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matasaburo3の散歩日記 https://blog.goo.ne.jp/blackcoffee-ma48

日本各地を旅して、四季を撮ります。 又、世界各地を旅した印象記やらあれこれ。

matasaburo3の散歩日記
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2015/04/09

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  • 2024年の桜ー野川

    4月10日快晴の日、今年も「喜多見ふれあい公園」で散り行く桜を楽しみました。前日の雨で残念ながら多くの桜が散ってしまいました。それでも野川沿いに真青な空にピンクの桜が鮮やかです。川沿いに菜の花も見えます。一年で一番美しい季節です。2024年の桜ー野川

  • 2024年の桜ー千鳥ヶ淵

    東京の桜が平年よりかなり遅れて満開を迎えて、4月5日千鳥ヶ淵を訪ねました。花冷えで雨も降りだしそうな日ですが、「九段下駅」で下車すると、カメラ片手に大勢の人の列が見えました。田安門から入り、日本武道館を眺めてから千鳥ヶ淵緑道をゆっくり歩きます。歩く人々の半数は外国人でしょうか。国際色豊かです。ボート場を通り、「戦没者墓苑」に入りました。英国大使館を横目に千鳥ヶ淵公園を出てから、帰りは「半蔵門駅」まで歩きました。静かな満開桜の撮影となりました。2024年の桜ー千鳥ヶ淵

  • 蔵前神社の桜とミモザ

    ぽかぽか陽気の日曜日、蔵前神社を訪ねました。都営大江戸線「蔵前駅」から徒歩2分です。1694年、徳川綱吉公が石清水八幡宮と称して創建しました。この錦絵は1824年の春、八幡宮で行われた「力持」の技芸の奉納を描いたもので、作者は歌川国安です。奉納力持が開催された御蔵前八幡宮は、勧進大相撲の発祥の地であり、1833年に本所回向院が定場所となるまでは、回向院、深川八幡とともに大相撲三大拠点の一つでした。この日、小さな境内は早咲きのピンクの桜と、黄色いミモザの競演を見守る人々で大賑わいでした。オーストラリア原産のミモザの花は、春を感じさせる魅力的な花です。3月8日は「国際女性デー」で、イタリアでは「女性の日」といわれ、ミモザの花を贈る習慣があるそうです。日本でも定着しつつあるかもしれませんね。既に満開を過ぎていま...蔵前神社の桜とミモザ

  • せたがや梅まつり

    2月最後の日曜日、梅の名所羽根木公園を訪ねました。45回目のせたがや梅まつりが3月3日まで開催されています。この日はあいにくの雨の為、人影もまばらです。ただ餅つき会場には大勢の人が行列をつくり、つきたてのお餅をおいしくいただきました。満開も過ぎて、雨にぬれた梅が少し寒そうです。やはり梅には晴れた青空が似合うようです。傘をさしながらの撮影には苦労しました。梅の季節もそろそろ終わろうとし、又季節が少し進みそうです。せたがや梅まつり

  • 鶴巻温泉にて

    (鶴巻の大欅)1月最後の日曜日、小田急線「鶴巻温泉駅」に初めて下車しました。鶴巻温泉は駅周辺に温泉施設が点在する、静かな温泉郷です。週末になると温泉客や登山客がこの街を訪れます。弘法の里湯は駅から徒歩2分。市営の日帰り入浴施設です。丹沢山系から湧出した2つの源泉を楽しめます。駅から大通りを10分程歩くと「手打そば信玄」があります。古民家風の落ち着いた店内でいただく手打そばは、秦野産はじめ各地のそばを仕入れて毎朝自家製粉しています。「信玄」の近くには、神奈川県指定天然記念物の「鶴巻の大欅」がありました。県下で最も太いケヤキで、樹高30メートル、樹齢は推定約600年だそうです。駅近くには「ほっとつるまき延命くん」があります。地域のシンボル延命地蔵尊からとられた店名のアンテナショップでは、毎朝地元農家から届いた...鶴巻温泉にて

  • 鶴岡八幡宮の正月ぼたん

    1月最初の日曜日、鶴岡八幡宮を訪ねました。「神苑ぼたん庭園」で正月ぼたんを拝観しました。1月1日から2月中旬まで鑑賞できます。牡丹の花は幸福や富貴をあらわすといわれます。又美しさだけでなく、咲き誇る花とともにつぼみや盛りを過ぎた花は、繰り返される生命の循環をあらわす、めでたいものとして尊ばれたそうです。大湖石は中国江蘇省の大湖という湖の底から掘り出される石灰岩に属する天然の名石です。我国では古来より「牡丹には大湖石」を描き、画題を「玉堂富貴」と称して珍重してきました。鶴岡八幡宮の正月ぼたん

  • 気候変動と人類大移動

    国連環境計画によると、「パリ協定」の温暖化ガス排出削減目標を今から完全に守った場合でも、21世紀末には世界の平均気温は産業革命前と比べてセ氏2.5~2.9度ほど高くなるとのことです。現実的な予測では、これからは、10億人規模の人々が移住を迫られるそうです。(ガイア・ヴィンス「気候崩壊後の人類大移動」)豪シンクタンク経済平和研究所は「50年までに12億人が避難生活を余儀なくされる」と予測しています。人口が多いアジアや米国・南欧などが砂漠化し、生存可能な土地を求め、人々はシベリアやカナダなど高緯度地域に逃れる・・・・ヒトはその進化史のほとんどにおいて、定住せず移動を繰り返す生活をしてきました。1万年前に定住を始め、都市文明を築き、現在のような暮らしを当然としてきました。それを変えて移住を当たり前の生活にする為...気候変動と人類大移動

  • 麻布台ヒルズ オープン

    12月最初の日曜日、オープンしたばかりの麻布台ヒルズを訪ねました。森JPタワーは高さ325メートル。あべのハルカスを抜いて日本一となりました。33階の無料展望台からは333メートルの東京タワーが間近に見られます。日比谷線神谷町駅に直結していて、駅前広場からはギャラリースペースやカフェ・レストランにつながっています。中央広場入口には果樹園まであります。オープンスペース「麻布台ヒルズアリーナ」では、多様なイベントが開催されます。パブリックアートが街の各所に設置されています。オフィスロビーには、オラファー・エリアソン作のらせん状の彫刻が吊り下げられています。都心中心部に、アークヒルズ、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズと4つのヒルズが完成しました。ガーデンプラザの裏手、八幡通りを歩くと、八幡神社が鎮座して...麻布台ヒルズオープン

  • 秋の大山

    紅葉が見頃を迎えた、秋の大山を訪ねました。伊勢原駅から大山ケーブル行きのバスに乗り、終点からこま参道を15分程歩いて大山ケーブル駅に着きました。ケーブルカーで阿夫利神社駅まで。大山阿夫利神社は関東綜鎮護の霊山として、雨乞いや五穀豊穣の祈願の対象でした。江戸時代以降は年間20万人を超える人々が「大山詣り」を行ったと記録されています。また、大山と富士山の両山をお参りする「両詣り」も盛んに行われました。秋の大山

  • 「不老不死」のテクノロジー

    近年注目を集める「不老不死」のテクノロジーは、人間と社会をどう変えるのか。イギリスの哲学者、ステイーブン・ケイブは科学技術は宗教的なルーツを持っているといいます。「神話や宗教が語ってきた不死への物語を、科学の言葉を用いて語り直す人々だ。・・・・宗教が永遠の命や死後の復活を約束したのに似ている。」現代の科学万能論は根強いものがあるものの「地球に大きな負荷をかけ、資源を枯渇させるような社会の発展の仕方は、今後長くは続かない。物質的な利得を求めて自然を支配しようとしてはならない。」アメリカの哲学者、シェリー・ケーガンは「不死の科学」は残酷な嘘と説きます。「記憶まで移植するのは極端としても、誰かの身体をもとに別の肉体を作る行為は、人間存在に対してこの上なく残酷な嘘をつくことだ。」「仮想世界でいくら素晴らしい体験を...「不老不死」のテクノロジー

  • 虎ノ門ヒルズ完成へ

    ネコ型ビジネスロボット、トラのもんが出迎えてくれます。虎ノ門ヒルズから「MiraiTokyo」がはじまると呼びかけてます。虎ノ門ヒルズステーションタワーが10月6日開業しました。森タワー、ビジネスタワー、レジデンシャルタワーに加えて、4つのタワーから成る複合施設、虎ノ門ヒルズが完成しました。ステーションタワーは地上49階、高さ266m、商業施設には約70店舗、一部は地下鉄の駅前広場と一体化しています。T-MARKETは地下2階の駅前広場にあり、グリーンにつつまれた900坪の中庭に食を中心にデザイン、アート、音楽が融合したユニークなコミュニティです。2FのT-デッキにはN・S・ハルシャのパブリックアートがありました。日比谷線虎ノ門ヒルズ駅に直結し、地下歩行者通路からは銀座線虎ノ門駅にもつながります。虎ノ門ヒルズ完成へ

  • 小出川彼岸花

    藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町を流れる小出川沿いに、長さ3キロにわたり彼岸花が群生して、散策路となっています。「湘南台駅」から「慶応大学」行きのバスに乗り、終点で下車。そこから10分程歩くと小出川にでました。刈り取り前の稲穂の黄金色の中に真っ赤な彼岸花が咲き誇っています。白い彼岸花も咲いています。木々の緑と青空を吹き抜ける初秋の風がとても心地よく感じられます。小出川彼岸花

