chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
へなちょこかいご
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/01/24

arrow_drop_down
  • 三回忌過ぎて

    母の三回忌も過ぎました。何の法要も儀式もありませんが、母の命日が我が家の1年で最後のお墓参りなので、ゆっくり掃除をしてお参りしました。一昨年の母の死後、火葬が終わった頃に合わせて仏前のお供えを下げ、またいつもの暮らしに。よく、近しい人が亡くなった話で、3年前と聞くと、まだ3年なんだ、悲しみはまだ深いと思っていましたが、母が亡くなって2年。命日には、病院からの緊急の電話に始まった出来事を時間を追って思い出し、まだまだだなと思いました。たまに母が通っていたデイサービス、通い、入院した病院の前を通りますが、もう遠い気がします。でも、穏やかにずっとあってくれという思いです。母の事は考えても本当にまとまらず、自分の中に落とせていない感じ。回忌で言うと次は七回忌。どうなっているんだろう。三回忌過ぎて

  • 酷暑のお盆も過ぎて

    いつまで経っても朝から蒸し暑くて庭仕事も危険な暑さで、草はぼーぼー、庭木は伸び放題。お盆も晴天真夏日の中お墓参りを済ませました。翌日は曇って、幾分涼しいのかな、日をずらせばよかったかなと思いましたが、突然の大雨が何度もあり、どっちもどっちでした。母がいた頃、父のお盆のお供えをつまみ食いした事、かわいい盆飾りやお菓子を喜んだ事を思い出しました。家になんの気配もなかったので、帰って来なかったのでしょう。父は大好きな自分の実家に行くはずなので、もしかしたら母も一緒に行ったのかな。母は父の実家が苦手でしたが、もう楽しく過ごせているのかも。そんなお盆でした。8月も後1週間。暑さは続くようですね。酷暑のお盆も過ぎて

  • まとめ終わって

    父母の介護の日々を書き留めておいた10数冊のノート、医療の記録をまとめ終えました。片付けの一環でもありましたが、書き散らかした部分も含めて私の内にしまい込み、記録として読み返しができるようにブログに置こうと。書き足らないところ、あえて抜かしたところもありますが、一気にやってしまいました。病院、施設、医療、介護に関わった方々には、不満や疑問点もありましたが、助けてもらったありがたみが大きいです。ここで、この方で良かったと思った事の方が多いです。母はデイサービスが大好きで、家で過ごした最後まで行きたがっていましたが、初期は葛藤もあったようです。私はデイサービスに関しては、母の好きなようにしました。行くと言えばその方向で進め、休む、やめると言えばそのように。毎年、母の誕生日には出掛けたりプレゼントを贈ったり。デ...まとめ終わって

  • 認知症13年目・10月 まとめ最後

    《認知症13年目・88歳》〈10月〉リモート面会。叔母(近隣の母の妹)と。ほとんど目を閉じていたが、叔母の話し掛けにうなづいたり。一瞬、すごくいい笑顔に。水分は少しとれたとのこと。リモート面会。起きている時間が多く元気そう。また口から食べられるようになったとのこと。脚の痛みもほとんどない様子。画面越しに手を振ると、向こう側の母は画面にタッチしていた。病院から電話。午前9時半頃。昨夕から嘔吐。病院に来ていただきたい、と。兄がいたので一緒に向かう。医師の説明。朝、検査の結果、肺炎、腸閉塞あり、胃液たまっている。検査後、意識を失う。血圧測れず、採血できず。原因不明。午前10時12分、死亡確認。老衰により死去。※以降の事は、ブログ2021年10月の『母、亡くなりました』の記事からお読みいただけたらと思います。⭐︎...認知症13年目・10月まとめ最後

  • 認知症13年目・7〜9月

    《認知症13年目・88歳》〈7月〉夜中、ベッド下で転倒。検査の結果、左大腿骨頚部骨折。骨はずれていない。ベッドで安静にしていれば1〜2ヶ月でくっつく。手術は可能。折れた所を針金でとめる。手術しない場合→内科的に現状維持。歩けなくなる。認知症により安静にしていられない。手術する場合→内科的に悪化のおそれ。歩ける。術後、安静にしていられない。医師、兄と話し合いの結果、手術はしないことに。保存療法。兄は、リスクを伴う手術より、車イスでも生きてて欲しいとのこと。骨折の影響か、発熱。座薬。本人は歌ったり食べたり。動くと痛いと言うことはあるが、自分で立ち上がったりして安静は難しいとのこと。リモート面会。病室ではなくみんなが集まるフロアにベッドごと移動、背を起こした状態。微熱になったが、冷枕。元気そうで笑顔あり、歌い、...認知症13年目・7〜9月

  • 認知症13年目・4〜6月

    《認知症13年目・88歳》〈4月〉リモート面会。ご飯は食べてるか聞くと「おばちゃんのとこではね、食べさせないの」と、ちょっとふざけ気味に言い、看護師さんに「さっき食べてるとこ見ましたよ」と言われて笑っていた。微熱続いているが、様子は変わりない。リモート面会。元気そうだが、10分程度でも後半疲れた感じ。発熱の後回復し、良好。呼吸の乱れ、血中酸素低め、発熱。気管支を広げる服薬、本人はいつも通り過ごしている、と連絡。〈5月〉連休中のリモート面会予約取れず、中旬になった。遠方の母の妹からのお菓子と手紙差し入れ。体調あまり良くないが、横になると回復するとのこと。兄を見て「あんちゃん」看護師さんが「娘さんですよ」と言うと、「娘?娘は私にそっくりなの。みんな言うの」と言うが、画面越しの私とは結びついていない様子。立ち上...認知症13年目・4〜6月

  • 認知症13年目・1〜3月

    《認知症13年目・88歳》〈1月〉入院が長引いているので、メンテナンスも含めてレンタル介護用ベッドなどを一旦引き上げたいと連絡があり、搬出。歯科検診、髪のカット。カットは事前に連絡があり、お願いすると行われる。実費。花を口に入れたと連絡。飲み込んだかは不明。口の中の物は取り出して医師に報告、様子見に。今後気をつけるとのこと。近隣に住む母の妹夫婦にリモート面会に行ってもらった。現状を知らせるのと、母が覚えているうちにと思ったが、わからなかったようだ。「寒いからあっちに行く」などと席を立とうとするなど。筋力が落ちないように院内散歩、リハビリなどしている。食事は集中が続かないが食べないことはない。〈2月〉苦しいと言うことがあり、院内の循環器内科受診。体内の余分な水分、塩分を排出し、心臓の負担を減らすため、利尿剤...認知症13年目・1〜3月

  • 認知症12年目・11〜12月

    《認知症12年目・87歳》〈11月〉巻き爪の手術。左足親指の腫れ、痛みの原因。局所麻酔で20〜30分。無事に終わり、病棟の看護師さんが迎えに来るまで一緒にいる。「うまいもの食べに行くか」などと元気に話し、自分が掛けてもらったひざ掛けを私の肩に掛けてくれた。看護師さんに、母がいると病棟が明るくなると言われてほっとした。グループホームと病院側で話し合い、病院側(私も)の見解で、巻き爪の術後の回復もまだかかるし、認知症ももう少しゆっくり治療してからの方がということになり、入所は見送りに。ティッシュを口に入れてしまい、スタッフがすぐに取り出した。飲み込んではおらず、医師にも診てもらい、経過を見ている、本人は元気、今後気をつけますと連絡。家にいても異食はあった。ぬいぐるみを噛みちぎろうとしたり。リモート面会。お母さ...認知症12年目・11〜12月

  • 認知症12年目・10月中〜下旬

    《認知症12年目・87歳》〈10月中〜下旬〉精神科への入院日。母は穏やかだったが、座っててと言っても「お母さんのそばにいたい」兄の車で病院へ。駐車場でコロナの抗原検査を受け、陰性だったので入院可能。鼻での検査が痛かったようで、係の人に「あなたがやりなさいよ」と言っていた。院内に移動して、医師の診察や説明。以前からの担当医。入院は3ヶ月の予定。母、医師に「おじいちゃん」と言ったり、説明を一緒に聞いて「雪かきをすればいいんですね?」母が内科等の検査を受けている間、病棟での説明。兄は仕事で途中離席。部屋には入れず、別室へ。廊下から共有スペースを少しのぞいたが、明るくきれいな印象。主任、療法士、看護師、師長さんのお話、聞き取り。相談員さんの話、契約。母が戻って来て会えたが、楽しそうにスタッフさんと共用スペースに。...認知症12年目・10月中〜下旬

  • 認知症12年目・10月初〜中旬

    《認知症12年目・87歳》〈10月初〜中旬〉8月の退院で予後数ヶ月と言われた母のため、在宅介護、医療にしたけれど、元気で退屈しているのを見て、違ったと思った。不穏の母を兄が出勤前に車に乗せて近所をくるりと回る。私は1人になって、ああこういう時に死んでおくかな、と思った。ああそうすればいいんだと思っていると、母が戻る。すぐに出掛けたがるので、もうお兄さんと行って来たんだよ、と言うと、「どこに行った?!あのやろう…ビンタだ!!」もう落ち着く、眠れる用の薬が効かない。私の本棚から本を取って破るので、本棚にカバー。コロナ対策の消毒液を飲もうとするので隠す。食器を洗っていたら拭いてくれた。父の写真に話しかける。「泣かないの。男は泣かないの」「かわいいよ〜」「ね?!」体重を測る。33.6kg。だいぶ減った。何してるの...認知症12年目・10月初〜中旬

  • 認知症12年目・9月中〜下旬

    《認知症12年目・87歳》〈9月中〜下旬〉うるさい。ずーーーっとしゃべっている。ずーーーーっと動いている。ものすごくうるさい。1人でしゃべって、テレビに反応して怒って。朝はいい便が出ていた。新たなショートスティ先との契約のため、担当者会議。利用の説明や手続きなので、母は自分が注目されず怒り出す。12月迄空いているところにショートを取ってもらった。夜中2時頃に寝つき、朝5時に起きる。昼間、私が茶の間でうとうとすると足を蹴って起こし、説教をする。自問自答というか自分に自分で受け答え。「おなら臭い。誰が?たまにしかしないよ」朝5時。「さよなら〜さよなら〜」「だっこ〜」イスに座らせて、やわらかくハグしたら落ち着いた。とにかく動く。後をついて来る。1人になると呼ぶ。投薬で徐脈も落ち着いていて、70ある。酸素も98%...認知症12年目・9月中〜下旬

  • 認知症12年目・9月上〜中旬

    《認知症12年目・87歳》〈9月上中旬〉早朝、おむつ姿で廊下をよたよたと歩く姿にぎょっとした。暗い部屋に入り、床に座り込む。立たせてリハパン替えてズボンはかせてベッドへ。夜中2時、物音、うめき声。ベッドの足元を頭にして寝ていた。寝具に便汚れがあったので取ると不穏になり、ズボンを脱ぎ、リハパンを下げた状態でベッドの上で仰向けになり、両足を上に上げ、反動をつけて、「このやろーー!!」と私に蹴りかかってきた。「そんなに俺が憎いのか!!」「兄ちゃ〜ん」と嘘泣き。寝具を洗って戻るとおさまっていた。リハパンを替えて寝た。「殺せ!!」と言っていた。朝5時に起き、「今日はどこかに行くの?」行かないと言うと、カッとして「よくも子供にそんなこと言う!!」今までは、よくも親に、だったのが、子供になった。お風呂は父の時に購入した...認知症12年目・9月上〜中旬

