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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 人間考学 「国おもえば国賊」 今も続くその暗雲 08 3 再

    台風一過祖国といわれる我が国の人々に宿るものなのか、公位に就くものの集団的慣性は現在、因りその劣勢を深めている当事者聴取所持資料によるあくまで推考だが・・・・牧野伸顕、近衛文麿、安岡正篤、西園寺公一、尾崎秀実、それぞれの立場にあった人間が、諮らずも、いや偶然にも意を一つにして振り払おうとしたもののなかに、国家を覆った暗雲があった。遠くは聖徳太子が憲法と冠位を制定したころの、蘇我、物部ら世襲豪族による権力の専横によって、今では伝統という言葉に括られているような、遡ればカミゴトに由来する太綱というべき歴史の継続が侵害される危機感に似ている。これは、あまりにも大きな権力を持ってしまった軍官吏の行き着く先にある亡国を、異なった座標で押しとどめ、あるいは敗戦後の国家の在りようを鎮考したものであった。敗戦後というのは...人間考学「国おもえば国賊」今も続くその暗雲083再

  • 天聴に達した「郷学」の淡交録 07,6 あの頃

    人はその力を数値評価に置き換えることがある。たかだか努力すれば上下したり、ときに嫉妬や怨嗟の対象になったり、まことに気の抜けない問題である。しかし、たとえ2世であっても、あるいは独特の出自を以って恬淡に生き、その姿をして安心と鎮まりのある雰囲気を醸し出す人物が存在する。写真の三方はいたって洒脱な粋人ではあるが、信念と目標の明確さは人後に落ちない。左は平凡社の邦さんこと下中邦彦氏、出版会の大立者であった父弥三郎の意を受け、あの東京裁判のインド判事パル博士と義兄弟であった縁でパル・下中記念館を運営している。隣は安岡正明氏碩学と謳われた父正篤氏の意を継承して郷学作興に意志を添えている。一人置いて皇太后御用掛の卜部亮吾氏。入江侍従亡き後、皇室の語り部として、゛奥゛を切り盛りしている。つねに郷学に留意して、社会の真...天聴に達した「郷学」の淡交録07,6あの頃

  • 生徒はお客さんなので・・・ 12 9/12 再

    日本農士学校名古屋の大学講義に行った折、粗雑な態度をした生徒に注意したところ、表記の言葉で制された。たしかに需要と供給を成立させる対価として授業料があるとすればそうだが、筆者はどこに行っても対価は受領しない。法人組織のしきたりだとしても、一旦は預かって生徒同士の交歓費用(コンパも可)もしくは、後日相応の関係書籍なり資料を送付することにしている。だからという訳ではないが、生徒に叱るまでもなく、注意さえできない関係とは何なのだろう。生徒とて遊び半分の学校生活なら教職人は食い扶持安定職、教育環境の崩壊どころか人間粗製乱造の施設になり下がっている。余談だが、国立大学の経済分野の教授だが毎夜単身赴任を慰めるようにカラオケスナックで遊んでいた。有価証券(小切手、手形)関係の専門だというが、カラオケは旋律の約束事である...生徒はお客さんなので・・・129/12再

  • 刑務官 有馬四朗助 「説教をしないキリスト教」 再

    当ブログでは知識技術の習得は、好き嫌い、向き不向きにかかわらず多くは自習、自得であり、与えられた課題に強いて勉める(勉強)のみでは人物は出来上がらないと記す。しかも他人と己の分別(自他の厳存)については、頭で覚えたり、知ったりするだけでは成り立たないとも記す。簡単なことは己と異なる人なり成果の仕組みをや経過を「習う」ことだけでなく、ことの行為として「倣う(模倣)」ことを促すことに知識技術の前提としてあるべきであり、それが高等教育への自発的発意や己の学問として特徴を伸ばすことだとも書いた。その縁あったものが、郷のお巡りさんや医師、教師、あるいは菩提寺の僧侶であり、ときに外来の学問であり宗教だったりする。人の縁だけでなく、刑務所を出所した翌朝の朝日の眩しさを見たり、風呂屋ののれんを通る涼風の爽やかさに覚醒する...刑務官有馬四朗助「説教をしないキリスト教」再

  • 嗚呼 素晴らしきかな民主という主義の選挙

    選挙が近くなると選挙区事情に一喜一憂するのが議員大多数の常だが、選挙民の姿や地域既成勢力といわれる主だっ者や有力者の影響如何で様々なタイプの議員が選出される。衆偶政治と揶揄されるような選挙であっても、いったん選出された議員は所属の範疇において多くの影響を及ぼす事ができる。国家でいえば戦争の遂行,終結にも関わることも可能であり,国力次第では他国の生存さえ脅かす政策遂行も可能になる。選挙民の資質といえば一昔前は、おにぎりの中に5000円、一家まとめて箪笥(たんす)一さお、運動員には当選したらPTAの会長や委嘱御用委員など,せっせと無党派,無関心層の増殖に貢献したものである。津軽選挙という有名な方式?があるが、分配の手立てが公共事業に任せている地方では、落選派は当選者の任期中は仕事の「おこぼれ」がないために、双...嗚呼素晴らしきかな民主という主義の選挙

  • 1989年5月27日 日本は負けると・・ 再

    権力との関わり方である・・1989年5月15日ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が訪中した。国内の特権階級の腐敗、米国との軍拡争いによる経済の停滞、国民の怨嗟に敢然と取り組み、その改革の端緒が開けつつあるときの訪中である。そもそも両国は共産党とは名乗っているが政治体制はともかく民癖が大きく異なる。また実験国家の如く一連の共産主義的政治仕様の試みが一応のデーター結果を集積し、かlつコミンテルンという不可思議な字句を掲げ様々な民族、地域に浸透させた。一方は資本主義、自由、民主、人権、一方は解放、平等を謳ってつばぜり合いを行なってきたが、お陰で双方のお題目を食い扶持とする似非知識人を大量生産した。それは学派となり兵隊ごっこ宜しく、覇を唱えつつ国家の連帯と調和を崩してきた。彼等も錯覚学説の実験材料でもあった。それは...1989年5月27日日本は負けると・・再

  • 人間種の考える、ランド・シー・エアー、それぞれのパワー 2017

    あくまで、いまだ人間の及ぶ理解の淵にも届かない無限界において、太陽系と呼ぶ一群の惑星として周回巡行する地球生物種の一つである人間と称する種の、たかだか微細な思索ではある。この種の思索は夢想もあればリアルな現実もあり未来の推考もあり、まるで右往左往で無体系の書き連ねのようようだが、他人の珍奇な思考の一端に触れ、難儀な問題を巻き起こすことを期待するものである。また、種としては人間種、民族別には黄色人種の、これまた日本と呼び複雑な要因をもって構成されている国家なるものの中で、諸国から異端とされている日本人の、これまた異なることを恐れない小人の思い付きとして看過していただければ幸いである。千葉この国の歴史では異種、異郷、異教の白人宣教者が遠路お節介にやってきたことがある。「造物主が造った最高のものは人間である」と...人間種の考える、ランド・シー・エアー、それぞれのパワー2017

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