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2015/01/24

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  • 春のお彼岸

    お墓参りに行きました。日曜日で天気も良く、墓苑は賑やかでした。黙々と掃除、お参りをし、買い物をして帰宅。お墓参り、あるいは仏前で、初めの頃は、お線香を上げて手を合わせる時に、何と唱えたらいいのか迷い、報告したり願ったりで長くなりがちでしたが、今はただ穏やかでありますように、とだけ。スーパーのハンドクリーム売り場で、そういえば最近手の甲のしわが気になるなあ、と思い、良さそうなのは…と見ていて思い出しました。母はとても自分の手の甲を気にしていました。しわ、しみ。年相応だし、気に病むほどではないのですが、自分の手を見ては、きたないきたないと言い、手の甲にファンデーションを塗ったりしていました。それで、よくハンドクリームを手に出してあげたり、それを口に入れようとするようになってからは塗ってあげたりしました。ハンド...春のお彼岸

  • 亡き母の誕生日

    先日、母の誕生日に1人で外食しました。母の生前、誕生日によく行った店で、年々食の細くなった母にぴったりの、量がほどほどの御膳で盛り付けもかわいらしいランチ。亡くなってからも誕生日を祝いたい気持ちは変わらないですね。そしてやはり食の細くなった年配のご婦人に人気のようで、店内の席もすぐに埋まりました。認知症がひどくなったり、入院したり、コロナ禍で外出外食できなくなったので、数年振りでしたが、その頃と同じメニューに、母が喜んで食べていた姿が浮かびました。ちなみに、月命日には母の好きだったスタバに行きます。元気な頃、母は1人でもスタバに入り、コーヒーなど飲んでいました。帰宅して、「コーヒージャパンのコーヒーはおいしいね」と、なぜか名称の後半を言うのでした。世間では前半さえ略しているのに、と思い笑えました。認知症に...亡き母の誕生日

  • 2022暮れ。遺品あれこれ。

    気になっていた片付けをと、母の医療、介護関係の資料、書類などをだいたい処分しました。一昨年、認知症が重度になり入院の話が出てから入院日が決まるのが早かったため、また、コロナ禍でほとんど会えず昨年死に至ったため、実感のわかぬまま。続きがまだある実証としたかったのか、手をつけられませんでしたが。誰かの助けになるかなとも思いましたが、病院や施設のパンフレットも各種料金も内容も、ネットで検索できるし。処分しました。気力集中力がないので、すぐに疲れてしまい、残ったものも。それと、もう1度確認したいと思った書類の他、長く通ったデイサービスの連絡帳などはまた引き出しにしまいました。父の物で気になっていた、古い切手。収集の趣味があったようで、数冊の切手帳に並べられた記念切手。私でも聞いたことのある有名な名のついた切手もあ...2022暮れ。遺品あれこれ。

  • 気が抜けたまま

    一周忌後に、気が抜けるだろうからと計画していた旅行ですが、その旅行が終わって気が抜けました。だいたいの大掃除も庭仕事も一周忌までに済ませ、後はいい季節にゆっくりしようと決めていたので、それでも気が抜けて。庭仕事では、枯れ葉落ち葉拾いがまだあるかと思いますが。旅先では、いつもホテル選びに迷いますが、今回は、ビルに囲まれておらず、どの部屋からでも眺めが良さそう、かつ、最寄りの駅からわかりやすい位置にある、を条件にホテルを決め、1番安いサイトから予約しました。なので窓からの景色に解放感があり、ゆったり過ごせました。観光スポットと言われる所には、買い物に出たり散歩していて偶然通りかかったりで、積極的には行きませんでした。昔から行きたいと思っていた街なのに、旅行に来た気がしないなあと思いましたが、それくらいなじんで...気が抜けたまま

  • 一周忌

    母の命日、一周忌が過ぎました。日が経つのは早く、以前の自分も遠くなった気がしますが、実感がないのは変わらず。何の気配もない日々なので、せめて命日、一周忌には姿が見える、夢で言葉が聞ける、何か合図があるのではないかと期待していましたが一切なく。そうか、もうきれいさっぱりか、それもいいね、と思いました。命日の前日から、お母さんは今頃から具合悪かったのかな、と思い、当日には、今頃病院から連絡が来たんだな、病院に着いたな、臨終の時刻を聞いたな、と後追いしました。翌日には火葬、去年の今頃お母さんの身体がなくなったんだな、と。秋はまだ半分ですが、母のいない季節をひと通り過ごしました。一周忌をひとつの区切りにしていたので、過ぎたら気が抜けるだろうと、夏に旅行の予定を立てました。数日後に2泊3日、国内で、旅行支援は使えま...一周忌

  • 病院メモの偶然

    秋のお彼岸で、お墓参りに行きました。お墓に行くといつも清々しい気持ちになります。自然に囲まれた所にあるので、空気がきれいで、静か。人がいたとしても皆、同じように掃除やらお参りをしているので、気の乱れがない。私も、空がきれいだなあと思いつつ、淡々と掃除とお参りをしました。一昨年の秋のお彼岸まで、母と一緒に来ていました。車椅子だったけど、認知症が重くなって大変な時期だったけど、母とのお出かけになごみもしました。母の死に関してまだ感覚としては不思議なままで、悲しいとも違う、心の中にいる、とも違う、つかめない感じです。母の病院、デイ関連の不要な書類などを少し処分しました。集中力がないのと、気持ちがざわざわするのとで、本当に少しずつです。先日、父の遺品の中からも少し処分しました。その際、片付けの最中あるあるで、病院...病院メモの偶然

  • 母の初盆

    今年のお盆は、母の初盆でした。昔から母に、法事関係は一切やらなくていいと言われていましたので、いつもよりお供えと花を増やし、市販の簡単な盆飾りを。お盆やお彼岸には、父は自分の実家に帰っているのだろうな、と思います。うちでは何の気配もないので。母の実家はもうありません。よく行っていた親戚の家ももうないので、母が帰るとすればうちだし、初盆だから何かあるかなと思いましたが、こちらも気配なし。盆の入りに、夢を見ました。玄関の前で誰かがチャイムの操作がわからずにおろおろしている夢。先日チャイムが故障したため交換しているので、母がわからなくて家に入れない?とも思いましたが、いや今となってはそんなことないでしょう。もう認知症でもないし、するすると入って来れるはず。そして盆送りの朝にも夢を見ました。最初は怖くて嫌な内容で...母の初盆

  • 心療内科やめました

    前回の記事で、心療内科に行き、うつと診断されたと書きました。2回目の受診では、経過を聞かれ、特に変化はなしと答えました。今後については、自分が楽しめることを少しずつやる、ということに。しかしながら、ずっと、楽しいこと、自分のことを後回しにしてきて、それをやることはお金と時間がもったいない、今は母のことという暮らしをしていたので、楽しいと思うことはなんですか、と問われても、もやもやとしか思い浮かばない。以前の趣味のようなことをいくつか挙げると、より具体的に目標をと言われました。例えば、読書なら誰のどんな本を、というように。私は元々自分のことを話すのが苦手。その上、医師は私が挙げたことを強めに否定したり笑ったり。答えを待つ様子からも圧を感じました。なんだか私の意向ではなく医師の気にいるような回答が求められてい...心療内科やめました

  • 荷下ろしうつ

    昨年からの自律神経失調症の症状が続くのと、介護中からのもやもやをはっきりさせようと、心療内科に行くことにしました。どの病院に行けばいいのか、HPなどを見て迷っていると、新しくできたクリニックの広告が目に留まり、割と近かったこともあり、予約の電話を入れると、1ヶ月待ちでした。心療内科は混んでいると聞きましたが、本当にどこもそのようです。数ヶ月から半年待ちのところもあるようです。その後、出先で偶然見つけた別のクリニックの看板に、HPを見て連絡を入れると、前出の所より早く予約が取れたので、まずそこに行ってみることに。今ひとつだったら、前出の所に行けばいいと。本や漫画、テレビでよく見聞きしていた光景で、医師に、「よく頑張りましたね」と言われて泣く、というのがあり、それは嫌だなあ、そんなこと言わない医師ならいいなあ...荷下ろしうつ

  • 母のいない母の日

    一昨年の母の日は、カーネーションの鉢植えを抱えた母の写真を撮りました。去年の母の日は、母は入院中でした。今年の母の日は、初めて母のいない母の日です。カーネーションは飾りました。『おかあさんありがとう』というプレートがついていました。相変わらずの日々です。手持ち無沙汰のままうろうろしている感じです。例えば。コロナ禍じゃなくて、認知症じゃなくて、死期が迫っている時に、何か言葉を残してくれたら。何か会話できていたら。そういう重いものが持てたら落ち着けたかもしれない。父は、入院中、また退院後、せん妄のような、認知症のような症状がありましたが、最後に入院した時に、はっきりとした意外なことを言って、あれっと思いました。その数日後に亡くなり、それが最後の言葉ではなかったし、教訓でも思い残したことでも家族にあてた言葉でもなかっ...母のいない母の日

  • 半年

    母が亡くなって、半年になりました。相変わらず、まだ半年なのか、もう半年なのかわからないまま。落ち着いてはいるし、母が亡くなったこともわかっている。でももしかして、表面でそう思っていただけで、本当は母の死を受け入れていないのでは…本当のところでは、わかっていないのでは…と思いました。拒否している訳ではないのですが。何もかもの現実はわかっているのですが。母は自分の死をわかっているのだろうか、とか、もやもや、不思議な感覚は続いたまま、半年経って、今ここ、です。でも、それはそれとすることを、今は受け入れようと思います。買い物などしていて、ふと母の姿が現れないかなと思ったりします。でも直後、実際に母が現れて、また一緒に暮らして介護…と浮かんだ非現実に勝手に暗くなります。この前、母の夢を見ました。母とバスに乗ろうとして苦戦...半年

  • お墓参り

    春のお彼岸。お墓参りに行きました。母が亡くなって5ヶ月になろうとしていますが、なんだかまだ不思議な感じです。前回の記事で、叔母が母を思って願ったり話しかけたりすると書きました。私は、母に何かを願ったり、守って欲しいなどと思ったり話しかけたことはありません。まだどんな存在なのか、つかめていないかもしれません。そしてまた、母にはもう、私の願いを聞こうとしたり、守ってあげようなどと働かず、ただただゆっくりしていて欲しいのです。それに、母にそんな力はないような気がします。ただ、朝のあいさつをしたり、外出する時に、行ってきます。帰宅したら、ただいま、と言うくらいで。普段は忘れているようでも、本屋で立ち読みした本の一節に、親が亡くなった時の描写があると、ぶわっと涙が出たりします。落ち着いた頃に悲しくなるとよく聞きます。もう...お墓参り

