こちらのブログがサービス終了との事でお引越し作業中です。『どうしたら』一旦持ち直したかと思ったのですが昨日の夕方冷え込んだのが原因なのかまた痛み出しました。痛みはメンタルにも影響しまたそれが痛みにつながるという負の連鎖。楽になる…ベリーのブログこれからはこちらでよろしくお願いします。お引越し
病名は脊髄内腫瘍。珍しい病気なのでブログ書いてみました。
坐骨神経痛かと思い、マッサージしたり鍼に行ったり、最後は歩くのもやっとでした。 病名は脊髄内腫瘍。珍しい病気なのでブログ書いてみました。
ベリーさんが 参加中のテーマはありません。
テーマは同じ趣味や興味を持つブロガーが共通のテーマに集まることで繋がりができるメンバー参加型のコミュニティーです。
テーマ一覧から参加したいテーマを選び、記事を投稿していただくことでテーマに参加できます。
「ブログリーダー」を活用して、ベリーさんをフォローしませんか?
こちらのブログがサービス終了との事でお引越し作業中です。『どうしたら』一旦持ち直したかと思ったのですが昨日の夕方冷え込んだのが原因なのかまた痛み出しました。痛みはメンタルにも影響しまたそれが痛みにつながるという負の連鎖。楽になる…ベリーのブログこれからはこちらでよろしくお願いします。お引越し
昨日はマッサージの日始まる前に決まって今日はいかがですか~?と聞かれる私が二、三日前から体が重くてと言うと今日は皆さんそうおっしゃるんですよ~だって皆さんはいかがですか?みんな同じだ~
手術後リハビリ病院を退院しずっと在宅でリハビリを続けています術後すぐは体幹が消滅した感じで存在さえも感じることがなく座位も保てなくて起きている時は常にベッドの背もたれに頼っている感じでしたすぐそこにあるペットボトルが取れなくてナースコールを押すのも申し訳ない気持ちでいっぱいでしたお風呂でもお湯の温度を感じることはありませんでした(こちらも在宅)マッサージをしてもらう時まずは左を下にして背中側をやってもらうのですがこちらは最初から姿勢を保てましたしかし右を下にした際にはだんだんと体が開いてきてしまい仰向けにならないようにベッドの柵につかまりながらマッサージしてもらう感じでしたしかし最近では右を向いても体が開くことなくリラックスした状態でマッサージを受けることが出来て...絶賛リハビリ中
今日は30年前に生まれて2ヶ月で亡くなった私の息子の命日です。お墓参りに行ってきました。今は私の父と一緒に眠っています。悲しかった寂しかった後悔した自分を責めた私を気遣う両親に申し訳無い気持ちでいっぱいだった。こんなに涙って出るものなんだとふと冷静になったり。やっぱりいつまでたっても忘れられないものなんだね。人生で一番悲しい日
以前は割と頻繁にあった夜も眠れないような体の痛みですがヘルニアをきっかけに飲み始めたプレガバリンでだいぶ楽になりました。それまでは勧められてはいたものの拒否し続けていたのです。ヘルニアのあまりの痛さに観念して飲み始めました。先日、すごくあたたかかったのに、翌日雪が降りました。今日も雪の予報が出ています。そのせいか、ここのところ不調がつづいています。筋肉が勝手に収縮する感覚。これは実際収縮してるのか?締め付けられる感じもします。これは痙性か?体幹部分も辛いです。お腹をパンチされたように急にお腹がキュッと縮み上がるみたいな。先日のリハビリではあまりに体のこわばりが強く、ほぼストレッチで終わってしまいました。普段から痛いいたい言ってるので旦那は隣で涼しい顔してます。痛いのきました
特に具合が悪くなったというわけではないのですがバリアフリーといううたい文句といつも空いているからという理由でかかりつけ医にしていた病院にはもう行かない事にしました。基本的には手術した病院に年に一度MRIを撮りに行っているので本当に薬を出してもらうだけでした。私は一度の診察に30日分が限度の薬を服用しているのですがそこの医者は一ヶ月に30日しか出せないと言い張って同じ月に出してくれないのです。薬のストックに余裕がないと体調や天候によって通院出来ない時に困ります。かかりつけ薬局も同じ月に行って少し余裕があった方がいいですよって言ってくれたのに全く取り合ってもらえず。私のいる前でその病院に併設されている薬局に内線で問い合わせていましたが驚いたことにそこの薬剤師もそれは厳しいという返事。私、診察室ですごい無理...訪問診療に切り替えました