  • 認知症12年目・8月下旬

    《認知症12年目・87歳》〈8月下旬〉母の介護用の部屋を準備。真夏の暑さにすぐ疲れるが時間がない。今まで使っていたベッドも運ぶ。今までのデイサービスは元気な利用者さんが多く、進行した母が、よりゆっくりできるデイに変更、契約。同系列なので、知っているスタッフさんもいて安心。ヘルパーさんの事業所と契約。退院。兄と私を見て「おーー!」医師の話。内科的なことは落ちついている。腸腰筋膿瘍は今後再発するかも。ターミナル(終末期)を視野に入れての医療に。心臓はいつ止まってもおかしくない。心臓マッサージ等はしない。薬剤師さんの話。採血とレントゲン。看護師さん、お尻のただれがひどいので皮膚科を検討しても、とのこと。退院した日の午後、介護に関わる方々と契約や説明。ヘルパーさんが現状を見るためもあり、おむつ替え、洗浄、軟膏。病...認知症12年目・8月下旬

  • 認知症12年目・7〜8月中旬

    《認知症12年目・87歳》〈7月〉デイの連絡帳に、血圧が高く徐脈見られるとの記載。家でも日に2、3回体温、血圧、脈、酸素を測る。デイの車を降りた時に、スタッフさんに「お茶どうぞ」と言うのが定番だったが、すっかり言わなくなっていた。久々に「休んで行ったら?」と言ったので、スタッフさんも、久し振りに言われたと笑っていた。母部屋のドレッサーに母と母の母親の昔の写真が置いてある。「ここに来ると〇〇さん(母親の名前)いる」朝から不穏。「意地悪される」「ちゃんとわかるんだ」「(父の遺影に)お父さん、意地悪されるんだよ〜」「出て行け!!」「ちくしょーー!!おぼえてろ!!」「死にたい」「殺してくれ」着替えをしていると落ち着いた。呼吸器科の定期通院日。ぜん息など落ち着いているが、このところの血圧、徐脈を伝え、検査に。結果、...認知症12年目・7〜8月中旬

  • 認知症12年目・6月

    《認知症12年目・87歳》〈6月〉初ショートスティ。利用にあたり、前もって担当者会議をし、利用できる制度や手続きを知る。世帯分離、介護保険負担限度額認定証など。まずは1泊2日。いつものデイと違う車とスタッフさんに(担当者会議で会ったけれど)少し戸惑うが、元気に出発。翌日夕方帰宅。母が華道の免許を持っていることから、スタッフさんが自宅の花を持って来て母に活けてもらったとのこと。食欲あり、トイレも誘導ででき、座位浴もした。夜中に起きて「ここどこだっけ?」と言っていたそうだが、利用者さんやスタッフさんに話しかけたり、穏やかに過ごしたようだ。心配なく利用していただける、との言葉にほっとした。写真のプリントももらったが、笑顔だった。夜、母の布団を直していると寝言か目が覚めたのか「あははは」と笑っていた。リハパン、パ...認知症12年目・6月

  • 認知症12年目・3〜5月

    《認知症12年目・87歳》〈3月〉早朝、物音がするので母部屋へ。ズボンを下ろして開いた押し入れの前に立っていた。トイレと思ったらしい。ものすごい元気さ。近所の人も「お母さん元気だよね〜」とびっくり。整形外科。玄関で転倒し、右手首骨折。とてもとても元気。ご飯も利き手が使えないが手づかみでも食べる。皿もなめる。包帯を自分で取ってしまうのでギプスに。夜、私の部屋に来て「具合悪いの?」夜だから寝てるんだよ。夜中、家庭内徘徊。〈4月〉整形外科。背中から脇腹が痛いと。右手首の骨折で三角巾で吊っているのでややこしい。レントゲンでは異常なし。が、他の骨が2ヶ所折れている。いつ頃かはわからない。それ程ズレていないので固定なし。歯科。定期チェック。虫歯3ヶ所。以後2回通院。ギプス取れる。骨の回復も順調。兄が車で桜のきれいな通...認知症12年目・3〜5月

  • 認知症12年目・1〜2月

    《認知症12年目・87歳》〈1月〉朝、ベッドの横に座り込んで起き上がれず。手を貸すと痛がって嫌がる。しまいには泣き出す。病院へと言うと、行かないと言い張る。アプローチを変えて、初めて見たように、あらっ?!大丈夫?と声を掛け、乾いてボロボロの唇を拭いているうちに機嫌が良くなる。「水と親指がケンカした」などと。誘導しつつベッドへ寝かせる。食が進まないので、スプーンで少しずつ口に運んでみる。初の食介。整形外科。予約日。採血の結果、炎症反応の数値が改善されていない。腰も痛がるので、造影剤を入れてCT。アレルギー反応を抑える点滴も。結果、右股関節周囲膿瘍、腸腰筋膿瘍の疑いで入院に。主に点滴治療で、改善されない場合、手術。腕の点滴を抜いてしまうので、足に。排便ないので朝浣腸をかけたそうだが、午後、まだ出ていないとのこ...認知症12年目・1〜2月

  • 認知症12年目・1月

    《認知症12年目・87歳》〈1月〉デイサービスも買い物もないという張り紙も効かない。デイサービスという言葉はわからないが、迎えに来る、車に乗って行くことはわかっていて、ずっと待っている。来ない、休みと伝えると「じゃあなんで今来るようなこと言ったんだ」と怒る。兄が仕事に行くのを引き止めていた。「もう帰るんだって」遊びに来て帰るのだと思っていた。こたつでうとうとしていて、ネルルがしゃべり出した声で起きた。「ここに入りたいんだ」「おいで」「さみしいんだ。入らせるから」と、こたつを出たのでネルルを連れて来るのかと思ったら、廊下に出て自室へ。呼吸器科定期検査。採血の前の本人確認で名前を聞かれて、私の名前を言っていた。BNPが高い。心臓に負担がかかると上がる数値。様子見に。母部屋のごみ箱は極小の物も撤去。排尿はトイレ...認知症12年目・1月

  • 認知症11年目・11月中旬〜12月

    《認知症11年目・86歳》《11月》今迄で1番すさまじい汚れ。ごみ箱に尿、便少し。床、寝具にも汚れ。布団の中に脱いだリハパン。汚れたカーペットの部分を切って処分。その下が畳なので染み込んで激臭。切った部分にペットシートを敷き、ガムテープで止めて対処。便のついたトイレットペーパーをズボンのポケットに入れる。デイでは横になる事が続いた。パッドの交換も数回に。夜、ベッドに入った母の様子を見に行くと、「あっちで寝るの?」うん、また見に来るから。「見に来て。ばかだから」うん。「はい、ありがとう」朝見にいくと、床に寝ていた。いろいろ混乱しているが、興奮よりぼーっとしている。デイのスタッフさんが、トイレの後、軟膏を塗りますよと申し出てくれたので、あずける。パッド替えは頼んでいたが、軟膏までは申し訳ないと思っていたのであ...認知症11年目・11月中旬〜12月

  • 認知症11年目・10〜11月中旬

    《認知症11年目・86歳》〈10月〉兄のことを「この人誰?」〇〇さん、と兄の名前を言うと「〇〇さん2人いるよね。うちにもいる」出先でトイレに入り、ズボン、パンツ上げずに出て来る。ごみ箱に尿。ゴミ箱を極小にしても、ちゃんとそこにする。母の妹から電話でテンション高い。私に聞こえていると思うのだろう、声高に私をほめている。歩きが、すり足になっている。精神科の先生はお気に入りで、終わってから「いい先生だねぇ。きついことひとつも言わない」ひっきりなしにトイレに入る。うんちかと聞くと「咳が出る」この頃からトイレに行く回数が増える。うんち?「…うん」おしっこ?「…うん」どこか痛い?「ここ(お尻)」拭く時に痛いの?「うん。後は何でもない」便のついたトイレットペーパーを兄部屋のテーブルの上に伸ばして置いてあった。便のついた...認知症11年目・10〜11月中旬

  • 認知症11年目・8〜9月

    《認知症11年目・86歳》〈8月〉デイ用のバッグをポケットが少ないものに変えた。余計な物を入れられないように。母部屋のごみ箱、尿が入れられないように極小のものにした。エアコンを嫌いエアコンのない場所で、熱風が入るからと窓を閉める、今年も。爪切りを持って、「これ終わりにするのどうするの」テレビを消そうとして爪切りをリモコンと間違えていた。洗濯物を取り込んでたたんでいると、母がやって来て「私もけずるから」たたむ、を言い間違え。買い物中、私が体調悪くなり、通路のイスに座り込む。母、何も言わず不機嫌になって離れて座るいつものパターン。トイレから出て、「転んだ〜」と手を洗おうとする。傷がついていないか見ると、便がついていた。転んだので汚れたという事にしたようだ。兄の部屋に入っては、母親らしい声がけをしたり歌って踊っ...認知症11年目・8〜9月

  • 認知症11年目・5〜7月

    《認知症11年目・86歳》〈5月〉家庭内徘徊ひどし。朝、洗髪してブローの時、ふわっと丸くまとまると「んっ!」と言う。気に入った証拠。お出かけバッグの中の財布。小銭が重いのでいらない、と。以前は会計の時必ず出して、「ジャラジャラあるよ」と小銭を見せた。ごみ箱に尿。ごみの上からするので処理が大変。夜間はごみ箱を置かないことに。〈6月〉デイサービスはありません、と張り紙したが、バッグを持って家の前に。母がよく歌って手振りする歌がわかった。聞き取れるワードを頼りに検索した。『愛馬進軍歌』以前はよく『絵日傘』のことを言っていたけれど、言わなくなった。デイの車から降りて困った様子。「お金払わなくていいの?」買い物は終わりました、というボードの文も理解できなくなった。買い物から帰ってもすぐ出掛けようとする。自分の服を見...認知症11年目・5〜7月

  • 認知症11年目・1〜4月

    《認知症11年目・86歳》〈1月〉兄と私と母がいて、「きょうだい、これだけだっけ?」私も兄もきょうだいになっていた。母は6人きょうだい。要介護度認定調査。張り切っていたが、答えられない事、ふざけてごまかす事多し。身体の動きも今迄できた事ができていなかった。生年月日はいつでもちゃんと答える。出かけたくて仕方ない。予定がなくても、いつ出掛けるのだとイラつく。出掛ける時の着替えは出して並べてもだめ。これを脱いでこれを着て、と順を追わないと。結露の窓に指で“バカダナ〜”下着が脱いであり、びしょぬれ。カーペットにもぬれた跡。帰宅した兄を見て、来客と思い「あらうれしい」「これから帰るんでしょ、この人のうちに」要介護3だった。特養も申し込めるのだ。買い物途中、近所の人に会う。近:2階の銀行に行くの母「あら、お金持ち!」...認知症11年目・1〜4月

  • 認知症10年目・下半期

    《認知症10年目・85歳》〈7月〉朝4時からの家庭内徘徊がひどい。小さい保冷剤が母の部屋に。角が切ってあったので、少し食べたと思われる。調べたら口にしても安全な物だったので様子見。冷凍庫にある保冷剤は処分。兄が水族館に連れて行く。母は車イス利用で楽しそうに見ていた。帰宅して、予定が書いてある部屋のボードを見て、「これから行くの?」行って来たと言うと「私も行ったの?」撮って来た写真を見せると、「あ、私だ」夕方、外出着に着替え、腕時計をし、バッグを用意。朝と間違えている。母がお風呂上がりにスムーズに着られるよう、下着や服を順番に置いておくが、その上に、それまで来ていた下着を洗濯物入れの中から出して重ねてはく。エアコンが嫌でエアコンのない部屋にいて、汗をかいて着替えるのに厚着。〈8月〉親戚の家へ。ソファに座って...認知症10年目・下半期