  • 3月になって

    母に関する手続きは全て終わりました。3月になり、暖かさを感じられ、季節も変わるなあと実感します。コロナは依然として感染者激増のまま横ばい状態。100人単位の数字も当たり前。人出も特に少ないと感じることもなく。飲食店もカフェもいつも通りのようです。私はまだちょっと外で飲食はする気になれず、外出しても飲まず食わずで過ごし、その結果、食品の買い物で余計なものに手を出し、帰宅してわしわし食べるということに。母の妹である叔母が、先日ワクチンの3回目の接種を終えたそうです。1、2回目とも副反応はほとんどなかったようですが、3回目に備え、母に願ったとか。痛くありませんように、副反応が出ませんように、と。そのおかげで大丈夫だった、ありがとうと写真に話した、と。それを聞いて、ああ母はそういう存在になったのだな、と思いました。うれ...3月になって

  • 百箇日というものの

    百箇日とは卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があるそうです。気持ちや手続きなども落ち着き、悲しみも薄れてくる頃なのでしょうか。確かにそうだと思います。母のことで泣くことも減り、母のことを話して来る人もほとんどいません。とはいうものの。先日、確定申告の準備のために母の病院の領収書を整理していたら、泣けてきました。母が生きていた時のもの。この頃は母がいたんだ、と。保険会社からの入院に対する給付金の書類も整理し、その中の1枚の『死亡』という記載を見てどきっとし、また悲しくなりました。死亡保険金の手続きもしましたが、母のそれはとても少額です。昔、自分の病気や死に関すること、それでお金を残すことに嫌悪感を持っていた父が、加入していた保険の全てを解約しました。なぜか母のものまで...百箇日というものの

  • 母の百箇日過ぎて

    母の百箇日が過ぎました。特に法要などする事はなく、お墓に行っただけですが。100日というと長い気がしますが、約3ヶ月というとまだ3ヶ月という感じです。そしていまだに全てが不思議な感じです。母の銀行口座の解約も済み、もうこの銀行に来ることもないんだなあ、と帰り道、次々なくなっていく母の事を思いました。昨年の秋くらいから、感染者数が減少し出して、対策をしつつの外出なら気兼ねなくできていましたが、また激増。そろそろ旅行でも…という希望も絶望に。暖かくなればまた時期的にも人の移動が多くなる。3回目のワクチンを終えた、医療従事者の友人は、やはり副反応はあったけれど、2回目よりは軽かったそうです。なので、1、2回目ともほとんど副反応がなかった私は、3回目も大丈夫かな、と思いました。でも、バス停で会った高齢の女性は、「3回目...母の百箇日過ぎて

  • 母が亡くなって約3ヶ月

    ふと思いました。母はどんな人だったんだろう。何が、誰が好きだったんだろう。母としてではなく、1人の人として。好きな俳優は誰だったんだろう。聞いたような気もするけど。誰かいたかなあ。女優では、秋吉久美子、岸本加世子…演技というより、自由奔放な感じのするところが好きだったようです。母は、私が子供の頃は、従順な妻という感じでしたが、本当は、夫とは対等、もしくは自由に過ごすことを許してくれる夫が理想ではなかったのかな。『忍』という名前の人がいると、「忍なんて絶対嫌だ」「耐え忍ぶって」と言っていました。(忍さんに失礼な記述で申し訳ありません。個人の解釈です)きゅうくつな暮らしではなかったのかな。何度か、自殺について考えを言うこともありました。子供に対して、こういうことはいけないよ、という教えではなく、自分はできない、とい...母が亡くなって約3ヶ月

  • 勉強させていただきました

    母が認知症になり介護が必要になったり、入院したり。父の時もそうでしたが、様々なことを知りました。病気の内容や治療法、それにあたっての手続き。窓口での手続き。介護サービスを受けるための方法や手続き。こういう手続きがありますが済んでいますか?この手続きをした方がいいですよ?と言われ、知らなかったなあ、やってないなあと、こんなのがあるのか、と、そのつど役所に出向いたり書類をそろえたりしました。自分でも、母に当てはまる制度はないかと調べたり。何かが免除されたり助成金がいただけたら少しは助かる。母は心臓が悪くなったので、その病名で心身障害者手帳の申請ができると知り、主治医に書類をお願いし、申請。結果、認定されました。医療費の助成金が出て、助かりました。一昨年はその他に、ショートステイのための2つの事業所との契約、結果とし...勉強させていただきました

  • 親のいないお正月

    去年は入院で母がいませんでしたが、今年はどこにもいない。親が2人ともどこにもいない、初めてのお正月でした。喪中なので年賀状が来ないのはつまらないと思いましたが、案外すっきりしていいものでした。毎年義理で購入しているところがあるので、おせちは用意して、ぼちぼち食べました。昨年末、お正月用にと、冷凍のカニ(ボイル済)をいただきましたが、自然解凍の様子を見つつ、食べてしまいました。30日に。お餅も食べたいと、袋買いは持て余すので、コンビニで見つけたおしるこをチンして食べました。とてもおいしかったです。お餅もやわらかく、あんこもちょうど良い甘さで。今年はどんな年に。仕事を再開して、静かに過ごしていられたらいいです。コロナの感染者数がまた増えてきたので、旅行は難しいでしょうか。市中感染が広まったら外食もままならないですね...親のいないお正月

  • 20点介護

    よく、介護は100点を目指さなくていい、60点でいい、と言われますが、私は、60点なんて高い!とても無理!と思っていました。自分の介護を点数にするなら、20点と思っていました。得意でも好きでもない車の運転を、40代でペーパードライバーを解消して親がいるうちはと続けていたのが10点。認知症になり記憶することが難しくなった母に、こんなことがあったという覚え書き、日記代わりに始めたアルバム作りが10点。いや、1点ずつの2点でもいいくらいです。弄便や異食が始まってからは、自分なりにアイディアを絞り出して対応したつもりですが、混乱している間に入院しましたので加点も疑問で。運転は、目も悪いのでもうしません。アルバムも、納骨の様子や仏前にと届けられた品々を撮って、プリントして貼って、おしまいにしました。写真の説明やコメントを...20点介護

  • 母の死は不思議

    前の記事で、母がいなくなったら、どんどん自分の道を前に進むと決めていたと書きました。そう思ったのは、介護中、出かけたがりの母のため、買い物も兼ねてなるべく広いショッピングモールを歩く事が多かったからです。母は、少し離れて私の後ろを歩いて来るのが常でした。たいてい開店直後から入店していたので、まだ空いていて、広い通路を、前を行く私を目印にしつつ、1人で歩いている感覚を味わいたかったのだと思います。私は、母の速度に合わせながら、ちゃんとついて来ているかどうか、しょっちゅう振り返り、確認していました。それで、母がデイサービスの日など、私1人で歩ける時には、自分のペースでさっさと歩きました。そんな現実的なことと、心情的なことと合わせて、母がいなくなったら自分のペースでどんどん行く、と決めたのでした。よく行った店を自分の...母の死は不思議

  • 決めたこと

    まだ母のことで誰かと話す時に泣けてくるのですが、もう大丈夫という気もします。先日見た母の夢では、母と一緒に急な斜面を登らなければならず、私が先に行って母を引っ張ろうとすると、母が自力で登って来た、そんな場面でした。母ももう大丈夫なんだな、と思いました。介護中に決めていたことがあって、母とは楽しく過ごして、別れの時が来たら笑顔でさよならして、次の日からどんどん自分の道を進む、ということでした。実際は、認知症が重くなり、母は不穏の日々。私は余裕がなく精神的にまいってしまい楽しく過ごすどころか母は入院。入院が長引いて、コロナ禍で会えもせず、もやもやと緊張の中、会話もできず亡くなりました。私は心身の不調で前に進む気力なし。また、母が入院して、介護から手が離れた時にも決めたことがあります。嫌われてもいいから、もう誰の機嫌...決めたこと

  • 母の夢を見るおまじない??

    なんだか不意に思いついて、母がいつも来ていた冬のコートを出してハンガーに掛け、その上から、母愛用のショルダーバッグを掛けました。眺めると、なんだか気持ちが落ち着きました。先日、納骨の際、泣けてしまうかな…と思いましたが、簡素に淡々と進んだこともあり、私も淡々としていました。帰宅して、ほっとしたような、骨とはいえ母が家からいなくなってさみしいような、そんな感じがしましたが。なので母のことではもう泣かないような気がしましたのに、そのコートとバッグに泣けました。自分でこんなことをしといて泣いてるよ、とあきれながら。その夜、母の夢を見ました。母が入院したので病室に行くと、看護師さんに明日退院です、と言われる。ああそうなんだ、早いな、準備できてないけど数日なら大丈夫か、そしてまたホームに戻れば…と考えました。夢の中では、...母の夢を見るおまじない??

  • 守るものがなくなった

    母がいなくなって、守るものがなくなったと感じます。持病のあった母の体調や病院のことから、認知症と診断されてからは特に、母にかかりきりになりました。認知症への誤解や偏見で母が傷つかないように。父からの暴言、皮肉に傷つかないように。体調管理とともに、気にかけていました。服や持ち物、お化粧、見た目もこざっぱりするように。今、自分の通院で医師と話す時、気になる点があっても伝えず、はいはいと聞いて終わります。母の通院では、伝えること、聞くことをメモして、ぐいぐい話したのですが。母のことでは、何がいいか、どこがいいか、調べまくったのですが、自分のことは面倒だからこれでいいや、です。もう母のことはしなくていい。することがなくなりました。守るものがなくなりました。守れていたのかというと、へなちょこなので、人並みにも至らず、だと...守るものがなくなった

  • 母の夢

    最近、母の夢を見ました。外を歩いていたら誰かに、ここは危ないと言われて、私は母を抱きかかえるようにして移動する、という内容でした。以前にも同じような夢を見ました。母と歩いていたら、空襲が起きて、人々は急いで近くの山の中に入って隠れる。私も母の手を取って茂みに隠れようとしますが、母が歩けない。どんどん遠くに行く人々を見ながら、私は立ち止まり、山の手前の道で母と座り込み、ここにいるしかない、とあきらめたのでした。目が覚めた時、ものすごく悲しくてむなしかったです。思えば、母がいた時は、母を探して走る夢がとても多かったです。自分の靴がない、という夢もよく見ました。そういう夢はこのところ見ていません。もう見なくなるのでしょうね。学生の頃、算数・数学がとても苦手だったせいか、卒業して何年経っても、その授業の夢を見ました。答...母の夢

