昨日、ブルーベリーの摘み取りをしていると、目の前にぴょこんとカエルが現れた。なんと綺麗な水色のカエルだ。普通のアマガエルは、ブルーベリーの木にたくさんいるけれど、この色のカエルははじめてであった。後で家人が調べたところによると、10万匹に一匹の割合で出現するとか。ここ最近、珍しい生き物に出会う。とはいえ、白ヘビは勘弁願いたいところだ。幸運の水色カエル
2025年7月
昨日、ブルーベリーの摘み取りをしていると、目の前にぴょこんとカエルが現れた。なんと綺麗な水色のカエルだ。普通のアマガエルは、ブルーベリーの木にたくさんいるけれど、この色のカエルははじめてであった。後で家人が調べたところによると、10万匹に一匹の割合で出現するとか。ここ最近、珍しい生き物に出会う。とはいえ、白ヘビは勘弁願いたいところだ。幸運の水色カエル
2025年7月
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昨日、ブルーベリーの摘み取りをしていると、目の前にぴょこんとカエルが現れた。なんと綺麗な水色のカエルだ。普通のアマガエルは、ブルーベリーの木にたくさんいるけれど、この色のカエルははじめてであった。後で家人が調べたところによると、10万匹に一匹の割合で出現するとか。ここ最近、珍しい生き物に出会う。とはいえ、白ヘビは勘弁願いたいところだ。幸運の水色カエル
6月6日、コウノトリに出会った。家人と二人で出かける途中の田園地帯で、シラサギやアオサギに混じって、コウノトリが餌を無心に探していた。たまたま家人が望遠の利くコンデジを持っていたという幸運にも恵まれて、その姿を記録することができた。コウノトリに出会えたことで極度に興奮していた私は、視線が一羽のコウノトリに固定されてしまい、近くに居たもう一羽が飛び立つまで、その存在に気がつけなかった。私の気配に驚いて飛び立ったコウノトリは、ゆったりとその大きな翼をはためかせ、違う場所に移動していく。ゆっくりとその姿を見て痛かったが、車を停めるスペースがなかったのと、用事の途中だったために、出会えたことが幸運なのだと自分をなだめた。そして、6時間後の帰り道、コウノトリが居た辺りの田園地帯を注意してみていると、午前中に居たとこ...コウノトリに出会う
このプラットフォームが閉鎖されるまでに、自分とブログの向き合い方を決めかねている。日記として、その時々の経験や気持ちなどを記し、備忘録の役割で続けることにメリットはある。流れて霧散する気持ちや思考をとどめることは、自分を振り返る時にあるとよい。ならば、何もアナログにノートに書き付ければ事足りるが、人の目に曝させる緊張感で、より内容を熟考し言葉を吟味したりすることで、意識を鮮明にすることができる利点は捨てがたい。できれば、続けるのが望ましいだろう。では、どのプラットフォームに移行したらよいのかだ。「アメーバ」「はてな」「note」この3つが候補。そこが決まらないと、データ作成に取り掛かれない。まだ時間はあるし・・・でもまだ、ブログを書き続けたいのか迷いがあるし・・・当面、ふらふらぐらぐらした気持ちを抱えるよ...ブログを引っ越すか、いや続けるのかを思案中
コゲラちゃんが、今年は庭のど真ん中に巣を作った。毎年、敷地のどこかで木をつつく音が聞こえて、「またコゲラがやってきたのだな」と感じていた。それが今年は、人がよく通る目立つ場所に巣を構えている。時には、土地の所有者にサービスしてくれるのだろうか。おかげで、家族みんな微笑みながらコゲラの様子を見守れる恩恵を受けている。もう十年以上になるだろうか、やはり人の目に付きやすいところに巣を作った時があった。そのときは、ニコンのコンデジで写真を撮っていたが、今ではスマホと時の流れを感じる。今回のコゲラたちも、無事にヒナを孵して巣立ちができることを願いながら、見守っていこう。コゲラ再び
