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matasaburo3の散歩日記さんのプロフィール

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matasaburo3の散歩日記
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日本各地を旅して、四季を撮ります。 又、世界各地を旅した印象記やらあれこれ。
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29回 / 365日(平均0.6回/週)

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matasaburo3の散歩日記さんの新着記事

1件〜30件

  •  麻布山善福寺の大イチョウ

    12月上旬、麻布山善福寺を訪ねました。「麻布十番駅」から元麻布方向に7,8分歩くと、善福寺の山門に着きました。(山門)善福寺本堂は、当初東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築して、昭和36年現在地で組み上げたものです。(本堂)江戸時代の浄土真宗の本堂の構成を良く示す建築とのことです。(越路吹雪・岩谷時子の歌碑)墓地入口すぐに越路吹雪・岩谷時子の歌碑がありました。2016年の10月25日(岩谷時子の命日)、「ラストダンスは私に」歌碑除幕式が行われました。越路吹雪のマネジャー岩谷時子の生誕100年を記念してのことです。歌碑の正面には親鸞聖人像、左手には大イチョウが立っています。善福寺の大イチョウは樹高20m、幹回り10m余の都内のイチョウの中で最大の巨樹です。樹齢は750年以上と推定されます。昭和20年の東京大空襲によ...麻布山善福寺の大イチョウ

  •  飯山観音~白山神社

    小春日和の日曜日、飯山白山森林公園を訪ねました。小田急線「本厚木駅」から、「宮ヶ瀬」行きのバスに乗り、「飯山観音前」で下車。東丹沢山麓の東端に位置し、飯山温泉郷は古くから湯治場として親しまれてきました。(長谷寺)15分程歩くと、飯山観音長谷寺(ちょうこくじ)です。高野山真言宗の寺院です。飯山観音から白山頂上(284m)までは傾斜の少ない「女坂」と尾根筋を行く「男坂」の2つのルートがあります。(男坂)「男坂」を息をきらしながら30分程登ると、白山神社に着きました。(白山神社)ここにある白山池は年中枯れることのない雨乞の池といわれています。頂上にある展望台は関東平野や大山が望めるパノラマスポットです。疲れが吹き飛ぶ素晴らしい眺めです。(白山展望台から)飯山白山森林公園はモミジの名所としても有名ですが、見ごろは12月...飯山観音~白山神社

  •  マネ「フォリー・ベルジェールのバー」を観る

    東京都美術館で開催中の「コートールド美術館展魅惑の印象派」を見てきました。「フォリー・ベルジェールのバー」は、1869年パリ初の音楽ホールとして開店した酒場を描いたマネ晩年の作品です。間近で見ると複雑な構成の作品とわかります。鏡の存在がポイントになっています。マネはスペイン旅行中に「ベラスケスを観るだけでも旅に出る意味がある。」と書き送り、ベラスケスを敬愛していました。「ラス・メニーナス」における鏡と同様の意味を持っているともいわれます。1882年のサロンに出品され、大好評を博します。マネの絵画をようやく市民が受け入れ始めますが、体を病んだ画家の余命は幾ばくも残されてなく、翌年51才で亡くなります。(ルノワール「桟敷席」)ルノワール、セザンヌ、ドガ、ゴーガンたちの有名作品が並んでいます。ルノワールが第1回印象派...マネ「フォリー・ベルジェールのバー」を観る

  • 北陸夏旅その2

    2日目の朝は雨でした。まず「忍者寺」と呼ばれる妙立寺を見学しました。忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備され、堂内のあちこちは迷路のようになっています。3代藩主前田利常が建立しました。見学後、七尾方面へ向かいました。途中激しい雨でしたが、千里浜なぎさドライブウエイに入る頃は、雨もやみ気持ちよいドライブになりました。全長約8kmの日本で唯一、世界でも希少な海岸のドライヴウエイです。北陸夏旅その2

  •  北陸夏旅その1

    残暑お見舞い申し上げます。お盆明けに、家族旅行で北陸を訪ねました。金沢北陸新幹線で昼過ぎに金沢到着。まず、駅前の「ANAクラウンプラザホテル」でテイータイム。休憩後、レンタカーで兼六園へ向かいました。兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の特徴をそのまま今に残しています。中国宋の時代の詩人・李格非の「洛陽名園記」から採って、六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名されました。(霞ヶ池)山崎山の下に芭蕉の句碑があります。芭蕉一行が「おくのほそ道」で江戸を立ったのは元禄2年3月27日。越後・越中を経て金沢に入ったのは7月15日(新暦8月29日)。10日間を加賀の俳人達と過ごしました。「あかあかと日は難面も秋の風」(赤々とした夕日は無常にも沈もうとしている。そこには秋風が心細く吹き始めてきたことよ。)兼六園を...北陸夏旅その1

