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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 師弟の淡い交わりと烈行 08/2再

    老人の名は岡本義雄という。奈良の石屋の大店に生まれたが、両親とは死別、兄弟も無く、遺された財産(店、営業権、工場)とともに親戚に預けられる。岡本義男氏先ずは子守だった。まだ明け切らぬうちに起きて鞴(ふいご)作業である。石工に使う鉄製道具を手入れする火おこしである。あるときかまどの傍にお金が落ちていた。子供ながら大金である。岡本は訳もわからず、いや辛苦ゆえの「マ」なのか少し離れた目印になる石の下に隠した。毎朝、ふいご番をするたびに石の下を覗いていた。何か安心と不安が入り混じったという。或る日、いつものように覗いたら隠してあったお金が無くなっていた。そのとき、ホットしたという。そしてこれからは自分を欺かないことを誓った。その隠している苦しみは自身を不安にさせ、あるいは悪心に慣れさせてしまう一種の怠惰を感じたと...師弟の淡い交わりと烈行08/2再

  • 麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている 10 6/19 再

    以前、大相撲は清規(成文法)に馴染まないと書いた。つまり、おなじ社会の、同次元のことだが、ここでは狭い特殊社会の特別な人たちの同様には扱われない考え方と行いだと考えるのである。法人として優遇を受け公器としての役割が必要とはいうが、人が違えば公器等は看板の類であり、大義を謳うメディアにとっては何でも言い募る絶好なターゲットでもある。人の棲みわけられた世で、これが無くなれば清河百年を待つ、つまり元通りになるには百年三代かかるというものがある。仕草では「食三代」があるが、各々の家庭の味覚もあるが、食べ方、ここでは喰い方もある。これは作法だが民族が異なれば違うというような屁理屈ではなく、ことに色、食、財に関することは我国の人の所作に基づく問題でもある。昨今の就職活動(就活)や婚活の重要な部分を占めるであろう共通の...麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている106/19再

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