  • 認知症10年目・上半期

    《認知症10年目・85歳》〈1月〉脳外科。先生:お正月はどうされてましたか?「〇〇に行ったかなあ(私に)じいちゃんとばあちゃんがいるから、ちょくちょく行くんです」→行ってないし、2人は他界。アイロンがけをすると言うのでまかせる。カーペットを焦がした。そこをまたアイロンで直そうとする。書店で表紙に“認知症”と書いてある雑誌を見て「認知症にならないために、だって」「もうなってる」〈2月〉時々なる目の充血、結膜下血腫で眼科へ。担当者会議。デイの所長さんに、母がよく言う“〇〇さん”“フン子さん”の事を話す。〇〇さんはデイの利用者さんにいるらしく、すぐに帰りたがるのでスタッフが名前を呼ぶことが多いので印象に残っているのでは、とのこと。また、母が「まだですよ〜」と止めているとのこと。しかしその方はフン子さんとは呼ばれ...認知症10年目・上半期

  • 認知症9年目・下半期

    《認知症9年目・84歳》〈7月〉車窓から遠くの空を見て「あれ雪だよね。雪があるね」→雲私が町内会の夏祭りの当番で近くの公園に。親戚が家にいる母の様子を見に行ってくれたが、私がいないと外をうろうろしていたとのこと。親戚と夏祭りに来て、とうもろこしを買っていた。私が帰宅すると「片付け終わったの?」「お父さんて○○(母の実家)のお墓のすみっこに入ったんだっけ?」→父が亡くなった時、我が家のお墓を買ったので、父はそこに。〈8月〉車窓から遠くの景色を見て「あれ雪だね〜」→小高い所に家が並んでいる母の実家のお墓参り。雨だったので母は車で待機。親戚のおばあさんに会えてうれしそう。「疲れるんじゃない?」と気遣ったり肩をマッサージしたり。帰りも名残惜しそうにしていた。近所の道路工事の様子を窓から見て「ちょっと、面白い事やっ...認知症9年目・下半期

  • 認知症9年目・上半期

    《認知症9年目・84歳》〈1月〉お正月、スーパーの初売りの福引で商品券千円当たって喜ぶ。デイに行く洋服これでいいか見て、と。かっぽう着(後ろでボタン留め)を後ろ前に着てコートにしていた。「見て」と言う時は、本当にわからないか、自分としては上手くコーディネートできた時。この時は、新しいコートを見つけたという感じ。スーパーのフードコートでたい焼きとコーヒー。おいしいと喜んで完食。デイの若い男子スタッフさんとふざけ合う。「ゲンコツか!(笑)」などと言うのは、昔私にも言っていたこと。出掛けるので着替えをと言うと、かっぽう着を「いいんだよ。これドレスだもの」ズボン取り替えてと言うと「(家着のズボンを)これ新しいんだよ」いちいち何か言い返したり、ふざけたり、カッとしたり。要介護1認定。ケアマネさん訪問。あいさつしてか...認知症9年目・上半期

  • 認知症8年目・下半期

    《認知症8年目・83歳》〈7月〉私が不調でほとんど寝ていた。母はどうしていいかわからない。こういう状態なのでと書いても言ってもだめ。「どうすればいいの」「何もできないのに」と。母の食欲が落ちている。ケアマネさんにどうですかと聞かれ、「食欲旺盛」「食いしん坊」「何でも食べられる」街へ。テンションが上がり「このまま○○に行くか」「○○のじいちゃんばあちゃん死んだしなあ」○○は母が若い頃住んだ所。ネルルの夏服をネットで購入。かわいいかわいいと着せ替えていた。友達からの電話、喜ぶ。デイサービスから、手作りと思われるクッキーを数個アルミ箔に包んで持ち帰る。スタッフに見せると、デイの物ではないらしいが、持ち帰ってもらう。夕食に桃を出したが残したので、桃だよ、と言うと、「桃?生の桃?」と驚く。このところ、送ってくれたデ...認知症8年目・下半期

  • 認知症8年目・上半期

    《認知症8年目・83歳》〈1月〉この年から、母のノート(マンスリー型のB5版スケジュールノート・予定や出来事を書き込む)がない。用意はしたのだが、書かなくなった。ケアマネさん来訪。すーっといなくなったり庭へ出たり落ち着きがなかったが、母が昔編み物を習っていた話から、私が、母がその頃編んだコートとマフラーを持って来て見せた。とてもきれいな仕上がりなのでひとしきり盛り上がった。以前デイサービスからブローチを持ち帰り使っていたので、返す。数日して、デイから電話があり、母がこういうブローチをしている、本人は自分のだと言っているがどうかという内容。それは母のだったが、デイ側が「この前の事があるので」と言うのもわかる。母のアクセサリー類は全て写真に撮っておき、当日は何をつけたかチェックするようにした。デイから帰宅。靴...認知症8年目・上半期

  • 認知症7年目・下半期

    《認知症7年目・82歳》〈7月〉外出先でソフトクリームを残し、「持って帰る」とバッグに入れそうになる。エアコンをつけたので、エアコンのない部屋にいた母を呼ぶと、「意地悪をされる」「底意地が悪い」と泣いてののしる。汗をかいては着替えて手洗いして干す。次々と替えるので下着がなくなって、冬の肌着や外出着、薄い上着を着ている。「死んだ方がいい」「早く死にたい」叔母と母、私で母方のお墓参り。意欲的に草取りしたり、木陰で休んでもらったり。行き帰りの道も含め母にとって懐かしい所ばかりだが、ほとんどわかっていなかった。久々に会えた親戚には嬉しそうだった。〈8月〉毎夏恒例のカエル退治。夜になると各部屋の床をどんどん踏み鳴らす。父方の、母とは仲の良い親戚が来て楽しく話すが、途中、「足がつった」とフェイドアウト。話についていけ...認知症7年目・下半期

  • 認知症7年目・上半期

    《認知症7年目・82歳》〈1月〉ぜん息が起き、点滴に数日通う。〈2月〉雪かきをしていたので、体に障るからしなくていいと言うと、「この雪!!」とくってかかる。後で、雪かきするくらい元気になったねと言うと、「私雪かきしたの?」買い物がてら遠回りしてのドライブは大好きで機嫌がいい。結露した窓ガラスに指で書いた“バカヤローー”「何食べたい?」と聞くので、オムライスと言うと、「じゃあ作るから。ご飯ちゃちゃっとして卵巻いて塩すればいいもの」→忘れる冬季は自分で自分の湯たんぽを用意する。街への外出に喜んで拍手。〈3月〉こたつでテレビを見ていた私を見ながらノートに何か書いていたので後から見ると“何様?”CMの能年玲奈を見て「この子何だっけ?」。あまちゃん、と教えると「連続ドラマか」夕方不穏になることが多い。玄関のドア、バ...認知症7年目・上半期

  • 認知症6年目・10〜12月

    《認知症6年目・81歳》〈10月〉朝、父に呼ばれ「どうして俺がこうなったか話すから集まれ」と言われたそうで、きょとんとしていた。前の夜、私も「俺がなんでこうなったか言うから」と言われたが、聞かされず。父、意識を失い救急搬送。母と私も同乗。入院になったので手続きなどで時間がかかったが、待っててもらう。母の呼吸器科の定期通院。あまり思わしくなく点滴に。父が入院したことを忘れては思い出す繰り返し。朝、久し振りにみそ汁を作っていた。「なんだか食べたくなって」とのこと。その日の昼から何度か父の病院から連絡。主治医の話を聞きに行き、母がずっといられないので帰宅。その後の連絡で駆けつける。駐車場から院内に向かう間、「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に言い聞かせていた。何か感じ取っていたのか。父、死去。葬儀社との打ち合わ...認知症6年目・10〜12月

  • 認知症6年目・7〜9月

    《認知症6年目・81歳》〈7月〉トイレに入って、どんどん床を踏み鳴らす、いつものカエル退治。台所に行ってどんどん。「カエルうるさい」と。カエルの鳴き声はしていない。茶の間から→庭→ポストを見る→玄関→カギがかかっている→庭→茶の間を何度か繰り返す。服選びが難しくなり、私が着る順番を直しながら、思わずため息をついたら、「うんざりした?」半分食べたパピコをペン立てに。デイから帰宅時、母のバッグに知らないポーチ。あわててスタッフさんを呼び止め、渡す。母「隣にあったの間違えた」私が送迎車を呼び止めようと大きく手を振ったのが、熱烈な見送りと思われたようで、そのまま行ってしまうところだった。ものすごく走った。父の汚れた寝具、下着、服を取り替えるのを手伝ってもらう。私が父を支えて母がお尻を拭いてくれた。〈8月〉親戚と母...認知症6年目・7〜9月

  • 認知症6年目・4〜6月

    《認知症6年目・81歳》〈4月〉「(お父さんは)私がどうやったらめげるかやってんだから。めげるものか!」父が倒れた時の思い違い、作話続く。「知らせてくれた人に菓子折りやった」「その場で渡した」倒れた時にお母さんもいて菓子折りも持ってたの?と聞くと「うん。○○ちゃんにあげようと思って持ってたの」救急車を呼んでくれた人、その人にお礼をと気になっているからか。父の食事のおかず作りをしている。朝起きてすぐ「今日も元気だ頑張ろうーーー!」母が父のラーメンを作っていると、父「早くしろ」「もったいぶって」50円玉と1円玉はにせものと思っている。使えるよと言うと「え〜なんか嫌だ」桜のきれいな通りに「花に元気もらった」父にふざけて踊りを踊って見せることがある。父は笑う時と、顔をしかめて「あっちに行け」と言う時がある。在宅介...認知症6年目・4〜6月

  • 認知症6年目・1〜3月

    《認知症6年目・81歳》〈1月〉父が入院中なので購入したお節料理でのんびり。見舞いや留守番、デイサービス、持病の定期検査。父、救急搬送された病院より家に近い病院へ転院。移動の際、母は病室にあった、清拭やおむつ替えで使用されると思われる箱入りのゴム手袋を数枚バッグに入れていた。これはうちのじゃないんだよと言うと、「うちのだよ!」と言い張るので、病院にごめんなさいと思いながら転院。〈2月〉父、転院先を退院。父が晩酌を始めると、一緒にテーブルについていた。2人とも無言。母、夜中うなされていた。父に親切にするが、うざったがられ、キレられていた。父の文句。「好きでない」と言うので、好きで結婚したんでしょと言うと、「違うよ。お父さんのおばさんて言う人にだまされたんだ」何てだまされたかは不明。父の夕飯用にかぼちゃを煮て...認知症6年目・1〜3月

  • 認知症5年目

    《認知症5年目・80歳》〈2月〉母のノートに数ヶ月間、“今77才”と書いてある。〈5月〉デイに持って行くバッグの中に小さいチューブ入りのはちみつを入れていたので取り出す。時々スティックシュガーを口に入れたりする。甘い物を食べると落ち着くと。デイの送迎時に父が庭にいると嫌がる。「見られる。恥ずかしい」〈7月〉デイの迎えを待つ間、父が庭にいるので「恥ずかしい」「みっともない」「わざとやってる」「中に入って」などと大声で言っていた。なだめても止まらず。父もかたくなに動かず。父は普通のおじいさんの家着で庭仕事なのだが、デイのスタッフさんに何か言うのではと思い込んでいる様子。〈8月〉母のノートに“77才だと思ったら今は80才デシタ”と書いてあった。〈10月〉買い物に出ようとして、母に「(玄関の)カギかけた?」言われ...認知症5年目