今年の変異、それはミツバチが少なすぎること。例年ならば、ミモザの花が咲くと、その周りにはニホンミツバチが飛び交って、ブーンという音が途切れることが鳴くにぎやかだった。けれど、今年は不気味なほど静まり返って、不安感がぐっと心の中に湧き上がっていた。その後に続く、辛夷、桜、グミの花にも、ミツバチの姿が増えていく様子は見られない。この数日、やっと熊蜂が賑やかな羽音を響かせてきた。このミツバチの少なさは、我が家付近だけかと思いきや、約25km離れたところにある桜の名所?ともなっている職場にも、ミツバチの姿を見かけることは少ない。先週の後半に行ってきた箱根でも、桜や石楠花、椿が咲いているというのに、ミツバチの羽音は聞こえなかった。所がかわっても見かけないミツバチの姿に、ものすごく危機感を持っているのは私だけなのだろ...今年は・・・ミツバチの姿が激減
ヒルマ・アフ・クリント《10の最大物、グループⅣ、No.3、青年期》ヒルマ・アフ・クリント《祭壇画、グループⅤ、No.1》桜が咲き誇る麗らかな日に、絵を見に行った。皇居に面した場所にある東京国立近代美術館では、「ヒルマ・アフ・クリント展」と桜に因んだ収蔵品を展示していた。ヒルマ・アフ・クリント(1862年~1944年)は、スウェーデン出身の女性の画家で、抽象画家の先駆者と言われている。彼女は知る人ぞ知る画家だった期間が長く、脚光を浴びたのは2018年グッゲンハイム美術館での大回顧展だったようだ。美術の世界においても、女性はマイノリティーな立ち位置の場合が多く、近年のジェンダー運動によって発掘されたものではないかと思われる。もちろん、作品としてクオリティーが高くなければならないことは必然だ。私自身の判断とし...2025年4月4日ヒルマ・アフ・クリント展と「行く春」
タイトル詐欺になってしまうが、満開になった河津桜にメジロたちが蜜を吸いに来ていた。私が桜の写真を撮ろうと木に近づいていくと、まずちょっと大きめの鳥が飛び立った。その後に、メジロが数羽近くにある杉の木へと飛び移っていった。なんとも絵になる組み合わせだったのだと惜しい気持ちになったけれど、鳥を写す機材を持っていないし、じっと待ち続ける気合も持ち合わせていないから、そもそもが過ぎた望みなのだ。けれど、メジロを見れただけで十分ラッキーと言えよう。きょうは、家に咲く花々の写真を撮って、「花便り」として親しい人にメールを送った。なんとも暢気な行いだが、春の美しさを分かち合いたいだけ。私ができる、ささやかな贈り物だから。河津桜とメジロ
数日前は雪が降るほど寒かったのに、今日はきらめく春の温もりに溢れる変わりようだった。これから一週間ほど気温が高く、しかも夏日の予報も出ている。いろいろ心が荒む流れの中で、地球は、自然は美しいとお届けして、これを目にした皆さんの心を明るくしたいと願っている。輝くミモザ清廉な辛夷
最近、二度にわたり蒸かしたサツマイモを大量に頂いた。初回分、まずはそのまま食べてみる。大きさは、一般的なバナナの大きさで、水分と糖分が多くてねっとりとしたタイプ。甘いものは好きだけれど、焼き芋はあまり好まないため、一本食べたらもう十分満足した。さて、この1.5kgほどもあろうかという蒸かしたサツマイモをどうしたらよいだろうと考える。冷凍してても、おそらく食べることはなさそうだ・・・そこで、冷蔵庫に生クリームがあるのを思い出し、スウィートポテトに変身させることにした。いい加減な私は、材料の分量はフィーリングまかせ。たぶん750gと思われる量のサツマイモの皮をむき、溶かしバターと生クリームを適当量を加えてひたすらマッシャーでつぶし混ぜる。それをアルミカップに分けて、オーブントースターで表面にうっすら焼きめがつ...蒸かしサツマイモでスウィートポテト
