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2015/05/04

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  • (討論)海でのほぐし〜坐骨神経痛の治療〜

    コロナ休暇中に出た坐骨神経痛、に対して海でのほぐし行った。一筋縄では行かない、と。昨日は、コロナ休暇中に突然出た坐骨神経痛の治療として、海でのほぐし、40分×3の海中での運動を行った。運動を行なっている間は、徐々に痛み違和感が和らぎ、海での約三時間が経過した時点では、治った!?とも思えた。帰宅中のクルマの中では、強烈な睡魔に襲われ、帰宅後横になっていると、今度は、首、肩、腕の付け根に強烈な神経痛的な違和感を感じ、であったので、随分とほぐされている、明日には坐骨神経痛が軽減して......と思ったのであるが、今朝目覚めて見ると、今のところ大して変わりない状態である。なかなかに一筋縄では行かない、と思える。治療して寛解まで持っていき、そのプロセスをしっかりと書きたい、と思う。【この坐骨神経、結局は、食の整えと...(討論)海でのほぐし〜坐骨神経痛の治療〜

  • 「股関節重心 + 骨盤前傾」姿勢の効用〜それは神経統括のあり方、気の流れを大きく変える〜

    「股関節重心+骨盤前傾」姿勢(以後、「股関節重心+骨盤前傾」と略して記述する)の意義について、それは全身レベルでの神経統括のあり方までも変えるのでは?と思える。今春、「「股関節重心+骨盤前傾」」ということを知り、何故か、「これだ!」との(一目惚れ的な)思いとなって、そこに<生命の歴史>を重ね、現在まで、実践し続けている。まず、「膝の痛み」(7年前に傷めて以来の)が消え、夏頃には(コロナ以降、再発していた)「喘息」が消え、「耳鳴り」が消え」、「肩こり」や「右手指の血行不良」、「足の魚の目」が消えと、様々な不調・病が治っていってという自身の事実を持つ現在である。また、「「股関節重心+骨盤前傾」」と対比される「膝重心+骨盤後傾」姿勢(以後、「膝重心+骨盤後傾」と略する)が、8割方の、ほとんどの日本人の立ち方であ...「股関節重心+骨盤前傾」姿勢の効用〜それは神経統括のあり方、気の流れを大きく変える〜

  • 東洋医学・鍼灸を如何に論じるか?〜宮田和宏氏にそのココロを学ぶ〜

    宮田和宏氏の著作、『新編真訳五輪書−兵法二天一流真諦−』(文芸社)を読み返すと、古典の学び、観念論的理論体系の学びはかくあるべし、の見本、お手本と思える。自身でも、古典や観念論的理論体系を学ぶのに、その時代性ゆえの、観念論的ゆえの足らざるを批判して、「これはダメだなあ」としてしまうのでは無しに、「その足らざるを補って!」で無ければとの思いはあったのだけれども、宮田和宏氏の著作を読むと、自身のはまだ不足であった、単なる知識であった、との反省の念がわき起こる。端的には、相手に対しての敬慕の念が欠けている、と。自身で言えば、アリストテレスに学ぶ時のが如くの、謙虚さと敬慕の念を持っての、東洋医学・鍼灸の学び、論じるで無ければ、と思う。新たな気持ちで!と思う。東洋医学・鍼灸を如何に論じるか?〜宮田和宏氏にそのココロを学ぶ〜

  • ドイツ・クリスマスマーケット〜ゲルマン文化の世界〜

    SPARKLEFANTASY〜くるみ割り人形の世界〜|UMEDASKYBUILDINGChristmas2024|イベント情報|梅田スカイビル・空中庭園展望台国内初・国内最大級のLEDマッピングツリーなど、ワンダースクエアXmas情報をご紹介します。【公式】梅田スカイビル・空中庭園展望台年末の風物詩、今年はやるんだなあ。行こうかな。ドイツ・クリスマスマーケット〜ゲルマン文化の世界〜

  • 巳年に思うこと〜来年は脱皮・成長の年〜

    先日の書道教室で師から巳=蛇は縁起の良い生き物と教えていただいた。認識は問いかけ的反映なのだということ改めて、実感される。師が言われるには、巳=蛇は脱皮を繰り返して成長していく、それを人の生き様になぞらえて、巳年は成長の年、縁起の良い年、と。自身の蛇のイメージが気持ち悪い、というものであったのが、その師の言葉で180度変わって、好ましいものへと変わった。人間の認識は、問いかけ的反映なのだ、問いかけが反映を決めてくるのだ、と再認識させられた、それとともに、一般教養の大事性、必要性も痛感された。何事も、背後の認識が分からなければ、そのものの意味が分からないのだから。例えば、巳年ということがそうであったように、古の武士が「蜻蛉」を好んだということにも視える様に......それだけに、知識だけで物事を考えるという...巳年に思うこと〜来年は脱皮・成長の年〜

  • 今日いち-2024年11月30日

    (急須で淹れた)お茶。画像は釜炒り茶。近頃、お茶が好き=ペットボトルの、だという人が増えていると知ると世の中変わったなあ......と。やってみれば簡単、味と香りも別物なので、ぜひ急須で今日いち-2024年11月30日

  • 書は線の芸術〜その実際を師の作品に見る〜

    作品展で、師の作品を見た。その筆力に、「凄まじいなあ!」と、ただただ感心してしまった。本日、自身の書道の師が作品展に出品されていると聞き、昼休みを利用して見に行った。常には自身の作品を褒める、誇るということのない師が、珍しく「あの「年」の縦棒の「グッグッグー」という力強さはよくかけた。年齢的に今後二度と描けないかもしれないとも思うので、手元に残しておこうかとも思っている。」と自身の作品を褒めて、是非見ておいてほしいと言われたからの、昼休みの練習を休んでの、であった。いつも、市の分泌出力は達人レベルとの思いがあったのだが、その本当の力量を初めて知った......と。自身もしっかりと精進していきたい!と、魂に火をつけていただいた、思いがする。書は線の芸術〜その実際を師の作品に見る〜

  • (討論)Iさんへの施術〜交通事故からの首、肩部のコリと痛み〜

    Iさんへの施術行った。喜んでいただくのは嬉しいが、過ぎると逆にプレッシャーに感じられる。Iさん、70代女性、主訴は首、肩のコリと痛み、当初は首が回らないとの訴えがあった。(20年ほど前に2度の交通事故があった......)片道数時間の車での移動を月に一回くらい行うので、それが首、肩のコリと痛みの原因だと思う、とのことであった。仰臥位で首の触診を行うと、頚椎の歪があると思われる箇所がある。ので、それが首、肩のコリと痛みの原因である、との予想のもとに施術を行なっている。昨日で3度目の施術であるが、毎回、気持ち良かった、楽になった、と大喜びで帰って行かれる。(来院時も前回の施術で随分と楽になっている、と言われる)しかしながら、実際に頚椎の歪と思われる個所がある以上、手技療法で完治は、年齢的にも、相当に困難である...(討論)Iさんへの施術〜交通事故からの首、肩部のコリと痛み〜

  • 『新編真訳 五輪書−兵法二天一流真諦−』を読む〜観念論を如何に学ぶか〜

    『新編真訳五輪書−兵法二天一流真諦−』(宮田和宏著文芸社)を読み返している。「観念論的体系を唯物論的体系として完成的に学ぶとは」、の見本ともなる書と思える。自身の東洋医学・鍼灸の学びも、かくの如くの書として残せれば、と。東洋医学・鍼灸に関わる皆さんにも、ぜひとも一読いただきたい書である。『新編真訳五輪書−兵法二天一流真諦−』を読む〜観念論を如何に学ぶか〜

  • バドミントン教室の学び〜アタマの中の映像の変化・発展を視る〜

    バドミントン教室でオーバーハンドストロークの打ち方(ラケットの握り方)の指導をいただいた。技の学びには、認識のキャッチボールによる発展ということが必須である、とその大事性痛感された。昨夜のバドミントン教室。始まる前の自習時間に、コーチにオーバーハンドストロークの打ち方を、ラケットの持ち方・握り方の問題として質問し、教えていただいた。具体的なやり取りは以下である。(初心者に対してオーバーハンドストロークを、「前腕を回外させて振り上げて(正面に対してラケット面は横向き)、回内させて振り下ろす(ラケット面は正面を向く)、肘を支点として、手首を使わず......」とコーチが指導していたという場面で)二天「親指・人差し指の位置、形はどう持てばいいのでしょうか?」コーチ「親指も人差し指も軽く曲げて添えるだけ、ぎゅっと...バドミントン教室の学び〜アタマの中の映像の変化・発展を視る〜

  • 今日いち-2024年11月29日

    スパイスカレー。クミン、コリアンダー、クローブ、カルダモン、シナモン等のホールスパイスとニンニク、唐辛子をバターでテンパリングして、後はカレー粉、塩、玉ねぎの三つのバランスでスパイスは気を補う。今日いち-2024年11月29日

  • 脈診とは何か?〜プロローグ〜

    脈診とは何か?ということを、脈診をする鍼灸師のアタマの中の映像として説いてみたい。まず、最初に断って置かなければならないことは、自身では脈診は出来ないということである。ではなにゆえの、知りもしないことを説こうなどとむちゃくちゃなことを言いだしているのか?といえば、誰もそれを映像として説いてはくれないからである。どういうことかと言えば、昔昔、自身が鍼灸学校の生徒であったとき、脈診という、手首の脈を診るだけで、患者のどこがどう悪いのか?どこにどう鍼を打てば良いのか?が分かる神技があるのだと聞いて、ぜひとも修得したいもの、とあれこれ調べ、学ぼうとしたことがある。そこで、ある鍼灸師氏(自身では脈診が出来るとおっしゃる)に、脈診というのを絵として描いて見せてはもらえないか?とお願いしたことがある。その時に示されたの...脈診とは何か?〜プロローグ〜

  • 書道の学び〜そことのイメージを描いての実践の大事性〜

    「刀術の勝負とは、終には刀を振り上げ振り下ろすのみ」(宮本武蔵だったか千葉周作だったか?)ようやくに、書を描くということのイメージが出来上がりつつあると思える。自身の歩みの遅々たることに呆れてしまう。書道を始めて、早いもので来春には3年が経つ。現在の師の出会いは、当初は患者とリハビリの先生であったが、日展の招待券をいただいて師の作品を拝見し、その筆の冴に書道への憧れの気持ちが芽生えての、小学生以来の書道の学びの開始が一昨年の春であった。それ以来、毎回の書道教室で、師の達人技レベルの書の技を、実際にお手本を書くという形でも見せていただいての、毎回毎回の「凄いなあ!」との感動とともにの、3年近くの書道修業の日々であった。にもかかわらず、なかなかに上達しがたく、何度も「これが限界!?」「書道に向いていないのか?...書道の学び〜そことのイメージを描いての実践の大事性〜