  •  大和郡山城

    奈良の旅、最終回です。「大和郡山」駅のすぐ近くに、郡山城跡があります。1580年(天正8年)、筒井順慶が入城、築城を開始。1585年には豊臣秀長が入城。大和・紀伊・和泉100万石の中心となります。関ケ原の戦い後には、大坂・京都に近い要衝として幕府に重要視され、水野・松平・本多といった譜代大名が城主を務めました。1724年(享保9年)には、甲斐国甲府より柳沢吉里が入部します。(柳沢神社)本丸跡には柳沢神社が建っています。柳沢吉里の父である、柳沢吉保(徳川綱吉の側用人)を祀る神社で、1880年に創建されました。(昭和天皇歌碑)天守台は本丸の北端部に位置し、東方への眺望が開けています。(天守台)石垣は野面積みで、自然石の他に石仏や礎石などの転用材が多く用いられています。伝承では豊臣秀長時代に5層の天守閣が建っていたと...大和郡山城

  •  矢田寺 あじさい寺

    奈良の旅の続きです。奈良に一泊して、翌朝近鉄線「大和郡山」駅に向かいました。駅近からバスに乗り約20分、さらにバス停から登り道を15分程歩きました。矢田寺は正式には矢田山金剛山寺といいます。飛鳥時代の680年頃、大海人皇子(=後の天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後智通僧正が開基しました。智通僧正は遣唐使として唐に渡り、玄奘三蔵から法相宗を学び、日本に伝えました。当初は十一面観音を本尊としていましたが、平安時代地蔵信仰が盛んになると、地蔵菩薩が本尊となります。現在は高野山真言宗別格本山となっています。アジサイは1960年代半ばから植えはじめ、今や1万株。約2万5千平方メートルに及ぶ境内の至るところで咲き、「アジサイ寺」と呼ばれています。開山当初は七堂伽藍四十八ヶ坊が造営されていましたが、今は四つの塔頭...矢田寺あじさい寺

  •  矢田寺 あじさい寺

    奈良の旅の続きです。奈良に一泊して、翌朝近鉄線「大和郡山」駅に向かいました。駅近からバスに乗り約20分、さらにバス停から登り道を15分程歩きました。矢田寺は正式には矢田山金剛山寺といいます。矢田寺あじさい寺

  • 法隆寺夢殿~中宮寺

    6月上旬、奈良を訪ねました。JR法隆寺駅で下車、20分程歩くと法隆寺東院です。「日本書紀」によれば、聖徳太子こと厩戸皇子は605年(推古13年)、斑鳩宮に移り住みます。法隆寺東院の所在地が斑鳩宮の故地であり、斑鳩宮に接して建立された斑鳩寺が法隆寺です。(夢殿)八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、738年(天平10年)ごろ、行信僧都が太子を偲んで建立しました。本尊は聖徳太子等身と伝わる秘仏救世観音像(飛鳥時代)。(絵殿・舎利殿)絵殿には太子一代の事績を描いた障子絵が納められています。(東院鐘楼)袴腰と呼ばれる形式の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされています。法隆寺東院の隣りが中宮寺です。中宮寺はもともと太子の斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された尼寺でした。火災のため...法隆寺夢殿~中宮寺

  • 多摩川散策路を歩く

    多摩川東急線「多摩川」駅の西側に、多摩川台公園があります。多摩川沿いの丘陵地に約750mにわたって広がっています。アジサイ園には7種3000株のアジサイが植えられています。(アジサイ園)すぐ隣りの水生植物園では、スイレンが美しく咲いていました。(水生園)見晴らしの良い展望台の近くには亀甲山(かめのこやま)古墳があります。荏原台古墳群中最大の前方後円墳。4世紀後半頃の築造と考えられ、当時この地方に勢力のあった首長の墓と推定されるそうです。港区芝公園内にある芝丸山古墳とならんで、都内を代表する古墳とのことです。公園を下り、多摩川沿いに「岸辺の散策路」を歩きました。野球グラウンドでは少年野球の歓声が、あちこちで響いています。東京都市大グラウンドの先で、土手を昇り、多摩堤通りを渡ると、上野毛の閑静な住宅街に出ました。二...多摩川散策路を歩く