  • テクノロジーと人間

    テクノロジーは哲学の重要なテーマであり続けています。カント(1724-1804年)は「科学が万物を説明するなら人間の価値や自由はどこにあるか」と思索し、ハンナ・アーレント(1906ー1975年)は原子力を「宇宙の力」と呼び、自然の中に本来存在しないものを導入することで起こりうる問題を考察しました。1980年生まれのドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、人工知能(AI)を「異星人の知性」と呼び、利用にあたっては倫理的知見の導入が不可欠と説きます。「AIの驚くべき点は、我々の身の回りの環境に知性を与え、人間と相互作用する存在であるということだ。」「AIの脅威とは何かといえば、それは悪用だ。人間の悪が増強され、独裁や犯罪などに使われる事態こそ恐ろしい。」IT(情報技術)が監視社会や全体主義を生み出すかとの問いに...テクノロジーと人間

  • 東林間阿波踊り

    小田急江ノ島線「東林間駅」(相模原市)で下車。4年ぶりに東林間阿波踊りが開催されました。東林間地元5連と、徳島県、静岡県、横浜市、大和市、町田市、藤沢市、高円寺、経堂など総勢33連が参集しました。誰でも気軽に踊りを楽しめる「にわか連」ではOBのサポートで初心者でも参加できます。8月5日、6日の両日、17時には大通りが通行止めとなり、20時頃までカーニバルが続きました。駅周辺では多くの模擬店がにぎわい、沿道の大勢の観客からは、男踊りの勇壮さと女踊りの繊細さに、おしみない拍手が寄せられました。東林間阿波踊り

  • 開成町あじさいの里

    梅雨の中休みの日曜日、開成町あじさいの里を訪ねました。「あじさいまつり」の最終日です。小田急線開成駅で下車。シャトルバスに乗り10分で会場に着きました。東京ドーム約3.6個分の広大な水田地帯の中に、あじさいが5000株。一株一株大切に育てられた、あじさいが色鮮やかに咲き誇っています。メイン会場では地域高校生の部活動発表が行われていました。あじさい池には色とりどりの花びらが浮かべられています。広大な会場、1時間程歩いただけですが、かなりの運動になりました。開成町あじさいの里

  • 新緑の長谷を歩くー光則寺

    長谷寺を出て、近くの「ベルグフェルド」で昼食をとってから、光則寺へ向かいました。日蓮聖人が佐渡へ流された時、弟子の日朗上人も、北条時頼の家臣、宿谷光則の屋敷に捕らえられました。やがて光則は、日蓮聖人に帰依し、屋敷を光則寺としたと伝えられています。境内の裏山には日朗上人が捕らえられていたと伝わる土牢が残されています。境内には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩碑があります。樹齢200年といわれるカイドウの古木をはじめ、四季を通じさまざまな花が見られる鎌倉有数の花の寺です。光則寺は長谷寺と比べ観光客の数は少なく、静かでゆったりとした時間を過ごせます。新緑の長谷を歩くー光則寺

  • 新緑の長谷を歩くー長谷寺

    5月最後の日曜日、ひさしぶりに鎌倉を訪ねました。江ノ電「長谷駅」で下車、5分程歩くと長谷寺です。長谷寺は736年の創建と伝えられる古刹。本尊の十一面観音は、長谷観音と呼ばれ親しまれています。あじさいの名所としても有名です。6月に入ると、上境内の「眺望散策路(あじさい路)」では40種、約2500株のあじさいが咲き誇ります。この日はまだ2,3分咲き程度ですが、早くも外国人を含む多くの観光客でにぎわっていました。散策路を上った先には、あじさい越しに由比ガ浜が望めます。(続く)新緑の長谷を歩くー長谷寺

  • 新緑の長谷を歩くー長谷寺

    5月最後の日曜日、ひさしぶりに鎌倉を訪ねました。江ノ電「長谷駅」で下車、5分程歩くと長谷寺です。長谷寺は736年の創建と伝えられる古刹。本尊の十一面観音は、長谷観音と呼ばれ親しまれています。あじさいの名所としても有名です。6月に入ると、上境内の「眺望散策路(あじさい路)」では40種、約2500株のあじさいが咲き誇ります。この日はまだ2,3分咲き程度ですが、早くも外国人を含む多くの観光客でにぎわっていました。散策路を上った先には、あじさい越しに由比ガ浜が望めます。(続く)新緑の長谷を歩くー長谷寺

  • 拝島のフジ

    5月上旬、昭島市の樹齢800年といわれ、都の天然記念物に指定されている「拝島のフジ」を見に行きました。拝島駅前からバスに乗り、「拝島大師前」で下車。今年の見頃は4月下旬で残念ながら花は大分散っていました。伝承によると、室町時代末頃、この地に建っていた明王院の境内に自生していたそうです。現在は天台宗の寺院大日堂と守護社である日吉神社によって形成された境域の内にあります。藤棚のとなりにある大日堂仁王門には金剛力士像が立っています。大日堂の創建は952年と伝えられ、戦国期に現在地に移され、1733年には石段上の現在地に移し、建物が再興されました。フジは古来より自然暦として農作業や漁期の目安とされ、ホトトギスが来て鳴く木でもあったそうです。拝島のフジ

  • 2023年の桜ー野川

    満開の桜が散り始めた3月最終週、「喜多見ふれあい公園」を訪ねました。遊歩道を歩くと、野川沿いに見事な桜並木が広がっています。徐々に散りゆく桜を惜しみながら、ゆっくりと歩きます。今年もまもなく桜の季節が、静かに去ろうとしています。2023年の桜ー野川

  • 2023年の桜ー四谷~紀尾井町

    前日の冷たい雨とはうって変わって、よく晴れた日曜日、「四谷駅」で下車しました。桜の咲き始めた外堀土手を歩きました。上智大学グラウンドが見えます。土手の下はソフィア通りです。紀尾井町のホテルニューオータニ方向に進むと、清水谷公園があります。江戸時代、紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことから、紀尾井町と呼ばれています。1878年(明治11年)、清水谷附近で大久保利通が暗殺されます。公園には哀悼碑が建てられています。2023年の桜ー四谷~紀尾井町

  • 富士山と桜と菜の花

    快晴の日曜日、「まつだ桜まつり」で西平畑公園を訪ねました。小田急線「新松田駅」で下車。25分程歩いて会場に着きました。「関東の富士見百景」に選定されています。河津桜が見頃で松田山は春の気配です。菜の花も見事です。アジアからの観光客も多く、一足早い春を求める人々で大賑わいです。桜まつりは3月12日まで開催予定です。富士山と桜と菜の花

  • 2022年の歳末

    今年の漢字は「戦」となりました。特異な年でした。混乱と混沌の先に何が見えてくるのかまだわかりません。東京駅も丸の内仲通りも新宿駅も大勢の人で混雑していました。東京には雪はなく、澄んだ青い空が印象的でした。皆様、どうぞ良いお年を・・・・2022年の歳末

  • 神宮外苑のイチョウ並木

    11月下旬の肌寒い日、「青山一丁目駅」で降りて、イチョウ並木を訪ねました。大正12年(1923年)に植栽され、整備されたイチョウ並木。絵画館に向かってまっすぐのびる4列の並木およそ300mは、神宮外苑と青山通りを結び、四季を通じて人々で賑わいます。周辺では再開発が進みますが、この並木道のイチョウは保存される見通しです。神宮外苑の再開発のメインは、神宮球場と秩父宮ラグビー場の建て替えです。正面が秩父宮ラグビー場です。神宮球場は現在の場所からイチョウ並木のすぐ側に場所を移し、ラグビー場は現在神宮球場があるあたりに移るそうです。再開発が終わるのは2036年頃とのことです。神宮外苑のイチョウ並木

  • 本郷坂道散歩

    (金魚坂カフェ)10月中旬の日曜日、「本郷三丁目駅」で下車しました。本郷通りから菊坂通りに入って、しばらく歩くと金魚坂があります。創業から350年以上の金魚卸問屋が経営するカフェがあります。敷地内ではさまざまな種類の金魚を鑑賞できます。菊坂は本郷通りから西片方面に延びる坂道で、周辺に多くの文人たちが住んだ場所です。江戸時代はあたり一帯が菊畑だったそうです。(菊坂)樋口一葉(1872-1896)は明治23年、旧菊坂町(現本郷4丁目)の貸室に母と妹と移り住んでから、この伊勢屋に通い、苦しい家計をやりくりしました。(伊勢屋質店)一葉が24歳の若さで亡くなった時、伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは、つながりの深さを物語っています。(梨木坂)梨木坂は本郷5丁目にあります。昔大木の梨があって坂の名とした説と、この...本郷坂道散歩

  • 初秋の茗荷谷散歩

    (カイザースラウテルン広場)10月最初の日曜日、茗荷谷を訪ねました。丸の内線「茗荷谷駅」で降りて、駅前の春日通りを渡ると、カイザースラウテルン広場です。文京区と姉妹都市提携を結んでいるドイツのカイザースラウテルン市との友好記念で造られました。異形のオブジェの数々は子供たちのよき遊び相手となっているようです。広場の先は旧東京教育大学跡地です。現在は筑波大学東京キャンパス及び放送大学があり、また文京区は約2.9ヘクタールを教育の森公園として整備し、区民の憩いの場となっています。(教育の森公園内)キャンパスの横には窪町東公園があり、起伏の激しい湯立坂が、小石川植物園方向まで伸びています。(湯立坂)この地はもともと旧守山藩邸の敷地であり、明治に入り東京高等師範学校がお茶の水(現在の東京医科歯科大学の所在地)より移...初秋の茗荷谷散歩

  • 勝手にしやがれ

    ジャン・リュック・ゴダール監督が9月13日、91才で亡くなりました。「勝手にしやがれ」はゴダール監督の長編デビュー作。脚本はトリュフォー。1960年に公開され、フランス・ヌーベルバーグの端緒になり、世界の映画作家に影響を与えました。シャンゼリゼ大通りで、Tシャツにジーンズ、ショートヘアでニューヨーク・ヘラルドトリビューンを売るジーンセバーグの姿が印象的でした。ジャンポール・ベルモンドの演じた役は南仏で警官を射殺して、パリの街をさまよい、恋人に裏切られて死ぬチンピラです。ベルモンドが全身で表現する軽快なニヒリズムが新しい時代と新しい人間像を体現していました。ゴダールとベルモンドの共同作業の頂点が1965年公開の「気狂いピエロ」です。フランス映画界を代表するスターとなったベルモンドも、昨年9月6日、88才で亡...勝手にしやがれ