もう1月も終わりますね。一昨年最愛の父を亡くし辛い日々を過ごしましたが昨年年が明けて父のいない新たな1年をなぞるのはさらに辛いものでしたちょっと出かけてもああ、父と来たことあるなぁとか花を見てこれ、父が好きだったなぁとか去年の今日は父は居たのにと、ことある事に思い出し胸が締め付けられていました。段々とこういった気持ちも薄れていくのでしょうか。今年もどうぞよろしくお願いいたします。辛くてね
おシモのお話です。車椅子になってしばらくしてやけにトイレが近いな、とかトイレに行ってもあら、出なかったとか排泄に関してはずっと迷走していました。紅茶を飲み過ぎたかななどど思ったり、少しすると落ち着いたような?これはどうやらおかしいぞ、という時は病院に行って薬を出してもらうと嘘のように治りました。常に膀胱のご機嫌をうかがってはいるものの、感覚鈍麻のため、ただトイレが近いのか、細菌に感染しているのか悩ましいところです。普段から常に座りっぱなしの上にトイレでは前に向かって拭く事しか出来ないので膀胱炎になる要素は山盛りです。病院に行くのが面倒な時は市販の薬をポチッとしてやり過ごしていました。膀胱炎は癖になるとは聞いていましたが、多い時は年に3、4回あったんじゃないかな。血尿が出た時もありました。だかしかし!今年は...膀胱炎になってない記録
先日皮膚科に行ってきました。というのも、脇腹を低温やけどしまして。ストーブにあたる足元などは気をつけていたのですが、寝てる間に携帯電話の充電器があたっていたようで、ビックリするような皮のむけ方でした。見事に痛くもかゆくもないのでそのうち治るだろうと放っておいたら、1ヶ月してもあまり変化なく。とうとう思い腰を上げて皮膚科を受診しました。初めて行く所は嫌ですね~。車椅子に免疫なかったりトイレはどうかな、とか。カサブタだと思っていたのは壊死した皮膚だそうで笑。褥瘡の薬を処方してもらいました。2週間後の受診で経過を診てもらいましたがその際に、常々気になっていた目の周りの白いポツポツ(稗粒腫)を取ってもらいました。まぁまぁ数あるので1度には無理みたいで、いくつかを液体窒素で焼いてもらいました。今は(こちらはホント...低温やけどのついでに
とあるショッピングモールのガチャコーナーで車椅子発見!嬉しかったけれど届かない位置でした泣うぅ
回転寿司はカウンターとテーブルがありますが、椅子が固定されたテーブル席への移乗は私にはなかなか難しいものがあります。かと言って移乗しないとなると通路でのお誕生日席になってしまい、何となく違和感が。最近では子供たちもすっかり独立したので外食はめっぽう夫婦二人です。なのでカウンター席に着くのですがお寿司屋さんによってはレーンの距離や高さが合わないことがあります。はま寿司は車椅子のまま着けるテーブル席があるのですが先日行ったスシローにも椅子を外せるテーブル席がありました。久しぶりにテーブル席で自分でオーダーして自分でレーンから取って食べるお寿司は美味しかったな。一瞬仕切りに見えるけど背もたれの高い椅子なのでどけてもらい、そこに入れます。車椅子でまわるお寿司
車椅子になったばかりの時は人に見られるのが嫌であまり外には出ませんでした。しばらくして外に出るようになっても、少しの段差に心が凹み、エレベーターのない建物の2階以上には行けないんだと心が折れました。なので安心して出かけられるのはバリアフリーの大型ショッピングモールばかり。元々小さな雑貨屋さんや隠れ家的なカフェみたいな所が好きだった私は、フツフツとストレスが溜まっていきました。何故ならそういった小さな場所には車椅子の入れるトイレがないのです。しかし最近になって家から割と近い場所に個人経営なのに扉は全て引き戸、車椅子の入れるトイレのあるご飯屋さんを見つけたのです!トイレのことを気にせずに、デザートまでゆっくりと過ごせる事が出来るなんて、本当に嬉しかった。お会計の時にその事を告げると、経営者のお母様が車椅子ユ...嬉しかったこと
ここの所寒暖差激しく降ったかと思えば土砂降りでつまりまた身体が痛いのです。今回は裸でアスファルトの上を引きずられているような火傷しているような痛みです。気温上がったり下がったり