  • 江戸城外郭巡りその3-飯田橋~四谷

    (牛込橋)牛込(飯田橋)から赤坂(赤坂見附)へ続く江戸城外堀は、1636年(寛永13年)に仙台藩伊達家をはじめとする東国52家の大名により開削されました。自然の台地に深さ15m、幅100mにもなる人工の谷をつくる巨大工事でした。外堀普請は、約30年にわたる江戸城建設を締めくくる大規模なもので、外堀予定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移転しました。飯田橋JR飯田橋駅西口を出て左に行くと交番があり、その背後に巨大な石垣の石組みがあります。(牛込見附跡)「牛込見附」の跡です。牛込見附は江戸城内郭の田安門から始まる上州道(いまの川越街道)が通る道で、重要視されていました。牛込見附から先は外堀に沿って土手があり、春には桜の名所となります。土手は城外から城内の人の動きが見えないようにすると共に、防火帯の役割も果たしました。...江戸城外郭巡りその3-飯田橋~四谷

  • 江戸城外郭巡りその2-秋葉原~御茶ノ水

    (万世橋)秋葉原秋葉原で下車、神田川を和泉橋で渡ると柳原通りです。かつてこのあたりは「柳原土手」といわれ、外堀の守りを固めるための土手が、浅草橋門から秋葉原あたりまで続いていたそうです。柳原通りを西に進むと万世橋です。(筋違門)江戸時代、この場所に橋はなく、約150m上流に筋違(すじかい)門に付属する橋がありました。1872年(明治5年)に筋違見附が解体されたとき、その石材を再利用して東京最初の石橋が架けられ、万世橋と命名されました。筋違門は、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と、日光東照宮への社参の際に、徳川将軍が通る御成門として重要視されていました。現在では旧万世橋駅、中央線の高架のレンガ塀の中です。門跡を示す説明版だけが立っています。淡路坂を登ると御茶ノ水駅です。聖橋を渡ると「湯島聖堂」です。(湯島聖堂)16...江戸城外郭巡りその2-秋葉原~御茶ノ水

  • 江戸城外郭巡りその1-浅草橋・柳橋

    江戸城の総構えと呼ばれる城郭全体は、現在の千代田区と中央区のほぼ全域にもわたる巨大なものでした。外郭とは、城の中心部である内郭の外側に広がる、外濠で囲まれた区域のことです。浅草橋JR「浅草橋」駅から神田川に向かって歩くと浅草橋があります。江戸時代、浅草橋門の桝形がありましたが、現在は「浅草見附跡」の碑が残るだけです。(浅草橋)浅草橋門は奥州街道が通る道で、江戸城北東の守りを固める要地でした。神田川にはじめて橋がかけられたのは1636年(寛永13年)。浅草観音への道筋にあたることから浅草御門橋と呼ばれましたが、いつしか「浅草橋」になりました。浅草橋から神田川べりを隅田川に向かうと柳橋です。(柳橋)柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。1698年(元禄11年)に初めて架けられました。当初は川口...江戸城外郭巡りその1-浅草橋・柳橋

  •  駒場公園と旧前田家本邸

    駒場4月下旬、駒場公園を訪ねました。小田急線「東北沢」駅から10分程歩きました。旧前田家本邸の屋敷地は昭和42年(1967年)、駒場公園として開園されました。敷地の全体配置は前田家が居住していた頃の姿を現在も良く残しています。(洋館玄関)旧加賀藩主前田家16代当主の侯爵前田利為の居宅として、昭和3年から5年にかけて建設されました。その広壮さは、個人邸宅としては東洋随一と称されました。滞欧経験が豊富で駐英大使館附武官も務めた利為は、洋館は迎賓館としても利用できるよう、和館は外国からの賓客に日本文化を伝える空間として設計されました。(玄関広間)階段のある広間は洋館の「顔」で、彫刻の施された豪華な階段が目を引きます。(書斎)前田家は、明暦3年(1657年)から本郷に上屋敷を営み、明治維新後約10万坪あった上屋敷の大半...駒場公園と旧前田家本邸

  •  武蔵野の桜

    武蔵野4月上旬の武蔵野です。武蔵境駅で下車、玉川上水に向かう道を10分程歩くと、桜橋に出ます。(桜橋)国木田独歩の「武蔵野」の一節です。三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと櫻橋といふ小さな橋がある、(中略)「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答へると、婆さんも笑て、(中略)「櫻は春咲くこと知ねえだね」と言った。桜橋付近は桜の名所で、玉川上水の堀の両側には、吉野桜として有名な古木の桜の樹が植えられていました。独歩が恋人と桜橋を訪れたのは、夏の暑いさかり。茶屋の婆さんは呆れたように笑います。(独歩文学碑)桜橋のたもとには、柳田国男らが世話人となり、没後50年の昭和32年に建てられた碑があります。「武蔵野」は近代化で失われつつあった雑木林などを含めた東京西郊の自然美を人々に知らしめたこ...武蔵野の桜

