今日は曇天。燕の身が軽い。低く飛んでいる.あの速さで虫を捕まえるのだからすごい。今日もゴルフの散歩は快調。早く歩けるように。燕が飛ぶ
失敗があると「ひょっとして認知症?」と自分を疑うことがある。「そう気づくうちうちは大丈夫」とものの本に書いてる。失敗しているかどうからない時がおそろしいとも。おおこわ。ひょっとして認知症?
足が悪いと、部屋の整理整頓がぬかる。一度になにもかもしようとするからだ。昨日も食事をしている時にビレッジの人が来た。親しいので、すぐに部屋に入ってくる。その人にばたばに汚いところを、また見られてしまった。紅顔の至り。足が悪いと
能登半島には「能登はやさしや土までも」という言葉が残る。そんな能登に地震が襲ったのは、今年の正月だった。そして今度は豪雨が襲った。住民が待ちに待った仮説住宅にも、泥水が襲った。災害は形を変えて、人々を苦しめる。能登には幾度も訪れている。私には故郷と思っている。輪島市の近くには「皆月」という音楽の題名になりそうな集落がある。新聞記者新人のころ、金沢支局にいた。その時【漁業】というテーマで続き物を受けもっていた。そして取材に訪れたの皆月だった。度重なる災害試練
えらいこっちゃ。多くの認知症患者が不明になっている。見出しで早とちりしないでください。1年間、警察を届けた件数です。そして、2,3日で見つかっているのです。一瞬、大勢の認知症患者があてもなく途方にくれているのか、と思いました。大笑い!せめて、「数日で大半見つかる」の小見出しがあってもいい。認知症で昨年1万9千人不明
今日は珍しくかなりきつい雨が降っている。越後地方は天候が悪いーが私の固定観念だ。だが、グランドゴルフコートに毎日通っていると、天気がよい日が続くことがある。半面天候が悪いと部屋に閉じこもって、ブログを打ったり本を読んだり、ネットを見たりする。天候が悪いとばたばた運動したりしないので、暑さと戦うこともないので体も休まる。落ち着く雨の日
年をとると、忘却一方に陥ると思っていたら、知らないことだらけ。只管打坐。うちは真宗だから、座禅を組むことはないが、教えとしては新鮮なものを感じる。ちこちゃんじゃないけど、ぼーとしてたらあかんよ。自分を見つめる。自分をみつめる。時間は十分にある。毎日が発見
ビレッジでいろいろ趣味の会がありますが、花札で遊ぶ人に「よく飽きないものだね」と聞いたことがあります。答えは毎回点数の計算で頭を使っているとということでした。私も家計簿をつけて頭を使うようにしています。アプリによる家計簿いつからはじめたかは忘れました。アプリを使うと計算はあっという間に処理できますから、細かな品目別をしていました。野菜はどれだ食ったか、3年前はどうだったかなどそういうことは瞬時に分かるのですが、それがどうしたということで、単に家計簿つけていることに気づき、もっとわかりやすく単純なものにしました。老人の家計簿なんて知れてるとばかにするなかれ、物忘れが進むにつれ電子機器による記録は大事です。おおごとです。家計簿で頭の体操
歩けない。でも、生活はパーフェクトに。例えば掃除、洗濯、食事。方針です。ずぼらな私が家の中でごみ一つ落ちていると気になってほーきと塵取りでごみを始末する。後始末をきちんとする。生活様式をきれいにする。これが歩くことに通じてくるんだな。パーフェクト
ビレッジにいる保育園児たちは、皆歩くことで先輩だ。先輩は歩き始めの子が多い。走ったり、方向転換したり。園児たちをじっとみつめたら、不審者に疑われるからちらり盗み見する。ひ孫は十分成長しているから、相手にはならない。ちなみに、忘れを取りに家に中に入るとしよう。床に手をついて、手と膝でのそのそはい回る。土足を避ける四つ足だ。やったことあるでしょう。人は年を取るとここまで元に戻る。幼児が先輩