  • みんな母の笑顔を

    喪中はがきが届いたと、親戚や友人から連絡が来ます。お菓子や花を送ってくれたり。親戚はもちろんですが、母に会ったことのある友人も、みんな「笑顔が浮かぶ」「笑顔しか思い出さない」「笑顔がやさしい」「笑顔がかわいい」と言います。生前から母の笑顔はみんなに褒めてもらっていました。デイサービスでも、入院先でもそうでした。親戚はみんな母が大好きで、おい・めいっこ達は、おばちゃんおばちゃんと慕っていました。以前、ちょっと思ったことがあります。もし私が母の娘じゃなくて、めいっこだったら、と。おばちゃん大好きだっただろうか、と。そうかもしれないな、と思いながら、怖くもなりました。気の強い、言葉の悪い、鬼の形相の母の姿は娘だから知っていますが、めいっこならそれを知らずに、笑顔のかわいい、やさしいおばちゃんのみだったでしょう。人は誰...みんな母の笑顔を

  • 楽になった言葉

    母が亡くなって、本人に昔から言われていたように、お悔やみ、香典はお断りしていたのですが、やはりきっちりしたい人はいて、お線香を上げたいとか、お心遣いをいただくことがあります。近所の、昔なじみの方が来られて、お返しはいらないから、とお菓子を下さいました。紙袋に、母の好きな和菓子の名前が書いてあったので、これ母が好きなんです、と言ったら、「前にそう聞いてたの覚えてたから、どうしてもあげたくて」と。ありがたかったです。近場で、買い物のついでに買えるものではないですし、昔の母のことを覚えていてくれるだけで、あたたかい気持ちになりました。私も、以前この方と話していて、ずっと覚えていて、繰り返し自分に言い聞かせている言葉があります。10年以上前でしょうか。その方が母親を亡くされた後の事です。「やっとね、薄紙を剥ぐように悲し...楽になった言葉

  • 認知症の人が天国に行ったら

    いろんな宗教や考え方があると思いますが、死んだ人が天国に行って、よみがえった姿で懐かしい人と会ったりするならば。認知症の人の、認知症だった間のことはどうなるのだろうか。母が、元気な姿で自分の親や夫と会って、あれこれ話すならば、自分が認知症だった間の、記憶のない時間のことは。思い出せないままなのか。認知症だった、と母は笑って話し、みんなからは大変だったねとやさしくされるのか。そんなことをぼんやり思いました。母の死後、気配もまったくありません。父の死後は、家電がいくつか壊れたり、パンッッ!!っと大きな音を立てて電球が切れたり、納骨までの間、お骨が置いてあった父の部屋から物音がしましたが。母にいたっては、母を感じられることは何もありません。夢にも出ません。母が以前、自分の死後はこうして欲しい、ということを記した手紙に...認知症の人が天国に行ったら

  • 実感が少しずつ

    在宅介護の時に、入院するまでのほんの少しの期間でしたが、往診の先生にお世話になりました。また退院したらお世話になるかもしれないという思いから、入院してからは連絡していなかったのですが、お礼と報告の手紙を送りました。先生は、的確な指示とアドバイス、具体的な情報やつながりを下さり、本当に心強く、頼りにしていました。それでなんとか、あの、1番難しかった時期をやってこられた気がします。すると、先生からお返事が。ねぎらいの言葉があたたかく、中でも、『在宅介護ではたくさん悩まれましたね』という一文に、号泣でした。わかってもらえていたこと、助けてもらっていたことがありがたく。また、そうだよ、私はずっと悩んで考えて決めてきたんだよ、という緊張がとけるような感覚。そして、ああ終わったんだな、と思いました。先生からの手紙は、卒業に...実感が少しずつ

  • 実感はないけれど

    母が亡くなったという事実は理解して受け止めているのですが、依然として実感がありません。それでいて時々、ぐわーーっと来る現実に悲しくなります。母関係の事務手続きも、まだ連絡待ちのところなどありますが、だいたい終わりました。喪中はがきも注文しました。あれもしなきゃ、と相変わらず急いてしまいますが、体調も気力体力もいまひとつなので、ひとつずつと決めて行ったりやったりします。このあせる気持ちは母モードのままだからです。元気な頃は、デイサービスに行っている曜日、時間のうちにと、入院中は、いつ何があるかわからない状態だからと。そしてまだ、買い物に出て、衣料品売り場を通ると母の服を見てしまいます。無意識に、これいいかな…と眺めて、ああもういらないのか、と気づき、でもこれ着せたかったな、と、ちょっと笑えます。実感はないけれど

  • 実感がない

    認知症がアメリカで『longgoodbye』と言われているように、母が長い年数をかけていろいろなことを忘れたりできなくなったりしました。私は、ああもうできなくなったなあ、もうあそこには行けないんだなあ、ここに一緒に来ることはないんだなあ、などとひとつひとつ納得したり残念に思ったり。入院も1年過ぎたので、離れている時間にも慣れました。長い年数の中でそういう思いをしていたので、今、母がいなくなっても少しは受け止められていると感じます。もう一緒にできなくて、行けなくて残念ではなく、思い出がありがたいです。1度も着ていなかったり、まだきれいな服は、叔母にもらってもらいました。母がよく着ていた服は、とっておきます。今日も少し片付けをしていて、母が常用していたバッグの中にティッシュケースとガーゼのハンカチを見つけて、おかあ...実感がない

  • 母、亡くなりました ⑤

    火葬の前に、1人ずつ最後のお別れの言葉かけをしました。炉の前でお焼香をして、扉が閉まり、我々は控え室に。私は葬儀社からの説明など聞いて、後は母との思い出話、朝ドラの話などして待ちました。時間が来て、拾骨室に。骨でもまだ母がいるので、おかあさんに会える、と駆け込みましたが、母の骨をひと目見て、少ない…と思いました。ですが、年齢的にも、骨粗鬆症だったし、これくらいか、と納得しました。父の時が、標本のようにしっかり骨が残っていたので、それに比べたら、ということで。最初は順番に、そしてみんなでお骨を拾い、最後に喉仏、耳、頭蓋骨などの説明を受けて母の骨は骨壷に収まりました。父は骨の量が多過ぎて、頭蓋骨をつぶさせていただきます、と言われたほどぎゅうぎゅうだったなあ、としみじみしました。自宅安置も納棺も出棺も火葬も無事に終わ...母、亡くなりました⑤

  • 母、亡くなりました ④

    翌日の午後に火葬でした。親戚には電話で済ませましたが、どうしても母の顔を見たいという叔母から、間に合うように行く、と連絡を受けました。母のもう1人の妹です。移動に半日はかかるので、大急ぎのようでした。午前中は割とのんびりだったので、棺の横で、母の好きだった歌をYouTubeで流したりして過ごしました。近隣の叔母、そして遠方の叔母と、その娘が到着し、またひとしきりみんなで涙にくれました。アルバムを見たり、昼食をとったりして、ちょっと休んでいると葬儀屋さんが来たので、近隣の叔母が用意した花をみんなで棺に入れることに。葬儀屋さんが、「まずお庭の花を入れましょう」と言うので、ちょうど咲いていた花、小さな実などをとって、母の胸の上に置きました。それから、用意した花を私が茎を半分くらいに切ってみんなに渡し、母の顔の周りに飾...母、亡くなりました④

  • 母、亡くなりました ③

    近くに住んでいる母の妹、叔母夫妻が来てくれました。涙にくれつつ、亡くなった時から納棺までの経緯や思い出など話し、翌日の火葬にも立ち会ってくれるとのことで、時間の確認などしました。棺の中に花を入れるのは、出棺直前ということで、その花の用意を叔母に頼みました。葬儀屋さんが、お花を用意しますか、と言ってくれましたが、母の好みがあるので、こちらで用意しますと伝えていました。母は、小さい、かわいらしい花が好きなのです。叔母は母の好みを知っているし、花が好きなので。火葬だけとはいえ、喪服を着るので、一応試着を。父の時に購入したのは、きつきつになってしまったので、何十年も前に購入していた、ストンとした型のワンピースに黒いカーディガンにしました。喪服など滅多に着ないものを、痩せている時に買うものじゃありませんね。その先の体型の...母、亡くなりました③

  • 母、亡くなりました ②

    預かり安置と自宅安置を選べたので、一晩でも母を帰宅させたくて、また、一緒にいたくて、自宅にしました。かつて母の介護用ベッドを入れていた部屋で、スペースはあったのですが、ちょっと片付けなければならない。家に着いたらあれをこうしてあれをあっちに移動して…などと考えながら帰り、帰宅してからは葬儀社の係の人の指示に従って用意するものを出したり打ち合わせをしたり。納棺師の方が来られて、初めに、「逆さ水を用意して下さい」と言われ、初めて聞く言葉でしたが、あああれか、と思いつきました。昔、私がぬるま湯を作ろうとして、カップに水を入れてからお湯を入れたのを見た母が、それは人が死んだ時にする事だと言っていました。通常はお湯を入れてから水を入れて温度を調節し、故人の体を洗ったり拭いたりする湯灌の時に使うのが逆さ水だそうで。そして納...母、亡くなりました②

  • 母、亡くなりました

    リモート面会の予約を入れた時に様子を聞くと、食事も全部食べて、歌って、おしゃべりしていると言うので、ああ落ち着いたかな、と思っていました。その2日後、病院から連絡が。昨夜から容態が悪く、今朝検査しようとしたら意識がなくなった、と。急いで駆けつけました。家から最短だったと思いますが、30分くらいかかり、医師の説明を聞き、病室に入ると、母の意識はほとんどないようでした。でも、おかあさん!と呼ぶと、うなづくように顔が動きました。また、おかあさん!と呼んで同じような動きがありましたが、それきりでした。老衰でした。私は母にすがって、ひとしきり号泣した後、あ、この後処置があるんだ、と我に返り、看護師さんに、大丈夫ですので処置を、と言いましたが、たっぷりお別れの時間を下さいました。清拭が終わった母は、亡くなった方専用と思われ...母、亡くなりました

  • 今回も底力

    先月くらいから食べなくなって、点滴できる時はするけれど、後は自然に…ということになっていました。その後特に連絡もないので、同じ状態なのだと思っていました。先日リモート面会に行き、画面に映し出された母は、ほとんど寝ていた最近の様子に比べ、起きていて、元気そうだな、と思いました。看護師さんによると、また口から食べられるようになったとのこと。ああっ、そうなんだ!びっくりしました。これまで何度も弱っては底力で挽回して来た母。でも食べなくなったのは、いよいよそういう時期に来たのだろう、また口から食べることは難しいだろう、と思っていました。それが、またまた底力を発揮!母の命の強さには驚きます。もう死ぬ、こんなに生きると思わなかった、と言ってた70代。認知症になり、早く死にたい、死にたいと毎日言い、殺せ!と叫んでいた母。それ...今回も底力