  • (討論)看護学生の通学に思うこと~看護のアタマとココロ~

    通勤時にすれ違う看護学生達を見ると、今の看護学校では、彼女らに一体何を教えているのか?と暗澹たる気持ちにさせられる。毎朝の通勤時に、おそらく看護実習のために市民病院へと通う看護学生と思える制服を着た女性達の幾つかのグループとすれ違うのだが、ほとんどどのグループも歩道一杯に(二三人が横に並べば一杯になる狭い歩道である)広がって、楽しそうにおしゃべりしながらの通学?である。道一杯に広がっていて行き違えないのにもかかわらず、おしゃべりに夢中なのか行き違う人には気付かないが如くで、ぶつかりそうになってはじめてシブシブ道を開けるというのが常態である。彼女らとしては、厳しい看護実習の合間の楽しいひと時であろうし、天下の公道で自分達がどうして遠慮しなければならないのかとの認識があるのかもしれない。それ以前に、歩道一杯に...(討論)看護学生の通学に思うこと~看護のアタマとココロ~

  • 今日いち-2024年11月28日

    イワシのお刺身。新鮮なのが売ってれば、ぜひお刺身で。寒くなるとイワシ(等、青背の魚)は、脂が乗って美味しい、のみならず、この脂が類人猿の脳の発達を促して人類への道を歩ませたのだから......。今日いち-2024年11月28日

  • 風邪が治るとは如何なることなのか?〜現象と実体の二重性〜

    病院でクスリをもらっての風邪が治る、治ったは、本当に治っているのか?という素朴な疑問。現代日本で生活する大多数の日本人は、風邪をひけば病院へ行ってクスリをもらって飲んで、熱が下がったり咳が止まったりすれば、それで風邪が治ったとしている、と思っている。しかしながら、それは本当に治っている、治療する側からいえば治せているといって良いのだろうか?例えば、スコットランドで生活していた知人は、向こうのお医者様は、風邪で受診しても、クスリも出さないで「風邪だからゆっくり休んでください!」で終わりである、と言う。これは、スイス生活の長い知人からも同様の話を聞いたことがある。要するに、日本の風邪の治療というものは、決してグローバル・スタンダードでは無い。(もっとも、手元にある『暮らしの医学第81版(改訂第9版)』(大門出...風邪が治るとは如何なることなのか?〜現象と実体の二重性〜

  • クスリやワクチンについて〜特殊と一般〜

    自身のブログを読んで誤解されるかたもおられるだろうからの。自身では、クスリ漬け=現在の医療依存を良くないことのの思いがある。それは、ブログ記事を読んでいただければお分かりいただける、と思う。それに対しての、「では、お前は多くの人々のいのちを救ってきた、現在も救っている、クスリ・医療を否定するのか!?」との反論、批判、怒りの声が、当然にあると思う。それに対しては、そうでは無い。自身は、現在のクスリ漬け、医療依存を批判こそすれ.....と。要するに、一般的治療=食・運動・睡眠の整え無くしては、それら特殊的治療は本来の効果を持ち得ないのだ、対症療法にしかならないのだ、ということである。何故ならば、治っていくのも治らないのも、その患者自身であり、患者自身のカラダ以外には、治るということはどこにも無いからの、一般的...クスリやワクチンについて〜特殊と一般〜

  • 睡眠とは何か?(補2)〜予想される反問への答〜

    「睡眠とは、単細胞の時代の代謝が全てであったことの繰り返しである。またそれは、魚類の時代に、強烈な運動の対立物として、(いわば)強烈な代謝として誕生させられたもの」と述べると、「否、魚類以前のクラゲ体にだって、もっと単純な生命体にだって、睡眠はある。」との反論が当然にあるものと思う。しかしながら、これは当然といえば当然のことであって、例えば、魚類に至ってなんとなくふわふわと漂うレベルのクラゲ体の運動から強烈な運動が誕生した、させられた如くに、クラゲ体の起きているのか眠っているのかわからない、いわばなんとなく眠っている状態から、魚類に至って強烈な睡眠の誕生があったのだということである。これは、そもそもとして、単細胞にしても睡眠の原型というか、睡眠へとなっていくものは、あったのであり、無から有は生まれない(唯...睡眠とは何か?(補2)〜予想される反問への答〜

  • 今日いち-2024年11月27日

    中煎りゲシャ。焙煎後、一週間もすると香りが立ってくる。コーヒーの香りにも正規分布があるということに自分で焙煎してみると気づく。これは人に焙煎してもらって飲むばかりでは一生気づかないことと......。今日いち-2024年11月27日

  • (討論)睡眠不足と睡眠の量と質〜すべてを自身の学びの過程として〜

    夜間に鍼灸学校へ通いだしてから週に何日かは、まともな時間に寝ることも必要と思われるだけの睡眠時間をとることも難しくなっています。それだけに睡眠の量と質の大事性実感させられています。4月に鍼灸学校に通いだしてから、帰宅は午後11時半過ぎになってしまうので、毎日の就寝は大慌てで食事と入浴を済ませても12時を過ぎることになってしまっています。それだけに、休日の翌朝や、前日が雨等で昼間に仮眠を取れたときとの対比で、睡眠が不足する日が2〜3日続くと仕事に抜け落ちが出たり、ブログ原稿が書けなかったり、もちろん運動も十分な形では出来なくなってしまうのが、睡眠をしっかり取れた翌日は、身体もしっかり動き、アタマもしっかり働くという現実があるので、睡眠の大事性痛感させられています。また、睡眠時間=量を確保しようと、入浴をせず...(討論)睡眠不足と睡眠の量と質〜すべてを自身の学びの過程として〜

  • (討論)チョークの粉による喉の痛み〜人間の身体の不思議な働き〜

    起床までの喉の痛みが、起床とともに嘘のように治ってしまった。人間の身体は本当にうまくつくられているということ実感する。鍼灸学校が始まって1週間がたった。3年生の授業は新たな先生との出会いもあり、国試へ向けての緊張感もありで楽しいものなのであるが、席が一番前なので黒板を消すたびにチョークの粉が舞って、当初は喉が気持ち悪いくらいで済んでいたのであるが、それが毎日であるので昨日には咳があり、少し熱っぽいところまで、要するに風邪のひき始めのような状態になっていってしまった。(これは、連日の6時間睡眠も関係があるとは思える。新学年のもろもろのことに時間がとられ、昨日、新学年始まって以来、はじめて7時間睡眠がとれた)昨夜も喉の痛みを感じながらの睡眠で、それが起床時まで続いており、「まいったなあ〜」との思いで起床したと...(討論)チョークの粉による喉の痛み〜人間の身体の不思議な働き〜

  • 股関節重心〜そのアバウトなイメージ〜

    骨盤前傾+股関節重心のイメージ、なかなかに描いてもらえない。あれこれ考えていたが......部活やってる中高生の重いリュックを背負って、やや前傾して歩く姿が、一番自身のイメージに近い。その形で、骨盤前傾させて、膝ではなく股関節に重心を乗せて、を意識してもらえれば、と思う。いずれ説こうとは思っているが、膝の痛みが歩く、肩首の凝りが悩みという方は、とりあえずお試しを。(追記)骨盤前傾を腰部の力でやるとまず間違いなく腰痛起こすので、骨盤内の筋、脊柱前面の筋で引っ張るイメージで、昔風に言うと「丹田」に力を込めて。武術経験のある方ならば、騎馬立ちとか居合腰の腰=骨盤のイメージといえば良いのかもしれない。股関節重心〜そのアバウトなイメージ〜

  • (討論)体表指標、骨度法〜取穴の基礎〜

    骨度法と体表指標(解剖指標と思い込んでいたが、正確には)の見直し。重要と思われるもの、見落としていたもの。「骨度法」頸切痕〜胸骨体下端:9寸恥骨結合上縁〜膝蓋骨上縁:18寸脛骨内側顆下縁(陰陵泉)〜内果尖:13寸脛骨内側顆下縁〜膝蓋骨尖:2寸殿溝〜膝窩:14寸足指尖〜踵(足底):12寸「体表指標」第12胸椎棘突起:直立して両手を体側につけたとき、後正中線上で、肩甲骨下角とヤコビー線の中点の高さ【大事なことが抜けている。古代中国の一寸は、日本の一寸=3センチと違って、一寸=2センチ。それが分かって骨度法見ないとおかしなことになる。これは、他のところで説いた記憶があるけれど。】(討論)体表指標、骨度法〜取穴の基礎〜

  • 『魚食の人類史』〜魚食のすすめ〜

    NHKブックスNo.1264魚食の人類史出アフリカから日本列島へ NHK出版過去に読んで魚食の大事性を、「それは、類人猿から人類への<生命の歴史>繰り返しである。初期のサルが植物性の雑食によって大脳を発達させた(それだけでは無いが)結果、ヒトへとなっていけるサルへとなれたのと同じく、類人猿は、そこに魚食を加えた食をとることで、人類への道を歩んだのだろう。」とブログに書いた記憶があるのだが、自身のブログを検索しても、出てこない。いずれ改めて説きたいと思うが、現在、魚にしっかりと脂が乗っての時期であるので、とりあえずの魚食のすすめです。その大事性は、脳の60%は脂質であるということを考えても、日本の伝統食が魚食(+野菜)であるということを考えても......と思う。『魚食の人類史』〜魚食のすすめ〜

  • バドミントンの技の習得〜技のモデルチェンジということ〜

    バドミントンの素振りをおこなった。利き手側より反対側の左手側の方が良い形で振れるのはなぜだろうか?今春より始めたバドミントン。そもそもが武術のための(ムエタイのための)、自身の人間体の衰えから、その限界が武術の上達の限界を決めてきてしまっているということを痛感していたからの(上達しがたいのみならず、頑張って練習して上達しだすと、故障するということの繰り返しであったからの)、まずは武技の中身となる人間体(→武道体)から創り直さねば、ゼロからの出発をしなければ、との思いでの、であった。しかしながら、当初は1〜2ヶ月、長くても半年くらいのつもりで始めたものが、今年も残り一か月余となった現在、ようやくにスマッシュやハイクリアを打てるようになりつつある、という状態である。何故か?何故にそこまで上達しがたいのか?とい...バドミントンの技の習得〜技のモデルチェンジということ〜