やっとミモザは咲いた。でも、ちゃんとポンポンのように弾け開いたのは、たった枝の一振りだけれど。昨年よりも、3週間以上遅い開花だ。今年は梅の花も遅かったから、これから一斉に花の饗宴が始まるだろうか。自然が与えてくれる、この命の輝きを浴びて、生きている実感とうちに宿る生命力を思い返したくなる。2025/3/10ミモザ開花
4月中旬並みのの暖かさから一転して、今日は気温をぐんぐん下げて雨から霙へと変わっていった。恵みの雨だと、家人とちょっと激しめの雨音を聞いていた。これで開花をこらえていたミモザに勢いがつきそうだ。また、水がなさ過ぎて芽吹けなかったホトケノザやツクシなどの植物も、待っていましたとばかりに育つだろう。こらえ切れなかったのは、スギ花粉で、一昨日から爆発的に花粉を撒き散らし始めた。加齢で体質が変わり、花粉アレルギーの反応が出にくくなったかもと喜んでいた私だったが、さすがに一昨日にはアレルギー反応が酷くでて内服薬のお世話になった。雨が上がり気温が高くなったら、杉の木からもわもわと煙が立ち上るような花粉の飛散を目撃しそうで恐ろしい。つまり、一気に春が進みそうとうことだ。うれしいような、恐いような、複雑な気分。とりあえず...待望の雨そして霙
毎日天気予報をチェックする。今のところ雨の予報は、3月に入ってから雨と雪が降るらしい。でもその前の一週間ほどは、晴天が続き、最高気温が4月下旬くらいまで上がり続けるようだ。おまけに今日は昼ごろから風が強く吹き出して、お察しの通り土埃がもうもうと上がっては、時折茶色の塊となって景色を覆い隠している。先週、仕事を終えて帰宅すると、井戸の水位が下がって水の出が悪くなっているから、水道の蛇口を前回にして使用しないよう工夫して欲しいと家人が話していた。特に昼間は、農作物の出荷のために水が大量に使われているため空気が入り込んで、ポンプに負荷が掛かるようだ。たしかに、昨年の12月ごろより、まとまった雨が降っていない。だから、暖冬のせいばかりでもなく、霜柱ができないのだ。おかげで、新品のスタッドレスタイヤが、本領を発揮す...異常乾燥注意報
何事も不変であるわけにはいかない。しかし、人間の素晴らしい営みの結晶を保持して公開する美術館が終わりを告げるのは、なんとも心が痛く寂しいものだ。古典から現代美術まで幅広く、しかも良質なものをコレクションしているDIC川村記念美術館は、私設美術館とは思えない充実振りを誇る。そして、私の好きな美術館では、日本国内において最も好きなところだ。コレクションの量と質、展示の仕方、環境的に静かで手入れの行き届いた庭園など、総合して非の打ち所がない。けれども、時代がこれを許さないのだろう。国立博物館でさえ、資金難でクラウドファウンディングを立ち上げて資金を集めているのだ。どうやら、人類は人類を否定したいのではないかと思えるほど、嘆かわしい行いだ。何かを作り出し、昇華させることができるという、人間に与えられた行為の中でも...別れを惜しみ、DIC川村記念美術館
とくに今年になってから、雨がほとんど降らない。カッラカラのパッサパサ!そこに先週の木曜日のような強風が吹き荒れると、作付けが成されていない畑の土が舞い上がって土埃・・・というより、景色が茶色に染まってしまうほどになる。しかも、この間の土埃は、我が地域だけではなかった。仕事で北に約50kmのところへ出向いた時、そこに行くまでの間も我が地域のような有様だった。そして、その日は火事も多かった。とにかくヤバイの一言に尽きる。このままでは、作付けに支障が出て、また野菜が高騰しそうだ。天候は人の力が及ばない領域ではあるけれど、食糧生産を磐石にしないと国が滅びかねない。国外から買い付けすればいいと考えるのは、お花畑もいいところだ。国を滅ぼそうとしたなら、兵糧攻めが一番コスパ、タイパがいいではないか。買えなくして、資源も...超乾燥注意報