  • 母に会えた! でも…

    先日、母の主治医から話があるというので病院へ。母の状態を聞くのは、コロナ禍でずっと電話のみだったので、これは院内への立ち入りが緩和されてきた?直接の面会もそのうちに?と、ちょっと期待を持ったりしました。話というのは、母が飲み食いしなくなり、診察、点滴も拒否しがち、母の血管が細いこともあり、数人がかりでやっとできることもあるが、自分で抜いてしまう危険性がある、両股関節の骨折も完治していないが動いてしまう、などの現状でした。そして今後は、病院としてやれることはやるけれど、後は本人がどこまで頑張れるか、だと。年齢、認知症の重度さを考えても、自然にまかせていく、という方針を確認しました。話の後、思いがけず、ちょっとだけですが母に会えました。ほとんど寝ていましたが、声をかけ、髪や顔、手をさわったりできて、ほっとしました。...母に会えた!でも…

  • 母のしわしわ顔にクリームを塗りたい

    先日、病院から連絡があり、微熱が続いていて食欲もなく点滴をしている、寝ていることが多いとのことでした。翌日がリモート面会の予約日だったのですが、眠っているかもしれませんが、様子は見られます、と言われました。それでもいいからと行ってみたら、やはり眠っていました。声がけはしてみましたが、反応はありませんでした。薬のせいもあるかもしれません。でも、その日はご飯も食べ、熱も下がったと聞かされ、ほっとしました。思えば面会のうち、調子が悪かった次の面会では必ず良くなっていました。2回続けて悪いという事がありません。体調を崩していると聞いた後の面会でも回復していたり。なので、今日は調子悪かったな、と思っても、次は元気になっているだろうと思うのです。ずっとその繰り返し。やせて、しわしわになった顔を見ると、在宅の頃はいつも母に、...母のしわしわ顔にクリームを塗りたい

  • 霊感はないけれど

    バス停でたまに会う人がいて、名前も知らないのですが、同年代の女性で、バスが来るまでのせいぜい2、3分にちょっと話すようになりました。父親はすでに亡くなり母親が同い年。うちは入院中、向こうは施設に入所。似ているところがあり、会うと、いかがですか?変わりないですか?と聞き合いました。先日久々に会ったので話すと、その女性の母親は亡くなったとのことでした。急だったようです。認知症だけど元気、というところもうちと似ていたので、驚きました。そして、次はうちだな、と思いました。元気でも急にその日は訪れる。母はいつ心臓が止まってもおかしくないと言われて1年が過ぎました。女性は、「年も年だし、覚悟はしてたんですけどね。でもやっぱり親となると…」と、目を赤くしていました。私もとっくに覚悟はしていました。でも思い描くだけで、覚悟なん...霊感はないけれど

  • 右の大腿骨も骨折

    先月、左の大腿骨を骨折した母。先日、右の大腿骨も骨折しました。リモート面会に行くと、両脚なのでさすがにベッドで安静にしていました。微熱があるものの、体調に大きな変わりはないとのことですが、時々「痛い」と顔をしかめる他は、表情もとぼしかったです。話しかけても反応はあまりなく、すぐにうとうと。熱があっても骨折しても、今までがあまりに元気過ぎたくらいで、これが普通なのかもしれません。微熱がひいて、痛みがやわらげば、また笑顔が見られるでしょうか。きっとまた底力を発揮して元気な様子を見せるのでは、と思って行きましたが、弱々しい姿に心配になりました。右の大腿骨も骨折

  • 感染者激増

    母はとても元気。1人で勝手に歩き回っているようです。そのつど介助してもらって。どうしても動きたい気持ちが1番になってしまう。体調に変わりはないとのこと。先日、母の姪っ子が夏らしいカードを送ってくれました。スイッチを押すとメロディが流れ、花火が光るというもの。リモート面会の時に、画面越しに母に見せました。びっくりしたように見入っていました。裏面には手紙が書いてあったので、差し入れました。後で看護師さんが読んだり、カードの操作をしてくれるでしょう。姪っ子の母親は母に差し入れをしたいと、お菓子を探していたそうですが、コロナの感染者の多い所から送っても嫌がられるかな、と心配し、もう少し落ち着いたら送るね、と言っていました。姪っ子もカードを送る時、消毒したそうです。私も封筒とカードを、除菌シートで拭いて持って行きました。...感染者激増

  • 歩き回る母

    結局、私のワクチン接種2回目の副反応は、接種部位の痛みと腫れで済みました。ちょっとだるくて疲れやすい感じはありましたが、ほぼ普段通りに過ごせてほっとしました。母は、先月大腿骨を骨折して、手術はせず温存療法なので、まだ骨はついていません。病院では、筋力低下を防止、また骨が正しい位置でつくように維持するリハビリなどしているそうです。ただ、元気過ぎる母は勝手に起きて歩き回ってしまうようです。骨折した時は、いよいよ寝たきりかと思いましたが、歩き回っていると聞き、その底力に驚くばかりです。熱があろうが骨が折れていようが動かずにはいられない。スタッフさんの目が届かない所でまた転倒する可能性もある。それで、『あんしんガードル』を用意することになりました。ガードルの横にポケットがついていて、そこにパッドを入れ、転倒して床などに...歩き回る母

  • ワクチン接種 2回目

    先日、私は2回目のワクチン接種を終えました。2回目の副反応がひどいという事を多く聞いていたので、とても不安でした。熱が出たとしても家の中は動けたら…と願っていました。当日は、朝に家事を済ませ、もしかしたら帰宅してすぐ寝込むかもしれないと、解熱剤、飲料、体温計などを用意しておきました。接種は滞りなく終わり、待機時間も問題なく過ごし、帰宅。数時間すると、接種部位が痛み出しました。1回目より早く、痛みもひどかったです。ああこれが2回目か。これからどんな症状が…と思いつつ、おそるおそる普段通りに過ごしました。腕も、痛みはありますが、通常の動きはできました。でもその後、目立った症状はありませんでした。眠気と、少々のだるさは副反応なのか、台風接近の気圧のせいなのか。熱が出ているのでは、と何度もはかりましたが、いたって平熱。...ワクチン接種2回目

  • 驚く程元気な母

    リモート面会に行って来ました。大腿骨を骨折して、ほとんどベッドで過ごしている母ですが、とても元気そうでした。看護師さんによると、体調も良く、食欲もあるとのこと。表情も良く、声にも張りがありました。行動に制限ができて、しずんでいるのではと思っていたので、驚きました。面会が始まる時、タブレットの画面が切り替わり、映し出されたのは、母とは違う人でした。全く似ていないとも言えない外見で、え?え?母?と一瞬迷いましたが、看護師さんが間違えて、他の人につないでしまったのでした。その後、無事に母とつながりました。ほんの数秒ですが、最初に間違えて映った人は、画面越しの私に、「ああ〜!会いたかったよーー!」と言いました。その人も私を誰かと間違えていました。喜んでいるというより、ちょっと悲しそうな言い方だったので、今日、リモート面...驚く程元気な母

  • ワクチン接種

    母は先月、病院でワクチン接種したとのこと。私も先日、1回目の接種を終えました。医療従事者の友人が、5月に済ませており、その様子を聞いていました。やはり2回目の副反応がひどく、熱、全身の節々の痛み、頭痛、接種部位の腫れと痛み…。寝込んで仕事を3日休んだそうです。全ての症状がなくなったのが1週間後で、その後の体調は接種前と変わりないと。私は、接種した日の夕方から接種部位が痛み出しました。でも動かせるし、翌日の朝にはほとんど良くなっていました。でも、友人も1回目はそんなものだったと。で、2回目が大変なことに。なので私も2回目が怖いのですが、この先、母との面会が緩和された時に、ワクチン接種済みは大きな条件になりそうで。この友人は、私が聞いた中で最も強い副反応が出た人で、他の人は発熱しても1〜2日で下がったとか、ちょっと...ワクチン接種

  • 大腿骨骨折

    母、転倒して大腿骨を骨折しました。高齢者にはよくあることで、母がいつなってもおかしくないと思っていました。意外とならないものだなあ、とさえ。それで、連絡を受けた時、あっ、ついに!と思いました。医師の説明、見解を電話で聞きました。手術するとしたら、自分の骨をくっつける骨接合術と言われる方法。歩けるようになるかもしれないが、手術は心臓に大きな負担がかかる。手術しなくても安静にしていれば1〜2ヶ月で骨はつくかもしれない。ただ認知症がひどく安静にできない、歩けなくなる可能性もある。心臓はいつ止まってもおかしくないと言われている母に、手術は危険と考え、保存療法をとりました。骨折から数日は熱が出たりしましたが、今は落ち着いているようです。リモート面会もして来ましたが、元気そうでした。いつものイスではなく、ベッドをリクライニ...大腿骨骨折

  • 介護でできたクセ 追々記

    今朝、気づきました。これも介護でできたクセだなあと。私は起きるとすぐ自分のことを終わらせてしまう。化粧や、予定に合わせた荷物、着替えの用意。化粧はごくごく簡単なものですが。母が在宅の時は、朝、母が起きる前に済ませます。母が起きたら母にかかりきりになるので。具合が悪くて病院に、という時などは余計にバタバタして自分の事どころではありません。そのクセが今も続いていて、自分の身支度と仏壇のお供えを済ませてテレビ体操をするという朝です。化粧はそれきり手を入れないので、外出しても、庭仕事をした後も、顔の汗を拭いた後も、ほったらかし。外出時は、今はマスクもしていますし。なので、朝のごみ出しの時が、人前に出た時としては1番ちゃんとしているかと思います。母が家にいない今、化粧は起きてすぐではなく、出かける前にした方がいいとは思う...介護でできたクセ追々記

  • 介護でできたクセ 追記

    思い出したクセがもうひとつ。私は大笑いする時に、手を叩くことがありました。母が家にいた頃は、母が寝てからテレビのバラエティなど見て、あはははバチバチと笑っていました。でも段々、そうすると母が起きてしまうようになりました。早くベッドに入るものの、眠りが浅かったりするのでしょう。起きて来て、「何か言った?」などと言い、そのまま茶の間に座り込んでしまったり。ほとんどテレビの内容はわからなくなっていたので、自分の話をしたり歌い出したり、あちこち物を動かしたり出したり壊したり。それで、1人でテレビを見ていて思わず笑ってしまうと、はっとして止めたり、声を出さずに笑うことが多くなりました。でも動作には出てしまうので、手を叩くのではなく、自分の脚を服の上から叩くようになりました。こたつの時期はこたつ布団をばふばふと。そんなクセ...介護でできたクセ追記

  • 介護でできたクセ

    ある時、ふと気づきました。私…身振り手振りが大きいのでは、と。亡き父は耳が悪かったので、大きな声で話さないとだめでした。でも聞き取れないことも多く、筆談もしていました。ノートを作って、連絡事項や覚え書きなど、何かあると書き込んで、見せたりもしました。と同時に、ジェスチャーも大事な役割を担っていました。大きい、小さいなどは手の上げ下げだったり、暑い寒いは、ふるえたり手で顔をあおぐ。ご飯は食べるマネ。様々な事をジェスチャーで伝えていました。大きく口を開けると、それでわかることもあり、か・い・も・の、と大きく口を開けながら、車のハンドルを持って動かす動作をすると、買い物に行って来ます、の合図になったり。そんなことを毎日やっていたのが身について、父がいなくなって何年も経つのになお、私は話す時に身振り手振りが大きなままで...介護でできたクセ

  • 介護のトラウマ??