  • 今日いち-2024年11月26日

    イワシの塩焼き。寒くなってくると魚は脂が乗って美味しい。得にいわしとかサバとか青背の魚は格別。また、魚の脂というものが人類の大脳の発達を促したということを考えても是非食べたいものと思う。今日いち-2024年11月26日

  • (討論)「古典に還る」とは(1/2)〜その弁証法的・認識論的捉え返し〜

    「古典に還れ」とは鍼灸の世界でもよく使われる言葉であるが、「古典に還る」ということの弁証法的・認識論的意義はいかなる事になるのであろうか?「古典に還る」ということの意義は弁証法的にいえば、この世界のあらゆる物事はその誕生を原点として、その原点のあり方が発展していっての現在の物事であるから、原点がいかなるものであるのかの構造をしっかりと分かること無しには、現在のその複雑に発展したあり方の持つ意味が分からない、それゆえそこからの更なる発展を図ることが叶わない、からの「古典(=原点)に還れ」という言葉があるのだということである。そうであれば、そうであるだけに、「古典に還る」ということの意義を認識論的に、しっかりと分かっての「古典に還る」でなければならない。どういうことかといえば、「古典に還る」ということを、ある...(討論)「古典に還る」とは(1/2)〜その弁証法的・認識論的捉え返し〜

  • (討論)「古典に還る」とは(2/2)〜弁証法の問題として〜

    コロナウイルス感染症の影響で鍼灸・手技療法の世界も危機的な状況へとなっていっている、と思える。本来ならば、今回のコロナウイルス感染症のごとくに確実な対症療法(具体的には薬やワクチン等)がない時にこそ、東洋医学・東洋医術の出番である筈と思うのだが......。それはさておき、「古典に還る」とは、を引き続き説いていきたい。「人々は、哲学説のあいだに差異があるのを、真理が進歩してゆく発展過程としてとらえることなく、差異のなかに矛盾しか見ない。––––花が咲けば蕾が消えるから、蕾は花によって否定されたと言うこともできよう。同様に、果実により、花は植物のあり方としてはいまだに偽であったことが宣告され、植物の真理としての花にかわって果実が現れる。植物のこれらの諸形態は、それぞれ異なっているばかりでなく、たがいに両立し...(討論)「古典に還る」とは(2/2)〜弁証法の問題として〜

  • (討論)「万物は流転する」を実感レベルで分かるために必須のこと〜弁証法を分かるための実践〜

    「万物は流転する」(ヘラクレイトス)を実感レベルで分かることが、弁証法を分かることの大元であると思える。吾人が人類の歴史を繰り返すことの大事性痛感する。ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の背後にある像を知って、自身でも同じくの像を描いてみて、同じくの反映を持っての像を描く努力をしてみての「万物は流転する」を分かることが、分かる努力をすることが肝腎なことであると思える。より構造的には、弁証法もまた弁証法性を持つものであるから、かつ弁証法は抽象的な認識(イデア?)のありかたであるのだから、弁証法を分かろう...(討論)「万物は流転する」を実感レベルで分かるために必須のこと〜弁証法を分かるための実践〜

  • 今日いち-2024年11月25日

    タクワン漬け。干し大根を塩と糠だけで漬けたもの。現在では、塩分濃度3〜5%くらいが推奨されるが、昔は、長期保存(来年の秋以降食べる)するものは、12%ほどの塩分濃度で漬け込んだようである。今日いち-2024年11月25日

  • 睡眠とは何か?(補)〜どのように考えて、そのような結論を出したのか〜

    「睡眠とは何か?」の答えとして、「それは生命の歴史の単細胞体の時代の繰り返しとしてものであり、それは魚類の段階での強烈な運動の誕生と直接に誕生させられたもの」との結論を出した。では、自身はどのように考えて、そのような結論を出したのか、を記しておきたい。まず、唯物論的かつ弁証法的立場から、何事も、原点からの生成発展の結果としての現在として見るべきである。ということから考えれば、「睡眠」といえども最初からあったものではなしに、生命体の発展のある段階で、必要に迫られて誕生させられたもの、誕生させたものであろうということに思い至る。そこから生命の歴史を人類からサル、サルから哺乳類、哺乳類から......と単細胞生命体へと遡り、また原点である単細胞生命体から海綿体、海綿体からクラゲ体、クラゲ体から魚類体.........睡眠とは何か?(補)〜どのように考えて、そのような結論を出したのか〜

  • 睡眠とは何か?(2/2)〜生命の歴史にそのことを尋ねる〜

    では、睡眠とは何なのであろうか?(ということに対する自身の答えは、)それは端的には生命体の単細胞の時代の<生命の歴史>の繰り返し(これはクラゲ体以前のというべきかもしれない。)であると思う。どういうことかといえば、生命体は単細胞の時代には、代謝=運動であり、外界を摂取して自己化、そして排泄するということが、生きるということの全てであった。それが、カイメン体、クラゲ体をへて魚類の段階に至って、強烈な運動を可能とする(クラゲのようにふわふわと漂うだけではなく、海を猛スピードで泳ぎ回る)運動器官・代謝器官・統括器官の三権分立かつその統一という構造を持つに至って、強烈な運動をするだけに、運動とともにの代謝だけでは不足で、いわば代謝に専念することが、そのような時間を持つことが必要となった。それは、単細胞体の時代の運...睡眠とは何か?(2/2)〜生命の歴史にそのことを尋ねる〜

  • 睡眠とは何か?(1/2)〜その一般的見解を概観する〜

    「......生命体は地球上で、その当時の地球そのものの状態であった、化学的変化そのままを自らの状態として誕生し、通常ならば、それが消えていく運命でしかない化学的変化が恒久化できたことによって、生存という状態をいわば創出できたモノで......それだけに、生命体には二重の宿命がある......一つは、その生命体の現在の状態に適応できること、もう一つは、生命体の当初の誕生状態を何らかの形式で保持し続けること......これを称して私たちは「個体発生は系統発生をくり返す」といっている......」(『看護のための「いのちの歴史」の物語』......長文なので適宜略している。二天)少し前のブログ記事で、「不眠とは何か?」を知るためには、そもそもの「睡眠とは何か?」がわからなければならない。それが物の順序というも...睡眠とは何か?(1/2)〜その一般的見解を概観する〜

  • 今日いち-2024年11月24日

    間引き菜。昔昔の畑仕事が当たり前だった時代には、常食されていたもの。今で言えば、スプラウトということになるだろうか。その栄養価の高さ、何よりも生きた野菜の摂取という意味で、貴重な食である。今日いち-2024年11月24日

  • 日本人の健康を損なうもの〜睡眠の大事性について〜

    日本人の健康を損なうものとして、食の歪み(グルメ三昧)・運動の歪み(骨盤後傾+膝重心)を上げていた。しかしながら、「睡眠とは何か」ということを考えて、それにそれなりの答えが(<生命の歴史>を踏まえて)得られてみると、睡眠の歪み(徹夜や寝不足)ということの怖さが、それが日本人の健康を大きく損なっているのだということ、痛感される。睡眠について、その意義・大事性について、<生命の歴史>を踏まえて、改めて説きたいと思う。日本人の健康を損なうもの〜睡眠の大事性について〜

  • 免疫力について〜薬漬け・ワクチン万歳の日本の現状を憂う〜

    免疫・免疫力について、過ぎたるはなお及ばざるが如し、との思いがする。コロナ感染症流行以降、免疫について、免疫力だとか免疫抗体だとかということが、医療関係者のみならず患者までもに、しきりと言われるようになった。これは正確には、コロナワクチン接種に関わって、その普及のために、「コロナワクチンを打てば、こんなに免疫抗体が増えます。免疫力が上がります。(だからコロナ感染しなくなります。)」とマスゴミがこぞって連日、宣伝し続けた結果なのだと思えるが......。(事実としては、その効果はゼロに等しいもの、とも思えるが......)さて、コロナワクチンが効くのか?否か?という問題はさておき、免疫力は強いほど良いのかという問題。問題点は大きく2つあると思える。一つは、あるウイルスに特化して、それに対しての抗体を山ほど作...免疫力について〜薬漬け・ワクチン万歳の日本の現状を憂う〜

  • 兵庫県知事選挙に思う〜いわゆる情報操作について〜

    【斎藤元彦立花孝志】嘘でしょ?!同時視聴数過去最高の3.5万人!西宮ガーデンズ街頭演説2024/11/16#斎藤元彦#立花孝志#斎藤知事#さいとう元彦#兵庫県知事選当チャンネル活動のご支援をお待ちしております🙇‍♀(メンバーシップ)↓https://www.youtube.com/channel/UCJEbpN7ovbrGvtQEQ0Qg6kg/joinアマゾン欲しい物リスト↓https://ww...YouTubeいろいろ謎ですよねマスゴミが正しいとも思えない(事実と事実の解釈との区別が求められる)けれど、じゃあネットが全部正しいとも(完全に統制されてないところがネットの良いところとは思うが)要は、自身で判断下すこと(事実から論理へ)が求められるということ。(それにしても、見出し画像の奇...兵庫県知事選挙に思う〜いわゆる情報操作について〜

  • 今日いち-2024年11月23日

    玄米(1/3量の黒豆と蕎麦の実、もち麦、あわ、ひえ、ごま等雑穀類を一合につき大さじ1)と紅白、蕪のぬか漬け、茄子の古漬け。穀類は2〜3分の1量の豆類と合わせるとプロテインスコアが100に近づく。今日いち-2024年11月23日

  • ブログの今後〜#今日の一枚〜

    健康に生きるためには、健康な食(と運動、睡眠)が欠かせない。しかしながら、それは文字のみからはイメージがむづかしいかも、と思える。それゆえ、画像メインで(#今日の一枚として)上げたいと思う。ブログの今後〜#今日の一枚〜

  • 今日いち-2024年11月22日

    深煎りモカ。これまでモカは浅煎り、との先入観があったけれど、深煎りモカが美味しい。焙煎直後は、酸味が強くてまろやかさに欠け、焦げ臭い、と思っていたのが、7日目で大化け!素晴らしい香りの珈琲に。今日いち-2024年11月22日