  • 認知症4年目

    《認知症4年目・79歳》〈1月〉ケアマネさんから、新しくできたデイサービスが母に合いそうなので見学してみては、という提案。母と私が見学に。自然があり、建物も新しく、利用者もこれから集まるようで、落ち着いた感じ。私が、自分ならここがいいと思い、母も気に入った様子。母のノートに“デイサービス見学に行って来ました。楽しい事がいっぱいありそう”というメモ書き。母の認知症を知っている人が、母の前で「アルツハイマーなんかになったら終わりだ」と言う。母「私アルツハイマーだよね」私「うん」さすがに、あっ、という顔をしたが、この人は言葉の端々に、認知症に対する偏見が感じられた。「お母さんには話した。忘れてると思うけど」と含み笑いしたり。〈2月〉デイサービス1日体験。スタッフさんからの連絡によると、リハビリに取り組み、他の利...認知症4年目

  • 認知症3年目

    《認知症3年目・78歳》〈1月〉茶碗蒸しとお雑煮を作る予定だったが、手順がわからなくなっていた。茶碗蒸しをなんとか作りお雑煮はパス。↪︎その後父にお雑煮とあんこもちを出していた。後日も「とり肉買わなきゃ」「お雑煮作らなきゃ」◎認知症専門医に。前年、私が認知症関連の講演を聞きに行き、専門医による検査、診断が必要との話に納得し、調べて予約。2ヶ月待ちだった。問診票、血圧、体温、体重など測定。私への質問コーナー。母と私同室の質問コーナー、先生と母の対話。長谷川式テスト(30点中18点)、MMSE(神経心理検査)、ADAS、尿検査、採血、心電図、レントゲン、心理検査、MRIなど。後日、SPECT(脳血流検査)、心理検査など。結果は、アルツハイマー病の可能性が高い、とのこと。MRIでは大脳萎縮、側頭葉の隙間、海馬が...認知症3年目

  • 認知症2年目・下半期 ②

    〈10月〉母がよく言う「お父さん死んだ夢見たの(笑)」「私みたいに人生達観すればいいのに」「私なんか喜んで行くよ」(デイサービス)「お父さん気位高いから。そりゃ他の人となごやかにやるにはばかにならなきゃないよ?!」「脳が残念なことになってる(笑)」鏡を見ると毎回「きたない顔だねぇ〜」と言う。以前母から聞いたのは、親戚のおばあさんが鏡を見るたび「イヤな顔だねぇ〜。憎らしい顔だねぇ〜」と言っていたと。デイケアの契約中、突然「私昨日ね、夢見たの。もうどこも悪くないからどこにも行かなくていいんだ。ばんざーい、ばんざーいってやってるの(笑)」ケアマネさん「……そっかぁ〜」と苦笑。細かい事が気になり言いたがりの父と、日々混乱しがちな母がぶつかり、言い合うことが多い。母「何が気に入らないか言って」父「すべて」デイサービ...認知症2年目・下半期②

  • 認知症2年目・下半期 ①

    〈7月〉父が暑さで日課の散歩に行かないと「1日中寝てばかり」行くと「この暑いのに」脳外科。本人がデイサービスに行こうかと言っている、と伝えると、いろいろと提案してくれた。ケアマネージャー、事業所との契約、デイサービス見学など。母は自分の脳活性化のためという考えもあり、「じいさん(父)の顔見てるよりいい」とも言うが、私のためでもあるのだろう。ケアマネさん訪問。母、気に入った様子。私にとっても初めてのケアマネさんだったので、ケアマネさんてこういう職種なんだ、ものすごく頼れるんだ、と安心。後々、何度か交代したケアマネさんと接するにつれ、最初のこのケアマネさんがとても優秀であり、とても親身になってくれて、親しみやすい人柄だったと知った。要介護度認定調査。身体の動きは良く、質問にもだいたい答えていた。〈8月〉「ずっ...認知症2年目・下半期①

  • 認知症2年目・上半期

    《認知症2年目・77歳》〈1月〉2日に「暮れだからお雑煮作らないと」。その後何日か「お雑煮作らないと」を繰り返す。元旦に作ってもらったよと言うと「私本当にばかになった」脳外科。MRI変化なし。長谷川式テスト19点(前回24点)私が体調を崩したので、母に買い物を頼む。行き来の交通、買う物をメモして渡す。無事バスで行き来できたがメモを見なかったようで買い忘れ多い。父に頼まれた物が買えていなかった、怒られると気に病んでいた。体調の悪い私のために、りんご煮とくず湯を作ってくれた。〈3月〉何か刺激をと、雑誌の定期購読。夜、少し地震があり、私は玄関を開けたりしたが、母は「お父さんが」と父を起こそうとした。父は気づかず寝ていた。雑誌のクロスワードパズルなど、ヒントを出すと解ける。「私の宿題」と意欲的。問題に、○チ○○○...認知症2年目・上半期

  • 認知症1年目

    ノートに書き留めていた母の記録は膨大で、特に書き始めの頃は、細かな変化も気にしていたためノートも1年で3冊になっていました。他に病院メモもあります。なので、年、月ごとになるべく短くまとめたいと思います。《認知症1年目・76歳》1年前くらいから日付があいまい。物忘れがひどくなる。本人の自覚あり、落ち込んだり笑ったり。〈6月〉私が母の1日のスケジュールを書いておく。薬の管理をする。〈7月〉母が忘れたことに対して父が「バーカ!」と言ったり笑ったりするのに、母「笑うのはいらない!」と立腹。認知症の検査をしてもらうため脳外科へ。以前一緒に脳検診を受けたことがあったので、より家に近い、違う病院はどうか母がやってみてと誘った。MRIは特に異常なく小さい脳梗塞が2つ(無症候性脳梗塞で年相応。記憶にはあまり影響なし)質問形...認知症1年目

  • 次は母のこと

    このブログは元々、母の介護のことを書くために始めました。ですが、時々登場する父の病気、介護のこともまとめたいと思い、何回かに渡り、記事にしました。ざっとではありますが、まとめてみて、すっきりしたところはあります。落ち着いた感じです。今までも母のことを書いてきましたが、認知症のことをまた1からまとめたいと思います。10冊以上になる日々のことを記録したノート、病院メモを見直し、細かな出来事や認知症の進行具合など、書き留めずには、書かずにはいられなかったのだなあとその時々の切羽詰まったような感情を思い出しました。ノートをとって置いて、もし誰かが見た時に、大変だったんだと思われたい気もしましたが、このブログにまとめた後、紙の物は処分しようと思います。持ち物の片付けでもありますが。母のこともまとめ終えたら、また私の...次は母のこと

  • 父、その後と不思議なこと

    近所の方々の弔問も終わり、各種手続きも進めました。母は父の死を忘れたり思い出したり。「人、1人死ぬと大変だから100まで生きる」とか、父のことを「あんたが小さい頃よくおんぶして」「自転車に乗せてしょっちゅう実家に行ってた」「子煩悩だった」「ケンカしながら暮らした」と言っていました。四十九日には祭壇が撤去され、後日、仏壇やお墓の購入、納骨となりました。父が3食にみそ汁を欠かさないので、母が作れなくなってからは私が作りましたが、父が入院してからは作っていませんでした。それが、ある日の朝、母が早起きして作っていました。具は忘れましたが、冷蔵庫にあるものを入れたかもしれません。「なんだか食べたくなって」と言っていました。母はみそ汁にこだわりはなく、その日の午後に父が亡くなったので、少し不思議な感じがしました。不思...父、その後と不思議なこと

  • 父、通夜・火葬・葬儀

    家族葬にしたので、通夜、葬儀には住居も間柄も近い親戚のみ参列。式の前は、久し振りに親戚が集まった和やかさがあり、特に父の妹(6人兄弟の末っ子で1人娘)の思い出話がかわいらしく父を送るにふさわしいなあと思いました。通夜の儀式も会食も、なんだかすぐ終わって、母がいるので泊まり込みはできず、後は葬儀会館の方にお任せしてそれぞれ帰宅。葬儀の日の朝、母が足が冷たいと言うので足湯をしました。母のことをゆっくりやるのも久し振りな気がしました。また会館に集合し、出棺経の後、出棺。火葬場に移動。身体ある父との最後のお別れ。父の胸元には、小さな花束がありました。朝、母が庭に咲いていた白い小さな花を摘んでリボンを結んだものでした。こしらえた気持ちも、出来上がりも母らしくて、式の流れも焼香もわからない母ですが、父に寄り添うのにこ...父、通夜・火葬・葬儀

  • 父、納棺

    父が亡くなった夜はなかなか寝付けず、うとうとして午前3時には目が冴えました。ちょっと不整脈が出たりしました。母はよく寝ていたようで安心。翌朝、母に礼服を着せてみました。母は、自分が父より先に死ぬと思い込んでいて、また、誰の葬儀にも参列したくないため、その頃の自分に合う礼服を用意していませんでした。それで私がこっそり一式用意していた物です。少しでも首元が見えると嫌がる母に、黒いレースのハンカチを足したり。その日は納棺でした。近くに住む親戚夫妻が来てくれて、納棺師のイリュージョンも見て、父は白い着物姿に。ひげを剃ってもらっている姿は、普通に床屋さんでやってもらっているようでした。わらじをはかせたり、お金を持たせたりという一連の流れを終え、父の旅支度が整いました。母は、父の葬儀ということはわかっていて、うちに親...父、納棺

  • 父、最期の日 ②

    午前中、母と病院へ行くと、昨日より悪化した感じで、反応もなし。水枕をした頭が左右に小さく動くだけ。手がかさかさだったので、クリームを塗る。おむつとパッドを置いて、一旦帰宅。昼過ぎに病院から電話で、先生の話があります、と。胸水が溜まり、炎症反応の数値が上がり、熱は下がらず。抗生物質も効かないなど、状態が悪く、回復は難しいとのこと。万が一の事を覚悟して下さい、と。父は重篤な人が入る個室に移動。何か好きなものを持って来て食べさせてもいいと言われましたが、食べさせられる状態じゃないのでは、無理に食べさせてそれで死んでしまうのでは、と、思いました。母が長い時間じっとしていられないので、また一旦帰宅。車で15分ほどの距離でした。午後に、病院から呼吸が浅く血圧も低下していると知らせがあり、駆けつけました。私は途中、あ、...父、最期の日②

  • 父、最期の日 ①

    父は、訪問歯医者さんの治療のためイスに座ると、すうっと意識を失いました。頭ががくんと後ろに倒れ、白目になったので、これは危ないと思い、訪看さんからもらっていた緊急用の連絡先や手順の用紙を出し、訪問看護ステーションに電話。状態を伝え、救急車を読んで病院にと指示をもらい、そのように。歯医者さんは治療を中止して、父についていてくれましたが、搬送のジャマになるからと帰られました。ぼんやりしていましたが、意識が戻った父に、救急車を呼んだと言うと、すんなり受け入れました。大げさだ、うちの車でいい、などと言いそうですが、自分でも悪くなっているとわかったのでしょう。母には「ピーポー鳴らさないで来てもらって」と言ったそうです。しかしすでに電話を切っていたため、ピーポーを鳴らして救急車が到着。私は携帯用の酸素ボンベなど持ち物...父、最期の日①