  •  春の江戸城内郭巡りその2

    江戸城江戸城は「内郭」と「外郭」で構成されます。内堀通りに囲まれた内郭は、城の中心部です。千鳥ヶ淵交差点から半蔵濠に沿って、千鳥ヶ淵公園を歩くと半蔵門に出ます。(半蔵門)江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれ、甲州街道の要衝となっていました。名前の由来は、伊賀者の服部半蔵がこのあたりに屋敷を拝領していたという説があります。現在、門内には吹上御苑があり、皇族方の皇居出入り口となっています。(桜田濠)桜田濠に沿って半蔵門から日比谷方面に向かって、緩やかに下っていくと外桜田門が見えてきます。(外桜田門)現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。門の周囲には、有力外様大名の屋敷が多くありました。桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれ...春の江戸城内郭巡りその2

  •  春の江戸城内郭巡りその1

    江戸城3月下旬の快晴の日、桜咲く江戸城を訪ねました。徳川家康が築いた江戸城は、総面積約230万平方メートル、外濠の総延長は約14kmにも及ぶ巨大な城です。地下鉄大手町駅で下車、大手門からスタートしました。内堀に沿って約5kmを今回は歩きました。(大手門)大手門は江戸城の正面玄関として使われた桝形の門。大きい方の門は昭和20年の空襲で焼失し、昭和42年に復元されました。(富士見櫓)大手門から皇居東御苑に入りました。富士見櫓は江戸城の遺構で現存する唯一の三重櫓。明暦の大火で焼失後、1659年(万治2年)に再建され、天守の代用としても使われていました。将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれています。(天守台)江戸城では、慶長期天守(1607年)、元和期天守(1623年)、寛永期天守(1638年)と3度、天...春の江戸城内郭巡りその1

  •  春の大阪城散歩その2

    大阪その2天守閣の内部に入りました。展示室では、大阪城の復元模型、秀吉の作った黄金の茶室の原寸大模型など歴史資料が豊富です。ミニチュア夏の陣では、真田幸村隊と松平忠直隊の激戦をミニチュア人形で再現しています。(展望台からの眺望)8F展望台まで昇ると、地上50mから広大な大阪城と大阪のまちを一望できます。大阪城の歴史は、本願寺八代蓮如上人が、1496年(明応5年)この地に坊舎を建てたことに始まります。(蓮如上人袈裟懸の松)上人が袈裟をかけた松があったと伝えられ、その切り株だけが残っているとされるのが、二の丸内にある「蓮如上人袈裟懸の松」です。ところが徳川幕府による大阪城再築にさいして、豊臣大阪城は地上から消されており、現在の地表に切り株があるはずがないとの指摘もあります。(蓮如上人の筆跡の「六字名号の碑」)153...春の大阪城散歩その2

  •  春の大阪城散歩その1

    大阪3月中旬、大阪城公園を訪ねました。JR「大阪城公園駅」で下車。大阪城ホールを横目に歩いていくと「青屋門」があります。(青屋門)青屋門は大阪城二の丸の北に位置します。「青屋」の名については、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。東外堀と内堀の間に広がる梅林には、遅咲き品種が咲いていました。梅の季節も最後ですが、天守閣・石垣との風情を楽しめました。大阪城は本能寺の変(1582年)で信長が没した後、1583年から15年余りの歳月をかけて、豊臣秀吉によって築造されます。(秀頼・淀殿ら自刃の地)しかし、秀吉の死後徳川家康が政権を掌握すると、1614年・15年の大阪冬の陣・夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡します。秀頼とその母淀殿は、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの...春の大阪城散歩その1

  • 羽根木公園の梅

    梅丘2月下旬、羽根木公園を訪ねました。小田急線「梅ヶ丘駅」から徒歩5分です。昭和の代表的俳人・中村汀女(なかむらていじょ)の句碑です。「外にも出よふるるばかりに春の月」(昭和21年)汀女は世田谷区代田に住み、この辺をよく散策したそうです。羽根木公園の梅林は、1967年に55本の梅を植栽したのが始まりだそうです。現在は650本、60品種の見事な梅林となり、梅まつりは世田谷の春の風物詩となっています。梅の次には桜が園内を彩ります。羽根木公園の梅