  • 加筆について〜その二重性〜

    今後、過去記事への加筆は(討論)、ブログ再開後記事への加筆は(補)とします。加筆について〜その二重性〜

  • (補)旧弁証法・弁証術について〜プラトンからアリストテレスへの精神の歴史の繰り返しを!〜

    昨日は「からすみパスタ」に関わる自身の頭の中の映像を追ってみた。これは、「食べたい!」となって、「食べる」という行動をとらせる、その原動力となる「映像」はいかなるものなのか?を知りたい、知っておかねばならない、との思いからのであった。(ここは引き続き深めていきたいと思う。)本日の「旧弁証法・弁証術について」は、以前にブログ記事で「弁証法が武技の学びならば、弁証術=旧弁証法はそれを背後で支える武道体力、人間体力を培うことである。」と書いていたのだが、ここは現在もう少し具体性を持った映像となっていっているので、書いておきたい。さて、弁証術=旧弁証法は、武道体力、人間体力を培うこと、というのは、それはそれで正しいと思う。では、その具体性は、映像はいかなるものなのか?ということが問われると思う。それは、プラトンの...(補)旧弁証法・弁証術について〜プラトンからアリストテレスへの精神の歴史の繰り返しを!〜

  • コメント欄の書き方〜討論の二重性について〜

    コメント、レスコメントは10秒以内に、将来的には瞬時に答えて、と思う。旧弁証法=討論の学びの場としてというのが当初からの、そして現在に至るまでの本ブログの裏のテーマである。それゆえに、コメントいただくことは大変嬉しくもあり、かつ緊張して身構えるものでもあるが、コメント欄のやり取りが討論から闘論へとなっていってくれる、なして行けることを心から願っている。では、何故に承認制としてコメントを選別するのか?答えるに値しないとする。コメントはカットしていこうとするのか?それは、本題から外れてしまっているものや、単なる知識の羅列や罵詈雑言であるコメントは、論ずるに値しない=そのようなコメント筆者の頭との相互浸透は、決して自身のレベルを上げてくれるものではない、と思えるからである。(これについては、自身のレベルの低さか...コメント欄の書き方〜討論の二重性について〜

  • 食の古代ギリシャからゲルマンへ〜文化は食とともに〜

    これまで、近代ゲルマン哲学への憧れの気持ちとともに、ライ麦パンを作って食べていたのだが、気温が下がって来ると発酵がうまくいかず、11月に入ってライ麦パン→スペルト小麦パンへと変更している。しかしながら、スペルト小麦=古代小麦と考えると、これまた古代ギリシャ哲学の時代の食である、と。生命体の実態というものは、食が原点である、というか食以外には無いのだから、古代ギリシャ哲学は、古代ギリシャの食とともにであるし、近代ゲルマン哲学は、近代ゲルマンの食とともに、である、との思いとともにの、ライ麦パン、スペルト小麦パンである。(見出し画像左がスペルト小麦パン、右がライ麦パン)食の古代ギリシャからゲルマンへ〜文化は食とともに〜

  • (討論)(竹山晋一郎の)唯物弁証法について〜その適用の二重性〜

    竹山晋一郎の唯物弁証法は何故に役に立たなかったのか?それは、その適用が観念論的であったからなのでは、と思える。鍼灸に関わりを持って以来、自身の問題としてはそれ以前から唯物弁証法を自身の専門分野に適用しての科学的理論の構築、ということは自身の熱望することであった。それだけに、竹山晋一郎という人物がいて、かつて唯物弁証法の適用によって伝統的鍼灸の復興=鍼灸理論の構築を志したということは、そしてその成果が「経絡治療」であるということを知った時には驚きもし、「だから鍼灸学校の教科書であった、経絡治療の強い影響下で執筆されたという『旧版・東洋医学概論』が、中医学の翻訳そのままといわれる『新版・東洋医学概論』よりも分かりやすかったのか!?」と納得されもした。そこから、竹山晋一郎の著作である『漢方復興(......ここ...(討論)(竹山晋一郎の)唯物弁証法について〜その適用の二重性〜

  • 鳩時計は不眠の試金石〜不眠の二重性について〜

    不眠についての考察。それには二重性があるのだと思う。眠れないのと、眠れないと思っているの、との。自身でも、時になかなか眠れない、世に言う「不眠」という状態になることがある。そんな時に薬に頼ろうとの思いになることはないのだけれども、それでも翌日にしっかりとカラダとアタマが働かなければ困るといった予定が入っていると、「眠れないなあ、困ったなあ。」との思いとなる。そんな時は、スマホを遠ざけ、今の時期なら暖かくして......それでもなかなかに寝付けない時には「しょうがないな」と諦めの境地でじっと横になっていると、大抵は、そのまま眠ってしまうのだが......時に、何をしても、どう気持ちを切り替えても、眠れない時がある。先日もそんな日があって、「昨夜は眠れなかったなあ」との思いで目覚めた。そんな時には自身ではいつ...鳩時計は不眠の試金石〜不眠の二重性について〜

  • (討論)Were all the year one constant sunshine,weshould have no flowers.〜人類の歴史は......〜

    Werealltheyearoneconstantsunshine,weshouldhavenoflowers.(年中、快晴の日ばかりだと花は咲かない)冒頭の英文は、今朝の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)に取り上げられていた。(ヘンリー・ヴォーンの詩「Affliction(苦悩)」の一節ということである。)『逆転人生』(NHK)の、「消せるボールペンの開発の物語」といい、近頃、自身の人生を励ましてくれるものごとによく出会う。そのような問いかけで世界を見るから、そのように反映するのだとこれまで思っていたが、これは例えば、我々治療家(施術者?)が、常に治療に関わる情報が目につき、一見全く関係が無いと思えることからも、自身の治療、施術のヒントを得る(例えば、ラジオ体操から施術のあり方がイメージ出来る)こと...(討論)Werealltheyearoneconstantsunshine,weshouldhavenoflowers.〜人類の歴史は......〜

  • 日本人を不健康にするもの〜食と運動(姿勢)〜

    MJHA(日本を再び健康な国に)ということについて。現在の日本人のあり方を、自身では不健康極まりない、と思っている。確かに寿命は延びたかもしれない。しかしながら、それは細く長くであり、大多数の日本人が、薬漬けの病弱で、医療が無ければ不安でいっぱいの、長生きである、でしか無いと思う。何が不味いのか?端的には、食と運動(姿勢)が大きく歪められているからの、と自身では(自身の実践を通して)思っている。そこも、本ブログでは説いていきたい。(少し、説きはじめてはいる。)日本人を不健康にするもの〜食と運動(姿勢)〜

  • コメントへの返信と本ブログのルールについて〜これからコメントいただけるであろう皆さんへ〜

    ブログ名変更とともにの、再出発です。MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、様々な問題を説いていきたいと思います。志を同じくする皆さんとの交流を持てれば嬉しいです。よろしくお願いいたします。現在、コメント解放していますが、コメント頂いても、討論するに足ると自身で判断せねば、レスコメントつけるとは限りません。もしくは、予告無しに削除する場合もあります。また、頂いたコメントの著作権は本ブログに属するものということ承認頂いたものとして、扱わせていただきます。本ブログへコメントいただくルールとして、以前の記事があるので、再録させていただきます。MJHA(日本を再び健康な国に)との志をお持ちの皆さんのコメントお待ちしております。よろしくお願いいたします。(見出し画像はロバート・ケネディjr.。氏のMAHA(Ma...コメントへの返信と本ブログのルールについて〜これからコメントいただけるであろう皆さんへ〜

  • 本の整理〜事実の集積は体系化・論理化を求める〜

    年末年始は、本の整理・処分をと思う。端的理由は、本があふれて、本棚に入りきれない分がダンボール箱に十数個となってしまって、読み返したい本が直ぐに出てこない状態にまで、なっていってしまっているから、である。そのことに関連して想起されるたのが、人類の歴史上の学問の誕生ということの過程的構造である。どういうことかといえば、サルからヒトへとなっていって、本能としての単なる外界の反映から、創像ということ問いかけ的反映ということが可能となって......問いかけ的反映ということを持っての、外界へ、また自身への、労働としての、関わっていくことの積み重ねを繰り返すことで、事実の集積、知識の集積がしだいしだいに増えていって、やがては、その膨大な知識を扱いかねるようになっていっての、その膨大な知識の集積を整理・分類して......本の整理〜事実の集積は体系化・論理化を求める〜

  • 不眠とは何か?〜睡眠とは何かの概念化の必要性〜

    睡眠について考えている。人間が生きるということに関わる基本的なところの概念化くらいは、せめてと思う。昨夜は寝つきが悪く、眠りについたのは1時過ぎであったろうか?寝付けないので「睡眠とは何なのか?」と考え出すと、余計に眠らないということになってしまったのだが......。現在のクリニックに勤め出して、眠ることができずに睡眠薬のお世話になっている患者の多いことに驚かされている。生きている限りは、眠らないわけはないのだから、眠らないことには生きていけないのだから、必ず眠っているはずとは思うものの......。では、何故に眠れないのか?不眠とは何か?そもそも眠るとは何なのか?(論理的な順序として、睡眠とは何か?が分からなくて、不眠とは何か?は出てこない、出てきてはいけない)と改めて考えてみると、「運動と休息」「健...不眠とは何か?〜睡眠とは何かの概念化の必要性〜

  • (討論)「黄帝内経」と「キングダム」〜古代中国の世界を生き生きとイメージする必要性〜

    東洋医学の古典について学びました。認識論的論理的学びの必要性痛感しました。「東洋医学概論」の授業で「黄帝内径」の書名について、「内と外とは何を意味するのか?(「黄帝外経」という書名の古典もある。)」と質問しました。それに対して先生の答えは「黄帝外経は現存せず、名前が残っているだけに過ぎないから推測になるが・・・・・。」との前置きで「黄帝内径が理論書であるということから、黄帝外径は実技書ではないかといわれているが、本当のところは分からない。」との答えで、明確なお答えはいただけませんでした。確かに実証史的な立場からすれば、資料として残っていないものは云々しようも無い、資料が発掘されるのを待つしか無いとなってしまうのですが、鍼灸・東洋医学の世界では「黄帝内径」等を始めとして、古典を至上のものとして扱っている?の...(討論)「黄帝内経」と「キングダム」〜古代中国の世界を生き生きとイメージする必要性〜