  • 父、家で過ごす最後の日

    ある夜。午後10時過ぎから父にひっきりなしに呼ばれました。「もらしたようだ」と言われて確かめるとそれ程汚れてもいませんでしたが、気になるのだろうと下着、ズボンを取り替えて、リハパンをはいてもらいました。しばらくして呼ばれ、「さっきもらしたって言ったの、夢見たんだ。もらして誰かに怒られる夢」ああそうだったの、と笑いながら、誰かって私なんじゃないの?下のことでは怒った事ないけどねと理不尽に思いました。まあ他のことでカッカした事はあるので何とも言えず。またしばらくして、「寒いーー寒いーー」と大きな声がしたので、寝具を足す。またしばらくして、「寒いーー寒いーー」と言うので上に毛布を足す。またしばらくして呼ばれると、「あったかいけど重い」毛布をはずして様子を見る。父は電気毛布も湯たんぽも嫌がったので、どうしようか考...父、家で過ごす最後の日

  • 父、訪問看護師さんに悪態をつく

    家族以外の人に接する機会があった方がいい、また、体調をチェックするために、訪問看護師さんと契約をしました。父の介護においては、ケアマネさんと訪看さんが頼りでした。私は家で、体温計、血圧計、パルスオキシメーターでチェックしていましたが、訪看さんは24時間対応で、体調の変化があったら連絡、相談、その電話は最初に訪問看護ステーションにつながり、夜間など誰も出ない時は個人の電話につながり、それでも出ない時は病院に、という困ったら確実に指示がもらえるシステムでした。救急の時も救急車を頼んだら、かかりつけの病院に搬送を頼めるので、その手順や電話番号が書かれた書類を、クリアケースに入れて、いざという時に慌てないよう、何度も何度も確かめました。契約の日、訪看さんが父の部屋に入り、あいさつや今後の説明をすると、父は「金かか...父、訪問看護師さんに悪態をつく

  • 父、在宅介護の1日

    肺気腫や前立腺肥大などで約2ヶ月の入院後、在宅酸素療法、要介護となった父は、朝は7時頃に起きてダイニングで新聞を読みながら朝食。服薬。その後は茶の間で読書したりテレビを観たり。そして昼食。自室で服や持ち物のチェック。新聞やテレビ。そして夕食。就寝。という1日の流れでした。それがだんだん食事以外ベッドで横になる時間が増えました。具合が悪いか聞くと、眠いだけと言ったり。夜中は咳き込みが多く、頻尿のためトイレに行ったり尿瓶を使うことも多いので、熟睡できていないのでしょう。服薬は錠剤数種の他、吸入もあったのですが、それが上手くできない。私が用意し、吸入器もセットして、はい吸ってーーーとタイミングを測りましたが、吸う力が弱かったです。食事もだんだん食べたり食べなかったり。やわらかい、食べやすいものにするため、ブレン...父、在宅介護の1日

  • 父、1度だけホームに入ろうかと言った

    あらゆる介護サービスを拒否し、デイサービスもショートスティも却下した父ですが、1度だけ、ホームへの入所をほのめかしたことがありました。まさに今頃、ゴールデンウイークの頃でした。少し体調が良くなり、テレビで野球のデイゲームを見たり、リハパンではなく普通のパンツで過ごす父。一方、母はゆっくりでしたが進む認知症。自分のことがわからなくなっているのに、介護が必要になった父にどうしていいかわからない。ずっと父の文句を言い、二言目には「お父さん施設に入れたい」などと、状況は悪くなるばかり。ある日、父が大声を出したので、母が部屋に入って行きました。多分、咳払いだと思います。父の咳、咳払いは大音量なのです。母の「何、大声出してんの?!」父の「何?聞こえない!」という会話から、強い言い合いが始まり、2人とも興奮状態に。母の...父、1度だけホームに入ろうかと言った

  • 父、介護サービス全拒否

    母のケアマネジャーさんに父のことも頼みました。退院前に準備したのは、介護ベッド、トイレの手すりがレンタル。シャワーチェアと浴槽イスが購入。介護保険利用で。ケアマネさんが来ることをメモ書きで父に知らせると、その横に“不要”とお返事が。月1回訪問してケアプランをやり取りする決まりだけど、プラン通りにしなくてもいいとして、ケアマネさんは来ると別室の父の顔を見て、体調など聞くだけでした。気難しい父と対面するのは誰もが緊張というか、ゆううつだったと思います。でもケアマネさんは朗らかな方で、父を、今まで見てきた方々の中で3本の指に入る頑固さと言いながら、自然に接し、父のオナラが聞こえると、「わははは!」と大笑いしていました。しばらくして介護保険更新のための調査がありました。父は調査員の方に悪態つきまくりました。名前を...父、介護サービス全拒否

  • 父、定期検査と在宅酸素療法

    在宅酸素療法になり、父の部屋に機器が設置されました。そこからカニューラ(細いホースのようなもの)で鼻孔に酸素が送られます。カニューラは家の中を移動できる長さで、父はトイレに行ったり茶の間でテレビを見たり、時には庭に出たり。カニューラが引っかかるので、家の中のマットや敷物は撤去。つけたままなので、すれて鼻孔に傷がついたり、耳に掛けているため耳の後ろがカサカサになったり。カニューラをイスで踏んでしまい、酸素が送られなくなって警告音が鳴ったり。突然の停電で機器が作動しなくなり、慌てて携帯用のボンベに切り替えたり。私は毎朝、機器のフィルターを掃除するのが日課になりました。小さなフィルターで簡単なのですが、父が朝食でダイニングにいる間にベッドの整え、尿瓶の処理、掃除など一気にやるため、バタバタでした。時には食欲がな...父、定期検査と在宅酸素療法

  • 父、訪問歯医者さんに来てもらう

    父は歯の治療、新しく部分入れ歯を作るため、訪問歯医者さんにも来てもらうことになりました。以前からの歯みがきなどを適当にしていたため、歯槽膿漏が進んでおり、前の部分入れ歯が合わなくなっているのにつけていたため金具が歯茎に刺さっての痛みもあったり。歯石取り、歯茎の腫れが引くのを待つなどで、部分入れ歯作りはまだ先のこととなった上、歯科医の話では、父の喉の仕組みが通常と違うため、型を取ると窒息する恐れがあるとのこと。となると入れ歯を作れないかもしれないと。取りあえず細かな治療や、手遅れな歯の抜歯。抜歯の際、状態を見るためレントゲンを撮ると言われ、え?今から歯医者で?と思っていたら、家の中で撮れるのですね。安全ですがおうちの人は部屋から出て下さい、と言われ、詳細は見ていませんが。そして1本抜歯。あと2本の抜歯は病院...父、訪問歯医者さんに来てもらう

  • 父、退院して母、うなされる

    退院の日、各科の先生より家族のみにお話がありました。泌尿器科では、前立腺肥大と排尿障害の検査、治療を今後も月1で。家では尿瓶(しびん)を用意するようにとのこと。耳鼻科では、難聴や中耳炎のチェック、耳鼻の掃除などを月1で。内科では、肺の状態がものすごく悪いという説明が。慢性呼吸不全、慢性肺気腫、COPDなどで、月1。家では投薬、吸入薬、在宅酸素療法。食事制限はなく、飲酒も可。「予後数年、楽しく過ごして下さい」と言われ、数年か…と気落ちもしましたが、父は85になる年だったので、それから数年て立派なのでは?と思い直しました。そして最後に「認知症になっていると思われます」と言われ、絶句。重い気持ちで(私が)退院。介護仕様になった自室にはおおむね納得したようでほっとしました。以前と変わらず夕飯には焼酎。夕飯は父が早...父、退院して母、うなされる

  • 父、退院に向けて

    転院先では普通食になり、好物のあんぱんも解禁になりましたが、すぐに飽きてしまい、食べなくなりました。内科の他、耳鼻科、泌尿器科での検査や治療、リハビリの毎日。父は今後介護が必要になるのだと、母のケアマネージャーさんに連絡し、父が利用できるところはありますかと聞くと、「ありますよーー!」と明るい返事。このひと言にどんなに救われたか。後々、父の担当はこの人じゃなければだめだったなあと思いました。母とも仲良しで、私は本当に頼りにしていました。父についてくれた若い男性看護師さんも、いつも迷惑かけてすみません、と言うと、「うちのじいちゃんに比べたらかわいいもんですよーー!」と笑っていて、安心できる存在でした。病室での介護度認定調査では、質問や動作の確認に憤慨。こんなに動ける!とアピールしようとしてベッドの上で転げて...父、退院に向けて

  • 父、転院

    父は入院から1ヶ月後、転院することに。病院が手配した介護タクシーで、車椅子、酸素のチューブをつけて。出発時間が12時半だったため、思いのほか慌ただしくなりました。父が昼食をとっている横で荷物をまとめていると、看護師さんが持参する薬の説明に。会計も済ませて下さいと請求書を渡されると、介護タクシーのドライバーさんが迎えに来ました。バタバタと済ませ、母のバッグをふと見ると、病室に置いてあった清拭、おむつ替えの時のためと思われる薄手のゴム手袋が数枚入っていました。これはうちのじゃないんだよ…と言うと、「うちのだよ!」と言い張るのでごめんなさいと思いながら退院。道中、この道を曲がると我が家、という所に差し掛かりましたが、父はその方を見るでもなく、ただ黙って乗っていました。転院先の病院では、若い男性の看護師さんがつい...父、転院

  • 父、病院で新年を迎える

    父は初めて家ではないところで新年を迎えました。毎年、お正月は駅伝を楽しみにしていたので、ベッド横のテレビで観るかなとテレビカードとイヤホンを用意しましたが、一切観ていないようでした。父は、好物のあんぱんが食べたいと、よく言うようになりました。ソフト食なので、ご飯をわしわし食べていた父には物足らず、甘いおやつも食べたいでしょう。しかし父は食事制限があったため、主治医の許可が必要です。聞いてみると、パンは窒息の恐れがあるので、本来ならば書類に、それも承知していますというサインが必要とのこと。どうしてもと言うのなら、家族がいる時のみ、少しずつちぎって食べる。1人で食べるのは病院の管理問題にもなるため、残りは必ず持ち帰る、という約束で、許可が出ました。それから、見舞いの時にはあんぱんを持参して、ベッドに備え付けの...父、病院で新年を迎える

  • 父、集中治療室

    父は集中治療室に。検査の結果、肺水貯留、真菌感染症、肺炎、前立腺肥大症、COPDなどがあげられました。点滴、酸素、尿道カテーテル、内服などの治療。入院用品など届けに行くと、元気というか、早く退院したいという気迫が感じられ、昼食(ソフト食)も完食していました。父は倒れた時のことを覚えていないようで、「誰がここに連れて来た?」と聞くのでメモ帳に大きく“救急隊”と書いて見せました。「俺、どうなったの」と聞くので“倒れて運ばれた”と書いて見せると、ふっ、と笑いました。2日後に見舞いに行くと、あちこちに血が付着。ベッド下に落とした補聴器を拾おうとして点滴が抜けたとのこと。入院3日目には起き上がってベッドに腰掛けるなどしていました。食事は全がゆ、ソフト食でしたが、入院が年末に差し掛かっていたため、クリスマスイブにはト...父、集中治療室

  • 父、倒れる。

    食道がんの手術から7年後。父は1人で外出し、帰宅するためバス停に向かう途中で倒れました。近くに居合わせた方々が様子を見てくれたり、救急車を呼んでくれたりしたようで、父はすぐさま搬送されました。その頃、私も1人で買い物に出ていまして、帰宅すると母が、父が倒れて救急車で運ばれたと、どうしていいかわからない様子。固定電話の横のメモを見ると、病院名が書いてあったので、母は認知症と診断されて2年目でしたが、電話の内容を覚えていたこと、連絡を受けながら書き留めたことがありがたく、大助かりでした。すぐ病院に電話を入れ、医師と話し、病院に向かいました。検査の間しばらく待ち、医師が来て、ご本人とのご関係は、と聞かれ、私が「長女です」と言うと、母が「私も長女です」それは母のきょうだいの中では長女だけど。医師が、奥様ですね、で...父、倒れる。

