chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
へなちょこかいご
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/01/24

arrow_drop_down
  • 父、退院して母、うなされる

    退院の日、各科の先生より家族のみにお話がありました。泌尿器科では、前立腺肥大と排尿障害の検査、治療を今後も月1で。家では尿瓶(しびん)を用意するようにとのこと。耳鼻科では、難聴や中耳炎のチェック、耳鼻の掃除などを月1で。内科では、肺の状態がものすごく悪いという説明が。慢性呼吸不全、慢性肺気腫、COPDなどで、月1。家では投薬、吸入薬、在宅酸素療法。食事制限はなく、飲酒も可。「予後数年、楽しく過ごして下さい」と言われ、数年か…と気落ちもしましたが、父は85になる年だったので、それから数年て立派なのでは?と思い直しました。そして最後に「認知症になっていると思われます」と言われ、絶句。重い気持ちで(私が)退院。介護仕様になった自室にはおおむね納得したようでほっとしました。以前と変わらず夕飯には焼酎。夕飯は父が早...父、退院して母、うなされる

  • 父、退院に向けて

    転院先では普通食になり、好物のあんぱんも解禁になりましたが、すぐに飽きてしまい、食べなくなりました。内科の他、耳鼻科、泌尿器科での検査や治療、リハビリの毎日。父は今後介護が必要になるのだと、母のケアマネージャーさんに連絡し、父が利用できるところはありますかと聞くと、「ありますよーー!」と明るい返事。このひと言にどんなに救われたか。後々、父の担当はこの人じゃなければだめだったなあと思いました。母とも仲良しで、私は本当に頼りにしていました。父についてくれた若い男性看護師さんも、いつも迷惑かけてすみません、と言うと、「うちのじいちゃんに比べたらかわいいもんですよーー!」と笑っていて、安心できる存在でした。病室での介護度認定調査では、質問や動作の確認に憤慨。こんなに動ける!とアピールしようとしてベッドの上で転げて...父、退院に向けて

  • 父、転院

    父は入院から1ヶ月後、転院することに。病院が手配した介護タクシーで、車椅子、酸素のチューブをつけて。出発時間が12時半だったため、思いのほか慌ただしくなりました。父が昼食をとっている横で荷物をまとめていると、看護師さんが持参する薬の説明に。会計も済ませて下さいと請求書を渡されると、介護タクシーのドライバーさんが迎えに来ました。バタバタと済ませ、母のバッグをふと見ると、病室に置いてあった清拭、おむつ替えの時のためと思われる薄手のゴム手袋が数枚入っていました。これはうちのじゃないんだよ…と言うと、「うちのだよ!」と言い張るのでごめんなさいと思いながら退院。道中、この道を曲がると我が家、という所に差し掛かりましたが、父はその方を見るでもなく、ただ黙って乗っていました。転院先の病院では、若い男性の看護師さんがつい...父、転院

  • 父、病院で新年を迎える

    父は初めて家ではないところで新年を迎えました。毎年、お正月は駅伝を楽しみにしていたので、ベッド横のテレビで観るかなとテレビカードとイヤホンを用意しましたが、一切観ていないようでした。父は、好物のあんぱんが食べたいと、よく言うようになりました。ソフト食なので、ご飯をわしわし食べていた父には物足らず、甘いおやつも食べたいでしょう。しかし父は食事制限があったため、主治医の許可が必要です。聞いてみると、パンは窒息の恐れがあるので、本来ならば書類に、それも承知していますというサインが必要とのこと。どうしてもと言うのなら、家族がいる時のみ、少しずつちぎって食べる。1人で食べるのは病院の管理問題にもなるため、残りは必ず持ち帰る、という約束で、許可が出ました。それから、見舞いの時にはあんぱんを持参して、ベッドに備え付けの...父、病院で新年を迎える