  • 道について

    世界で一番多くの言語に翻訳されているのは「聖書」ですが、その後を追って翻訳が多いのは「老子」だそうです。「老子」は道徳経とも言われ、全文でも5000字余りのごく短いものです。中国では「道」という語は、天道(天・宇宙の理法)の意味や、人道(人が守るべき規範)の意味で早くから用いられてきました。孔子や孟子など儒家によって説かれた「道」は、仁義や礼など人道の面が強く老子の「道」は、天地万物の根源に関わる哲学的な概念として用いられています。第1章「これが道だと口で言ったからってそれは本当の道じゃないんだ。これがタオだと名づけたってそれは本物の道じゃないんだ。なぜってそれを道だと言ったり名づけたりするずっと以前から名の無い道の領域がはるかに広がっていたんだ。」(ちくま文庫タオ老子加島祥造訳)「タオ」は「道」のことで...道について

  • 軸の時代

    「軸の時代」とは、哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)が唱えた紀元前500年頃(広くは紀元前800年頃から紀元前200年にかけて)、ギリシャ哲学、ユダヤ教、仏教、儒教などの「普遍思想」が陸続と現れた時代を指します。中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、パレスチナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャではホメーロスやソクラテス・プラトン・アリストテレスらが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となりました。ヤスパースは「神話時代は、その安らぎと自明性とともに終焉した」と述べ、新しく到来した時代における非神話性を指摘しました。種々の「基本的範疇」が生まれて「世界宗教の萌芽」が形成され、また「普遍的なもに迫る歩み」がおこなわれたとしています。い...軸の時代

  • ブルース・リー、友よ、水になれ

    ブルース、リーは1973年7月20日、32歳の若さで夭折しました。父ブルースが死したとき、まだ4歳でしかなかった長女シャノン・リーは彼の残した言葉を「友よ、水になれブルース・リーの哲学」で紹介しています。「心を空にしろ、形なきものとなれ。水のように無定形に。水をコップに入れれば、コップの形となる。ボトルに入れればボトルの形に、茶瓶に入れれば茶瓶の形となる。水はゆらゆら流れる。水は破壊することもできる。水になれ、友よ」ブルース・リーはワシントン大学の哲学科で西洋・東洋思想を学んでいます。ブルース・リーが生み出したジークンドーには、中国哲学の一つ「道教」の考えが多く採用されてます。道教からヒントを得ることで、自らの武術を発展させてきました。彼の言葉のひとつ「人は生きているとき柔らかく柔軟性に富んでいる。死ぬと...ブルース・リー、友よ、水になれ

  • ゴッドファーザー

    アメリカンニューシネマの傑作「ゴッドファーザー」が公開されて、今年で50年。ニーノ・ロータの甘美なメロディが、残酷なマフィアの抗争の映画に、ロマンチシズムのムードを盛りあげています。7月6日、ジェームズ・カーンが亡くなりました。82才。カーンは1972年大学在学中に知り合ったフランシス・フォード・コッポラの監督作「ゴッドファーザー」で長男ソニー・コルレオーネ役を演じています。5年前の7月(2017年7月)NYトライベッカ映画祭のクロージングナイトで、「ゴッドファーザー」45周年記念の特別イベントが開催されました。フランシス・F・コッポラ、アル・パチーノ、ロバート・デ・二―ロ、ロバート・デユバル、ダイアン・キートン、ジェームズ・カーン、タリア・シャイアが集結しました。映画撮影後にキャストが集まったのは初めて...ゴッドファーザー

  • あじさいの季節に、明月院~成就院

    6月上旬の鎌倉です。北鎌倉駅から徒歩10分の明月院を訪ねました。鎌倉石の参道に咲くあじさいが有名です。その95%が日本古来の姫あじさいとのことです。明月院ブルーと呼ばれる澄んだ青い色のあじさいです。鎌倉幕府第5代執権北条時頼によって建立された「最明寺」が前身です。後に北条時宗(時頼の子)によって「禅與寺」が再興され、明月院は支院の首位とされました。現在は臨済宗建長寺派の寺です。次に向かったのは成就院。江ノ電「極楽寺駅」で下車、徒歩5分です。山門の前に立つと、あじさいの向こうに弓なりに続く由比ガ浜を一望できます。成就院は弘法大師ゆかりの地に1219年北条泰時が建立。本尊は不動明王。1333年鎌倉攻めの際に焼失しますが、江戸中期に復興され現在に至ってます。あじさいの季節に、明月院~成就院

  • 新緑の鎌倉を歩く、永福寺跡~瑞泉寺

    5月下旬の鎌倉です。岐れ道は金沢街道、二階堂への分岐点です。鎌倉宮から10分程歩くと永福寺(ようふくじ)跡です。永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、平泉の二階大堂大長寿院を模して、1192年着工しました。鎌倉市は昭和56年から発掘調査を行いました。堂は二階堂を中心に薬師堂、阿弥陀堂が配され、南北130mに及ぶ伽藍、全面に100m以上ある池が造られていました。永福寺跡からさらに500m程歩くと瑞泉寺です。瑞泉寺は1327年建立。開山の夢窓国師は、鎌倉~南北朝期に禅宗で重きをなした僧です。(仏殿)屋根のそりが美しい仏殿には禅宗建築の優雅さが感じられます。(庭園)本堂裏には夢窓疎石作の迫力ある鎌倉禅宗様式の庭園が異彩を放っています。一年中花の絶えない境内ですが、この時...新緑の鎌倉を歩く、永福寺跡~瑞泉寺

  • 新緑の鎌倉を歩く、寿福寺~安養院

    新緑の季節、鎌倉を訪ねました。鎌倉駅西口から今小路を北鎌倉方向へ10分程歩くと寿福寺です。外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂います。源頼朝が没した翌年(1200年)、北条政子が栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。(仏殿)この地はもともと頼朝の父義朝の館があったといわれています。裏山のやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。(北条政子の墓)鎌倉駅へ戻り、若宮大路を由比ガ浜方向へ歩きます。下馬四つ角を曲がり、しばらく歩くと安養院です。北条政子が頼朝を供養する寺院として長谷笹目が谷(鎌倉文学館附近)に創建した長楽寺が前身であると伝えられます。創建の年(1225年)に政子も死去した為、頼朝・政子夫妻を供養する寺院とされました。その後、大町にあった善導寺の跡(現在地)に移って、安養院...新緑の鎌倉を歩く、寿福寺~安養院

  • 国営昭和記念公園のチューリップ

    初夏の陽気に汗ばむ日、昭和記念公園を訪ねました。立川駅から徒歩10分であけぼの口に到着します。広大な公園の中をさらに20~30分程歩くと、渓流広場です。チューリップが見頃を迎えていました。オランダのキューケンホフ公園の元園長が監修して、花や植栽の配置を工夫したそうです。木漏れ日の中に広がる、色とりどりの花々は春気分を満喫できます。水とのコントラストも魅力的です。(撮影日:4月12日)国営昭和記念公園のチューリップ

  • 野川の散歩道

    野川は多摩川の支流です。国分寺市の湧水池が源で、小金井、調布、三鷹、狛江を通り、世田谷区玉川附近で多摩川に合流します。撮影地は、両岸が狛江市と世田谷区成城です。遊歩道沿いに見事な桜並木が続いています。うららかな陽光の下、満開の桜を眺めながら、人々が思い思いに楽しんでいました。時は流れ、川は流れ、今年も桜の季節が巡ってきました。野川の散歩道

  • 2022年の桜ー桜坂

    満開の知らせが届いた日曜日、溜池山王駅からすぐのアークヒルズ界隈にある桜坂です。港区ホームページによると、明治中期に新しくつくられた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことから、この名がついたそうです。現在の桜坂はアークヒルズの開発にあわせて再整備された道です。コロナ3年目そして戦争・・・・暗い世相をしばし忘れさせて、人々を明るく元気づける桜です。2022年の桜ー桜坂

  • 香林寺の桜

    小田急線百合ヶ丘駅で下車。急な坂道を上り、高石神社の横を過ぎると多摩丘陵の丘が広がっています。五重塔が見えてきました。20~30分程歩くと香林寺に着きます。香林寺は大永5年(1525)に開山された禅宗の寺です。お堂は戦後に建立され、最上部にそびえる五重塔に向かう坂道には、三十三観音が安置されています。日本唯一の禅宗様式の五重塔は、屋根の反りが美しく、堂々たるたたずまいです。早咲きのコヒガンザクラが約20本植えられ、お彼岸の時期に見頃を迎えます。五重塔の横にはしだれ桜、奥にはコヒガンザクラと印象的で忘れがたい景色です。香林寺の桜

  • 梅の季節の北鎌倉・円覚寺

    (白鷺池)北鎌倉駅の目前、杉林に囲まれた古刹が円覚寺です。北条義時以来、北条得宗家領となった山内荘に、8代執権北条時宗が建立した禅宗寺院です。(選仏場)選仏場は元禄12年(1699)に建てられ、座禅道場として300年余りの歴史を経た建物。(選仏場内部)現在の選仏場には、南北朝時代の薬師如来が中央に祭られています。(仏殿)仏殿は関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年再建されました。(開基廟)円覚寺の開基北条時宗の廟所として建てられた塔頭。左手に臥龍梅の木が見えます。広い境内のあちこちに梅が咲き、春の到来を告げています。梅の季節の北鎌倉・円覚寺

