金沢の観光スポットレポート(No.1894)◇前田土佐守家資料館勉強会9月19日(木)金沢PHPほんとうの時代友の会「飛び出せ例会」を前田土佐守家資料館で開催した。友の会打合せの後、竹松幸香学芸員の解説で、前田土佐守家の歴史や、芳春院(おまつの方)は孫直之をかわいがり利常に勧め、家臣となり、また自身の石高を引き継ぎ1万石以上にした。芳春院自筆消息では古文書の読み方など解りやすく解説していただきました。その後、館内の自由内覧を行った。〇前田土佐守家資料館前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料...◇前田土佐守家資料館勉強会
金沢の観光スポットレポート(No.1893)◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.3②(ユーチューブ連動解説版)〇神明宮金沢旧五社の一で、古来神明宮と称し、全国七神明、又は三神明の一と云われ、通称は、お神明(しんめい)さん。加賀の大社として、歴代藩主、庶民の信仰厚く、祓宮(はらいのみや)として知られ、春秋のあぶり餅祭は全国只一の特殊神事。又、当宮の左義長は金沢の左義長の元祖である。■写真は神明宮(オオケヤキとあぶり)□神明宮紹介ページ①□神明宮紹介ページ②□神明宮「あぶり餅神事」紹介ページ〇千日山雨宝院本尊は、金毘羅大権現。開祖は、聖武天皇の時、天平8年(736)、越智の泰澄大師が白山の妙理大菩薩に霊告と六句の秘文を受け、大日如来を本尊とし、当地において秘法蜜場として創建したことが起こり。850年余を経て...◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.3②
金沢の観光スポットレポート(No.1892)◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.3①(ユーチューブ連動解説版)〇瑞亀山松月寺斉藤刑部宗忠が、白峰和尚のために越前(福井県)堀井庄において起こした寺であるが、加賀藩初代藩主・前田利家の入国後、金沢に移り、宗忠が願って小立野に造営し、元和二年(1616)には現在地に移った。当時の境内には有名な老桜があり、「大桜」とも「御殿桜」とも言われる。これは、中興至岸和尚が三代藩主・前田利常から小松城内にあったものを拝領したと伝えられる桜である。樹種は山桜に近く、花茎五センチ内外、四月中旬開花する。樹齢は定かではないが、周囲約六メートル、高さ十四メートルの大木である。昭和十八年八月、文部省から天然記念物に指定された。泉鏡花の作品「桜心中」では、「この桜は名木です」と記して...金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.3①
金沢の観光スポットレポート(No.1891)◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.2②(ユーチューブ連動解説版)〇五智山大円寺寛永元年(1624)、開山は仰誉是伯上人で、大阪夏の陣で戦士した父、大円宗吟大居士の供養のため、草庵を建立した。元禄十三年(1700)三代・心岩上人の時、現在地に再建されたが、宝暦の大火に遭い焼失。地蔵堂、庭園が当時を伝えている。当時に祀られている「人骨地蔵尊」は、心岩上人の作で、誰にも拝まれることない人骨を哀れみ、顔・首・胸・両手足に人骨を塗り込めた、高さ四メートル三三センチ、極彩色の衣をまとった延命地蔵尊である。また、什物堂には心岩上人の書画工芸品、自画像図(市文化財指定)、血判浄土三部経、念仏書、来迎図、当山歴代の什物等が陳列されている。(看板より)〇人骨地蔵尊□大円寺紹介ペ...◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.2②
金沢の観光スポットレポート(No.1890)◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.2①(ユーチューブ連動解説版)〇寺町寺院群概要寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。〇大蓮山妙法寺天正元年(1573)に圓智院妙浄法尼が開基となって、尾張、荒子に建てられました。その後、領主の移転とともに、越前府中、能登府中、金沢尾張町と移り、元和元年(1...◇金沢の秋2020金沢寺町寺院群散歩Vol.2①
金沢の観光スポットレポート(No.1889)◇金沢の秋2020兼六園〇兼六園概況加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。■写真はことじ灯篭■写真は霞ヶ池と剪定された唐崎松■写真はカリン■写真はズミの実■写真は通り雨で奇観亭でお団子三昧■写真は桂坂の名の由来「桂」(ひこばえが大きくなっている)(つづく)◇金沢の秋2020兼六園
金沢の観光スポットレポート(No.1888)◇金沢の秋2020金沢城公園②〇金沢城公園概況加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、今年7月には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社までつながった。■写真は河北門より橋爪門、五十軒長屋、菱櫓■写真は三の丸のオミナエシ■写真は井戸の枠(戸室石の8枚の石を組み合わせたもの)■写真は橋爪門、五十軒長屋、菱櫓、二の丸下石垣■写真は二の丸発掘調査(つづく)◇金沢の秋2020金沢城公園②
金沢の観光スポットレポート(No.1887)◇金沢の秋2020金沢城公園①〇金沢城公園概況加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、今年7月には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社までつながった。■写真は新丸広場より河北門■写真は新丸広場湿生園スイレン■写真は新丸広場湿生園コウホネ■写真は河北門(つづく)◇金沢の秋2020金沢城公園①
金沢の観光スポットレポート(No.1886)◇加賀逆立狛犬金沢市編(ユーチューブ連動解説版)〇金沢市内の神社と狛犬私の調査では、金沢市内には342神社があり、280社の313対の逆立狛犬があった。その内36社37対の逆立狛犬があった。(構成比約12%)■写真は椿原天満宮・建立安政6年(1859)〇加賀逆立狛犬金沢を中心とした加賀地方の逆立狛犬は全国的に珍しく、金沢市内には37対を確認した。また、県内には115対あるとの情報で現在確認中。全国を見ても岩木山神社(青森県)や、長崎諏訪神社などに逆立した狛犬も存在するが、加賀逆立狛犬は独特であり加賀地方の大きな文化である。なお、建立年を確認できたもので最古は椿原天満宮の安政6年(1859)、最新は西念出雲神社令和元年(2019)。◆金沢市内編バックナンバー◇加賀逆立狛...◇加賀逆立狛犬金沢市編(ユーチューブ連動解説版)
