いしかわの観光スポットレポート(No.1907)◇国史跡「鳥越城跡附(つけたり)二曲城跡」①〇鳥越城(とりごえじょう)鳥越城は、石川県白山市三坂町(旧鳥越村)にある中世の日本の城(山城)跡。大日川を挟んだ対岸に位置する二曲城とともに国の史跡に指定されている。手取川と大日川の合流点に位置する丘陵先端部を利用して築かれており、標高は主郭部で312mある。面積は東西400m、南北1,200mにおよび、頂上を中心とした七か所の主要な郭で構成される。郭は、本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸などと名付けられ、空堀や土塁を挟んで尾根筋を巧みに利用して配置されていて、それを腰郭が囲む。■写真は鳥越城、二曲城の地図と鳥越城登山口■写真は鳥越城郭図■写真は枡形門、本丸門〇鳥越城歴史白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主とし、天...◇国史跡「鳥越城跡附(つけたり)二曲城跡」①
金沢の観光スポットレポート(No.1904)◇金沢城公園「鶴丸倉庫公開」(ユーチューブ連動解説版)〇金沢城公園概況金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。〇鶴丸倉庫概要弘化5年(1848)正月に加賀藩の大工、山本勝左衛門によって建て替えられた武具土蔵で、石川門、三十間長...◇金沢城公園「鶴丸倉庫公開」
金沢の観光スポットレポート(No.1903)◇金沢城公園「三十間長屋公開」(ユーチューブ連動解説版)〇金沢城公園概況金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。〇三十間長屋概要金沢城跡本丸附壇にある三十間長屋は、幅3間、長さ36.5間余の2階建の土蔵で、屋根は南面入母屋造り...◇金沢城公園「三十間長屋公開」
いしかわの観光スポットレポート(No.1902)◇いしかわの秋2020九谷ダムサイクリング9月23日トンデモクラブ、秋のツールドカガサイクリングに参加した。サイクルショップカガ~道の駅「なかうみ」~九谷ダム~県民の森~道の駅「なかうみ」~サイクルショップカガを回るコースであったが、私は距離と山に自信がなく九谷ダムで折り返した。距離71キロ■写真は富士写ヶ岳(941.7m)■写真は九谷ダムの参加者■写真はこおろぎ橋■写真は山中温泉総湯と山中座■写真は農家生水ジャパンファーム(小松市那谷町)(つづく)◇金沢の秋2020九谷ダムサイクリング
金沢の観光スポットレポート(No.1901)◇金沢の秋2020尾張町巡り1②〇尾張町の由来町名の由来は①尾張荒子から前田利家に従って移住した足軽・小者がここに居住した。②利家の金沢入城後尾張荒子から呼び寄せた御用商人の居住地の説がある。寛永12年(1635)頃まではもっと南側の城に近い大手町寄りにあったが、同年の大火後は城から離れた現在の地に移転したもの。江戸期は米仲買商を中心に各種の店舗が71軒並び、金沢経済の中心地であった。文化8年(1811)には米仲買13・道具商10など多くの種類の商店が並んでいた。〇三田商店旧三田商店は、昭和5年(1930)建築の鉄筋コンクリート造2階建ての建物。建物は立方体に近いプロポーションの単純な形態で、外壁にチョコレート・ブラウンのスクラッチ・タイルを貼っている。交差点に面する...◇金沢の秋2020尾張町巡り1②
金沢の観光スポットレポート(No.1900)◇金沢の秋2020尾張町巡り1①〇尾張町の由来町名の由来は①尾張荒子から前田利家に従って移住した足軽・小者がここに居住した。②利家の金沢入城後尾張荒子から呼び寄せた御用商人の居住地の説がある。寛永12年(1635)頃まではもっと南側の城に近い大手町寄りにあったが、同年の大火後は城から離れた現在の地に移転したもの。江戸期は米仲買商を中心に各種の店舗が71軒並び、金沢経済の中心地であった。文化8年(1811)には米仲買13・道具商10など多くの種類の商店が並んでいた。■写真は味噌の中六屋■写真は不室屋本店〇尾張町民文化館明治40年(1907)に建てられた銀行を活用。外観は黒しっくい仕上げの土蔵造りの和風だが、内部は白しっくい仕上げで銀行らしい洋風の空間となっている。当時の...◇金沢の秋2020尾張町巡り1①
金沢のグルメレポート「Ciel Bieu Kichen(シエルブルーキッチン)」