  • 早春の鎌倉、荏柄天神社~白旗神社

    荏柄天神社は、大宰府天満宮・北野天満宮と並ぶ日本三古天神の一つです。境内には、菅原道真にちなんで、梅の木が植えられています。(社殿)源頼朝が治承4年(1180)鎌倉に入り、大倉に幕府を開くと、その鬼門の鎮守とされたと伝えられています。鶴岡八幡宮と共に武家政権の守護神として、また東国における天神信仰や詩歌信仰の中心となりました。(本殿)社殿の奥に建つ本殿は国指定重要文化財(建造物)に指定されています。鶴岡八満宮若宮を移築したものと考えられています。(白旗神社)正治元年(1199)頼朝が53才で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られました。明治維新に際し寺は白旗神社に改められ、源頼朝を祭神として今日に至っています。神社横の石段を登ると、江戸時代に島津氏によって整備された多層塔があります。(北条義時法華堂跡)鎌...早春の鎌倉、荏柄天神社~白旗神社

  • 早春の羽根木公園

    小田急線梅ヶ丘駅北口より徒歩5分、2月は梅林で賑わう公園です。昭和42年世田谷区議会議員による55本の梅の記念植樹が行われました。(茶室)現在は紅梅170本、白梅530本の700本を数える都内でも屈指の観梅の名所です。(茶室)毎年「梅まつり」が開催されていますが、今年は残念ながら中止とのことです。訪れたのは2月上旬、少しづつ開花しつつあります。見頃は2月下旬頃です。早春の羽根木公園

  • 新春の豪徳寺

    開運スポットとして名高い、世田谷の豪徳寺を訪ねました。豪徳寺は彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺です。2代藩主井伊直孝が鷹狩りの折、住職の愛猫「たま」の招きで、落雷を逃れたという伝説があり、豪徳寺は開運や金運を招く、縁起の良い招き猫発祥の寺といわれています。招福殿は3月頃まで改修工事中ですが、願いが成就したお礼に奉納された膨大な数の招き猫が出迎えてくれます。広大な境内(約5万㎡)には、四季折々の草木があり、梅・桜・アジサイや紅葉などが楽しめます。新春の豪徳寺

  • 街を彩るクリスマス・オブジェ

    (東京ミッドタウン)2021年のクリスマスがやってきました。コロナに明け暮れ、オリンピックと共存しました。(東京ミッドタウン)驚くような事件や事故も相次いでいます。(東京ミッドタウン)激しく変化していく社会のその先には何が見えてくるのでしょうか。(六本木ヒルズ)人々の夢や希望を願いながら、街を明るく照らすクリスマス・オブジェです。(六本木ヒルズ)街を彩るクリスマス・オブジェ

  • 晩秋の鎌倉

    (長谷寺)11月最後の日曜日、晩秋の鎌倉を歩きました。澄んだ青空に紅葉が鮮やかです。最初に長谷寺を訪ねました。本尊(長谷観音)造立1300年ということで、かなり賑わっていました。(鶴岡八幡宮)次いで鶴岡八幡宮に向かいました。舞殿の背後、本宮へ向かう大石段西側にはかつて鎌倉一の巨木・大イチョウがありました。(鶴岡八幡宮)昼食後は北鎌倉まで行き、円覚寺に入りました。文永の役、弘安の役で死んだ兵士の菩提を弔うため、北条時宗により創建されました。鎌倉五山第二位の禅宗寺院です。広い境内では四季折々に楽しめますが、11月中旬から12月の紅葉で1年を締めくくります。晩秋の鎌倉

  • 大山の紅葉

    深まる秋、大山を訪ねました。小田急線「伊勢原駅」で下車。駅前からバスで「大山ケーブル駅」まで直行。日曜日とあって、ケーブルカーを待つ家族連れの行列が何重にもなっています。大山は標高1250m、別名「あふり山」といわれます。阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとして、神の山としてあがめられてきました。仏教が伝来すると神仏習合の山となり、武家が政治をとると、将軍たちは開運の神として武運長久を祈りました。江戸時代になると、江戸庶民の信仰と行楽の山として「大山詣り」が盛んになりました。江戸から5日か6日かけて往復したそうです。今ではケーブルカーに乗り、6分か7分で神社下社まで登れます。ただ山頂までは更に1時間ほど歩かねばなりません。大山の紅葉

  • 鎌倉文学館と芥川龍之介

    秋晴れの日曜日、鎌倉を訪ねました。江ノ電「由比ガ浜駅」で下車、徒歩7分で鎌倉文学館に着きました。旧前田侯爵家の鎌倉別邸でしたが、昭和11年(1936)、今に残る洋館が完成します。鎌倉ゆかりの文学者の資料保存と展示を目的に、昭和60年鎌倉文学館が開館しました。由比ガ浜が一望できる庭園では、秋バラが見頃となっています。明治時代、夏目漱石は参禅のため、島崎藤村は旅の途中に鎌倉を訪れました。大正時代になると、多くの文学者が鎌倉に滞在したり、暮らしたりするようになりました。本館の特別展は「来鎌倉105年芥川龍之介と鎌倉」です。(12月23日まで)本館内は撮影禁止です。芥川は大正5年(1916)から8年まで鎌倉に住み、この地で小説「蜘蛛の糸」などの初期代表作を発表しました。芥川は大学を卒業すると、横須賀の海軍機関学校の英語...鎌倉文学館と芥川龍之介

  • 秦野水無川ハイキング

    小田急線秦野駅で下車。南口の駅前広場の彫刻作品です。「風」配管用の継手「エルボー」を再利用。通り抜ける風を感じられる作品です。「重力の無い風景」弧を描いた鉄板の中をキューブが跳ね上がり、愉快な形を生み出しています。駅北口から水無川に沿って「水無川ハイキングコース」をカルチャーパークまで約40分程歩きました。「健康の泉」秦野市は「彫刻のあるまちづくり」を進めていて、街中に40点以上の作品が展示されています。「風」カルチャーパークエリアには30点以上の作品があります。「Odoctave-2」大自然に潜むエネルギーを受信し、そのエネルギーを疑似的に可視体験させる装置を表しているそうです。水無川は名前の通り、水量は少ないですが、丹沢の山々から流れる水は、美しく透き通っています。新緑の季節、河川敷を歩きながら、心地よい風...秦野水無川ハイキング

  • 丹沢の春景色

    渋沢駅からバスに乗り、終点大倉まで。県立秦野戸川公園のチューリップが見頃となっていました。桜の季節が終盤を迎え、山々は新緑の季節に移ろうとしています。桜と菜の花の組み合わせもすがすがしく、楽しませてくれます。色とりどりのチューリップは、まさに今が旬です。ひさしぶりの丹沢、懐かしい景色に目も心も洗われるかのようです。丹沢の春景色

  • 東京タワーに鯉のぼり!

    3月28日、桜開花から2週間後の日曜日です。赤羽橋駅で下車して地上に出ると、東京タワーと桜のコラボが見られました。あいにくの空模様、桜は散り始めています。1階正面玄関前に着くと、たくさんの鯉のぼりたちが元気に泳いでいました。東京タワーの高さ333mにちなんで、「333匹の鯉のぼり」が今年もスタートしました。コロナウィルスの終息と、子供たちの健やかな成長を願っての企画です。赤い鯉がお母さんを表すようになったのは戦後になってから。特に1964年の東京オリンピック以降は、五輪の色である赤・青・黒・緑などが反映され、子供たちが青や緑の鯉で表せるようになったそうです。東京タワーに鯉のぼり!

  • 桜便りー桜坂

    3月23日、満開宣言後の東京桜です。溜池山王駅で下車。全日空ホテル横の坂を道なり歩きます。アークヒルズをとり囲むように桜並木が鮮やかです。のどかな昼下がり、道行く人々を幸せに照らすかのようです。桜便りー桜坂

  • 桜便りー靖国神社~千鳥ヶ淵

    (標本木)3月20日の東京です。午前中は薄日が射していました。市ヶ谷駅で下車。靖国通りを歩きました。桜並木が続いています。神社内は花見の人々で賑わっています。靖国神社を出て、北の丸公園から千鳥ヶ淵に向かいました。静かで穏やかな眺めです。5分咲き程度でしょうか。人出はそれほど多くありません。満開まであと数日、最も華やかな季節を迎えようとしています。本ブログ編集中に、宮城で地震が発生しました。落ち着かない日々が続きます。桜便りー靖国神社~千鳥ヶ淵

  • 桜便りー目黒川、東京ミッドタウン

    3月17日、開花日から3日目です。午前中は目黒川沿いを歩きました。目黒川は世田谷区池尻を上流端として、品川区東品川で東京湾にそそいでいます。上流は昭和初めごろまでは、かんがいの水源として、下流は現在の船入場までは運河として利用されていました。沿道の約800本の桜は、ほとんど開花していません。来週には景色が一変するでしょう。午後は東京ミッドタウンを訪ねてみました。ソメイヨシノを中心に約150本の桜があります。まだ2,3分咲き程度でしょうか。うららかな陽光の下で、人々がそぞろ歩きを楽しんでいました。桜便りー目黒川、東京ミッドタウン

  • あしたのために あしたのジョー!展

    世田谷文学館で「あしたのジョー展」が3月末まで開催中です。千歳船橋駅からバスで「芦花恒春園」下車徒歩5分です。(世田谷文学館)1968年の連載開始から50年を経て、スポーツマンガの金字塔といわれる「あしたのジョー」は、今も世代を超えて多くのファンに愛されています。(少年マガジン1973年5月13日号)原作高森朝雄(梶原一騎)、漫画ちばてつや。「ふきすさぶこがらしのためにできた道ばたのほこりっぽいふきだまりのような」「この物語はそんな街の一角からはじまる・・・・」この冒頭箇所は、漫画家が幼少期を過ごした思い出の場所として、原作者の原稿には存在しない設定でした。東京五輪(1964年)前後を時代背景とし、天涯孤独の主人公が、スポーツを通して成長する姿が描かれています。永遠のライバル力石徹の死は読者の反響を呼び、葬儀を...あしたのためにあしたのジョー!展