歩けるためにいろいろな方法をとる。やっている方法がベストと思っていてもほとんどが「せんよりまし」それよりまず歩くこと。ある本をめくると、「歩いてもむだ」と書いてあっても歩くことをやめてはだめだ。歩行は基本中の基本だから。歩け
なんとか寝たきりにはなりたくない。高齢者の多くが願う気持ちでしょう。私もその通りです。ところが、悲しいかなどんどん老いがやってきて、いつの間にか追いつかれてしまう。歩くのがしんどくなる。寝たきりへの第一歩。さりとて、寝たきり予防に一日何千歩も歩いてみたとてしんどいだけ。疲れるから長続きしないのだ。それでも私は運動を続ける。足が止まるとおしまいだから。寝たきりはごめん
皆さん、介護保険をどれだけ利用していますか。私はいま、要支援2に認定されています。食事、掃除、洗濯など家事は一応できるが、あと一歩にやたら時間がかかる。冬、風呂に入ると着替えが大変。人によればデイケア、デイサービスを利用している人もいるでしょう。風呂も用心すれば一人ではいれるが失敗すれば、最悪溺死のおそれあり。知っている限り二人の知人が風呂でなくなっている。要支援2の段階で、かなり体は弱っている。私がそうです。介護
El Choclo / Kiss of Fire - Tango - Nestor Astorga - Hammond X66
ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66サロンでピアノで曲、あれなんという。だれも聞いてくれないのいいます。タンゴの名曲で「エルチョクロ」です。いつも同じタンゴの曲で「ラクンパルシータ」が定番です。よろしく。ElChoclo/KissofFire-Tango-NestorAstorga-HammondX66
皆がやさしく親切にしてくれる。今日も一日居心地の良い日であった。人のやさしさは向こうからゃってくる。今日は武道館で、健康教室の日であった。いつもはバスで行くはずだったが杖を突いてもたもたするぐずの見本が私である。乗客たちはいらいらしてるだろうということを娘が指摘するなり「タクシー代私がだすわ」と言いだした。それからがラッキーの連続が始まり、最後は教室の先生のiさんがビレッジにまで送り届けてくれた。つまりタクシー代はいらなかった。その間ビレッジの施設長のタクシー代計算模様もあったりして、親切心がうず高く積み上げられた。上越人の人のよさに尽きるが・・・。娘は上越出身ではない。皆が親切にしくれる
昨日は起きるとき寒かった。毛布やらを出した。テレビではまだ暑いと言っているけど、季節は秋だ。ついでに、部屋の模様替えもした。いつもご飯を食べる位置を1人用低い位置から不安定な簡易チェアに変えた。これだけで、腰が安定しないので、やや緊張感が必要になった。新聞を机の上で読む。ご飯も机で食べる。食欲がでている。気分転換は毎日の動作を変え、ルーティンの時間もかなり短縮した。なんでもやるもんだ。時間短縮の価値は大きいよ。季節は秋
ネットでコーヒーを飲むと長生きできる、とか。効用についてうんぬんされている。コーヒーで気をつけねばいけないことはカフェインが多いことだそうだ。どう悪いのだ?私は夜飲んでもなんにも変わらない。眠れないこともない。長生きできるからと言ってコーヒーを沢山飲もうとは思わない。好きだから朝でも夜でも飲みたくなったら飲む。せいぜい数杯のことだ。コーヒー、好きだから
朝と夕方に1回、グランドゴルフをたたく。歩くの主体だ。合わせて5千歩だから、まあまあかな。コートにはほぼ1人だから、近接のゴルフ練習場とは全く様子が違う。けど、スポーツはスポーツや。保育園は脇にある。おっちゃんやと、だれもいわない。春頃は雲雀がぴーぴー鳴いていたがいまは鳥の声も聞こえない。近くを走るバイパスからトラックからのガタンガタンという音が響いて聞こえる。今日も長野からのトラック軍がひっきりなし。会社の友人のトヨちゃんが上越へ遊びに夫婦で来たっけ。私が吹くフルートを聞いてくれたが二人とも、今は天国で暮らしている。グランドゴルフコート
