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あめつちの詩 https://blog.goo.ne.jp/niiya-mari

「あめつち」に響く歌声の持ち主、シンガー・ソングライター「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る

41才からの遅咲きのシンガーながら、オリジナルは100曲越え、手がけたアルバムも15枚。精力的に活動した時期を経て60代に突入。「朗らかに生きる」を模索の日常を赤裸々に綴る。

にいや
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広島県
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2015/01/09

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  • 台風10号接近中

    台風10号で九州では甚大な被害が出ている。広島県にこれから最接近するらしいが予想よりかなり南に下がった。県内でも大雨の地域はあるけれどこのあたり小雨程度で風もなし。被害はなさそうで幸せに違いないが「過去最大級の巨大台風が来る」というので先週末からずっと気にかけていた。火曜日か水曜日に来るという予想が木曜日になり金曜日になった。玄関先の鉢を家の中にしまい、畠のビニールハウスのビニールを外して、洗濯物を車で13分先のクリーニングで乾燥させ、木曜のお稽古をひとつキャンセルした。色々な人の出入りに対応し、割れていた職場の屋根瓦を危ないので外してもらった。「天気が悪いの~」と何度も言う母に「台風が来てる。」「台風が来てるからだよ。」「台風なんだってっばっ!」「今から来るってば!」とイライラしながら言い含めて来た。こ...台風10号接近中

  • 墓守りのお役目

    寂しいお盆休みだった。子供の頃は親戚が大勢来て酒盛りするのが常だった。我が母には多少苦痛だったかもしれないと思う。料理が苦手で社交的なタイプではない。スーパーやコンビニがない時代にも来客はあった。祖母の時代には行商の人が魚や海産物を勝手に冷蔵庫に入れて帰り盆暮れに集金に来ていた、と母から聞いたことがある。池の鯉を料理し、飼っていた鶏の首を絞めて調理していた。小学生の頃、私も手伝った。外の七輪で肉を焼いたりジャガイモの皮をむいていたっけ。ご馳走といっても知れていたが、野山や畠を駆け巡り集めた食材で調理する。あれが本当の「ご馳走」というものだ。盆暮れは年々寂しくなり、今年は誰も訪れない事態になった。もっとも私と母がコロナで食事も弟夫婦とは別々だった。寝たり起きたりするのが精いっぱいでお墓掃除を妹に頼んだ。お墓...墓守りのお役目

  • コロナ後遺症とオバサン化問題

    朝夕ぐっと涼しくなった。解放した窓を明け方は閉めなくては肌寒い日もあった。このまま秋になるかもと思われたがまた猛暑が復活。台風が熱を連れて来るのかもしれない。愛犬は春からトリミングをしていない。春はまだ屋外に放つと喜んで走ったりできたがこの夏で急に老犬になった。完全に失明したし足腰が弱って体力が落ちた。90分立ったままでシャンプー&カットをされるのが無理に思えた。この頃疲れやすい。コロナ後遺症と思われる。数日前だが、疲れたので早々に自室で横になった。1時間くらい経過したところで階下から小さななき声が聞こえた。「麻呂だっ」と思った瞬間にあれほど疲れていたはずの自分が猛ダッシュで階下へ。母の部屋に飛び込むと麻呂がベッド下にはさまって喘いでいた。ベロが10センチくらい出ている。暑いのだ。1時間前にエアコンを点け...コロナ後遺症とオバサン化問題

  • 秋の歌会in福光酒造

    コロナ・ウイルスはしつこい。時々ねっとりとした痰が絡む。後遺症だろうか?体力のない老人がこれで窒息するかもしれないと思うくらいな粘着力に焦った。体力・気力が戻らないのも後遺症のひとつだろうか?「怠け病」になってしまったと自覚する。母も似た状況で、ごく軽い、伝染力はあまりないと診断されて3日分の薬が出ただけだったが、以来どんよりしていて食欲がない。体重計にせたら48キロだった。3キロから4キロ減ったと思う。私も身心ともに重だるいが、味覚はかなり戻った。完全復活まで後ひといきだ。9月8日に主催する歌会が迫っている。ぐずぐずした今の身心にはギターを弾きながら歌う行為が’重大事’に思える。2週間まるまる歌っていない。あれからギター・レッスンを受けたので指の関節は戻った。手首を酷使するハードな曲は1曲通す自信がない...秋の歌会in福光酒造