昨日の夕方、毎月一回は食べようと決めているスリランカカレーを目指して家人とドライブをしていた。日中は強い西よりの風が吹いていたため、空にはほとんど雲が浮いていない状態だ。もしかすると夕焼けをバックにしたシルエットの富士山が見られるかもと期待して、南のほうを注意してみていると、その姿はあった。ちょっとだれたプリンのようではあるが、紛れもなく富士山の特徴を出している。家人は運転をしていたため、それを見ることはできなかったが、「富士山が見えると、訳もなくうれしくなってしまうのは、日本人だからなのだろうか」と富士山に対する思いを話していた。さすがにDNAにその気持ちが刻み込まれているとまではいかなくても、日本の価値観として刷り込まれているように思える。直線距離にして100km近く離れていても、その姿の特長的なとこ...シルエットMt.FUJI
今年の冬は、心配になるくらいの暖かさ。寒いのは嫌だけれど、ちょっと心配になる。降水量も激減して、霜柱のザクザクと立派なものもしばらくお目にかかっていない。だから、育苗しているポットたちを露天においたものへの水遣りが、気を抜けないでいる。ふと視線を上に向けると、見事なまでに鈴なりな杉の花に圧倒されて、今年のスギ花粉の飛散は多いのだろうと覚悟した。すでに、スギ花粉の飛散が始まっており、花粉に反応してむずむずとクシャミを連発する。いつまでも同じ状態が続かないとわかっていても、せめて自然のサイクルやあり方の変動は、人を根本から不安にさせるのだろう。先週、ブルーベリーたちへの声かけをしていた時、小さなトカゲが枝に刺してあるのを発見した。モズの速贄だ。そして昨日、ブルーベリーの木にまとわりつく枯葉とクモの糸が絡み合っ...2025年の冬は暖かいそして百舌の速贄
今年の初虹。3日の正午に近い時、雨だったはずが陽が射して外は明るい。雨が上がったのだと思い、家人と二人で外に出ると、粉雪かと思うほど白く輝く雨が降っていた。二人で示し合わせたように、北側の空を振り返ってみた。すると、濃くて幅の広い虹が、北の空の低い位置に大きくゆるい弧を描いている。「写真だ!」と叫ぶや否や、二人はそれぞれのスマホを撮りに走り出した。そして、スマホを手に取ると、虹は待ってくれない、障害物が入り込まないところへと向かって進みながら、写真を撮る。虹は、うっすらではあるが、三重になっている部分もあった。北の空に虹がかかることは、滅多に出会わない。そのことに二人とも非常に興奮しながら、早々と消えかかる虹を眺めては、感想を言い合う。まずは、新年のスタートに虹を見られたことを、吉兆としたい。その吉兆のお...2025年1月3日初虹
皆様にとって、健やかに安寧な一年となりますように、心からお祈り申し上げます。無事に新年を迎えられた。巳年のデザインは、毎年苦労する。個人的にヘビが苦手なせいだ。それでもどうにか形にすることだできたので、ここに貼ってみる。色違いで2025年年賀
「ゆらぎ」のなかに、存在や意識が顕在化するのではないだろうか?「ゆらぐ」ことで、自分の立脚点が意識でき、自分の存在と外界および他者が立ち現れる。「ゆらぐ」とは、自分と外界を干渉する作用のことで、これが起こらなければ、すべれはただの無なのだ。「ゆらぎ」が存在を顕にする
今年のふたご座流星群は、月明かりの元、ベストな観測条件ではなかったが、月はとても美しかった。そこで昨夜の12月15日は、今年最後の満月であり、コールドムーンという別名も与えられているものだった。そのことに関してSNSの記事で、今回のコールドムーンの高度が82.61度とほぼ天頂に近いほど高い位置を通過し、この100年で1969年の82.69度以来二度目の高さになるとあった。たしかに、一昨日に月を見たときには、月明かりがずいぶんと真上から照らしているなと感じたし、さらに北も西も空全体のトーンが明るかったと思った。また、朝6時前のもうそろそろ朝焼けの赤色が東の地平線部分ににじみ始めたころ、思ったよりも北よりの西の低い位置にまだ煌々とした月がドンと居座っているのを見て、まるで違う星にいるかのような違和感を持った。...コールドムーン2024年12月15日