  • 父の食道がん

    大腸がんの術後3年目の定期検査で、食道がんが疑われました。内視鏡による手術のため入院。病院の都合で個室になったため、母と私は病室で待機。のんびりとテレビで『渡る世間は鬼ばかり』の再放送を見たりしていました。そこへ医師が急いだ様子で現れたので、何かあったのかと身構えると、直前の検査、準備の段階でむせて誤嚥してしまい、手術は中止になりました、とのこと。父は元々とてもむせやすく、咳き込むことが多かったです。その後、発熱しましたがなんとか回復し、再挑戦。しかし2度目の手術でも、内視鏡を入れる途中でむせて、中止に。一旦、退院しました。再入院は1ヶ月後で、今度は全身麻酔での内視鏡手術に。がんは取り切れているだろうとの説明でしたが、首に近い、とても難しい所で、父の食道が元々細いため、今後の手術、加療は負担が大きいとのこ...父の食道がん

  • 父の大腸がん

    父は70代に2ヶ所のがんの手術をしました。今から20年ほど前ですね。健康に自負のあった父はお腹のチクッとした痛みを、まあたいしたことないだろうと様子見していたそうです。それにしても痛いなあと、とりあえず行ってみた小さな医院から大きな病院を紹介され、検査の結果ががん。腹腔鏡手術で転移していたリンパも取りました。年齢的なこともあり抗がん剤はなし。いくつかあったポリープは半年後に取ることに。父はストレッチャーで手術室に入るまで冗談を言い、術後には「死ななかった〜」と笑っていました。見舞いに行くたび、父は元気で、回復具合や同室の患者さんの悪口など聞かせられました。定期検査の結果、ポリープは全て消滅したり小さくなっており、退院後の年2回の定期検査も数年後には年1になり、術後9年目に、問題なし、検査終了となりました。...父の大腸がん

  • 1年半

    母が亡くなって1年半経ちました。誰かが、誰かを亡くして3年…と聞くと、まだ亡くして間もないと思います。4年、5年でもそう思います。なので、まだたったの1年半なんだなあという感じです。ずっとノートやメモ帳に書き続けていた両親の病気、介護の記録、自分の気持ちなどを少しずつまとめたいと思います。まず、父のことから記していくつもりです。父の入院、在宅介護は短期間なので、すぐ終わると思いますが。1年半

  • 春のお彼岸

    お墓参りに行きました。日曜日で天気も良く、墓苑は賑やかでした。黙々と掃除、お参りをし、買い物をして帰宅。お墓参り、あるいは仏前で、初めの頃は、お線香を上げて手を合わせる時に、何と唱えたらいいのか迷い、報告したり願ったりで長くなりがちでしたが、今はただ穏やかでありますように、とだけ。スーパーのハンドクリーム売り場で、そういえば最近手の甲のしわが気になるなあ、と思い、良さそうなのは…と見ていて思い出しました。母はとても自分の手の甲を気にしていました。しわ、しみ。年相応だし、気に病むほどではないのですが、自分の手を見ては、きたないきたないと言い、手の甲にファンデーションを塗ったりしていました。それで、よくハンドクリームを手に出してあげたり、それを口に入れようとするようになってからは塗ってあげたりしました。ハンド...春のお彼岸

  • 亡き母の誕生日

    先日、母の誕生日に1人で外食しました。母の生前、誕生日によく行った店で、年々食の細くなった母にぴったりの、量がほどほどの御膳で盛り付けもかわいらしいランチ。亡くなってからも誕生日を祝いたい気持ちは変わらないですね。そしてやはり食の細くなった年配のご婦人に人気のようで、店内の席もすぐに埋まりました。認知症がひどくなったり、入院したり、コロナ禍で外出外食できなくなったので、数年振りでしたが、その頃と同じメニューに、母が喜んで食べていた姿が浮かびました。ちなみに、月命日には母の好きだったスタバに行きます。元気な頃、母は1人でもスタバに入り、コーヒーなど飲んでいました。帰宅して、「コーヒージャパンのコーヒーはおいしいね」と、なぜか名称の後半を言うのでした。世間では前半さえ略しているのに、と思い笑えました。認知症に...亡き母の誕生日

  • 2022暮れ。遺品あれこれ。

    気になっていた片付けをと、母の医療、介護関係の資料、書類などをだいたい処分しました。一昨年、認知症が重度になり入院の話が出てから入院日が決まるのが早かったため、また、コロナ禍でほとんど会えず昨年死に至ったため、実感のわかぬまま。続きがまだある実証としたかったのか、手をつけられませんでしたが。誰かの助けになるかなとも思いましたが、病院や施設のパンフレットも各種料金も内容も、ネットで検索できるし。処分しました。気力集中力がないので、すぐに疲れてしまい、残ったものも。それと、もう1度確認したいと思った書類の他、長く通ったデイサービスの連絡帳などはまた引き出しにしまいました。父の物で気になっていた、古い切手。収集の趣味があったようで、数冊の切手帳に並べられた記念切手。私でも聞いたことのある有名な名のついた切手もあ...2022暮れ。遺品あれこれ。

  • 気が抜けたまま

    一周忌後に、気が抜けるだろうからと計画していた旅行ですが、その旅行が終わって気が抜けました。だいたいの大掃除も庭仕事も一周忌までに済ませ、後はいい季節にゆっくりしようと決めていたので、それでも気が抜けて。庭仕事では、枯れ葉落ち葉拾いがまだあるかと思いますが。旅先では、いつもホテル選びに迷いますが、今回は、ビルに囲まれておらず、どの部屋からでも眺めが良さそう、かつ、最寄りの駅からわかりやすい位置にある、を条件にホテルを決め、1番安いサイトから予約しました。なので窓からの景色に解放感があり、ゆったり過ごせました。観光スポットと言われる所には、買い物に出たり散歩していて偶然通りかかったりで、積極的には行きませんでした。昔から行きたいと思っていた街なのに、旅行に来た気がしないなあと思いましたが、それくらいなじんで...気が抜けたまま

  • 一周忌

    母の命日、一周忌が過ぎました。日が経つのは早く、以前の自分も遠くなった気がしますが、実感がないのは変わらず。何の気配もない日々なので、せめて命日、一周忌には姿が見える、夢で言葉が聞ける、何か合図があるのではないかと期待していましたが一切なく。そうか、もうきれいさっぱりか、それもいいね、と思いました。命日の前日から、お母さんは今頃から具合悪かったのかな、と思い、当日には、今頃病院から連絡が来たんだな、病院に着いたな、臨終の時刻を聞いたな、と後追いしました。翌日には火葬、去年の今頃お母さんの身体がなくなったんだな、と。秋はまだ半分ですが、母のいない季節をひと通り過ごしました。一周忌をひとつの区切りにしていたので、過ぎたら気が抜けるだろうと、夏に旅行の予定を立てました。数日後に2泊3日、国内で、旅行支援は使えま...一周忌

  • 病院メモの偶然

    秋のお彼岸で、お墓参りに行きました。お墓に行くといつも清々しい気持ちになります。自然に囲まれた所にあるので、空気がきれいで、静か。人がいたとしても皆、同じように掃除やらお参りをしているので、気の乱れがない。私も、空がきれいだなあと思いつつ、淡々と掃除とお参りをしました。一昨年の秋のお彼岸まで、母と一緒に来ていました。車椅子だったけど、認知症が重くなって大変な時期だったけど、母とのお出かけになごみもしました。母の死に関してまだ感覚としては不思議なままで、悲しいとも違う、心の中にいる、とも違う、つかめない感じです。母の病院、デイ関連の不要な書類などを少し処分しました。集中力がないのと、気持ちがざわざわするのとで、本当に少しずつです。先日、父の遺品の中からも少し処分しました。その際、片付けの最中あるあるで、病院...病院メモの偶然

  • 母の初盆

    今年のお盆は、母の初盆でした。昔から母に、法事関係は一切やらなくていいと言われていましたので、いつもよりお供えと花を増やし、市販の簡単な盆飾りを。お盆やお彼岸には、父は自分の実家に帰っているのだろうな、と思います。うちでは何の気配もないので。母の実家はもうありません。よく行っていた親戚の家ももうないので、母が帰るとすればうちだし、初盆だから何かあるかなと思いましたが、こちらも気配なし。盆の入りに、夢を見ました。玄関の前で誰かがチャイムの操作がわからずにおろおろしている夢。先日チャイムが故障したため交換しているので、母がわからなくて家に入れない?とも思いましたが、いや今となってはそんなことないでしょう。もう認知症でもないし、するすると入って来れるはず。そして盆送りの朝にも夢を見ました。最初は怖くて嫌な内容で...母の初盆

  • 心療内科やめました

    前回の記事で、心療内科に行き、うつと診断されたと書きました。2回目の受診では、経過を聞かれ、特に変化はなしと答えました。今後については、自分が楽しめることを少しずつやる、ということに。しかしながら、ずっと、楽しいこと、自分のことを後回しにしてきて、それをやることはお金と時間がもったいない、今は母のことという暮らしをしていたので、楽しいと思うことはなんですか、と問われても、もやもやとしか思い浮かばない。以前の趣味のようなことをいくつか挙げると、より具体的に目標をと言われました。例えば、読書なら誰のどんな本を、というように。私は元々自分のことを話すのが苦手。その上、医師は私が挙げたことを強めに否定したり笑ったり。答えを待つ様子からも圧を感じました。なんだか私の意向ではなく医師の気にいるような回答が求められてい...心療内科やめました

  • 荷下ろしうつ

    昨年からの自律神経失調症の症状が続くのと、介護中からのもやもやをはっきりさせようと、心療内科に行くことにしました。どの病院に行けばいいのか、HPなどを見て迷っていると、新しくできたクリニックの広告が目に留まり、割と近かったこともあり、予約の電話を入れると、1ヶ月待ちでした。心療内科は混んでいると聞きましたが、本当にどこもそのようです。数ヶ月から半年待ちのところもあるようです。その後、出先で偶然見つけた別のクリニックの看板に、HPを見て連絡を入れると、前出の所より早く予約が取れたので、まずそこに行ってみることに。今ひとつだったら、前出の所に行けばいいと。本や漫画、テレビでよく見聞きしていた光景で、医師に、「よく頑張りましたね」と言われて泣く、というのがあり、それは嫌だなあ、そんなこと言わない医師ならいいなあ...荷下ろしうつ

  • 母のいない母の日

    一昨年の母の日は、カーネーションの鉢植えを抱えた母の写真を撮りました。去年の母の日は、母は入院中でした。今年の母の日は、初めて母のいない母の日です。カーネーションは飾りました。『おかあさんありがとう』というプレートがついていました。相変わらずの日々です。手持ち無沙汰のままうろうろしている感じです。例えば。コロナ禍じゃなくて、認知症じゃなくて、死期が迫っている時に、何か言葉を残してくれたら。何か会話できていたら。そういう重いものが持てたら落ち着けたかもしれない。父は、入院中、また退院後、せん妄のような、認知症のような症状がありましたが、最後に入院した時に、はっきりとした意外なことを言って、あれっと思いました。その数日後に亡くなり、それが最後の言葉ではなかったし、教訓でも思い残したことでも家族にあてた言葉でもなかっ...母のいない母の日