  • (討論)東洋医学の原点・原典、「黄帝内経」〜「黄帝内経」如何に学ぶべきか〜

    「素問」「霊枢」の現代語訳を購入した。「黄帝内経」を如何に学ぶべきか?と改めて考えさせられた。本日、書店の東洋医学・鍼灸のコーナーで「素問」「霊枢」(「黄帝内経」は現存する?「素問」+「霊枢」だと一般的には言われている。)の現代語訳を見つけて購入した。鍼灸・東洋医学を学ぶことを決めてから、あれこれの関連書籍を検討する中で「黄帝内経」については、あちこちで東洋医学・鍼灸の原点・原典であるとの記述に出会い、「黄帝内経」なるものには鍼灸・東洋医学の学びの当初より興味津々であった。しかしながら、「黄帝内経」なる書をネットで検索してみると、「黄帝内経素問」「黄帝内経霊枢」「黄帝内経太素」「黄帝内経難経」等々、「黄帝内経」と一口に言ってもいろいろな書名の本が存在し価格も数万円から数千円と様々であったので、どれを買って...(討論)東洋医学の原点・原典、「黄帝内経」〜「黄帝内経」如何に学ぶべきか〜

  • 再投稿記事について〜加筆では無く討論で〜

    昔のブログ記事にコメントをつけて再投稿したものの最初に(加筆)とつけていたのだが、以降(討論)とつけることにします。理由は、現在はコメントレベルの記述であっても、その意図が過去の自身=伏龍と現在の自身=二天との討論からやがては闘論へ、であるからです。よろしくお願いします🙏再投稿記事について〜加筆では無く討論で〜

  • ロバート・ケネディjrへのインタビュー〜ロバート・ケネディjrさんの見事な覚悟〜

    Q:大手製薬会社、CIA、FBIから暗殺されるのではないかと恐れてるか?RFKJr:私たちの世代は、個人的な犠牲が何であれ、自由を守るために必要な犠牲を払う覚悟ができていなければならない真の愛国心とは、国の将来のために、危険があろうとも、正しい事のために立ち上がることであるpic.twitter.com/qAU4j3i8ic—MDFamilyJune(@Junika2022)November16,2024自身のリスニング力じゃあ聞き取れないと頼んだら、弟が聞き取って、訳をつけてくれた。DoyouthinkthatIthinkthereareI'mnotstupidaboutitsoIhaveyouknowthattheWhiteHousehasdeniedSecretServiceprotection,b...ロバート・ケネディjrへのインタビュー〜ロバート・ケネディjrさんの見事な覚悟〜

  • インフルエンザワクチンは効く?〜究明の方法を問うということの意義〜

    今朝は冷え込んで、冬の寒さであったが、現在、インフルエンザ(=インフルエンザワクチン)の季節で、自身の務めるクリニックも連日満員御礼である。さて、このインフルエンザワクチン、もう四半世紀近くも前に前橋レポートで有効性は疑わしい(有り体に言えば、無い!)とされているにも関わらず、ワクチン接種のための満員御礼はクリニックの恒例行事となったままである。また、自身の周囲でもインフルエンザワクチン推奨している医療関係者もいる。彼のいうところを(その結論に至る過程、究明の方法を)聞くと、「うちの奥さんが毎年インフルエンザにかかって熱を出していたのが、インフルエンザワクチンを打つようになってからは、かからない、あるいはかかっても比較的軽症ですんでいる。だからインフルエンザワクチンは有効だ。打ったほうが良い。」という、な...インフルエンザワクチンは効く?〜究明の方法を問うということの意義〜

  • (加筆)『鍼灸特殊治療法』を読む〜鍼灸師の一般教養としての先人の業績を識ることの大事性〜

    『鍼灸特殊治療法』(北村智編著有限会社春木印刷所)に目を通した。自身の鍼灸師としての一般教養の無さ痛感させられる。昨日はタブレット端末を持って出ることを忘れブログ更新が出来なかったのだが、代わりに『鍼灸特殊治療法』に目を通すことが出来た。この『鍼灸特殊治療法』は鍼灸学校の教科書として購入したものであるが、授業で使われることも無かったので、また、「特殊治療法」と題名にあるので、一通り一般的な鍼灸治療法を学んでからの特殊、とも思えこれまで目を通すことが無かった。しかしながら、先週末に課された経絡経穴の過去問題集で、「問題123誤っている組合せはどれか。1.圧診点〜小野寺直助2.皮電点〜石川太刀雄3.良導点〜中谷義雄4.撮診点〜藤田六朗」(正解は4、撮診点は成田夬介、藤田六朗は丘診点)という問題があり、こういう...(加筆)『鍼灸特殊治療法』を読む〜鍼灸師の一般教養としての先人の業績を識ることの大事性〜

  • (国家試験)受験的頭の働かせ方の欠陥〜プラトンからアリストテレスへの発展とは〜

    「思弁」ということの理解を深めるために『ニコマコス倫理学』(岩波文庫)を読んでいる。端的には、アリストテレスがどのように考えていくのか?ということを知るため、見ていくためである。これは、「アリストテレスの記述(は)......プラトンからの認識の発展が確実になされている」「プラトンは「あの人はああいう意見だけれども、この人はこういう意見であって、どれが最も正しいのだろう?」といった、ある事物についての意見の正否を問うレベルであった。しかしながら、それがやがてアリストテレスに至ると、「この人はこういうふうに考えて、こういう結論を出したけれども、あの人はああいうふうに考えて、別のこういう結論を出した。それぞれその人なりの筋があるのだが、どういう究明の仕方が良いのだろうか?」という問いかけが芽生えてくるようにな...(国家試験)受験的頭の働かせ方の欠陥〜プラトンからアリストテレスへの発展とは〜

  • (加筆)弁証術とはなにか~弁証術と弁証法の区別と連関~

    「南郷継正武道哲学著作・講義全集第二巻」(現代社)読み返している。弁証術とはなにか。弁証術とは弁証法にとって如何なる意義を持つのか、持たせるべきなのか。が、朧げながらではあるが、漸くにイメージ出来た。と思える。また、そのことで、弁証法の過程的構造である。と思う、新旧二つの弁証法。ということも、イメージ出来て行けそうに思う。昨日は、「南郷継正武道哲学著作・講義全集第二巻」の第二部を読んだ。これまで、弁証法をなんとしてでも自身の実力としたい。そのためには、弁証法の姿形を、先ずは知識としてでも分かりたい、イメージしたい。との思いから、この「第二部」は何度か読み返し続けているのだが、説いて(解いて)いただいていることが、言葉としては、分かっていけるものの、説かれ(解かれ)ていること。への思いは、なかなかに深まって...(加筆)弁証術とはなにか~弁証術と弁証法の区別と連関~

  • 「からすみパスタ」に関わる映像〜問いかけ像と反映像〜

    「唐揚げ」に関わる自身の映像を見ていくことで、唐揚げを食べるという行動に移させる映像とはいかなるものか?ということを書くと予告していたが、ちょうど、からすみパスタを食べたので、映像が生々しいうちにそれで説いてみたい。今日は夕食に「からすみパスタ」を食べた。それはどんな映像を描いて食べたのだろうか?より正確に言えば、どんな認識=映像が「からすみパスタ」を自身に食べさせたのか?ということを見ていきたい。認識論的にアバウトに言えば、「カラスミパスタ」を食べたということは(1)「からすみパスタ」の映像を描いて(2)その映像に従って、何らかの行動を起こして(自身で作るなり、お店に食べに行くなりして)、その結果、目の前に「からすみパスタ」が出てきて、(3)アタマの中の映像と現実が一致しての、「からすみパスタ」食べるこ...「からすみパスタ」に関わる映像〜問いかけ像と反映像〜

  • パンペイザンを焼く〜実践は対象の映像に厚みを与える〜

    パンペイザンを焼く3回目。少しずつの上達とともに、実践は対象の映像に厚みを持たせるということ実感する。パンペイザン(農夫のパン)という高加水のパンがあって、外はカリッと中はモチモチとして美味しい。......ということをネットで知って、レシピを参考に焼いてみたところ、最初はうまく膨らまず失敗であった。けれども、食べてみると小麦の味わい、旨味、甘みがあって本当に美味しいパンであったので、粉の配合を変え、発酵時間・方法を変え、イーストの量を変え、焼成時間を変え、等々試しながら焼いて、今回が3回目である。(見出しの画像が今回のパンペイザン)さて、これまでのパンペイザンを焼く過程を映像として振り返ると......まず知識レベルの「パンペーザン」(=高加水、外はカリッと中はモチモチと.....等々)という映像がある...パンペイザンを焼く〜実践は対象の映像に厚みを与える〜

  • こども電話相談室〜ブログ書くのは心の病?〜

    こども電話相談室で、ブログ多く書くのは心を病んでる、と。🤣🤣🤣🤣🙏こども電話相談室〜ブログ書くのは心の病?〜

  • ゼロとは何か?1とは何か?〜全ては条件次第である〜

    ゼロとは何か?1とは何か?について。ゼロといい1といい、それは固定したものではなくて、その人次第、条件次第でゼロが1になり、1がゼロになる。こういうと返って混乱させるばかりかもしれないが......ゼロと1とを形而上学的(エンゲルス)には捉えて欲しくない。というよりも形而上学的(エンゲルス)に捉えたのでは?何のためのゼロと1なのかが、わからなくなってしまう。機会があれば、具体的な例を挙げて説きたいと思う。ゼロとは何か?1とは何か?〜全ては条件次第である〜

  • 1から始めると失敗する〜ゼロから始めなければならない根本的理由〜

    近頃、ゼロからの出発、再出発ということの大事性、その意義ようやくに実感することが出来てきた、と思える。昔々に師から、「何事かを学ぶ、あるいは学び直す場合に、よく1からの出発でなければならないと言われる。しかしながら、それは壮大なる誤解である。なぜなら、最初は何もないはずなのに、諸君は1があるとしてしまうから、まともな学び、上達ができないのである。そうではなくて、大事なことはゼロからの出発、再出発でなければならないということである。そうでなければ、何事もまともにはなっていかない、まともな上達はない。」と説いていただいたことがある。当時の自身のアタマには「?」「1からとゼロからとどう違うのか?」「1から始めるということもゼロから始めるということも、最初からということで、全く同じことを言われているのではないのか...1から始めると失敗する〜ゼロから始めなければならない根本的理由〜