    先日のリモート面会でも母は元気でした。看護師さんの話では、相変わらずご飯は進まず、栄養補助のゼリーを追加。それも1日かけて食べているとのこと。それでもここ何回かの面会のうちでは動きも表情も良く、途中で「それでは失礼します」などと言って立ち上がる様子もスムーズでした。私は、母が在宅でデイサービスに行っていた頃も、気分転換が下手でしたが、ものすごく時間がある今も、まあまあ下手です。いつどんな連絡が来るのかという緊張もあるし、また在宅介護になるかもしれないので油断できないという日々。以前からの図書館通いも再開しましたが、このご時世で滞在時間は短く、という決まりのため、予約していた本を取りに行き、新刊の棚を眺めるくらいです。先日、その新刊の中に、気になっていた色鉛筆画の本を見つけました。母がデイサービスに行っていない時...介護のトラウマ??

  • 母、回復

    体調を崩しがちの母、先日のリモート面会では元気そうでした。病院からは、体調の変化や治療などの連絡はありますが、経過や回復の連絡はないので、何もなければ様子見しているか回復したと判断するしかありません。その期間がもやもやするのですが。まあ、回復して良かったです。でも、看護師さんによると、食があまり進まないとのこと。看護師さんが手伝って、食べられる時でやっと半分くらい、と。先月からそのような状態も続いていて、点滴になるか検討されていました。これも加齢であり、認知症の進行なのでしょう。誰もが驚く底力で乗り越えてきた母ですが、ここから食欲が増進することは期待していません。好きなもの、食べられるものを少しずつでも楽しんでくれたらと思います。もう今年も半年が過ぎる月になりました。去年の今頃は、初めてのショートスティに行った...母、回復

  • 母、調子上がらず

    母の妹である叔母が、リモート面会したいというので先日一緒に行って来ました。看護師さんの話では、続いていた微熱は無くなったようですが、なかなか体調は良くならず。寝込むほどではないのですが、動くと苦しい様子。食事、水分もあまりとれていないので、点滴になるかもしれない、とのことでした。ただ、母はいつものように歌い出すなどして。それがリモート面会では初めて聴く歌だったので、叔母と、何の歌だろう…と考えながら手拍子をして。東京音頭じゃない?桜島が出て来るから違う、などと言い合い、母が繰り返し歌うところを一緒に歌い、それはそれで楽しい時間でした。最近の面会では口数も少なくなり、疲れも見えるように。看護師さんによると「電車で行きたい」と言ったこともあったそうで、ああどこかに連れ出したい、と思うもののコロナで直接会う面会もかな...母、調子上がらず

  • 母への呼びかけ

    今週のリモート面会の時、体調があまり良くなかった母。ゆっくり話せば大丈夫です、と看護師さんに言われ、話はできました。途中、ふらっとする事もあり、口数もいつもより少なく、早々に切り上げ休んでもらいました。横になることはあっても、普段は起きて変わりなく過ごしているようです。面会の時に、母のサポートをしてくれるスタッフさんが、「娘さんですよ」と言うと、「娘…。娘はね、私にそっくりなの。みんなそう言うの」と言いました。私は母に似ていると言われた事はありますが、そっくりではないし、母は以前、私は父似と言っていたので、私のことなのか、誰を思い浮かべているのかはわかりませんが、それでもなんだかうれしかったです。母の日のカーネーションも差し入れたかったですが、花を口に入れてしまうので、やめました。去年からは、おかあさん、と言わ...母への呼びかけ

  • 早くも5月

    早くも5月になりました。母はまだ入院中。体調を崩しては回復する繰り返しです。去年は、年を越せるのかさえ不安視していました。来年の桜の頃まで生きていたら奇跡とも思いました。それは難なくクリア。コロナのワクチン接種の案内が自治体から母宛に来ましたが、母は病院で接種するようです。まだ具体的な話はありませんが。医療従事者の友人は、近々接種するようですが、副反応が怖いと言います。母は呼吸器が弱いので接種はさせたいのですが、副反応も心配ではあります。今後も体調を崩しては回復する繰り返しになるでしょう。身体、認知症共に良くなることはないので。直接部屋で会えない、ちょっとした世話もできないことが歯がゆいです。早くも5月

  • 母の笑顔

    母が入院中の病院から、写真が送られて来ました。食事をしている様子が数枚。添え書きに、『以前より笑顔が増えて来ました』とありました。母は、本当に笑顔が印象的な人でした。人と話す時はもちろん、病院、銀行の窓口で番号を呼ばれて向かう時も、いつも笑顔。写真はどれも笑顔。通っていたデイサービスでも、母の笑顔がいいと何度も言ってもらいました。母を思い出す時、みんなその笑顔が浮かぶと思います。そんな母が。家にいた時も、言動が荒々しかったり、顔がこわばる事がありました。さらに進行して、表情がとぼしくなったのでしょう。それが少し落ち着いて、笑顔も出てきたのかと。リモート面会では、まだ笑顔があると思っていました。なので、今回の添え書きに、不意をつかれた感じでした。確かに前回も今回も送ってもらった写真では、笑顔というにはあまりにうっ...母の笑顔

  • 母の服

    どうせなら暖かくなるまで入院できたら、と思っていましたが、すんなり長引いています。体調を崩しては回復する繰り返し。発熱しても歩き回る認知症の底力。検査も難しくなっていると思いますが、なんとかレントゲンと採血はやれているようです。私も暖かくなって、片付けがしやすくなりました。民芸品や日用品は少しずつ処分。亡き父の物も、また1段階見直したい。母の物は、古い寝具や下着などは処分しました。母はおむつになったので、未使用と、まだ大丈夫なパンツは全部私の入院用具入れに。洗濯じゃなくはき捨ててもいいように。病院から、着替えの服をまた何着か、と連絡が来て、どんな物がいいかと聞くと、ボタンのない物、とのこと。母は異食があるので、取れたり取ったりして誤飲する可能性があるので。そうか。じゃあこのカーディガンも飾りのついたベストもだめ...母の服

  • 微妙な緊張続き

    母が入院してから、いつ退院の話が来るかと待ち構えていました。希望としては、退院からの特養入所。そのためには、1ヶ所申し込みはしていますが、もう何ヶ所か探しておいた方が。もし入れる所がなくて、それでも退院しなければならないとなったら、また在宅介護になる。あるいは、病院側の差し迫った事情で、家に戻れる人は戻ってもらう、などとなるのではないか。そんな事を1人で勝手に考えて、母の介護グッズはほとんどそのままありますし、新しく購入して未使用の物もあります。家の中の張り紙など、はがしたものもありますが、『トイレ』『おふろ』と大きく書いてドアに貼った紙はそのままです。これも、母が帰宅した時を思って。介護用ベッドもまた搬入できるようにスペースも空けてあります。今までは、なんとなく、また在宅になるのではという思いが大きかったです...微妙な緊張続き

  • 母が私の名前を

    3月になってもまだ入院中。先日、病院から連絡があり、コップをもうひとつ用意して欲しいと。入院時に、歯磨き用と、母が家で使っていた湯呑みを持たせたのですが、歯磨き用はそれ専用として、湯呑みで水やお湯など飲んでいるのでしょう。母は便のついた手で湯呑みを触ったり、湯呑みの中に便を入れてしまうようで。それでもうひとつあるといいのですが、とのことで。弄便はだいぶ落ち着いたと聞いていましたが、まだなかなかのことをやっているのだなと思いました。先日、リモート面会に行きました。画面越しに母を見て話しかけて。その日は割といい顔をしていました。画面もしっかり見るし、いつもあやふやに歌っている歌詞もだいたい出ていました。すると、そろそろ制限時間という時、私を見ているであろう母が「うちのぼくちゃん」と言いました。男?!と思いましたが、...母が私の名前を

  • 入院は続く

    当初の入院予定期間が過ぎ、まだいていいのだろうかと思っていると、主治医からの話があると連絡が。何日の何時に電話があります、と。どうなるかな。退院と言われるかな、と思いつつ電話に出ると、認知症の主治医ではなく、内科の主治医でした。このところ、心臓のことで、看護師さん、相談員さんからたびたび連絡はもらっていました。先生の話も、その経過について。昨年からの徐脈も、投薬で落ち着いていましたが、効き目がなくなっている、と。心臓への負担を軽くするため、利尿剤を増やして様子を見るしかないようです。1年くらい前なら、通院での診察の時は、聴診器をあてるのに自分で服を上げたりしていましたが、今は診察に抵抗して、あまりよく診られないようです。今後、状態に合わせて対処していくけれど、心不全が悪化、急変したり、突然死もあり得るので承知し...入院は続く

  • 母は今

    面会は緩和されるどころか、今一度、コロナ禍での規則の認識をと、書面が送られて来ました。先日、リモート面会の予約をし、母の妹夫婦が行きます、と言うと、「どちらから来られますか?」近くであることを伝えると、「それなら大丈夫です」遠くからの移動だと難しいようです。面会して来た母の妹、叔母の報告によると、「私のこと、わかんなかった」兄弟の名前を言ったり、自分が母にかわいがってもらったことなど話しかけ、付き添いの看護師さんもフォローして下さいましたが、母は唄い出したり、「あっちに行く」と立ち上がろうとしたり、叔母が映っている画面を見ることも、あまりできていなかったそうです。母は、おかあさんと呼ばれても自分と思わなくなりましたが、兄弟の名前を口にすることはあったので、子供の頃に戻っているのかと思っていました。叔母とは、兄弟...母は今

  • ワセリン

    昨年、入院することが多かった母。おむつかぶれ、ただれがひどくなりました。夏に退院した時には、皮膚科に行った方がいいかもしれませんと言われました。家に戻って見ると、最悪の皮膚の状態。そこに排泄物がしみて痛い。痛いから触られたくないのでおむつ替えも拒否。便が1日に少しずつ何回も出るので、それも悪影響でしたが、なんとかなだめすかし、ヘルパーさんが低刺激の泡石けんで洗浄、軟膏塗り、水分をはじかせるため、周囲にワセリンを塗る、を根気よくていねいに続けてくれたおかげで、すっかり良くなりました。ワセリンは、退院前の打ち合わせの時に、必要と言われていたので市販の物を用意。その後、往診の先生に処方してもらえるからと言われ、そうしてもらいました。プロペト、という名称のチューブ入りでした。認知症の病院に入院してからは、面会禁止なので...ワセリン