  • 神田明神の梅

    御茶ノ水駅聖橋口から300m歩くと神田明神です。正式名称は神田神社。江戸三大祭のひとつ「神田祭」で、古くから街の人々に親しまれています。1616年、現在地に移転しました。江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守として尊崇されました。現在は大手町、丸の内を氏子地域に持ち、仕事運と商売繁盛を祈願するうえで欠かせない神社となっています。縁結びの神である大黒様は、男女の縁だけでなく仕事に関する縁をもたらすご利益があると言われています。銭形平次が神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、「銭形平次の碑」があります。令和3年の神田祭は蔭祭として斎行される予定です。神田明神の梅

  • 小田原城址公園の梅

    春一番が吹いて数日後、ポカポカ陽気の土曜日です。車窓からは、冠雪した富士山が美しく荘厳に見えました。小田原城址公園では、紅白の梅が咲きそろいました。小田原城はコロナ感染予防の為、天守閣に登ることは出来ません。人出は多くなく、のんびりと散策できまます。春の足音が確実に近づいてきているようです。少し心に余裕がもてます。小田原城址公園の梅

  • コロナ禍の師走

    2020年がまもなく暮れようとしています。予測できない程の迷いと変化の年になりました。各所に工夫をこらしたクリスマスツリーが見られます。誰もが「生命」について、これまで以上に考えたように思います。相田みつを「道」に泣くコロナ禍の師走

  • 殿ヶ谷戸庭園の紅葉

    殿ヶ谷戸庭園は中央線国分寺駅南口から徒歩2分にあります。昔この地は国分寺村殿ヶ谷戸という地名でした。1929年(昭和4年)岩崎彦弥太が、江口家から別荘を買取り、和洋折衷の木造主屋に建て替え、紅葉亭を新築し、回遊式庭園を完成させました。(湧水源)地下水が湧出する崖線が敷地内にあり、この湧水を利用して「次郎弁天池」が作られました。(馬頭観音の石碑)国分寺市内に11基残る馬頭観音のひとつ。かつて馬は生活に欠かせない動物として大切にされ、供養のために祀られたのが馬頭観音です。紅葉亭から見下ろしたイロハモミジの紅葉。下に次郎弁天池が見えます。殿ヶ谷戸庭園の紅葉

  • 小春日和の根津散歩

    東京メトロ「根津駅」で下車。歩いて5分ほど、不忍通りから路地に入ると鳥居が見えてきました。根津神社は、1706年徳川綱吉が建立しました。「七五三」詣りの日曜日、家族連れで賑わっています。根津には夏目漱石、森鴎外ら作家が多く住みました。上野動物園近くに「水月ホテル鴎外荘」があります。「舞姫」を執筆した旧邸を保存しています。ところが新型コロナウイルスの影響を受け、5月31日に閉館となっていました。不忍池ではのんびりと休日を楽しむ人々の向こうにスカイツリーが見えました。更に数分歩くと旧岩崎邸庭園があります。1896年(明治29年)岩崎久弥の本邸として造られました。洋館はジョサイア・コンドルの設計により、英国ジャコビアン様式の見事な装飾が見られます。入口付近には樹齢400年の大イチョウがあります。12月初旬には正面玄関...小春日和の根津散歩

  • 霊南坂~虎ノ門ヒルズ駅その2

    (大倉集古館)大倉集古館は大倉喜八郎が設立した日本で最初の私立美術館です。喜八郎が蒐集した日本・東洋の古美術品と、息子喜七郎が蒐集した日本の近代絵画など、約2500件の美術・工芸品を所蔵しています。(中国同盟会発祥の地)1905年8月20日大倉喜八郎邸(現ホテルオークラ)において、孫文を総理とする中国同盟会が結成されました。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年中華民国が誕生します。その意義を称えた記念碑です。(汐見坂)汐見坂は霊南坂下から東に下る坂で、海が見えたといいます。また松平大和守邸から「大和坂」ともいったそうです。左手は虎ノ門病院です。(虎ノ門ヒルズ駅)虎ノ門ヒルズ駅は東京メトロ日比谷線の新駅です。今年6月に暫定開業しました。現在も工事中で最終完成は2022年の予定です。4月に開業...霊南坂~虎ノ門ヒルズ駅その2

  • 霊南坂~虎ノ門ヒルズ駅その1

    (霊南坂)霊南坂は虎ノ門2丁目と赤坂1丁目の境の坂。慶長15(1610)年、この地に東禅寺を開いた嶺南和尚の庵があったのが名の起源。現在は米国大使館とホテルオークラの間を走っています。幕末の地図では、米国大使館の場所には山口筑前守、ホテルオークラ側には松平大和守の屋敷があったことがわかります。(霊南坂教会)霊南坂教会(1879年創立)は、日本のキリスト教会のなかでも古く、由緒あるプロテスタント教会です。(ホテルオークラ)霊南坂を上ると高台に出ます。左に延びているのは江戸見坂。江戸の下町が見渡せたそうです。永井荷風の日記には、「午後銀座に往き食料品を購ひて帰る。霊南坂を登るに坂上の空地より晩霞の間に富士の山影を望む」とあります。坂の上に富士山が見えたようです。(東京経済大学発祥の地)東京経済大学の前身は、大倉財閥...霊南坂~虎ノ門ヒルズ駅その1

  • 大磯に鴫立庵を訪ねる

    (湘南発祥の地大磯)猛暑日でした。大磯の名所、鴫立庵(しぎたつあん)を訪ねました。大磯駅を降りると、「湘南清絶地」の石碑があります。「清らかで清々しく、このうえもない所、湘南とはなんと素晴らしい所」という意味で、中国湖南省の洞庭湖の沿岸にある景勝地に似ていることから「湘南」と名づけられたともいわれます。10分程歩くと鴫立庵に着きます。西行法師ゆかりの地として、鴫立沢のほとりに建てられています。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(俳諧道場)小田原の崇雪が1664年頃、五智如来像をこの地に運び、草庵を結び、「鴫立沢」の標石を立てたのが始まりといわれます。京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つといわれています。(円位堂)初代庵主大淀三千風が元禄時代に建てたままのもので、堂内には等身大...大磯に鴫立庵を訪ねる

  • 青春のトキワ荘

    大江戸線「落合南長崎駅」で下車、7、8分歩くと「南長崎花咲公園」があります。豊島区椎名町にあった「トキワ荘」が復元され、マンガミュージアムとして近くオープンします。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫等が青春時代を過ごしました。石ノ森章太郎は平成10年1月、60才で亡くなります。赤塚不二夫の回想録の一部です。「僕は昭和28年に上京して工員をしていたんだけど、石ノ森が31年に上京すると、最初の2年間はトキワ荘の四畳半に二人で一緒に住んだんだ。・・・・当時から、僕らの間では、石ノ森は手塚先生よりも絵がうまいんじゃないかと言われていた。手塚先生が聞いたらすごく怒ったんだろうけど。・・・・」赤塚不二夫は小学6年のとき、手塚治虫の「ロストワールド」に大いなるショックを受け、漫画家を志しました。昭和34年に「週刊...青春のトキワ荘

  • 新緑の季節に

    人間界の悪戦苦闘を知らぬかのように、季節は確実に進み、新緑の季節が巡ってきました。陽光に照らされて、まばゆく輝いています。色とりどりの花々が咲き、最も美しい季節を演出しています。テレビからは連日、悲しいニュースが伝えられ、悲劇の連鎖がどこかで止まることを祈るしかありません。新緑の季節に

  • 高輪ゲートウェイ駅~御殿山

    約半世紀ぶりに、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」が3月14日開業しました。山手線の新駅は1971年の西日暮里駅以来です。新駅から品川駅方面にまたがる再開発は、2024年頃まで続き、東京の成長を担う街の一つとして期待されています。次に、品川駅前からバスに乗り、御殿山へ向かいました。御殿山は江戸時代から続く、桜の名所です。将軍家の品川御殿があったため、御殿山の名がついています。品川御殿は元禄15年(1702年)に火災で焼失しています。(茶室・有時庵)御殿山トラストシティには御殿山庭園があり、茶室「有時庵(うじあん)」は建築家・磯崎新氏の設計です。斬新なデザインですが、非公開で接近して見ることは出来ません。歌川広重や葛飾北斎らも花見に興ずる人や風景を浮世絵として残しています。高輪ゲートウェイ駅~御殿山

  • 梅の香ただよう北鎌倉を歩く

    3月初めの北鎌倉です。梅の名所、東慶寺を訪ねました。(山門)臨済宗円覚寺派の禅寺です。(本堂)境内には130本の梅がありますが、梅の季節もそろそろ終わろうとして、移りゆく季節を惜しむかのように咲いています。(鐘楼)明治38年、円覚寺管長で建長寺管長も兼務していた釈宗演が東慶寺の住職となり、荒廃していた寺を再興しました。宗演の門下には、文化人・政財界人が多く、鈴木大拙や夏目漱石も訪れました。(夏目漱石参禅記念碑)墓苑には、鈴木大拙、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、小林秀雄、高見順、谷川徹三ら文化人の墓が多数あります。北鎌倉駅を出てすぐ線路脇にある白鷺池。鶴岡八幡宮の化身・白鷺がここに舞い降りて円覚寺の建立の場所が決まったという伝説があります。池のほとりに咲く紅白の梅が春の訪れを告げています。梅の香ただよう北鎌倉を歩く

