MJHA(日本を再び健康な国に)を志として、食・運動(姿勢)・睡眠等の問題を論理的に説いていきます。
鍼灸はなぜに科学的に学び・究明さればならないのか〜の根本的理由〜
現代において東洋医学鍼灸の学びも学問的には科学的=唯物論的でなければならない。その根本的理由。端的には、現代社会に生きる我々にとってはそうでなければ対象の究明の深まり、冴えを持ち得ないからである。科学的な鍼灸論を!と言うと、東洋医学は科学と相容れないとか。東洋医学は西洋医学とは全く別の学問体系だとかの反論をされる先生方がおられる。それはそれらの先生方にとっては、先生方の思いとしてはそうであるかもしれないが、学問的にはそれではまともな発展は到底望めないと思う。なぜかといえば、それでは頭の働きが二刀流になってしまうからである。少し説明しよう。現代の社会というものは西洋科学的の物質文明の恩恵で成立している社会であり、東洋医学・鍼灸と科学は入れないとおっしゃられる先生方も含めて、科学的物質文明とともに、その恩恵を...鍼灸はなぜに科学的に学び・究明さればならないのか〜の根本的理由〜
(加筆)クロード・ベルナール・ホルネル症候群(再録)〜認識は問いかけ的反映である〜
ホルネル症候群について調べた。認識というものは、問いかけ的反映である、ということ実感する。眼瞼下垂をきたす病として、重症筋無力症、動眼神経麻痺、ホルネル症候群等がある。過去問では良くお目にかかる病名であるので、それらについて調べたのだが、その中で「ホルネル症候群」の別名が「クロード・ベルナール・ホルネル症候群」であるということを知った。「ホルネル症候群」とはC8〜TH2の交感神経が腫瘍等で圧迫されることで起こる、縮瞳、眼瞼下垂(眼裂狭小)、眼球陥凹等の症状をいうもの、であるが、例の如くに丸暗記の苦手な自身は何度も過去問で出てくる、例えばホルネル症候群単独で問題となるだけでは無しに食道癌に関わって起こって来る症状としても問題となる、というように度々出題されている(国家試験はカタカナが好き、とも教員から教わっ...(加筆)クロード・ベルナール・ホルネル症候群(再録)〜認識は問いかけ的反映である〜
今週末の日曜日に鍼灸学校で第3回合同模試が行われる。その為に『2018国家試験過去問題集』(医道の日本社)による学びを行う予定である、のでそのことの意味を改めて考えてみる。国家試験や模試、学内試験等々の受験の為に過去問題集の学びを、ということはどの分野の受験であっても常識であり、その有効性は自明のことであるとされている。しかしながら、経験的にはそうであっても、少し考えてみると、過去問題集というのは過去5年とか10年の問題をすべて集めたものであり、ものでしか無く、それと同じ問題や類する問題が出るということの保証はどこにも無いものである。と思える。それゆえに、過去問題集というものの有効性は自身の経験によっても実感されているにもかかわらず、本当にそれに頼ってしまって良いのだろうか?との疑問、違和感が常にあるので...(加筆)過去問題集に学ぶ〜その意味を統計学から考える〜
認識についての覚え書。認識=反映像と考えた場合、その原点は脳が誕生した魚類の段階にある。また、人間の認識=問いかけ的反映像の直接の原点と考えると、人類へとなっていくサル類の段階が、サル類から人類への過程をしっかりと見ていくことが、と思える。魚→サル→人間しかしながら、その様に考えるならば、そもそも、魚類へとなっていくクラゲ類の段階を魚類との比較によって見ていくことが、必要なのでは、と思える。それゆえここは「クラゲ→魚」→「サル→人間」という二つの段階で検討してやることが求められる、と。先ずは、「クラゲ→魚」という比較検討で、と思う。クラゲ→魚→サル→人間〜生命の歴史に尋ねる認識の原点〜
カラアゲに関わる認識の裏の認識〜人間は映像に導かれて行動する〜
昨日の、「カラアゲに関わる認識論」は、自身のカラアゲを食べたい、という思いはそもそもどんな映像なのか?カラアゲは身体に良くないと思いつつも食べるとはどういう映像なのか?ということを本来求めるもの、求めるべきものはまた別にあるのではないのか?と思いつつもカラアゲを食べるという選択をするのはどういうことなのか、どういう認識=映像なのかということを、それはどういうことなのか分かりたい、との思いがあっての自身の認識=映像を追っていく試みであったもう少し考え、深めていきたいカラアゲに関わる認識の裏の認識〜人間は映像に導かれて行動する〜
昨日は認識について、自身のカラアゲに関わる事実=頭に浮かぶ映像を追っていくことで書いた。それに対して「なるほど。そうだよな。」となった方もいれば、「あれ何か違う?」となった方もおられると思う。「何か違う!?」となった方の思い=映像としては大きく2つのものがあったのでは?と思う。一つは知識的に、すでに認識論というものを知っておられての「この筆者が書いているのは、動物の反映像ではあっても人間の認識ではない。端的には、問いかけということが抜けている。」というものだと思う。認識論の定義としては「対象の頭脳における反映である」ということとともに「(人間の)認識は(単なる対象の反映ではなく)問いかけ的反映である」ともされているからである。もう一つは、この筆者は認識とは対象が五感器官からの反映によって、頭脳に描かれる像...唐揚げをめぐる認識論〜認識は問いかけ的反映であるとは〜
昨日、今日と続けて、甲山での鍛錬(主に山中を走る)を行った。(朝の気温が下がってきているので、山での鍛錬を昼に持ってきている。)その調子の良さ(朝よりも1〜2割早いペースで走れた)に、人間にはいわゆるバイオリズムというものがあり(1日の内、1ヶ月の内、1年の内、一生の内で)体調は何時も同じではなく、一定のリズムを持って変化していっているのだということがあるのだなあ、ということ実感された。さて、そのことに関わって想起されたのが「病に時あり」という東洋医学に伝わる言葉(金言?)である。それをこれまで自身は、病にも生成、発展、成熟、衰退、消滅の過程(正規分布)があるから、一旦スタートしてしまって悪くなっていく時は何をしても悪くなっていくから、山を越えるまでは焦って無理な施術すべきではない。まずは安静で、急性期の...病に時あり、その二重性について
「唐揚げを食べる」の認識論〜人間の行動は本能と認識の2つに導かれて〜
近頃、認識の学びの二重の必要性(自身の問題として、とともに患者指導の問題として)を痛感している。そこで、その学びの初歩的なところを「唐揚げを食べる」ということの実際で説いてみたい。今回は本当の初歩から始めたい。難しい話はなしで、認識=映像として「唐揚げを食べる」という日常的な事実を通して、その時々に描かれる認識=映像を追ってみたい。それが一体、認識論とどう繋がるのか?と思われる方が大多数であるとは思う。しかしながら、学問の始まりは、具体の事実の究明から上がっての、現象論的一般論の構築にあるのであるから、まずは具体の事実を見ていくことが必要なのであり、それが今回の内容と思っていただければ、と思う。「唐揚げが食べたい。」となる時の我々の頭の中の映像は、一体いかなるものなのであろうか?まず、前提として「空腹」で...「唐揚げを食べる」の認識論〜人間の行動は本能と認識の2つに導かれて〜
