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唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 https://blog.goo.ne.jp/seikannamo

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思ってい

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2014/11/27

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  • 第二能変 六月度テキスト・開導依についての解説

    「伽陀に説けるが如し、阿頼耶を依と為して、故(かれ)末那転ずること有り、心と及び意とに依止して、余の転識生ずることを得という。」(『論』第四・二十一右)(伽陀(『入楞伽経』第九巻・大正16・571c20「依止阿梨耶能轉生意識依止依心意能生於轉識」の取意)に説かれている通りである。「阿頼耶識を依とすることに於いて、末那識は活動する。心と意とに依止して、他の転識は生じる。)『入楞伽経』第九巻・総品の中の頌に「阿梨耶に依止して能く転じて意識を生ず、心に依る意に依止して能く転識を生ずと。」と語られているのですが、『論』はこの『頌』の要を述べています。そしてこの文が第七識の倶有依は第八識であることの証拠であると示しているのです。「述して曰く、即ち『楞伽経』第九巻の総品の中の頌なり。旧偈には阿梨耶に依止して能く転じて意識を...第二能変六月度テキスト・開導依についての解説

  • 第二能変 六月度テキスト・開導依について

    等無間縁依(開導依)について、『論』第四(テキストp86)に護法の正義が記されています。「開導依(かいどうえ)というは、謂く有縁の法たり、主と為り能く等無間縁(とうむけんえん)と作(な)る。此れ後に生ずる心・心所法に於て開避(かいひ)し引導(いんどう)するを以て開導依と名づく。此れは但心のみに属す。心所等には非ず。」説明一刹那前に滅した心を開導依という。前念の一刹那を開避し、後念の心・心所を引導して障りなく生起させる前滅の心・意根をいう。即ち諸の心・心所は、この開導依なくしては生起することが不可能であり、すべての心・心所は開導依(等無間縁依)に託して生起する。しかし、この開導依に難陀・安慧・護法の異説があり、初に難陀等の説が述べられ、つぎに安慧等の説が述べられ、そして最後に護法の正義が示されます。護法の正義のみ...第二能変六月度テキスト・開導依について

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