  • 半年

    母が亡くなって、半年になりました。相変わらず、まだ半年なのか、もう半年なのかわからないまま。落ち着いてはいるし、母が亡くなったこともわかっている。でももしかして、表面でそう思っていただけで、本当は母の死を受け入れていないのでは…本当のところでは、わかっていないのでは…と思いました。拒否している訳ではないのですが。何もかもの現実はわかっているのですが。母は自分の死をわかっているのだろうか、とか、もやもや、不思議な感覚は続いたまま、半年経って、今ここ、です。でも、それはそれとすることを、今は受け入れようと思います。買い物などしていて、ふと母の姿が現れないかなと思ったりします。でも直後、実際に母が現れて、また一緒に暮らして介護…と浮かんだ非現実に勝手に暗くなります。この前、母の夢を見ました。母とバスに乗ろうとして苦戦...半年

  • お墓参り

    春のお彼岸。お墓参りに行きました。母が亡くなって5ヶ月になろうとしていますが、なんだかまだ不思議な感じです。前回の記事で、叔母が母を思って願ったり話しかけたりすると書きました。私は、母に何かを願ったり、守って欲しいなどと思ったり話しかけたことはありません。まだどんな存在なのか、つかめていないかもしれません。そしてまた、母にはもう、私の願いを聞こうとしたり、守ってあげようなどと働かず、ただただゆっくりしていて欲しいのです。それに、母にそんな力はないような気がします。ただ、朝のあいさつをしたり、外出する時に、行ってきます。帰宅したら、ただいま、と言うくらいで。普段は忘れているようでも、本屋で立ち読みした本の一節に、親が亡くなった時の描写があると、ぶわっと涙が出たりします。落ち着いた頃に悲しくなるとよく聞きます。もう...お墓参り

  • 3月になって

    母に関する手続きは全て終わりました。3月になり、暖かさを感じられ、季節も変わるなあと実感します。コロナは依然として感染者激増のまま横ばい状態。100人単位の数字も当たり前。人出も特に少ないと感じることもなく。飲食店もカフェもいつも通りのようです。私はまだちょっと外で飲食はする気になれず、外出しても飲まず食わずで過ごし、その結果、食品の買い物で余計なものに手を出し、帰宅してわしわし食べるということに。母の妹である叔母が、先日ワクチンの3回目の接種を終えたそうです。1、2回目とも副反応はほとんどなかったようですが、3回目に備え、母に願ったとか。痛くありませんように、副反応が出ませんように、と。そのおかげで大丈夫だった、ありがとうと写真に話した、と。それを聞いて、ああ母はそういう存在になったのだな、と思いました。うれ...3月になって

  • 百箇日というものの

    百箇日とは卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があるそうです。気持ちや手続きなども落ち着き、悲しみも薄れてくる頃なのでしょうか。確かにそうだと思います。母のことで泣くことも減り、母のことを話して来る人もほとんどいません。とはいうものの。先日、確定申告の準備のために母の病院の領収書を整理していたら、泣けてきました。母が生きていた時のもの。この頃は母がいたんだ、と。保険会社からの入院に対する給付金の書類も整理し、その中の1枚の『死亡』という記載を見てどきっとし、また悲しくなりました。死亡保険金の手続きもしましたが、母のそれはとても少額です。昔、自分の病気や死に関すること、それでお金を残すことに嫌悪感を持っていた父が、加入していた保険の全てを解約しました。なぜか母のものまで...百箇日というものの

  • 母の百箇日過ぎて

    母の百箇日が過ぎました。特に法要などする事はなく、お墓に行っただけですが。100日というと長い気がしますが、約3ヶ月というとまだ3ヶ月という感じです。そしていまだに全てが不思議な感じです。母の銀行口座の解約も済み、もうこの銀行に来ることもないんだなあ、と帰り道、次々なくなっていく母の事を思いました。昨年の秋くらいから、感染者数が減少し出して、対策をしつつの外出なら気兼ねなくできていましたが、また激増。そろそろ旅行でも…という希望も絶望に。暖かくなればまた時期的にも人の移動が多くなる。3回目のワクチンを終えた、医療従事者の友人は、やはり副反応はあったけれど、2回目よりは軽かったそうです。なので、1、2回目ともほとんど副反応がなかった私は、3回目も大丈夫かな、と思いました。でも、バス停で会った高齢の女性は、「3回目...母の百箇日過ぎて

  • 母が亡くなって約3ヶ月

    ふと思いました。母はどんな人だったんだろう。何が、誰が好きだったんだろう。母としてではなく、1人の人として。好きな俳優は誰だったんだろう。聞いたような気もするけど。誰かいたかなあ。女優では、秋吉久美子、岸本加世子…演技というより、自由奔放な感じのするところが好きだったようです。母は、私が子供の頃は、従順な妻という感じでしたが、本当は、夫とは対等、もしくは自由に過ごすことを許してくれる夫が理想ではなかったのかな。『忍』という名前の人がいると、「忍なんて絶対嫌だ」「耐え忍ぶって」と言っていました。(忍さんに失礼な記述で申し訳ありません。個人の解釈です)きゅうくつな暮らしではなかったのかな。何度か、自殺について考えを言うこともありました。子供に対して、こういうことはいけないよ、という教えではなく、自分はできない、とい...母が亡くなって約3ヶ月

  • 勉強させていただきました

    母が認知症になり介護が必要になったり、入院したり。父の時もそうでしたが、様々なことを知りました。病気の内容や治療法、それにあたっての手続き。窓口での手続き。介護サービスを受けるための方法や手続き。こういう手続きがありますが済んでいますか?この手続きをした方がいいですよ?と言われ、知らなかったなあ、やってないなあと、こんなのがあるのか、と、そのつど役所に出向いたり書類をそろえたりしました。自分でも、母に当てはまる制度はないかと調べたり。何かが免除されたり助成金がいただけたら少しは助かる。母は心臓が悪くなったので、その病名で心身障害者手帳の申請ができると知り、主治医に書類をお願いし、申請。結果、認定されました。医療費の助成金が出て、助かりました。一昨年はその他に、ショートステイのための2つの事業所との契約、結果とし...勉強させていただきました

  • 親のいないお正月

    去年は入院で母がいませんでしたが、今年はどこにもいない。親が2人ともどこにもいない、初めてのお正月でした。喪中なので年賀状が来ないのはつまらないと思いましたが、案外すっきりしていいものでした。毎年義理で購入しているところがあるので、おせちは用意して、ぼちぼち食べました。昨年末、お正月用にと、冷凍のカニ(ボイル済)をいただきましたが、自然解凍の様子を見つつ、食べてしまいました。30日に。お餅も食べたいと、袋買いは持て余すので、コンビニで見つけたおしるこをチンして食べました。とてもおいしかったです。お餅もやわらかく、あんこもちょうど良い甘さで。今年はどんな年に。仕事を再開して、静かに過ごしていられたらいいです。コロナの感染者数がまた増えてきたので、旅行は難しいでしょうか。市中感染が広まったら外食もままならないですね...親のいないお正月

  • 20点介護

    よく、介護は100点を目指さなくていい、60点でいい、と言われますが、私は、60点なんて高い!とても無理!と思っていました。自分の介護を点数にするなら、20点と思っていました。得意でも好きでもない車の運転を、40代でペーパードライバーを解消して親がいるうちはと続けていたのが10点。認知症になり記憶することが難しくなった母に、こんなことがあったという覚え書き、日記代わりに始めたアルバム作りが10点。いや、1点ずつの2点でもいいくらいです。弄便や異食が始まってからは、自分なりにアイディアを絞り出して対応したつもりですが、混乱している間に入院しましたので加点も疑問で。運転は、目も悪いのでもうしません。アルバムも、納骨の様子や仏前にと届けられた品々を撮って、プリントして貼って、おしまいにしました。写真の説明やコメントを...20点介護

  • 母の死は不思議

    前の記事で、母がいなくなったら、どんどん自分の道を前に進むと決めていたと書きました。そう思ったのは、介護中、出かけたがりの母のため、買い物も兼ねてなるべく広いショッピングモールを歩く事が多かったからです。母は、少し離れて私の後ろを歩いて来るのが常でした。たいてい開店直後から入店していたので、まだ空いていて、広い通路を、前を行く私を目印にしつつ、1人で歩いている感覚を味わいたかったのだと思います。私は、母の速度に合わせながら、ちゃんとついて来ているかどうか、しょっちゅう振り返り、確認していました。それで、母がデイサービスの日など、私1人で歩ける時には、自分のペースでさっさと歩きました。そんな現実的なことと、心情的なことと合わせて、母がいなくなったら自分のペースでどんどん行く、と決めたのでした。よく行った店を自分の...母の死は不思議

  • 決めたこと

    まだ母のことで誰かと話す時に泣けてくるのですが、もう大丈夫という気もします。先日見た母の夢では、母と一緒に急な斜面を登らなければならず、私が先に行って母を引っ張ろうとすると、母が自力で登って来た、そんな場面でした。母ももう大丈夫なんだな、と思いました。介護中に決めていたことがあって、母とは楽しく過ごして、別れの時が来たら笑顔でさよならして、次の日からどんどん自分の道を進む、ということでした。実際は、認知症が重くなり、母は不穏の日々。私は余裕がなく精神的にまいってしまい楽しく過ごすどころか母は入院。入院が長引いて、コロナ禍で会えもせず、もやもやと緊張の中、会話もできず亡くなりました。私は心身の不調で前に進む気力なし。また、母が入院して、介護から手が離れた時にも決めたことがあります。嫌われてもいいから、もう誰の機嫌...決めたこと

  • 母の夢を見るおまじない??

    なんだか不意に思いついて、母がいつも来ていた冬のコートを出してハンガーに掛け、その上から、母愛用のショルダーバッグを掛けました。眺めると、なんだか気持ちが落ち着きました。先日、納骨の際、泣けてしまうかな…と思いましたが、簡素に淡々と進んだこともあり、私も淡々としていました。帰宅して、ほっとしたような、骨とはいえ母が家からいなくなってさみしいような、そんな感じがしましたが。なので母のことではもう泣かないような気がしましたのに、そのコートとバッグに泣けました。自分でこんなことをしといて泣いてるよ、とあきれながら。その夜、母の夢を見ました。母が入院したので病室に行くと、看護師さんに明日退院です、と言われる。ああそうなんだ、早いな、準備できてないけど数日なら大丈夫か、そしてまたホームに戻れば…と考えました。夢の中では、...母の夢を見るおまじない??