JustinBieber&bennyblanco-Lonely(OfficialMusicVideo)「忘却バッテリー」と「ジャスティン・ビーバーLonely」どうしてこの二つを併記するのか?それは、共に深い孤独感がある。何かを極めようとする者には、等価交換で大切な何かを差し出さなくてはならない宿命がありそうだ。自分が望んでそこへ赴く者、他者の働きかけで考える暇もなく押されていく者の差こそあれ、どちらも容赦ない孤独を感じなければならない。そうなれば、精神が崩壊、または分裂したり、鈍磨することを免れないだろう。名声や栄光、富を得られたとしても、心の安寧を手放すことになる。何をもって至高とするかは、価値基準によるけれど、常に何かを提供し続けねければならない名声や栄光と富は、提供が止まったり、提供するものが大衆...「忘却バッテリー」とJustinBieber&bennyblanco-Lonely
風力発電の風車が立つ丘アカシア早朝の雨の礼文島を後にして、フェリーで稚内へ戻る。辛うじて見えた利尻島も遠くになるころ、船体が起こす白波を見ていると、時折波しぶきとは違う飛沫が起こるのが見えた。その飛沫が起こるのを注意してみていると、飛沫が上がってまもなく黒っぽい何かか海面を下からなぞる様子があった。一回だけでは眼の錯覚もあるだろうと、しばらく海面を注視する。それは、その後も幾度となく起こり、同時に何箇所で起こることもあった。おそらく、イルカが船に併走していたのだろう。曇天の船旅が、ちょっと楽しくなった時間だった。到着した稚内も、やはり重く暗い雲が垂れ込めていて肌寒い。これから札幌へ向かって、また道路をひた走っていく。稚内市街地を抜けると、丘陵地帯の尾根沿いに、大きな風力発電の風車が連なり立つ風景が続く。風...日本の北端へGOその4旅の終わり、想いかえして
レブンアツモリソウレブンアツモリソウは、この島の固有植物。一ヶ月にも満たない開花時期の終盤に間に合い、この花を見ることができた。寒冷地を好むラン科の植物で、このレブンアツモリソウは、特定の虫でしか受粉ができないことと、その発芽から生育も時間がかなるなど幾多の条件をクリアしなければならないとかで、絶滅危惧種となっているようだ。保護育成活動がなされているのはもちろんのこと、花を観察する時に花を揺らしたりしないなど、注意を払う必要がある。レブンアツモリソウ群生地を後にして向かったのは、島の西北端にあるスコトン岬。やはり霧雨と強い風が吹きつけてくる、厳しい自然環境があった。それしか、体感できない状況だった。また来た道を南下して、島の南の西側にある、桃のような形状の桃岩と猫の後姿のような猫岩が見える桃台猫台へと移動...日本の北端へGOその3レブンアツモリソウ
先日、夏至の日の2日前に、また鹿島詣でをした。しっかりと踏み固められた地面が心地よい広く長い参道を歩いている時、ふと足元に目をやると、そこには木漏れ日が光の模様を描いていた。遠くの隙間を抜けてきた光は丸く、近くの葉にさえぎられたものは葉の形を成していて、様々な光の強さと影の形が織り成す世界は、静かで美しかった。木漏れ日の描く地上絵に魅せられて、幾久しく。このブログでも時々取り上げている。今回は、夏至も近いということで、太陽が地面に垂直近くに光を落とすことから、丸の形がとてもきれいだったような気がして、一人ではしゃぎ写真を撮ったのだった。木漏れ日マニアまたは〇は正義!