  • 春の訪れー松田山の河津桜

    2月中旬、松田山の早咲きの河津桜が見ごろとなっていました。小田急線「新松田駅」から歩いて20分程。西平畑公園では「まつだ桜まつり」が開催中です。濃いピンクの桜と黄色の菜の花が鮮やかです。ここから見える富士山は「関東の富士見百景」に選定されています。写真では雲と重なってはっきりしませんが、肉眼では雪をかぶった富士山がよく見えました。眼下には足柄平野が広がり、待ちわびた春の景色を満喫することが出来ました。春の訪れー松田山の河津桜

  • 伝説の写真家、ソール・ライター

    渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ニューヨークが生んだ伝説の写真家永遠のソール・ライター」を見てきました。ソール・ライター(1913-2013年)は、1950年代からファッションカメラマンとして活躍し、1980年代に5番街のスタジオを閉鎖した後は、イースト・ヴィレッジのアパートで自分のためだけに作品を創造する生活に転じました。彼の死後、残された膨大な未整理の作品・資料の発掘作業は現在も進行中です。「カラー写真のパイオニア」とも称される、1950年代のニューヨークの街角を切り取った写真群。例えば雪が舞いながら降りしきる通りでの人や車の動きは、詩的幻想をたたえ、郷愁さえ誘います。大胆な構図や実験的手法の写真も多く、自由な写真の可能性を広げてくれます。今、渋谷の街は、大規模な再開発の波の中にあります。...伝説の写真家、ソール・ライター

  • 2020年の初めに

    明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。JR原宿駅で下車しました。現駅舎は1924年(大正13年)に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎で最も古いそうです。今年3月21日に新駅舎の供用が開始されます。明治神宮への参道を歩きました。明治神宮が完成したのは1920年(大正9年)11月1日です。今年100年祭を迎えます。次に千駄ヶ谷から新国立競技場に向かいました。2020年は激動の20年代の幕開けでもあります。予定されている事と予定されていない事。予定されていない事に知恵をめぐらし、不測の事態に備える、そんな時代のようです。2020年の初めに

  • 2019年(令和元年)の終わりに

    まもなく2019年が終わろうとしています。恒例の光のイベントが各地で開催され、幻想的な空間が創出されています。令和元年という節目の年に皇室行事が盛り上がる一方、温暖化の加速による猛暑や台風・豪雨災害が多発しました。この地球やこの社会はどこに向かうのでしょう。令和号が走りだしました。人々の夢や希望や悲しみや怒りなど、さまざまなものを乗せて。もうすぐ2020年です。皆様、今年1年どうもありがとうございました。どうぞ良い年をお迎えください。2019年(令和元年)の終わりに

  • 麻布山善福寺の大イチョウ

    12月上旬、麻布山善福寺を訪ねました。「麻布十番駅」から元麻布方向に7,8分歩くと、善福寺の山門に着きました。(山門)善福寺本堂は、当初東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築して、昭和36年現在地で組み上げたものです。(本堂)江戸時代の浄土真宗の本堂の構成を良く示す建築とのことです。(越路吹雪・岩谷時子の歌碑)墓地入口すぐに越路吹雪・岩谷時子の歌碑がありました。2016年の10月25日(岩谷時子の命日)、「ラストダンスは私に」歌碑除幕式が行われました。越路吹雪のマネジャー岩谷時子の生誕100年を記念してのことです。歌碑の正面には親鸞聖人像、左手には大イチョウが立っています。善福寺の大イチョウは樹高20m、幹回り10m余の都内のイチョウの中で最大の巨樹です。樹齢は750年以上と推定されます。昭和20年の東京大空襲によ...麻布山善福寺の大イチョウ

  • 飯山観音~白山神社

    小春日和の日曜日、飯山白山森林公園を訪ねました。小田急線「本厚木駅」から、「宮ヶ瀬」行きのバスに乗り、「飯山観音前」で下車。東丹沢山麓の東端に位置し、飯山温泉郷は古くから湯治場として親しまれてきました。(長谷寺)15分程歩くと、飯山観音長谷寺(ちょうこくじ)です。高野山真言宗の寺院です。飯山観音から白山頂上(284m)までは傾斜の少ない「女坂」と尾根筋を行く「男坂」の2つのルートがあります。(男坂)「男坂」を息をきらしながら30分程登ると、白山神社に着きました。(白山神社)ここにある白山池は年中枯れることのない雨乞の池といわれています。頂上にある展望台は関東平野や大山が望めるパノラマスポットです。疲れが吹き飛ぶ素晴らしい眺めです。(白山展望台から)飯山白山森林公園はモミジの名所としても有名ですが、見ごろは12月...飯山観音~白山神社

  • マネ「フォリー・ベルジェールのバー」を観る

    東京都美術館で開催中の「コートールド美術館展魅惑の印象派」を見てきました。「フォリー・ベルジェールのバー」は、1869年パリ初の音楽ホールとして開店した酒場を描いたマネ晩年の作品です。間近で見ると複雑な構成の作品とわかります。鏡の存在がポイントになっています。マネはスペイン旅行中に「ベラスケスを観るだけでも旅に出る意味がある。」と書き送り、ベラスケスを敬愛していました。「ラス・メニーナス」における鏡と同様の意味を持っているともいわれます。1882年のサロンに出品され、大好評を博します。マネの絵画をようやく市民が受け入れ始めますが、体を病んだ画家の余命は幾ばくも残されてなく、翌年51才で亡くなります。(ルノワール「桟敷席」)ルノワール、セザンヌ、ドガ、ゴーガンたちの有名作品が並んでいます。ルノワールが第1回印象派...マネ「フォリー・ベルジェールのバー」を観る

  • 北陸夏旅その2

    2日目の朝は雨でした。まず「忍者寺」と呼ばれる妙立寺を見学しました。忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備され、堂内のあちこちは迷路のようになっています。3代藩主前田利常が建立しました。見学後、七尾方面へ向かいました。途中激しい雨でしたが、千里浜なぎさドライブウエイに入る頃は、雨もやみ気持ちよいドライブになりました。全長約8kmの日本で唯一、世界でも希少な海岸のドライヴウエイです。北陸夏旅その2

  • 北陸夏旅その1

    残暑お見舞い申し上げます。お盆明けに、家族旅行で北陸を訪ねました。金沢北陸新幹線で昼過ぎに金沢到着。まず、駅前の「ANAクラウンプラザホテル」でテイータイム。休憩後、レンタカーで兼六園へ向かいました。兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の特徴をそのまま今に残しています。中国宋の時代の詩人・李格非の「洛陽名園記」から採って、六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名されました。(霞ヶ池)山崎山の下に芭蕉の句碑があります。芭蕉一行が「おくのほそ道」で江戸を立ったのは元禄2年3月27日。越後・越中を経て金沢に入ったのは7月15日(新暦8月29日)。10日間を加賀の俳人達と過ごしました。「あかあかと日は難面も秋の風」(赤々とした夕日は無常にも沈もうとしている。そこには秋風が心細く吹き始めてきたことよ。)兼六園を...北陸夏旅その1

  • 大和郡山城

    奈良の旅、最終回です。「大和郡山」駅のすぐ近くに、郡山城跡があります。1580年(天正8年)、筒井順慶が入城、築城を開始。1585年には豊臣秀長が入城。大和・紀伊・和泉100万石の中心となります。関ケ原の戦い後には、大坂・京都に近い要衝として幕府に重要視され、水野・松平・本多といった譜代大名が城主を務めました。1724年(享保9年)には、甲斐国甲府より柳沢吉里が入部します。(柳沢神社)本丸跡には柳沢神社が建っています。柳沢吉里の父である、柳沢吉保(徳川綱吉の側用人)を祀る神社で、1880年に創建されました。(昭和天皇歌碑)天守台は本丸の北端部に位置し、東方への眺望が開けています。(天守台)石垣は野面積みで、自然石の他に石仏や礎石などの転用材が多く用いられています。伝承では豊臣秀長時代に5層の天守閣が建っていたと...大和郡山城

  • 矢田寺 あじさい寺

    奈良の旅の続きです。奈良に一泊して、翌朝近鉄線「大和郡山」駅に向かいました。駅近からバスに乗り約20分、さらにバス停から登り道を15分程歩きました。矢田寺は正式には矢田山金剛山寺といいます。飛鳥時代の680年頃、大海人皇子(=後の天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後智通僧正が開基しました。智通僧正は遣唐使として唐に渡り、玄奘三蔵から法相宗を学び、日本に伝えました。当初は十一面観音を本尊としていましたが、平安時代地蔵信仰が盛んになると、地蔵菩薩が本尊となります。現在は高野山真言宗別格本山となっています。アジサイは1960年代半ばから植えはじめ、今や1万株。約2万5千平方メートルに及ぶ境内の至るところで咲き、「アジサイ寺」と呼ばれています。開山当初は七堂伽藍四十八ヶ坊が造営されていましたが、今は四つの塔頭...矢田寺あじさい寺

  • 矢田寺 あじさい寺

    奈良の旅の続きです。奈良に一泊して、翌朝近鉄線「大和郡山」駅に向かいました。駅近からバスに乗り約20分、さらにバス停から登り道を15分程歩きました。矢田寺は正式には矢田山金剛山寺といいます。矢田寺あじさい寺

  • 法隆寺夢殿~中宮寺

    6月上旬、奈良を訪ねました。JR法隆寺駅で下車、20分程歩くと法隆寺東院です。「日本書紀」によれば、聖徳太子こと厩戸皇子は605年(推古13年)、斑鳩宮に移り住みます。法隆寺東院の所在地が斑鳩宮の故地であり、斑鳩宮に接して建立された斑鳩寺が法隆寺です。(夢殿)八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、738年(天平10年)ごろ、行信僧都が太子を偲んで建立しました。本尊は聖徳太子等身と伝わる秘仏救世観音像(飛鳥時代)。(絵殿・舎利殿)絵殿には太子一代の事績を描いた障子絵が納められています。(東院鐘楼)袴腰と呼ばれる形式の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされています。法隆寺東院の隣りが中宮寺です。中宮寺はもともと太子の斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された尼寺でした。火災のため...法隆寺夢殿~中宮寺