ブログ記事の再投稿を過去の記事を残したままできるようになった。ブログ記事再投稿テスト
(加筆)鍼灸・東洋医学を如何に学ぶべきか?〜まず世界観の問題を!〜
15/04/3006:30ゴールデンウィーク中に4月の学びの概括をし、「天人合一」や「片手挿管」について説(解)くことで本ブログをスタートさせるつもりだったのですが、肝心なこと忘れていました。端的には、世界観の問題です。自身の立つ世界観(唯物論)と鍼灸・東洋医学の立つ世界観(観念論)とは正反対のものですので、それを如何に学ぶかということは大問題である筈です。少なくとも自身にとっては大問題でしたし、これからもしっかりと問題にしていかねばならないとの思いあります。また、そこを無視ないし等閑視してスタートしてしまうのでは、鍼灸・東洋医学は科学とは相容れないとなってしまったり、鍼灸・東洋医学の理論的な部分は迷信だからと産湯とともに赤子も捨て去るの愚を犯してしまうのではと思えます。まずは、大まかにでも、鍼灸・東洋医...(加筆)鍼灸・東洋医学を如何に学ぶべきか?〜まず世界観の問題を!〜
過去の記事への加筆について〜ブログ記事は過去の日記でもある〜
過去記事への加筆を行っている。内容は、その記事への評価と背後の認識、加えて、可能な限りでのその記事に対しての反論。それを「過去の自身との討論」と位置付けて行っているのであるが、それを皆さんに見ていただけるような形してと思って、日付を開始した日付のものとして再投稿していた。ところが今見ると、そうやって再投稿すると過去の日付でその記事が出てこなくなってしまっている。これではせっかくの過去の振り返り、日記であるところのブログの意味がなくなってしまうとの思いがある。再投稿の方法を検討して改めていきたい。過去の記事への加筆について〜ブログ記事は過去の日記でもある〜
(加筆)二百十日とアイヌ民話に学ぶ東洋医学〜先人の知恵としての東洋医学の構造〜
18/09/0915:51このところ地震、台風、大雨と大規模な自然災害が続いているが、自身の住む地域でも先日の台風21号の猛烈な風に大自然の猛威を実感させられ、かつ自然災害にかかわる先人の知恵に関心させられている。それとともに、それら自然災害にかかわっての先人の知恵の有効性と限界を考えて見ると東洋医学という先人の知恵の有効性と限界も見えてくると思えた。自身の「鍼灸・東洋医学の総括」を書いていくなかで、東洋医学からどのように学ぶべきかということを、すなわち東洋医学をどのように評価するのかということを具体性をもって明確に文章化する必要性がでてきた。これまでは、一般的に、東洋医学には実践から学んできた結果としての本当の部分と、それらを説明したり理論的に考えたりするときにその時代性・社会性ゆえのウソの部分が混在し...(加筆)二百十日とアイヌ民話に学ぶ東洋医学〜先人の知恵としての東洋医学の構造〜
今後のブログ。先ずは過去の自身との闘論と新しい記事(とりあえずは『人間は何を食べるべきか』)を書いていきます。そこに集中すべく、一度コメント欄閉鎖します。これまでコメントいただけた皆さんありがとうございました。ブログ開設されている方のところへは、こちらからおうかがいするつもりです。過去の自身との闘論でしっかりと実力培えたら、再びコメント欄再開をとも思っています。今後とも、よろしくお願いいたします🙏ブログ今後の方針〜まずは過去の自身との闘論を〜
15/04/2806:51今春よりの鍼灸学校での鍼灸=東洋医学の学びを実りあるものとしたいとの思いから「鍼灸如何に学ぶべきか」と題してブログを始めることにしました。自身にとって、今春よりの鍼灸学校での学びの目的は大きく二つあります。一つは、自身の手技療法の学びのためには狭義の手技療法(マッサージ・指圧・整体等)の学びだけではなくて、鍼灸を含めての手技療法全体の学びが必要であろうという思いから、別の言い方をすれば本当に手技療法が分かるためには、自身の実力とするためには「手技療法の歴史を一身の上にくり返す」(ディーツゲンの言、但し原文は手技療法の歴史ではなくて哲学の歴史)必要があるであろうから、これまでの自身の手技療法の学びに欠けていた鍼灸(=道具を使っての手技)をしっかりと学んで自身の実力としたいというもの...(加筆)はじめに〜ブログ開設の目的について〜
20/05/2911:09実家の片付けを行っている。コロナ自粛の有り難さ痛感している。1か月間のコロナによる職場閉鎖も残りわずか。手付かずのまま1年近く来ていた実家の片付け、漸くに軌道に乗って、片付け終わる目処も立って来た。手を付け始めるまでは、片付け無ければならないものの膨大さに圧倒され、手を付け始めたら始めたで、片付けても片付けても少しも捗らない感があり、休みも残り十日余となって、漸くに......。この膨大な量の実家の片付けの一コマ一コマは、例えば、食器を選別して捨てる、本棚の本を段ボールに詰めるである、でしか無いのだが、それが両親の数十年という長い間での積み重ねの結果となると、そう簡単に片付くものでは無かった。これはまさに<量質転化>ということであり、その恐さであり、凄さである、と思える。自身の学...(加筆)実家の片付けに思う〜量質転化ということ〜
ブログ記事の内容を検討中過去の自身との闘論をメインにするのが、もしかしたら自身にとっても、読者の皆さんにとっても良いのかも、と思えています。鍼灸学生の皆さんからの質問は引き続き受け付けますが....。ブログ記事の方向性について〜自身との闘論を主に〜
19/05/2100:00『真実の人間の物語(上)』(ポレヴォーイ著青銅選書)がAmazonで販売されていた。南郷先生が「人間の努力の生き様を描いて見事」とおすすめくださっていた書である。昔々、浪人生の時に中之島図書館で上巻を、国会図書館から借りて下巻を読み、主人公アレクセイ・メレーシェフの努力の生き様に心の底から感動し、自分の大変さなどはものの数ではない、と励まされた、またそれ以降も人生で挫けそうになる度に、自身を、お前の大変と思っていることなど苦労のうちに入らない、アレクセイ・メレーシェフの努力の生き様を見ろ!と励まし続けてくれた、自身の魂の書である。(それゆえ、大学入学直後に一週間くらい毎日、朝から晩まで神田の古本屋街を端から端まで探し歩いて、上下巻を手に入れた。その時には、本の背表紙の『真実の人間...(加筆)『真実の人間の物語』〜自身の魂の書〜
(加筆)ファスナーが噛んだ時の対処法~方法論的反省は問題解決の道を拓く~
16/04/2506:22ウインドブレーカーがファースナーに噛んで外すのに苦労した。そのことで対象の構造に見あった働きかけの大事性痛感させられた。本日、鍼灸学校行事で出かけ、その出かけ先で暑かったので着ていたウインドブレーカーをカバンに入れてファスナーを閉めようとして噛んでしまった。ウインドブレーカーという薄い生地であったことと勢い良くファスナーを閉めたこととが一緒になって、生地がしっかりとファスナーに噛んでしまって取れなくなった。あれこれやってみても外れず、最後はファスナーが壊れるかウインドブレーカーが破れるかしても止むなしと力づくでファスナーからウインドブレーカーを外そうとしたのだが、かえってファスナーがウインドブレーカーをしっかりと噛んでいってしまうことになったので、止むを得ずそのまま放置して帰宅後...(加筆)ファスナーが噛んだ時の対処法~方法論的反省は問題解決の道を拓く~