稚内から礼文島へ向かうフェリーより、利尻島の利尻富士を臨む幸運に開けた青空雨雲が覆う稚内から、朝一のフェリーで礼文島に向かう。稚内のノシャップ岬を遥か後方にするころ、フェリーの上空には青空が広がってきた。天気予報では曇り時々雨だったから、この束の間の青空は、北端に向かう旅行者へのちょっとした贈り物のように思われた。そうこうするうちに、前方左手に島影が水平線上に現れた。利尻富士を頂く利尻島だ。30年以上前に、行ったことのある島だ。山の右側に、白い筋があることから、残雪の可能性がある。ここにあげた写真の前のもののほうが、山頂までよく見えて、白い筋もくっきりしていたが、全体のバランスがいいものを選んだので山頂に雲がかかり始めたものとなっている。海上の風は強く、しかも冷たい。時々船内へ戻って体を温めてから甲板へ出...日本の北端へGOその2礼文島澄海岬
6月8日から13日にかけて、北海道へ行っていた。そのうち4日間、北端の稚内と礼文島へ足を延ばす。あいにくと、曇って肌寒い天気だったが、それもまたよし。稚内へ行く途中の名寄に泊まった。北海道は、温泉がとにかく多い。ここ名寄も優しい泉質の温泉で、ホテルでは日帰り温泉も行なっており、近隣の人々が利用しているのが伺えた。さて、「名寄」とはどこかで馴染んだ地名と思っていると、観光案内の小冊子を見て気がついた。天文台があるのだ。先月は、太陽フレアの影響で、低緯度オーロラが世界各地で目撃されていた。そのなかで、名寄天文台「きたすばる」がSNSで発信する情報を見ているということから、初耳ではなかった。行った日は生憎と月曜日で、概観を拝むだけではあったが、よりリアルさを増してこれからの情報を受け取れそうだ。そして、古生物の...日本の北端へGOその1
まったく内容に関係のない絵なのは、日課のブルーベリーの見回りをしていた時の、空の色と雲が綺麗だったから。今年のブルーベリーの様子は、例年とはちょっと違う。とにかく葉が茂り、新芽がどんどん出てきている。ノーザンハイブッシュ系は、枝があまりでにくく、したがって葉の量も少ないタイプなのに、株元からも、古木の様相を呈した幹からも、新芽が出てきて成長が早い。だから、生育旺盛なラビットアイ系と、互角なほど葉が茂っている。植物は、毎年同じように成長しない。たくさん実を付けた翌年は、実りが少なめになる。発生する虫の種類や量も、毎年同じではない。気温や雨量など様々な条件で、それらは変化するのだ。そこで、今年の状況は、とにかく新芽と葉が爆誕しているのだ。想像するに、光合成をして力を蓄え、根を十分に張って、環境の変化に適応しよ...今年は芽が出て葉が茂る
まったくなっていないけれど、実際良く思うことを歌にしたためてみた。昨夜の9時過ぎ、洗面所の北窓から、すぐ近くで鳴くフクロウの声が聞こえた。「ホウホッホウ」3月のころよりは、声が野太くなっていて、違う個体かもしれないけれど、成長を感じ取れた。たぶん、家のすぐ横にある杉の大木あたりで鳴いていて、音がしだいに小さくなることから、遠くに移動する様子がわかる。フクロウが我が家あたりを縄張りとしだしている昨年の夏ごろから、ブルーベリーを啄ばむ鳥たちの姿が減ったような気がしていたが、この春は鳥たちのいたずらで小枝を折られる被害がないことから、フクロウが鳥たちの勢力図を変えているのではという確信に変わりつつある。いくら我が家の敷地内で起こっていることとはいえ、制空権は鳥たちのものなのでいたし方あるまい。今朝は、家の北側に...朝はキジ夜フクロウでおもわれる聞き耳頭巾何処に在らん
本当ならば、のんびりしていては困る経済状況。なのに、いまだ週一回勤務のままにいる。その通勤は、片道1時間ほどかかり、ほぼ田舎道、田園風景の中、車を走らせる。晴れた日などは、エンジンもよくまわり、少し開けた窓から花の甘い香りを含んだ初夏の空気が流れ込む。水鏡だった田んぼに緑の苗が植えられ、苗の隙間には空が映り込んでいて、今だけの特別感が切ないくらい凄い。木々の緑も、やわらかでバリエーションに富んでいたものが、鮮やかさを増して原色味を帯び、既に色の幅が狭くなって夏を先取りだ。ツバメたちは、晴れた日は高いところを舞うように、雨が近くなると低空を切り裂くように飛び回っている。通勤路沿いにおける季節の移ろいを、週一回という間隔が感じさせてくれるようだ。緑の威力が増し、ツバメが宙に翻る
先日、太陽フレアに伴う猛烈な磁気嵐が地球に到来し、世界各地でオーロラが出現した。北半球では、ロンドンにおいてはっきりと目視できたり、フランスのモンサンミッシェルでは幻想的な光景が現れ、スイスにおいても確認できたそうだ。また、日本においても、北海道はもとより、福島県や兵庫県、愛知県でも高感度カメラにおいて捉えることができたという。そんな祭り状態をSNSでリアルタイムに受け取り、自分も体験したいものだと居ても立ってもいられずに北窓を開けて空を眺めた。もちろん空が赤く染まってなど居ない。それよりは、遠い街の光が空をぼんやりと照らしているのを認められるくらいだ。確かに、田舎とはいっても関東圏なので、光の密集度が高いのだ。よほどのオーロラだ出現しない限り、肉眼では見ることができない。もっとも、ネットが普及した恩恵で...2024年5月11日オーロラ祭りに乗りたかったー!