金沢の観光スポットレポート(No.1885)◇金沢城公園「石川門」門内見学(ユーチューブ連動解説版)〇金沢城公園概要金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年7月には鼠多門、鼠多門橋がオープンし、...◇金沢城公園「石川門」門内見学
金沢の観光スポットレポート(No.1884)◇金沢の夏2020金沢寺町寺院群散歩②(ユーチューブ連動解説版)〇恵光山西方寺前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。□紹介ページ◇寺町寺院群文化財特別公開2019めぐり⑤西方寺■写真は西方寺〇真如山三光寺開山は、小松仏徳寺の学誉超竜と伝えられるが、その年代は、定かではない。寛永12年(1635)、二世願誉の時、加賀藩三代藩主・前田利常の命により寺地四百歩を拝領し、現在地に建立した。明治11年(1878)、当時の内務卿・大久保利通を東京・紀尾井町で暗...◇金沢の夏2020金沢寺町寺院群散歩②
金沢の観光スポットレポート(No.1883)◇金沢の夏2020金沢寺町寺院群散歩①(ユーチューブ連動解説版)〇つば甚金沢で一番歴史がある料亭。つば甚の魅力はその歴史だけではなく、お料理のレベルが高く評価されている。つば甚の歴史は、加賀百万石の礎を築いた前田利家が、尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家で、三代目甚兵衛が宝暦2年(1752)に鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まり。「ミシュランガイド富山石川(金沢)特別版2016」1ツ星獲得。伊藤博文、室生犀星、芥川龍之介、三島由紀夫、横山大観、山下清など、歴史上の偉人が訪れている。■写真はつば甚〇谷口吉郎・吉生記念金沢建築館金沢出身の建築家で、東宮御所や東京国立近代美術館の設計で知られる故谷口吉郎氏(1904~1979)の生家跡...◇金沢の夏2020金沢寺町寺院群散歩①
◇ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本アップしました。
金沢の観光スポットレポート(No.18)◇ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本目をアップしました。今年5月に開設したユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本の内容は下記の通りです。今後ともこの「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」と連携しながら、アップしますので、ぜひご覧ください。□ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本リスト(ナンバーは作品順)◆兼六園シリーズ2)兼六園の四季20204)「兼六園の梅2020」Vol15)「兼六園の梅2020」Vol26)「兼六園の桜2020」Vol17)「兼六園の桜2020」Vol28)「兼六園の桜2020」Vol318)「クイズでわかる兼六園」兼六園の六勝とは?12)「兼六園椿2020Vol1」13)「兼六園の椿2020Vol2」24)兼六園のツボVol.1...◇ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本アップしました。
金沢の観光スポットレポート(No.1881)◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡②〇野村家屋敷跡1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣として従ったのが野村伝兵衛信貞。明治3年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領した野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えがある。残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の一部を移築したもの。2009年ミシュランの二つ星に指定された。■写真は野村家□観光施設で抹茶を飲む(5)武家屋敷跡野村家紹介ページ■写真は茶菓工房たろう〇旧加賀藩士高田家跡加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡。現在は藩政時代の長屋門を修復して一般公開している。敷地内には大きな池を中心に配し、周囲をめぐりながら、...◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡②
金沢の観光スポットレポート(No.1880)◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡①〇長町の由来長町は前田八家の一つ長氏の屋敷があったこと、鞍月用水と大野庄用水に囲まれた長い町ことなどから名付けられたといわれている。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。〇前田土佐守家資料館前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な...◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡①
金沢の観光スポットレポート(No.1879)◇金沢の夏2020-にし茶屋街〇安養山弘願院正保2年(1645)創建。延宝2年(1674)に再建した本堂は、江戸中期の建物として貴重なものである。当寺には、金沢市文化財指定の絹本刺繍の仏涅槃図がある。また、画僧・心岩筆の寒山拾得図や加賀藩御典医・池田玄真の墓がある。(看板より)お寺でもSDGsを展開!■写真は弘願院〇にし茶屋街概要金沢の情緒が色濃く感じられる3つの茶屋街の一つ。にし茶屋街は文政3年(1820)に集め町割りをし、今でも料亭が軒を並べて趣ある一角を作り上げている。現在4軒の茶屋が営業しており、19名の芸妓さんが所属している。夕刻近くに通りを行けば、出格子が美しい茶屋様式の2階建ての家並みからは三味線の音色が流れ、芸の町金沢の夜を粋に演出しています。茶屋街中...◇金沢の夏2020-にし茶屋街
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