  • 新しい年

    母は病院で無事に年を越したようです。新しい年を迎えたようです。リモート面会の予約を入れた時も特に緊急の話はなかったので、変わりなく過ごしているようです。予約は来週取れました。介護用品レンタルの業者さんから連絡があり、入院が長引いているし、メンテナンスも含めて一旦引き上げます、とのこと。母が入院して数ヶ月、ずっと部屋にどーんと置いてあるベッドがなくなります。本来の入院予定なら、そろそろ退院の、退院後の話があるはず。その時期にベッド引き上げ。レンタル業者さんの独自の決定ではないでしょう。とすると、まだ入院は続くのかもしれません。これからしばらく厳しい寒さが続くので、どうせなら暖かくなるまで病院にいた方が体調は安定するかなあ、とも思います。コロナは終息に向かうどころか感染が広がるばかりで面会は見通せず。毎日のように通...新しい年

  • 母のいない年越し

    今年はもう病院からもケアマネさんからも連絡なく。今年の年越しは家に母がいません。私が出かけたり離れて暮らしていたり、父が年またぎでの入院で、おおみそかに家にいない事はありましたが、母が家にいないのは初めてです。もう数年前からおおみそかもお正月もわからなくなりましたが、年越しそばを食べ、おせちを食べました。コロナで面会ができない事もわかりませんが、誰も見舞いに来ないと怒ったり、悲しんだりする事もないのは、いいのかもしれません。どうしてるかなあ。何か考えているかなあ、と気になりますが、他の方々と集まるフロアでは、楽しく過ごしているという話も聞きました。今後どうするかという話も出て来ると思うと、弄便や異食のある母はどこでも大変だろうなと思いますし、在宅では退屈だろうなとも思う。母にとって何が、どこがいいのか。認知症が...母のいない年越し

  • 日めくり

    例年ですと、もうとっくに来年の私の自室用カレンダーや母用の日めくりカレンダーを用意しています。茶の間のカレンダーは、どこかお店や会社でいただいたのを、企業名を切り取って壁に掛けます。日めくりは、母が、今日は何日かわかるように。月は、その横のカレンダーを見れば大きく書いてあるので。要介護度認定調査の時に、今日は何月何日ですか?と聞かれて、「今日は…」とそのふたつを見て答えたりしていました。でも、ここ数年は月日はわからなくなり、カレンダーも日めくりも見なくなりました。まだ入院中という事、退院後は施設に入所かもという事もあり、今年は買いませんでした。今私は家にいる時はほとんど茶の間で過ごすので、自室用カレンダーも買っていません。そういえば以前はトイレに脳トレや豆知識が書かれたカレンダーも掛けていました。それもいつから...日めくり

  • 苦手になった言葉

    介護をしていて余裕がないと、人の言葉が引っかかることが多いです。瞬時にゆううつになったりがっかりしたり、後で思い出してムッとしたり疑問を持ったり。いくつかのそんな言葉の中で、すっかり嫌いになったのが「がんばって」介護をしている人から「がんばろう」と言われるなら違う印象があるのですが、「がんばって」だと、突き放された感じがして。ここ数ヶ月は特に、母の現状を話すと、最後には決まって「じゃあ、がんばってね」施設入所を考え始めていた頃なので、母はまだ在宅でやれる状態なのか?それじゃ、母の入所イコール私ががんばらなかったからなんだ、と思えました。でも、母が入院してわかりました。もうとっくに私の手には負えなかった。去年…今年初めくらいまでは、母は入所の意味がわかり、嫌がったでしょう。ショートにも行き始め、入院を繰り返してい...苦手になった言葉

  • 忘れられるということ

    先日もリモート面会で元気な様子を見ましたが、もうすっかり私の事は忘れました。お母さん、と呼びかけると、「お母さんは死にました」深い意味はないでしょう。自分の母親の事でしょう。ずいぶん前から、自分がお母さんだという認識はありません。「お母さん?お母さんはあなたでしょう?」などと言われたり。母をお母さんと呼ぶのは私だけで、その呼び名を大事にしたかったのですが、混乱するようです。名前で呼ばれた方が自分だとわかるのです。介護をしていた知り合いが、「みんなの事は忘れても、最後まで私を覚えてたの。私の名前は言えたの」と言っていて、へぇ〜いいなあ、私もそうだといいなあ、と思いました。そしてどこか、そうなるだろうなという自負がありました。でも、実際忘れられると、あれは言ってはいけないな、と思いました。そこに望みを見出せる時期な...忘れられるということ

  • 入院から1ヶ月が経ち

    先月母が入院してから、母の用事、家の、自分の用事などして落ち着かない日々でしたが、11月は(おそらく)退院もないし用事もないから、心身を落ち着かせようと思っていました。しかし。私が体調不良。それまでの疲れと気圧の変化など重なったのだと思います。ちょっと良くなって来た時、病院から連絡があり、母が高熱を出したと。その原因が足の巻き爪からの感染のようで手術をすると。ぼーっとしながら同意書にサインしに行ったり、手術当日も行ったりしました。局所麻酔で2、30分程でした。母に直接会えたのはとても良かったです。なんとなくなじみのある人、くらいには感じていたかもしれません。かなり失語が進みましたが、機嫌よくおしゃべりしました。そして同時期に、退院後を考えて申し込んでいた施設から、空きが出ましたと連絡が。こんなに早く声がかかる事...入院から1ヶ月が経ち

  • リモート面会

    母が入院している病院は、現在面会禁止。でも、時間と人数の制限付きでリモートで面会できます。予約制で、結講混んでいます。先日予約が取れたので、初のリモート面会を。病院の小部屋から画面越しに部屋にいる母とつながります。横には看護師さんがいてくれます。十数日振りに見た母は、ちょっと顔が丸くなり、元気そうでした。私の事はわかりませんでしたし、すぐに席を立とうとする。でも笑顔も見られてほっとしました。後で看護師さんに聞いたところ、認知症は進んでいて、夕方から不穏になりやすく、他の方にきつく当たる事もあるそうです。じっとしていられないけれど、昼間は割と穏やかに過ごしているとか。入院してからどんな様子か気になっていましたが、今日の感じで安心しました。まだしばらく入院は続きますが、穏やかな時間が多くあることを願います。私も、い...リモート面会

  • 母、入院続き

    先週、気管支炎を起こして入院。2日後、病院から、夜中も歩き回って同室の人から苦情が出たので個室に移ってもらいますと電話。差額ベッド代の高さよ…。点滴3日で回復し、ただただ認知症がひどい様子。長引くかもと言われた入院が5日後には「いつでも退院できます」と。それで早々に退院し、その直後に急に話がまとまって、数日後に認知症の病院に入院。以前通院していた所で、去年から入院の話もありました。今1番大変なのは認知症なので、症状が少しでも落ち着き、楽しく過ごせたらいいのですが。家のテーブルなどに出してある物は壊したり破いたりするので、大事な物は押し入れや引き出しにしまっても、開けて出す。異食も始まり、皿に石けんを置いてペットボトルのお茶をかけて食べようとした時は驚きました。コロナ対策の消毒液、ハンドソープなども口に入れそうに...母、入院続き

  • 便に追われる日々

    苦しい、痛いと言いながら歩き回る母。身体はつらいのに認知症に操られているかのようです。私は1日何回、座って、座ってて、と言っていることか。どこかに行く、自分も行きたい、その一念で私の後をついて来るので、母が座っていたり寝ていたりすると、気づかれないようにそーーっと家の中を移動します。物音を立てないように行動します。ちょっとのことでも気づいてすぐ来るからです。お昼寝させて、やれやれとコーヒータイムしていると、ふらりと隣に現れます。もうすぐショート、と思いつつ日々をこなしているのに、先日は初日の午後に発熱して帰宅。休みたかったのに倍返し。往診医に来てもらい、その日のうちに熱もなくなり元通り。私はその夜、うなされて自分の声で目が覚めました。次のショートまで間があるので、来週あたり入れるかどうかケアマネさんが掛け合って...便に追われる日々

  • 母、ショートへ

    退院後の事は退院してみなければわかりませんね。こんなに動くとは!こんなにしゃべり続けるとは!「誰か来て下さいーーー」と呼んでおいて、何?と行くと、キョトンとした顔で「何?」認知症が進んだし、耳も遠くなったのでこちらの言う事が分からず、聞き取れず、怒り出す。テレビのニュースなど真面目に読んでいる人を見て「あの人、私をにらんでる」鏡の中の自分に話しかける。なかなか寝ない。夜中の2時にやっと寝ついて5時に起きる。私が昼間うとうとすると足で蹴って起こす。玄関のドアのカギをかけてチェーンを掛けてヒモでぐるぐる巻いて固定してもほどいて出て行く。私がトイレ、お風呂に入っている時、カチャッと鳴るとあわてます。先日も大雨の中出て行きました。1人になるのが嫌でとにかくかまって欲しい。私の後をついて歩く。ああ大変だ。在宅と決めたのは...母、ショートへ

  • 退院しました

    先週退院しました。私は、その前にとやった草取りで足腰を痛め、退院の日がつらさのピーク。暑さもあって思うように動けない中。入院中は車椅子でしたが、母は思った以上に動けて、家の中をうろうろしています。外にも出そうになります。トイレ、とも言うので、おむつはテープ式ではなくリハパン。良かった。コロナで買い物も自粛していた4〜5月頃に買い置きしていたのがまだあるので。ヘルパーさんに来てもらうのは、外部の人と会う機会として母にも良さそうです。体調は安定していて元気なのですが、認知症は進みました。家にいて「さあ、帰るか」と言います。私の事も忘れがち。母がしていた呼び方も覚えてはいましたが、私を見てから、あれ違う、という顔で呼びながら探しに行きます。相変わらず出掛けたがりで、「どこに行くの」「(迎えに)来た?」などと何度も言い...退院しました

  • 退院が決まった

    7月中に退院するかと思ったらそれらしい連絡もないまま、先週カンファレンス、退院は来週になりました。こうなったら、暑さのひどい時期なのでできれば涼しくなるまで…とも言ってみましたが、病院としても事情があるでしょう。唯一の治療であるペースメーカーができないし、他の治療もなくなったし。退院後はどこに帰るのか。いくつか案も出されましたが、在宅に。1番の不安は、命に関わる不整脈があるのにペースメーカーができないので命に関わる不整脈そのままで帰って来るという事です。帰っていいので退院なのでしょうが。往診医も決まりました。今まではリハパン使用でつかまり立ちをしてもらい、交換しましたが、今後はベッド上でテープ式おむつになるし、弄便もひどくなったので、最初はヘルパーさんに入ってもらい、指導、手伝ってもらいます。そんなあれこれを決...退院が決まった