みずがめ座η流星群の極大期は6日の未明だというので、到底起きていられる自信がなく、23時ごろにいつもの二階の東向きの窓から空を眺めてみた。大気に冬の透明感がないのでクリアさに欠けるけれども、月明かりに邪魔されず、星を見ることができる。まだ、蚊などの嫌な虫はいないにもかかわらず、網戸を開けるのを面倒がって、そのまま眺めていると、目の高さで右から左へと水平に流れる光を見た。ああ、これはきっと流星群の流れ星だと嬉しさ反面、自分の怠惰さを呪っていた。網戸がなければ、もうちょっと綺麗に見られただろうに。それでも、予想で最大1時間に10個程度の流星だとすれば、見られたのはとてもラッキーといえる。その後、午前2時ごろを目安に起きると念じながら、ひとまず就寝した。はっと目を覚ますと、既に午前4時。うっすらと東の空は白み始...2024年5月5日みずがめ座η流星群
ブルーベリーの花が、たくさん咲いている。釣鐘状の形で、細長いものふっくら丸いもの、白から濃いピンクにいたるまで色味も多く、そこはメルヘンな景色となる。花の時期から紅葉の時期まで、ブルーベリーはその姿全体で目を愉しませてくれ、なおかつその実はとても美味しいパーフェクトな存在だ。毎日のように見回りして声をかけ、愛しんでいこうか!ブルーベリーは完全無欠!
タイトルに「桜」とあっても、画像がない矛盾。しかし、私の心の中には、ソメイヨシノに枝垂桜、山桜や大島桜など、たくさんの桜が納まっている。家の庭にも数本の桜があるけれど、どこかへ出かけるときは、あえて桜のある道を通ったり、雑木に混ざって咲いている桜を見つけてみたりと、ことさら桜を意識する。今年から行くことになった職場の周りに見事な桜が植えられていて、さらに「桜活」がはかどった。もし順調に生きていたとしても、あと桜を見られるのは20回もあるかどうか。そもそも、記憶に残る物心ついてからだとすると、人は80回桜を見られたならば、とても幸せなことだ。その歳年、同じ感じで桜が咲くわけではないから、毎回新鮮な思いで桜を見ることだろう。実に当たり前の平凡なことであるが、それに気づき、大切にすることは難しい。実際私は、この...桜を心行くまで堪能する「桜活」
先週、中学時代よりの長年の友人とおしゃべりをしてきた。ランチを兼ねながら、行ったことのないカフェを探し、非日常を愉しんで、リフレッシュとリラックスをしようという、女子ならではの欲張り放題だ。レトロなアメリカンタイプなカフェの雰囲気の中で、パスタランチに舌鼓を打ちながらの近況報告はいつもの流れ。家族のこと、仕事のこと、自身の体調のことを伝え合うと、3時間近く経過した。他の客もみんな店を後にするころだったから、自分たちも気分を変えようと、他のカフェへ移動する。数年前から気になっていた、コーヒー専門店へ車を走らせる。あまり運転を好まなく、はっきり言って苦手な私としては、初めて走る道ばかりを行くので、「もうこれっきりの道かもしれない。本当に今日は探検の日だ。」と、同じく免許は持っていても運転をしない友人と笑いあっ...老いと読書「物語」の豊かさ