  • トマス・アクィナスへの学び〜二重真理について〜

    トマス・アクィナスの真理の二重性の問題。まさに自身の立場と同じ、と実感する。クリニックで働く鍼灸師が必ず突き当たる問題に、医師の診断と(自身の)鍼灸師としての診断が往々にして矛盾するということがある。(これは、東洋医学的となると必ず、ということになってくる)具体的にいえば、「先生に五十肩といわれた」として来る患者の挙上時の肩関節の痛みが、頸椎への施術で痛みがとれてしまったり、「坐骨神経痛といわれました」として来る患者の下肢への症状が臀部への施術で消えたり......。これが、自身の治療所であれば、「医者はあてにならんからなあ.......」で、患者からも、「さすが先生!」と称賛され、患者も大喜び、自身も自己承認欲求が満たされて言う事無しなのであるが......。ところが、これが診療所・クリニック勤務で、医...トマス・アクィナスへの学び〜二重真理について〜

  • (加筆)経絡治療のオーガナイザー?竹山晋一郎〜弁証法的鍼灸論(東洋医学)の先駆者〜

    『昭和鍼灸の歳月』(上地栄著績文堂刊)を読む中で竹山晋一郎先生との出会いがあった。唯物弁証法による鍼灸・東洋医学の究明、ということを志した方が過去に存在した!ということに、なおかつ、その努力の成果が「経絡治療」の誕生であると知ってなおさらに、驚かされた。それだけに、どうして竹山晋一郎先生の志を受け継ぐ者が一人も出なかったのか!?竹山先生歿後の経絡治療に関わる先生方による座談会で、竹山先生を「経絡治療」のオーガナイザーとして皆が高く評価しているにもかかわらず、、、、、、。「鍼灸・東洋医学の学びの総括(ブログ版)」を一時中断して、竹山晋一郎先生について、併せて「経絡治療」の誕生について、それゆえに柳谷素霊先生についても学んでみたいと思う。そのことで、「鍼灸・東洋医学の学びの総括(ブログ版)」に書くべき内容も大...(加筆)経絡治療のオーガナイザー?竹山晋一郎〜弁証法的鍼灸論(東洋医学)の先駆者〜

  • 一からでは無く〜ゼロからの出発の大事性〜

    あると思って始めるから、一向にうまくいかない。ゼロからと一からの違いが分からなければどうしようも無い。分かるかなあ?分かんないだろうなあ一からでは無く〜ゼロからの出発の大事性〜

  • MJHA〜日本を再び健康な国に!〜

    ロバート・ケネディjr.さんの「MAHA」に、自身の手技療法術の志が再認識・再確認された。「MJHA」(日本を再び健康な国に!)を!と痛感された。次期大統領にトランプさんが選ばれ、アメリカは大きく変わっていく(それと共に世界も、日本も)と思える。政治的なそれはさておき、次期保険省長官となられるであろうロバート・ケネディjr.さんの「MAHA」という志に、感動・共感させられている。(自身の鍼灸・手技療法に関わる志もそうであったのだ、あったはずである、と)自身が手技療法に関わるようになって早いもので、四半世紀以上もの時が経つ。その中で常に大きく二つの思いがあった。一つは病んだ人を全て治したい、無くしていきたい(少なくとも自身の専門対象とする部分については)というものであり、もう一つは病というものに対しての(ど...MJHA〜日本を再び健康な国に!〜

  • 珈琲焙煎〜何かをゼロから作ることの意義〜

    珈琲焙煎をした。何事も出来る限り原点に返って、と思っている。そして、それが弁証法の学びでもある、と思っている。今日の焙煎豆はイエメンのモカ、コーヒー豆屋さんのおすすめで、深煎りで。コーヒー豆の焙煎をすると言うと凝ってますね。とかマニアですね。という評価をいただくが、それはそうに違いないのだけれども、自身の思いとしては、これもまた弁証法の学びである。なぜならば、弁証法性とは、事物の生成・発展・成熟・衰退・消滅という、日常語で言えば起承転結という運動の、一般性そのものなのであるから、それゆえの、自身で出来るものはできる限り、なるべく原点に遡っての、そこからの生成・発展させていってのを心がけて、である。料理を作るにせよ、珈琲豆を焙煎するにせよ、自身で事物の生成・発展をその前の段階(いわばゼロ)から作り出せるとい...珈琲焙煎〜何かをゼロから作ることの意義〜

  • 「古代ギリシャの学問とは何か」〜古代中国思想の学びのための必読論文〜

    「古代ギリシャの学問とは何か」「古代ギリシャ哲学、その学びかたへの招待」(悠季真理学城所収)読み返しています。自身のアタマを如何に創っていくべきかを示してくれる論文であるだけではなくて、古代中国哲学(思想?)の学びの導きの灯ともなる論文であるとの思いします。「古代ギリシャの学問とは何か」「古代ギリシャ哲学、その学びかたへの招待」は古代ギリシャ哲学の誕生の謎を説(説)いてくれる、ほとんど唯一の論文であると思えます。それだけに「個体発生は系統発生をくり返す」べく自身のアタマを創って行く道筋を示してくれる論文であると思えます。またそれだけでは無くて、東洋医学の原点である古代中国哲学(思想?)を学ぶ上で、どうしても学ばねばならない論文であると思えます。それには大きく二つの意義あると思えます。一つは人類の古代という...「古代ギリシャの学問とは何か」〜古代中国思想の学びのための必読論文〜

  • 指導における拈華微笑について〜認識論の必要性〜

    ねんげみしょう【拈華微笑】ことばを用いずに、心から心に伝えること。以心伝心。[故事]釈迦が説法したとき、黙ってハスの花をひねって大衆に見せたところ、摩訶迦葉が1人その意を解して微笑していたので、これに奥義を授けたという。(『学研現代新国語辞典改訂第四版』金田一春彦・金田一秀穂編)昨夜のバドミントンの学び、指導いただいているコーチの実力に感心させられるとともに、指導における認識論の必須性を痛感させられている。今朝のブログ記事は、スマッシュ・ハイクリアといったオーバーハンドストロークの習得に、10か月もの月日が必要であった、がようやくしてそれが(初歩レベルではあるが)出来るようになった、と喜び一杯の、であった。その記事を書く中で、自身のバドミントンの学び始めから現在までの10ヶ月間を、練習の1コマ1コマという...指導における拈華微笑について〜認識論の必要性〜

  • (加筆)カネカネと言う奴にロクな奴はいない〜人間は思想性の高みと誇りを持ってこそ〜

    「カネカネと言う奴にロクな奴はいない」という言葉に武士の矜持を感じ、現在の自身を省み……。『それでもこの世は悪くなかった』(佐藤愛子文藝春秋)を読んだ。新聞の広告に冒頭に引用した「カネカネと言う奴にロクな奴はいない」という言葉があって、それが自身の幼少時の父親からよく言われた言葉と重なって興味を持っての、であった。「カネカネと言う奴にロクな奴はいない」というのは佐藤愛子さんの父、佐藤紅緑さんの言葉で、他にも「私が小さい頃に、「あ、儲かっちゃった」」というと、その一言だけで、「儲かったなんて言うもんじゃない。それは卑しい人間の言うことだ」と、ひどく叱られました。他の教育はまったくしませんでしたけれども、それだけはうるさかったんです。」というエピソードが紹介されていた。その佐藤愛子さんの父、佐藤紅緑さんのさら...(加筆)カネカネと言う奴にロクな奴はいない〜人間は思想性の高みと誇りを持ってこそ〜

  • 治打撲一方+附子〜瘀血を瀉す〜

    昨日、1時間余の山鍛錬(山中を軽く走る)+バドミントン教室で、左脹脛に軽い痛みが出た、山鍛錬後の張りだったものがバドミントン教室後に、痛みへとなっていった。鍼灸や指圧で対応可能なのであるが、昨夜は「治打撲一方+附子」を試した。(脹脛の張りから痛みを、軽い肉離れ→瘀血と捉えて)結果として、今朝はまだやや違和感あるものの痛みも無く、である。治打撲一方+附子〜瘀血を瀉す〜

  • パンペイザンの味わい

    パンペイザン。無骨な見た目に反して、スペルト小麦とライ麦の味と香り、それに加えて、くるみの味とコク、ゲランド塩の旨味、サワー種の酸味等々が一緒になっての、繊細で深みのある味のハーモニーが素晴らしい。パンの美味しさというものを堪能させてくれるパン。パンペイザンの味わい

  • バドミントンの学び〜技のモデルチェンジの過程的構造〜

    今朝は、本来ならば「唐揚げ」と「パンペイザン作り」に関わる自身の認識を、映像として追うつもりであった(その準備が整ったとの思いがあった)のだけれども、急遽変更して「バドミントンの学び」について書きたいと思う。理由は、昨夜のバドミントン教室で今年2月に始めて以来「やろうとしてできない」という繰り返しで、夢にまで見た「スマッシュ・ハイクリア」というオーバーハンドストロークが初めてまともに打てたからである。どういうことかといえば、昨夜、覚え書的に書いたように、「できないことができるようになる、出来るようにしていく、その過程にこそ弁証法の学びがある。」との思いがあるからであり、それこそが「論理的事実」を持つということである、と思えるからである。それゆえに、その事実をしっかりと見つめて、残しておきたい、との思いから...バドミントンの学び〜技のモデルチェンジの過程的構造〜

  • (Zusatz)Das echte Leid gibt einem die geistige Haltung wieder.

    DasechteLeidgibteinemdiegeistigeHaltungwieder.眞の苦難は吾人に氣魄を取り戻させる。註:geistigeHaltung(精神的構え)とは,「気構え」,「凜乎たる気位」,「覚悟」,「決然たる気持」,要するに性根が気を付けエをした状態を云う。—人間と云フものはそんなものです。なまじつか気持ちにゆとりがあるから,それでツイだらしなくなる。最後の段階まで来れば,覚悟は案外速い。それ心境の行き詰りは半覚の朝寝の如し。すぐ夜具を剝がれるのはまことに困る……けれども剥いで貰わないと電車に間に合わん。そこをよく呑み込んで,頼みもせんのにやつて来てサツと夜具を剥いでいくのが,これが即ち「真の苦難」或いは「本当に抜き差しならなぬ運命の訪れ」です。感謝すべし。(本文の意訳としては「人...(Zusatz)DasechteLeidgibteinemdiegeistigeHaltungwieder.