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今日は曇天。燕の身が軽い。低く飛んでいる.あの速さで虫を捕まえるのだからすごい。今日もゴルフの散歩は快調。早く歩けるように。燕が飛ぶ
なんかやるきになった人って。白鵬さん。もうひとつわからんけど?。2行日記です。なんか知らんけれど
ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
サスペンダー。熱が出ていた時もそうだったが、ズボン吊りの付け心地が悪かった。試しにパンツを吊り上げる。下着の吊り上げは成功した。しっくりこなかった下着が落ち着いた。ズボン吊りだからズボンを吊り上げることばっかりを考えていた。下着の引き上げる。うまくいった。最後の知恵熱か。下着つり
この間夜に熱が出た。それも38度。こんな時はどうしたらいいか。体温計で体温を何度も測りなおす。頭を冷蔵庫の氷で冷やす。なんとか夜を過ごす。明けると、熱が下がっているではないか。そのまま時間が過ぎても熱は上がらない。夜の高熱はなんだったんだろう。続きは知恵熱?へと発展する。知恵熱
昔、記者やってたころ、京都のお坊さんに聞いたことがある。「人は何が悩みですか」お坊さん曰く「多くの人がお金や」今は違うと思う。仰山な金を仰山持っている人が多いというから。仰山はいらん。めし代があればよい。わしも小さくなった。欲までも。雪は他人事
安否の電話を金沢の友にをかけtが、かれは脳梗塞で津病中だった。一方で、京都のテニス仲間の一人は、「ほぼ元気やで」、ということであった。亡くなった友を悼み、元気な友人にはエールを送った。年も年やし。それで、お前はどうなんあちこちの痛みを治したい。それだけや。相変わらず人間が小さいのう。「痛みとれたら、考えるわ」。人生の友
新聞の読者欄で家計簿をつけているか、を尋ねていた。「はい」は46%、「いいえ」は54%だった。「はい」のトップは「市「市販の家計簿に手書き番多く、「いいえ」のトップは「めんどうくさい」だった。私のようにソフトを使うのは少数派。忘れっぽい人間には家計簿がブレーキをかけてくれる。几帳面とはちょっと違う。習慣だね。家計簿つけてる?
うまくいった話。いずれもpcがらみ。一つは、新しく買ったプリンターがうまく作動し始めた。もう一つも家計簿のソフトの古いメールアドレスがばっちり合ったこと。最近、病気のことで区分が乗らないことが多かっただけにいいぞ。「ついてる」と思った。ついている
ついている”つき”の神様のプレゼントかいたずらか知らんけれどうまくいった話2件。いずれもpcがまみ。長く使っている家計簿ソフおかしくなった。新しいソフトのパスワードが合わない。長い時間を使って合った時「ついている壊れたプリンターが直った時、思わずで出た時の言葉が「ついている」こういった「つき」を大事にしたい。「おおきに」と。「ついているぜ」
80歳ももうじき終了。90歳が目の前に迫ってきた。えらいこっちゃ。あちこちに不具合を抱えての昇段だ。でもエンジンの心臓は故障もなく、動いている。よし。90歳に頑張ってぶら下がろう。90歳が目の前
阪神淡路大震災から30年。「30年ね」なんども念を押すでなく、娘も30年、年を増やした。今日、彼女の誕生日である。なんとも勘定しやすい。大震災の時私は京都にいた。ゆさゆさ揺れるマンションの中で、これは大きいと感じた。しかし、時間を短縮すれば、大阪や神戸はあっという間に復興を遂げた。娘にはこの2月に孫が生まれる。ということは私にとっては3人目のひ孫。どうか、元気で育ってくれ。大震災から30年