  • 父、集中治療室

    父は集中治療室に。検査の結果、肺水貯留、真菌感染症、肺炎、前立腺肥大症、COPDなどがあげられました。点滴、酸素、尿道カテーテル、内服などの治療。入院用品など届けに行くと、元気というか、早く退院したいという気迫が感じられ、昼食(ソフト食)も完食していました。父は倒れた時のことを覚えていないようで、「誰がここに連れて来た?」と聞くのでメモ帳に大きく“救急隊”と書いて見せました。「俺、どうなったの」と聞くので“倒れて運ばれた”と書いて見せると、ふっ、と笑いました。2日後に見舞いに行くと、あちこちに血が付着。ベッド下に落とした補聴器を拾おうとして点滴が抜けたとのこと。入院3日目には起き上がってベッドに腰掛けるなどしていました。食事は全がゆ、ソフト食でしたが、入院が年末に差し掛かっていたため、クリスマスイブにはト...父、集中治療室

  • 父、倒れる。

    食道がんの手術から7年後。父は1人で外出し、帰宅するためバス停に向かう途中で倒れました。近くに居合わせた方々が様子を見てくれたり、救急車を呼んでくれたりしたようで、父はすぐさま搬送されました。その頃、私も1人で買い物に出ていまして、帰宅すると母が、父が倒れて救急車で運ばれたと、どうしていいかわからない様子。固定電話の横のメモを見ると、病院名が書いてあったので、母は認知症と診断されて2年目でしたが、電話の内容を覚えていたこと、連絡を受けながら書き留めたことがありがたく、大助かりでした。すぐ病院に電話を入れ、医師と話し、病院に向かいました。検査の間しばらく待ち、医師が来て、ご本人とのご関係は、と聞かれ、私が「長女です」と言うと、母が「私も長女です」それは母のきょうだいの中では長女だけど。医師が、奥様ですね、で...父、倒れる。

  • 父の食道がん

    大腸がんの術後3年目の定期検査で、食道がんが疑われました。内視鏡による手術のため入院。病院の都合で個室になったため、母と私は病室で待機。のんびりとテレビで『渡る世間は鬼ばかり』の再放送を見たりしていました。そこへ医師が急いだ様子で現れたので、何かあったのかと身構えると、直前の検査、準備の段階でむせて誤嚥してしまい、手術は中止になりました、とのこと。父は元々とてもむせやすく、咳き込むことが多かったです。その後、発熱しましたがなんとか回復し、再挑戦。しかし2度目の手術でも、内視鏡を入れる途中でむせて、中止に。一旦、退院しました。再入院は1ヶ月後で、今度は全身麻酔での内視鏡手術に。がんは取り切れているだろうとの説明でしたが、首に近い、とても難しい所で、父の食道が元々細いため、今後の手術、加療は負担が大きいとのこ...父の食道がん

  • 父の大腸がん

    父は70代に2ヶ所のがんの手術をしました。今から20年ほど前ですね。健康に自負のあった父はお腹のチクッとした痛みを、まあたいしたことないだろうと様子見していたそうです。それにしても痛いなあと、とりあえず行ってみた小さな医院から大きな病院を紹介され、検査の結果ががん。腹腔鏡手術で転移していたリンパも取りました。年齢的なこともあり抗がん剤はなし。いくつかあったポリープは半年後に取ることに。父はストレッチャーで手術室に入るまで冗談を言い、術後には「死ななかった〜」と笑っていました。見舞いに行くたび、父は元気で、回復具合や同室の患者さんの悪口など聞かせられました。定期検査の結果、ポリープは全て消滅したり小さくなっており、退院後の年2回の定期検査も数年後には年1になり、術後9年目に、問題なし、検査終了となりました。...父の大腸がん

  • 1年半

    母が亡くなって1年半経ちました。誰かが、誰かを亡くして3年…と聞くと、まだ亡くして間もないと思います。4年、5年でもそう思います。なので、まだたったの1年半なんだなあという感じです。ずっとノートやメモ帳に書き続けていた両親の病気、介護の記録、自分の気持ちなどを少しずつまとめたいと思います。まず、父のことから記していくつもりです。父の入院、在宅介護は短期間なので、すぐ終わると思いますが。1年半

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、へなちょこかいごさんをフォローしませんか?

ハンドル名
へなちょこかいごさん
ブログタイトル
へなちょこかいご
フォロー
へなちょこかいご

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用