  • 多摩川散策路を歩く

    多摩川東急線「多摩川」駅の西側に、多摩川台公園があります。多摩川沿いの丘陵地に約750mにわたって広がっています。アジサイ園には7種3000株のアジサイが植えられています。(アジサイ園)すぐ隣りの水生植物園では、スイレンが美しく咲いていました。(水生園)見晴らしの良い展望台の近くには亀甲山(かめのこやま)古墳があります。荏原台古墳群中最大の前方後円墳。4世紀後半頃の築造と考えられ、当時この地方に勢力のあった首長の墓と推定されるそうです。港区芝公園内にある芝丸山古墳とならんで、都内を代表する古墳とのことです。公園を下り、多摩川沿いに「岸辺の散策路」を歩きました。野球グラウンドでは少年野球の歓声が、あちこちで響いています。東京都市大グラウンドの先で、土手を昇り、多摩堤通りを渡ると、上野毛の閑静な住宅街に出ました。二...多摩川散策路を歩く

  • 江戸城外郭巡りその3-飯田橋~四谷

    (牛込橋)牛込(飯田橋)から赤坂(赤坂見附)へ続く江戸城外堀は、1636年(寛永13年)に仙台藩伊達家をはじめとする東国52家の大名により開削されました。自然の台地に深さ15m、幅100mにもなる人工の谷をつくる巨大工事でした。外堀普請は、約30年にわたる江戸城建設を締めくくる大規模なもので、外堀予定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移転しました。飯田橋JR飯田橋駅西口を出て左に行くと交番があり、その背後に巨大な石垣の石組みがあります。(牛込見附跡)「牛込見附」の跡です。牛込見附は江戸城内郭の田安門から始まる上州道(いまの川越街道)が通る道で、重要視されていました。牛込見附から先は外堀に沿って土手があり、春には桜の名所となります。土手は城外から城内の人の動きが見えないようにすると共に、防火帯の役割も果たしました。...江戸城外郭巡りその3-飯田橋~四谷

  • 江戸城外郭巡りその2-秋葉原~御茶ノ水

    (万世橋)秋葉原秋葉原で下車、神田川を和泉橋で渡ると柳原通りです。かつてこのあたりは「柳原土手」といわれ、外堀の守りを固めるための土手が、浅草橋門から秋葉原あたりまで続いていたそうです。柳原通りを西に進むと万世橋です。(筋違門)江戸時代、この場所に橋はなく、約150m上流に筋違(すじかい)門に付属する橋がありました。1872年(明治5年)に筋違見附が解体されたとき、その石材を再利用して東京最初の石橋が架けられ、万世橋と命名されました。筋違門は、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と、日光東照宮への社参の際に、徳川将軍が通る御成門として重要視されていました。現在では旧万世橋駅、中央線の高架のレンガ塀の中です。門跡を示す説明版だけが立っています。淡路坂を登ると御茶ノ水駅です。聖橋を渡ると「湯島聖堂」です。(湯島聖堂)16...江戸城外郭巡りその2-秋葉原~御茶ノ水

  • 江戸城外郭巡りその1-浅草橋・柳橋

    江戸城の総構えと呼ばれる城郭全体は、現在の千代田区と中央区のほぼ全域にもわたる巨大なものでした。外郭とは、城の中心部である内郭の外側に広がる、外濠で囲まれた区域のことです。浅草橋JR「浅草橋」駅から神田川に向かって歩くと浅草橋があります。江戸時代、浅草橋門の桝形がありましたが、現在は「浅草見附跡」の碑が残るだけです。(浅草橋)浅草橋門は奥州街道が通る道で、江戸城北東の守りを固める要地でした。神田川にはじめて橋がかけられたのは1636年(寛永13年)。浅草観音への道筋にあたることから浅草御門橋と呼ばれましたが、いつしか「浅草橋」になりました。浅草橋から神田川べりを隅田川に向かうと柳橋です。(柳橋)柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。1698年(元禄11年)に初めて架けられました。当初は川口...江戸城外郭巡りその1-浅草橋・柳橋

  • 駒場公園と旧前田家本邸

    駒場4月下旬、駒場公園を訪ねました。小田急線「東北沢」駅から10分程歩きました。旧前田家本邸の屋敷地は昭和42年(1967年)、駒場公園として開園されました。敷地の全体配置は前田家が居住していた頃の姿を現在も良く残しています。(洋館玄関)旧加賀藩主前田家16代当主の侯爵前田利為の居宅として、昭和3年から5年にかけて建設されました。その広壮さは、個人邸宅としては東洋随一と称されました。滞欧経験が豊富で駐英大使館附武官も務めた利為は、洋館は迎賓館としても利用できるよう、和館は外国からの賓客に日本文化を伝える空間として設計されました。(玄関広間)階段のある広間は洋館の「顔」で、彫刻の施された豪華な階段が目を引きます。(書斎)前田家は、明暦3年(1657年)から本郷に上屋敷を営み、明治維新後約10万坪あった上屋敷の大半...駒場公園と旧前田家本邸

  • 武蔵野の桜

    武蔵野4月上旬の武蔵野です。武蔵境駅で下車、玉川上水に向かう道を10分程歩くと、桜橋に出ます。(桜橋)国木田独歩の「武蔵野」の一節です。三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、(中略)「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答へると、婆さんも笑て、(中略)「櫻は春咲くこと知ねえだね」と言った。桜橋付近は桜の名所で、玉川上水の堀の両側には、吉野桜として有名な古木の桜の樹が植えられていました。独歩が恋人と桜橋を訪れたのは、夏の暑いさかり。茶屋の婆さんは呆れたように笑います。(独歩文学碑)桜橋のたもとには、柳田国男らが世話人となり、没後50年の昭和32年に建てられた碑があります。「武蔵野」は近代化で失われつつあった雑木林などを含めた東京西郊の自然美を人々に知らしめたこ...武蔵野の桜

  • 春の江戸城内郭巡りその2

    江戸城江戸城は「内郭」と「外郭」で構成されます。内堀通りに囲まれた内郭は、城の中心部です。千鳥ヶ淵交差点から半蔵濠に沿って、千鳥ヶ淵公園を歩くと半蔵門に出ます。(半蔵門)江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれ、甲州街道の要衝となっていました。名前の由来は、伊賀者の服部半蔵がこのあたりに屋敷を拝領していたという説があります。現在、門内には吹上御苑があり、皇族方の皇居出入り口となっています。(桜田濠)桜田濠に沿って半蔵門から日比谷方面に向かって、緩やかに下っていくと外桜田門が見えてきます。(外桜田門)現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。門の周囲には、有力外様大名の屋敷が多くありました。桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれ...春の江戸城内郭巡りその2

  • 春の江戸城内郭巡りその1

    江戸城3月下旬の快晴の日、桜咲く江戸城を訪ねました。徳川家康が築いた江戸城は、総面積約230万平方メートル、外濠の総延長は約14kmにも及ぶ巨大な城です。地下鉄大手町駅で下車、大手門からスタートしました。内堀に沿って約5kmを今回は歩きました。(大手門)大手門は江戸城の正面玄関として使われた桝形の門。大きい方の門は昭和20年の空襲で焼失し、昭和42年に復元されました。(富士見櫓)大手門から皇居東御苑に入りました。富士見櫓は江戸城の遺構で現存する唯一の三重櫓。明暦の大火で焼失後、1659年(万治2年)に再建され、天守の代用としても使われていました。将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれています。(天守台)江戸城では、慶長期天守(1607年)、元和期天守(1623年)、寛永期天守(1638年)と3度、天...春の江戸城内郭巡りその1

  • 春の大阪城散歩その2

    大阪その2天守閣の内部に入りました。展示室では、大阪城の復元模型、秀吉の作った黄金の茶室の原寸大模型など歴史資料が豊富です。ミニチュア夏の陣では、真田幸村隊と松平忠直隊の激戦をミニチュア人形で再現しています。(展望台からの眺望)8F展望台まで昇ると、地上50mから広大な大阪城と大阪のまちを一望できます。大阪城の歴史は、本願寺八代蓮如上人が、1496年(明応5年)この地に坊舎を建てたことに始まります。(蓮如上人袈裟懸の松)上人が袈裟をかけた松があったと伝えられ、その切り株だけが残っているとされるのが、二の丸内にある「蓮如上人袈裟懸の松」です。ところが徳川幕府による大阪城再築にさいして、豊臣大阪城は地上から消されており、現在の地表に切り株があるはずがないとの指摘もあります。(蓮如上人の筆跡の「六字名号の碑」)153...春の大阪城散歩その2

  • 春の大阪城散歩その1

    大阪3月中旬、大阪城公園を訪ねました。JR「大阪城公園駅」で下車。大阪城ホールを横目に歩いていくと「青屋門」があります。(青屋門)青屋門は大阪城二の丸の北に位置します。「青屋」の名については、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。東外堀と内堀の間に広がる梅林には、遅咲き品種が咲いていました。梅の季節も最後ですが、天守閣・石垣との風情を楽しめました。大阪城は本能寺の変(1582年)で信長が没した後、1583年から15年余りの歳月をかけて、豊臣秀吉によって築造されます。(秀頼・淀殿ら自刃の地)しかし、秀吉の死後徳川家康が政権を掌握すると、1614年・15年の大阪冬の陣・夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡します。秀頼とその母淀殿は、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの...春の大阪城散歩その1

  • 羽根木公園の梅

    梅丘2月下旬、羽根木公園を訪ねました。小田急線「梅ヶ丘駅」から徒歩5分です。昭和の代表的俳人・中村汀女(なかむらていじょ)の句碑です。「外にも出よふるるばかりに春の月」(昭和21年)汀女は世田谷区代田に住み、この辺をよく散策したそうです。羽根木公園の梅林は、1967年に55本の梅を植栽したのが始まりだそうです。現在は650本、60品種の見事な梅林となり、梅まつりは世田谷の春の風物詩となっています。梅の次には桜が園内を彩ります。羽根木公園の梅

