわる深夜の自分を眺めている。※詩のよう...寝返りを打つポエムNo.2024-01
うけている、ずいぶん大げさに(*^。^*)アジア系は間違いないけど、もしかしたら日本人じゃないかも。ギャハハという声が聞こえてきそう。なにを話しているんでしょうね♪よほど仕合せなのか、右の女性が漫才師なのか!?おいらは四車線道路の反対側で信号待ち。信号待ちで
一週間のうち、半分は本を探しているか、本屋へいって本を物色している(^O^)ナハハどうなっているんだ、あんた。右の本が行方不明となって、もう1年はたつ。そうしたら、白秋の「フレップ・トリップ」と一緒に寝室から出てきた。この樺太の旅は友人から数年前にすすめられて買った、そして積読。詩人白秋の童心があっちこっちで炸裂し、読者を別天地へと誘う紀行文。Cheerfulという英語を連想する人もいるだろう。「美酒について」は、かなりハチャメチャな対談だけど、まあ、ある種の傑作に類しますなあ♬ただしどっちも“品切れまたは絶版”じゃないかしら?寝室から出てきた