赦す・・・・・
渡辺錠太郎大将が、もし国の指導者であったなら、戦争はふせげたのではないか、という史家は少なくない。母はよく、「昭和11~12年頃がいちばんよかった」と話していたが、それは母個人の思いの他に、経済や暮らしの指標が有史以来頂点を示していることでもよくわかる。その昭和11年2月に「2.26事件」は起こった。翌年、昭和12年には「日中戦争」が始まった。渡辺大将が斃れたのは国家の悲劇のはじまりとなった。遺子・和子さんの人生テーマは「赦す」ことになった。(2.26事件)・・・・・雑誌「文藝春秋」2022年新年特別号「100年の100人」渡辺和子皇道派の親玉は赦さない保坂正康私が当時88才の渡辺さんに会ったのは2016年1月初め。著作『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになっていた。父親の渡辺錠太郎(陸軍の教育総...赦す・・・・・
2022/06/18 10:49