(加筆)「ギリシャ語は正しく学べば世界一簡単な言語」を読む(増補)〜画期的な古典ギリシャ語学習法〜
17/03/2813:43「ギリシャ語は正しく学べば世界一簡単な言語」(ブログ『原典聖書研究』の連載記事)を読んだ。画期的な古典ギリシャ語学習法と思える。古典ギリシャ語についてあれこれ検索していて、「ギリシャ語は正しく学べば世界一簡単な言語」というブログ記事を見つけて興味を持って読んだ。書かれているのは牧師さんで、何十年にもわたってギリシャ語を学んでこられた、聖書をコイネーギリシャ語(古代のギリシャ語で、古典ギリシャ語とは少し違うようではあるが)の原典で読むことと教えることとを積み重ねてこられたかた、のようである。ブログ記事を読むことで、古典ギリシャ語の学びの示唆をいただけたと思えた。併せて、古典ギリシャ語ゆえに古代ギリシャ哲学が誕生出来たのだということも、認識の発展に言語のありかたというものが如何なる意...(加筆)「ギリシャ語は正しく学べば世界一簡単な言語」を読む(増補)〜画期的な古典ギリシャ語学習法〜
コメントへの返信と本ブログのルールについて〜小竜先生へこれからコメントいただけるであろう皆さんへ〜
簡単にコメントさせていただきます。引用というものは、私の認識のフィルターを通しての、全体の部分を切り取ってきたものですので、にしか過ぎませんので、私の認識を知るにはある程度役立つとしても、そこから引用してある原文の著者の認識を「こうだ!」と決めつけるべきではないと思っています。それゆえ、そう長い文章でもないですので、原文に当たられることを再度おすすめします。もう一点だけついでに、これはこれから来ていただきたいと思っている鍼灸学生等、これから鍼灸・東洋医学等を学ぼうとする若い皆さんへ、のですが、自身のブログには自身のブログのルールがあり、それはコメント欄に関してもと思っています。これは家にはその家の家風=ルールがあり、他人の家に訪問した場合には、それは尊重すべきことというのと同じことです。より具体的には、他...コメントへの返信と本ブログのルールについて〜小竜先生へこれからコメントいただけるであろう皆さんへ〜
「骨盤後傾」のブログ記事に見出し画像を追加した。画像をイメージしての方が説いていることのイメージが描きやすい、との思いから再投稿している。骨盤後傾の画像追加〜百聞は一見にしかず〜
「骨盤後傾」からの姿勢の崩れの一般的な過程像。何回かに分けて。ほとんどの人間は、幼少期は「骨盤前傾」の「股関節重心」で立っている。何故なら、ハイハイ(四足)から立ち上がっての当初(二足)は、そうとしか立ちようが無いから。(例えば、スケート初心者の滑ってこけまいと必死にバランスを取るる、少し前傾で腰を屈めた姿勢をイメージすれば良い)そこから、小学校に入って(人によってはそれ以前から)先生によって、「背筋を伸ばして!胸を張って!」と骨盤後傾の形を教え込まれる。(逆に、そういう文化の無い外国人には「骨盤後傾」が少ない)「骨盤後傾」の一般的な過程像(1/3)
小学校に入って、「骨盤後傾」による良い姿勢を教えられ、出来れば褒められ、出来なければ「ほらもっとシャンと背筋を伸ばして!」と叱られる、場合によってはバレエ教室等で「お尻でコインを挟んでるつもりで、お尻をキュッと締めて!」と憧れの先生から教え込まれる。そうやって身についていった素晴らしい「骨盤後傾」の姿勢!胸を張って、背筋を伸ばして、お尻をキュッと締めた姿勢をとると「姿勢がいいね!」と褒められる。という文化風土が日本には存在する。これは、筋力が十分にあるうちは、かつしっかりと運動が出来ているうちは、社会的にも評価され、結構なことなのではあるが、それでも肩コリ等はあるだろうが、30代くらいまでは大した問題は起きない。問題は、40代にはいった頃から、始まる。膝が痛い、腰が痛いが多くの人で始まる。例えば、膝痛の治...(画像追加)「骨盤後傾」の一般的な過程像(2/3)
40代以降は、個性的でありながらも一般的には衰えていく(筋力、骨力等の低下)、加えて、運動量の低下によって、「骨盤後傾」の良い姿勢を維持することが難しくなっていく。これ以降は、個人差が大きいので一概には言えないが、「骨盤後傾」の最終像、完成像としては、70代〜80代以降くらいの女性(おそらく、一般的に女性の方が筋力がそもそも弱いから、余力が無く衰えも早いがゆえ)に時に見られる、腰を突き出し(股関節に上方前方に力がかかる形で)、胸を凹ませ、背中を丸めるから、かろうじて頭を起こすという独特の姿勢。(多くの場合、O脚もセット)他でいえば、前にリュックサックをかけている姿勢のもう少し崩れたものをイメージしていただければ、と思う。最初の「骨盤後傾」の背筋が伸びて胸を張って、お尻をキュッと締めた良い姿勢から、この最終...(画像追加)「骨盤後傾」の一般的な過程像(3/3)
1,2,3と3回に分けて「骨盤後傾」という日本人の良い姿勢の生成発展成熟衰退消滅を述べた。端的には、「股関節重心=骨盤前傾」から「骨盤後傾」へとなっていって、そこからの筋力低下と運動不足とが相俟って、姿勢が崩れていって、高齢女性(男性にもあるけれど)によく見られる、骨盤後傾、円背、膝重心という姿勢、それとともにの上体と下体の様々な病(膝変形、頚部変形、耳鳴り、腰痛......)を過程的像としてイメージしていただければ、と思う。これは、日本人の国民病ともいえるもの、と個人的には思っている。(画像追加)「骨盤後傾」の一般的な過程像(補)
(加筆)『学城』の読みかた〜原点から重層的に積み重なっての、と捉えての......〜
17/05/0121:48『学城』にも読みかた、読むべき順序(論文の)があるのではないかと思える。これまで自身の『学城』の読みかたは、南郷先生の「巻頭言」を読み、悠季先生の「編集後記」を読みして、その後に「編集後記」に説かれてあることを踏まえつつ目次を見ての自身の興味に従って、あるいは理解しやすそうなものから、最終的に全部を読んだ後に、「この論文はもっとしっかりと分かりたい!」と思ったものを繰り返し読む、という形で読んできた。しかしながら、今回の菅野先生の『学城第15号』の「〔講義録〕「生命の歴史」から見た人間の頭脳の成り立ちー子供のより良い頭脳活動を育むために」を読むと、それでは不足なのではないかと思えてきた。その不足の中身とは、〔講義録〕に説かれる以下のことが、『学城』の編集・構成としてもあるのでは無...(加筆)『学城』の読みかた〜原点から重層的に積み重なっての、と捉えての......〜
食は何故に地球丸ごとが求められるのか?端的には、生命現象というものが、地球そのものの、特殊なあり方=代謝過程を持つものであるから、その生命現象が細胞膜を持っての生命の誕生であるから、その代謝過程=摂取→自己化(同化と異化)→排泄は、生命体が細胞膜で地球から独立したものの、それは相対的独立でしか無く、地球との一体性を保つことが求められる以上、摂取するものは地球丸ごとである、ということだろうか?生命現象の誕生から単細胞生命体への過程をもう少し丁寧に見ていきたい。ようやく、食の原点が見えて来た、イメージ出来てきた、と思える。食の原点〜生命現象から単細胞生命体へ〜