  • まだ入院中

    退院が早まったので、そろそろかなあと思っていますが、先週洗濯物を取りにと連絡があった時、お尻拭きやティッシュ、タオルなど多めに持って来て下さいと言われ、あれ、まだまだなのか?と。単に使う量が多いからかもしれませんが。朝、看護師さんが見に行くと、手に便を握っていたりするそうだし。前回の入院の時もおむつの中に手を入れるため、つなぎ型のパジャマをレンタルしていました。歩行も困難でしたので。今回はなるべくトイレ誘導して用を足してもらうため、普通のパジャマにしているようです。でもそれも、トイレがわかっていない様子、とのこと。入院前は、リハパン使用でしたが自分でトイレにも行っていましたのに。母はちょうどお風呂に行くところで、5分だけならと廊下で会えました。私を見つけると笑顔で手を上げました。1月に入院した時はまだ普通に面会...まだ入院中

  • 母、入院中

    前回、徐脈が出て来たと記しました。その後、定期通院の際に相談したところ、心臓の検査になり、結果が悪く、ペースメーカーの手術を前提に、そのまま入院となりました。母は病棟へ。私は入院の説明や手続き。「次に会えるのは退院の時です」と言われ、身体的には良くなるけれど認知症が…と不安になりました。コロナ禍でも時間制限で面会できる病院もあるようですが、母の所は禁止。荷物も廊下で看護師さんに渡します。洗濯物を取りに来てと連絡を受け、行った時に、検査に行く母と会えたのはラッキーでした。私を見て「おーーー!」と笑ったのでほっとしました。帰り際には「じゃ、頑張って!」と手を振っていました。ですが、採血で炎症の数値が高いので検査したら、1月に股関節の筋肉に炎症が起きて入院治療したのが再発していたと判明。炎症があるとペースメーカーが入...母、入院中

  • 母、入院中

    前回の記事に、徐脈が出て来たと書きました。先週、いつもの定期通院の時に、その事を相談すると、心臓の検査になりました。その結果、命に関わる不整脈ですと言われ、ペースメーカーの手術を前提とした入院に。あれよあれよとそれからまた母は検査をしたり、病棟に。私は入院の説明や手続き。「今度会えるのは退院の時です」と言われました。コロナ禍でも病院によっては時間制限で面会を許可している所もありますが、母の病院は禁止。荷物も廊下で看護師さんに渡す方式でした。先日、洗濯物を取りに行った時に、検査に行く前の母に会え他のはラッキーでした。認知症の心配があったので、私を見て「あーー!」と笑ったのに安心。帰り際には「じゃ、頑張って」と手を振られました。しかしその後先生から電話があり、血液1月に入院治療した股関節の筋肉の炎症が再発したようだ...母、入院中

  • パルスオキシメーターその後

    先日、母がパルスオキシメーターを破壊した記事を載せました。その後、また購入しました。ついでに非接触型の体温計も。母が寝ている時でも脇に挟まず、おでこにあててピッと簡単に測れるかと。母はこのところ、脈拍が少ない徐脈が出て来たので、脈拍も出るパルスオキシメーターは役立っています。血圧も高くなったので、上腕式の血圧計で測りますが(血圧計でも脈拍は出ます)「痛い痛い!殺す気か!」とキレます。最近デイサービスでも横になって休むことがあり、家でもこれらの機器で様子を見ています。でも、数値に不安があっても、これは受診すべきなのか、受診しても待ちに待って診察して何でもなく様子見になるパターンなのかと迷いますね。この非接触型の体温計ですが、ネットでいろいろ見て迷っている時に、YouTubeで素敵な暮らしを映している方が使っている...パルスオキシメーターその後

  • M→S?

    若い頃からややぽっちゃり体型。加齢や体調でやせたり、太ったりだった母。このブログでも、2015年には服のサイズがM→L、2016年にはL→M、という記事を載せました。それからはずっとMでした。今もMでいいのですが、最近すっかり小さくなった母には大きいかなと思う物も。先日パジャマを購入した時は、Sにしました。今後また太る事はないだろうなぁと、母の服を見直して、これは大きい、これは重い、と選別すると、買い足さなくてはならないかも。そして、Mだけど細身でちょっときゅうくつかなと、あまり着せていなかったブラウスはイケるかも。M→S?

  • パルスオキシメーター破壊

    亡き父は肺が悪く、母も呼吸器が弱いため、指先を挟んで血中の酸素濃度をはかるパルスオキシメーターを用意していました。体調を崩した時に、病院へ行くのかなどの目安にしていました。数値が90台後半ならよし。90前後なら危険な状態であるかもしれない、などと。以前、救急搬送の時も、電話で、酸素は○○%です、と伝えたり。頼れる物なわけです。ちょっと前にはコロナ感染で呼吸器に症状が出ているかの判断材料にするため、ネットで多く購入されていたようです。(これで感染の有無はわかりませんが)それを、ずっと茶の間の引き出しに入れていたのですが、今は母にのみ使用するため、母の部屋のドレッサーの引き出しに入れていました。先日、お昼寝していた母の様子を見に行くと…破壊されていました。左の半透明の物はカバーです。引き出しから出し、カバーを外して...パルスオキシメーター破壊

  • 介護マンガ

    自粛中、図書館にも本屋にも行けなかったので、Kindleを利用していました。介護をテーマにしたコミックエッセイも数冊。家族が要介護になった内容には、共感したり、うらやんだり、気の毒になったり。介護の仕事をしている内容には、ただただ、ああ大変だ…と。施設のスタッフが、失敗談を中心に、だんだん成長していく、という内容が多く、その、なげきながらの頑張りが好ましかったりしました。自分の事は棚に上げて、なのですが、介護に慣れている、上手くできる、というような感じの対応をする人に、違和感を覚えます。〝あしらう〟という感じがして。認知症の人が話すと、あ〜はいはい、うんうん、ね〜みたいな。聞き流したり、適当にあしらわないとやっていけない現場なのでしょう。何度も同じ話だし。作り話だし。でも、そうするのがプロのやり方、はい次、どん...介護マンガ

  • ショートの手続き

    母は相変わらず元気。ですが、先日私が体調を崩して救急車に初乗りしました。検査結果は特に異常なく、症状からして過呼吸ではとの事。それもまた初でした。ストレスが要因なので続くようなら心療内科に行ってみるのも…と言われました。この時期なるべく行きたくない病院に数時間居座ってしまいました。そんな事もあり。以前から心配していた、私が母の世話をできなくなった時のために、ショートスティへのつながりをつけておきたい。その手続きが進みました。ちょっとほっとしました。ショートの手続き

  • GW

    ゴールデンウィークもコロナも関係なく元気に過ごす母。ケアマネさんが、「悪いウイルスが流行っているので遠出はできませんね」と言うと首をかしげ、フッと笑って「そうかな」疑っていました。出掛けたがりの母は、私がコロナの事を言っても、自分を外出させないための口実と思っているのです。テレビを観ていて、「ウイルスっていうの流行ってるの?」と言う時もあり、そう。世界的に大変な事になってるんだよ。と教えると、「このへんにも来てるの?」来てるよ。「じゃあ、家の中に閉じこもってる」そうね。それも困るけどね。ありがたい事にデイサービスにはまだ行けています。母は昔から呼吸器が弱いので、マスクはつけ慣れていますが、病院の待ち合い席で、イスなどに触れた手で目をこすったり、指を噛んだり。先生と話すのに失礼と思うのかマスクを取ったりするのでハ...GW

  • しょうがない

    介護の話、困っている事などを聞いてくれる人がいます。うんうん、あ〜、と理解している相槌を打ちながら。でもいつも最後には「しょうがないね」それで終わり。主治医にも、困ってる事はないですかと聞かれて、こういう事が…と言うと、「それはしょうがないですね」となります。認知症になって10年だから。年寄りだから。だから介護者が困るのもしょうがないのか。話を聞いてもらうだけで…、という事もありますが、「しょうがない」と言われると、ああこの人に話してもしょうがないんだなと思います。介護の大変さはしょうがないんだ、と思うと誰に話す気もなくなります。今は、一緒に介護にあたってくれるデイサービスのスタッフさんが頼りです。しょうがない

  • 次々に…

    今朝、母が脇腹を押さえて「痛い痛い」と。背中から腰にかけて痛みがあるようで。ああまたか…まったく次々に出てくるよ…と思いつつ、デイサービスに欠席の連絡を入れ、整形外科のホームページを見ると、かかりつけ2ヶ所が休診。土曜日だったり先生の学会出席だったり。第3のかかりつけである総合病院しかない。ただでさえ病院に行くのは疲れるのに、この時期。ただでさえ来週再来週と母の通院予約が入っているのに、予定外の受診。緊張と不安しかありません。病院もまあまあの混み具合。なるべく密集していない端の席に座り、名前を呼ばれると大きく手を振ってアピール。今、骨折のため腕にギブスをしているので、まぎらわしく、係りの方が「レントゲンは肋骨でいいんですよね」と、カルテとギブスを見てとまどっていました。結果は異常なし。湿布が処方されて終了。帰宅...次々に…

  • 続いて骨折

    数週間前に退院した母。元気になったものの、やはり足腰は衰えていたようで、自宅で転倒して手首を骨折しました。ギプスをしています。また痛みがある上、利き手なので何かと不便があります。食事は左手でスプーンやフォーク、そして手づかみ、あるいは皿から口へ直に、ほとんど完食。歯磨きも左手でなんとか。介助としては着替えとお風呂、トイレが手間取ります。相変わらずの出掛けたがりで、今日はどこにも出掛けないと言うと不機嫌に。基本、本当に元気です。ケガをした事は忘れるので、「私、どうしたの」「こっち(左手)は痛くないのにこっち痛いんだよ」「なんでこんな色に」(むくみと内出血)などなど目にするたび新鮮な驚きと困惑。そうでなくとも冬は気持ちがふさぐのに、コロナと母の入院、ケガで、沈み切ってるなあと思いました。今朝目覚めて浮かんだのは〝マ...続いて骨折

  • 入院していた母

    股関節付近の筋肉に炎症を起こして痛みがひどくなり、点滴治療とリハビリのため、1ヶ月弱入院していました。最初の受診と検査から翌週の再検査までの間に、初めての真夜中の徘徊や、夜通しのひとり言などがありました。微熱もあったせいか、体調も認知症の症状も悪化していました。立てない程の痛みがあるのに外に出て結構な速さで歩く母の姿に、認知症ってすごいなと思いつつ、追いかけました。治療もリハビリも順調に進み、退院も予定より早まり、デイサービスも再開。入院した時は、院内の移動もベッドのままで、なんだか認知症も進んだようで、病院側の書類作成のために、退院後はどちらに、ときかれても、どんな状態での退院になるのか検討がつかず、経過を見ながら、としか言えませんでした。「壁に虫が…」などとも言い出しましたし。もしかしたら老健か有料のホーム...入院していた母