ずーっといる台風。マッサージやリハビリの時にお天気良くないですが体調はいかがですか?と聞かれて、あれ、そう言えば大丈夫だな、なんて思ってましたが、温帯低気圧に変わった頃、身体中痛みが走っています。いつもは強炭酸水の中にいるようにしびれていますが、今はその小さな泡一つひとつが細い針になって刺されているような痛みです。不随意もあり、不快な日々です。痛いいたい
リンク先に動画載せました。『なんでもやってやるー』車椅子になって人にお願いしなきゃ出来ないことが増えました。特に家族には。いや、家族なら言わなくても気づいて欲しいなーということが山ほど。ちゃんと感謝の気持…ベリーのブログなんでもやってやるー
みなさんはオリンピック観ていますか?やっぱりパリはおしゃれですね。車椅子じゃなかったらまた行きたいなー。スケボーは見ましたか?あれ、車椅子でやってみたいよねってちょっぴり思っちゃった。パリオリンピック
今年も暑いですね。去年が10年に一度の酷暑といわれて歯を食いしばって乗り越えましたが今年もこんなに暑いなんて、、、そして来年はさらに暑くなるとか体温調節がヘタクソになってしまった私は暑くて暑くてたまらなくなりクーラーをかけてもなかなか熱が引かず、座りっぱなしの下半身は汗でビショビショなのに、靴下を履いていないと足先は冷たくて、完全に体温調節機能がバグっています。さらに、やっとのことで冷えたと思ったら寒いと感じ始めちょっとやそっとのことでは温まらない。おまけに扇風機の風が直接当たると痛い。エアコンガンガンにかけたりかと思えば急に長袖羽織ったり扇風機の風から逃げ回ったりなのにお風呂上がりは汗ダラダラで扇風機の前を陣取ったり家族はうざがるけれどもこの体の扱いに1番振り回されているのはこ...体温調節ヘタクソ部
自分で言うのもなんですが元々嫌いじゃないこともあり家事は割とやっています。トイレお風呂の排水口洗面台キッチンシンク届く範囲で掃除しています。家族が食べる夕食も割とちゃんとした物を作っているつもりです。特に何の改造もしていないキッチンで。水を鍋に入れて沸かすはなんとか。でも茹でこぼす、とかは車椅子ではちょっと危ない工程です。そこで私がよく使うのはアイラップという袋タイプのラップブロッコリーほうれん草ジャガイモインゲンとりのささみアイラップに入れてレンジでチン!です。とっても便利でお湯を沸かすことなく茹でる工程が出来るのでまだ使っていない人はぜひ。車椅子ユーザーに特におすすめします。使ってますか?
この2、3日火の中に放り込まれ上半身と下半身をねじりながら切り離されるような痛みです。早くお天気安定しないかな。みなさんはいかがですか
先日、ひろみちお兄さんのニュースを見た。まさにうちの子達のドンピシャ世代で誰だあのイケメンおにいさんは!なんなら仮面ライダーより先にときめいてたかも。そして、保険屋さんの招待で子供達を連れておかあさんといっしょのステージを観に行き、息子は客席を走り回るひろみちおにいさんに握手までしてもらった。体操のお兄さんという事でケガには気をつけていただろうにまさか脊髄梗塞とは。直筆でコメントを出した所を見ると胸より下の位置に梗塞が起こったということでしょうか。おにいさんやご家族がどのように受け止められているのかはわかりませんが、私はまず第一に命があってよかった!と思いました。最悪車椅子、という言葉がありますが、(車椅子になるくらいなら死んだも同然と言った人もいますね)命がなくなるより全然マシです。歩けないことより、な...ひろみちお兄さん
私がいいねをしたのをきっかけに過去に脊髄腫瘍の手術を受けた方からメッセージをもらい、ベリーさんの脊髄腫瘍について話を聞かせて欲しいと言われました。以前から脊髄腫瘍のサイトを運営してる方だったので、私に何か協力出来ることがあれば是非と返事をしました。いくつか質問に答えた後しばらくして、ベリーさんは障害の受け入れが出来ていないので、傷口をえぐるようなことはやめておきますという返事が返ってきました。その方なりの気遣いだったのかもしれませんが、障害を受け入れてないと言われたことがどうにも悲しくなりました。そもそも障害の受け入れって?受け入れなければならないことなの?受け入れてないって人に判断されることなの?大人気ないと言われるかもしれないけど、リハビリも頑張ってます。また野原を駆け回ろうなんて思ってるわけではない...少し間があきました