◇金沢のグルメレポート「CielBieuKichen(シエルブルーキッチン)」(No.1900)4月大乗寺丘陵公園の近くにオープンした「cielbleukitchen(シエルブルーキッチン)」に一度行きましたが、定休日で、ようやく訪れました。ホテルでのシェフ経験を持つ店主が奥様と二人で営む、カジュアルフレンチのお店で、こだわりのインテリアと高低差のある手作りガーデンが雰囲気を醸し出し、オーナシェフのおいしい料理が楽しめます。今回は、午後2時ごろで、紅茶(ダージリン)とデザートセット(パスタチーズケイキ、フルーツ、アイス)をいただきました(価格770円)。ウオーキング途中しばらくの休憩。今度はぜひランチに挑戦します。店名「cielbleu(シエルフ゛ルー)」の由来はフランス語で「青い空」。■写真は落ち着いた室内店...金沢のグルメレポート「CielBieuKichen(シエルブルーキッチン)」
金沢の観光スポットレポート(No.1899)◇金沢の秋2020主計町巡り2020(ユーチューブ連動解説版)〇主計町概要1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる。五木寛之の小説にも出てくるなべ・割烹太郎がある。現在4軒(仲乃屋、一葉、まゆ月、えんや)の茶屋が営業しており、9名の芸妓さんが所属している。(2020.9現在)■写真は浅野川沿い主計町の桜(2020.4)〇くらがり坂久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。かつて茶屋街がはなやかなころ、旦那衆が人目を避けてこの坂を抜け、主計(かずえ)...金沢の秋2020主計町巡り2020
金沢の観光スポットレポート(No.1898)◇金沢の秋2020尾山神社④○神苑神社の創建以前は金谷御殿の庭園だった所。1642年頃に造られた古代舞楽の楽器を模した池泉廻遊式庭園。昭和29年(1954)に市の指定名勝となっている。池には3つの島(鳥兜(とりかぶと)島、琵琶島、鳳笙(ほうしょう)島)が浮かんでいる。江戸時代の作風を残し、沢渡りによって琵琶島に至り、ここから八ツ橋、琴橋、図月橋(とげつきょう)等によって鳥兜島を巡る趣向で、これらは雅楽器を象徴しており、「楽器の庭」ともいわれている。神苑の水は、三代藩主利常公の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、響遠瀑から落としていた。■写真は神苑〇尾山神社菊桜国天然記念物「兼六園菊桜」折れた枝を接ぎ木して育てた木を2003年に境内に移...◇金沢の秋2020尾山神社④
金沢の観光スポットレポート(No.1897)◇金沢の秋2020尾山神社③○尾山神社前田利家公銅像加賀百万石を治めた利家の姿は凛々しく、天空に向けて槍を突き上げる若き姿は勇ましい。利家は織田信長に仕え、生涯40近い戦に参戦した槍の名手で「槍の又左」という異名を持った。袋状の布を背負い、馬で駆けるとそれが風で膨らみ、背後からの流れ矢を防ぐ赤い武具「母衣(ほろ)」を纏った赤母衣衆で、ある程度の武将にならないと母衣は付けられなかった。この銅像は、大河ドラマ『利家とまつ』の放映記念に造られたもの。利家は後に豊臣秀吉に服属し、柴田勝家に代わって北陸最大の大名となり、金沢城を居城とした。五大老として徳川家康と比肩する実力の持ち主でしたが、秀吉の死後、その8ヶ月後に利家も病死している。利家の死が豊臣氏の滅亡に決定的となる一因だ...◇金沢の秋2020尾山神社③
金沢の観光スポットレポート(No.1896)◇金沢の秋2020尾山神社②○本殿建造は古式に則った三間社流造(神社建築の様式で最も一般的とされる「流造」のうち、正面の柱が4本、柱間の間口が3間あるもの)で、簡素にして神厳に満ちた社殿。■写真は本殿○尾山神社拝殿黒瓦が鈍く光る瓦葺、入母屋造の純和風。鬼瓦には菊の御紋が光り、旧別格官幣社(国家に功績のあった人を祀る神社で、国がそれを認め、勅命で幣帛を奉献する格式の高い神社)であることを示している。■写真は拝殿〇拝殿扁額「歸厚」第十三代斎泰公筆。論語「曾子曰く終わりを慎み遠きを追えば民の徳厚きに帰せん」訳)「亡くなった人を丁寧に弔い、遠き祖先を祭祀を怠ることがなければ、人民の徳は自ずと熱くなる」■写真は拝殿扁額〇拝殿格天井造中央天井は格天井造で、3000年に1度しか咲か...◇金沢の秋2020尾山神社②
金沢の観光スポットレポート(No.1895)◇金沢の秋2020尾山神社①〇尾山神社の概況慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家、まつ。このふたりにあやかって「文武両道」「必勝」や「夫婦円満」「子宝安産」のご利益がある。■写真は神門■写真は境内図〇封国祭「百万石行列」と同じ日に行われているお祭りがあります。「封国祭」といい、「封国」とは...◇金沢の秋2020尾山神社①
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