  • 湯島天神梅まつり

    湯島2月中旬、梅まつりで賑わう湯島天神を訪ねました。雄略天皇2年(458年)創建と伝えられます。祭神は天岩戸を開いた天之手力雄命(あめのたちからをのみこと)で、1355年には菅原道真を合祀しました。江戸時代から梅の名所として知られ、20種300本の梅が植栽されています。2月から3月の梅まつり期間中は約45万人が訪れるそうです。泉鏡花の名作「婦系図」の舞台としても有名で、境内に鏡花の筆塚があります。受験シーズンには、約3万枚の絵馬が奉納されるそうです。今年で62回目の梅まつりは、お神輿、野点、ダンス・日本舞踊、物産展、梅の盆栽など多彩なイベントで盛り上がります。湯島天神梅まつり

  • 早春の湯河原梅林

    湯河原2月上旬、湯河原梅林を訪ねました。湯河原駅前から幕山公園までバスで約15分です。高さ626mの幕山の山麓に広がる湯河原梅林には約4000本の紅白の梅が植裁されており、3月上旬まで「梅の宴」が開催されています。昭和29年頃から地元の有志により、ガケ崩れ対策と将来の観光資源として、幕山の麓に梅が植栽されたのが、湯河原梅林のルーツだそうです。その後、幾度にもわたる補植により28種の紅梅・白梅が咲く、関東随一の梅林となり、訪れる人々の目を楽しませています。訪れた日はまだ三分咲き、平日の為か出店もまだ閑散としていましたが、地酒や梅酒・梅ワインの飲み所もあります。3月2日には「梅林寄席」が開かれ、春を告げる「笑い」を届けてくれるそうです。早春の湯河原梅林

  • 宇和島城で現存12天守制覇

    (伊達政宗・秀宗父子)1月中旬、宇和島城を訪ねました。これで江戸時代から現存する12天守登頂達成しました。姫路城(2016.1)松江城(2016.1)彦根城(2016.4)松本城(2016.7)松山城(2016.9)丸岡城(2016.10)弘前城(2017.9)犬山城(2018.3)備中松山城(2018.5)高知城(2018.10)丸亀城(2018.11)于和島城(2019.1)と3年かかりました。宇和島松山に1泊して、翌朝宇和島へ向かいました。JR宇和島駅から徒歩15分で城山の登り口です。さらに20分程歩くと天守に着きます。(石垣)城山には450種の草木がうっそうと生い茂り、苔むした石垣群が続いています。(宇和島城の井戸)三ノ丸からの登り道に、数少ない城山の遺構の一つ、深さ約11メートルの井戸があります。(天...宇和島城で現存12天守制覇

  • 松山散歩その2-萬翠荘

    松山その2子規堂を出て再び市内電車で大街道まで。「坂の上の雲ミュージアム」の看板を目印に萬翠荘(ばんすいそう)まで歩きました。坂道を上がっていくと、「漱石最初の下宿跡」の立札がありました。明治28年4月英語の教師として松山中学校に赴任。ここにあった家老屋敷のはなれに下宿しました。「眺望絶佳の別天地」と子規に自慢していたそうです。(萬翠荘)萬翠荘は、1922年(大正11年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定こと伯爵が別邸として建てたものです。(萬)よろず(翠)みどり(荘)やかた”松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅”という意味だそうです。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定こと伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場で各界の名士が集まりました。(大広間)茶色を基調とした大広間には、豪華な水晶でできたシャ...松山散歩その2-萬翠荘

  • 松山散歩その1-子規堂

    (子規堂)1月中旬、松山・宇和島を旅しました。松山JR松山駅前から市内電車で松山市駅まで。いよてつ高島屋の裏側から踏切を渡ると、すぐに子規堂があります。子規堂は、俳人正岡子規の居宅の一部を再建した建物です。(子規堂内部)正岡子規(1867-1902年)は、現在の松山市花園町で生まれますが、湊町4丁目に転居、17歳で上京するまでここに住みました。正岡家の菩提寺、正宗寺の住職、仏海禅師が寺の中に移して建てましたが、火災と空襲で2回焼失。現在の建物は、昭和21年の再建です。建物左手玄関前の「旅立ちの像」は、子規25歳のころ、箱根の関所近くで撮った写真をもとに建立されました。(与謝野晶子歌碑)墓地には、子規居士髪塔と鳴雪先生髯塔が並んで建立されています。(鳴雪先生髯塔)内藤鳴雪3回忌の昭和3年建立です。鳴雪のあごひげが...松山散歩その1-子規堂

