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あめつちの詩 https://blog.goo.ne.jp/niiya-mari

「あめつち」に響く歌声の持ち主、シンガー・ソングライター「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る

41才からの遅咲きのシンガーながら、オリジナルは100曲越え、手がけたアルバムも15枚。精力的に活動した時期を経て60代に突入。「朗らかに生きる」を模索の日常を赤裸々に綴る。

にいや
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広島県
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2015/01/09

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  • オリジナルソング公募へのチャレンジ

    歌作りが煮詰まって久しい。活動初期にはするっと言葉が降りて来て歌になったものだが錆びついた感じがする。書きかけの歌詞がたまるばかり、未完成の1分音源もスマホに溜まるばかりだ。創作にはインプットも必要。10月13日のライブ鑑賞のお誘いを受けてカフェ・ジャイブへ出かけた。4組の出演者。結成1年という男女ユニットさんは素敵だった。女性ボーカルが何しろ良い。きっと綾香が好きだな。オリジナルはまだ2曲だそう。その出来が素晴らしく良かった。若い感性が生み出す今時の歌。あのメロはどっから出て来るんだろ。わが身のわがおばさん化を自覚した。誘ってくれた西村さんは「トラッシュマンズ」のメンバー。譜面なしでボーカル&ウクレレ。バンド全体のバランスが良くて出て来る音も流石だった。西村さんのMCでオリジナルングの公募を知った。福山...オリジナルソング公募へのチャレンジ

  • 股関節痛との闘い

    股関節が痛むと思ったのは8月7日朝。前日は8月6日。「ハチロク」当日の広島市にはホテルも駐車場も空きがないほど混雑するので中心部から離れた場所に車を停めた。ギターを担いでアストラムラインの駅まで歩いた。プラットホームは地上から遥か上にあった。きつい階段を上がったのが悪かった。以前から股関節痛はたまにあった。草取りや雑巾がけなど股関節に負荷が掛かることをやるとたいてい後日痛みが出た。たいてい、いつの間にか痛みは収まる。7日朝、全身の筋肉と関節が痛んだ。数日後にコロナ陽性と分かった。コロナが完治するのに3週間くらい要した。免疫力が低下していたのかだるさが取れて気力が戻っても股関節痛だけは残った。最初は股関節まわりとお尻が凝っていたのでとにかくほぐしたかった。整体やマッサージが効果なし。で、遠隔治療を試してみた...股関節痛との闘い

  • 仏縁が取り持つ縁

    20日(日)快晴。広島県北西部の所属のお寺が集合。我が町で大きな催しが行われた。山頂から瀬戸内まで見渡せる龍頭山が真正面に臨める「どんぐり荘」大広間が会場。親鸞聖人お誕生から850年真宗が出来て・・かな800年という節目の行事が全国で行われている模様。新屋まりが親鸞聖人の歌を作っているとはね。もう20年近くも前だがアルバム「生かされて」は親鸞聖人が亡くなられて750回の大遠忌に合わせてリリースした。おかげ様で完売したが、ほとんど知られていない。ご町内のお寺のご住職が私を推奨して下さり法要の後新屋まりミニ・コンサートの運びとなった。関係者多数。9時に集合して会場設営。機材を搬入して繋ぐ。ステージ周りが配線だらけになるのでテープで養生せねば。髪の毛振り乱して腕まくりだ。この段階で歌手とは程遠い新屋まり。法要の...仏縁が取り持つ縁

  • 出遅れた畠仕事

    永く厳しい夏がやっと終わってめっきり秋らしくなった。妙に寒いと感じたある朝は外気7度台。夕方になって寒いと思えば12度まで下がっていた。暑かったし何かとバタバタしていた。やっと畠仕事をする気になった。10日前に苗を調達。既に良い苗は売り切れていてやっと白菜を10本とレタスを10本買った。が、苗自体が見るからに弱々しい。過去のブログでは9月6日に耕うんしてもらったようだが既に10月半ば。大きく出遅れた。他所の畠の白菜はりっぱな葉を拡げて後は巻くだけにまで育っている。ひと月ほど前に植えたのだろう。あの暑い最中に畠に出て良く作業できたもんだと思う。涼しい早朝と夕方なら作業もできるだろうがその時間帯、私は無理なので仕方ない。我が家の白菜はやっと植えたばかりの苗状態だ。植える前に10日掛かったのでポットのままで弱っ...出遅れた畠仕事

  • ぼ~っと生きてんじゃねえ

    2度目のリコール通知が届いた。スライドドアの水漏れ防止に不備があったのだとか。半年近く放置していたが先だってやっと予約した。昨年修理に行った工場をネット検索した。名前と通知の番号を伝えたが名簿にないとのこと。前回の修理で名前が分ると思ったのでちょっと違和感を感じたけれど「ああ、リコールですね」と、感じの良い女性がテキパキと対応してくれた。予約が取れにくくひと月くらい先になった。当日を迎えて忘れずに工場へ行った自分をほめたい。で、工場に入るや女性が出て来て何用かという雰囲気。リコール修理の予約をしたと言うが予約されていなかった。予約が取れなくて大分前に電話した、今朝確認せずに来たと言う。切れなかった私は偉い。大人の対応~。翌週予約を取り直した。遠方から本当にすみませんと謝られたが「はい」とだけ答えた。電話は...ぼ~っと生きてんじゃねえ

  • 雨の散歩道

    ■無題■命が去った後の空気がこれほど静かであったと私は初めて知った。これまでも私の周辺ではいくつかの命が去ったが、悲しさと同時に戸惑いやそれぞれの人にやるべき事があってそんな騒がしさには静けさの入り込む余地がなかった。命が去った後の静けさを私の命がみつめていた。あゝ逝ってしまったと私の命がため息をついた。彼の命はどこかにたゆたうのだろうとおぼろげながら思いをめぐらすのだった。慈光が彼を照らしていた。その光は私にも向かっていた。やがて死にゆくものも含む全てを照らしているのだと私はこの時気づきを得た。とむらう側もとむらわれる側もひとしくこの慈光に照らされているのだった。とむらう側に立っていた自分は傲慢だった。傲慢な私を傲慢なまま彼は赦して去って行った。静かな空気の中でかすかながら聞き分けができるほどの硬くて短...雨の散歩道

  • 安楽死という選択~麻呂の最期

    麻呂が夜中に声を上げてうろつくのは老化現象のひとつだろうと考えていた。夜は母屋に麻呂と母だけだ。随分前から「声をあげてかわいそう。」と、母は私に訴えていた。真剣に聞いていなかったのが悔やまれる。そうこうするうちに昼間も声を上げて痛がるようになった。月1度の鎮痛剤は効果がない様子。10月1日木曜日に診察を受けた。誤嚥性肺炎に掛かっていたし、血液検査の数値が相当悪いらしいかった。麻呂はもう3日ほど食べていなかった。点滴で栄養剤を入れてもらえると安易に思っていたが処置されなかった。「早ければ今夜でしょう」という主治医の言葉を聞いてやっと麻呂の危機的な状態が飲み込めた。昼間は啼き声を上げることがあっても割とすぐに眠った。今思えば傷みが酷くて意識が飛んでいたのかもしれない。眠りが異常に深かった。麻呂との別れが近いと...安楽死という選択~麻呂の最期

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