「不回互」とは独立無伴にして、他の交渉を要しないので、自らは自らにて「成功(成就)」している事を自覚するのです。 しかも、自らは自らを「證明(しょうみょう)」して疑わぬのです。 それを「その成 自ずから(おのずから)證す」といいます。 「證す」とは自證のことです。 仏道は「自分を自分で證明することが出来る教え」です。 もし自分を自分で證明することが出来ないのであるならば、「他の人の證明を得た」としても何の役にも立ちません。 「この證明は自證」で他の證明を借りるのではありません。
自ずから(おのずから)人格の不思量を尊重すると、同時に他人の人格をも尊重せざるを得ないのです。 それを「其の現自ら親し(そのげん おのずからしたし)」といいます。 「親し」とは親密ということです。 これは「不思量にして現ず」の証拠です。 道歌に「糸瓜(へちま)とは 糸瓜に似たる 糸瓜かな」と。 「その物はその物が證するより親しきはなし」なのです。
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