父は用意周到な人間だったので、いつからか、気持ちの上でも旅立つ準備をしていたようです。亡くなる年の春には母と結婚して暮らし始めたアパートの跡地や、思い出の場所を私の妹の車で巡り、目に焼き付けていたようです。地方から嫁いで来た母をあんなに幸せにしたのに、最後には、色んなしがらみのある中、僕のところにお嫁に来てくれてありがとうと言ったらしいです。そういう事をちゃんと言える人でした。思えば、ありがとうをたくさん言っていました。体はだいぶ弱ってはいたものの、頭はしっかりしていて、私の娘が留学からもどり、イギリス人の彼氏が出来た事を報告すると、それはそれは喜んででかしたな!と言ったらしいです。父は事あるごとに私に手紙やハガキを書いてくれました。毎年届いていたバースデーカードが今年からはないと思うと誕生日が来て欲しく...父のこと
備忘録父は三男だったので新たにお墓が必要でした。しかし、子供は私と妹の女だけ。二人とも嫁に出ました。けれど、うちに男の子が産まれた事で、父はお墓を購入しました。それも私の夫の名前で。常々、胃ろうはしないでくれ、葬儀に金はかけないでくれ、戒名もお経もいらない。家族だけで見送ってくれればいい。ただ花はたくさん飾って欲しい。特に大好きなリンドウを、と言っていたので、その通りにしました。お位牌と墓誌には俗名がそのまま刻まれています。お寺などのしがらみがなかった分、事はわりとすんなり進みましたが、これでもまあまあのお金は必要でした。(もちろん、父は用意していました)そして最後は実家の名義変更です。こういった手続きは私は好きだったりするのですが、何度も法務局に出向いたりすることが今の私には無理でしたので、司法書士にお...葬儀とお墓のこと
備忘録も兼ねて色々と綴るつもりはあるのですが、まだまだ向き合うには時間がかかりそうです。そんなことをしているうちに忘れてしまうのではないかな、なんて漠然と後ろめたい気持ちもあります。他のSNSでは私は特に後遺症のこと、つまり車椅子であることを公表してはいないので、ここでしか書けないことを記しておきます。父は母によく私のことをあの子はもう一生歩けないのかと言っていたそうです。やっぱり親としては、自分の子供が車椅子になって、不自由な生活をしているのを見るのは辛かったのだろうな、とどうしようもない気持ちになります。脊髄腫瘍ももっと早く見つかってもっと慎重に病院を選んでリハビリも頑張ればもっと父や母の力になれていらない心配させずに済んだのになと思います。泣いてばかりいないでリハビリは頑張っています。ここだけの話
まだまだふとした瞬間に悲しくなりますが、どこかに残しておかないと、忘れてしまいそうな自分がいます。実は2、3年前から些細な事で母との関係がギクシャクし、旦那や子供達が顔を出す事はあっても、私が実家に行く事はありませんでした。しかし、今年は父の米寿でもあるという事で、父のたっての願いで子供や孫達も集まる事になりました。その少し前から打ち合わせ的な事で、私も実家に行くようになり、母との仲も元通りとなりました。これは、遠回しに父の計らいだったと思います。以前から腎臓を患っていたものの、週に一度のデイサービスに通い、訪問マッサージを受け、母の手料理を食べ、長年の趣味だった俳句を作り、穏やかに暮らしていました。月1の通院が在宅になりましたが、孫が夏に留学から帰るまでは、秋に米寿を迎えるまでは、と頑張っていました。頭...落ち着きつつありますが。
先月大好きな父が他界しました。朝から晩まで仕事をし、夜は所属団体の会合にも出かけ、週末には家族をよく旅行に連れて行ってくれるというパワフルな人でした。私に向けられる優しい眼差しも好きでしたが、ずっと母のことをちゃん付けで呼ぶ父を見るのも好きでした。最期まで新聞や本をよく読み、たくさんの事を教えてくれました。そしてたくさんの愛をくれた人でした。いつ何があってもおかしくないと言われている中で米寿のお祝いをしてから、一週間もしないうちに逝ってしまいました。父の事が心配で私の実家で生活していた娘(看護師)が、夜中の急変に気づき、心臓マッサージをしてくれて父もどこか誇らしかったんじゃないかな。しかし、そのまま帰らぬ人となりました。後悔とか、悲しいとかいう気持ちがないわけではないけれど、心臓が止まり、お骨になり、写真...泣かない日もあるけれど