鍼灸学生の皆さんへ。鍼灸・東洋医学を学ぶ上での疑問等あれば、ご質問いただければ自身のわかる範囲とはなりますけれども、お答えさせていただきたいと思っています。是非どうぞ!鍼灸学生の皆さんへ
昨夜は、バドミントン教室までの約5kmを速報で歩いた。(途中、スマッシュの足運びを練習しながら)これは「股関節重心」の成否の試しであり、また来春よりの、週2で中山寺奥の院登山を可能にするための準備運動、との思いのでもある。昨夜の5キロの速歩+バドミントン教室1時間半を行っても、夜中に足がつることもなく、今朝も膝が痛むこともなくであった。これは一重に「股関節重心」修練の賜物と思える。もう一つ、昨夜のバドミントン教室に関わる出来事。バドミントン教室で練習終わりの用具片付けを終えて戻って来ると自身のラケットがなくなっており探し回った。結局、掃除道具置き場の下に、隠すように置いてあったのを教室メンバーが見つけてくれた。犯人に心当たりはあるものの「何で恨みを買うかわからないなあ^^;」と、「相手構わず、思ったことを...学問だけが我々を偶然の戯れから救い出す(ディーツゲン)
(加筆)「好きな物を食べるのが身体に良い」という論理〜人間は本能を失って人間となったということの意味〜
16/07/0823:17「好きなものを食べるのが身体に良い。」との発言を聞く度に、一般教養の学びの必要性痛感される。TVを見るとも無しに見ていたら、TVCMで時々見かける医師が、出演タレントの「好きなものを食べるのが身体に良い。」との発言に賛同している場面があった。(この場合の「好きなもの」とは、肉や揚げ物、スナック菓子等の、いわゆる身体に悪いと言われているものの筈である。でなければ話の筋が通らない、と思う。)人間についての素人であるタレント氏が言うのならまだしも、人間の健康と病に関わる専門家であるはずの医師の発言であったので、(一般教養の学びの欠落による欠陥の凄まじさに)啞然とさせられた。詳細には改めてと思うが、端的には、動物と人間との分水嶺は本能の有無であるから、そのことを踏まえるならば、動物と違っ...(加筆)「好きな物を食べるのが身体に良い」という論理〜人間は本能を失って人間となったということの意味〜
トランプ氏の X 投稿に思う〜白人の植民地支配の過去。現在そして未来〜
トランプ氏の大統領選後のXへの投稿に、日本人の(自身のか?)心情にそぐわないものを感じる。日本はこれからも前途多難との思いする。昨日のアメリカ大統領選挙、大手マスゴミの事前の報道と大きく違って、終始トランプ候補の優位、そして圧勝であった。これに関しては、本治、標治の問題として、植民地的状況にある日本にとって、日本を搾取している大元のアメリカが良くなってくれれば(例えばRFKJr.の発言を聞いて)日本が良くなっていく助けに、少なくともきっかけくらいにはなるのではと思っていた。しかしながら、勝利後のトランプ氏のXでの繰り返しのハリス氏叩きの投稿を目にすると、「武士の情け」とか「敵に塩を送る」とかの日本的心情とは無縁の、弱肉強食の、あるいは焚書坑儒的な、敵に勝ったら相手を徹底的に叩き潰し、殺しにかかるという凄ま...トランプ氏のX投稿に思う〜白人の植民地支配の過去。現在そして未来〜
(加筆)製本テープを使っての国試過去問集の解体、分冊化〜それは直接に観念的な解体、再構成であると......〜
17/11/0506:34国試過去問集を解体して、製本テープを使って分冊化した。もっと早くにやれば良かったと......。昨日、国試過去問集を解体していくつかの分冊にした。理由は二つ。一つは、国試過去問集は大冊であるので、持ち歩きに不便であるということ。もう一つは、国試過去問集の中身の必要性に濃淡があるので、これは一般的にも個人的にもと思うが、常に全部は必要では無いということ。以上の二つの理由から分冊化したのであるが、それら実用的な効用だけでは無しに、解体して分冊化して見ることで、過去問の全体像が明確になった、これだけのことを鍼灸学校で学んで、国試でも問われるのだということが、自身のアタマの中で明確なものとして整理された、と思える。これは、鍼灸国試過去問集に対してだけでは無くて、凡ゆる対象に対しても、観念...(加筆)製本テープを使っての国試過去問集の解体、分冊化〜それは直接に観念的な解体、再構成であると......〜
どうやらトランプさん勝利。アメリカの番組では、勝利宣言。さて、どうなるアメリカ、そして日本。RFKJr.の活躍に期待したい。日本の変わっていくきっかけになれば🙏アメリカ大統領選挙結果〜トランプ勝利〜
(加筆)「鍼灸・東洋医学の学びの総括(ブログ版・1)」〜自身の鍼灸・東洋医学に関わる疑問あるいは鍼灸界の現状について〜
19/01/0316:15時の経つのは早いもので、自身が鍼灸学校へ入学して鍼灸・東洋医学を学び始めてから4年近くの年月が経とうとしている。自身の鍼灸・東洋医学の学びはその当初よりわからないこと疑問だらけであり、かつそれを学校の先生や周囲に質問してみても、ほとんどの場合、満足な答えが得られることは無かった。これは今にして思えば、自身ですら何を知りたいのか、知らねばならないのかが明確ではなかったから、ということもそのことの大きな原因であったと思えるのではあるが、当時は、そのことすらが分かってはいなかったので、かといって分からないから自身のもやもやした疑問をそのままにして済ます事もできず、であったので、わけの分からないままの質問を何度も何度も繰り返して、先生方や周囲を困惑させてしまう事も、度々であった。当時の自...(加筆)「鍼灸・東洋医学の学びの総括(ブログ版・1)」〜自身の鍼灸・東洋医学に関わる疑問あるいは鍼灸界の現状について〜
16/12/2908:00粗悪艾での透熱灸で火傷をつくらない工夫している。そのことの意義について。粗悪艾で透熱灸の効果に、「これで、火傷さえ無ければ。せめて、痕の残らない火傷であれば。」との思いで、艾柱の形状、捻りの硬さ等の工夫をし、自身で試している。それは、なかなかに思う結果が得られない試行錯誤の繰り返しであるのだが、次第次第に、「こういう艾柱が良いだろう」というもののイメージが固まりつつある。その試行錯誤の一環として、上質艾による透熱灸も行なっている。これは、上質艾の方が自在に艾柱を作ることが出来るからであるし、また、目指すイメージが「粗悪艾で上質艾の様な透熱灸を!」ということであるから、であるが、粗悪艾での透熱灸を工夫しだしてから、上質艾での透熱灸が、ほとんど火傷をさせないで行える様になって来た。と...(加筆)粗悪艾の透熱灸(4)〜相互浸透的上達過程〜
現在、アメリカ大統領選の行方に興味津々である。理由は端的には、アメリカがまともになっていってくれないことには、日本もまともな方向に変わっていけないだろうなぁ、との思いがするからである。元大統領であるトランプの主張によれば、ディープステート(=グローバリスト?)がアメリカを自分たちの食い物にしていっての、現在のアメリカの衰退があるということである。そして、JFKJr、イーロンマスク等とともにその状態からアメリカ(国民)を救おうというのである。再び強いアメリカ、健康なアメリカを取り戻そうというのが彼等の主張である。そして、悲しいことに今の我が日本は、アメリカの植民地状態であり、自民党政権だろうが立憲民主党政権だろうが、アメリカ様の意向には逆らえないのであり、政権交代では日本の衰退には歯止めかからない、その大元...(加筆)明日のアメリカ大統領選挙開票に思う〜本治と標治〜