  • 守るものがなくなった

    母がいなくなって、守るものがなくなったと感じます。持病のあった母の体調や病院のことから、認知症と診断されてからは特に、母にかかりきりになりました。認知症への誤解や偏見で母が傷つかないように。父からの暴言、皮肉に傷つかないように。体調管理とともに、気にかけていました。服や持ち物、お化粧、見た目もこざっぱりするように。今、自分の通院で医師と話す時、気になる点があっても伝えず、はいはいと聞いて終わります。母の通院では、伝えること、聞くことをメモして、ぐいぐい話したのですが。母のことでは、何がいいか、どこがいいか、調べまくったのですが、自分のことは面倒だからこれでいいや、です。もう母のことはしなくていい。することがなくなりました。守るものがなくなりました。守れていたのかというと、へなちょこなので、人並みにも至らず、だと...守るものがなくなった

  • 母の夢

    最近、母の夢を見ました。外を歩いていたら誰かに、ここは危ないと言われて、私は母を抱きかかえるようにして移動する、という内容でした。以前にも同じような夢を見ました。母と歩いていたら、空襲が起きて、人々は急いで近くの山の中に入って隠れる。私も母の手を取って茂みに隠れようとしますが、母が歩けない。どんどん遠くに行く人々を見ながら、私は立ち止まり、山の手前の道で母と座り込み、ここにいるしかない、とあきらめたのでした。目が覚めた時、ものすごく悲しくてむなしかったです。思えば、母がいた時は、母を探して走る夢がとても多かったです。自分の靴がない、という夢もよく見ました。そういう夢はこのところ見ていません。もう見なくなるのでしょうね。学生の頃、算数・数学がとても苦手だったせいか、卒業して何年経っても、その授業の夢を見ました。答...母の夢

  • みんな母の笑顔を

    喪中はがきが届いたと、親戚や友人から連絡が来ます。お菓子や花を送ってくれたり。親戚はもちろんですが、母に会ったことのある友人も、みんな「笑顔が浮かぶ」「笑顔しか思い出さない」「笑顔がやさしい」「笑顔がかわいい」と言います。生前から母の笑顔はみんなに褒めてもらっていました。デイサービスでも、入院先でもそうでした。親戚はみんな母が大好きで、おい・めいっこ達は、おばちゃんおばちゃんと慕っていました。以前、ちょっと思ったことがあります。もし私が母の娘じゃなくて、めいっこだったら、と。おばちゃん大好きだっただろうか、と。そうかもしれないな、と思いながら、怖くもなりました。気の強い、言葉の悪い、鬼の形相の母の姿は娘だから知っていますが、めいっこならそれを知らずに、笑顔のかわいい、やさしいおばちゃんのみだったでしょう。人は誰...みんな母の笑顔を

  • 楽になった言葉

    母が亡くなって、本人に昔から言われていたように、お悔やみ、香典はお断りしていたのですが、やはりきっちりしたい人はいて、お線香を上げたいとか、お心遣いをいただくことがあります。近所の、昔なじみの方が来られて、お返しはいらないから、とお菓子を下さいました。紙袋に、母の好きな和菓子の名前が書いてあったので、これ母が好きなんです、と言ったら、「前にそう聞いてたの覚えてたから、どうしてもあげたくて」と。ありがたかったです。近場で、買い物のついでに買えるものではないですし、昔の母のことを覚えていてくれるだけで、あたたかい気持ちになりました。私も、以前この方と話していて、ずっと覚えていて、繰り返し自分に言い聞かせている言葉があります。10年以上前でしょうか。その方が母親を亡くされた後の事です。「やっとね、薄紙を剥ぐように悲し...楽になった言葉

  • 認知症の人が天国に行ったら

    いろんな宗教や考え方があると思いますが、死んだ人が天国に行って、よみがえった姿で懐かしい人と会ったりするならば。認知症の人の、認知症だった間のことはどうなるのだろうか。母が、元気な姿で自分の親や夫と会って、あれこれ話すならば、自分が認知症だった間の、記憶のない時間のことは。思い出せないままなのか。認知症だった、と母は笑って話し、みんなからは大変だったねとやさしくされるのか。そんなことをぼんやり思いました。母の死後、気配もまったくありません。父の死後は、家電がいくつか壊れたり、パンッッ!!っと大きな音を立てて電球が切れたり、納骨までの間、お骨が置いてあった父の部屋から物音がしましたが。母にいたっては、母を感じられることは何もありません。夢にも出ません。母が以前、自分の死後はこうして欲しい、ということを記した手紙に...認知症の人が天国に行ったら

  • 実感が少しずつ

    在宅介護の時に、入院するまでのほんの少しの期間でしたが、往診の先生にお世話になりました。また退院したらお世話になるかもしれないという思いから、入院してからは連絡していなかったのですが、お礼と報告の手紙を送りました。先生は、的確な指示とアドバイス、具体的な情報やつながりを下さり、本当に心強く、頼りにしていました。それでなんとか、あの、1番難しかった時期をやってこられた気がします。すると、先生からお返事が。ねぎらいの言葉があたたかく、中でも、『在宅介護ではたくさん悩まれましたね』という一文に、号泣でした。わかってもらえていたこと、助けてもらっていたことがありがたく。また、そうだよ、私はずっと悩んで考えて決めてきたんだよ、という緊張がとけるような感覚。そして、ああ終わったんだな、と思いました。先生からの手紙は、卒業に...実感が少しずつ

  • 実感はないけれど

    母が亡くなったという事実は理解して受け止めているのですが、依然として実感がありません。それでいて時々、ぐわーーっと来る現実に悲しくなります。母関係の事務手続きも、まだ連絡待ちのところなどありますが、だいたい終わりました。喪中はがきも注文しました。あれもしなきゃ、と相変わらず急いてしまいますが、体調も気力体力もいまひとつなので、ひとつずつと決めて行ったりやったりします。このあせる気持ちは母モードのままだからです。元気な頃は、デイサービスに行っている曜日、時間のうちにと、入院中は、いつ何があるかわからない状態だからと。そしてまだ、買い物に出て、衣料品売り場を通ると母の服を見てしまいます。無意識に、これいいかな…と眺めて、ああもういらないのか、と気づき、でもこれ着せたかったな、と、ちょっと笑えます。実感はないけれど

  • 実感がない

    認知症がアメリカで『longgoodbye』と言われているように、母が長い年数をかけていろいろなことを忘れたりできなくなったりしました。私は、ああもうできなくなったなあ、もうあそこには行けないんだなあ、ここに一緒に来ることはないんだなあ、などとひとつひとつ納得したり残念に思ったり。入院も1年過ぎたので、離れている時間にも慣れました。長い年数の中でそういう思いをしていたので、今、母がいなくなっても少しは受け止められていると感じます。もう一緒にできなくて、行けなくて残念ではなく、思い出がありがたいです。1度も着ていなかったり、まだきれいな服は、叔母にもらってもらいました。母がよく着ていた服は、とっておきます。今日も少し片付けをしていて、母が常用していたバッグの中にティッシュケースとガーゼのハンカチを見つけて、おかあ...実感がない

  • 母、亡くなりました ⑤

    火葬の前に、1人ずつ最後のお別れの言葉かけをしました。炉の前でお焼香をして、扉が閉まり、我々は控え室に。私は葬儀社からの説明など聞いて、後は母との思い出話、朝ドラの話などして待ちました。時間が来て、拾骨室に。骨でもまだ母がいるので、おかあさんに会える、と駆け込みましたが、母の骨をひと目見て、少ない…と思いました。ですが、年齢的にも、骨粗鬆症だったし、これくらいか、と納得しました。父の時が、標本のようにしっかり骨が残っていたので、それに比べたら、ということで。最初は順番に、そしてみんなでお骨を拾い、最後に喉仏、耳、頭蓋骨などの説明を受けて母の骨は骨壷に収まりました。父は骨の量が多過ぎて、頭蓋骨をつぶさせていただきます、と言われたほどぎゅうぎゅうだったなあ、としみじみしました。自宅安置も納棺も出棺も火葬も無事に終わ...母、亡くなりました⑤

  • 母、亡くなりました ④

    翌日の午後に火葬でした。親戚には電話で済ませましたが、どうしても母の顔を見たいという叔母から、間に合うように行く、と連絡を受けました。母のもう1人の妹です。移動に半日はかかるので、大急ぎのようでした。午前中は割とのんびりだったので、棺の横で、母の好きだった歌をYouTubeで流したりして過ごしました。近隣の叔母、そして遠方の叔母と、その娘が到着し、またひとしきりみんなで涙にくれました。アルバムを見たり、昼食をとったりして、ちょっと休んでいると葬儀屋さんが来たので、近隣の叔母が用意した花をみんなで棺に入れることに。葬儀屋さんが、「まずお庭の花を入れましょう」と言うので、ちょうど咲いていた花、小さな実などをとって、母の胸の上に置きました。それから、用意した花を私が茎を半分くらいに切ってみんなに渡し、母の顔の周りに飾...母、亡くなりました④

  • 母、亡くなりました ③

    近くに住んでいる母の妹、叔母夫妻が来てくれました。涙にくれつつ、亡くなった時から納棺までの経緯や思い出など話し、翌日の火葬にも立ち会ってくれるとのことで、時間の確認などしました。棺の中に花を入れるのは、出棺直前ということで、その花の用意を叔母に頼みました。葬儀屋さんが、お花を用意しますか、と言ってくれましたが、母の好みがあるので、こちらで用意しますと伝えていました。母は、小さい、かわいらしい花が好きなのです。叔母は母の好みを知っているし、花が好きなので。火葬だけとはいえ、喪服を着るので、一応試着を。父の時に購入したのは、きつきつになってしまったので、何十年も前に購入していた、ストンとした型のワンピースに黒いカーディガンにしました。喪服など滅多に着ないものを、痩せている時に買うものじゃありませんね。その先の体型の...母、亡くなりました③

  • 母、亡くなりました ②

    預かり安置と自宅安置を選べたので、一晩でも母を帰宅させたくて、また、一緒にいたくて、自宅にしました。かつて母の介護用ベッドを入れていた部屋で、スペースはあったのですが、ちょっと片付けなければならない。家に着いたらあれをこうしてあれをあっちに移動して…などと考えながら帰り、帰宅してからは葬儀社の係の人の指示に従って用意するものを出したり打ち合わせをしたり。納棺師の方が来られて、初めに、「逆さ水を用意して下さい」と言われ、初めて聞く言葉でしたが、あああれか、と思いつきました。昔、私がぬるま湯を作ろうとして、カップに水を入れてからお湯を入れたのを見た母が、それは人が死んだ時にする事だと言っていました。通常はお湯を入れてから水を入れて温度を調節し、故人の体を洗ったり拭いたりする湯灌の時に使うのが逆さ水だそうで。そして納...母、亡くなりました②

  • 母、亡くなりました

    リモート面会の予約を入れた時に様子を聞くと、食事も全部食べて、歌って、おしゃべりしていると言うので、ああ落ち着いたかな、と思っていました。その2日後、病院から連絡が。昨夜から容態が悪く、今朝検査しようとしたら意識がなくなった、と。急いで駆けつけました。家から最短だったと思いますが、30分くらいかかり、医師の説明を聞き、病室に入ると、母の意識はほとんどないようでした。でも、おかあさん!と呼ぶと、うなづくように顔が動きました。また、おかあさん!と呼んで同じような動きがありましたが、それきりでした。老衰でした。私は母にすがって、ひとしきり号泣した後、あ、この後処置があるんだ、と我に返り、看護師さんに、大丈夫ですので処置を、と言いましたが、たっぷりお別れの時間を下さいました。清拭が終わった母は、亡くなった方専用と思われ...母、亡くなりました

  • 今回も底力

    先月くらいから食べなくなって、点滴できる時はするけれど、後は自然に…ということになっていました。その後特に連絡もないので、同じ状態なのだと思っていました。先日リモート面会に行き、画面に映し出された母は、ほとんど寝ていた最近の様子に比べ、起きていて、元気そうだな、と思いました。看護師さんによると、また口から食べられるようになったとのこと。ああっ、そうなんだ!びっくりしました。これまで何度も弱っては底力で挽回して来た母。でも食べなくなったのは、いよいよそういう時期に来たのだろう、また口から食べることは難しいだろう、と思っていました。それが、またまた底力を発揮!母の命の強さには驚きます。もう死ぬ、こんなに生きると思わなかった、と言ってた70代。認知症になり、早く死にたい、死にたいと毎日言い、殺せ!と叫んでいた母。それ...今回も底力

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、へなちょこかいごさんをフォローしませんか?

ハンドル名
へなちょこかいごさん
ブログタイトル
へなちょこかいご
フォロー
へなちょこかいご

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用