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飲食欲5
「結果に至り得てみれば修行(坐禅)する事自体」求めなければ「不要」です。 かといって修行(坐禅)しなくても善いかというとそうはいかないと思います。 そこで「求心」を止めて「今の事実」に集中していただかなければならない理由が在るのです。
2025/04/29 07:33
飲食欲4
「貪欲(とんよく)」から離れるというのは「求心(ぐしん)」を止めるという事です。 「求心」を止めるという事は、例えば苦しい痛い悲しいという「今の事実」に自己を介在させて、他に依って「解決」しようと思う事を止める事です。 自分の様子を振り返って「やっぱりこのようにやればこうなるんじゃなかろうか」と必ず「期待するもの」が出て来るものです。 一所懸命に成っている時こそ不思議なくらいにそれが出て来るものです。 修行(坐禅)をした結果というものを、知らず識らずの内に如何しても求めてしまうものなのです。
2025/04/27 07:36
飲食欲3
美味しい物を食べたい飲みたいという思いは「人の天性(てんせい)」のようなものです。 昔からよく「食べる物に欲の無い人は衣、住や名誉の欲も無い」という事で淡泊という表現が使われています。 そのように貪欲というものは如何に離れられないかという事を善く善く理解して修行に励んでいただきたいと思います。
2025/04/25 07:05
飲食欲2
「三毒」の中でも「貪欲(とんよく)」が一番防ぎ難いものです。 知らず識らずの内に生に対する執着(貪欲)が出て来ます。 それほど貪るというのは恐ろしく、怒りも貪りから起きて来るという事から、「貪等を宗とす(とんとうをしゅうとす)」と、貪りを主眼に説かれています。 「宗」とは主たる原因、或いは根本という事です。 食べ物や飲み物ほど貪りやすいものは在りません。
2025/04/23 07:37
飲食欲1
仏教では五種の欲望が在るとされ、それを「五欲」といいます。 即ち、「財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲」です。 その中の一つに「飲食欲(仏教では”おんじきよく”と読みます)」が在ります。 食べ物や飲み物に対する欲です。 「五観之偈(ごかんのげ)」という食事の時にお唱えするお経の中の第三番目に「三つには心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす」というお示しが在ります。 「心を防ぎ」とは「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」〔むさぼり・怒り・愚痴〕の三毒の放逸を防ぐという事です。 何故ならば、これは諸々の罪過の根源になるからです。 一般的にはそれを「無明(むみょう)」と…
2025/04/21 07:00
六波羅蜜7(智慧)
「智慧」とは、何時も縁と一つな成っている状態、一切自分の力を用いないという様子です。 自分が智慧を使うと「智慧に頼る」という事になります。 ですから「道」に至れないという事になります。 これは仏教の特色ですが、「六つの道の一つ」さえ完全に行じる事が出来さえすれば「あとの五つ」も必ず行じられるという事です。 此れが仏教でよくいわれる「一(ひとつ)は全てで在り、全ては一で在る」というお言葉の意味です。
2025/04/18 07:49
六波羅蜜6(禅定)
「禅定」とは静かに成るという事ですが、静かに成る状態があってはいけないのです。 仏様の別名に「不動尊」が在りますが、何時も動いておりながら動いていないという「仏様の名前」です。 「不動(動ぜず)」という事ですが、迷いが無くなって悟りが在るというのではなく「迷い其の物を悟りと自覚する」という事です。 「動いていない中に動いてるものを見つける」、此れが「禅定」です。
2025/04/16 07:41
六波羅蜜5(精進)
「精進」とは、切れ目なく常に努力をしていく事です。 これを「常精進」といいます。 精進する時としない時が在ったのでは「真の精進」には成りません。 「意義付け、意味付けの無い精進」が必要な処です。
2025/04/12 07:53
六波羅蜜4(忍辱)
「忍辱(にんにく)」とは「今の事実に耐える」という事です。 「今の事実」に一切手を付けないという事です。、 どれだけ「我慢」しても「道」には至りませんが、此の「忍辱」をすれば必ず「道」に到ることが出来ます。 しかし如何しても手を付けてしまうのは、修行(坐禅)が手段や方法になってしまっているからです。 「今の事実のまま」に居られる努力が一番大きな「忍辱行(にんにくぎょう)」です。
2025/04/10 07:36
六波羅蜜3(持戒)
「持戒」というのは「戒律を保つ」という事です。 別の意言葉で言えば「相手を見ないという事、自我を立てないという事」です。 「自我」を起こして相手を認めるという事が戒を破る事、即ち「破戒」になります。 「戒律」を守る事に依って悟りに到ると考えて努力している人がいますが、それは間違いです。
2025/04/08 07:06
六波羅蜜2(布施)
「布施」とは施しという事です。 自分の大切にしているものを差し上げる、或いは執着を離れるというような事をいわれています。 しかし是は非常に小さな「布施」です。 もっと大きな「布施」とは一番施しにくいものを施すという事です。 此の身を一切のものに施すという事です。 それが「本当の布施」です。 「自分を施す事」は、即ち自分を完全に無くすことが出来ますから「悟り」を開く事が出来るのです。
2025/04/06 07:52
六波羅蜜1
迷いの世界から悟りの世界に到るまでに渡る道を「六波羅蜜(ろくはらみつ)(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)」別名「六度(ろくど)」といいます。 この六つとは何かというと「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)のすべて全部自分を捨てた状態」をいいます。 この「六つの道」が私たち衆生には全部豊かに具わっているのです。
2025/04/04 08:00
2025年4月 (1件〜100件)
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