中山寺奥の院に登って2日が経った。今に至るも筋肉痛も、心配していた膝の痛みもない。どうやら一か八かの賭けに勝ったようである。11月4日、文化の日(体育の日がスポーツの日ならカルチャーの日じゃないのと思うけれども^^;)に、中山寺奥の院まで往復4kmを1時間余りで登って、降りてを行った。これは二重の試し、今春より始めたか<股関節重心>の正否の試しであり、自身の人間体(力)の試しでもあった。6年前に裸足での10kmのランニングで膝を痛めて以来、運動直後には膝にハリ、軽い痛みがあり、そんな状態を繰り返して日々運動を重ねていくと、1ヶ月ほどで膝がパンクして、また1ヶ月ほどはまともに運動できない(に加えて、膝をかばっての運動が坐骨神経痛等へとつながっていくような)状態が続いていた。そんな6年間であったので<股関節重...奥の院登山〜二重の試しとしての〜
残念ながら、選挙演説は聞けなかったのだが、マスゴミによる人格否定的な批判報道から一転、集まる聴衆の熱気に、民意を得てたなあ、と。同時に、日本国民は怒っている、現在の衰退化している日本を変えてくれる政治家を求めているのだと、きっかけさえあれば日本も劇的に変わる可能性があるのだと、思わされた。それにしてもアメリカ大統領選挙の行方が気になる。斎藤元彦元知事に思う〜国民の政治への怒り・日本の行方〜
昨日、中山寺奥之院への山道往復4km、時間にして1時間余の鍛錬に、「股関節重心」ということの効果実感するとともに、実践的に学ぶことの大事性、痛感している。昨日の鍛錬、約1年ぶりの本格的な山道での鍛錬であった。週に数回は毎朝1時間余の甲山での山歩きから走るの鍛錬を5月より続けているのであるが、山の険しさと時間の長さが段違い(実質倍くらい)であり、膝が壊れるのではとの怖さがある一方、朝の山鍛錬を始めて6ヶ月余であるから、もう準備運動からの本格的なものを一度との思いからの昨日の中山寺奥之院への登山であった。結果として、今朝の至るも筋肉痛一つ無くであり、その実践が自身のアタマの働きを強烈に活性化してくれている。これは、自身の東洋医学の学びが自身を実験体としての実践的学びであるからこその、と思えている。逆からいえば...中山寺奥之院登山〜その二重性〜
(加筆)「思索への示唆」を読む(補)〜個体発生は系統発生をくり返す、の実際〜
「思索への示唆」(ナイチンゲール)を読むと、『形而上学』(アリストテレス)の説き方が想起される、合わせて読むことで何かが見えてくるのでは、との思いから『形而上学』に目を通した。アリストテレスもまたナイチンゲールと同じ労苦を味わっているのだと思えた。『形而上学』を読んでいただければ、そこにはアリストテレスが分からないことを分かっていこうと、対象の構造に分け入ろうと(これが、概念規定を行うということなのだろうか?)必死の努力を為していることが見て取れる。(と自身には思える)具体的には、『形而上学』をお読みいただければと思うが、例えば以下である。「(1)知恵とは、ある種の学的認識であるとする場合、それは単一の学としてあるとなすべきか。それとも、それは単一ではなく多くの学としてあるとなすべきであろうか。──という...(加筆)「思索への示唆」を読む(補)〜個体発生は系統発生をくり返す、の実際〜
「人間は何を食べるべきか?」ということを<生命の歴史>から説こうと書き始めた。「書くことは考えることである」との金言、まさにその通りなのだ!と自身の実力不足とともに痛感させられている。「人間は何を食べるべきか?」ということは、幼い頃から自身の興味の対象であり、それゆえ長年にわたって考え続けてきたことでもあるから、かつ、そのことの整えによっての、現実の効果・成果(膝や腰の古傷の痛みが消えたり、山鍛錬やバドミントン等のそれなりに強烈な運動がしっかりできていたり......)が実感できているだけに.....また、<生命の歴史>についても、十数年以上の学びとその実践(食の整え、運動の整え、哲学の学び、手技療法術・鍼灸の学び等々を、<個体発生は系統発生を繰り返す>として行ってきて、そこにそれなりの現実の成果を実感出...書くことは考えることである〜その実践は思弁への最初の一歩〜
中山寺奥之院へ登った。(約2kmの山道を登り40分余、降り30分余で、であった。)目的は二つ。一つは足腰の鍛錬、もう一つは「股関節重心」の9ヶ月余の訓練の成果の確認。(去年の今頃、まだ「股関節重心」の訓練を始める前にも登っているので、それとの比較)今のところ、膝は無事、明日には成否が、と。中山寺奥之院へ〜「股関節重心」の試し〜
(加筆)カルシトニンとパラソルモン(2増補)〜生命の歴史に尋ねることの意義〜
17/11/1106:08カルシトニンとパラソルモンについて、その区別と連関を分かるには、生命の歴史に尋ねることが必須である(少なくとも自身にとっては)と思える。カルシトニンとパラソルモンは、同じく骨と血中のカルシウムに関わるホルモンであり、かつ一方が血中→骨へ他方が骨→血中へとカルシウムを移動させるという正反対の働きを行なっている。また、教科書、参考書によってその記述が異なっており、骨の再吸収の抑制と促進とされていたり、血中カルシウム濃度を下げると上げるとされていたりするので、これらは要するに同じことを違ったスポットライトの当てかたで説いているだけなのであるが、カルシトニンとパラソルモンについての理解が不十分であった自身にとってはとても理解の難しいものであった。その結果、じゃあそもそもカルシトニンとパラ...(加筆)カルシトニンとパラソルモン(2増補)〜生命の歴史に尋ねることの意義〜
(加筆)クロード・ベルナールとウォルター・キャノン(再録)〜四択問題的アタマの働かせかたは薄い像を創る〜
19/09/2017:08四択問題的=クイズ的アタマの働かせかたかたの功罪について。昨日の鍼灸国試模擬試験で、以下の問題が出題された。問題80ウォルター・キャノンが提唱した学説はどれか。1.内部環境の恒常性2.ホメオスターシス3.内因性鎮痛機構4.レイリー現象この問題、四択問題的には「内部環境の恒常性〜クロード・ベルナール」「ホメオスターシス〜ウォルター・キャノン」と覚えておけば良いし、内部環境の恒常性とホメオスターシスの違いとして、「内部環境の恒常性→ホメオスターシス」とでも覚えておけば正解できる。それゆえ、「内部環境の恒常性〜クロード・ベルナール→ホメオスターシス〜ウォルター・キャノン」と何度か呪文を唱えて、お終い。となる、なってしまうのが通常であると思う。しかしながら、クロード・ベルナールやウォルタ...(加筆)クロード・ベルナールとウォルター・キャノン(再録)〜四択問題的アタマの働かせかたは薄い像を創る〜