今年、やっと花を咲かせたミモザ二種類。他にも咲きかけのミモザが3種類あって、ワクワクしている。この椿は、TsubakiWallツバキウォールの南端にあるもの。毎年凄い数の花を咲かせるけれど、今年は木全体が赤くなるほど花をつけた。桜は、あっという間に満開となり、今日は久しぶりに日が差して気温が上がったので、さらに加速したようだった。家にいながら、この花盛りを堪能できるとは、なんとありがたいことか。春は花ミモザ椿に桜かな
水戸芸術館のタワー夕方の淡いオレンジ色の光を受けて聳え立つ塔の姿が、薄雲の空を押し上げている。どこかセンチメンタルな景色に、ちょっと心を動かされた。切り取られた風景写真
笠間稲荷年度末は、いろいろと変化の多い時期。元小さい人は、大学を卒業して就職へ。私は、そこそこ勤めた職場を離れ、新天地へ。私は飽き性なのか、どうも同じ所に勤め続けることができない。良く言えば、好奇心旺盛、探究心の塊なのだろうか。カッコよく言い換えたら、ROCKな生き方。当たり前だが、いつもよいことばかりと限らないけれど、無駄になったり、負の歴史になっているとも思わない。そう思えるようになってきたのは、歳をとったこと、周りの人に恵まれたことを実感したからなのだ。今回も、その前の国家試験受験合格も、周りの人の言葉掛けがあり、一歩踏み出せたのも家族が応援してくれたことが大きい。今を遡ること35年前、絵の個展を勧めてくれた人、フランスに遊学を押してくれた両親、ブログを勧めてくれた家人、受験を勧めてくれた職場の同僚...年度末は変化の時期、余生への所信表明
ミモザは萎んでも可愛い。だから、ふわふわな花が付いた枝に変えられない。そんなことを思っていたら、元小さい人が帰省して、新たな枝に取り替えてあった。しかも、花瓶を一つ増やし、おかげで台所は黄色い花で明るく賑やかだ。たしかに、外のミモザの木には、まだたわわに花が咲き誇っているから、家の中でもそのふわかわな花を思い切り堪能するほうがいい。しかし、その花の変容を愛でるのも、大きな愛なのではないだろうか。萎んでも可愛いミモザ
ビルベリーの蕾ミモザ快晴、青空、光に満ちた一日。ミモザの花に、ニホンミツバチとセイヨウミツバチが、蜜を集めに忙しそう。ブンブーンという羽音が、ミモザから鳴り響いているようだ。ビルベリーのほの赤い花芽がたくさんついていて、花が咲いているかのように見える。河津桜も濃いピンクの花を咲かせ、空の青に映えている。やり過ごせるかと期待を持っていた花粉への反応は、とうとう昨日からクシャミだけではなく目も痒くなってしまい、クスリに手を出してしまった。それでもまだ鼻は利くので、ほのかに漂ってくる梅の香りを楽しめた。自然はいい。穏やかな自然に触れていると、心が癒され気力が満ちてくる。わざわざ自然を求めて足を運ばなくてもいい環境にいられる私は、なんて恵まれているのだろう。おかげで、楽しく絵を描くことができた。今日一日を、こんな...三月三日、春の陽射しに咲く花は
ミモザにインスパイアされた?いやいや、これはミモザの精。丸は絶対正義!丸は完璧な癒し。ミモザは、ポンポンした丸の集合体。集合体だけれど、その形状が気持ち悪さを感じさせない。黄色の色からして神々しさを醸しだしている。誰もがその姿に見とれ、思わず純粋な感嘆の声をあげる。ーいいね珍しく二連投、ミモザの精が舞い降りた?