  • (加筆)「書くことは考えることである」とは〜(ヘーゲルの)絶対精神の自己運動として全てを書く=考えること〜

    昨日の終戦記念日に思うこと。戦争・終戦という社会の激変レベルの変化があったから、その時代を生きた先輩、先生方は弁証法を修得出来たのでは無いのかと。これはヘーゲルにおいてもそうであるし、そもそもの古代ギリシャという弁証法の誕生の時代もそうであったのだと(個体発生は系統発生を繰り返す)。より構造的にいえば、社会の激変ということの反映としてのアタマの中の激変=運動という像があってこその、納得、実感レベルでの弁証法の学び、修得が可能となっていったのではと思える。ここは別言すれば、形式、知識としての弁証法をいくら熱心に学んだところで、そもそものアタマの中の像が弁証法的・運動的でなければ、運動する像を生み出すような脳(頭脳?)の働きがなければ、弁証法を実感レベルでわかりようが無いのだということである。そういう意味で、...(加筆)「書くことは考えることである」とは〜(ヘーゲルの)絶対精神の自己運動として全てを書く=考えること〜

  • (加筆)古代ギリシャ語σπλάγχνον(内臓)の派生語である「あわれむ、あわれみ」について(増補)〜古代ギリシャ人の認識を古典ギリシャ語に視る〜

    古典ギリシャ語では、δπλάγχνον(スプランクノン=内臓)の派生語として「あわれむ、あわれみ」があるということに、古代ギリシャ人の認識の豊かさがイメージされる。『臓単』(原島広至著NTS)のコラムで、「古代ギリシャ人は、「はらわたが揺り動かされるほどの感情、心の内奥から沸き起こる感情」という意味で、スプランクノンの派生語が「あわれみ、あわれむ」を意味するようになった(まさに「断腸の思い」である)。」と書かれてあった。これは、古代ギリシャ人が大変豊かな厚みのある像を、それゆえに豊かな感情を持っていたということの証左である、と思える。それゆえに、古代ギリシャの哲学者の、プラトンにせよアリストテレスにせよの説くことを、現代の我々のほとんどが説く如くの薄っぺらなものとしてはならないのだ、と思える。それだけに、...(加筆)古代ギリシャ語σπλάγχνον(内臓)の派生語である「あわれむ、あわれみ」について(増補)〜古代ギリシャ人の認識を古典ギリシャ語に視る〜

  • 出来ないことが出来る様になること〜その過程にこそ弁証法の学びがある〜

    ようやくにスマッシュ・ハイクリアが打てた。長かったなあ、と。本日のバドミントン教室、練習の終わり頃になって、ようやくスマッシュ・ハイクリアが、パシッという打撃音で打てだした。2月にムエタイのための体力作りとの位置づけで始めたバドミントン。バックハンドストロークは比較的早い時期に打てたのに、オーバーハンドストローク=スマッシュ・ハイクリアは、なかなかに打てず、本日、11月も中旬になってようやくに、である。約10ヶ月もの間、打っても打っても、バシャっと情けない音でシャトルが飛ばないという日々、素振り等はそれなりに練習するのだけれど......ほんとに長かった、と万感の思いである。これは、端的には、バドミントンのオーバーハンドストロークは、自身の刀を振る・斬る感覚が邪魔をして(刀はそんな振り方・斬り方は絶対しな...出来ないことが出来る様になること〜その過程にこそ弁証法の学びがある〜

  • (加筆)雪駄と下駄〜雪駄のすすめ〜

    ゴールデンウィークに入って気温も上がり、なので雪駄のすすめ。雪駄というとヤクザものとか品の無いイメージだが、日常的な足の鍛錬具として有効であると思える。履いてみれば分かるが、近頃のタイル張りとか人工素材のツルツルした床の上では、足の隅々にまで、特に踵にしっかりと力と意識を込めないと、場合によっては込めているつもりであっても、滑って転倒ということになりかねない。加えて、クッション性は零に等しいので下肢の骨の鍛錬にもなる、と思える。下駄を履くということは極論すれば反社会的(床を傷める、うるさい等)と、とられかねないのでなかなかに難しい現代日本にあって、唯一?歩くだけで足の骨、筋肉、神経が鍛えられる、それゆえ脳細胞を活性化してくれる優れもの、と思える。転倒しての負傷には責任が持てませんので、くれぐれも自己責任で...(加筆)雪駄と下駄〜雪駄のすすめ〜

  • パンペイザン二度目

    パンペイザン二度目スペルト小麦粉250gライ麦粉100gサワー種75g生イーストくるみ100gレーズン250度予熱250度40分(上段20分/下段20分)試食は後ほどパンペイザン二度目

  • 問いかけ的認識の芽ばえから問いかけ的認識へ、そして労働へ〜問題点を映像として〜

    (サル=)問いかけ的認識の芽ばえ→(ヒト=)問いかけ的認識→労働、を考えている。そこを解く鍵は、もどき像とクリア像との矛盾、その矛盾に「?」「ん?」「あれ?」という認識が生まれる「あれ?」が問いかけ的認識へとなっていく問いかけ的認識と労働の問題もどき像とクリア像との矛盾は、そもそもの反映像がクリア像であるからのクリア像を求めるからのもどき像から→クリア像への道の二重性、対象を知ることで(学問へ)と対象を変えることで(労働へ)問題とする、すべきことはあれこれ浮かんでくるが、ここから先は、具体の映像の問題で書くことで、と思う。さしあたり、「カラアゲ」と「パン作り」で、認識=映像を追ってみようと思う。問いかけ的認識の芽ばえから問いかけ的認識へ、そして労働へ〜問題点を映像として〜

  • 肩こりの根本的原因〜骨盤後傾の弊害(1)〜

    国民病ともいえる肩こりについて。それは、その大元は、骨盤後傾によるものと思える。サルが樹から降りて股関節重心での二足歩行をはじめることによるメリットの一つが、上肢の解放による頭部への血流の増加がある。もっといえば、樹上生活での上肢のしっかりとした運動とともにの、樹から降りての二足歩行(股関節重心による)が。ところが、骨盤後傾は、必然的に上背部から首への緊張を、それゆえの肩こりを生む。それゆえ......と。肩こりの根本的原因〜骨盤後傾の弊害(1)〜

  • 「いのちの歴史」に学ぶ〜問いかけ的認識の芽生えから労働へ〜

    昨日は『看護のための「いのちの歴史」の物語』(以降、「いのちの歴史」と書く」の、猿における「問いかけの芽生え」の記述を見ていくことで、自身の頭をしっかりと整理した、していこうとした。そこから、これで「唐揚げ」に関わる自身の認識=映像を見ていける!としたところまでであった。それゆえ、本日は「唐揚げ」に関わる自身の認識=映像を見ていくところから始まる予定であった。しかしながら、「いのちの歴史」の猿における「問いかけの芽生えが説かれていると思える「第2節脳の「問いかけ的認識」の芽ばえの過程を見よう」の後の章「第4節樹上から降りたサルはヒト(人類)への過程をたどる」「第5節ヒトから人間への過程は労働によって発達した認識によって」を、今朝、読み返してみると、そこには「サルの問いかけ的に認識の芽生え」から人間の労働へ...「いのちの歴史」に学ぶ〜問いかけ的認識の芽生えから労働へ〜

  • 問いかけ的認識の芽生え〜サルからヒトへ〜

    『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書20)を読み返している。「問いかけ的反映」ということが本当には分かっていなかった、ということ痛感させられている。自身の「問いかけ的反映」ということのイメージは、(動物の外界の反映というものが、対象のあるがままの反映の映像であるのに対して)人間の外界の反映というものは、自身のそれまでにある映像を二重写しにして見ての、対象の反映の映像である。それゆえに、人間だけに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということがあるのだ。という薄い知識的なものであった、でしかなかった。(そんな浅い知識的理解であったからの、実際の自身のアタマの中の映像を追ってみると、追いきれず......慌てて、『看護のための「いのちの歴史」の物語』を読み返すことに。)そのような自身の人間の認識の知...問いかけ的認識の芽生え〜サルからヒトへ〜

  • (加筆)マイヤ・プリセツカヤ死去〜究極・至高の美技を持つバレリーナ〜

    20世紀最高のバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤさんが亡くなられました。30年近く前に、超一流のバレエ技による、この世のものとは思えない美しさの「瀕死の白鳥」に出会い、鳥肌が立つ思いをして以来の大ファンの一人として、心からのご冥福をお祈りします。鍼灸を学ぶ方のみならず、技というものに関わる方でマイヤ・プリセツカヤをご存じない方がもしおられましたらyoutubeでその究極・至高の美技による舞、「瀕死の白鳥」を見れますので是非ご覧下さい。ついでに一言しておくと、この動画はマイヤ・プリセツカヤ50歳の時のものです。【初めてマイヤ・プリセツカヤの秀技を実際に見た時の衝撃、感動は、未だに忘れられない、どころか、今に至るも自身の技の理想像として何をするにしても(武術、芸術、手技療法術、スポーツ.......)何時もアタ...(加筆)マイヤ・プリセツカヤ死去〜究極・至高の美技を持つバレリーナ〜

  • 『看護のための「いのちの歴史」の物語』を読む〜知識的と実践的二つの学び〜

    『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書20)読み返している。実践的に学ぶことの大事性痛感する。人間の認識の「問いかけ」ということを分かりたくて、サルの認識(サルの描く反映像)というものを思い、考えしてみた。サルの認識=反映像が、それ以前の魚からの動物とは大きく違って、もどき像という不明瞭な像をも描く様になっていくとともに、それ以前の明瞭な反映像とのギャップに気付かされ、「?」という像を描くようになっていった、そして、それがやがては「問いかけ」へと......。と知識的にはあったのであるが、そこを自身の事実で思い、考えていこうとすると、その映像は明瞭では無く、モヤモヤと蠢くばかりで、であった。それゆえの、『看護のための「いのちの歴史」の物語』の読み返しであった。いままでとは違った、説かれてい...『看護のための「いのちの歴史」の物語』を読む〜知識的と実践的二つの学び〜

  • かな〜大和心の学び〜

    数年前から「かな」に取り組んでいる。師との偶然の出会いからの、であるがなかなかに上達し難く悪戦苦闘中。自身の生涯の夢である絵がなかなかに時間もとれず、となる中、「かな」にしっかりと取り組んでいこうと思う。かな〜大和心の学び〜