全国女子駅伝が12日、京都で行われ、京都が圧勝。懐かしい京都の街並みをテレビで眺めた。京都はわたしにとってふるさと。毎年、カメラを手に選手たちの姿を追ったものだ。いまや、女子駅伝は春の葵祭、夏の祇園祭り、秋の時代祭りと並ぶ行事に思っている。。駅伝の好きなところは京都や強いチームだけでなく北陸、沖縄などの頑張る姿に市民たちが応援する風景。今年も地震で被害を受けた「石川」に声援が飛んだそうだ。今年は京都が優勝、石川は45位だった。「石川がんばれ」女子駅伝
介護3の認定を受けて身の回りに介護用品がぐっと増えた。3食をビレッジからっているの初め、身の回りにもこれまでもない贅沢感漂っている。こういう時にこそそ金を使うべし。か?体への投資かな。先日は電気毛布を買った、お蔭で夜、尿意に悩まされることがなくなった。貧乏性なんだ、へるぱーさんが昼間の電灯を消しているのを見て、投資は投資、無駄には無駄の意識が再びよみがえってきた。えって来た。介護の身になって
新年あけましておめでとうございます。良い年でありますように。戦争のない年になればいいのになあ。最近、日本に殺人が多いと思いませんか。貧乏もはびこっているか。いいことないか。あります。1人1人が健全を目指すことです。そうです。一人一人です。そうすれば、神が宿ります。仏も。お宅に立ち寄るかもね。謹賀新年
今年は思いがけない足の骨折に見舞われ、ブログも途絶えました。来年もどうなりますか・90の坂は上れるか。無理はしません。あるがままで行こうと思います。では、来年もよろしく。来年もよろしくお願いします。
我が家にはヘルパーさんが週2回来て風呂の介助と部屋の清掃をする、足を折ってから、まだ2か月なので、風呂は監視付きだ。それでも、人に背中を洗ってもらううのは病院に続く体験なので、お殿様気分を味わっている。ただし、料金が後からどかんと追っかけてくる。掃除の専門家なので、浴槽などはぴかぴか。ヘルパーさん
介護判定見直しがあり、私は要支援2から要介護3に引き上げられた。足の骨折で一段と介護が必要との判定であろう。介護には、要支援1,2、介護1、2,3,4,5の段階あり、介護3は中程度の介護が必要ということ。具体的には部屋の掃除など身の回りの世話は自分だけではできないほか、片足立ちや立位など1人ではできないなどの症例がある。それで、ヘルパーによる訪問介護などが受けられる。私も本格的な介護される仲間に入っている。介護3の判定
12月も半ばへ。相変わらず足へのリハビリに地味に動いています。11日、新聞はピントの合わない眼鏡越しに読んでいます。「ああ、小倉さん亡くなったなあ」膀胱がんで亡くなったテレビの名キャスターに哀悼の心を捧げる。被団協にノーベル平和賞授与の新聞の見出しに「人類が核で自滅しないよう」とあった。ほんま、そうやで。一発の核で地球は破滅への道へ進みそう。「おりおりのことば」に地味に日を重ねるのが人生に重み、と激励する。輝くやく人たち
リハビリ病院の一日は窮屈と忍耐で過ごす。患者とナースステーションの連絡はナースコールでつながっている。トイレの要望から、べっどからティッシュが落ちたなどいちいち連絡する。するとナースステーションからだれかが飛んでくる。万一手術した患者が倒れると大変だからだから。ステーションも大変だが、患者も窮屈。でも、おしっこは待ってくれない。窮屈
自転車事故で転倒しましたが、骨折がなかったこと。本当によかったと思います。どこか、骨を折っていたら、もうあかんやろね。年を特別にとったとは思わないが、友人はほぼいなくなっています。「また、けがしたか」金石の阿弥陀さんは今度も助けてくれました。大丈夫です