観見「見ト云ハ、目許ニテ見ル事也。観ト云ハ、心ニテ観ル観智ノ事也。」(二刀一流極意条々)宮本武蔵は、感覚的現実の世界と観念の世界の二重性が世界にはある、(それゆえ世界は二重性で見るべきだ)ということに気づいていたのだ、と思える。それは武蔵の雅号「二天」というのにも見てとれるし、冒頭の「観見」という、見ることの二重性の捉え方にも見て取れる。世上、「二天」というのは武蔵の二刀流からの、と言われるけれども、確かにそういう面はあるだろうけれども、武蔵にとっては、世界は二重ものとして見えていたのだ、そういう頭の働きを武蔵は創出し得ていたのだ、それゆえの雅号「二天」と思える。例えば、弁証法の学びにおいて、「まずは世界を二重性で、そして弁証法性で、その上で二重性と弁証法性で」と言われるが、全てを二重性で見ていくと、その...宮本武蔵の見ていた世界〜世界の二重性〜
コメント名を変更します。理由は端的には、日常語で言えば気分転換です。(詳細には、いずれ)以降、コメント欄には「伏龍」ではなしに「二天」でコメントします。よろしくお願いします。コメント名の変更〜新たな酒は〜
(加筆)8時間食事術はなぜ効果があるのか〜生命のリズム(周期)に合わせて生きることの大事性〜
20/07/1910:268時間食事術を実践してみることで、身体の周期に合わせての食の(それゆえ運動の)大事性を実感した。6月の終わりより、8時間食事術(1日24時間のうちの8時間に食事を摂り後の16時間は基本的に何も食べない=断食=胃腸を休めるという食の摂り方)を行なっている。これまで断食を何度か行なったことがあるのだが、そのメリット(体調の良さ、増えすぎた体重の減少等)は実感するものの、そのデメリット(断食中は通常の運動が出来ない、短い期間に、例えば毎週末に何度も繰り返すと体重の減少とともに窶れる)が気になり、このところ行なっていなかったのであるが、8時間食事術を知り、これならば断食(自身の行なっていたのは48時間の断食)のデメリットも無いのでは、との思いとなって早速に行なってみた。(断食について、断...(加筆)8時間食事術はなぜ効果があるのか〜生命のリズム(周期)に合わせて生きることの大事性〜
人間は、それゆえ我々は「何を食べるべきか?」結論的には、それを知るには「生命の歴史」に尋ねるしかないのであるが、何回かに分けて、自身の食に関わる認識の深まりとともに、そこを説いてみたい。「どのような食を摂るのか?、摂るべきなのか?」ということは、「どのような運動(姿勢をも含めて)をするのか?するべきなのか?」という事とともに、本能を失っていってしまっている。それゆえ自然に任せては、自身の欲求に従って行動していては、正常(=健康な状態)を保てない我々人間にとっては、大問題である、であるはずである。にもかかわらず、現代の日本(人)においては、それを知る人がまれである。まして、それを実践している人は......。これは、病気の、それゆえ健康の(少なくとも、病気になっていかないという意味での)専門家であるはずの医...「人間は何を食べるべきか?」〜予告編〜
ペンクリニックでペンの調整をしてもらって、どの世界も同じなのだなあと、治療ということの持つ二重性が想起された。先週のペンクリニックでインクローを調整してもらった万年筆、その場ではいいかと思ったが、何度か書いているうちに書きづいと思うようになっていたもの(インクフローが少なくなりすぎていて、早く書くとインク切れする。それゆえに本日、再度の調整を思っていた)が、現在少し改善してきている。これは鍛造のペン先であるがゆえに、その靭性の高さから、自ら修正したのが理由であると思える。昔の本物の万年筆は生き物なのだなあと......。このペンクリニックの出来事から、手技の施術も全く同じことなんだよなあ、との思いがする。どういうことかといえば、今回のペンクリニックでインクフローを絞ってもらった万年筆は、「何の不満もないの...治療の難しさについて〜治療すべき時を知ること〜
寒さの中での山鍛錬に、喘息とは東洋医学的に何か?どういうことなのか?というイメージがアバウトながら描けたとの思いがある。今朝(数日前の急に冷え込んだ朝)の気温12度、この数日で朝の気温が10度近くも下がっており、いよいよ10度を切るのも間近か!?と、自身の喘息の誘発要因が、冷え(特に冷たい空気を呼吸すること)であるので、戦戦恐恐の思いでの、今朝の山鍛錬への出発であった。最初のうちは、喘息発作とまでは行かぬものの、やや息苦しい感があり、慎重にペースを上げていってであったが、30分過ぎたあたりで体も温まってきて(今朝は今季初めての冷え・寒さを感じていた)、速歩き状態から軽く走るレベルへとペースを上げていったのだけれども、息苦しさが増すこともなく、逆に徐々に呼吸が楽になっていき、後半の40分ほどは呼吸もすっかり...喘息の病態について東洋医学的にの
(加筆)虚実とは何か・補瀉とは何か〜観念論的一般論から如何に学ぶか〜
17/05/0907:59このところ、自身の個人的な雑事に振り回されている感がある。次から次へといい加減にして欲しい、との思いになっていかないでもない。しかしながら……である。「生命の歴史」「人類の歴史」に自身の生きる指針を尋ねるならば、生命体も人類も、順風満帆の時には進化していない。環境の激変から逃げ出さず(逃げ出せず?)、(比喩的にいえば)頑張って、頑張って、頑張り抜いた生命体、人類だけが進化・発展を持てたのだ、ということである。『モンテクリスト伯』(アレクサンドル・デュマ)の司教の言葉に、「(司教の牢獄での偉大な業績に、その素晴らしいアタマの働きに、「牢獄になど繋がれていなければ、どれほどのことがお出来になったでしょう!!」と司教を賛嘆するダンテスに対して)牢獄に繋がれていなければ、私のアタマは日常...(加筆)虚実とは何か・補瀉とは何か〜観念論的一般論から如何に学ぶか〜
(加筆)鍼の刺入は如何にあるべきか~<刺す>と<刺入>の区別と連関~
15/05/2618:00このところの朝夜のブログ更新で文字変換がもたつくのは何故か?おそらくネット回線混雑の故にとは思えるが、パソコン自体の処理速度が改善されるならば朝夜の文字変換速度も少しはましになるのではとあれこれ試したけれどもたいして変わりませんでした。ところが今朝ふと閃いて、キーボードを打つ速度を文字変換の速度に合わせるイメージで打ってやると、文字変換のもたつきがほとんど無くなり、ゆっくり打っているのに逆に全体としての原稿を入力する速度は速くなり、文字変換のもたつきによるストレスもほぼ感じ無くなりました。キーボードを打つことすらが、パソコンという相手に合わせてやることが必要なのだと、対象の構造に見合った働きかけの大事性痛感させられました。さて、今日は「鍼の刺入は如何にあるべきか?」です。先日、同...(加筆)鍼の刺入は如何にあるべきか~<刺す>と<刺入>の区別と連関~
24/11/0305:44卒業一次試験の結果に、統計学の効用を実感する。今夜、先日の卒業一次試験の結果が発表された。自身の予想通りの結果(70〜80%と予想したのに対して81%の得点であったので、統計学的には誤差の範囲内で予想的中かと......)であった。自身の試験勉強は、試験勉強の時間をそれほどに取れないということもあって、過去10年の国試過去問とその理解(とその範囲での必要事項の暗記)であった、鍼灸学校で学んだ全体からすれば、でしかなかった。では、何故にそれで十分、以上の得点となったのか?といえば、偏に統計学の学びの成果、国試と卒試を統計学的に捉えての範囲をしぼっての試験勉強であったから、と思える。どういうことかといえば、国試の過去問題というものは、一年分だけならば、鍼灸学校の教科書全範囲からランダ...(加筆)卒業一次試験の結果(増補)〜統計学の効用〜
