chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/01/13

arrow_drop_down
  • あの時の日本人 笠木良明と石原莞爾 2009 再

    ある時期、筆者は年一回催される「笠木会」に毎年招かれていた。参会者は元関東軍高級参謀片倉衷、古海忠之総務次長、五十嵐八郎吉林興亜塾長、佐藤慎一郎大同学院教授、ほか満州関係の関東軍、施政関係、満鉄調査部、政界では三原朝雄、岸信介あるいは児玉誉士夫、毛呂清テル、岩田幸夫氏等、関係者など毎回30名ほどが参加していた。佐藤慎一郎氏五十嵐八郎氏満州で成功した統制経済は勤勉な民族的特質と性癖を読み解いた岸氏を始めとする統制経済官吏の成果であり、社会主義とも模せられる経営でもあった。それは興銀による集中投資や国鉄の十河総裁などにみる高度成長経済の前段である経済の基礎的(ファンダメンタル)部分の構成指針にもなった。また豊富な人材に加味する目的意識と集中力、緊張感の醸成については、オバマ大統領の選挙戦で謳ったような、民族の...あの時の日本人笠木良明と石原莞爾2009再

  • 鈴木宗雄氏も綴る、佐藤慎一郎先生 お別れの言葉

    心より感謝し、理屈のない感涙を招いた師の言葉をお伝えいたします好きでたまらないという生徒達に伝え、生徒も感応した。なかには戦慄(わなな)き落涙するものもいた。あの人情豊かな鈴木宗雄議員も先生への思いを随時に綴っている。筆者も多くの碩学といわれる人物に遭遇するが、背筋に冷たいものが走ったのは佐藤先生をおいてはいない。ただ、下座において、吾が身を以って伝えることは、俗事小事にまみえる小生にとって終生解けぬ難問でもある。時おり学徒に無学を晒しつつも師の追従模倣でしかない。春、秋と津軽の墓前に参するも、照れくさくも恥ずかしい雄の児があるだけだ。最後は病室を退く背に『後は頼みますよ・・』といわれたが、なぜか振り向けなかった。同行の王荊山の遺子が覚ったように身を震わせた悲しい、淋しいより、悔しかった。それは、゛まだ早...鈴木宗雄氏も綴る、佐藤慎一郎先生お別れの言葉

  • あるインタビュー 08 1/27再

    ━このお店を始められたのはどういうきっかけですか。僕はもともと建築が専門で、防音のショウルームでもつくろうと思ったんです。そこにピアノを置いて音楽を楽しめる場所にしたのが始まりです。店に来たお客さんを注意して見ているといろんなことに気が付きます。どんな人も世界の人口70億分の1の、人と異なるいいところをもっている。つまり個性と皆さんが言っているものです。そういうことが分からないで、データ主義、あるいは官製学校歴(簡単に言うと中身のない学歴主義)の前提にある受験などで、思春期に当然、経験しなければならないことを順序良く体験していないと、手鏡を使って駅でいかがわしいことをしたり、お金をゲームのように扱ったりするようになってしまう。そこで、今日はエスノペタゴジー、つまり土着的な教育についてお話したいと思います。...あるインタビュー081/27再

  • 血が導くタルムードと厚黒学 09 3/13 あの頃

    一つは中東に棲むユダヤ民族に伝承されている処世の知恵として、他方は永い歴史を刻むなかで百家が説いた「論」を集積しつつも、「論」を噺の類にして、無尽なる欲望へのエネルギーをあからさまに人間関係の術としてリアルに「学」としたものである。棲み別けられた自然や、政治環境の異なりはあるが、人と人が相対する接点における独特の術は歴史の時を違えて応答行動の姿として醸し出されている。わが国の「ことわざ」も対比させると面白い。堅物の合間に手にとるロシュフーコや各種小話にも似たようなものがあるが、こと世界観、人間観ともなると、いま時を考察するのには面白い内容だ。インターネットは世界を駆け巡るが、新旧取り混ぜた情報と称す真実、虚偽は時として民族性癖と交じり合って人々を群行群止させる。とくに覗き、脅しの類は、いたずらな恐怖心を添...血が導くタルムードと厚黒学093/13あの頃

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まほろばの泉さんをフォローしませんか?

ハンドル名
まほろばの泉さん
ブログタイトル
まほろばの泉
フォロー
まほろばの泉

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用