昨日武道館への途中、自転車が転倒、救急車で運ばれました。途中、市内の中学生たちに大変お世話になりました。救急車が来るまで、面倒をみて下さった運動着姿の皆さんはソフトテニスの部員たちでした。転倒した自転車に絡みつかれ動きの取れない私を見ると、血を拭いたり救急車を誘導したり救急隊員から「大変助かりました」とお礼がありました。私はついています。ありがたいことです。トテニス部員たちで、この日は大会があったそうで、田舎道で難儀している救急車で運ばれる
墓じまいで、お寺にどえらい金を払った。近くにいる人にもいるねえ。長年お世話になったからといって泣く泣くお寺に離檀料を払ったそうな。再び子供につらいおもいをさせないため、大変な決断だったそうな。段々少なくなる檀家。地方のお寺も苦しい。事情はわかるけど、なにか釈然としになあ。墓じまいだけれど
この頃はどの新聞にも頭を使う遊びのコーナーがあります。「新聞なんか取ってない」か。さて、挑戦しようとしたら、ルールが分からない。そんな場合はパスします。時間をとるのがもったいない、という理由で。時間はいっぱいあるのにねえ。私のことです。スマホで新聞を読んでいるという方がいます。よくあの小さな画面で記事が読めますねえ。新聞は紙面で読むと、内容がよく頭に入ると思います。今日のつぶやき
上から目線でしゃべる主に男性がいる。マンスプレイニングと呼ぶらしい。新聞から知った。マンスプレイニングにひそむ意識。「説教」や「無視」にも通じる会話が生じるからこわい。これも不当な差別らしい。付近にはいません。でも勉強です。上から目線
月に一度、ビレッジから請求書が渡される。電気代はは?この日は朝のラジオ体操後に請求書が渡されたので、一斉に見せ合う。住居は同じでも、生活スタイルそれぞれなので凹凸がある。うちは?高いな。原因の一つは外へ出ない。コーヒーをやたら飲む。そんなこともカウントするかな。電気代
雨が降っている。妙に落ち着く。なぜだ。なんにもしなくてもいいからだ。雨に落ち着くわけ
今朝起きてからひと騒動。そこに置いたスマホが見当たらなくなった。目が覚めてスマホにスイッチをいれると、電池切れ。その辺にひょいおいたのだが、時絶たずに探すも見当たらない。ベッド付近を探す。みあたらない。あれれ、ぼけてる。こんな時、もう一人の自分を呼び出し、「どこへ置いた」「この辺にちょい置いたのだが」ちょうど、娘が朝の定例訪問。「おれのスマホを呼びだしてくれ」不通。電気が切れていたんだっけ。スマホは目の前で消えた。娘は「ゆっくり探しや」と仕事場へ急ぐ。このあとビレッジのsさんにもスマホ鳴らしてもらった。結果は同じ。こうなると、ミステリー。スマホは「へー」というところから見つかった。なんであんなところにスマホ置いた。「わからへん」ほんまにぼけたんとちゃうか。自分同士が???お騒がわせしました。失せものはどこだ
フルート、テニス、ピアノ、吹矢・・・おっとブログ。もうすぐ90になる。段々友人が次々いなくなった。いま付き添ってくれているのが人でなく趣味たちだ。フルートたちなどだが、テニスはとうに引退。体から消えた。フルートは私にとって名器の「村松君」が付き添ってくれている。音は段々かすれてきたが、村松君がいる。村松君はメーカーの名前だが、これはもう友人だ。一向に上達しない技術にあきずに付き合ってくれている。だから友人なのだ。フルートから出てくる音楽は全部私なのだ。趣味が私の友人
ビレッジの隣人とすれ違って。「車は便利かね」私の使っている押し車を見ながら隣人は話しかけてきた。「便利ですよ」「いくらした?」「おさがりで、もらったから、分からない」「もらった?」「よっぽど、あんたは好かれているんだ」「え?」、「ここはよほどでなければ、好きでなければ人にただで、出せばかなりするものをくれないよ」「大事にしなよ」今日の一言から。会話
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した