万年筆のインクフローについて。道具は対象の構造に見合ったものを、とその大事性痛感する。先日、ペンクリニックでインクフローを絞ってもらった万年筆。単独で試し書きする分には問題なしであったのだが、そして当初は、何の問題もなく書けていたのであるが、ブログ原稿を書くことが興に乗ってきて、次から次へと原稿を書くようになってくると、運筆速度が早くなってきて(これは、アタマの中の像が次から次へと浮かんでは消えするからの、さっさと書かないことにはその像が消えてしまうからの、早く書くとなっていったのであると思える。)インクフローを絞った結果、書いている時にインク切れを起こしてしまい、何とも書きづらい。万年筆になってしまった。これは例えば、変な例えではあるが、居合刀が刀単独としては2尺3寸5分あたりが良くても、実際に勝負の場...万年筆のインクフローに思う。道具の選び方
24/10/2214:44正常な股関節臼蓋形成不全の股関節股関節臼蓋形成不全の患者がいるので、少し学んだ。イメージ的には、臼蓋が少し浅い、小さいということ。また、一番良くないのは脱臼方向(前方、上方)へと負荷をかけること。(つまり、骨盤後傾の膝重心)それまで自身の不勉強で、股関節臼蓋形成不全に対しての股関節重心は、股関節に負荷がかかるかもしれない、と指導を躊躇われていたのだが、逆に、股関節重心にしたほうが、股関節臼蓋形成不全に対しては負荷が軽減されること予想された。実際に、股関節臼蓋形成不全の患者に対して「股関節重心」の指導をしたところ、ひつこく訴えていた股関節痛が止まっている。対象の構造に分け入っての実践、施術、指導の大事性痛感する。(画像追加)股関節臼蓋形成不全と股関節重心〜知は力〜
(20/06/1208:35)神経痛がなかなかに治らないままに来ている。食の見直しが必要なのでは無いのか、との思う。5月下旬ごろに出だした臀部から下肢外側、経絡で言えば胆経の神経痛。運動、自身での施術(指圧、吸玉、灸)を行うものの、一時的には軽減することはあっても、例えば、海での運動、河原の砂利の上の歩きを行なっている間は嘘の様に痛みが無い、僅かの痛み、突っ張り感も運動して行くのに従って、次第次第に消えていく。にも関わらず、神経痛としては治りきることなく、である。これには二つ理由が考えられる。一つは、一度スタートした病は、その病としての正規分布(今回のコロナに関わって繰り返し見せられて来た山形のグラフ)を辿って、成熟しなければ、回復して行くことは無い、ということ?あるいは、そもそもの自身の対処法、施術が誤...(加筆)食と神経痛〜実体と機能〜
(20/08/0808:19)木登りからの枝にぶら下がっての運動行った。サル類の運動が脳の発達を促すということの中身の一つがアバウトにイメージ出来た、と思える。梅雨が明けて、海での鍛錬、河原での鍛錬がしっかりと行えるような日々が続いている。それゆえに、このところの海での鍛錬と併せてで、カイメン類→クラゲ類→魚類→(両生類)→哺乳類→サル類という生命体の進化を運動体として辿ることのミニマムな形でのほんの一コマであるが、実感出来た、と思える。サル類の、四足哺乳類がサル類へとなって行く運動というものは、それまでの変化の連続だけでは無しに、同じ動きをしっかりと力を込め続ける事で行う必要性がある、これは自身で、登り難い木に登って見れば......。このことが、アタマの中の変化する像を止める実力を培ってくれるのでは、...(加筆)大地から樹上へ〜四足哺乳類の運動とサル類の運動〜
ブログ再開後3週間近くが過ぎた。「書くことは考えること」という金言の実践の大事性、実感する。10月の14日のスポーツの日(旧体育の日)に思いついて再開したブログ。当初は、なかなかに筆が進まず、鍼灸学校当時のように、毎日の様にの更新は厳しいだろうな。との思いがあった。それでも軌道に乗るまでは、当初の1ヶ月くらいは、石に齧り付いても!との思いで続けていたのであるが、3週間近く経って、ようやくにブログ更新が普通のこととなってきている。それでも鍼灸学校当時の過去のブログ記事を読み返すと、すごいなあ!よく考えて書いているなあ!と我がことながら感心させられる。(自画自賛🙏)それは当時の状況を考えてみると尚更にである。さて、そのブログ原稿を書く中で、「書くことは考えることである」との金言は、そこで言われ...ブログを書くということ〜始まりは全ての半分〜
(15/11/2821:17)今日の夕食。日本人の身体は日本の伝統的な食によって創られるべきである。ということの実践。雑穀入り玄米、ブリあらを使った粕汁、糠漬け、柿【日本の伝統食ということは良いのであるが、人類の食の一般性(植物性雑食+動物性雑食)という捉え方がなされていないがゆえに、また事実としての「日本の伝統食」ということの学びも浅いので、表面的なものになっていると思える。何事も最初はそんなもの、とは思うが。】今日の夕食~日本人の食は如何にあるべきか~
(17/10/2314:00)「虔脩感應丸」(廣寛堂)を試した。その効果は「救心」を穏やかにしたもの、その分長く効くと思えた。「虔脩感應丸」は「救心」と同じく強心薬として発売されているが、試してみると「救心よりも穏やかな効きめで、「?」と思うほどにハイになるでもなく、なおかつしっかりと効いてくれる。かつ、その効果が長く持続する(これは一回量が多いゆえかと思うが)上に、効きめ自体が穏やかなゆえか薬が切れた時の感覚もいきなり切れるでは無く徐々にといった感覚であった。「救心」との一番の違いは「蟾酥」(救心)と「麝香」(虔脩感應丸)の違いであろうか?自身には心臓の病も無く単に体調を回復させてくれるという効果で充分であるので、「虔脩感應丸」の方が望ましいと思えるが、「麝香」が高価なゆえか、やや高価なのが難である。(...(加筆)「虔脩感應丸」を試す〜大人用樋屋奇応丸?〜
赤ちゃんから幼児期にかけてのオンブにダッコの意義。小さい子供は、ダッコされることが好きであるけれど、それを抱き癖がつくと否定する意見もある。逆に、ダッコされて育った子は情操豊かに育つとダッコを推奨する考え方もある。どちらにもそれなりの根拠があるようであるが、本当はどちらが正しいのだろうか?そのことを違う観点から考えてみたい、「生命の歴史」にダッコの意味・意義を尋ねれば、四足の動物が木に登れる様になっていっての樹上生活から、木から降りていくという過程(木登り→樹上生活→木降り)の繰り返し、であると捉え返すことが出来る、と思う。その様に捉え返すと、幼少期にオンブやダッコをされずに育った人は、情操面だけではなしに、自身の専門で言えば、股関節の硬さ可動域の狭さ、体幹の、上肢・下肢の力の無さ......等々ではなし...オンブにダッコ〜樹上生活の繰り返しとしての〜
(加筆)河原での全力疾走・試験勉強とともに〜創ると使うということ〜