  • 自分の今後

    図書館で借りた『親の介護をしないとダメですか?』著・吉田潮、を読みました。離れて暮らす父親に介護が必要になる。母親が、施設はかわいそうと言う中、著者本人と姉は、在宅介護は断固拒否であり、金銭面、人手面など現実的に考えて特養入所へ。そこまでと、入所してからのエピソードが綴られています。介護はしないとは言え、実家には駆けつけるし、施設選びをし、入所してからも通い、父親の下の世話などもかいがいしくしています。家族の仲も良く、団結している感じ。帰りたがる父親、かわいそうと言う母親に対し、初志貫徹。一時帰宅をさせた母親が、夜中の下の世話などで疲弊しても、在宅介護は無理だと納得させるためにあえて助けない。そのきっぱりさがいいなと思いました。ふと自分の今後を思い、どんよりします。これからも長いであろう在宅介護に専念できる程の...自分の今後

  • 元気に新年

    朝トイレで座ったら、母が汚したであろう便座カバーでひゃっ!となる、今年を占うような元旦でした。昨秋、体調を崩しましたがすっかり元気になった母。よく、明るくていいねと言われますが、明るい、陽気を通り越してハイテンション。先月の要介護度認定調査では、ほとんどの質問に踊ってごまかしていました。最近は自分の名前もあやふやな時があり、病院の検査の前に本人確認のため名前を聞かれると、私の名前を言っていました。言葉も出にくくなり、ずっと調子良く長電話していた自分の妹ともが続かず、すぐ私に受話器を渡してきます。ここ数年、心臓の検査で、気になるところも出てきました。治療や入院という程ではなく、ちょっと数値が…というくらいですが、弱ってきている事は確かなようです。とりあえず、ものすごく早寝早起き。食欲もあり、歯磨き後、寝る前のつま...元気に新年

  • 母、回復。便、確認。

    母は体調も食欲も戻り、元気になりました。また以前のせわしない母が復活。誰もが認める、回復が早く何度でも復活する底力で。ただ、おむつは引き続きつけています。自力でトイレには行きますが、あやしい時があるので。心配なのは、また便秘になるのではという事です。そんな中、排便ありと確認できる時があります。便そのものが私の前に現れてくれるのです。ゴミ箱の中に。台所の生ゴミ入れに。そのものが入っていたり。ペーパーで包んだ物が母の部屋の鏡の前に置いてあったり。ズボンのポケットに入っていたり。なんだこれ、うわあ…となりますが、片付けつつ、出たんだ、と思います。秋から腸以外でもいろいろと通院が続き、救急搬送もあり、やっと落ち着いたと思ったら昨日、歯が1本ない事に気づいてしまいました。来週からまた歯科通いです。母、回復。便、確認。

  • 母、おむつに

    母、先月に便失禁が続き、受診して下痢止めをもらいましたが良くならず、別の病院へ。前の病院では私からの聞き取りのみでしたが、そこでは医師が肛門から触診。そして、「下痢じゃなく便秘です」と。固い便が肛門を開いてそこから流れている、と。摘便をし、便秘薬が処方されました。真逆の驚き。翌週も摘便治療をし、少し落ち着いて来ました。朝のひっきりなしのトイレ通いもなくなりましたが、それはそれで、また固まっているのではと疑心暗鬼に。こんな事があり、突然のおむつが始まりました。おむつの用意がなく、すぐにおさまるのでは…と念のためにとデイ用バッグに入れていた尿取りパッドと予備はあったので、下着にそれをつけていましたが間に合わず。パッドを取ってしまうので、たちまち下着が足りなくなりました。デイを休んでいたので買い物にも行けず、こんな状...母、おむつに

  • 歯の定期チェック

    母は半年に1度、歯科での定期チェックがあります。その際、決まって難ありの箇所が指摘され、治療が始まります。診察台で治療が始まると、すぐに「もういい」と拒否するので、休み休みやったり、では次回に、となるので時間がかかります。こんなちょっとの、治療にもならないことでちまちま通うのは大変。なので、ここは正念場という時には医師、衛生士、私で、頑張って、もうちょっと頑張って、と言い続けました。そのかいあって、4回の通院で終了。ほっとしました。母は歯医者を嫌がります。ならばなぜ。歯をみがいた直後に食べるのか。食べそうな物を隠しても何かしら持ち出して布団の中で食べる。だから虫歯になるんだよ、歯医者に行くんだよ。その悪循環がわからないから仕方ない。また来春に定期チェック。その後、通院となるのでしょう。歯の定期チェック

  • お盆

    前回の更新から日が開きました。というのも、これといって変化のない日々だからでした。母は、ゆっくり進行はしていて、人の記憶、名前が出にくくなりました。でも元気で、なんとかこの夏も乗り切れそうです。あまりにも元気で、朝から出かけたがったり、デイのない日でも、夕方になっても送迎が来ないと繰り返し言うので、デイが1日増えました。私は年々暑さが耐え難くなり、このところは台風の、気圧の影響か、めまいがひどかったりしました。お盆も終わりですね。お墓まいりに行くと、母は、一昨年くらいまでは、花を供える準備として、セロファンを取ったりしてくれましたが、今年はただお墓の前で立っていました。墓石を拭くタオルを渡しましたが、自分のバッグにしまっていました。台風一過でまた猛暑の予報。猛暑日は母がデイだと本当に助かります。母がいると買い物...お盆

  • 母、活性化

    前回、母が食欲が落ちてぽーっとしていると書きましたが、暖かくなったせいか、がぜん活性化されてきました。また家庭内徘徊(家の中、庭、家の前)が激しくなり、じっとしていない。朝からわしわし食べる。体調もいい。歩き方の衰えはありますが、出掛けたがり、朝6時半に上着を着てバッグを用意していたりします。令和の時代に、元気に突入しました。母、活性化

  • ぽ〜っ

    以前、認知症の親を持つ友人に、うちの母はもう少し進行した方が母も私も楽になる気がする、と言った事がありました。あまりにせわしなく動き回り、混乱しているので。もう少し、ぽ〜っとした方が…と。すると友人、「もうすぐだと思うよ」元気な母を見て、そうなのか…なぁ…と思いました。友人の母親はまた、体調を崩すたびにぐんと進行したそうです。最近、母も体調を崩して通院が続きました。そのせいもあるのか、ぽ〜っとしてきました。去年後半からの進行が目立ちましたが、年明けからもその速度が早まったように感じます。歩く様子もだいぶ衰えました。食欲も落ちてきて、それが心配だと主治医に言うと、認知症も10年近くになるから、自然な流れではあるとのこと。詳しい検査をしての結果で認知症と診断され、納得できたのは8年前ですが、最初に診断されたのは10...ぽ〜っ

  • 要介護3に

    先月行われた要介護度の認定調査の結果が来ました。要介護3でした。かつて1度だけ2になった事がありましたが、また1に戻り、長く続いた要介護1時代。今回は上がるかもとケアマネさんに言われていたので、2が出たかなあ…と通知を見たら3だったのでびっくりしました。でも、昨年後半からの進行の早さ、それが年明けからも続いているようです。80代でこんなに動けるとは素晴らしいと言われて来ましたが、身体の動きも鈍く、トイレの失敗も多いです。3になったのだと納得です。今年はさらに進行すると思います。要介護3に

  • 長谷川式ヒトケタ

    介護保険の更新にともなう検査が脳外科でありました。MRIの脳画像は昨年とほとんど変わりないとのこと。長谷川式テスト。昨年は11点。今年は…8点でした。ヒトケタになりました。でも、特にこのところ、進行したなあと思う事が多くなっていたので、そうだろうな、と納得。着替えは用意しないとわからない。お風呂に入ってと言っても場所がわからない。大好きな甥(おい)っ子を忘れる。亡くなった父の事を、「明日、お父さん病院?」などと言う。などなど。認定調査は来年になるのでわかりませんが、介護度は上がるかも、とケアマネジャーさん。今は要介護1。用意をすれば、食べる、お風呂に入る、そして排泄も自力と、動きはいいので、そこらへんの兼ね合いがどうなるのか。今年も後少し。とりあえず元気に年は越せそうです。長谷川式ヒトケタ

  • アピール下手?

    元気に暮らす母。お出掛け大好き。お出掛けと言っても、私の運転で遠回りの買い物に行くだけですが。これでもかとあちこち回って帰宅しても、すぐにまた「どこかに行く?」「今日これから買い物に行くの?」何度でも出掛けたがります。今日の予定はおしまい。出掛けられないとわかると、とたんに咳をしたり足を引きずったりベッドに横になったり。私はこんなにかわいそうなのに願いを聞き入れてくれないのか。そんな思惑が丸わかり。でもねぇ…そのアピールは逆効果でしょう。具合悪いなら家で休みましょう、そうなるでしょう。アピール下手?

  • 猫の死がわからない??

    親戚宅の猫が、その猫生を終えたときき、母に小さな花束を持たせて訪問しました。直前に母に、こういう訳だから、と言うと、「ああそう〜」とわかっていましたが、やはり忘れる。到着するとテンションも上り調子。ふわふわ毛布に寝かされていた亡き猫を、私が声掛けしながらなでていると、「あら〜!おとなしいこと〜!!」「普通触られたら逃げるんだよ?!」眠っているようではありましたが。場に居合わせた人は、死んだんだよ、と言うのもつらかったり、まあいいか、という感じ。そのうち母は、親戚宅の飾り棚に興味が移ったようで、「これ見て!きれいだこと〜」「ズラーーッと並べて」などと興奮気味に言ってました。うちでも猫を飼っていたので、母は猫好きです。もう悲しい事より楽しい事だけにしたいのかな。猫の死がわからない??

  • 仏前が気になる母

    彼岸の入りで、父の仏前もいつもよりにぎやかに。そうなると母は気になって仕方ない。朝供えた柿が、すぐなくなっていました。母の部屋を見ると、ありました。お盆でもお彼岸でも命日でも、いつもより品数の多いお供えからいつの間にか取ったり食べたりするのはもうあきらめましたが、やはりちょっとがっかりするのです。お供え取っちゃダメだよ、と言うと、またいつもの取り繕い、言い訳が始まります。今日は「だって、柿が爆発するから置いてはダメってばあちゃんに言われたよ」でした。ばあちゃんとは、母の母。ばあちゃんのせいにするにあたって、柿が爆発とは。お墓まいりも済ませ、私は庭仕事。切り上げて家に入ると、また仏前の柿がない。今度は食べていました。一応(?)言いました。柿、食べたのね。「食べた」お供えを。「お供えは下げていただくって習ったよ」も...仏前が気になる母

  • 参列は難しい

    知り合いが亡くなって、葬儀の日程がわかりましたが母のデイの日ではありませんでした。母は私と一緒に参列することも、私が出かけている間に留守番することも難しいのでやむを得ず欠席することに。3年前に、近所の方の葬儀に一緒に行った時に、母はもう無理だな…と思ったのですし。母がデイの日でも、帰り時間に間に合わない距離では私1人でも行けない。この先も、間柄と移動距離が近しい親戚以外はこのようなことになるでしょう。参列は難しい

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