  • 姿勢矯正は身体が変わること、変えていくこと〜それには時間がかかる〜

    昨夜の事例。70代男性、側弯症からの腰痛臀部痛。これまで指圧(標治)で対応して来た(クリニックの患者なので)が、あるき方がおかしい、チョコチョコとしか脚がでない、なんとかならないか?との相談。姿勢を確認すると明らかな骨盤後傾。それが側弯症と相まって、脚がでないのだろうと、骨盤前傾、股関節重心を指導するも、なかなかに形がとれず、イメージも出来ない、自身のボディイメージが描けないとのこと。姿勢矯正は、身体を変えること、変わっていくようにすることだから、時間がかかると説明するも、納得出来ず、すぐになんとかならないのでしょうか?と。(自身でも、半年近くかかって、やっとと言うのに対して)無理です^^;姿勢矯正は身体が変わること、変えていくこと〜それには時間がかかる〜

  • パンペイザンに思う〜先ずは大体で〜

    昨夜焼いたパンペイザン、軽くフライパンで焼いて食べてみると、これがなかなかうまい。それはそれとして、何事も最初から完璧というわけにはいかず、まずはだいたいこんなものというところから始まらねばならない、始まるしかないということを、今回パンペイザンを焼くことで改めて実感した。これは自身の学び、ブログ記事にもと思う。なかなかに思うように筆が進まないが、引き続きブログに取り組んでいきたい。お読みいただいてる皆さん、いつもいつも同じことの繰り返しで息つ戻りつ、と呆れておられると思いますが、これからもよろしくお願いします。パンペイザンに思う〜先ずは大体で〜

  • 猿は二重の像を描く実力を培っていく〜明瞭と不明瞭〜

    前回は、認識論の学びの第一歩として、人間の自身の「唐揚げ」を食べるに関わる映像を追うことからの、「問いかけ」の映像と反映の映像を区別して見て取ることの必要性。それができていないから、人間の認識も動物の認識も一緒くたになってしまっている、との反省から、まず、認識の原点から脳が誕生した魚の段階から見て、となるも、問いかけのない動物段階の反映像というものがよくイメージできずに、その前の反映像のない段階へと戻っての、クラゲ=脳のない段階の反映像(これは物の例え)を見ようとして、それがようやく自分なりにイメージし得たところであった。そこから、どうにか問いかけのない魚の段階の反映像が描けて、「人間は?」というところまでであった。さて、いよいよ本題の「唐揚げ」に関わる認識=映像というところへ入っていくのであるが、その前...猿は二重の像を描く実力を培っていく〜明瞭と不明瞭〜

  • パンペイザン〜加水率100%〜

    思ったほど二次発酵で膨らまなかったなあ焼成温度も250°cじゃあちょっと低いのかもまあ何事も最初はこんなもんか^^;パンペイザン〜加水率100%〜

  • 自身のクラゲのイメージ〜海にふわふわ漂う消化吸収器官〜

    前回は、人間の認識=映像というものを知るには、人間の特殊性としての「問いかけ的」反映としての映像を、人間以前の単なる反映の映像と比較して、その違いを知らなければ人間の認識=問いかけ的反映である映像というものも、よくわからない。つまり、「問いかけ」の部分の映像と「反映」の部分の映像とを、分けて見て取れない、として、人間と魚との対比で見ていこうとしたのだが、そもそも魚の映像というものがわからないところから、まず魚の映像をわからなければということで、魚以前の脳の無い(=反映像のない)クラゲと魚を比較して、となったのであるが、困ったことに、そもそものクラゲの描いている映像、と言うか、反映像のない状態というものがイメージし難く......となったところまでであった。さて、クラゲの反映像(これはものの例え)=感覚とい...自身のクラゲのイメージ〜海にふわふわ漂う消化吸収器官〜

  • (加筆)『美学講義』(ヘーゲル)を読む〜一般論とそれに見合う事実を持つことの大事性〜

    『G.W.F.ヘーゲル美学講義』(寄川条路監訳法政大学出版局......以降、『美学講義』と略して表記する)を読み始めた。一般論(とそれに見合う事実)を持っての学びの大事性、必須性、痛感する。今春より、数年ぶりに絵を描くことを始める予定(昨日、近隣のクロッキー会に参加した)であった、のでこの機会にヘーゲルの「美学」に再挑戦することにした。ヘーゲルの「美学」は、岩波のヘーゲル全集では、30冊(であったと記憶している)の大部のものである。その量の膨大さと、それ以上にその説かれることの難解さに、何度か挑戦したものの、歯が立たず転戦(実質は退却?)を繰り返して、数ページもまともに読み続けていけない、ものであった。にも関わらずの、今回、「なんとしてもヘーゲルを分かりたい、それが南郷先生の武道哲学を分かっていくための...(加筆)『美学講義』(ヘーゲル)を読む〜一般論とそれに見合う事実を持つことの大事性〜

  • (加筆)足の少陰腎経~言葉と像の区別と連関〜

    足の少陰腎経(27穴)の暗記行った。言葉と像の違い実感する。昨日の岐阜行で足の太陽膀胱経(67穴)の暗記出来てしまったので、「足の少陰腎経の経穴のうた」をとりあえず聞いてみた。既知の経穴がほとんどなかった(知っていたのは湧泉、太渓、陰谷)ので、当初、いくら「経穴のうた」を聞いても一向にアタマに入って来ず、「これは何日かかかるか?」と思えた。ところが経穴の場所を確認したら、これまでアタマに入ってこず少しもアタマに残らなかった経穴名が嘘のうように覚えることができていって、現在、ほとんど覚え終わってしまった。これは、端的には抽象的な空虚な言葉という像と具体的現実的な中身のある像との違いでは?と思う。同じくに像であると言っても、知識としての言葉は中身がなく像が薄っぺらいから、記憶としても残り難いのだと思える。逆に...(加筆)足の少陰腎経~言葉と像の区別と連関〜

  • (加筆)『中級講和 趣味のドイツ語』を読む

    『中級講和趣味のドイツ語』(關口存男著三修社版)を読み始めた。自身の学生時代に關口先生の著作との出会いがあれば......と思えた。「鍼灸問答」として、鍼灸・東洋医学にかかわる諸問題を説いていこうと決意したものの、問答、対話として説くという自身の実力の無さからも、一回目を説いてからその先へと進んでいけない状態のままに来ている。その先へと進んでいく道を示してくれるのではないかと、『中級講和趣味のドイツ語』を読み始めた、その対話形式の見事さ、面白さに引き込まれて読み進んでいる。こんな風に自身の鍼灸問答も説かなければ不可ないとの思いになるとともに、自身の学生時代に關口先生との出会いがあれば!......との思いとなっている。關口先生の著作は、春からドイツ語を学び始める皆さんにおすすめです。【学生時代に關口先生と...(加筆)『中級講和趣味のドイツ語』を読む

  • 『ニコマコス倫理学』を読む〜思弁とは〜

    『カラアゲに関わる認識論』をブログ記事として書き出してみると、未知の事柄を書く=文章化することの難しさ痛感させられている。それは二重にである。一つは自身のアタマの中の映像を書くということの難しさであり、それに加えて、書くべきアタマの中の映像は、書く以前には明確な形となっていないという二重の難しさである。それゆえ、断言的に書くこと能わずで、ああだろうか?こうだろうか?ああでもない!こうでもない!......と迷いに迷っての、となっている。そのブログ記事を読み返して、想起されたのがアリストテレスの文章である。そこで、手元にあった『ニコマコス倫理学(下巻)』(岩波文庫)を読み返している。結論的にいえば、未知の問題を様々な角度からテーゼを立て、それに対してのアンチテーゼを闘わせる、そういう形で考えていくことで、こ...『ニコマコス倫理学』を読む〜思弁とは〜

  • 鍼灸・東洋医学を科学的に学ばねばならない根本的理由(補足)〜学問とは〜

    昨夜、『鍼灸・東洋医学を科学に学ばねばならない根本的理由』として、アタマに浮かんだことを書いた。肝心の一点が説かれていないので、読んでいただいた皆さんには、分かったようで分からないような、なんとももどかしい文章との思いをさせたのでは、と思う。さて、その肝心の一点とは、言わずもがなの「学問とは何か」である。別言すれば、学問の学問たる所以とか、その真髄といっても良いと思うが、それは端的には、「学問というものは自身の専門分野を、また世界を一貫した筋で説き(解き)きるということ」である。その一点が分かれば、「何故に鍼灸は科学的に学ばねばならないのか?」として説いた昨夜の記事が「そういうことね!」と理解していただけると思う。つまり、「学問の真髄は全てに一貫した筋を通すこと」であるから、日常は唯物論的、鍼灸・東洋医学...鍼灸・東洋医学を科学的に学ばねばならない根本的理由(補足)〜学問とは〜

  • (加筆)東洋医学の学びの総括(序-2)〜総括の形式と内容について〜

    鍼灸学校の学びの総括としての、東洋医学と鍼灸に関わる諸々のことについて説いていきたい、のであるが、そのためにしっかりと時間を割けない、かつこれ以上先延ばしも出来ないという状況での、であるので、当初の構想と違って覚え書的な形式でと考えている。しかしながら、その分、教科書的な中身とか、他の東洋医学、鍼灸の書で説かれる部分を大きくカットして、自身が東洋医学、鍼灸を学ぶ上で疑問に思ったこととそれに対する自身の答えを主に説いていきたいと思うので、これから東洋医学、鍼灸を学んでいってその観念論的な形式と内容に違和感を覚えるだろう皆さんや唯物論的に、科学的にものごとを考えていこうとする皆さんには、面白く読んでいただける、もしかしたら役に立つのでは、とも思う。ということで、次回は「陰陽・五行論」について説きたい、と思う。...(加筆)東洋医学の学びの総括(序-2)〜総括の形式と内容について〜

  • 唐揚げをめぐる認識〜クラゲから魚へ〜

    前回は、カラアゲを食べるということの背後にはいかなる認識いかなる映像があるのか?を見ていった。しかしながら、そこには反映の映像はあっても人間の人間たるゆえんである「問いかけ」の映像がなかった(というか「問いかけ」の映像も「反映」の映像も一緒くたにしていた)のではないのか?という自身での反問を受けて、そこを見ていこうとして、それには問いかけのある反映(=人間)と「問いかけ」のない反映(=動物)との違いを見なければ、そこを分かってはいけないだろう。として、そこを<生命の歴史>に尋ねる。というところまでであった。そしてその場合に、人間の認識の原点である「魚の段階」と人間との対比で見ることが必要であろうとなったのである。しかしながら、「魚の段階」を見るには、認識のない=脳のない時代である、魚の前の段階の「クラゲ体...唐揚げをめぐる認識〜クラゲから魚へ〜

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二天さん
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MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究〜
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