「一切のもの」は何時でも完全な状態であり、充実した相(すがた)であるということです。それが「道(法)」というものです。私たち衆生は「ものが見える、聞こえる、話が出来るから生きている」といいますが、それらは全て「生きているという事実の説明」にすぎません。それらは、「今(今の事実)そのもの」ではなくて、「今(今の事実)の説明」にすぎないことです。「事実と説明(言葉)」の間にズレが生じていることに気付かなければなりません。「事実」というものも、なくならない限り「今(今の事実)」ではありません。ものをつかむための「今(今の事実)」ではありません。「今(今の事実)」そのものに成るための今(今の事実)」です。「今」ということ3