  • 湯島天神梅まつり

    湯島2月中旬、梅まつりで賑わう湯島天神を訪ねました。雄略天皇2年(458年)創建と伝えられます。祭神は天岩戸を開いた天之手力雄命(あめのたちからをのみこと)で、1355年には菅原道真を合祀しました。江戸時代から梅の名所として知られ、20種300本の梅が植栽されています。2月から3月の梅まつり期間中は約45万人が訪れるそうです。泉鏡花の名作「婦系図」の舞台としても有名で、境内に鏡花の筆塚があります。受験シーズンには、約3万枚の絵馬が奉納されるそうです。今年で62回目の梅まつりは、お神輿、野点、ダンス・日本舞踊、物産展、梅の盆栽など多彩なイベントで盛り上がります。湯島天神梅まつり

  • 早春の湯河原梅林

    湯河原2月上旬、湯河原梅林を訪ねました。湯河原駅前から幕山公園までバスで約15分です。高さ626mの幕山の山麓に広がる湯河原梅林には約4000本の紅白の梅が植裁されており、3月上旬まで「梅の宴」が開催されています。昭和29年頃から地元の有志により、ガケ崩れ対策と将来の観光資源として、幕山の麓に梅が植栽されたのが、湯河原梅林のルーツだそうです。その後、幾度にもわたる補植により28種の紅梅・白梅が咲く、関東随一の梅林となり、訪れる人々の目を楽しませています。訪れた日はまだ三分咲き、平日の為か出店もまだ閑散としていましたが、地酒や梅酒・梅ワインの飲み所もあります。3月2日には「梅林寄席」が開かれ、春を告げる「笑い」を届けてくれるそうです。早春の湯河原梅林

  • 宇和島城で現存12天守制覇

    (伊達政宗・秀宗父子)1月中旬、宇和島城を訪ねました。これで江戸時代から現存する12天守登頂達成しました。姫路城(2016.1)松江城(2016.1)彦根城(2016.4)松本城(2016.7)松山城(2016.9)丸岡城(2016.10)弘前城(2017.9)犬山城(2018.3)備中松山城(2018.5)高知城(2018.10)丸亀城(2018.11)于和島城(2019.1)と3年かかりました。宇和島松山に1泊して、翌朝宇和島へ向かいました。JR宇和島駅から徒歩15分で城山の登り口です。さらに20分程歩くと天守に着きます。(石垣)城山には450種の草木がうっそうと生い茂り、苔むした石垣群が続いています。(宇和島城の井戸)三ノ丸からの登り道に、数少ない城山の遺構の一つ、深さ約11メートルの井戸があります。(天...宇和島城で現存12天守制覇

  • 松山散歩その2-萬翠荘

    松山その2子規堂を出て再び市内電車で大街道まで。「坂の上の雲ミュージアム」の看板を目印に萬翠荘(ばんすいそう)まで歩きました。坂道を上がっていくと、「漱石最初の下宿跡」の立札がありました。明治28年4月英語の教師として松山中学校に赴任。ここにあった家老屋敷のはなれに下宿しました。「眺望絶佳の別天地」と子規に自慢していたそうです。(萬翠荘)萬翠荘は、1922年(大正11年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定こと伯爵が別邸として建てたものです。(萬)よろず(翠)みどり(荘)やかた”松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅”という意味だそうです。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定こと伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場で各界の名士が集まりました。(大広間)茶色を基調とした大広間には、豪華な水晶でできたシャ...松山散歩その2-萬翠荘

  • 松山散歩その1-子規堂

    (子規堂)1月中旬、松山・宇和島を旅しました。松山JR松山駅前から市内電車で松山市駅まで。いよてつ高島屋の裏側から踏切を渡ると、すぐに子規堂があります。子規堂は、俳人正岡子規の居宅の一部を再建した建物です。(子規堂内部)正岡子規(1867-1902年)は、現在の松山市花園町で生まれますが、湊町4丁目に転居、17歳で上京するまでここに住みました。正岡家の菩提寺、正宗寺の住職、仏海禅師が寺の中に移して建てましたが、火災と空襲で2回焼失。現在の建物は、昭和21年の再建です。建物左手玄関前の「旅立ちの像」は、子規25歳のころ、箱根の関所近くで撮った写真をもとに建立されました。(与謝野晶子歌碑)墓地には、子規居士髪塔と鳴雪先生髯塔が並んで建立されています。(鳴雪先生髯塔)内藤鳴雪3回忌の昭和3年建立です。鳴雪のあごひげが...松山散歩その1-子規堂

  • 別所沼公園とヒアシンスハウス(風信子荘)

    さいたまさいたま市にある別所沼公園を訪ねました。JR埼京線「中浦和駅」東口から徒歩5分です。別所沼にはかつてはウナギも棲息しており、江戸時代には浦和宿の名物として知られたそうです。「浦和うなこちゃん」は、さいたま市観光大使でうなぎキャラです。やなせたかしさんの創作です。(竜舌蘭)竜舌蘭(リュウゼツラン)はアメリカ・メキシコ原産の常緑多年草。50年に1度、生涯で1回の開花といわれます。この別所沼公園の竜舌蘭は2003年に開花したそうです。沼の周辺には、中国原産のメタセコイアやメキシコ原産のラクウショウが茂り、緑豊かな公園です。春には桜の名所として知られ、多くの花見客で賑わうそうです。(風の神)メキシコ広場のモニュメント「風の神」は健康・豊作・知恵をもたらす恵みの神といわれ、メキシコ州から友好の証として贈られた像で...別所沼公園とヒアシンスハウス(風信子荘)

  • 2019年の銀座、石碑を巡りながら

    皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。銀座2019年新春の銀座です。4丁目からスタートしました。正月らしいショーウインドウです。中央通りを京橋方向に歩くと、2丁目に銀座発祥の地の石碑があります。(銀座発祥の地)江戸時代、銀座とは銀貨を鋳造、取り締まる場所のことでした。この地に銀座役所が設置され、明治2年銀座は町名となります。(江戸歌舞伎発祥之地)京橋まで歩くと、かつてあった京橋川の河岸近くに「江戸歌舞伎発祥之地」の石碑があります。中村座の始祖、猿若勘三郎が1622年(元和8年)に京都から江戸に下り「猿若座」を開いた地とされます。(煉瓦銀座の碑・ガス灯の碑)京橋は慶長年間(1596-1615年)に初めて架けられたと考えられます。京橋記念碑の横にガス灯の碑があります。1874年(明治7年)、銀座に煉瓦街が...2019年の銀座、石碑を巡りながら

  • 四国の名城ー丸亀城

    現存12天守巡りの11城目は丸亀城です。残すは宇和島城のみとなりました。(撮影は11月中旬です。)丸亀丸亀城はJR丸亀駅から徒歩圏内の丸亀中心街にあります。標高66mの亀山に築かれた平山城で別名亀山城。「石の城」と形容されるとおり、石垣の名城として有名です。(大手一の門・二の門)生駒親正は1587年(天正15年)播州赤穂から17万石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして、1602年(慶長7年)丸亀城を築城しました。その後一国一城令で丸亀城は廃城となりますが、1641年(寛永18年)山崎家治が西讃岐5万石の領主となると丸亀城を再築します。(一の門)一の門は楼上に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから、太鼓門とも呼ばれています。(三ノ丸北側の石垣)三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣のなかで最も高...四国の名城ー丸亀城

  • 四国の名城ー高松城

    高松・丸亀の旅の続きです。高松その2「栗林公園」を出て、琴電に乗り終点「高松築港駅」まで。高松城跡(玉藻公園)が間近にあります。閉門30分前ですが、あわてて駆け込みました。「菊花展」の最終日でした。高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因み、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたからだそうです。1588年(天正16年)生駒親正が、現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城のひとつといわれています。(月見櫓)1640年(寛永17年)、生駒騒動といわれるお家騒動により、生駒氏は出羽国矢島1万石に移されました。この後常陸国下館藩主だった松平頼重が東讃岐12万石の...四国の名城ー高松城

  • 晩秋の古都ー寿福寺・海蔵寺・源氏山公園

    鎌倉12月上旬、鎌倉を訪ねました。前日の雨で葉はだいぶ落ちたようです。1.寿福寺鎌倉駅西口から、今小路を北鎌倉方向へ10分程歩くと寿福寺があります。源頼朝が没した翌年(1200年)、妻の北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。山門から中門にいたる参道の石畳は鎌倉一美しい意匠をしているといわれます。2.海蔵寺寿福寺を出て、英勝寺の横を通って15分程歩くと海蔵寺があります。かつて七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に焼失します。その後1394年、鎌倉公方足利氏満の命で、上杉...晩秋の古都ー寿福寺・海蔵寺・源氏山公園

  • 六義園の紅葉

    駒込11月末、六義園を訪ねました。快晴の気持ちよい日で、日光に照らされた紅葉が鮮やかです。5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、加賀藩旧下屋敷跡地を、7年の歳月をかけて築園した大名庭園です。「六義園」の名称は、紀貫之が「古今和歌集」の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の分類の六体に由来するそうです。吉保は紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して造園しました。1702年(元禄15年)に完成すると、綱吉のお成りが頻繁にあったそうです。池をめぐる園路を歩きながら、移り変わる景色を楽しめる繊細で温和な日本庭園です。柳沢氏は武田氏の滅亡後、徳川家康の家臣団に組み込まれた竹田遺臣から近世大名化した一族です。1680年、舘林藩主の綱吉が兄である4代将軍家綱の後継として江戸城に入ると、綱吉の家臣である吉保も幕臣とな...六義園の紅葉

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