  • 別所沼公園とヒアシンスハウス(風信子荘)

    さいたまさいたま市にある別所沼公園を訪ねました。JR埼京線「中浦和駅」東口から徒歩5分です。別所沼にはかつてはウナギも棲息しており、江戸時代には浦和宿の名物として知られたそうです。「浦和うなこちゃん」は、さいたま市観光大使でうなぎキャラです。やなせたかしさんの創作です。(竜舌蘭)竜舌蘭(リュウゼツラン)はアメリカ・メキシコ原産の常緑多年草。50年に1度、生涯で1回の開花といわれます。この別所沼公園の竜舌蘭は2003年に開花したそうです。沼の周辺には、中国原産のメタセコイアやメキシコ原産のラクウショウが茂り、緑豊かな公園です。春には桜の名所として知られ、多くの花見客で賑わうそうです。(風の神)メキシコ広場のモニュメント「風の神」は健康・豊作・知恵をもたらす恵みの神といわれ、メキシコ州から友好の証として贈られた像で...別所沼公園とヒアシンスハウス(風信子荘)

  • 2019年の銀座、石碑を巡りながら

    皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。銀座2019年新春の銀座です。4丁目からスタートしました。正月らしいショーウインドウです。中央通りを京橋方向に歩くと、2丁目に銀座発祥の地の石碑があります。(銀座発祥の地)江戸時代、銀座とは銀貨を鋳造、取り締まる場所のことでした。この地に銀座役所が設置され、明治2年銀座は町名となります。(江戸歌舞伎発祥之地)京橋まで歩くと、かつてあった京橋川の河岸近くに「江戸歌舞伎発祥之地」の石碑があります。中村座の始祖、猿若勘三郎が1622年(元和8年)に京都から江戸に下り「猿若座」を開いた地とされます。(煉瓦銀座の碑・ガス灯の碑)京橋は慶長年間(1596-1615年)に初めて架けられたと考えられます。京橋記念碑の横にガス灯の碑があります。1874年(明治7年)、銀座に煉瓦街が...2019年の銀座、石碑を巡りながら

  • 四国の名城ー丸亀城

    現存12天守巡りの11城目は丸亀城です。残すは宇和島城のみとなりました。(撮影は11月中旬です。)丸亀丸亀城はJR丸亀駅から徒歩圏内の丸亀中心街にあります。標高66mの亀山に築かれた平山城で別名亀山城。「石の城」と形容されるとおり、石垣の名城として有名です。(大手一の門・二の門)生駒親正は1587年(天正15年)播州赤穂から17万石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして、1602年(慶長7年)丸亀城を築城しました。その後一国一城令で丸亀城は廃城となりますが、1641年(寛永18年)山崎家治が西讃岐5万石の領主となると丸亀城を再築します。(一の門)一の門は楼上に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから、太鼓門とも呼ばれています。(三ノ丸北側の石垣)三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣のなかで最も高...四国の名城ー丸亀城

  • 四国の名城ー高松城

    高松・丸亀の旅の続きです。高松その2「栗林公園」を出て、琴電に乗り終点「高松築港駅」まで。高松城跡(玉藻公園)が間近にあります。閉門30分前ですが、あわてて駆け込みました。「菊花展」の最終日でした。高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因み、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたからだそうです。1588年(天正16年)生駒親正が、現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城のひとつといわれています。(月見櫓)1640年(寛永17年)、生駒騒動といわれるお家騒動により、生駒氏は出羽国矢島1万石に移されました。この後常陸国下館藩主だった松平頼重が東讃岐12万石の...四国の名城ー高松城

  • 晩秋の古都ー寿福寺・海蔵寺・源氏山公園

    鎌倉12月上旬、鎌倉を訪ねました。前日の雨で葉はだいぶ落ちたようです。1.寿福寺鎌倉駅西口から、今小路を北鎌倉方向へ10分程歩くと寿福寺があります。源頼朝が没した翌年(1200年)、妻の北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。山門から中門にいたる参道の石畳は鎌倉一美しい意匠をしているといわれます。2.海蔵寺寿福寺を出て、英勝寺の横を通って15分程歩くと海蔵寺があります。かつて七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に焼失します。その後1394年、鎌倉公方足利氏満の命で、上杉...晩秋の古都ー寿福寺・海蔵寺・源氏山公園

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