  • コロナで飛んだ盆休み

    私にとって最大の山場だった「原爆の日」のステージ出演を乗り切った。7日起きたら全身が痛んだ。肩や背中。一番痛いのは股関節と尾てい骨で身体の重みが両足にのしかかり脚が前に出ない。隙間時間は4時間。週末三連休になる前に整体へ駆け込むことができた。手を下腹部にかざされるとなぜか込み上げた。何かありましたか?と聞かれてきついヒロシマをテーマに歌うライブが2本あったと伝えた。何年か前にも身体全体が痛んで調整に来た時に同じように、泣けてしかたなかった。あの時は原爆資料館のリニューアル直後で母と入館。刺激が強すぎて二人とも疲れ果てて意気消沈した直後だった。身体の不具合が心のしこりに関係あると知った。心のしこりがとれて身体のねじれもとれた。身体がほぐれた。が、帰って車から降りるともうこわばっていた。熱も出て来た。階段の上...コロナで飛んだ盆休み

  • 8月6日「ヒロシマ」を熱唱

    8月6日の朝を迎えた。「手ごわいヒロシマ」に立ち向かうがごとく新屋まり出動だ。あの、今更ですが「しんや」ではなく「にいや」です。昨日のブログ閲覧者が538人。過去最高・御礼♪「平和と美術と音楽と」のステージ出演効果でしょうね。会場は被爆建物として知られる旧日銀広島支店。サポートをお願いした西本祐太郎さんと会場入りした。ヒロシマがテーマになったのは。2001年の米国同時多発テロ。アフガニスタンをテロ国家と決めつけて米国が報復攻撃を始めた。被爆体験を持つ人たちの唯一の切なる願いである「同じ苦しみを誰にもさせてはならない」が踏みにじられたと強く感じた。この時、自分の中にまぎれもなく広島県人の血が流れていると感じた。歌を作ってCD化して利益をアフガン帰還難民支援に寄付すると途方もないことを思った。CDってどうやっ...8月6日「ヒロシマ」を熱唱

  • 「Melody of Hope」を無事終了♪

    「広島発平和」と銘打って主催した「MelodyofHope」に多数のご来場を頂いた。半年前に会場を押さえた時に決めた主催者名は「ピースコンサート実行委員会」。すっかり忘れて作ったチラシ上は「オフィスめろなーむ」なのだった。実行委員会のメンバーは私と初のサポート出演者である森川さんくらいなもの。彼も「実行委員」は身に覚えがないと思う。「大変ですね~」と言ってくれた。それでもやる私がどうかしてる。機材を積んで地下駐車場から二人で搬入。組み立てて音出し。この日初めて合わせる曲も込みで1時間半のリハを完了。照明チェックをして椅子並べ。森川さんはランチへ。私はおにぎりを1つ食べてギターの中低音にもう少し迫力が出ないかと思いなおし、DIに繋ぎなおした。そして受付テーブルを出して衣装チェンジ。実行委員に任命したつもりの...「MelodyofHope」を無事終了♪

  • 「ヒロシマ」を歌うということ

    8月6日に向けて広島は原爆が投下された街・ヒロシマへと変わる。今年は被爆79年だ。被爆65年くらいからほぼ毎年ヒロシマをテーマに主催ライブを行ってきた。この時期になると「ヒロシマ」を歌う覚悟のほどを問われる気がする。4日のライブが迫った。先日、音響機材を移動すべく車に積んでいたら後部タイヤがパンクしているではないか。「またパンク?」と思った。またしても同じ場所で(爆)前回は本番当日の朝だった。大遅刻したがどうにかなった。前回と同じ手順でスタンドに連絡。すぐに来てくれたが「足止め」になったと思った。知人に言わせるとパンクは「ガス抜き」なのだそうで、この頃イライラしているもんな~と自分を反省した。それから「足止めされた理由」に思いめぐらせてみた。そう言えば、高速道を走りながらパンクするイメージが急にわいた。「...「ヒロシマ」を歌うということ

  • プチ大人の夏休み

    連日の猛暑で家から出るのが苦痛どころかリビングのドアの向こうはもう熱帯の国。安全なリビングではあるが定位置に始終座りっぱなしの母と寝っぱなしの愛犬とで煮詰まっていくようだ。このところ些細ではあるがつまんないことが起こる。午後一番の用件が終わった。帰ってリビングでまたダラダラと過ごすのが苦痛に思えた。一旦は帰りかけたがしばし考えてUターン。高速に乗った。行先は島根県浜田市の水族館「アクアス」。ギラギラ太陽が容赦なく照りつける駐車場から館内へ入るとそこは涼しくてちょ~快適な世界。色とりどりのおさかなさんが優雅に泳いでいるのを眺めるだけでもかなり和む。私の好きなくらげたちの舞いにしばし我を忘れる。見たことのない形状の生き物とかめっちゃくちゃ大きな魚とかたくさん泳いでいる。水中を泳いでいる生き物を見るだけでこれほ...プチ大人の夏休み

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