17/11/1408:00河原の石の上を走りながらの試験勉強をおこなった。人間は二つのことを同時に強烈には行い難いもの、ということ痛感された。昨日は自身の住む地域では早朝の気温が0度と冬の到来を実感させてくれる寒さであった、にも関わらず日中の気温は20度近くまで上がって、どうにか河原での足裏鍛練が可能であった。それゆえ、もしかしたら今年最後の、かもしれないとの思いから河原の石の上での足裏鍛練を行なった、とともに次の日曜日に迫った卒業試験勉強もしなければ、との大きな矛盾があった。そこで当初は、河原の石の上を全力疾走したら、歩きながら国試過去問集を解く、見直すを行なった。それをくり返すうちに歩くから速足へ、速足からゆっくりと走る、小走りでの走る、走る、跳ぶように走る、全力疾走と次第次第に走るをレベルアップして...(加筆)河原での全力疾走・試験勉強とともに〜創ると使うということ〜
「骨盤前傾」をどこの筋を使って行うべきか。「股関節重心」ということを行う上で、「骨盤前傾」ということは大事な(チェック)ポイントである。しかしながら、大抵の人は、これを腰背部や臀部の筋を使ってやってしまう。そうではなくて骨盤内の筋肉(昔の言い方をすれば「丹田」)で、例えば腸腰筋を意識して、との指導を行うものの、ほぼ100%の人が当初は出来ない、かつ(それゆえ?)ほとんどの人が最初のうちは腰痛(腰の筋肉痛)を訴えることとなる。当初は、これは骨盤内の筋肉、深層筋を通常は意識して使うことが無いから、ととらえていたが、もしかしたら、両者の筋としての違いも、骨盤内の筋を使っての「骨盤前傾」ということを難しくしているのかもしれない、との気づきがあった。どういうことかといえば、骨盤内の筋肉というものは、深層筋というもの...「股関節重心」の肝〜骨盤前傾を如何に保つか〜
コロナ以降、陰謀論と言われるものの大部分が(特に政府、資本家、マスコミ、御用学者......等々、社会や文化に対するものが)、決してウソやデマの類では無く、本当のことであるということが明らかになって来てしまっている。要するに、支配階級が自分達に都合の悪いことを、陰謀論としての、プロパガンダでしか無いのだということが。そういった諸々のことを、けしからん!いい加減にしろ!と非難するだけでなく、それらの構造を理論的に明らかにしてくれているのが、三浦つとむの諸々の著作である。今、再び求められる書との思いがする。三浦つとむの著作に学ぶ〜陰謀論と言われるものの構造〜
(24/11/0114:16)経絡経穴の暗唱を終点から始点へと逆に行なった。経穴の知識から具体像への転換の必要性痛感する。取穴実技の試験で、督脈(腰陽関〜大椎)、任脈(曲骨〜天突)の取穴部位を即答。という問題の出題を予告されている。イメージとしては、「臍の上2寸は?」「下脘!」「胸椎10下は?」「中枢!」であるが、これまで経絡の流れ、始点→終点という形で暗唱を行なっているので、督脈は棘突起下という形で覚えているのでなんとかなるものの、任脈の中極〜陰交、水分〜巨闕はなんの指標も無いので、逆に終点→始点の方向で問われると、「臍の下2寸は?」と問われると即答出来ない。現実があった。それでは不味いということで、任脈(と督脈)の経穴を終点→始点という形で暗唱した。時間にして30分ほどかかったけれども、任脈、督脈を逆...(加筆)経絡経穴の暗唱・逆〜知識から具体像へ〜
「股関節重心」という気づきは施術を大きく変える〜本治、標治の問題〜
「股関節重心」ということの大事性、意義に気づいてからの、自身の施術は大きく変わった。施術の目的が、コリやハリを解す(標治)から「股関節重心」を取らせる、取れるように解す施術へ(本治)へより具体的には、それまでは全身の左右のコリ・ハリ等の歪みに着目していたものが、それよりは「股関節重心」を取り難くしている、あるいは「骨盤後傾」故のコリ・ハリに着目しての、いわば前後の歪みに着目しての施術へと。標治、本治ということは、実に施術の事実の問題ではなしに、認識の問題であると思える。また、事物の本質を掴めないと、何事も本当には分からないものだとも実感する。(見出し画像は、昼食お弁当のおかずの一つ。地球丸ごと、日本の伝統食を意識しての、である。)「股関節重心」という気づきは施術を大きく変える〜本治、標治の問題〜
(加筆)どうしてダイエットはリバウンドするのか?〜痩せるの二重構造〜
(20/05/0510:33)ダイエットはとりあえずは痩せれても、リバウンドすることが多い、難しいことと言われる。それは何故かと考えると、痩せるということにも実体と現象があるからだ、と思える。痩せる太るは、食物として摂取するエネルギーと運動で消費されるエネルギーとの差の結果であり、摂取するエネルギーが消費するエネルギーよりも多ければ太る、少なければ痩せる、とされている。それ故、食べる量を減らして運動量を増やせば当然痩せる、とされている。ところが、現実を見渡してみると、食べても太らない、逆に食べなくても太る、あるいは運動しても痩せない、逆に運動しなくても痩せる、という例がある。こういった場合に、本当は食べているから、とか運動が足りないとか、という結論を出して......終わる場合がほとんどである。また、ダイ...(加筆)どうしてダイエットはリバウンドするのか?〜痩せるの二重構造〜
常々画像無しのブログ記事は殺風景との思いがあった。加筆とともに見出し画像の無いブログ記事には、画像つけていく予定である。見出し画像について
山鍛錬は頭脳活動を活性化する(3/3)〜逍遥学派についての誤解〜
逍遥学派について辞書やネット検索では、アリストテレスが逍遥(散歩そぞろ歩き)しながら、リュケイオンで講義や議論・討論を行ったことからの名称。とある。また、その意義について「歩くことは脳に刺激を与えるから良いのだ!」とするものもある。しかしながら、さはさりながら、言われること、書かれていることは間違いないとは思わないが、(古代ギリシャであるリュケイオンでの)歩くことが、頭脳活動を活性化するということは、そのような浅い捉え返しでいいのだろうか?と思う。これは単に思う。ではなしに自身の山鍛錬からの歩くということの実践からの、思うである。このことについて、大学の先生を含めての、ほとんどの人に大きな誤解があると思える。それは何かといえば、アリストテレス(やソクラテス、プラトン等)の古代ギリシャの哲学者は現代のほとん...山鍛錬は頭脳活動を活性化する(3/3)〜逍遥学派についての誤解〜
17/11/2314:17沢庵漬けを準備した、その意義。人間は、人間に至る生命の歴史を丸ごと食べなければならない、かつその原点と原点に近いものほど優先して摂取すべき。と神庭純子先生がどこかで説かれていた、と思うがその実践の一つとして、発酵食品(漬物、味噌、納豆、ヨーグルトetc)を日常的に意識して摂取している。野菜の栄養素もあわせて摂取するには通常のぬか漬けの方が、と思うが来春までは何かと多忙が予想されるので、今年は忙しいから中止しようかと思っていた沢庵漬けを準備した。沢庵漬けは年に一回なので、なかなかレベルアップしていかない。今年は、新たに柚子と昆布、唐辛子を多めに入れて準備した。後は数ヶ月待つだけ。【食については、「生命の歴史を丸ごと」という一般論レベルから、「サルの食=植物性雑食」+「動物性雑食」が...(加筆)沢庵漬け〜単細胞段階の生命体の摂取のための食〜
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